#426 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2017年09月12日 16:09:19
てつてつさん、コメントありがとうございます。
御意見を楽しみにしています。
ところで、「宗教・宗教団体と救い」トピックの#374をてつてつさんが編集されたのが、
ページが変わって見えにくくなってしまっていましたが、
映画 沈黙の ロドリゴ神父も表面上は棄教したけど心の中では最後までイエスキリストを信じていたと思います
人の心の中はなかなかわからないものですね
(箴言 20:5) …人の心の中にある計り事は深い水のようだ…
私もそう思います。形の上で棄教することによって、自分の信仰を守ったのですね。
ものみの塔は、目に見える形だけを問題にしますが、本当に大切なものは目に見えないと思います。
#427 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年09月12日 15:27:28
私とカレブさんの議論のテーマは、
「世界から宗教がなくなって、すべての人が無宗教になるのがよい」かどうかということです。
カレブさんとのお話の流れで、カレブさんが「無宗教=宗教不要」と判断するのはどんな場合かを確認する質問をしましたが、私自身は、ある人の宗教に関する要求について、他人が正確に判断することはできないと考えています。
私の回答が「一応」カトリック信者となっているのはそのためです。
私は、自称無宗教の人がどんなに多くなっても、宗教そのものが不要になることはないと考えています。
また、宗教をなくすことはできないのだから、よい宗教が必要であると思っています。
この議論に関心のある方は、こちらへどうぞ。
#428 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2017年09月12日 15:19:22
- iris
- 返信: 465
このトピックのテーマは、私たち人間にとって宗教や救いは必要なのかということです。
議論の発端はこちら。
私は、「世界から宗教がなくなって、すべての人が無宗教になるのがよい」という考え方は、「すべての人がカトリック信者になるのがよい」という考え方と同程度以上には乱暴だと思います。
心の中で亡き人に語りかけたり、信じていないはずの神に祈ってしまったりするような素朴な宗教心は、どんな人にもあるはずのものだからです。
このサイトの管理人でいらっしゃるカレブさんは、「宗教組織はないほうがよい」
「世界から宗教がなくなって、すべての人が無宗教になるのがよい」というお考えだと伺っています。
カレブさんは、日本で最近主流になっている「自称無宗教」の人がどんどん増えていけば、いつかは世界から宗教が要らなくなるとお考えなのではないかと思います。
私は、「自称無宗教」の人がどんなに多くなっても、宗教そのものが不要になることはないと考えています。
また、宗教をなくすことはできないのだから、よい宗教が必要であると思っています。
皆さまのご意見をお寄せください。
#429 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年09月10日 17:29:43
#430 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年09月10日 17:02:39
#431 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年09月10日 16:37:58
#432 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年09月10日 15:24:39
私が洗礼を受けたばかりのころ、カトリック雑誌で、
「私の葬式はキリスト教でしてください」という特集が組まれたことがあります。
結婚前に洗礼を受けたものの、結婚後は婚家のしきたりに従って、教会のことなど
すっかり忘れたかのようにすごしていた妻が、結婚から何十年も経った
死の間際になってカトリック教会での葬儀を希望し、教会とは全く無縁の夫が
困り果てるという問題を取り上げたものです。
そのような状況になった夫の中には、教会のこともキリスト教のこともまったく
知らなくても、妻の最後の望みはかなえてやりたいと思う人が少なくないようでした。
私はこのような妻たちも、結婚後に一度も教会に行かなかったとしても、
教会での葬儀を希望したという事実から、カトリック信者だったのだと思います。
#433 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年09月10日 15:13:51
みなさまこんにちは。
上の#360の書き込みがわかりにくい表現になっていたようですので、補足説明をします。
本当に無宗教の人というのは、宗教から意識的に離れている人だと思います。
宗教心はあっても、それを既存の宗教に重ねようとしない人です。それに対して、「自称無宗教」の日本人の多くは、実際には無所属のつもりでいるだけで、
祈願したいときや平安を求めるときなどに、神社やお寺、神棚や仏壇を積極的に利用しています。
このようなあり方は、日本に神社やお寺が身近なものとして根付いているからこそ可能なのであって、
自称無宗教の人が多いからと言って、その人たちに宗教が不要であるということにはなりません。先の私の質問の人は、一応カトリック信者であると私は考えます。
それは、その人が幼児洗礼を受けているからでも、初聖体を済ませているからでもなく、
神頼みをしたいとき、人生の節目を迎えようとするときに教会を思い出しているからです。
これは本人の「自称」によらず、客観的に観察される事実に基づく判断です。
この書き込みの「客観的に観察される事実」とは、
この人が教会を利用しているという事実を指しています。
私の例示した人は、教会で神頼みをし、教会で挙式を検討しているという設定でした。
私は、この人が教会で神頼みをし、挙式を検討しているという具体的な行動を見れば、
この人が教会を利用しているということを事実として認められると思います。
私の考えでは、神社やお寺を積極的に利用している人は本当の無宗教ではないと思います。
同様に、教会を利用している人も本当の無宗教とは言えないと判断します。
#434 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~ » 2017年09月09日 20:23:02
#435 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2017年09月09日 15:40:53
#436 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~ » 2017年09月06日 01:58:53
#437 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~ » 2017年09月06日 01:52:27
いずれ組織から離れると思います。排斥か断絶か自然消滅かは、まだわかりません。
偽りの教理なら、是認もバプテスマも無効だと思います。
私もそう思います。
現役1世さんは、きちんと自分を守る力をお持ちですね。これまでの歩みからも、それが感じられます。
御自分の直感を信じて行動されれば大丈夫だと思います。
だけど、真理は?エホバは?どこで探求すれば?
