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#51 2018年03月28日 00:30:02

元信者
ゲストユーザー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

#52 2018年03月28日 11:23:37

Tak
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

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#53 2018年03月28日 12:42:56

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

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#54 2018年03月28日 13:17:32

元信者
ゲストユーザー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Takさん、誠実に答えて下さり、ありがとうございます。
こういう言い方は語弊がありますが、Takさんは良くも悪くも組織の中で、純粋培養された方なんだなと感じました。ご気分を悪くされたら申し訳ありません。
またもう一つですが、今は組織の中で信者が増えていて、新しく野外から入って来て信者になる人は、ほとんどいないようですね。
Takさんはこれからも、自分の中で組織と折り合いを付けつつ、幸せに生活していけそうです。

#55 2018年03月29日 00:26:17

iris
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

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#56 2018年03月29日 03:19:51

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

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#57 2018年03月29日 23:47:28

iris
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Jayさん、コメントありがとうございます。

ものみの塔の教えの罪深いところは、科学的事実を部分的に利用して、科学的でない主張を科学的であるかのように見せかけていることです。ちょうど、部外者の文献の一部を部分的に引用して、元の文献の主張とは別の主張に利用するのに似ています。

進化の問題であればまだよいのですが、輸血の問題で自分たちの主張を医学的にも正当であるかのように見せかけるのは許されないことです。

ものみの塔が輸血を禁じる理由は、「聖書が輸血を禁じている」と解釈しているからであり、それ以外の理由はありません。
それなのに、証人たちに輸血拒否を勧めたり、医療機関に説明したりするときには、輸血の医学的なリスクを持ち出してみたり、輸血に代わる手段が医学的に確立されているかのように主張してみたりします。
このように医学的に不正確な知識を刷り込むことは、証人たちが医師の説明を受ける際の妨げとなり、自己決定権を侵害しています。

輸血拒否を強制されて命を落とした人の「血の責任」はものみの塔の組織にあります。その責任を個人に転嫁するなど、とんでもないことです。
どうかひとりでも多くの証人が、輸血についての正しい知識を獲得できますように、願わずにはいられません。

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#58 2018年03月30日 01:43:41

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Irisさん、コメントありがとうございます。

その通りだと思います。
人間の「生きたい」という本能故の「医療手段の自由選択」は認められてしかるべきだと思います。そこを強制的に封じ込めて、命を落としたら自己責任ですます。ましてそのようなJWを模範的と賛辞し「後に続け」とばかりに煽り立てる・・・。ひどいです。

輸血を拒否することが「復活が保証される条件」ではないはずです。実際には「悔い改めなければ排斥」となるだけです。(悔い改める必要があるかどうかは今の論点ではありません。)
間も無く終わりが来るはずはない(と思う)ので、今は手の届く医療手段(輸血を含む)を受けて「生きる」。排斥になるならそれも仕方なし。で、寿命を全うすれば「死によって全ての罪は赦される」ので(もしWTの教えが真理であるならば)その後復活もあるでしょう。それでいいのでは?

それとも命を失うことより排斥を恐れるのでしょうか? 周りからの村八分を恐れるのでしょうか?

「生きて楽園に行ける、大群衆は死ぬことはない」「今ある命がすべてではない」等々の言葉が複合的に働いた結果、今ある命を軽視するように洗脳されているのでしょうか・・・。それでいのでしょうか?

とはいえ、輪廻を信じ今を生きる人たち、現実社会から自らを隔離し修行する人たち、即身仏となることを選ぶ一部の人もいるわけです。「信仰と信念によって自分の命をどう扱うか」は自由なのかもしれませんし、それを含めて「宗教」なのかもしれません。でも、命を左右することで強制するのは絶対に違うと思います。

JWはこうした議論においては「自分たちも信仰と信念によって決定している」というかもしれません。果たしてそうでしょうか? 子供や若い人たちは信仰と信念を持っているとは思えません。どう考えても犠牲者だと思います。

もしWTが「10代20代でのバプテスマは禁止。30代以降のバプテスマを勧める。それまでは研究生とし、何ら会衆からの圧力を受けることはない。自由選択と自己責任においてバプテスマを受けたいと本当に思えたときにのみそれを認める。それまでは退会の自由が保証される。」とすれば色々改善されるかもしれません。でもWTとしてはビジネスモデルが破綻してしまうでしょうね。

