#2 2012年12月27日 22:48:28
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
新しいのを立ててくださり感謝します。
下のスレでskさんの立場が少しわかりました。ありがとうございました。
SKさんはエホバ神は主にどのような方(御性質)だと理解しておられますか?
聖句を多く述べていただくよりも、SKご自身の感じ方を知りたいのです。
。。。とかいてあるが具体的にはこのようなことがそれを示しているとか経験したとか
生の声が聞きたいのです。
ぜいたくかもしれませんけど。しかし
その前に私よりも先に出ていた「亡くなった子供たちの救い」について述べていただけますか?
#3 2012年12月27日 23:04:40
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
それと「救い」に関することですが、
時々SKさんは神が人類を義を持って裁く日云々
述べておられますが、真の崇拝者だけが救われるとお考えですか?
連続ですみません。
#5 2012年12月29日 01:12:21
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
誠に失礼とは思いますが、SKさんの聖書解釈はものみの塔と殆ど同じだとわかりました。
部分的に異なる解釈を試みておられますが、教理的には殆どそのままで
元在籍した組織否定という定番の分派ともいえます。
それが悪いとか良いとかは関係ありません。しかしその解釈自体が
物事の道理、現実に合致しているかは別問題だと思います。
SKさんの人の死に関係した理解についても
人間の視点からそう見える聖句だけを引用されています。
そこで先ずは死や苦しみが生じた創世記などに的をしぼってみたいと思います。
>アダムの罪以来、人類はサタンと悪霊たちの支配を受け自らの受け継いだ不完全さと罪のために貪欲で、不公平な社会を築いてきました。その中で無数の弱者が犠牲になって苦しんできました。
サタンという存在について再確認の意味でお尋ねしますが、神の創造した天使(御使い)がサタンに成った原因は
どこにあると理解しておられますか?
やはり「宇宙論争を聖書の主軸とする」JWと同じような自由意志の行使と神の権威への妬み(傲慢など)でしょうか?
#6 2012年12月29日 10:44:15
- iris
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
skさんの説明についての感想です。
1.新しい契約について
>キリストの犠牲の血による新しい契約の目的が全人類の罪の許しであることが分かります。
>それで、全人類が新しい契約に預かるように招かれています。
>ですから、キリストを受け入れた人は皆、罪の許しと神との和解のため新しい契約に預かる必要があります。
これは聖書に書かれている新しい契約の内容と言ってよいと思います。
キリスト教会が受け継いできた信仰の内容とほぼ同じです。キリスト教ではこれがすなわち救いであると考えます。
2.王国について
>贖われた人類に永遠の命の祝福をもたらす取決めを聖書は王国と教えています。
>そして、その王国は、キリストの、御子の、神の、天の王国と表現されています。
>それは、神から離反した人類をキリストの下に再びひとつに集める管理機関となります。
>その取決めの中で、天にあるものと、地にあるものが存在しています。
>天にあるものは、永遠の命を天で享受します。地にあるものは、それを地上で享受します。
これはものみの塔の聖書解釈を受け継いだものです。
聖書にある神の国とは、神の愛が支配する状態を言います。
神の愛がすべてを支配するようになるときが、神の国の完成のときです。
3.サタンの世について
>アダムの罪以来、人類はサタンと悪霊たちの支配を受け自らの受け継いだ不完全さと罪のために貪欲で、不公平な社会を築いてきました。
>その中で無数の弱者が犠牲になって苦しんできました。
>この悲惨な状態の解決は、サタンと悪霊の排除及び裁き、また受け継いだ罪と不完全さの除去なくしてもたらされません。
>罪とその影響に苦しみながら何年も生きることよりも、神がパラダイスを回復なさるまで死の眠りにある方が勝っています。
これも、ものみの塔の世界観を反映したものといえます。旧約聖書の世界観に近いと言えるかもしれません。
ものみの塔が教えるように、この世の苦しみの責任をすべてサタンに押し付けて辛い現実から目を背け、
「世」から離れることだけを考えて人生をやり過ごそうという姿勢では、生まれてきたことの意味が見出せません。
誕生日を祝いたくないのも道理というものです。
4.キリスト教の理想
神の愛に支配されている人の心には、神と隣人への愛があります。サタンに支配されている人の心には、神と隣人への愛がありません。
人を神の愛から引き離す力こそがサタンの働きなのです。神の働き(聖霊)は人をサタンから守り、神の愛にとどまらせてくださいます。
神の愛を忘れた人々の国は、人々の心がサタンによって支配されていますから、サタンの支配下にあるといえます。
すべての人の心が神の愛に支配され、神の愛によってすべてが支配されるようになれば、神の国が完成します。これがキリスト教の理想です。
(神の愛=イエス と置き換えてみてください。イエスが人々の支配者となり、神の国を支配することになりますね)
ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。
