#451 Re: 総合フォーラム » てつてつさんの トンデモ反進化論 » 2017年08月03日 13:28:30
てつてつさんが紹介してくださった「沈黙」の映画のサイトに出ている、遠藤周作文学館にも行ったことがあります。「沈黙」の舞台になったところにあります。
仕事を始めて1年くらいで、24時間365日拘束されている生活に疲れてしまって、どうにかして休みをもらって、ひとりでふらりと長崎に行きました。文学館のあるあたりはけっこう不便なところだった記憶があります。教会でボーッとすごしたり、たまたま出会ったシスターとおしゃべりしたりして、現実逃避をして、諦めて、もとの生活に戻りました。
今でも担当の方が亡くなったりするとひとりで気のすむまで泣きたいと思うのですが、なかなか思うようにならないのが現実です。
#452 Re: 総合フォーラム » てつてつさんの トンデモ反進化論 » 2017年08月03日 12:31:37
#453 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月29日 16:16:08
#454 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月29日 13:59:44
ワーゲンさん、たくさんのコメントをありがとうございます。
一人の人間が何らかの宗教に属しているのかどうか、というのは以下の見方によって結論は変わってくると思います。
【表面的には】
何らかの方法で特定の宗教団体に籍を置いている(登録されている)状態で、本人もそのことを認めており、教団側もその人を破門にしたりしないのであれば、この人はその宗教団体の信者であると考えていいと思います。
【内面的には】
宗教団体によって異なる信条や教義がありますが、それらを信じておらず、また生活の中でそれらの教えを守らないのであれば、形式的にはとある宗教団体に属しているかもしれませんが、この人は本当の意味ではその宗教団体の信者とは言えないと思います。
おっしゃる通りだと思います。
irisさんの発言をみると、カトリック教会に属しておられると思いますので(違っていたらすみません)、表面的にはカトリック教徒ですが、カトリックの教義を全て信じているわけではないという意味で、内面的にはカトリック教徒とは言えないのかもしれません(これまた勝手な批評ですみません)。
多くの場合、キリスト教は日本人にとってよい宗教にはなりにくいと私は思っています。
キリスト教の核心となるイエスの教えそのものは普遍的なものですが、キリスト教の教理や形式を全体として見ると、それはやはり西欧の文化の中で育まれたものであり、日本人の心にはしっくり合わないのです。
私がカトリック教会を誰かに勧めるつもりがないのも、そのためです。
ただ、信徒としてカトリック教会に関わっていると、教会が信徒を支配するための教えや独善的な教えは、どんどん修正されてきているのがわかります。
現代においてカトリック教会が本当に普遍的な宗教であるためには、今までの西欧中心の価値観を押し付けるだけではいけないということを、教会も認識しているのです。
私の信仰は、初めからカトリック教会で育まれたものではなく、私だけの信仰であり、他の誰とも違います。
けれども、現代のカトリック教会の教えとならば、無理なく重ね合わせることができると判断し、カトリックとして生きていくという選択をしました。
ですから、私はカトリック教会に籍があるだけでなく、内面的にもカトリックであると思っています。
(他のキリスト教会では、無理でした…)
irisさん>宗教組織が組織を優先するために個人の宗教心を不当に侵すことは不適切
私は、これは必ずしも不適切とは言えないと思います。もちろん服従を強制するというのであればそれは問題ですが。宗教団体の教えが個人の宗教心にそぐわないのであれば、その宗教団体に属するのをやめればいいだけですから。
「個人の宗教心を不当に侵す」というのは、個人の精神の自由を奪い、宗教組織に逆らえない(辞めることもできない)状態におくことを指しています。
iris さんの発言:エホバの証人の中に精神を病む人が多いのは、ものみの塔の組織が個人の本来の「宗教心」を否定し、組織に従わせるための「宗教心もどき」を植え付けることによって、精神的に大きな負担をかけ、追い詰めているからではないかと思います。
私がエホバの証人の問題だと思うのは、エホバの証人の教え自体ではありません。それよりも、一度信者になってしまうと抜け出すのが非常に困難な点ではないかと考えています。排斥された(又は断絶した)人を村八分にして、これまでの人間関係を完全に破壊してしまうことや、一般の社会に適応しづらい生活を推奨しているので、高齢になるほど組織を抜けた後の生活が困難になることも問題でしょう。このように退路を断たれてしまうと「宗教団体をやめる」という選択が事実上非常に難しくなり、精神的に大きなダメージを受けてしまうのかもしれません。
逆に言うと、これらの問題がなければ、あとは信じるか信じないか個人の自由意思ですので、あまり大きな問題はないのだと思います。
私も、エホバの証人にとって最大の問題は、主として排斥制度によって、組織に逆らうことができない(辞めることもできない)仕組みになっていることだと思います。
ただ、「辞めたい」と思える人はまだ精神的には大丈夫です。
私が本当に精神的な負担が深刻だと思うのは、組織に従うために自分の心を殺している生活が辛いのに、組織を疑うことができずに「うまくいかないのは自分の信仰が足りないためだ」と自分を責め、さらに無理を重ねてしまう人です。
組織に従わせるための教え(ハルマゲドンの恐怖など)を植え付けられていることが、その背景にあると思います。
#455 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月25日 18:12:38
