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#51 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2021年01月04日 09:11:24

Jay さんの発言:

まさに彼はそのような「変な人」の代表格の一人ですね。

わたしはそのことを現役さんに指摘したことがあるのですが、
そのような変な状態にならされているせいか、
何も感じないようでした。
うそも100回言えば本当になるというのは、
こうしたようなことでも真実だと思います…。

#52 Re: 過去ログ・番外編 » Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ) » 2021年01月04日 09:04:33

書籍の紹介をありがとうございます。
読んでみようかときょう発注しました。

#53 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2020年12月31日 16:56:07

知り合いで、心がJWから完全離脱した彼が、
「JWの聖書研究は答え合わせだ」と言ったのを思い出す。

最近、40年来の知り合いで現役長老がやって来ると、
わたしの部屋に置いてある酒を飲みたいというので、
さかなも出してやり毎週飲むことが多くなった。
それはそれでいいのだが、彼が地元会衆の公開講演に誘ってくれた。
要するに、彼自身が話すので聞いてみないかということなのだ。
わたしはもう、18年ぐらいはものみの塔研究、
公開講演に参加していないと思う。
20代前半からの旧友だから聞くぐらいはいいかと思った。
参加すると言っても、言わずと知れたコロナ騒ぎで
ネット上の参加でしかない。

だが、聞き始めてみると、
どこかで聞いたことがあると思い始めた。
わたしも現役時代は100回ぐらい講演しているし、
同じ内容を何度か扱ったこともあった。
彼の話を聞いているうちに
わたしもそれを二度ぐらいしていることを思い出した。
若いころと比べると話し方がうまくなったなあという印象だ。

だが、不思議な気持ちにもなった。
何だか物足りないというのか幼稚というのだろうか、
そのように感じているわたしがいることに気が付いた。
どうしてそのように感じるのかあれから考え込んでいる。

せっかくだから、答え合わせのものみの塔研究も参加した。
聖書についての質問さんが扱ってくれた記事だ。
特に9節は大きな疑問だった。

わたしが現役だったとき、現在のJWが使用しているような
カートという出版物を展示するアイテムはなかった。
だから、自分で考えて音楽の譜面台を使うことにした。
これを三つ持ち歩いて、雑誌や書籍を展示していた。
風が強いと倒れてしまうのが難点だったし
寒い日は体の芯まで冷えて辛いものがあった。
現在のように見張り番はいなくて、一人で立っていた。
おっと、わたしの場合は座り続けただなあ…。

孤独との戦いだったと思うし、
記事に記載されているように印刷物を受け取る人は、
ほとんど現れなかった。

たぶん、1995年前後だっただろう。
わたしは二つの警察署に道路使用許可書をもらいに、
直接出向いていたので、上記のことはよく記憶している。
2011年ごろニューヨーク市で試験的な取り組みが始まっただなんて、
わたしたちや、過去のJWたちがずっと前から行ってきたと、
とても強く指摘したいと思うのだが…。

#54 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2020年12月31日 16:47:24

知り合いで、心がJWから完全離脱した彼が、
「JWの聖書研究は答え合わせだ」と言ったのを思い出す。

最近、40年来の知り合いで現役長老がやって来ると、
わたしの部屋に置いてある酒を飲みたいというので、
さかなも出してやり毎週飲むことが多くなった。
それはそれでいいのだが、彼が地元会衆の公開講演に誘ってくれた。
要するに、彼自身が話すので聞いてみないかということなのだ。
わたしはもう、18年ぐらいはものみの塔研究、
公開講演に参加していないと思う。
20代前半からの旧友だから聞くぐらいはいいかと思った。
参加すると言っても、言わずと知れたコロナ騒ぎで
ネット上の参加でしかない。

