#26 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2021年04月04日 21:10:03
#27 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2021年04月04日 07:02:38
キリスト教に興味をお持ちのみなさま、
主の御復活おめでとうございます。
コロナ禍のため、ミサへの参加人数を制限し、代わりにミサの様子をライブ配信するカトリック教会がたくさんあります。
カトリック教会では昨夜のミサ(復活の聖なる徹夜祭)が1年で最大のイベントでしたが、日中のミサはこれから行われます。
興味のある方はどうぞ。
カトリック麹町聖イグナチオ教会
上智大学の関連の有名な教会です。
日本語ミサは10時から。他言語もあります。
バチカン Easter Sunday - Mass of the day
ローマ教皇が主司式を務めます。
時差のため日本時間17時から。
情報提供でした。
#31 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2021年03月18日 21:54:39
#32 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2021年03月18日 18:24:16
ローマの信徒への手紙 8章19-23節
19 被造物は、神の子たちが現れるのを切に待ち望んでいます。
20 被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させた方によるのであり、そこには希望があります。
21 それは、被造物自身も滅びへの隷属から解放されて、神の子どもたちの栄光の自由に入るという希望です。
22 実に、被造物全体が今に至るまで、共に呻き、共に産みの苦しみを味わっていることを、私たちは知っています。
23 被造物だけでなく、霊の初穂を持っている私たちも、子にしていただくこと、つまり、体の贖われることを、心の中で呻きながら待ち望んでいます。
(聖書協会共同訳)
キリスト教では、神以外のすべてのものを被造物といいます。神がすべてのものを造られたからです。
もちろん人間も被造物ですが、この箇所では神の子(人間)と被造物を区別して述べているので、この「被造物」は人間以外のすべてのものをさしています。
また、キリスト教では人間を14万4千人で区別したりしません。
#33 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2021年03月15日 20:47:34
#34 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2021年03月15日 12:46:04
#35 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2021年03月15日 12:43:27
#36 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2021年03月14日 22:29:55
#37 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2021年03月13日 18:06:41
理想を求めることはとても大切なことです。
それがなければ、成長も進歩も生まれませんから。
重要なのは、理想と同時に現実もしっかり見据えること。
理想と現実とを見比べて、現実的な目標を設定することです。
ものみの塔は、信者ひとりひとりの現実は無視して、無理な目標に向かって信者を駆り立てます。
無理を重ねれば重ねるほど、幸せからは遠ざかっていきます。
子育てで最も重要なのは、子どもにとってちょうど良い目標を設定してあげること。
無理な目標に向かって駆り立てるより、ちょうど良い目標に向かって一歩一歩進めるように励ます方が、最終的にはずっと遠くの目標にたどり着くことができます。
無理な目標を目指させることは、子どもの自己肯定感を低下させ、精神の健康を損なうことにつながります。
一生懸命な親御さんほど、そのことに気づきにくいようです。
無理して親の言うことを聞こうと頑張る子ども、
無理して組織の言うことを聞こうと頑張る証人。
その無理、本当に必要ですか?
#38 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2021年03月13日 13:56:58
「青春の輝き(I need to be in love)」というカーペンターズの有名な歌に、こんな歌詞があります。
I know I ask perfection of a quite imperfect world
And fool enough to think that’s what I’ll find
(この世界は完璧からは程遠いのに、わたしは完璧を求めてる
バカなことに、それが見つかると思ってしまっているの)
完璧な恋人を求めるあまり、恋ができないという歌ですが、
エホバの証人の宗教に対する態度に似ているなと私は思います。
この世の中に完璧な人もいないし、完全な組織もない。
神は本当にいるのか? それとも人類が作った壮大な幻想なのか?
