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#1 2013年10月13日 18:19:29

もんもん
メンバー

排斥制度に関する議論

排斥制度に関する議論をこちらでしたいと思います。

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#2 2013年10月13日 18:21:37

もんもん
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

長い間疑問に思っていたことがあったので、もし知っておられる方がおられましたら教えてください。

排斥された人と会話をした場合、その人はどんな罪に問われるのでしょうか。
具体的な指示や手紙って存在するんでしょうか。

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#3 2013年10月13日 19:30:40

カレブ
Administrator

Re: 排斥制度に関する議論

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#4 2013年10月13日 23:10:48

もんもん
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

編集者 もんもん (2013年10月13日 23:15:13)

オフライン

#5 2015年05月03日 15:30:36

ポチポチ
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

みなさん、初めまして。
まずは自己紹介。
2世で長老ですが、何年も前に覚醒しています。
内部からじっくり観察中です。

みなさんの知恵をお借りしたくて書き込みします。
状況
A姉妹  主婦  離れて暮らすエホバの証人の息子がいる。  F会衆
B夫   A姉妹の長男    J会衆
         B夫は、4ヶ月前に未信者の彼女と、こっそり付き合い始める。
         先月、彼女の妊娠が発覚。
         J会衆の長老に状況を話す。
         審理委員会が開かれるも、生まれてくる子供と彼女の事を考え、排斥を受け入れる。

このような状況で、F会衆にいるA姉妹が私に近ずいて子供のために自分はもう、何もしてあげることができないのだろうか?
と、相談を受けました。私自身は排斥という方法は人間としての倫理に反してると考えて反対なのですが、立場上公には出来ません。
それで、親として、また人間として最低限体の心配や状況を知る事はできるんじゃないか。また、生まれてくる子供や、奥さんになる人には罪は無いので普通に付き合い、援助をしてあげたら良いのではないか。

このような事を伝えてあげたいと考えています。

しかし、他の長老たちは、子供に気遣いを示す事に加えて奥さんになる人や生まれてくる子供とも、一切関わりを持たないようにと言う考えです。愛のかけらどころか、人間としても、どうかと思うような考えをしています。

私の考えを正当化出来るような出版物など、ないでしょうか?
マイコン長老には、出版物で話すしか方法がなくて...
また、出版物以外にも良い知恵がありましたら、お聞かせください。

よろしくお願いします。

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#6 2015年05月03日 17:47:59

ささらほーさら
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

#7 2015年05月03日 20:50:54

sk
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Re: 排斥制度に関する議論

編集者 sk (2015年05月03日 22:39:11)

オフライン

#8 2015年05月03日 22:01:00

ガリレオくん
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

初めましてボチボチさん、JW.ORG内の↓
「エホバの証人ではなくなった人を避けますか」

バプテスマ を 受け て エホバ の 証人 に なっ た もの の 伝道 を やめ,仲間 と の 交友 から 遠のい て いる 人 たち を 避ける こと は し ませ ん。むしろ,その 人 を 訪ね,信仰 を 再び 強める よう 励まし ます。

重大 な 罪 を 犯し た 人 で あっ て も,自動 的 に 排斥 さ れる こと は あり ませ ん。と は いえ,バプテスマ を 受け た エホバ の 証人 が 聖書 の 道徳 規準 を 破っ て 悔い改め ない なら,排斥 さ れ ます。聖書 は「その 邪悪 な 人 を あなた方 の 中 から 除き なさい」と はっきり 述べ て い ます。―コリント 第 一 5:13。

ある 人 が 排斥 さ れ た もの の,妻 や 子ども が 引き続き エホバ の 証人 で ある 場合 は どう でしょ う か。宗教 的 な 結びつき は 変わり ます が,家族 と し て の きずな は 変わり ませ ん。結婚 関係,家族 の 愛情 や かかわり は 続き ます。

排斥 さ れ た 人 も わたしたち の 集会 に 出席 でき ます。望む なら,会衆 の 長老 から 聖書 に 基づく 助言 を もらう こと も でき ます。わたしたち の 願い は,排斥 さ れ た 人 が 再び エホバ の 証人 の 一 人 に なる こと です。排斥 さ れ て も,ふさわしく ない 行ない を やめ,聖書 の 規準 に 沿っ て 生き たい と いう 誠実 な 願い を 表わす 人 は,再び 会衆 の 一員 に なれ ます。

