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#76 2013年01月04日 00:03:44

TT
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

もんもんさんへ

言われていることはわかります。
そして私なりに考えてこれまで出してきた結果なのですが、究極の所、神を理解したり近づくということは無理なのではないかということです。

所詮人間の観点から、神の善悪にケチをつけること自体が間違っていて、人間の理性で、もしくは特質の範囲で神を推し量ろうとすること自体が間違っているのだと考えるようになりました。

ただ、私は子供の頃は親から、そして今でも組織から神は愛情深い父親のような方で、聖句にあるように忠実な者たちが神に近づくことを願っていると教えられてきました。
確かにそう感じさせる神の取り計らいは、SKさんが挙げられているように数多くあります。 そのことに異議はありません。

しかし、神の取り扱いについて理解に苦しむこともあると思うのです。
組織は、とにかくわからないことがあるからといって神の取り扱いを疑問視してはいけないといいます。

とにかく信じてゆくしかないのでしょうか?
もんもんさんは     

聖書の記述があるから「エホバの裁き」についてや、「神の忠節な愛」というのが、
どういう愛なのかが理解できるんじゃないかと思います。

と言われますが、私は聖書の記述があるからエホバの裁きや忠節な愛がわからなくなる時があります。

#77 2013年01月04日 09:12:35

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

編集者 sk (2014年06月25日 18:38:29)

オフライン

#78 2013年01月04日 09:15:04

ゲン
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

ダビデが人口調査の罪を犯したとき、神は、み使いを遣わしてイスラエルに疫病をばらまき、無差別殺戮を実行します。
これにより、七万人もの人々の命が奪われます。
ダビデは、「民を数えよと命じたのはわたしではありませんか。罪を犯し、悪い事をしたのはわたしです。しかしこれらの羊は何をしましたか。」と神に尋ねますが、神は何も答えることはありませんでした。
その後、人口調査は解禁されました。一体何のための取り決めだったのでしょうか。理解に苦しみます。

#79 2013年01月04日 11:48:50

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

編集者 sk (2013年01月04日 16:17:26)

オフライン

#80 2013年01月04日 12:51:58

ゲン
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

skさん、回答ありがとうございます。

ダビデは神に任命された王です。その王でさえサタンに屈してしまうということになると、我々凡人がサタンに勝利することなどそもそも無理があるのではないでしょうか。
それに、サタンは元々が地位の高いみ使いであり、知性も力も人間の比ではないことを考慮すると、このような試み自体が不合理に感じます。

#81 2013年01月04日 13:18:16

TT
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

SKさんへ

詳しい解説ありがとうございました。

頭では解っていたこととはいえ、改めて文章にしていただくと考えさせられました。
個人研究が足りないと突っ込まれても仕方ないところです。

違う話になりますが、みなさんに質問させてください。
エホバの証人の組織が行っていることで、聖書にそっておこなっている際立って良い面はありますか?エホバの証人のこういうところは素晴らしいというところはありますか?
例えば、王国の良いたよりを世界中で熱心に宣べ伝えるように、という命令に従っているかなどについてどうでしょうか?
兄弟愛を実践しているか?という面などについてはどうでしょうか。

私としては、輸血拒否、各種の予言の理解の変更、忠実で思慮深い奴隷の理解、排斥措置の厳しさ、などについては組織の考えに同調していません。
ただ、それらの理由だけで組織自体を全面否定もできない気持ちもあるのです。

それでもしよければ、みなさんの、エホバの証人のこういうところはいいと思っているよ! ということがありましたら教えてください。

#82 2013年01月04日 16:13:23

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

編集者 sk (2013年01月05日 21:55:13)

オフライン

#83 2013年01月04日 17:12:31

akame
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

jamさんへ

(余談です)

人はかなり限定された存在です。

視覚さえ「本当の状態」を捉えていないことも以外に多いことをjamさんもご存知だと思います。
それでも人は森羅万象の真実を希求します。様々な不安や恐れからの解放を求めています。

しかしすべてのことの確認はできませんからどうしても見切り発車を余儀なくされています。

ましてや聖書や神の探求となるとそれはかなりの見切り発車となります。

とりわけ宗教分野は様々な大前提、既存概念で成り立っており

しかも分析や検証は非常に難しいのです。


(進化論はさておき)


神は唯一だろうか?それとも多神だろうか?