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#59 2018年03月30日 17:03:51

Tak
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

みなさんこんにちは。こちらは桜がいよいよ満開に近いですね。みなさんのところはいかがですか。

#59,60 のコメントで信仰のことが話題になっていました。

よく集会や出版物の中でエホバに全幅の信頼を・・・というときに、ではなぜエホバにより頼むのですかというとそれはエホバに「信仰」を持っているからと答えると思います。これは説明として正しいと思います。信仰を抱いているから、信仰を根拠にしているから崇拝できるわけです。

でもヘブライ11:1の聖句を信仰の定義という風にして当てはめてからどうも話がおかしくなってきたと思います。しっかりした信仰を持ちたい気持ちもわかりますが、いつのまにか「エホバ」への信仰から「科学」への信仰に変わったような気がします。

エホバが創造者である証拠は~といった科学的証拠からしてはっきり理解できます。といった表現を聞いても誰も?と思わないようです。

聖書が科学的にも正確ですよと科学的な例をあげて証言するときもみなさん自信満々です。これではエホバへの信仰を教えるのではなく、あまり科学を勉強していない、でも「科学」に信仰を持っている人たちが「科学」に比較的信仰を持っている人を探しているように見えます。

もちろん科学に信仰といってもそれは自分たちにとって都合のいい部分の科学です。進化論の「し」の字でも出て来たらなにか遅れた科学かサタンの呪いのように全否定です。困ったものです。

私は科学的事実と信仰心は十分に両立できると思います。自然に対する畏敬の念や草葉の陰から見守っているといった日本人的感性はとても共感できます。科学的事実は関係ありません。

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#60 2018年03月30日 17:34:16

Tak
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

輸血について

アメリカ発のJWなので医療に対する見方も日本とはずいぶん違うと思います。

以前に無輸血治療のビデオが扱われていましたが、あれを見たときにきっとこの兄弟たちはアメリカでもお金持ちだったのかなと思いました。高額の保険に入っていれば患者の望む治療を受けることができるのがアメリカという国です。では貧しい兄弟たちはどうなるのでしょうか。

また無輸血治療の実績は軍関係の機関も関心があります。戦地の最前線で役に立つ技術です。いいお客さんですね。

日本でも輸血学会がガイドラインを示して、それに基づいて各病院もJW対策しています。絶対的拒否や相対的拒否といった言葉もあります。このように日本社会では輸血拒否というJWに対しても冷静に対処しようという流れが見られます。でも日本のJWは現在日本の医療機関が公式に発表している内容をどれほど教えられているでしょうか。最近はむしろ輸血のことはあまり言われなくなっています。「輸血について・・・」という表現でなく「ふさわしい医療措置」という言葉でしか書かれていません。

それこそ生きるか死ぬかという究極の選択が関係しているのに、そのことについての最新の正しい情報までが制限されているのはとても不誠実なことだと思います。

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#61 2018年03月30日 23:43:38

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Takさん、

私も科学的事実と信仰心は十分に両立すると思います。
科学的事実が先行すれば科学技術に対する信仰となると思いますが、それもまた一つの信仰でしょう。いわゆる宗教の信仰心が先行し、(たまたま)科学的事実が後追いしたとしてもそれもいいと思います。

ただし「科学的事実の後追い」「後付けの論証」を前提とした宗教は難しいでしょうね。特にまだ論証できていないものをあたかも事実かのごとく主張した上での宗教主張はいかがなものでしょうか。しかも「論証不可能ということが論証」されたとしてもそれを無視し、頑なに主張を続けるのは滑稽にさえ見えてしまいます。(これがWTのヘブライ11:1でしょう。)

そもそも信仰心というものは人間の本能的なものの一つだと思います。なので場所は違えど、その風土や環境・文化によって違いこそあれ信仰心は多種多様に存在します。一例として、日本には「八百万の神」という考え方があります。ではそれらの神々は明白に論証されているでしょうか?否でしょう。でも確かに信仰心はある。それも日本の文化の一面です。なので、信仰の対象は全て論証され証明される必要は必ずしもないのだと思います。「分からない。説明できない。」ものに対しても成立するのもまた信仰心ではないでしょうか?「分からないからこそ信仰」であるのかもしれません。

それを考察するのが宗教論や宗教学なのかもしれませんが、信仰の対象を解明しようとするのはナンセンス(というかそもそも不可能)であるとするなら、宗教学は「考察するための場」(それ自体を否定はしません)であり、その核となるのは「なぜ人間は信仰心を持つのか?」という心理学なのかもしれません。そしてこの心理面考察の副産物が「本能に基づく信仰心を利用したビジネスモデル」という可能性はあります。