↑これだけを素直に読むと絆を絶つようなことは決してしないような意味合いとして取れますよね。これ全面に出したぐらいでは通用しないですかね・・・外ヅラと内部の違いぐらい君にも分かるだろう的なことで片付けられるのでしょうか。立場が兄弟を苦しめていますね、大変だと思います。ミルトン・ヘンシェルは「判断に迷う時はいつでも親切にするのは良いことだ」と言ってましたよね、あの言葉好きだったな~ cry

オフライン

#9 2015年05月03日 22:13:50

ささらほーさら
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

#10 2015年05月04日 16:35:50

ニコラ
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

はっきり言って、排斥は立ち直れなくするシステムです。
弱って罪を犯した人です。援助が必要なはずです。

それを突き放しはす。
援助無しに戻れと言う。
援助されなければ、更に弱ります。
弱つた人には、永遠に悔い改めを認めません。

この繰り返しです。

ものみの塔の最悪な規則です。

#11 2015年05月04日 17:46:39

トッカン
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

「排斥された人たちの中には悔い改めて再びクリスチャン会衆に戻った人々も多い」………
べつに嘘ではありませんが、「多い」は「大半」という意味ではないと分かったのは最近です。日本人のわたしの皮膚感では10~15%ぐらい?
日本国内で何人なのか分かりませんが、世界中で年間8,000人の排斥者(伝道者数の1%が目安だそうです)のうち、仮に15%=450人の復帰………決して少なくはないし、多いのは事実ですが、大半ではないですね。

それからわたしは、排斥=悔い改めを促す、のが主眼ではなく、最大の目的は「認めない」ことだと理解しています。メンバーシップの剥奪=「こんな人は我々の仲間じゃないので一緒にしないでくれ」と世間にアピールすることです。こっちが最重要事項だと思います。復帰者の発生はオマケ、じゃないですか。

#12 2015年05月04日 20:09:23

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

ここで僕がいた会衆の実例をあげます。 20年間の記録ですが、、
奉仕の僕 開拓者 S 排斥後復帰~長老に
奉仕の僕 開拓者 Y 排斥後復帰~長老に

      姉妹Y 独身で妊娠で排斥~復帰

奉仕の僕Y夫妻 断絶 復帰せず

その他 不道徳で制限 開拓者削除 F姉妹~補助開拓~正規開拓者へ
     
監督達のレベルが高かったせいか、復帰され、以前よりも謙遜で立派になったケースが目立ちます。 以上

#13 2015年05月05日 08:21:12

sk
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

編集者 sk (2015年05月06日 09:56:40)

オフライン

#14 2015年05月05日 10:50:30

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

排斥制度の是非に関する論議でしたら、排斥制度は非とされます。いわば、信者を組織のロボットにする制度とも言えるからです。
しかし、排斥からの復帰の数の根拠はどこにありますか?教えていただけませんか?
それとも、個人的な経験値でしょうか?
背教以外は大半が、知る限り過半数が復帰している、というのが僕の感覚です。

#15 2015年05月05日 15:10:20

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

なお、、ものみの塔組織を擁護する意図は一切ありません。
排斥から復帰するのは、二元論の愛と脅しのマイコンが有効なためです。
つまり、排斥のまま⇒ハルマゲドンで滅び
    復帰⇒再度永遠の命の希望

さらに、、JW歴が長いとこの世では、とても生きていくことができない価値観を持ちます。
加えて、家族 友人との絆もあり、いわば人質をとられているようなものですから、、。

ナゼ、数字に関して伺うかといえば、それがここ最近10年間の傾向なのか知りたいためです。
僕が現役時代と、排斥や復帰の基準が変わったのか? そんな疑問があるためです。

例えば、ネットでは審理委員で姉妹の不道徳を扱うと、酷いセクハラまがいで組織から出た といったことが話題になりますが、、
僕の周囲で二人の若い独身の姉妹が同様の問題で裁かれましたが、(制限だけでしたが)その後開拓者に戻りました。