なぜ、それが分かるのか?

神はご自身の意志を必ず言語的メッセージとして人に与えるのだろうか?

なぜ、それが分かるのか?



聖書は多くの事実や真実が書かれていると思っていますが

本当に根幹となる部分の説明は十分とはいえません。

たとえば、天使がサタンになった理由にしても、

「自由意志の御用だ」「ねたみだ」といっても元からあった悪が引き出された可能性を

論理的に否定している解釈を読んだことがありません。


自由意志を行使すると悪いことをする可能性がある時点でその存在は不完全ではないのでしょうか?


自由意志を行使しても善いことしか行えない存在が完全なのではないのでしょうか?

そうした完全さを目標にした思想さえあります。


「試す状況になったが反抗した」ならそれは失敗作(完全なものを創れなかった証拠)

ではないのでしょうか?


しかしこれも私の考えにすぎません。


でもこうした『疑いを持つこと自体』が本当に悪いのでしょうか?


人には聖書の真偽なども究極的には分からないと思います。

「信仰」ですから判る範囲で信じることは構わないと思いますが

黒か白か判ったと断定することを私はしたくありません。


なぜなら、断定できる人ほど基本的に危ういものを持っていると

これまでの人生で感じています。


知れば知るほど迷う、既成概念が変わり続ける、知らなかった

ことが益々増える、

とりわけ人の感情の広さや深さを知れば知るほど特定の基準で裁けない。
一派一からげにできない個々の実に奥深い命に気付かされます。

その謙虚さを持たないことが

神の名の下での戦争への発展を歴史は示しています。

「絶対真実だ、正義だ」というスローガンでこれまでどれほどの血が流されてきたでしょう。

実際の血でなくとも精神的な殺人をどれほど犯す危険がそこにあることでしょう。

最後は「信じられないお前は死ね」です。



まわりの空気で「納得したふり」もしたりします。

やがて人として当たり前の感情や反発心でさえ自分で押し殺してしまう、

いえ、感じないようになります。疑問さえもたなくなります。


正典という虎の衣を借りての妙な自信家になったりします。

「人は信念の奴隷」になる可能性が高くその人の環境によっては

「他者から心をコントロールされることを求めている」

人さえいるかのように思える場合もあります。

私もそうなる可能性がありそれを忘れるかもしれません。


信じない自由、それもある意味尊いこと。

そうしたことをわきまえた投稿をしたいと思っています。



失礼します。

#84 2013年01月04日 21:12:13

TT
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

今週は巡回訪問なので、先程まで長老と僕の集まりに参加していました。

話の一部で、長老と僕は統治体と支部事務所の指導に忠節であることによって一致を保つよう話されました。
組織に忠節でなければ、神からの聖霊は閉ざされ会衆は混乱するということでした。

ところで関係ない話ですが、あるエホバの証人が排斥、あるいは断絶した場合、数年前までは会衆に発表する際、〇〇さんは排斥されましたとか 断絶しましたとか発表されていたかと思いますが、最近では〇〇さんはエホバの証人ではなくなられました、というふうに発表の仕方が変わったと思います。

その辺の事情をご存知の方がおられましたら教えてください。

#85 2013年01月04日 21:47:26

jam
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

#86 2013年01月04日 21:59:28

カレブ
Administrator

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

TTさん
書き込みありがとうございます。

>あるエホバの証人が排斥、あるいは断絶した場合、数年前までは会衆に発表する際、〇〇さんは排斥されましたとか
>断絶しましたとか発表されていたかと思いますが、最近では〇〇さんはエホバの証人ではなくなられました、
>というふうに発表の仕方が変わったと思います。