純粋な目と思いで周りの事象を観察し畏敬の念を覚える、それに対して生まれるのが純粋な信仰心。自分の存在の小ささを認め謙虚な気持ちになり、感謝の念を示したいと心が動かされた時に生まれる思いこそが信仰心の根本かもしれません。(あくまで私見です。宗教学者に言わせれば的外れかもしれません。)

ご利益主義や恐怖感をあおることによって生まれるのは信仰心ではないと思います。自分にメリット(ご利益)があることを期待した打算的な考えと行動、恐怖感を持った時にそれから逃れたいという回避手段をこうじる、それだけです。

これって本来あるべき信仰心とは似て非なるものだと思います。

私が以前に書いた「復活を含めたWTの教えにギャンブル的に乗っかった」のはまさに「自分にメリット(ご利益)があることを期待した打算的な考えと行動」なのでしょう。なのでこの論理からすると私は「信仰心など持っていなかった。」ことになるのでしょうね。要するに「心は動いていなかった」ということです。故に、ディ−ラー(WT)がルール(教えと主張の詳細)を変えてきたりイカサマ(嘘)を行ったと感じた時に、そこから離れ(ゲームから降りる)イカサマを指摘してやろう、という思いになったのでしょう。

編集者 Jay (2018年03月31日 02:01:02)

オフライン

#62 2018年03月31日 00:20:48

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

編集者 Jay (2018年03月31日 05:42:31)

オフライン

#63 2018年04月02日 21:26:17

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

このフォーラムの皆さんの言葉によりある程度の冷静さを取り戻すことができ、思うところを色々と書かせていただくこともできています。ここに改めて感謝いたします。ありがとうございます。

先日の「メモリアル」にはもちろん出席しませんでした。言うまでもなく家内は出席しています。

で、日曜日にまた二人でじっくり話し合いました。ポイントが多岐に及ぶ複雑な話となりましたが、要旨は
「貴女が僕と同じく不活発になることを厭わず、まずは夫婦関係をもう一度立て直したいと思ってくれるのであれば、僕としてはもう一度夫婦関係の修復に向けてトライする思いはある。」
「そうでないなら・・JWと一緒にいることはやはり苦痛を感じるし、ここまで心が離れてしまった状態を(今の生活を現状のまま継続しながら)元に戻すのは難しいと思う。できる自信はない。」
「貴女との離婚をただシンプルに望んでいるというわけではないけど、正直に言えば離婚などしたくはないけど、もしかすると不可避なのかもしれない・・・もう解放してほしい。」
「そのあとは生きるも死ぬも、すべて自由だから。」
というようなものでした。

その夜の夢に数年前に死んだ母が出てきて、また別の複雑な思いが絡みつくようになっています。寝ても起きても苦しい状態が続いています。そして翌朝、その思いを夢の説明と共に家内に伝えました。「死者のメッセージ」ではないと思いますが、このような話に家内がどう反応するのかも知りたいところでした。

極端に聞こるかと思いますが「自らの絶命」も考えています。その方法もネットで調べています。なぜそうなるのか?というツッコミはあるでしょう。でも決して短絡的な思いではないんです。悩んで苦しんで・・・今そうなっています。あえて客観的な書き方をするならば、「WTとJWは人をそこまで追い詰める。」ということです。

信仰や輸血等々、私の考えに関して色々そして長々と書いてきていますが、心の状態はこんな感じです。

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#64 2018年04月02日 23:29:49

てつてつ
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Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

編集者 てつてつ (2018年04月02日 23:35:03)

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#65 2018年04月03日 00:57:56

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

ここ数年で母をガンで亡くし(最後の数週間はいわゆる自宅ホスピスで私が実家で世話をし、私と訪問看護師の二人で最後を看取りました。)そしてほぼ同時期に兄弟を自殺で亡くしています。(自殺遺体の第一発見者は私でした。)その半年後、鬱病になりました。薬も処方され1年ほど服用しましたが、薬に依存し続けるのは嫌だったので主治医に相談し、自己モニターしつつ段階的に薬をやめました。特にその前後に大きな心的変化は感じませんでしたし「死にたい」と思うことも特にはありませんでした。いずれにせよ「鬱と薬を処方されることは経験済み」です。