#16 2015年05月05日 15:18:50

ラハム
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Re: 排斥制度に関する議論

オフライン

#17 2015年05月05日 17:54:38

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

ラハム兄弟 書き込みありがとうございます
復帰が皆無 というのはショックです。
断絶して、あるいは背教で戻らないのは理解できますが、、、。
審理委員の最初に『私達は、兄弟を助けるために集まりました、、云々、。』
審理委員の結論が排斥の場合は、
『不満なら上訴もできます。復帰を願うなら、、、』と説明したはずですし、、。
僕の周りの排斥~復帰したケースは、、全て不道徳でした。
都会のため誘惑が多かったのか?
ともかく、現役時代は、『このままではエホバの公正さの基準でハルマゲドンでの滅びとなる。
排斥処分~復帰で罪を償うのは愛ある親切ゆえ』
また、『会衆内の基準を高く保つため。』
特に、、『仮に不道徳や喫煙 偶像崇拝をしていながらJWであることを許せば、世の人達に対する最悪の
評判となり、エホバのみ名に非難が寄せられる』と信じていましたから、、、。

脱会後は、この村八分の取決めが如何に信者に対する脅しとなっていたか、と改めて考えてしまいました。
しかし、、復帰が皆無 でしたか、、、。

僕の会衆では1980年代前半のことでが、一時的に 元兄弟二人と元姉妹一人、、
二十代の男女三人が排斥され、王国会館の集会では三人が後ろに座っていましたが、
三人とも復帰しました。

なお、、、無意味なカキコをしたかもしれません、、、。
この復帰の人数の件は、、もうスルーされて話題を変えてもいいですよ。

#18 2015年05月06日 09:29:58

ラハム
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

鬼太郎兄弟のていねいなご返事をありがとうございます。
わたしが「ラハム」というペンネームを使うのは憐れみを意味するからです。
長年会衆と交わり、ネットから会衆を去ることにした人々の
いきさつを読んだとき、この組織にかけているのは
キリストの精神に基づく憐れみという特質だと感じるようになりました。
キリストは独自の規則を作り上げ、民衆に重い荷を背負わせていた
パリサイ人に向かい「『わたしは憐れみを望み犠牲を望まない』とは
どういうことなのか、行って学んできなさいと」何度も言われました。

鬼太郎兄弟が交わっていた会衆では、排斥者の復帰が多かったようですが、
キリストの精神が大きく反映されて、戻りやすかったのではないでしょうか。
人は表面上の言葉より雰囲気に左右されやすいものです。
特に兄弟が長老として審理問題を扱うとき、
キリストの精神に基づく憐れみの特質が大きく反映されて、
問題を抱えた兄弟や姉妹はほんとうに助けてくれるんだ
と感じてもらえたとわたしは思います。
そうでなければ人を動かすことはできません。

わたしが組織を去る直前まで交わっていた会衆の長老たちにも
そのような憐みの特質を感じることはありませんでした。
直接の聖書の言葉や出版物からの提案支持にも反していることを
説明しても、わたしたち立場の低い者たちの意見は
重んじてもらえませんでした。
けっきょくは自分たちの保身と権益を守ることが
優先されたのだろうと思います。

鬼太郎兄弟が長老として奉仕してくださっていた会衆は
幸福だっただろうと思います。
そして兄弟のような方はごく少数だったのでしょう。
やはり、考え深く良心的な人はこの組織にとどまり続けることは
不可能なのでしょう。
良心的な人々のためにこのサイトが役立つことを願っています。