上記の点、わたしの知っている範囲でお答えします。(細かな点は正確ではないかもしれません)

以前から「中立の問題」で違反した人に対しては断絶として扱うという方針を打ち出されていました。
これにより排斥ではなく断絶という表現を使うことにより戒律を守らせることを強要するカルトという
イメージを少しでもなくすためです。

そして、ブルガリアでの宗教法人認可を得るころに、
協会は「輸血を行ってた人がいても宗教上の制裁は加えない」と述べて宗教としての認可をえました。
これは実質上の嘘なのですが、彼らには言い訳の戦略がありました。
つまり、輸血を自発的に行った人は自ら断絶したのだ、我々が制裁を加えたのではないという
言いわけです。

実質上は聴聞を行い宗教裁判により制裁を加えているのですが、会衆には
その人は「断絶した」と語ります。
この点は2010年版の長老マニュアルには明確に記載されています。

現在、排斥なのか断絶なのかわからないような発表をしているのには
上記のような経緯があります。

オフライン

#87 2013年01月04日 22:27:05

もんもん
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

>実質上は聴聞を行い宗教裁判により制裁を加えているのですが、会衆には
>その人は「断絶した」と語ります。
>この点は2010年版の長老マニュアルには明確に記載されています。

なんという二枚舌なんでしょうか。とほほ。

オフライン

#88 2013年01月04日 22:39:05

TT
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

みなさん、ありがとうございます。

ヤフー知恵袋にもいろいろな疑問や考察があがっているのですねー
知らなかった、、、

長老マニュアル、以前は父も持っていましたが、今は降りているので持っていません。
しかし、いろいろ興味深いことが書かれていそうですね。
僕の立場では知らされていないことがまだまだあります。

#89 2013年01月05日 10:39:16

jam
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

akameさんへ

メッセージありがとうございます。
いろいろ考えていて、遅くなりました。

akameさんへ

ありがとうございます。

>自由意志を行使すると悪いことをする可能性がある時点でその存在は不完全ではないのでしょうか?

>自由意志を行使しても善いことしか行えない存在が完全なのではないのでしょうか?

>「試す状況になったが反抗した」ならそれは失敗作(完全なものを創れなかった証拠)

>ではないのでしょうか?

子供が中学生の頃、こういう質問をよくされました。わたしも、答えがみつからず、ただただ、理解が得られるよう祈るしかありませんでした。
結局子供は離れてしまったのですが、今は「お母さんがいつもよく考えるように育ててくれたからだよ」っていわれています。

JWの教理を学んで魅力的だったのは、何の罪もない(この場合、不完全さの罪とかはおいといて)
子供たちや本当に善良な人たちが苦しめられていることに対して、最終的には希望があるということでした。

最終的には、JWの教えだと、そういう真に助けを必要とする人の援助は人に任せて
信者は組織拡大だけを考えなさいというものでした。

確かに神に委ねてしまえば、何も考えずに現実から目をそられ、時間の奉仕さえしていれば
コミュニティーからの是認が得られて、とりあえず安心して生きていけます。

結局、私も何もしてこなかったし、今も希望がなくなったと嘆くばかりで、慎みのない妄想と、自己憐憫に浸っているだけです。


いろいろな考えを知りたいと思っています。

だから今はJW以外の情報がほしいのです。私は、もういやというほど協会の出版物と集会と資料とを調べました。
ある人からは、足りないだろうといわれるかもしれませんが。

でも、それならば多くの知識を有している人が偉いのですか?あきらかに、理解力の乏しい人がいます。
でも神なら、その人を多く用いるのではないでしょうか?
神の栄光を望むのであれば、石をも叫ぶようにされる神ならば。

