#26 2013年05月23日 01:20:25
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
...自由意志には責任が伴います。
撒くものを人は刈り取ります。
自ら原因を作り、その結果を刈り取るという原則の下に全ては展開してゆきます。
これだけは言わせてください。
この原理があてはまらないことが多いと
思います。
私の周りにも本当に純朴な方が、不当にも
騙されたりして小さなお子さんをつれて
夜逃げ同然に出ていかれました。
その方たちに、
あなたはまいたものをかりとったなど、とても言えません。
#27 2013年05月23日 01:29:44
- iris
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
#29 2013年05月23日 20:57:39
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
分からない方ですね。
なぜすぐ不信仰やら神への非難やらと決めつけるのかな?
SKさんがいくら聖書の考えとか
神の考えとして述べたとしても
絶対正しい解釈など分からないのですから
他の人からすれば、それはあくまでも
「あなたの考え」なのですよ。
#30 2013年05月23日 21:24:40
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
まいたものをかりとる、だけでは説明できない
被害者の立場を
原因と結果にすり替えましたね。
...もしあなたが聖書、神、キリスト、王国、復活を信じているというなら自分の信仰を聖書から裏付けてください。
順が逆ですよね。でないとそれは盲信の典型です。
神への疑問ではなく、こうしたあなたの考え方に
疑問を呈しているのです。
そして、あなたの考えに疑問を述べることが、神への
非難になる、というあなたの考え方に疑問をなげかけて
いるのです。
お分かりになりますか?
#31 2013年05月24日 03:05:31
- iris
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
skさん
私はあなたの信仰を否定はしません。誰も他人の信仰を否定することはできません。
あなたがキリスト教の核心部分を聖書から正確に理解されていることは確かです。
けれども、あなたの信仰のすべてが唯一の聖書の真理であるわけではありません。
私が手間をかけてあなたの持論にいちいち文句をつけるのは、あなたの信仰を否定するためではなく、
聖書についてよく知らない方々が、あなたの信仰が聖書の信仰そのものだと思い込むのを防ぐためです。
tetuさんも指摘されている通り、自分の信仰を聖書から裏付けるというのは順序が逆です。
まずは自分の信仰があり、その根拠を聖書から書き出すことができれば、それは真理であるというのが
skさんの理屈ですが、それはものみの塔が組織の教えを正当化する手法そのものです。
「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」(マルコ9・40)という主の御言葉を、
skさんは無にしています。その自覚もないままに。
他人を自分の基準で裁かないのが、クリスチャンの条件ではないのですか。skさんは主を仰いで誠実に
生きようとしている多くの人々を、神の基準を装った自分の基準で裁き、躓かせようとしています。
「自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。(マルコ9:50)」という主の御言葉を
よくよく味わうようにお勧めします。
#32 2013年05月24日 03:12:16
- iris
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
補足です。
パウロはキリスト・イエスへの信仰を旧約聖書から論じました。
真理を教えたのはイエスであって、パウロが旧約聖書を読んで真理を得たのではありません。
#33 2013年05月24日 05:31:24
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
わが神
わが神
なぜ私を見捨てたのですか
私はキリスト教の本質
イエスの生き方の根幹は
白馬に乗って地を裁く姿ではなく
生涯最後のこうした場面にあると思っています。
個人的な神との出会いのヒントがあると
しかしこのことばがイエスから発せられたから
その深さを探ろうとすると思います。
ものみの塔などは、これは主に
預言の成就だ、といった解釈ですが
もしいちクリスチャンから発せられたなら
どうでしょう?そのことばだけ切り取るなら
不信仰な者の神への愚痴になります。
しかし私はものみの塔から去り
こうしたことばに感動するようになりました。
それはごく個人的なものです。
しかし、今のSKさんには話しにくく感じます。
