#76 2017年01月10日 22:30:19
- KAO
- ゲストユーザー
Re: ナザレのイエスは神の子か の本について
てつてつさん
今日仕事帰りにキリスト教書店に寄って『ナザレのイエスは神の子か』を買ってきましたよ。最初「いのちのことば社」のコーナーに行ってみたら全く見当たらず、2200円のはずがアマゾンで3800円になっていたのを思い出して版元品切れと悟りました。ところがそこのキリスト教書店は小さいですが3分の1ほどは古書のスペースで、そこに行ってみると・・・ありましたよ!! 「エホバだわ~!」と思いながら手に取って見ると2500円!
少しばかり色つけてありましたが、アマゾンより安いし送料もかからないので、結局中身を見ることもなく買いました(笑)。結構厚い本なので立ち読みはやめて家でゆっくり読むことにします。
コレ、2004年に出て私のは2010年の8刷なので結構売れてますね。ただし古本も数多く出回っているということは、愛読書とはならず、サラッと読んで手放す人も多いということでしょうか?
これから年度末かけて、大縄大会、ドッチボール大会、学芸会と行事が続くので、少し時間ができてから取り組むことにします。
#77 2017年01月10日 23:42:17
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: ナザレのイエスは神の子か の本について
ほー結構売れてるんですね
お疲れ様です
#80 2017年01月11日 23:58:51
- KAO
- ゲストユーザー
Re: ナザレのイエスは神の子か の本について
てつてつさん
いやはや、たった一晩で見事なまとめ具合ですね! 教師根性で評価を付けさせていただくと、リーディングレポートとしてはAをあげてもいいんじゃあないでしょうか?
私は今にして思うのですが、高校出たての現役生に神学校の勉強は10年、いや20年は早かったと思っています。社会に出て様々な経験をしてから、当時読んでもよく理解できなかった本が、ようやく理解できるようになってきたと実感しています。自分の経験と結びついてきたと言ったらいいでしょうか。ここに集う元JWの方々が、情報統制下にあったこれまでの分を取り戻す勢いで情報を集め、乾いた大地が雨水を吸い込むように吸収してゆく様は、神学校6年間のカリキュラムを、わずか1~2年で修了しているようにさえ思います。私もまた学ぶ意欲が湧いてきました(割ける時間はもうありませんが・・・)。
組織は高等教育を否定しますが、「資格」を問わないのであれば、大学など行く必要もないのだなとさえ思います。書物を批判的に読み、こういった場で討論を積み重ねれば、あらゆる方向に地平が広がってゆくでしょう。
組織は信者の思考を狭い範囲に押し込め、隷従させていこうというのでしょうが、それがエホバの意図であったはずはありませんね。
実は、神は命の木の実を食べてほしかったからこそ、そんな物を楽園のど真ん中に置いたんですよ。おまけに、食べたくなるようにわざと「それだけは食べちゃダメ」なんて言っています。
まともな親なら、子どもがどういう行動をするか判ろうというものです。
#83 2017年01月12日 17:31:12
- てつてつ
- メンバー
Re: ナザレのイエスは神の子か の本について
元証人さん こんにちは 岩は嘘をつかないちょっと読んでみました これがめっぽう面白くて古代から現代間でのノアの大洪水の記述をめぐっての論争や それと地質学上の証拠や解釈とどのように関係していたか よくわかりました 他にもギルガメッシュの洪水伝説の発見の様子 ミズーラ洪水なども意味が分かりました どうもありがとうございました
ちょっと興味深かった点です
39-40ページ
グランドキャニオンを登り切った。頂上の縁に佇むと、失われた山脈、浅海や深海、海岸林、風の吹ぎすさぶ砂丘、サンゴ礁など、一日かけて登ってきた太古の世界が脳裏を去来した。谷底付近に散見された単純な生き物は、頂上付近に見られた複雑なサンゴ礁の生物群集と著しい対照を成していた。生命誕生の時代まで遡る谷底の岩から、恐竜以前に存在した頂上付近の岩に至る地質時代をめぐる大旅行を通して、私は太古の山地や海の栄枯盛衰を垣間見てきた。グランドキャニオンの壁面が頂上に至るまで完全な岩石であるということは、堆積していた砂や泥が上からの圧力で凝固し、その後、岩の層が侵食作用によってすべて削り取られてしまったことを裏付けている。現在、私たちが目にしている世界が現れる前にも、数多くの世界が現れては消えていったのだ。一度の洪水がこれだけの岩石を堆積させ、その直後に岩を削ってグランドキャニオンを作り出したという説に反論するために、わざわざ千数百メートルの断崖を登る必要はない。家庭でできる簡単な実験でわかることだ。魚を飼うガラスの水槽に水を張って、粉末粘土と砂と小石をいっしょに入れると、大きな粒子や重い物質は先に沈み、下から小石、砂、粘土の順に堆積する。さらに、その上から同じ大きさで色が異なる石か砂を入れると、カラフルな堆積物ができあがる。石や砂を入れるごとに色を変えれば、堆積層を色分けすることができる。