これこそ真理だと思って飛び込んだ世界が、ものみの塔で、
その組織の酷い状態に減滅しています。
長い時間をかけて、エホバの愛を確信なさったのなら、それを捨てる必要はありません。
現役1世さんの不要だと思うものを捨てればよいのです。
現役1世さんなら、それができるのではないかと思います。
恐らく、私の気持ちは決まっていて
まわりのことを考えると躊躇という段階かな。
と、自分では思っています。
それなら大丈夫ですね。
御自分とご家族を守ることを最優先に、可能であれば大切なお友達ともお付き合いが続くとよいですね。
#438 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~ » 2017年09月05日 23:49:06
てつてつさん、行き違いましたね。
無条件に愛してくださるはずの親御さんの愛を信じたいのに信じられないという経験は、子どもに深い傷を残します。
人間が精神的に健康であるためには自己肯定感が必要です。
まず初めに親から認められ愛されることで、幼児は自分がこの世界に受け入れられているという基本的信頼感を作り上げます。これが自己肯定感の土台となりますが、3歳まで愛情深く育てられていれば、基本的信頼は身につけておられるとも考えられます。
その後の虐待で自己肯定感が損なわれたとして、イエスが教えたとおり、エホバが無条件に愛してくださる存在であると信じられるのであれば、エホバへの信仰を自己肯定の補強材料とすることもできると思います。
ただ、組織が教えるエホバの愛は、イエスの教えに反して条件付きです。組織に従わなければ是認は得られません。
この教えは自己肯定感を損なう効果が絶大ですので、虐待の傷の埋め合わせどころか、傷を更に深く大きくします。
組織の教えをそのまま受け入れることは、絶対にお勧めできません。
#439 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~ » 2017年09月05日 22:50:39
こんばんは。irisです。
現役1世さんは、「現役1世さんがエホバを愛しており、エホバも現役1世さんを是認しておられる」ということをはっきり証明するもの、あるいは印になるものがほしかったのではないかと私は思いました。
その証明あるいは印として、「バプテスマを受ける」という選択をなさったのではないでしょうか。そうだとすれば、組織の問題を認識しながらも、エホバが第一だから組織に問題があっても関係ない、と考えてバプテスマを決意されたのもわかるような気がします。
時間をかけてエホバに愛されているのがわかったので、バプテスマを受けられたのでしょうか。
現役1世さんは組織よりエホバが第一と考えてバプテスマを受けたのに、バプテスマを受けてみたら「エホバより組織」という実態が見えてしまい、混乱していらっしゃるのではないかと拝察いたします。
そうであれば、現役1世さんはエホバに依存しているというより、組織に依存することを拒否しているという印象を受けます。
そして、組織に依存させられたくないという気持ちは大事になさったほうが、現役1世さんにとって良いと思います。
排斥になるのが怖いのは、排斥になったらエホバの是認を失うとお考えだからでしょうか?
それとも、お世話になった兄弟姉妹たちに申し訳ないとお考えだからでしょうか?