なぜなのか?少し立ち止まり考えていただきたいのです。
#34 2013年05月24日 06:31:42
- sk
- メンバー
Re: 司会者を変更することについて
tetu さん
神への不信仰はやはり神の否定でしかありません。
問題は私が聖書から説明している神を、あなたが信じていないというだけです。
あなたは、ご自分も認めるとおり、私が信じているエホバ(Yahweh)神の信じていません。あるいは、私が聖書によって信じている(解釈している)ように信じていません。
それで結構です。
それは、わたしの問題ではなく個々の人のそれぞれの選択、信仰、解釈の自由だからです。
何もむきになる問題ではありません。
私が求めている要点は、神を信じているというなら、しかも聖書の神を信じているというなら、自分の信じていることを裏付けなさいということです。
そうすることで、他の人がその信仰の根拠を吟味することができます。
その根拠に共鳴するかどうかは個人の問題です。
だれも、その個人の自由を操作できないでしょう。
自分の確信を聖書から裏付けることは、そうしている人が教祖となるわけではありません。
その信仰に共鳴する人たちは信仰において結ばれるでしょう。
この掲示板では、そのような信仰の表明がなく、神の目的、神の愛、キリストの役割、救い、裁きについての聖書からの論議が欠けています。
大体が、強い聖書的な意見、信仰を表明する人に対し、「なぜ自分だけが真理と言い張るのですか」調の答えばかりです。
また聖書の神の公正さについてもそれを擁護する意見が極めて少ないと思います。
編集者 sk (2013年05月24日 06:39:22)
オフライン
#35 2013年05月24日 06:51:07
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
あなたはから感じられる霊は
自分はひたすら正しいと考える
それに反したらサタンだ、などと
かって出会ったものみの塔の
幹部から発せられるものと似ています。
このサイトの悪口の前にご自分を振り返っては
どうでしょう?
口を開けば神の裁きだ公正だで、神の愛が述べられていますか?
皆無に近いではありませんか?
#36 2013年05月24日 07:09:50
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
ここに来るかたは大半がすでに心が折れた方です。
とくに日本人は、過小評価されそのようになる場合が
少なくありません。
疑問や愚痴は本当の気持ちではありません。
それをあなたは理解しようとされない。
消えかかった亜麻の灯芯を吹き消そうするかの
ような同じような書き込みの繰り返し。
もっと現実の人間の姿を学んでください。
#37 2013年05月25日 07:54:50
- sk
- メンバー
Re: 司会者を変更することについて
おはようございます。
tetu さん
公正な裁きは愛の証拠です。
虐げられている人々への救いの音信です。
イエスは奇跡を用いて人々の病気を癒し、悪霊を追い払いました。
また、彼の音信は慰めに満ちています。
そのキリストに人々を導くためにわたしは投稿しています。
私がものみの塔協会の実体、実態を暴くのは、人々を無神論者や不可知論者にするためではありません。
失いかけている神とキリストへの信仰を再構築するためです。
あなたはその努力をしていますか。
聖書からの慰めを提供していますか。
そのような文章を見たことがありません。
単にものみの塔への不平を述べるだけが心癒すわけではありません。
ほとんどの人は、神がいながらの悪の存在理由や、神がそれを許される妥当性への確信を失っているか、失いかけているように見えます。
それは、自分が神の組織と思い込んでいたものみの塔協会、エホバの証人から嫌な経験を強いられたからでしょう。
それによって神の存在や神の愛ある関心を疑うようになったのなら、ものみの塔協会がその始まりから聖書を騙る(かたる)インチキであることに気づいてください。そしてサタンの息のかかった組織宗教の教理を離れて、自分で神を求めてください。もしその少しの力があなたにあるのなら。
まず、神を疑うことから始める思考パターンはサタンと同じです。
これまでのこのサイトにおける投稿を読んでいる皆さん個人個人が良い判断ができますように。
編集者 sk (2015年01月21日 20:29:14)
オフライン
#38 2013年05月25日 08:35:34
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
...そのキリストに人々を導くためにわたしは投稿しています。
SKさん
今のあなたの精神では逆効果になっていることに
まだ気づかれないようですね。
信仰は個人的なものです。その自由な信仰の発露を
あなたが妨げていることがどうしてもわからない
ようですね。
...まず、神を疑うことから始める思考パターンはサタンと同じです。
またサタンですか?