とか考えてしまう私です。

皆さんのように、思慮深くなく考えがまとまっていないので わかりづらくてすみません。

不可知論はできれば今の段階では避けたいのです。

よろしくお願いします。

#90 2013年01月05日 11:01:29

iris
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

もんもんさん

>わたしはキリスト教について、聖書から話し合いあいたいと思っているのに、
>irisさんは、歴史的なキリスト教の定義から出発しようとしていると思います。

私はキリスト教について、聖書から話し合いたいと思っているのに、
もんもんさんは、ものみの塔の教えから出発しようとしていると思います。

>エホバの証人を異端(リンゴではない)と呼んでいるのは、正統派キリスト教の伝統なんですよ。
>だから、ぜひirisさんが、この観点については考え直していただきたいと思っています。

エホバの証人を真のクリスチャン(本当のリンゴ)と呼んでいるのは、ものみの塔の教えなんですよ。
だから、もんもんさんには、この観点についてはぜひ考え直していただきたいと思っています。


私のリンゴの例えを理解していただけなかったようですが。
リンゴの存在する場所であれば、世界中のどこに行っても「リンゴをください」と言えばリンゴが出てきます。
リンゴとはどんなものかというのはほぼ決まっているからです。1歳児でもリンゴを正しく認識します。
新しい品種のリンゴでも、普通のリンゴを知っている人ならそれがリンゴだとわかるはずなのです。

ものみの塔の教えは、「新種の果物で本当のリンゴを発見した。世界中のリンゴは実はリンゴではなかった」と言っているようなものです。
新種の果物の美味しさを宣伝するのは勝手ですが、新種には別の名前を付けるべきです。
そして美味しさだけでなく、食べた場合の悪影響についても情報提供するのが親切というものです。


>>私がものみの塔についていちばんキリスト教的でないと思うのは、エホバの証人を神の側に置き、「世の人」をサタンの側に置いて、
>>自分たちはサタンとの関係を絶っているかのように教えている点です。

>これはエホバの証人の間でよく見られる悪い風潮だと思います。「すべての人が罪を負っている」と聖書に書かれているので、もっと謙遜にならないといけないと思います。

もんもんさん、よくよく考えてみてください。
エホバの証人を神の側に置き、「世の人」をサタンの側に置いているのは、個々のエホバの証人が作り出した風潮ですか?
「ものみの塔」(2012年8月1日)には詩編37:10-11の説明として次のように書かれています。

「神も、今日わたしたちの周囲にいる悪い人々を追い出そうとしておられるのです。もう一度、10節を見てください。
「邪悪な者はいなくなる」と述べられていますね。つまり、他人に迷惑をかけている者たちを神が“追い出す”ということです。
そうすれば、善良な人たちは平和のうちに地上での生活を楽しめるようになります。」

この説明から、どんなことがわかりますか? ものみの塔は、「善良な人たち」と「邪悪な者」がいると教えていることがわかりますね。
そして、「邪悪な者」とは「他人に迷惑をかけている者たち」であり、その者たちは神に追い出されることになっています。

個々のエホバの証人たちは、このものみの塔の教えを本気になって信じているだけです。
そして、「邪悪な者」を避けて「善良な人たち」のグループに入らなければと必死になっているのです。
もんもんさんが、組織ごと神に捨てられるのではないかと心配しなければならないのも、この教えのためです。
(キリスト教の教えでは、神に従わない人が存在しなくても教えが成り立ちます。むしろそれを理想としています。
ものみの塔の教えでは、神に従わない人が存在しなくては教えが成り立ちません。)


もんもんさんは、ものみの塔の教えが聖書の教えでありキリスト教の教えであるということには疑う余地はないとお考えなのですか?
そして、組織のあり方だけが問題であるとお考えのようですね?
けれども私は、組織のあり方に問題が多いのは、ものみの塔の教えに問題があるからだと考えています。

キリスト教において最も重要な「新しい契約」の内容が、本来のキリスト教の教えとものみの塔の教えとではまったく異なるということは認識されましたか?
なぜこれほどまでに違うのでしょうか? 聖書の記述と「調和している」のはどちらだと思いますか?