「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるのもでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
(ルカ17:20-21)
神の国はあなたがたの間に「ある」とイエスは教えています。
私たちが神の愛に満たされて隣人と接するとき、そこに神の国が「ある」のです。
ものみの塔が教える「王国」とは別のものです。
#7 2012年12月29日 11:31:39
- iris
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
聖書予言のトピックに書いたことを、こちらにも書きます。上の投稿と合わせて考えていただきたいからです。
キリスト教で最も大切なメッセージは、「神はあなたを愛している」ということです。
人間の目から見るとどんなに極悪に見える人でも、神はその人を愛しておられます。
けれども、神が愛であるのに対し、人間は愛そのものではありません。
神のように隣人を愛することもできないし、自分を愛することさえできないかもしれません。
神から離れ、隣人(や自分)を愛せない状態を、罪といいます。
神は罪とはかかわりのない方です。ですから人間が神と親しく交わるには、罪のない状態でなければなりません。
しかし人間は自分の力で罪をなくしたり、ゆるしたりすることはできません。
神の恵みによって、キリストを信じることで罪をゆるされ、神との親しい関係に戻ることができる、というのが新しい契約でありキリスト教の教えです。
そして、二度と神から離れることのないように、神を愛し隣人を愛しなさいと勧められているのです。
「神の国」は、イエスの教えのポイントとなる言葉ですが、聖書の中でイエスが神の国について説明している部分はたとえが多く、
非常にわかりにくい表現になっています。私は、当時のパレスチナがローマ帝国の植民地であったという事情によると思います。
実際、イエスの弟子たちもイエスが殺されるまで、神の国とは何かを理解できていませんでした。
そのわかりにくさが、ものみの塔の独自の「王国」の解釈に繋がっているのではないでしょうか。
もんもんさん、ものみの塔の解釈を離れて、私の説明を当てはめながら、聖書を読んでみてください。
今までとはまったく違う世界が見えると思います。
その結果、キリスト教の教えも捨てたもんじゃないと思うか、ものみの塔の教えの方が正しいと思うかは自由です。
エホバの証人研究さんにも、通常キリスト教とよばれる宗教の教えと、ものみの塔の教えとの違いを考えていただきたいと思います。
#9 2012年12月29日 20:02:42
- ray
- メンバー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
skさん、救いについて書いてくださり、ありがとうございます。
全人類が新しい契約に招待されているという点、良く理解できました。
一方irisさんの次の御意見もよく理解できます。
>ものみの塔が教えるように、この世の苦しみの責任をすべてサタンに押し付けて辛い現実から目を背け、
>「世」から離れることだけを考えて人生をやり過ごそうという姿勢では、生まれてきたことの意味が見出せません。
>誕生日を祝いたくないのも道理というものです。
>聖書にある神の国とは、神の愛が支配する状態を言います。
>神の愛がすべてを支配するようになるときが、神の国の完成のときです。
irisさんは神の国はどのように、いつ来るとお考えでしょうか?私のような一般人にも御説明いただければ幸いです。
オフライン
#10 2012年12月29日 20:51:14
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
SKさん、ありがとうございます。
>毒りんごの99%は毒ではありません。
白雪姫でしょうか?それを云われるのでしたら、りんご全体に毒が染みているのでどこをかじっても死んだ
話でしょう(笑
すみません。さて
>わたしがここで提供する聖句に基づく推論を読まれる際、ご自分で聖書を確認なさり自ら真偽を吟味して下さい。
また、他の人の推論や主張はそれなりの参考になると思いますが、そんれによって動揺する必要はありません。 納得できれば、それによって思いを調整すれば良いだけのことです。
このようにして得た理解や確信は、情報の提供者、いわゆる真理の経路からのものではありません。
あなたの思いに働く神の霊によるものです。
コリント第一 3:7
7 ですから,大切なのは,植える者でも水を注ぐ者でもなく,成長させてくださる神なのです。
超然としてますね。
結論及び似たような聖句の列挙。「これらの聖句は
神の霊が働けば(あなたの心が正しければ)理解できるでしょう」
聖句を多数引用すれば真実かのような文章。ものみの塔の書籍などに
に感じる超然とした霊を彷彿させます。
気を悪くされたでしょうか?私の素直な感想です。お許しください。
それでも私は目が悪く時間がないのです。命を削るように書き込んでいます。
聖句引用はご自由ですが、その聖句を確信するにいたる経緯が
普通あるはずです。テサロニケ第一5:21
>他の人の聖句に基づく推論を吟味してください。
真理の発見の過程で恐れるものはなにもありません。
と述べておられますのでSKさんの推論を述べていただきたいのです。
SKさんご自身の信仰の告白、真摯なご返信を希望しています。
(再質問)
サタンという存在について再確認の意味でお尋ねしますが、神の創造した天使(御使い)がサタンに成った原因は
どこにあると理解しておられますか?