だが、聞き始めてみると、
どこかで聞いたことがあると思い始めた。
わたしも現役時代は100回ぐらい講演しているし、
同じ内容を何度か扱ったこともあった。
彼の話を聞いているうちに
わたしもそれを二度ぐらいしていることを思い出した。
若いころと比べると話し方がうまくなったなあという印象だ。

だが、不思議な気持ちにもなった。
何だか物足りないというのか幼稚というのだろうか、
そのように感じているわたしがいることに気が付いた。
どうしてそのように感じるのかあれから考え込んでいる。

せっかくだから、答え合わせのものみの塔研究も参加した。
聖書についての質問さんが扱ってくれた記事だ。
特に9節は大きな疑問だった。

わたしが現役だったとき、現在のJWが使用しているような
カートという出版物を展示するアイテムはなかった。
だから、自分で考えて音楽の譜面台を使うことにした。
これを三つ持ち歩いて、雑誌や書籍を展示していた。
風が強いと倒れてしまうのが難点だったし
寒い日は体の芯まで冷えて辛いものがあった。
現在のように見張り番はいなくて、一人で立っていた。
おっと、わたしの場合は座り続けただなあ…。

孤独との戦いだったと思うし、
記事に記載されているように印刷物を受け取る人は、
ほとんど現れなかった。

たぶん、1995年前後だっただろう。
わたしは二つの警察署に道路使用許可書をもらいに、
直接出向いていたので、上記のことはよく記憶している。
2011年ごろニューヨーク市で試験的な取り組みが始まっただなんて、
わたしたちや、過去のJWたちがずっと前から行ってきたと、
とても強く指摘したいと思うのだが…。

#56 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・聖書を理解するための助けとヒント…。 » 2020年12月19日 05:53:37

#145の続きです。

律法に通じた人がイエスに対して、
律法の中で最も重要なおきてはどれですか、
という問答が記録されているのは、
マタイ22:34-40、マルコ12:28-34、ルカ10:25-28です。
どの聖句も命令形で述べられています。

さて、わたしがエホバの証人と距離を置くようになってから、
自力でギリシャ語本文から
日本語に聖書を翻訳している人と出会ったのです。
そこで、思い切って彼にその質問をぶつけてみました。
そうしたところ、ギリシャ語では命令形になっておらず、
「愛するであろう」という未来形になっているということでした。
だから、神と隣人を愛する「であろう」という意味だったのです。

わたしは、この説明を聞くことができて大きく安堵しました。
人に愛するという特質を付与された創造者は、
人に決して無理な要求をされる方ではないとわかったからです。

さらに最近になり、もう一度聖書の真意を知りたくなりました。
エホバの証人の長老と聖書研究をしたことのある、
牧師さんとも出会うことになったのです。
彼は地域大会や巡回大会、会衆の集会にも積極的に参加していました。
ただ、王国宣教をもらえるところまでいかなかったことを
残念がっておられましたが、エホバの証人は
良い人が多いとほめておられます。

彼が言うには、聖書にもどればいいんだ、
聖書があるのだから、自分で読んで考えるんだ、が口癖です。

エホバの証人も集会で聖書通読がプログラムされているし、
毎日読むようしきりに励まされていると思います。

そこで、わたしは思いついたのです。
「論じる」の本の見開きに紹介されていた
現役時に、日本語訳聖書は全部読んだことがありました。
探してみると日本語訳はもっとたくさんあることがわかったので、
それらを収集し、活用して聖書の意味合いを探ろうと考えたのです。
その一つとして岩波書店が発行している、
「聖書翻訳委員会訳」があり、これを分冊版で、
ヘブライ語部分とギリシャ語部分を全巻購入することができました。

さて、岩波版聖書は分冊で発行されているほうが、
写真や図版がはいっており、脚注の豊富なので一冊ずつ購入してきました。
神と隣人を愛することが最大のおきてであると述べている聖句には
マタイ、マルコ、ルカがあるわけですが、どれも脚注が付いています。
代表としてマタイ22:37,38を引用してみます。