#440 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年09月02日 17:14:32
カレブさん、私の質問に対するお答えをありがとうございました。
だいぶ間延びしてしまいましたが、先日の続きを書きたいと思います。
まず議論の発端はこちら。
私は、「世界から宗教がなくなって、すべての人が無宗教になるのがよい」という考え方は、「すべての人がカトリック信者になるのがよい」という考え方と同程度以上には乱暴だと思います。
先日も書いたように、心の中で亡き人に語りかけたり、信じていないはずの神に祈ってしまったりするような素朴な宗教心は、どんな人にもあるはずのものだからです。
そして、カレブさんは「世界から宗教がなくなって、すべての人が無宗教になるのがよい」と思っていらっしゃるということで、無宗教の定義をお伺いしました。
ここに生後まもなくカトリックの幼児洗礼を受けた人がいると思ってください。
小学校に上がる頃に初聖体も済ませたとしましょう。
(幼児洗礼の幼児は御聖体の意味を理解していないため聖体拝領を許されません。学齢になるころ一応の勉強をさせ、初めての聖体拝領を初聖体といって祝います)
教会にはめったに行かず、イースターやクリスマスにパーティー目当てで御ミサにも与る程度。
ただ、大事な試験の前には教会で神頼み。
そろそろ結婚、結婚式は教会で挙げるべき?さて、この人はカトリック信者と言えるでしょうか?
それとも無宗教になったのでしょうか?
これに対して、カレブさんのお答えが
カトリックの家の子供が カトリック信者であるかどうかは本人がどのように主張しているかによるのではないでしょうか?
子供が初聖体を済ませているとか、幼児洗礼を受けているかとかで判断すべきものではないと思います。本人が「わたしは無宗教です」と答えるならその人が宗派の名簿に載せられていようが無宗教の人として扱われるべきです。
本人が「わたしはカトリック信者です」と主張するならわたしはそのように判断します。
カレブさんは「自称無宗教」ならば本当に「無宗教=宗教が要らない」とお考えのようですが、私の考えは違います。
本当に無宗教の人というのは、宗教から意識的に離れている人だと思います。
宗教心はあっても、それを既存の宗教に重ねようとしない人です。
それに対して、「自称無宗教」の日本人の多くは、実際には無所属のつもりでいるだけで、
祈願したいときや平安を求めるときなどに、神社やお寺、神棚や仏壇を積極的に利用しています。
このようなあり方は、日本に神社やお寺が身近なものとして根付いているからこそ可能なのであって、
自称無宗教の人が多いからと言って、その人たちに宗教が不要であるということにはなりません。
先の私の質問の人は、一応カトリック信者であると私は考えます。
それは、その人が幼児洗礼を受けているからでも、初聖体を済ませているからでもなく、
神頼みをしたいとき、人生の節目を迎えようとするときに教会を思い出しているからです。
これは本人の「自称」によらず、客観的に観察される事実に基づく判断です。
#441 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年08月20日 21:43:07
カレブさんこんばんは。
イエスは当時の地獄観以上の恐怖を強調する意図はなかったということですよね、
わたしもそれはその通りだと思います。
あら珍しくこんなところで意見が一致しましたね。
「キリスト教は寛容である」という主張が1世紀のユダヤ教に比べて寛容である、と限定するならその通りだと思います。
イエスは当時のユダヤ教の制約の中で教えましたが、「神はすべての人を愛している」「人間として最も大切なことは、隣人を自分のように愛すること」という教えには、時代も文化も超える普遍的な価値があると思います。
また、イエスは「人を裁くな。赦しなさい」と教えています。神があなたを赦してくださるのだから、あなたも人を赦すのが当然というわけです。このように「寛容であること」もイエスが特に求めた事柄です。
しかし「神にはすべての人を赦す用意がある」というのはイスラム教でも同じです。
アラーはムハンマドを最後の預言者として受け入れ服従するものに人種国籍にかかわらず”許す用意”があります。
私はイスラム教についてはあまり詳しくありませんが、本来のイスラム教は平和の宗教だそうですから、アラー(英語ではGod)が赦す神であるという点はキリスト教と共通であってもおかしくないと思います。
イエスが寛容な人であったかは福音書を言葉通りに信じて
そこに現れている文面から解析する必要がありますが、
少なくとも聖書全体に基づく”キリスト教”は このスレッドの#2、#3で
元証人さんが表明したような裁く態度を助長してきたと思います。
それは寛容からはほど遠いと思います。
長い間、キリスト教会がイエスの教えに背いてきたことは間違いないですね。
ものみの塔のように、イエスの教えをまったく別の教えに変更したわけでもないのに、特に力を持っていた人々の間では、イエスの教えは飾られていただけでした。
本来、教会の教えはイエスの教えを守るためにあるべきなのに、教会の教えがイエスの教えよりも幅を利かせ、教会が自ら人々を苦しめる原因にもなってきたことはたいへん罪深いことです。
#442 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年08月19日 13:10:19
そうそう、カレブさんは以前も同じことをおっしゃっていましたよ。
はい。 ところがキリスト教では 大人になっても
「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるよ、悪いことをすると地獄に落ちるよ」
真理だと信じるように教えるのです。通常の道徳教育ではそのようなことはありません。
私は宗教と道徳とを同一のものとは考えていませんし、必要以上に地獄の恐怖を強調することはイエスの意図に反すると思います。
イエスの功績は、容赦なく裁く神のイメージを覆し、「神にはすべての人を赦す用意がある」ということをはっきりと示したことです。
その後の教会が、イエスの功績を台無しにしてくれましたけれどね。キリスト教会も、ユダヤ教と同じ失敗を繰り返しています。力を持ってしまうと、本当に大切なことは忘れてしまう人間が多いのでしょう。
#443 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年08月16日 07:28:39
#444 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年08月16日 06:54:52
カレブさん、お返事ありがとうございます。
「善い行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある」というのは、洋の東西を問わず善悪を教える話の基本的な型であって、イエスが地獄を否定しなかったからと言って、特別に責められるほどのことはないと思います。
カレブさんも以前、日本で信じられてきた仏教の地獄は問題ないとおっしゃっていましたね。どこが違うのでしょうか?