もんもんさんは私の発言に対して、エホバの証人の立場から、ものみの塔の教えを擁護することを重視して返信されています。
ものみの塔の教えから離れて、もんもんさん自身の良心に従って聖書を読まなければ、真理は見えてこないと思います。
私はもんもんさんの良心には信頼しています。私の知っている個々のエホバの証人の良心を信頼しているのと同じです。
その良心が、ものみの塔の教えによって曇ったり、苦しめられたりしているのが、本当にお気の毒だと思います。


akameさん

>神に最後はお任せできる。とはいえ
>不条理の中にあっても自らの課題に正面から取り組むことで成長する。
>これが人生の大きな意味で、神の喜びでもあると今は感じています。

私も同感です。

#91 2013年01月05日 12:10:33

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

編集者 sk (2014年06月25日 19:10:05)

オフライン

#92 2013年01月05日 13:52:32

浜田朋尚
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

戦いの最中、アマレク人のある家に入りました。男はすでに殺され、
  そこで恐怖に震える乳飲み子を抱いた女性がいます。
  乳飲み子はすやすや眠っているかもしれません。
  母親は命乞いをするかもしれません。
  「神の命令だからと平気で殺せるだろうか?」

この質問に答えられる方はいますか?


私は牛肉を食べます。しかし、牛を平気で殺すことはできません。
牛を屠殺するための知識や経験、技術、資格をもっていないからです。

(人を殺す)教育や訓練を受けていない人間に、「神の命令だからと平気で殺せるだろうか?」という問うことに意味はあるのでしょうか?
もし、「殺せる」と答えるとしたら、その人は精神的に問題があるのかもしれない。
逆に、教育や訓練を受けたのちに「殺せない」と答えるのなら、その人には、その職務を全うする資格(あるいは適性)がないということでしょう。

カナンの地に入る前に、イスラエルは、40年にわたる過酷ともいえる精錬を受けています。
イスラエルは、神の軍隊でもありました。

さて、質問のポイントは、「乳飲み子を殺すことを命じる神は、残酷か否か」ということでした。
神(エホバ)は残酷だと思う人は、エホバに従う必要はまったくありません。

ヨシュア24:15
もしエホバに仕えることがあなた方の目から見てよくない事とされるなら、川の向こうにいたあなた方の父祖たちが仕えた神々であれ、あなた方がいま住んでいる地のアモリ人の神々であれ、あなた方が仕える者を今日自分で選びなさい。しかし、わたしとわたしの家の者とはエホバに仕えます。

………………………………


  累々たる遺体をふとみると自分の親だったり自分の子供の一人かもしれません。
  だれが殺されるかわかりません。人間からみて邪悪かどうか
  決してわからない赤ちゃんでも殺されるのですから
  近所でよく話していたおばちゃんかもしれません。
  葬式どころか地の肥やしです。
  その光景は決して忘れないことでしょう。
  ・・・
  裁きのあと、これで本当に神への愛が強まり
  皆で幸福に笑ってすごせるのでしょうか?

この質問はどうでしょうか?


日本の主要都市の多くは戦争で焼け野原になりました。東京大空襲では10万人以上ともいわれる人たちが一夜でその命を奪われています。
こうした経験をしたのちも、私たちは、幸福を求めて立ち上がってきました。

(累々たる遺体をみた)裁きののちに、「神への愛が強まり、皆で幸福に笑ってすごせる」ように努力する人たちもいるでしょう。
それは、冷酷なことではないのです。

#93 2013年01月05日 15:11:16

akame
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

>日本の主要都市の多くは戦争で焼け野原になりました。東京大空襲では10万人以上ともいわれる人たちが一夜でその命を奪われています。
こうした経験をしたのちも、私たちは、幸福を求めて立ち上がってきました。