その時に感じたのは、鬱を経験していない医者に「あなたは鬱ですね、薬が必要です。」と言われることへの強い違和感でした。医学書からの知識だけで「何がわかるのか?」という憤りもありました。うまく言えませんが・・・。まあ医者とはそういうものであることも当然ながらわかってはいます。医者には何ら責任はありません。でも心はそう感じました。

今の状態は鬱ではないと思います。自殺を望むものが皆鬱病を患っているとは限りません。正確に自己分析や自己診断することは到底無理でしょうが、今は「怒り・絶望・不安・後悔・混乱」等が自分の中で渦巻いている感じです。そして本来であれば助けや支えになってくれるのであろう妻がこうした思いの主要な原因となっている・・・。本心では離婚はしたくないが、現実には離婚以外の「脱出策」はなさそう。出口のないループ&スパイラルで、どう転んでも・・・苦しい明日しかないようです。

死にたいと思ってしまうが、同時に「死にたくない」という心の声があるときに薬は助けになるのかもしれません。ですが、本人は本当に死にたいと思っていて周囲の者も手を差し伸べようとはせず本人がただ孤立している場合、病院へ行くというのはなかなか難しいものです。

以下、蛇足を承知で・・。
こうした状況の中でのJWは極めて冷酷ですよ。聖書を開いて何かの例を話されても仕方のないことですし。「信仰が足りない」と言われても何の発奮材料にもなりません。これらはかける言葉の術をなくした時のその場しのぎのゼスチャーでしかありません。JW達はは立派なことを言っているつもりなのでしょうが、その言葉には全く力がないばかりかむしろ「他人事」としか思っていないことが浮き彫りになるだけです。

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#66 2018年04月03日 04:05:47

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

自殺について今日も調べていました。実家の家族も自殺したので自殺がどれほど残された者に心痛を与えるのか身を持って知っているつもりです。その点を考えると思いが揺らぎます。また遺体の処理を含む事後処理などを考えると、少なくとも人目につかないところでひっそりと、と考えてしまいます。「樹海」・・?

自殺は自分本位で自分のことしか考えていない者のすること、とありました。その通りかもしれません。死んだと思えば何でもできる、とも言いますよね? 死んだと思えば心身の苦痛も我慢できるということでしょうか? JWとの心通わぬ同居も平気になるのでしょうか? 「心頭滅却すれば火もまた涼し」なのでしょうか?

文字通りの死は多く人の迷惑になることを考えると、「心頭滅却・・・」の精神でJW(家内)との心通わぬ同居も全て受け入れてみようか、達観するが如く残りの人生を受け入れてみようか、とも考えています。結果として相手の思う壺にはまるようで悔しさもあります。でも「死んだ」と思えば可能なのかもしれません。感情を働かせるから腹も立つ、悔やみもする、悲しさも覚える。もし感情に蓋をして鍵をかけて生活をすることができれば、と思います。

JWでない(もしくは脱塔した)ご主人でJWの奥さん(逆の場合もあるでしょう)をお持ちの方、もしこのメッセージをお読みでしたら「どのように気持ちを整理して日々を過ごしておられるのか」教えていただけないでしょうか?お願いします。ただし「自分は相手の宗教信条の自由を認めている」というのではなく、「できればやめて欲しい。」と思っておられる方のアドバイスがぜひ聞きたいです。

迷ってますね・・・情けないです。

もし達観生活・達観人生を選択したとして、果たして「生きててよかった」となるのでしょうか・・。それとも皮肉的選択肢ですが再度JWに逆戻りしてみる・・・、まさに文字どおり残りの人生を賭けてみる、ということもありなのでしょうか。それこそ自殺行為? でも家内の人生に寄り添うことが表面上は可能になりますが、「心を込めて、思いを込めて・・・」とは裏腹の偽JWですけどね。。

果たして「死んだ」と思えば本当に何でもできるのでしょうか?

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#67 2018年04月03日 06:01:51

てつてつ
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

jayさんこんにちは とりあえずはお医者さんに通った経験があるとのことで良かったです

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#68 2018年04月03日 12:46:35

元信者
ゲストユーザー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

#69 2018年04月03日 13:08:15

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

元信者さん
JWへの反発と離脱がそのまま自殺願望(?)に結びついているわけではないのです。もちろん全く無関係でありませんが・・・でもそんなシンプルな話でもないんです。かと言って私の歴史の全てをこの場でお伝えするのは到底無理なことなので・・・。中途半端なことを書いてしまい申しわけありません。

気が済むか済まないかではないです、自分の中で処理できない思いと事柄が雪崩のように覆いかぶさっているのでそこから逃れる術として、です。自殺なんて回避できれば一番いいのですが、正直まだ分かりません。