責められるべきものがあるとすれば、むしろ地獄の恐怖を強調したその後の教会のほうでしょう。
イエスの言動全体を見るならば、イエスの発言の趣旨は罪の概念を変更することにあったということがわかります。
当時のユダヤ教の社会では、律法の細々とした決まりを守る余裕のある人が神の前に正しいとされ、生きることだけで精一杯の弱い立場の人は罪人として虐げられていました。そのようなユダヤ教のあり方を批判し、神の前に正しいかどうかは、ただ見返りを求めずに隣人を愛したかどうかだけで決まると教えているのがこの部分でしょう。
またカレブさんの「キリスト教に改宗すれば滅ぼさない」という言い方にも問題があります。
イエスは命懸けでユダヤ教の改革を呼びかけましたが、ユダヤ教を否定していると言質を取られないよう、慎重に発言しています。
当時の人々にとっては「無宗教」などという選択肢はなく、細々とした決まりを守りきれない立場の人は、従来の教えによって「自分は救われない」と惨めな気持ちで生きるか、イエスを信じて「自分も救われる」と希望を持って生きるか、ふたつにひとつであったということを考慮する必要があります。
聖書にあるイエスの言葉は、まず当時のユダヤ人に向けて語られたものです。現代の日本人向けにはアレンジされていません。
#445 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年08月15日 01:47:25
#446 Re: 総合フォーラム » 宗教・宗教団体と救い » 2017年08月15日 01:28:13
カレブさん、お久しぶりです。
私は、マタイ25章41節をハルマゲドン(人間の諸政府と神との間の最終的な戦争:JW.ORGより)での滅びとは解釈しません。
当然カトリック教会もハルマゲドンでの滅びとは解釈しません。
31節から46節までがひとまとまりの話であり、
「わたし(人の子=王=イエス)の兄弟であるこの最も小さい者の一人」に親切にしなかった人は永遠の罰を受け、親切にした人は永遠の命にあずかるという意味にしか読めないと思います。
イエスは当時の人々にわかりやすいように、地獄を持ち出して罪とは何かを教えたのでしょう。
さて、ヨハネによる福音書8章には、姦通の現場で捕まった女の話が出てきます。ここで、イエスは明らかに罪を犯した女に対して「わたしもあなたを罪に定めない。」と言っています。自分の罪を自覚して、悔い改め、もう罪を犯さないと決心した人は、罪に定められません。
したがって、小さな人々に親切にしなかった人も、回心してもう罪を犯さないと決心するなら、永遠の罰には定められないでしょう。
マタイ25章31〜46節のお話は、地獄を恐れさせるためのものではなく、罪とは何かを教えるためのものだと思います。
#447 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年08月13日 19:06:16
ラハムさん、お返事ありがとうございました。
また、興味深い記事もありがとうございます。
おそらく、カレブさんをはじめとして、ここでキリスト教のことを悪い宗教だと思っている方々は、キリスト教というのは不寛容な宗教だと思っているのではないかと思います。
最近までの多くのキリスト教の態度は、まさに不寛容なものでしたから、それも仕方のないことです。
しかし本来のキリスト教は、不寛容になってしまったユダヤ教を厳しく批判したイエスの精神を受け継ぎ、「愛は寛容にして慈悲あり(一コリント13章4節)」と教えているはずです。
自分はクリスチャンであるとお考えの証人の皆さん、このことを忘れないようにしましょう。
ちなみに私は高校を卒業するときに、この13章4〜7節(文語訳)を学校の文集に書きました。
その頃はキリスト教のことなどほとんど何も知りませんでしたが、これこそが神の愛であり、私たちの目標とする姿勢であると思う気持ちは今も変わりません。