(累々たる遺体をみた)裁きののちに、「神への愛が強まり、皆で幸福に笑ってすごせる」ように努力する人たちもいるでしょう。


もうしわけありません。人間の戦争と神の裁きを比較する意味がよくわかりませんし、神だから余計心に
のこるものがあるように思います。

>それは、冷酷なことではないのです。

それはあなたの感性であって

私は冷酷に「感じます」


>不可知論

jamさん、私は神を客観的な事実で証明するのは困難だと感じますが、
存在や神の活動を生活の中で感じていますので不可知論者ではありません。

しかし感じたことを「絶対そうだ」といえるほどの自信がありませんし、
それは以前に書いたようにあまりよくないと思っています。

私なりに考えたことですが、

聖書はどうしても先人の解説の手を借りないとわからない
ことが多いのです。それでも出来るだけ先入観をもたず
当時の人になって読むことが大切だと思っています。

それで次のような聖句

ヨブ記26:7、彼は北の天を空間に張り、地を何もない所に掛けられる。

などは聖書は科学的にも正しいことの典型として説明されています。

しかしその句の後辺りに

38:12 あなたが生まれてこのかた、朝に対して命令を下し、暁に対してその所をさし示し
、38:13 これに地の果て果てをつかまえさせ、悪者をそこから振り落とさせたことがあるか。

13大地の縁をつかんで/神に逆らう者どもを地上から払い落とせと。

13これに地の縁をとらえさせ、/悪人をその上から振り落させたことがあるか。


「あなたは夜明けにその場所を知らせ、地の果てを捕まえさせて、邪悪な者たちがそこから振り落と

されるようにしたか。」


これはご存知、神が悪人を処罰することを示しています。高い崖から振り落とすように。

(英語では「地の果て」は「the extremities of the earth」となっていて、
extremitiesが複数形になっているので、ゴツゴツした崖をあらわしている)

これは科学が発達していなかったから地球をあえて平地の形にしてその果てに人が落ちる
比ゆ的な話だとは思うのですが、こうした表現で多くの人が地の淵(ふち)から落ちる
非現実的な心配したともいわれています。

まあ、それでも古代のポリネシア人は勇気をもって海洋をわたりコロンブスより
かなり前にアメリカに移住していたとも言われていますけれど。

それで聖書の物語は素直に読めば、当時の人たちの幼稚な世界観や神観が
単純な思考などがそのまま反映されていることが多いように思えるのです。

(時に強度のストレスからの妄想的思想も)

それを「聖書は神のことばで一字一句間違いはないはずだからここはこうだろう」と
考えるから余計に滑稽な解釈になるのではないでしょうか?

似たようなことですが、

詩篇 104 篇 5 節の「また地をその基の上に据えられました。 地はそれゆえ、とこしえにゆるぎませ

ん。

もちろんこれは天動説の根拠ではないことはわかりますが、JWのような根本主義的解釈
(どうあっても間違いではないので基の比ゆの意味を探る)などもかなり無理があるのではと
感じます。


またヨブ記では気になったところが他に色々ありますが次回に。

失礼します。

#94 2013年01月05日 15:54:07

カレブ
Administrator

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

オフライン

#95 2013年01月05日 17:05:37

浜田朋尚
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

エホバの証人研究さん、ご質問、ありがとうございます。
言葉足らずな点、いつもながら申し訳なく思っています。

さて、「残酷」という言葉は、goo辞書では「無慈悲でむごたらしい」と説明されています。他の辞書には、「思いやりがなく、平気で苦しめるさま」という記述もありました。

私は、「アマレク人の乳飲み子には、神から『無慈悲でむごたらしい』死が与えられた」とは思って(感じて)いません。

#96 2013年01月05日 18:13:52

カレブ
Administrator

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

オフライン

#97 2013年01月05日 19:57:50

浜田朋尚
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

エホバの証人研究さん、こちらこそ、ありがとうございます。

  わたしがお尋ねしたい点は、それを行ったのが「神」であったから
  その赤ちゃんの処刑が『無慈悲でむごたらしい』ではなくなるという
  考えが根底にあるではないかという点なんです。