不可知論者になるために疑問を述べているわけではありません。
ものみの塔解釈の二番煎じを投稿し、聖書を盲信するあなたの固定化された思考パターンに
疑問を述べているだけです。
何度言ってもだめなようですね。聞く耳持たず。
あなたのここでの存在は誰かさんのハイセンスな
ジョークだと理解しました。
少し遅かったですが(笑)
#40 2013年05月25日 12:25:40
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
...自分が聖書と調和する信仰にあるかどうか、自分の信仰が神の是認を得られるかどうかを絶えず吟味しながら、ご自分の確信のうちに自己満足を見出してください。
それが、わたしたち各自にできることです。
それは聖書には間違いがないという信念がある方を前提にした、
ごく限られた方たちの論理です。
私のようにそう思わない者に、それを押し付けても無理というもの。
この道理がお分かりにならない。
その人の自由だ、責任だといいながら
異なれば不信仰だ、サタン的だで
実際には自由にさせない、があなたの方法。
病気ですか?
#42 2013年05月25日 13:48:06
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
...あなたは、聖書を信じていないことが分かりました。
聖書には真実の痕跡があり、役立つ面もあり、
神からのものも含まれている可能性は否定しません。
しかし間違いもありますし、全部信じろ
でなければクリスチャンではないなどは
古典的な盲信の部類ですよ、
実際には自分が他の信仰をあざけっているのに
自分が否定されるとふて腐れたような態度。
ものみの塔で甘やかされた立場にあって、
排斥にでもあっての憎しみが原点になってる
人に似てるよ。
#44 2013年05月25日 15:08:06
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
子どもじみた応酬が
続いてます。(汗
ルカ18:9〜
自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話になった。
「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人(びと)であり、もうひとりは取税人であった。
パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲(どんよく)な者、不正な者、姦淫(かんいん)をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人(つみびと)のわたしをおゆるしください』と。
ものみの塔の教えに疑問が生じた皆さん。(すみません)
あなたを狙う二元論的教えに注意してください。その信奉者にも
こっちの水は甘いよー
彼らはより優れた自由や公正や義のような道に誘いますが
その実は古代の異端審問と変わらない、人を盲信的で一層排外主義に陥らせるものなのです。
そのような者になるぐらいなら、
無信仰の方がまだ神様に近いのです。
信仰にハマり過ぎるなら下記の
ようになる危険があります。
よくよく吟味なさってください。
「精神的なレベルの傲慢さは、自分はすべてを知っていると考える人を特徴づける傲慢さです。
誰かがその人の知識を疑おうものなら、さっそく傲慢さが浮かび上がってくるでしょう。
傲慢な人を見分けるのは簡単です。
傲慢な人は、押し付けがましい感じで、早口に、そして声高に語ります。
傲慢な人ほど、自分が傲慢であることを知りません。
うぬぼれがはなはだしいため、傲慢な人に傲慢であることを教えようとする試みは、ことごとく失敗するでしょう。
また、傲慢な人は、自分を変えることができません。
傲慢な人は、1人ひとりの中に神がいるのを認めようとしません。
傲慢な人は、絶対、自分の傲慢さを認めようとしません。
自分に異議を唱える人ではなく、自分におもねる人だけをそばに置きたがります。」
#46 2013年05月26日 01:28:02
- その後
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
あれから司会者側から主催長老に、私との研究司会をやめさせてほしいということになりました。
もうすぐ、巡回訪問です。巡回監督が来られたときや会衆内で、その司会者は私との研究司会をやめたと言えば
その研究生に問題があるからと言えるからだと思いました。
そして、休んでいる間に、他会衆に見学に行きました。
1世の研究生はいませんでした。
成員の家族と来られた2世の研究生や未信者の夫でした。
会衆内、集会では成員の家族の方と来られているので、集会後、成員は2世の研究生にいろいろと話しかけ気をつかっていました。
春の記念式のときは、司会者は私の横に座りましたが終わったらすぐ、別の方と話し、私は一人になりました。
私から話しかけないと成員はなかなか話してくれません。司会者の家族からも一人で来ている研究生に話しかけません。
私から講演者にお礼を述べてすぐ帰りました。
2世の研究生は親や信者の妻がいて、支えになってくれます。1世の研究生は家族と来ていなく、本当に一人です。
司会者に悪く言われると、家族も成員でないので、1世の研究生は会衆内で誰も庇う人もいません。孤立します。
そして、神権宣教学校に聖書研究生を組織に導くための新しいブロシュアーと題するプログラムがありました。
聖書研究生を組織に導くという内容でしたが、
ものみの塔協会は一人でも多く、伝道者、パブテスマへと願っていますが、
私が経験した、長老や司会者側の好き嫌いと言えるべき感情を教えも理解できていない研究生に矛先を向けてくる。
長老や司会者に気持ちに余裕がなく、統治体なのか、ものみの塔協会なのか、長老の権威なのか、エホバの証人の全体の制度なのか、
とにかく長老や司会者は正しい。従順であれ、不完全な両親に従ったイエスのように。
長老が聖霊に導かれていているから指導の任に当たっている人に従順になりなさい。と聖句にもあります。
聖霊に導かれているなら長老はもっと愛にあふれているのではないでしょうか?