やはり「宇宙論争を聖書の主軸とする」JWと同じような自由意志の行使と神の権威への妬み(傲慢など)でしょうか?
#11 2012年12月29日 21:06:46
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
加えまして、以下も同様に明確にお願いします。
真の崇拝者だけが救われるのでしょうか?
訂正→真のクリスチャンだけが(天であれ地であれ)永遠の命を受けるのでしょうか?
#13 2012年12月29日 23:07:01
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
>ヨハネ 10:26-27
26 しかしあなた方は信じません。わたしの羊ではないからです。27 わたしの羊はわたしの声を聴き,わたしは彼らを知っており,彼らはわたしに付いて来ます。
>誰かが、わたしの挙げる聖句と推論により神の目的の理解を深め、神や、キリストの到来への信仰を強化することを願っています。
>akame さん、あなたは既に自分が、あたかも誠実な質問をしているかのよに見せかけた「あざける者」であることを公に示しました。そして実際には聖書のことばに関心がないことを自ら「聖句を多数引用すれば真実かのような文章」というような表現で明らかにしました。あなたは、それらを調べることもしないでしょう。
>あなたは提供される聖書のことばに関心も敬意も示していません。
まるでイエスの時代のパリサイ人のようです。
SKさん、あなたは何者なのでしょう?
その気短さ、排他性が真のクリスチャンのしるしでしょうか?
#17 2012年12月30日 07:48:35
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
JW研究さん、皆さんおさがわせして済みません。
余計なことを述べ仁義にも欠けました。
>JWより優れた答えを持っているということなのか、それとも
さすが洞察が鋭いですね。確かに私なりに持論があります。
しかしそれをいきなり出してもひかれるだけと思っていました。
ネット世界は言葉が数倍に増幅されますし、優れているかどうかは
私にはわかりません。「そうかもしれない」と思う程度です。
それを確認したい気持ちもあり書き込みをはじめました。
私の半生は、なぜ神がいるなら世界は苦痛に満ちているのか?を探ることで
あったと言っても過言ではありません。
宗教遍歴をしました。今でもその探求は終わっていません。
答えを知りたい気持ちは既に孫もいる身ですが一向に衰えず、このサイトに来ました。
>しかしカトリックもプロテスタントも、世界の不公正さに関して、代わりになるような教理を
提示しているわけではありません。
私も両方の門を開いてみましたが(私にとって)論理的で十分な答えはありませんでした。
しかしJWの宇宙論争はその答えを持っていると感じて数十年在籍したと思っています。
多くの嫌なことを忍ぶ主な動機にもなっていました。
その後紆余曲折があり組織を出て全く白紙の気持ちで聖書研究にも没頭する日々でした。
様々な学者の本を読んだり、メールでのやりとりもずい分しました。
そこで聖書自体が絶対的な神のことばではなく(多くは勧善懲悪の比ゆ、科学的な裏づけ乏しく、
ノア洪水などは典型)
また、カナンの地での女子供などの虐殺を命令する神、何千という動物の血の犠牲に酔う創造神。
JWなどはそれを薄めようと色々手を尽くしますが、自分に従わなければ殺すという恐怖政治そのものです。
サムエル第一15:3 そんな神を人は本当の意味で愛せるものでしょうか?