いずれにしても完全なのは神だけで、人間の世界には完璧なものなどないのが当然です。
でも、エホバの証人は、ものみの塔の組織を信じ込み、組織に疑問を抱くと、完全な組織はどこかと考えてしまう。
この世の中に完全なものはないのだから、大切なのは自分自身が幸せに生きていけるかどうかということではないでしょうか。
誰の人生も奥が深く、たたき続け、求め続ける価値があるものだと思います。
#39 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2021年03月11日 19:25:34
しろさん
お返事ありがとうございます。
主イエスは、すすんで受難に向かう前に、パンを取り、感謝をささげ、割って弟子に与えて仰せになりました。
「皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡されるわたしのからだ(である)。」
食事の終わりに同じように杯を取り、感謝をささげ、弟子に与えて仰せになりました。
「皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血(である)。これをわたしの記念として行ないなさい。」
これはカトリック教会のミサで司祭がパンとぶどう酒をささげながら唱える奉献文です。カトリック教会では、毎日これを行っています。また、聖木曜日には特別な典礼が行われます。
キリストに従って生きたいのなら、キリスト教会に通ってみるのもよいと思います。
教会は無理して行くところではありませんから、行きたいときに行けばよいのです。今は復活祭前で、普段とは違う行事も体験できますよ。よい出会いがありますように。
#40 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2021年03月11日 18:27:21
しろさんこんばんは。
主の記念式はものみの塔の独自の習慣なので、キリスト教会にはありません。
カトリック教会では、主の晩餐を記念して毎日ミサが行われており、その中で信者がパンとぶどう酒をいただきます。この祭儀は聖書に従って行われます。プロテスタント教会でも、週1回、月1回など頻度はまちまちですが、聖餐式が行われ、パン(とぶどう酒)をいただきます。
キリスト教会では、春分の日のあとの最初の満月の次の日曜日(復活の主日・今年は4月4日)に、主の復活を祝う式典を行います。これはキリスト教会にとって1年で最も重要な行事(復活祭=イースター)です。
復活の主日の前の40日間(日曜日を除く)は四旬節といい、主の苦しみを想って身を慎む期間であり、断食などを行う習慣があります。復活の主日の直前の木曜日(聖木曜日・今年は4月1日)には、特に最後の晩餐(主の過ぎ越し)を記念するミサが行われます。
エホバの証人の「主の記念式」は、復活祭に関連した行事の変形と言えると思いますが、その意味するところはまったく異なります。
#42 Re: 過去ログ・番外編 » Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ) » 2021年02月06日 16:46:37
杉本氏のように学者として活躍しておられる方は、現実と信仰とをきちんと区別して考えていらっしゃいますね。
聖書関連の研究をなさっているキリスト教徒だけでなく、経典関連の研究をなさっている仏教徒でも同様のようです。
かつて、ここに1000件以上の書き込みをなさっていた女性は、聖書が科学的に正しいとは限らないことを知りながら洗礼を受けるのは不誠実だと主張なさっていました。
カレブさんも以前は、キリスト教を信じるということは聖書の記述のすべてを科学的事実あるいは歴史的事実であると信じることだとお考えでした。
けれども、聖書を盲信することなくキリスト教を信じている人はたくさんいます。
教会が信仰教育を行う場合、初めは信仰上の物語しか教えません。信者として重要なのは教会という集団が共有している物語だからです。
その物語に歴史的事実と矛盾する部分があった場合、その事実をどう扱うかによって、信仰の性質が変わるように思います。
合理的理性で証明できないことを信じるのが信仰です。信仰に合理的な証明は不可能なのです。
ものみの塔が、その教えが科学的に正しいかのように信者を教育し、科学的事実と信仰上の事実との区別ができない状態にしてしまうことは、信者に致命的な不利益をもたらす罪深い行いだと思います。
聖書には科学的事実あるいは歴史的事実ではないことも書かれているけれども、それでもイエス・キリストの物語が好きな人にとっては、キリスト教の価値は変わらないのではないでしょうか。
#43 Re: 親睦・相談 » ターニング・ポイント通過中 » 2020年12月26日 12:13:06
#44 Re: 総合フォーラム » ノア洪水を示す証拠はありますか? » 2020年10月22日 16:49:50
ここら辺、伝統的なキリスト教徒の方がどう感じているのか(どうやって擁護されるんでしょうか?)気になります。
irisさん、何かご意見ありませんか?
マルコによる福音書(11章13-14, 20節)
そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。
(中略)
朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。
ひどい八つ当たりですね。いちじくの季節を定められたのは誰か、お忘れだったのでしょうか?