するとイエスは彼に言った、
「お前は、お前の主なる神を、お前の心を尽くしつつ、
お前のいのちを尽くしつつ、お前の思いを尽くしつつ、愛するであろう。
これが最も大いなる、そして第一の掟である。
第二の掟もこれと同じである。
「お前は、お前の隣人をお前自身として愛するであろう」。

この聖句の脚注ですが、
「申命記6:4,5.他の邦訳は命令形に訳すが、原文では二人称単数未来形」。

同じくマルコ12:29の脚注は、
「申命記6:4,5。また文面に関してはヨシュア記22:5(70人訳聖書版も参照)。
なお、他の邦訳ではすべてこれを命令形で訳す。
命令的ニュアンスはたしかにあるが、元来は翻訳のように未来形」。

さらに、ルカ10:27の脚注では、
「本節の『愛するであろう』は命令的要素を持つ未来形」。

「邦訳」というのは「日本語訳」という意味です。

ギリシャ語から自力で日本語に聖書を訳している人から説明を聞いていたことが、
日本語に訳された聖書と脚注によって証明されることになって
大いに納得でき、とても晴れやかな気持ちになりました。

命令的要素を持っているのですから、
命令調で述べられても間違いではないと思います。
しかし、神の特質や人に対する愛情深い扱いを知り、経験することにより、
自然の心の発露として、神を愛するようになるということでしょう。
神の人間に対する期待感を込めた未来的な命令だったと思います。

こうして、人を創造された方は、その心の傾向をご存知であり、
決して、無理な要求はされないことを知って、大いに安堵したのです…。
長いことかかりましたが、一つの聖句の意味合いを知ろうという、
探求は大きく報われることになりました…。

#57 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・聖書を理解するための助けとヒント…。 » 2020年12月12日 15:39:21

てつてつ さんの発言:

エホバの清い崇拝 ついに回復される ネットでも見れるようですね

今だに自分たちがエホバ神の正式な任命を受けた組織であるとの根拠に1914年と1919年を主張しているのですね あわれです cry

そうですねえ…。
根拠薄弱だから、気の毒なぐらいですね…。
わたしは彼に、1914年を信じる根拠の非常に薄いことを
これから指摘しようと思っているのです…。

#58 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・聖書を理解するための助けとヒント…。 » 2020年12月12日 10:36:43

さいきん、40年来の友人が、
「エホバの清い崇拝 ついに回復される!」という
新しい書籍をPDF版で送ってきた。
集会の書籍研究で扱われているようだ。
この本はエゼキエル書の注解書で、
もう50年近く前に出版された書籍の新版ということだった。
だから、逆証言というのか、自分で問題を考えてもらおうと、
気が付いたことを感想文の形で書いてみることにした。

上記はその一つだったのです…。

#59 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2020年12月10日 17:18:11

たぶん、負け戦でしょうね…。
ほいさん、ありがとう。

#60 Re: 総合フォーラム » ここが変だよJW » 2020年12月09日 14:39:15

ちょっと一言 さんの発言:

そんな古いのをお持ちとは驚きです。資料として大事にして頂きたいです。
日本語版は英語版の3カ月遅れということが多いようです。7/1号はどうでしょうか?

ご存知のように、「ものみの塔」誌、「目ざめよ!」誌は1985年から英文版と同時発行になりました。
それ以前は、3か月遅れとか半年遅れだったので、大体の見当がついていたのです。
ただ、英文版にはあるけれど、日本語版にはない記事もやはり存在しました。
手元にある1962年「ものみの塔」誌・製本7月1日号最終ページは日々の聖句と発表の欄になっています。
この号に読者からの質問はありません。
この製本の読者からの質問も一年分確認したのですが、該当記事は見つけられませんでした…。

最近も40年以上前から知っている現役さんから連絡があり、
彼はデジタル版で出版物は読むことができるので印刷版は全部捨てたと言ってきました。
特に1969年以前の日本語版はデジタル化されていませんので、できる限り保存しようと思います。
現物証拠として大事ですから…。

#61 Re: 総合フォーラム » ここが変だよJW » 2020年12月08日 17:27:23

ちょっと一言 さんの発言:

*****
WT 1962  4/1  Questions From Readers:  How are we to understand Luke 21:25, 26 and the similar passage at Matthew 24:29? Are they to be taken literally or symbolically?—C. S., United States.