私が最初に投げかけた問いは、次のようなものでした。

  「私は牛肉を食べます。しかし、牛を平気で殺すことはできません。
    牛を屠殺するための知識や経験、技術、資格をもっていないからです。」

(その牛が私の所有物だとしても)殺した牛を食肉として使用するという理由があったとしても、私が牛を殺したのであれば、私は罪に問われます(動物愛護法に抵触します)。
しかし、私が食肉業者の人間で、きちんとした資格を持っていれば、罪に問われることはありません。


どんな理由であれ、人間が人間の意志で「幼児の虐殺」を行なったのであれば、それは「残虐で卑劣な行為」です。


神(エホバ)は、『無慈悲でむごたらしい』行為を、アマレク人の乳幼児に行なったのでしょうか。
アマレク人の乳幼児を処刑する資格も、その権利も、エホバにはありませんか。


もしそうであるならば、神は、罪を犯していることになります。


神(エホバ)が、『無慈悲でむごたらしい』行為を行なう罪深い神であるならば、私たちは、別の神を捜すべきではありませんか?
あるいは、別の神を創造し、新たな聖書を書きましょう(神は、人間の最高の創造物で、所詮、聖書は人間の書いた物に過ぎないと言う人もいます)。


ところで、「JW以外の人類が間もなく抹殺される」というのは、ほんとうにエホバの考えですか?

#98 2013年01月05日 20:17:31

TT
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

みなさんの様々な考察が聞けて、この掲示板に来ることを楽しみにしています。

私なりにですが、今取り上げられている要点を平たく言っててしまうと

アマレクの赤子を殺すようにと言う命令(その命令を出す動機が、アマレクの人たちが大いなる悪を行っていて裁きを受けるに値するといったことが根底にあったとして)が、人間の支配者が述べていたものだとしたら、それは残虐なものであると捉えるが、神が命じたものであるなら、それは正当なものであるとして人間は受け止めなければいけない

と言うことなのでしょうか

私はハルマゲドンでエホバの証人以外の人々は滅ぼされる(実際にはエホバの証人とハルマゲドンが来るまでに真理を知る機会がなかった多くの人は滅ぼされないと教えている)という教えには抵抗を感じています。
しかし、アマレク人や約束の地を取得するにあたってその地に住んでいた人々を、人間の目には滅ぼすべき悪なのか判別できない子供達も、皆殺しにしていったことを考えると、そしてそれは人が口を挟むべきではない
正当なことなのだと言われてしまうと、エホバ神は将来ハルマゲドンの時にもご自分に忠実なもの以外は皆殺しという選択をされるのでないかと考えてしまいます。

救われる人が少ないということは聖書にも示されていると思います。
イエスも救いに至る狭い道と滅びに至る広い道に言及されました。 滅びに至る道を行く人が多いことが話されていたと思います。

この辺の解釈は、皆さんどのように考えられていますか?

#99 2013年01月05日 21:12:40

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

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#100 2013年01月05日 21:17:47

もんもん
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

みなさんは全員、「人間の命は尊い」という前提でお話されているのだと感じています。

その前提の上で、ヘブライ語聖書では「なぜ神はご自分の選んだ者に命を、反する者に死をもたらすのか」ということを議論しているのだと思います。

その選び方が、残虐で、不公正に見えるというものだと思います。

でも最終的には、神は復活によってまず過去の死を取り消して、イエス・キリストの贖いに信仰を働かせるならば、命を与えるといってくれているので、わたしには、全体を通してみるなら不公正には見えないです。

部分的には不公正で残虐に見えても、歴史の始まりから終わりまでを見るならば、とても公正かなと思います。

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