マタイによる福音書(21章 12-13節)
それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを覆された。そして言われた。
「こう書いてある。
『私の家は、祈りの家と呼ばれる。』
ところが、あなたがたは
それを強盗の巣にしている。」
パフォーマンスとしては効果的だったでしょうね。現代では万人受けはしないでしょうけれどね。
ルカによる福音書(08章 43-48節)
ここに、十二年この方、出血が止まらない女がいた。医者に全財産を使い果たしたが、誰にも治してもらえなかった。この女が後ろから近寄って、イエスの衣の裾に触れると、たちまち出血が止まった。イエスは、「私に触れたのは誰か」と言われた。皆自分ではないと言ったので、ペトロが、「先生、群衆が取り巻いて、ひしめき合っているのです」と言った。しかし、イエスは、「誰かが私に触れた。私から力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、イエスに触れた理由とたちまち癒やされた次第とを、民全員の前で話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」
この女性は出血が止まらないために、12年間も穢れた存在として誰からも接触することを避けられていた人です(レビ15章19-30節)。近所の人はみな、そのことを知っていたでしょう。
私がこの女性の立場だったら、穢れた自分がイエスに触れてはいけないと知りながら、必死の思いで触れ、出血が止まったのはよいけれど、これほどの力がある方に、律法に背いて触れてしまった…と怖くなったかもしれません。
イエスがすべてを承知の上で「安心して行きなさい」と言ってくださったことで、神に対しても人に対しても引け目を感じる必要がなくなり、本当に安心できたと思います。
私がどう感じているか、個人の感想でした。
#45 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2020年09月20日 23:33:37
3年前この掲示板で「病気の原因が神の罰でもなく、人の呪いでもないとはっきりわかっているのに、人間以外の存在あるいは呪術者などに頼ってしまった実例」として取り上げた事件の判決が最近(事実上)確定しました。
1型糖尿病でインスリンの注射が必要な男の子のお母さんが、難病を治せるという自称祈祷師に頼ったところ、インスリンを注射しないように指示され、治療を中断して男の子を死なせてしまったという事件です。自称祈祷師は殺人罪に問われ、懲役14年6月の判決が(事実上)確定しました。
この事件とエホバの証人の輸血拒否事件とは、違うところもありますが、似ているところもあります。
この祈祷師が殺人罪で懲役なら、輸血拒否を指示して子どもを死なせているものみの塔も同じように殺人罪に問えればよいのに…
#46 Re: 総合フォーラム » 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ » 2020年09月12日 21:25:27
遅れ馳せながら、ラハムさん「聖書ものがたり」の感想をありがとうございます。
やはり、園児から小学生低学年向けというところでしょう。
(中略)
ちょっと気になったところですが、イエス・キリストの母マリアが「処女」でなく「少女」して紹介されていることでした。
小学校低学年向けの書籍に「少女」ではなく「処女」と書くべきだとお考えのように読めたのですが。
小学校低学年の児童に、少女と処女の区別をどのように教えるのでしょうか?
小学生に「処女」を説明するのはさぞ難しかろうと、小学生向けの国語辞典を2冊ほど調べましたら、「処女」という見出し語そのものが載っていませんでした。さもありなむ。
ラハムさんが何をおっしゃりたいのかはあまりよく理解できなかったのですが、私はここに「処女」と書かれていないことに何の問題も感じません。昔は今よりも結婚が早かったというだけなら、「女性」「女の人」でなく「少女」と書かれていれば十分でしょう。むしろ児童に「少女」でなく「処女」であると特に注意させるなら、性的虐待の可能性もでてきます。
「性的なことがらに異様に執着し、児童の福祉には関心がない」というのがものみの塔に対する私の印象です。
ラハムさんも性的なことがらについて野の花さん以上に熱心に発言しておられますね…もちろん非難されるようなことではありませんけれども。
また、小学校低学年の、カトリックでいえば初聖体の頃の子どもにキリスト教を教えるのには、聖書全体を網羅する必要はないと思います。イエスさまとはどんな方なのかがわかればよいので、神さまがすべてを造られたこと、イエスさまが約束されていたメシアであること、イエスさまの生涯(福音書)を理解してもらえれば十分です。初めてキリスト教を学ぶ大人についても同じです。詳しく学びたくなったら、本物を読めばよいと思います。
個人的な感想でした。
#47 Re: 総合フォーラム » 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ » 2020年08月19日 08:33:18
#48 Re: 総合フォーラム » 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ » 2020年08月18日 21:28:24
#49 Re: 総合フォーラム » 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ » 2020年08月18日 18:59:14
健常者と呼ばれる人も、障害者と呼ばれる人も、誰もが個性豊かだなぁとつくづく思います。
健常者でも障害者でも、自分の能力を最大限に利用して生きたいという願いには何の違いもないと思うのです。
そして健常者でも障害者でも、よりよく生きようとする人は、みなそれぞれに努力をしています。
健常者だからといって生まれつき万能なわけではない。寝たきりで知的障害も重度だからといって何もできないわけではない。健常者でも障害者でも、その人が獲得した能力はその人の努力の賜物なのです。
健常者だからスゴイわけでも、障害者だからスゴイわけでもなく、その人の努力がスゴイのです。
健常者でも障害者でも、自分のことを人に理解してもらうのは大変なことだし、そのためには技術も必要です。世の中のすべての人に理解してもらうことはできないし、その必要もない。自分の周りに理解者がいればよいのです。どんな理解者が集まってくれるかは、本人次第ですけれども。
日常と非日常の交わるところから…