These texts are to be understood primarily in a literal sense.
*****

この部分を日本語版で探したのですが、見つけられませんでした。
英文の該当ページを確認すると、裏表紙になります。
日本語では日々の聖句が印刷されている部分です。
その都合で省略されただろうと思います。

#62 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・聖書を理解するための助けとヒント…。 » 2020年12月07日 16:10:38

読書感想文です…。

「清い崇拝」第二章ですが、
心からエホバ神を愛することについて説明されていると思います。
それは人間として当然のことで、最大限重要なことだと思うのですが…。
「あなたは、心を尽くし、力を尽くし、自分の全てを尽くして、
あなたの神エホバを愛さなければなりません」と述べられています。(申命記6:13)
これは知っての通り、律法の中でどれが最大のおきてですかと、
イエス・キリストに質問した人物に答えとして引用された聖句でした。
「イエスは言った、あなたは、心を尽くし、知力を尽くし、自分の全てを尽くして、
あなたの神エホバを愛さなければならない。これが最も重要な第一のおきてです」。(マタイ22:37,38)
この後の会話で、隣人を自分のように愛することが二番目に重要なおきてであると言われました。

たしかにこの通りで神と隣人を愛することが最重要なことだと現在でも思います。
ですが、わたしは長いこと不思議な聖句だとも思い続けてきました。
なぜなら、愛することが命令されているからなのです。

なぜなら、人間の強大な支配者である一国の王たるものが、
自分の好ましいと思った女性に対して、自分を愛するよう厳命したとしても、
はたして、そのような女性に王を心から愛させることができるのだろうか、と思ったのです。
聖書中の実例として、ソロモン王を考えることができそうです。
彼は繁栄を極めた絶頂期のイスラエルの王でした。
彼は貧しいブドウ園を管理するシュラムの乙女に言い寄ったわけですが、
彼女を自分の妻にすることはできませんでした。もちろん愛させることも…。
聖書に収録されている「ソロモンの歌」は彼の失恋の歌としても知られています。

だから、そのような実例もあって、人間は命令されたからと言って、
神や他の人を愛するようにはなれないだろうと考えたのです。実際には無理だって…。
そして、人間を創造し、愛するという心の働きを与えた方は、
そのような人間の特性を理解されずに、ご自分を愛することを命じられたのかと、
ずっと思い続けてきました…。これは大きななぞだったのです。

#66 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・聖書を理解するための助けとヒント…。 » 2020年11月15日 06:09:51

ローマ9:5にあらわれる、
「万物の上におられる神であるキリスト」についてです。

新改訳聖書2017年版の訳出は、
「キリストは万物の上にあり、とこしえにほむべき神です」が、
第三版では脚注に別訳が紹介されていました。
「万物の上にある神はとこしえにほめたたえるべきかたです」です。

フランシスコ会訳合本では、
「万物の上におられる神であるキリスト」となっています。
注解もそこに付されていました。
ところが、最近手に入れた分冊版では、
「万物の上におられる神は永遠にたたえられますように」という訳です。
ここには合本版より長い注が付いていて、