#456 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月25日 18:10:11
てつてつさん、コメントありがとうございます。
上記の意味がわからないのですが、もう少し説明してもらえますか。
A.「「素朴な宗教心」と「(組織化された)宗教」とを別個に考えることこそが間違い」
B. 例えばものみの塔は、たいていの人の「素朴な宗教心」を殺します。AとBのつながりがわかりません。
ここに生後まもなくカトリックの幼児洗礼を受けた人がいると思ってください。
小学校に上がる頃に初聖体も済ませたとしましょう。
(幼児洗礼の幼児は御聖体の意味を理解していないため聖体拝領を許されません。学齢になるころ一応の勉強をさせ、初めての聖体拝領を初聖体といって祝います)
教会にはめったに行かず、イースターやクリスマスにパーティー目当てで御ミサにも与る程度。
ただ、大事な試験の前には教会で神頼み。
そろそろ結婚、結婚式は教会で挙げるべき?さて、この人はカトリック信者と言えるでしょうか?
それとも無宗教になったのでしょうか?
この私の投稿は、上記のカレブさんの質問に対する直接の答えではありません。
先日も書きましたように、カレブさんと私とのやり取りにはいくつかの論点が含まれています。
私は時間的な制約もあってすべてを一度に書くことができませんので、ひとつずつ順番に書いています。
この掲示板では、簡単に簡潔に答えを知りたがる傾向があるように感じますが、まったく意見の異なる者同士の議論というのは、少しずつお互いの認識を確認しながら進めていく必要があります。前提となる認識を共有できていなければ、次の議論がかみ合わなくなってしまいます。
今までカレブさんとは何度も激しい議論をしてきました。多くの場合、意見は対立したままですが、お互いの意見をきちんと理解しあうよい議論であったと思っています。
閲覧している皆さんにも、ぜひ議論に参加していただきたいのですが、私への御質問にお答えする順番は、私にお任せいただきたいと思います。私の説明しやすい順番でお答えさせていただきます。
#457 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月24日 12:27:21
鬼太郎さんは以前にも何度か「宗教と宗教団体を分けて考える」という趣旨の発言(#109・#221)をなさっていますが、私はそれに反論したことはありません。鬼太郎さんの御意見を否定する必要を感じないからです。
ただ今回は、カレブさんと私とのやり取りに(言葉は悪いですが)割り込んでこられたように感じましたので、私の考え方は鬼太郎さんの考え方とは違うということをはっきり書きました。
取り急ぎ結論だけを書きましたので、説明不足なのは私自身も十分承知しています。
一度に十分な説明ができればよいのですが、限られた時間をやりくりして投稿していますので、なかなか思うようにはいきません。
これに対し、カレブさんは私の発言を非論理的などと決めつけずに、説明を求めてくださいました。
また、ワーゲンさんは私が鬼太郎さんの要求に対して簡単に補足説明をいたしましたら、きちんと理解してくださいました。
おふたりにはたいへん紳士的な対応をしていただき感謝しております。
私の姿勢が卑怯であり卑劣であるかどうか、わかる方にはわかっていただけると信じます。
#458 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月24日 12:25:54
ワーゲンさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
もしかすると、私のお節介な横やりでirisさんが発言しにくくしてしまったのかもしれません。
そうであれば、申し訳ないことをしたと思っています。すみません。
いいえ、単に投稿する時間がなかっただけですので御心配なく。
それよりもワーゲンさんの御発言で本題に引き戻していただき助かりました。
irisさん>「素朴な宗教心」と「(組織化された)宗教」とを別個に考えることこそが間違いのもと
というのは、「(個人の)素朴な宗教心」と「(組織化された)宗教」は互いに密接に関連したものである、ということを言っておられたのでしょうか。
こう考えると、おっしゃりたいことが分からなくはないかなという気もします。
ワーゲンさんの読みとっていただいたとおりです。
必要に応じて、もう少し説明を加えていきたいと思っています。
#459 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月22日 20:36:08
#460 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月22日 19:58:59
#461 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月22日 17:25:49
#462 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月22日 17:18:54
#463 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月22日 17:11:45
#464 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月22日 16:59:14
#465 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月22日 16:49:38
『宗教心は本来は宗教団体の外ではなく中にあるべきです』
つまり宗教心を持つ人は、本来宗教団体の中に、つまりどこかの宗教団体に属すべき、あるいは信者であるべきという意味ですか?