新約でも結局は似たようなものです。信仰がないなら滅びです。黒か白の世界です。
マタイ7:13、ヨハネ3:36
自己の宇宙主権の立証が最優先の神を本当に人は愛せるものでしょか?
しかも手段は脅迫にも似た手法が真の勝利、立証といえるのでしょうか?
そして創造神の特性を自然観察から探ると「愛の権化」でもないことも気付きました。
そして右か左かではない世界です。
又続きをお話します。失礼します。
#18 2012年12月30日 08:48:23
- iris
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
rayさん
お声掛けありがとうございます。
私もrayさんにお返事しようかと思っていたのですが、私のコメントをご希望かどうかわからなかったので遠慮していました。
>子供のような無力な存在が命を失う時、その子供や残された家族にどんな希望があるのか、どう説明したらいいのか考えてしまいます。
>彼らの救いはどうなってしまうのでしょうか?
これは、亡くなった子どもや遺された家族にどんな希望(=救い)があると聖書に書かれているか、という意味でしょうか?
それとも、聖書に根拠があるかどうかにかかわらず、そのような人にどのように接したらよいか、ということでしょうか?
>私のような一般人にも御説明いただければ幸いです。
これは、「一般のエホバの証人」ということでしょうか? それとも単なる「一般人」でしょうか?
背景によって説明のしかたも変わってくると思いますのでお尋ねしています。
私もカトリック信者として信仰を大切にしてはいますが、聖職者でもなんでもない一般人です。
#19 2012年12月30日 09:21:31
- 浜田朋尚
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
議論の横入り、失礼します。
「この世界はなぜ苦痛に満ちているのか」という問いは、とても重要なものだと思います。
しかし、聖書の価値は、
「この苦痛に満ちた世界を終わらせ、自らの手で(兄弟たちと共に)苦痛のない世界を創る」と、イエス・キリストが宣言しているところにあるのではないでしょうか。
イエス・キリストの宣言。そして、約束。
それは、信じてよいものなのでしょうか。
私は、信じたいと思うのですが。
#20 2012年12月30日 10:02:30
- ゲン
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
>カナンの地での女子供などの虐殺を命令する神、何千という動物の血の犠牲に酔う創造神。
akameさんと同じようなことを感じていました。
申命記24:16には「父は子供のゆえに死に処されるべきではなく、子供もまた父のゆえに滅ぼされるべきではない。各人は自分の罪のために死に処される。」とありますが、ダビデの姦淫によって生まれた子は神に殺されました。また、ノアの洪水やソドムとゴモラの滅びも親の責任で多くの子供たちが滅ばされました。
つまり、聖書の神は自らの律法を守っていないということになるのではないでしょうか。
#21 2012年12月30日 11:40:00
- カレブ
- Administrator
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
akameさん お返事ありがとうございます。
状況がわかり、すっきりしました。
探求が続いているということなので考えを公表するのに躊躇される
かもしれませんが、よかったら考えの途中経過などお知らせください。
ここで発言されている方の多くの方(あるいは100%)は、
「JW以外は間もなくおとずれるハルマゲドンで全員滅ぼされる」
という考えが倫理として間違っていることは認識されているのだと思います。
わたしは最終的な救いについて人が何かの考えを持っている場合、
それが人道的に間違っていなかったり、人の人生を狂わせるものでなければ
無理に反対するつもりはありません。
JWがイスラエルの神の非道な行いを擁護すること自体は無害だと思うの
ですが、そこから精神的な石打ち行為や、輸血拒否というむなしい
生け贄の犠牲など、目をつぶることができない部分があるのも事実です。
オフライン
#22 2012年12月30日 13:03:29
- ray
- メンバー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
akameさん
事情を書いてくださりありがとうございます。
私もjwから、いわゆる世の人になっていますが、jw組織を否定すると、聖書の内容も否定しなければならないかのように思ってしまいます。
しかし、そうすると希望も否定して、その日ぐらしになりますし、見聞きする苦しみに対して無力感を感じてしまいます。
かといって、安易に信じたいことを信じるのも嫌ですし、ゼロから宗教を調べるのも大変で、まさに、どうしようという感じです。
akameさんをはじめとする、皆さんの意見に頼らせていただき、なんとか新しい信仰の一歩を踏み出したいと思っています。よろしくおねがいします。
irisさん
御返事ありがとうございます。
jwは神の裁きが素早くきて、復活などによって苦しみから救うと教えています。
他のキリスト教では死ぬとみんな天国にいくと教えている感じがします。
それで救われました、と思えたらいいのですが、なかなか思えません。
また、未来のいつかに救われたとしても意味があるのかなと思います。
この点に関してirisさん個人の解釈と思いを教えていただきたいのです。
わたしは元jwですが、いわゆる世の人でも理解できるお答えをお願いします。
オフライン
#23 2012年12月30日 19:41:42
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
#24 2012年12月30日 20:51:11
- もんもん
- メンバー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
irisさん
>「実際の命の救い」とはどのようなことでしょうか?