ここで「キリスト」は、約束された「メシア」(救い主)の意を含んでいると解される。
本節後半は、前半との関連上キリストに対する栄唱と解し、
「万物の上におられる神である彼(キリスト)は、
永遠にたたえられますように。アーメン」と訳すことが、
テキストの区切り方によって可能であり、
また、人間キリストと神キリストとの対比が見られる文脈に合っているようにも思われる。
このような対比はすでにローマ1:3,4にも見られた(1注3参照)。
しかしながら、パウロはそのすべての書簡のいかなる箇所においても、
キリストを直接に神とは呼んでいないので、
本訳のように、神に対する栄唱と解する方がよいと思われる。
このような神への栄唱は他の箇所にもよく見られる(特にローマ1:25、コリント第二11:31参照)。
なお、「彼〔キリスト〕は万物の上にいます。神はとこしえに祝福あれ。アーメン」と読む者もいる。

所蔵の日本語訳ぜんぶを見ていませんが、10ぐらい比較してみました。
キリストを神としている翻訳と、していない翻訳が半分ぐらいありました。
ティンダル聖書注解では、ここの解説と反対のことが述べられていました。
やはり、解説者の信条が表れやすい聖句なんだろうと思います。
参照資料付きの新世界訳の付録も詳しい解説があります。
フランシスコ会の分冊をちょっとずつ購入して良かったかなという感じです。

#72 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・聖書を理解するための助けとヒント…。 » 2020年10月24日 16:33:52

仰天 さんの発言:

せっかくラハムさんが紹介してくださった
N・T・ライトなのですが、数年前にブームになり、
私も何冊か書店で手にとって読んでみたものの、
全否定ではないですがどこか違和感があり
一冊も購入しませんでした。

ライトさんに関しては異論も多くあり、
中には異端とまで批判している人もいますから
分析が必要だと思います。

玉石混淆だと思います。
https://koumichristchurch.hatenablog.jp … /13/165638

わたしもライトが異端視されていることは知っています。
中澤牧師の言によるとライトの著作を読みもしないで、
異端視している牧師も存在するとのことで、
とても残念がっておられました。

JWだったわたしはあまりよくわからないのですが、
キリスト教世界には「義認」という教理があるそうですね。
ライトはそれを否定しているので異端だといわれているそうです。
彼が、その教理を否定していないことを述べている
著作で反論しているそうですが、
それでも納得してもらえていないということでした。
最近も教文館でジョン・パイパーという有名な神学者の、
日本語版が新たに出版されているのを目にしました。
チラ読みですが、ライトの義認に関する解釈に対する、
反論のような内容だったと思います。

わたしとしては義認に関するライトやパイパーの著作は
読んだことがないので、どちらが正当なのかわかりません。
でも、キリスト教世界の出版物の紹介方法に
とても公正さを感じているのです。
というのは、何か新しい解釈が著作として発行されると、
反対意見の著作の出版されていて、
読者は双方を読み比べて判断できるようになっているからです。
わたしはライトのパウロ理解に関する反対意見を読んでいます。

それで、このトピックでは反対意見も紹介したいと思うのです。
トピックの最初で述べているように
事の是非の判断は閲覧者がするものだからです…。

仰天さんは地獄の教理肯定派ですから、
それを否定する解釈も紹介してみたかったのです。

#73 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・聖書を理解するための助けとヒント…。 » 2020年10月23日 16:31:04