オフライン

#19 2015年05月06日 12:17:31

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

ラハム兄弟 お疲れましでした
このサイトと排斥論議の方向性とは真逆の話となりますが、、、

尊敬していたI長老に助言されると、たいていの兄弟姉妹は泣いてしまうものでした。
I長老は、どんなに態度の悪い兄弟でも、たとえ公けの場で自分に逆らった姉妹でも、、
助言する前に自問していました『自分は本当に心からの愛をもって助言できるか それとも怒りの感情が少しでもあるか?』
曰く『相手に対する本当の愛がなければ助言する資格はありません』
ある態度の悪いオバサン姉妹に対しては、助言する必要が生じてから助言するまで三週間も経過しました。
I長老は毎日、聖書と神とイエスと、その態度の悪い姉妹のことを黙想し祈り、、本当に愛をもって助言できるまでに
三週間かかったとのことでした。
助言された、その態度の悪い開拓者のオバサン姉妹は、号泣しました。
感激したそうです。自分のような態度の悪い者なのに、これほどの愛情をもって助言してくれたことに、、。
それから、そのトラブルメーカーの姉妹は態度を改めました。
またM長老は、『少し弱いタイプの成員が組織から離れたら と心配で夜眠れないことがある』と言われてました。
監督が成員をいじめる というのは想像できないことでした。

しかし、、親友のK兄弟が近隣の県の会衆に引っ越すと、、、
最悪の独裁者長老がおられて、自分は他の長老の悪口を言いたい放題、会衆の姉妹が『そのようなお話は聞きたくありません』と
いうと『姉妹は不従順だ 注解の特権は制限する』。
奉仕の僕が『どうか私たちの会衆も王国会館をもてますように』と祈ったところ、、
『王国会館の件を祈りに含める許可をしていない 排斥にする!』、、、夫婦でその場で土下座して許しを請うたとのこと。
この独裁者は、自身に完全なイエスマンで自分よりも能力のない兄弟しか長老に推薦しないものでした。


ラハム兄弟、ご苦労されましたね
僕はこの種のバカ長老は少数派と考えていましたが、、、
まともな監督のほうが少数派だったようですね。
見方を変えます。

そうなると、、
現状の排斥制度が、、一種の粛清の手段となる という恐ろしい現実を認めざるをえなくなります。

#20 2015年05月06日 22:16:15

sk
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

編集者 sk (2015年05月07日 07:53:43)

オフライン

#21 2015年06月17日 21:37:37

もんもん
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

オフライン

#22 2015年06月18日 05:50:11

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

Q:排斥された人と話したり挨拶したりすることは「望ましいことではない」「模範的でない」程度のお咎めなのでしょうか?
それとも接触したその成員自身も排斥される恐れがありますか?

同居する身内が排斥された(断絶した)場合、“霊的な友好関係”はなくなることは同然だが、家族であることに変わりはないのだからその関係自体は断ち切られることはない、というのが原則ですよね?
で、別居家族の場合がチとややこしい。家族でなくなるわけじゃないのだが、不必要な接触は可能な限り避けるべし……ここまで間違ってませんね?

***塔2007/1/15  p.20***

排斥された子どもが未成年ではなく,親元を離れて生活している場合は事情が異なります。使徒パウロは古代コリントのクリスチャンに,「兄弟と呼ばれる人で,淫行の者,貪欲な者,偶像を礼拝する者,ののしる者,大酒飲み,あるいはゆすり取る者がいれば,交友をやめ,そのような人とは共に食事をすることさえしないように」と訓戒しています。(コリント第一 5:11)家族に関係した必要な事柄のために,排斥された子どもと幾らか接触する必要があるかもしれません。それでも,クリスチャンの親は不必要な交わりを避けなければなりません。

聞いた二人のお母さん姉妹たちの経験ですが、

①    16歳で排斥され、そのまま結婚し、そう遠くではない地に引越していった娘が出産することになりました。母姉妹は長老たちと相談した結果、「これは“家族として当然必要な接触”という結論を出し、姉妹は娘の産後数日まで同居し、落ち着いたところで自宅に戻りました。以後、霊的接触はもちろんのこと、娘夫婦や孫との連絡も途絶え、今はどこに住んでいるかも分からなくなりました。

②    17歳で断絶(事実上は排斥とみなされてかねない)して出て行ってしまった娘の母姉妹は、すぐ近所に住むその子とは何が何でも接触しようとしませんでした。娘が妊娠後、ボーイフレンドと別れてしまい、身の周りの援助が必要(この場合もお産がらみですね)になっても一切、手伝いナシ。幸い、身重の娘は8ヶ月検診の時に産気づいたので、周りの人たちの援助で無事出産。その後も母姉妹は心を鬼にして関わらないようにし、数年後の娘の復帰まで乗り切りました(戻った娘は子連れで会衆内の若い兄弟と正式に結婚し、のちに開拓者に)。