>ラザロが死んで何日も経ってから生き返ったというようなことでしょうか?
>それとも、ものみの塔が楽園に期待させているようなことでしょうか?
たとえば復活です。「終わりの日に記念の中にいるものがみな出てくる(ヨハネ5:28)」というイエスの言葉をどのようにとらえておられますか。
わたしたちエホバの証人は、ラザロの復活と同じように、肉体が復活すると考えています。
「実際の命の救い」という表現で、復活によって死から救出されて、イエス・キリストに信仰を働かせるなら、永遠に生き続けることができるということを意味しました。
オフライン
#25 2012年12月31日 10:07:30
- iris
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
rayさん
お気持ちよくわかる気がします。
私が独学で聖書を学び、神の愛を信じて洗礼を望むようになったのは、もう20年以上も前のことになります。
その後、念願かなってある教会に通うようになりましたが、キリスト教というものを信じられなくなり、いつの間にか祈ることも忘れてしまいました。
神から離れてしまうと、知らず知らずのうちに隣人も自分も愛せなくなり、よりどころを失って苦しい時期が何年か続きました。
あるとき、この苦しさは神を忘れたことに原因があるのではないかと気づいて、さらに独学で哲学や宗教を学びました。
そして私の求める信仰はカトリック教会に伝えられていると感じてカトリック教会に通うようになり、洗礼を受けて10年以上になります。
私は今、すでに救われています。神の愛を信じたときに、救われたのです。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9:13)とイエスは言っています。
神は私を心から愛してくださっています。キリストの犠牲によって神は私の罪をゆるし、私を神の子としてくださいました。
私は神から離れてさまよっていましたが、神は決して私を忘れず、神のもとに帰ってきた私を喜んで受け入れてくださいました。
私は子どもを亡くしています。今でもその子どものことを思うと涙があふれてきます。
けれども私は、私を愛してくださっている神のなさることに間違いはないということを信じています。
神の判断では、その子どもは私のところにいるよりも天の神のもとに帰った方がよかったのです。
私はいつか天に帰ったときに、亡くした子どもたちに会えることを楽しみにしています。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(一テサロニケ5:16-18)
自分にとって都合のよいことだけを喜んで神に感謝し、都合の悪いことは忌み嫌ってサタンのせいにするという姿勢は、神への信頼を欠いています。
神は私を愛している父ですから、私の身に起こることは嬉しいことも悲しいこともすべて、神が私のために与えてくださった恵みです。
>神の国はどのように、いつ来るとお考えでしょうか?
神の国はすでに来ています。
rayさんがごらんになった私の投稿の、キリスト教の理想について書いた部分をお読みください(もう読んでおられるとは思いますが)。
どこがわかりにくいかを知らせていただければ、さらに説明を試みたいと思います。
もんもんさん
>irisさんは「命の救い」が聖書の主要なテーマであるとお考えですか。「精神的な救い」ではなくって「実際の命の救い」です。
>わたしたちエホバの証人は、ラザロの復活と同じように、肉体が復活すると考えています。
カトリック教会も体の復活、永遠のいのちを信じています。
私は、もんもんさんのおっしゃる「命の救い」が聖書の主要なテーマであるとは考えていません。聖書のテーマは神の愛だと思います。