NT・ライトおよび中澤牧師の解説…。
ライトの著作「驚くべき希望」p274からp305を参照。

3.人は死後地獄で永遠に苦しむのか
私が、いろいろな場所で「人間の将来の希望」について講演すると、必ずといっていいほどいつでも「地獄についてどう考えているのか」との質問を受ける。その質問に答えるには一冊の書物を要する。今の私は、その種の本を書く気はないという思いと、しかし少なくとも何かを言っておかねばならないという思いとの間で、常に板挟みになっている。このトピックの扱いが難しいのは、「地獄」という言葉が、最初期のキリスト教の文献の主張を探索させる以前に、中世の描写に由来する地獄のイメージを思い起こさせることにある。
新約聖書において「地獄(hell)」と訳されている「ゲヘナ」は、「昔のエルサレム市街の南西の角の外側にあったゴミ捨て場」を指す言葉だった。その場所には、今日も「ゲー・ヒンノム」という名のついた谷がある。ローマ帝国は、ユダヤ人がローマへの反逆を繰り返すと、「エルサレムの街を、忌まわしい悪臭を放つ燃えるゴミの山に投げ捨ててしまうぞ」と脅かしていた。そのような言葉の使い方を背景にして、イエスは「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」(ルカ13:3、5)と言われた。
新約聖書では、「ゲヘナ」という言葉は、12回出てくる(マタイ5:22、29、30、10:28、18;9、23;15、23:33、マルコ9;32、34、45、47.ルカ12;5、ヤコブ3;6)。いずれの場合も、「役立たないものを火の中に投げ込んで燃やしてしまう」という意味である。ところが「ゲヘナ」は、「天」という言葉同様、その言葉の本来の意味から離れ、全く異なったイメージで使われるようになった。当面する緊急の警告を示す言葉から、「死後のさばきの後に対する警告」の言葉に拡大解釈されるようになったのである。しかし、そのような読み込みには、大きな無理がある。
この問題を直接取り扱っているかに見える「たとえ話」が2つある。マタイの福音書25章31-46節の「羊と山羊を分ける話」と、ルカの福音書16章19-31節の「ラザロと金持ちの話」である。これらはいずれも、死後に実際起こったことを記述したものではなく、たとえ話として語られたものである。ラザロの話は、「アブラハムのふところ」のように、古代ユダヤ世界のありふれたイメージを用いて、「現在の生活の中での公正と憐れみを実践するように」と語っているのであり、死後に起こることを教えているわけではない。イエスの中心的な関心事は、「神の王国が天と同じように地にもやって来ること」であり、永遠のさばきとしての「地獄」については、ほとんど何も語っていない(291-92頁)。
イエスは、「復活や死後のさばき」については、通常のユダヤ教の教えを繰り返すだけで満足していた。従って、本当に最後に神を拒絶する人がいるのか、さらにその拒絶した人たちは神によって最終的に受け入れられるのか、それとも拒否されるのかという問題については、イエスは何も目新しいこと語っていない。誰が「地獄行き」で、誰がそうではないのかと問うことや、地獄という場所は存在するのかしないのか、あるいはあったとしても最後は空っぽになるのか(これは万人救済主義になる)、そういう問題をイエスに結びつけて論じることは、くれぐれも気をつけていただきたい(293頁)。