私は宗教心を持たない人というのはほとんどいないと思っています。
宗教心を持つ人のなかには、宗教団体に属しているという自覚のある人もいれば、無所属のつもりの人もいるし、無宗教のつもりの人さえいると思います。何らかの環境の影響は避けられないとしても、自分の宗教心をどのように扱うかは究極的にはその人自身が決めるべきであり、他人が干渉することではありません。
それが信教の自由ということではないでしょうか?
ご質問の答え:
宗教団体に属すか属さないかは個人の判断によります。
#466 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月22日 16:30:17
#467 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月22日 15:50:51
鬼太郎さん
宗教心を抱くことと、特定の宗教団体に魅かれることは別問題です。
これが鬼太郎さんの御意見ですよね。
私は鬼太郎さんの御意見とは違う意見をもっていますが、鬼太郎さんの御意見を否定してはいませんよ。
私と鬼太郎さんとでは「宗教団体」の認識が違うのではないかと思います。
鬼太郎さんは「宗教団体」と「宗教心」を完全に切り離して考えておられるのではないでしょうか?
つまり「宗教団体」と「宗教心」とは重なるところがなく別々のものだとお考えなのではないでしょうか。
私は「宗教団体」の中にも「宗教心」が内包されているべきだと考えています。
つまり「宗教団体」のもっている要素として「宗教心」「教理」「組織」などと分解できたとしても、「宗教心」は本来は宗教団体の外ではなく中にあるべきです。
また別の観点からは、「宗教心」の少なくとも一部は宗教(「特定の宗教を信じている自覚がない」教を含む)に共通のものであり、そのような観点からは様々な宗教団体を内包しそれらの上位にあると考えています。
エホバの証人の中に精神を病む人が多いのは、ものみの塔の組織が個人の本来の「宗教心」を否定し、組織に従わせるための「宗教心もどき」を植え付けることによって、精神的に大きな負担をかけ、追い詰めているからではないかと思います。
というわけで、宗教心と宗教団体とを完全に切り離して別個に考えるのは、宗教のあり方について考えようとする際には不適切であると思います。
#468 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月22日 02:17:27
鬼太郎さん、鬼太郎さんには鬼太郎さんの理屈があるように、私には私の理屈があります。
もしかすると根本から考え方が違うかもしれません。
お互いの考えが違うところは、どこが違うのかをはっきりさせないと、議論にならないと思います。一方的に私の考えを述べると、またカレブさんや鬼太郎さんの理屈と食い違い、無駄が多くなるかもしれません。ですから、カレブさんや鬼太郎さんのお考えを確認しているのです。
私は前回の投稿で理解していただけなかった方が多かったようなので、説明の仕方を変えて理解していただきたいと思っています。私の理屈が非論理的かどうかは、そのあとで判断していただければよいと思います。
また、カレブさん・鬼太郎さんとのやり取りの中で、複数の論点が出現しています。鬼太郎さんの思う通りにはならないかもしれませんが、私の説明しやすい順に説明していくしかありませんので、順番がくるまで辛抱していただけますと助かります。
取り敢えず簡単にご質問の答えを書きますと、
先日も書いたとおり、宗教組織に属している人でも、個人の信仰の基礎は素朴な宗教心であるべきだと私は思っています。その個人にとってその人固有の素朴な宗教心と宗教組織の一員としての宗教心とは一連のものであるべきで、宗教組織が組織を優先するために個人の宗教心を不当に侵すことは不適切であると思います。
「素朴な宗教心」と「(組織化された)宗教」とを別個に考えるべきではないというのはそのような意味です。
これからの議論の中で詳しく述べたいと思いますが、わかりにくいようでしたらまたご質問ください。
#469 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月21日 23:28:34
皆さんに質問です。
ここに生後まもなくカトリックの幼児洗礼を受けた人がいると思ってください。
小学校に上がる頃に初聖体も済ませたとしましょう。
(幼児洗礼の幼児は御聖体の意味を理解していないため聖体拝領を許されません。学齢になるころ一応の勉強をさせ、初めての聖体拝領を初聖体といって祝います)
教会にはめったに行かず、イースターやクリスマスにパーティー目当てで御ミサにも与る程度。
ただ、大事な試験の前には教会で神頼み。
そろそろ結婚、結婚式は教会で挙げるべき?