こうした思いになったのは自分の弟の自殺を間近に経験したことが大きいと思います。自殺というオプションを身近におくことができてしまうようになった、と言えばいいでしょうか・・・。今日も家内と話し合いました。自殺も考えているというのは家内も重々承知しています。

このフォーラムは「自殺相談フォーラム」ではないのでこの話題は引っ込めます。重くなってしまってすみません。

オフライン

#70 2018年04月03日 15:30:55

Tak
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Jayさんこんにちは
コメントを見て心が揺れ動いている様子がよく分かります。私もてつてつさんと同じ心配をしていますが、以前に病院にいったことがあったということで、ご自身でも客観視できているようで少し安心です。

今年は3月から急に暖かくなったりそして木の芽時ということもありますし、Jayさんのコメントが深夜~早朝にかけてされているのも正直気になりました。両極端の考えをあげてその中庸を探りながらきっと悩んでいるのだと思います。

私はJayさんのようなつらい経験をしたことはありませんし、どうしたらよいかという答えも分かりません。ただJayさんのコメントから感じられるのは、JayさんがJWから距離を置いたり一切排除しようと努力していながらJW的な「考え方」から抜け出せないためにとても苦しんでいるように見えます。考え方なので、何かを物理的に排除したりJWである奥様と別れたりJWに逆戻りすることとはまた別のことかなと思います。別と言うのは関係ないという意味ではなく、あえて分けて考えると言う意味です。

ところで、私は動物を見たりきやっきゃと楽しそうにはしゃぐ子供を見ているとほのぼのとします。なぜなのかと考えてみると、彼らは過去を気にせず未来を考えず、「今」を生きている(楽しんでいる)からなのだと思いました。自分に当てはめると、過去を悩み、将来を嘆き、気がついたら今を意識しないといういかにも現代人の頭でっかちな思考に気づきました。それで元気がないときはまずそのときをやり過ごし、落ち着いてから「今」を意識するようにしました。

これはJayさんがそうだと言っているのではありません。このことは現在JWである多くの人たちが共通して持っているJW的な考え方に通ずるひとつの例になるかなと思ったわけです。
例えば「ただ食べたり飲んだりしよう。明日は死ぬのだから」という聖句から

      世の人は好き勝手に生きている。でも自分達は・・・・だから立派だ。

と当てはめてみたりします。でも厭世的な態度で生きていることと、一度きりの人生を後悔のないよう精一杯生きるのとは全然違うことだと思います。むしろ過去の罪を常に意識させ、将来の希望のために現在の生活を犠牲にする生き方のほうがより厭世的だと思います。「今」を生きていないからです。

これが最善だと信じて一生懸命取り組んでも根本の考え方に問題があると人は大いに苦しむことがあります。がんばればいいというわけではないと思います。大げさに言えば生まれ変わるほどの変化も必要なのかもしれません。そして世界が今までとは違って見えるようになって初めて問題に取り組めるのかなとも思います。

Jayさんがこうだとかこうしたらいいとか言うつもりはありません。今書いたことはあくまでも一例です。Jayさんが何か感じ取ってくれるならうれしいです。

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#71 2018年04月03日 16:57:21

エホバ松蔵
ゲストユーザー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Jayさん、だいぶお疲れのようですよ。

エホバの証人の奥様との話し合いは消耗するだけで、明確な結論は出ないでしょう。徒労感がのこるだけです。

奥様はかわりません。Jayさんも奥様に対する未練はすっぱり断ち切りましょう。

さっさと次のステップに進むのです。こうなっては、家を出るなり、追い出すしかありません。

しかし、今はそのようなエネルギーがなくなっているようですね。

こんな時は、死は安らぎであり、救いです。特に近親者がなくなっている場合は。

いろんな人がいろんな意見を言います。しかし、Jayさんの人生を決めるのは、Jayさんしかいません。どんなものであれ、Jayさんの決断を尊重しますよ。

#72 2018年04月03日 19:02:01

袋小路
ゲストユーザー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

私は別に止めません。
ですが、
jwをやめてその結果が自殺だなんて、jwが喜ぶだけでは?

#73 2018年04月03日 19:51:49

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

皆さん、いろいろなお言葉をいただき嬉しいです。ありがとうございます。
一つずつコメントさせていただきたいと思います。

オフライン

#74 2018年04月03日 21:01:08

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

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#75 2018年04月03日 21:17:04

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

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