[筆者のコメント]
ライトは、地獄の存在については、聖書の「ゲヘナ」という言葉の拡大解釈に基づくことを指摘する。しかし、それを完全に肯定するにしても否定するにしても、慎重であるべきだとトーンダウンする。どうしてそうなるのか。これはライトが、「人間は、死後にも何らかの意識をもった存在であり得る」という前提に立っているところから生じる「あいまいさ」のゆえである。
「ゲヘナ」に加え、一般に「地獄」を指すと見られている言葉は、「火の池」である。この言葉は黙示録に3度出てくるが(黙示19:20、20:14、15)、いずれの場合も「そこに投げ込まれたものはすべて、燃やし尽くされてしまう」ことを意味している。この言葉に、「不滅の魂(それがどのようなものであれ)が投げ込まれ、永遠に苦しむ」という地獄のイメージを読み込むことも、拡大解釈である。
「地獄」は存在するのか、存在するとすればどのようなものなのか、という問いは、従来の福音理解の視点に立てば、極めて重要なテーマである。そこでは、「キリストの救い」を受け入れなければ、人は自分の罪に対する神のさばきを受け、地獄に行かねばならない。もし地獄がなければ神のさばきもないことになり、神のさばきがなければイエスの十字架上の死も意味ないものになってしまう。だから、地獄を否定することは、結局キリストの福音を否定することになる。それでは困るから、地獄は存在しなければならない、ということになる。ほとんどのキリスト者は、長い間「地獄」のイメージを植えつけられ、「福音の有難さ」や「伝道の重要性」を叩き込まれてきた。そのようなキリスト者にとっては、「地獄」は絶対になければならないし、その理解を変えることは「信仰の根幹」を揺るがすことに通じるので、大きな抵抗がある。
聖書が説く福音は、「聖書のグランド・ストーリー」において明らかにされている。それは、従来の福音理解とは異なる論理で展開される。キリストの贖いは、人間が堕落時に失った「被造物管理権」を、創造時の人間がもっていた時のように回復することにある。とすると、人間の「罪」とは、「(神に叛いて)神と共に被造物を管理する権利を放棄したこと」にある。キリストを信じるとは「その管理権を回復すること」であり、信じないなら「その管理権を永遠に放棄すること」になる。このように「被造物管理」の視点から福音を理解するなら、「地獄」が存在する意味も、必要性もなくなる。
「地獄」を信じることは、「創造の善性」及び「契約の善性」に矛盾するのではないだろうか。そのような問いは、真剣に取り上げねばならない。もし、キリストを信じなければ、永遠の責め苦が続く「地獄」に行かねばならないと主張するなら、少なくとも世界の人口の3分の2(日本だけであれば99パーセント)は、地獄行きとなってしまう。それは、一つ一つの物が創造されたとき、「神はそれをよしと見られた」(創世記1章)ことに矛盾するのではないだろうか。聖書のグランド・ストーリーは、一部のキリスト者にとってはすばらしい福音であるが、地球上の大部分の人間にとっては、悲しみの福音でしかない。それは、神の創造と契約の失敗ということに帰着してしまう。キリスト者の神は、そのようなストーリーを本当に書かれたのだろうか?
最後に、永遠のさばきを伝える聖句をどのように解釈したらよいのか、との問題が残る。新約聖書は、キリストを信じないなら、よみがえって神の永遠のさばきを受けることを繰り返し述べている。例えば、以下のような聖句である。
「こうして、この者たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです」(マタイ25:46)。「墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出てきます」(ヨハネ5:29)。「イエスは、ご自分が、生きている者と死んだ者のさばき主として神が定めた方であることを、人々に宣べ伝え、証しするように、私たちに命じられました」(使徒10:42)。「なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです」(使徒17:31)。「また私は、正しい者も正しくない者も復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神に対して抱いています」(使徒24:15)。「私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって、人々の隠された事柄をさばかれるその日に行われるものです」(ローマ2:16)。「私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれの肉体においてした行為に応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです」(Ⅱコリント5:10)。
これらの聖句を矛盾なく取り入れて「自分の神学」を構築することは簡単なことではない。自分の聖書知識、言語能力、神体験、分析・統合能力には限界がる。私自身は、不死は神のみであり、神の贖いの完全さと十分さを感謝している。神のさばきによる人間の絶滅を、そして神の絶対的な愛と恵みによる永遠のいのちと新しい体の約束を、信じている。その上で、神は、非キリスト者に対しても、キリスト者に対しても、この地上の歩みのすべてに対してさばきを行われる。さらに神は正義を打ち立て、全被造物を神の御心のままに支配され、「完全な神の王国」を完成される。そういうストーリーの中で、上記のさばきの聖句を位置づけることが正しいと確信している。

#74 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・聖書を理解するための助けとヒント…。 » 2020年10月23日 16:18:15

金持ちとラザロの話をたとえ話だとするものみの塔の主張…。
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1101974072

N/Tライトの解説も順次紹介しようと思います…。

#75 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・聖書を理解するための助けとヒント…。 » 2020年10月22日 17:22:32

ガッツさん、
心温まる書き込みをありがとう。
創世記3:8によると、神は毎日そよ風の気持ちの良いころ、
アダムやエバ楽しくと会話されていたと思いますよ…。
聖書の指し示す希望は、
エデンのそのころに戻るということだと思いますが…。

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