権威は感じましたが、残念ながら、愛のある長老が多いとは思えませんでした。
年鑑を読むと、海外のエホバの証人は1世の研究生も2世の研究生もそんなに大差がないように感じました。
日本の場合は、研究生と司会者、異様な縦社会を感じます。
ただ、世の人の中に、悪人も善人もいるように、エホバの証人の中にも悪人も善人もいます。
そのことに関しては、すべてのエホバの証人の会衆、証人の方がそうではないとは思っています。
そして、個人個人が良い判断ができますように、skさん、irisさん、tetuさんが
それぞれの聖書の教義を教えていただきありがとうございます。
それぞれの聖句を引用された見解は聖書を学び始めた私にとって参考になりました。
#48 2013年05月26日 11:22:25
- その後
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
skさん
お返事ありがとうございます。
来月に、私の会衆は巡回訪問で、巡回監督夫妻が来られます。
私の司会者が夕方に巡回監督夫婦を食事招待されています。
そのときに、1世の私の研究を聞かれる前に、研究司会者を降ろさせてもらった。
と言えば、研究生に問題があったと逃げるためです。卑怯な司会者です。
自己保身のためです。真実を巡回監督は研究生に問いただそうとしない。長老や無論、司会者を養護します。
会衆でも、司会者を降ろさせてもらったといえば研究生が悪くとらわれがちです。
巡回監督の方は、巡回訪問中に、1世の研究生がどれだけ会衆にいるか。尋ねて調べたことはあるのでしょうか。
巡回監督は訪問中に、長老以外や開拓者以外の会衆の方に聞いて、実情を知ってほしいです。
1世の研究生が多い会衆を励ましてほしいです。2世の研究生はどの会衆にもたくさんいます
主催長老は、巡回訪問前に小学生の2世の娘を伝道者にさせ、秋には、2世の息子を1世の研究生にさせ
会衆報告書に、活発ある会衆とみせたいのでしょう。
なぜ、1世の研究生はいないのか、長老に"渇"を入れないのか。
これから、高齢化する、少子化である時代で、エホバの会衆も1世の信者を必要とします。
駅でのプラカードもその一環をなすと思っています。
しかし、実際の会衆は長老の権威、司会者の権威、研究生のときから、見せつけています。
そして、私は1世の研究生が多い会衆がどれだけいるか、巡回監督は巡回訪問中にみていただき、
巡回監督には1世の研究生が多い会衆、長老を励まして、そのような会衆や長老を評価してほしいです。
そして、skさんの説明、興味深く読ませていただき、納得、共感できました。
海外のJWの社会でも、やはり日本と同じような状況が見られるようですね。
skさんの投稿はいつも、励みになります。ありがとうございます。
#49 2013年05月26日 20:49:03
- info
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
駅前の雑誌提供、プラカード等、一般の人に広く知ってもらうため、会衆でも、多くの方が奉仕しています。
1世の研究生は一人で来られているので何かあるとふと来なくなりがちです。
2世の研究生や未信者の方が家族にいれば否応なく集会来られますが…
私の会衆に1世の研究生がいないです。1世の研究生が増えれば会衆の雰囲気も変わり、一般の方も来られやすくなるのでは…