さて、この人はカトリック信者と言えるでしょうか?
それとも無宗教になったのでしょうか?
カレブさんや鬼太郎さん、他の皆様もぜひ御意見をお聞かせください。
御意見を伺いましたら、前回の続きを書きたいと思います。
#470 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月21日 23:03:14
#471 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月19日 00:40:22
#472 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月17日 19:33:35
#473 Re: 過去ログ・番外編 » 再度ウェブサイト公開のお知らせ » 2017年07月17日 17:39:02
#474 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月17日 17:21:49
例えば友人が何かのきっかけで宗教心がわくようなことがあり、”悪い宗教”にはまりそうになっているとします。
では無宗教者として、”悪い宗教”にはまらないように助けてあげることもできるのではないでしょうか?
無宗教者でも、友人が“悪い宗教”にはまらないように助けることはできると思います。
逆に、無宗教者でなくても、友人が“悪い宗教”にはまらないように助けることができないかもしれません。
無宗教者であるかないかということは、友人を助けられるかどうかとは関係ないと私は思います。
大変なときに「信じていないはずの神に祈ってしまったりする」のは何も悪いことはないと思います。では自動的にその人には宗教が必要であることを証明するでしょうか?
カレブさんのおっしゃる「宗教」というのはどういう意味ですか?
「信じていないはずの神に祈ってしまったりする」人には、宗教性があると思いますが、
宗教団体に所属する必要があるかどうかは人によると思います。
アメリカの世論調査で「宗教を信じていない」と答える人の多くは、本当に無宗教あるいは無神論なのかもしれませんが、日本の世論調査で「宗教を信じていない(無宗教あるいは無神論)」という選択肢を選んだ人が75%いても、私は日本人の75%が無宗教であるとは思いません。
自分は無宗教であると思っている日本人の多くは、初詣や安産祈願や初宮参りや七五三のために神社に行き、法事や墓参りのためにお寺に行きます。
本当に無宗教の人は、安易にそのような行動を起こしたりはしません。
日本人の“無宗教”は、実際には無宗教ではないと私は思っています。
#475 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年07月16日 08:46:23
カレブさんおはようございます。
上の意見ありがとうございます。恐らく上に引用した部分が主な論題だったと思います。
議論する価値のある内容だと思いますので、少し参加したいと思います。
ようやく本題に戻れます。
ではキリスト教の根本的な教えはどうでしょうか?
以下のものです。テサロニケ第二1:8,9
8 主イエスは、燃え盛る火の中を来られます。そして神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります。 9 彼らは、主の面前から退けられ、その栄光に輝く力から切り離されて、永遠の破滅という刑罰を受けるでしょう。
カレブさんのおっしゃる「根本的な教え」という言葉の意味がよくわからないのですが、
私はこの部分がキリスト教の根本的な教えであるとは考えていません。
御存知のように、新約聖書は互いにつじつまの合わない複数の文書の寄せ集めです。
皇帝コンスタンティヌスがキリスト教をローマ帝国の国教として採用し、帝国全体の統一をはかるためにキリスト教の統一が必要になったあとで、キリスト教の正典としてまとめられたものが新約聖書であり、イエスの教えのほかに当時の正統意識や教会の都合がたっぷり盛り込まれているのです。
KAOさんお勧めの田川健三氏の著作によれば、テサロニケ第二は、正統派教会が自分たちのキリスト教を弁護するためにパウロの名前で書いた偽作であると考えられています。
聖典(正典)である以上は、「ここがホントでここはウソだ」とは教会は言いませんが、実際には重要な部分とそうでない部分を区別して考えています。聖書のすべてを同じ重みで信じることは、事実上は不可能であるからです。
ラハムさんが紹介してくださったN・T・ライトの神学でも、聖書のすべてを信じているかのような「聖書にのみ権威を置く」という信仰のあり方が、聖書を自分流に解釈することにつながり、「聖書については神よりも自分たちのほうが詳しい」というような不遜な態度に陥る危険が指摘されています。
ちなみに、御指摘の聖句は、キリスト教徒が独善的な態度をとる根本的な原因であることは間違いないと思います。