何が必要で何が不必要な接触なのかは各家族でまちまちでハッキリとは区別できず、それがどう転ぶかはケースバイケースという感じです(注:私は上記の二例をもって、「やはり“キッパリ”が良い結果を招くんだね」とか言うつもりは全くありません)。

***塔2013 1/15 p.12–16***

実際,排斥されたあなたの家族は,あなたが固い決意を抱いて,家族の絆よりも何よりも,エホバを重視する態度を見る必要があります……いろいろ口実を設けて,例えばEメールなどによって,排斥された人と交わろうとしてはなりません。

Q:接触の仕方・程度にもよりますが、こういった親たち・子供たちは、戒め程度で収まるでしょうか? それともそのことで審理が動き始める、といったことがありますか?

次の、身内でない成員の場合は?

*** 塔74 11/1 p.659 ***

5 したがって,会衆の長老,および会衆の個々の成員は,ユダヤ教のある律法学者たちがあおったような見方,つまり異邦人を事実上の敵と見なすような見方に近づかないように注意すべきです。排斥された人が犯した悪行を憎むのは正しいことですが,その人そのものを憎んだり,そうした人を無情に扱ったりするのは正しくありません。すでに述べたとおり,律法学者のある書物は,異邦人が死の危険に臨んでいる場合でもそれに助けの手を差し伸べてはならないとさえ述べていました。仮に,クリスチャン会衆の一員が湖でボートに乗っていて,排斥された人の乗る別のボートが転覆し,その排斥された人が水の中に投げ出されて必死にもがいているのを見たとしましょう。溺死の危険に臨んでいるのが排斥された人で,「諸国民の者」のように見なされるべきだということで,クリスチャンがその人の危険を見過ごし,その場をこぎ去ったとすれば,そのクリスチャンは神の前で有罪の意識を持たないでいられるでしょうか。そのようなはずはありません。それは残酷で無情なことです。キリスト・イエスがそのようにするとは想像できません。また,第一世紀のユダヤ人で,平衡の取れた見方をする人であれば,そうした窮状にある異邦人や収税人に対してやはりそうした態度は取らなかったはずです。
6 しかし,これほど極端でない場合のことを考えてみましょう。ある排斥されている婦人が会衆の集会に出席しましたが,会館を出てみると,近くに止めておいた車はパンクしていました。会衆の男子の成員は,彼女の窮状を見ても彼女の援助を拒み,だれか世の人が来て彼女を助けるにまかせるべきでしょうか。これも必要以上に不親切で無情なことです。しかし,ちょうどそれと同じような事が実際に起きました。それは全く良心上の理由でなされたものと思われますが,それでも平衡の取れた見方が欠けていました……



私が駐車場部門だった会衆で、復帰を目指す元兄弟は集会の開会直前に大き目のライトバンで通っていたので、私は彼のクルマが出やすい場所(アーメンダッシュで帰れるところ)まで誘導してから館内に入ることにしていましたが一応、長老団からは何も言われませんでしたし、②の女の子が土砂降りの中、子連れで自転車で帰ろうとするのを止めて、知り合いのタクシーを電話で呼んでチケットを渡したこともあります(これも特にお咎めなし)。

寛容な会衆で良かったものの、神経過敏な会衆だったら私も呼び出されていたかもしれません……

#23 2015年06月18日 07:26:12

sk
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

編集者 sk (2015年06月19日 18:54:55)

オフライン

#24 2015年06月19日 13:09:06

もんもん
メンバー

Re: 排斥制度に関する議論

日本でもしこの問題を裁判にするならどういう形でできると思いますか。現実的な解決に向かうことはできるでしょうか。

オフライン

#25 2015年06月19日 16:44:25

ニコラ
ゲストユーザー

Re: 排斥制度に関する議論

今の方針は、同居の家族が排斥された場合、追い出しなさい、とのことです。
何家族も2011年頃から、同居していた排斥者が家から追い出されているのを見ています。
また、それ以降排斥された人も、ほぼ例外なく追い出されています。

今は溺れている人を見ても、見捨てる様な方針になっているようですね。


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