グランドキャニオンの壁面に露出している幾重にも重なった岩石の層は互いに色や粒の大きさ、組成が異なるので、一度の洪水の間に堆積したはずがない 今回の旅で印象に残ったのは、グランドキャニオンの壁面に残されていた化石はどれも絶滅してしまった生物のものだということだ。こうした生き物がノアの洪水によって千数百メートルの岩壁に埋められたのであれば、その中に現生の動物がいないのはなぜだろうか?化石の大部分が絶滅してしまった生き物だという事実は、ノアがあらゆる動物のつがいを救った大洪水で化石ができたと主張する者に根本的な問題を突きつけている。さらに、グランドキャニオンの「ノアの洪水起源説」が直面している致命的な問題は、タピーッ層やココニノ層などで見られる砂岩や、足で蹴ると簡単に崩れたブライトエンジェル層のような頁岩は、ムァヴ、レッドウォール、トロウィープ、カイバブ層などの石灰岩とは形成される条件がまったく異なることだ。石灰岩は、サンゴや貝、微細な有孔虫のような炭酸カルシウムを豊富に含む生物が死に、その遺骸の殻や骨格が海底に堆積し、適当な温度で長時間、十分な圧力をかけられるとできあがる。こうした石灰岩のもとになる生物は成長するのに時間を要するし、濁った水域には棲めない。生物に由来する石灰岩の層と、濁った水域で土砂が堆積してできる砂岩や頁岩の層が幾重にも重なった地層が、一度の出来事で生まれるはずはないのだ。異なるタイプの岩石層が幾重にも積承重なったグランドキャニオンの壁面は、環境の変化や出来事が幾度となくくり返されてきたことを物語っているのである
133-5 ページ、マンモスについて
ある日突然にその水があふれ出してノアの洪水を引き起こし、熱帯の動物の死骸がシベリアまで運ばれたというのである。北半球の生き物が南半球で発見されることはなかったが、ゾウ(マンモス)は高緯度地方の礫の堆積層から幾度となく出土していた。マンモスの死体はたいてい単独で発見されることを(そしてかなり毛深いことも)知らなかったカーワンは、ゾウの骨が山積みになっており、それは押し寄せてくる洪水に立ち向かうためにゾウたちが集まっていたからだと思い込んでいた。一方、シベリアの堆積物の中から、ライオンやシマウマ、キリンをはじめとするアフリカの動物の骨が出土しないという不可解な事実には、まったく目を向けなかった。
.......また、教授はシベリアのマンモスの問題も取り上げて、骨が見つかるのは常に土壌や沖積堆積物の中で、その下の岩石層ではないことに言及している。当時の書き方に従って、しばらくはとりとめなく書いた後、カーワンの洪水観を一刀両断に斬り捨てた。
シベリアで発見された化石骨に関する事実を注意深く考察すると、遠い国から運ばれてきた外来の生き物とする説には致命的な欠陥があることがわかるだろう。……インドのガンジス川やブラマプートラ川のほとりで餌を食べていた動物が、大洪水でダッタンの砂漠やアルタイ山脈を越えてシベリアの平原まで押し流され、レナ川の泥に埋められたと考えられるだろうか?百歩譲って、この奇抜な説の難点がすべて取り除かれたとしても、世界の最高峰がある険しい山脈を越えて、三○○○キロを超える距離を引きずられてきた動物の死体がバラバラにならないだけでなく、皮や筋肉も失われていないことは不合理の一言に尽きる。
225-6ページ
炭素年代測定法でマンモスの死体の年代を測定した結果は、洪水地質学の信奉者に
深刻な問題を突きつけた。四万年以上前に死んだものや、死んでから一万年に満たな
いものなど、死体によって年代が大きく異なったのである。マンモスは一斉に死んだのではなかったのだ。この測定結果は、マンモスは一度の天変地異で死んだという説を覆すものだった。福音主義者はこうした調査結果をどのように受け止めたのだろうか?多くは放射性炭素による年代測定の結果を受け入れて、地球は古く、洪水は局地的だったという可能性を認めたが、洪水地質学と若い地球説を信奉するファンダメンタリストは、事実を示して反論することも、聖書を解釈し直すこともしなかった。彼らはただ、信じようとはしなかったのである。
しかし、創造論者にとって、マンモスの問題はこれで終わらなかった。洪水で命を落としたのならば、すべてのマンモスが溺れ死んだはずだが、個体によって死因が異なるのだ。年老いたゾウが死を迎えたとぎのように、腹をつけ、足を前へ投げ出した姿勢で死んでいる個体や、永久凍士を踏承抜いて穴に落ち込んだもの、あるいは湿地にはまり込み、抜け出せなくなったものなどがいた。マンモスの冑の中から発見されたコケや草本類は、死体が発見された場所の周囲数百キロ内に自生しているものだった。マンモスは創造論者が主張するように、熱帯地方から洪水で運ばれてきたのではなく、死体が発見された場所の近くで暮らしていたのだ。マンモスは大規模な天変地異で絶滅したという主張は、二○世紀の科学的検証でことごとく否定されてしまったが、創造論者は気づいていないようだった。
229ページ
堆積岩の年代は新しいとする説があるが、それを否定するもっとも単純な根拠がある。テキサス州の西部やミシガン州には、水が蒸発した後に残された石膏(硫酸カルシウム)が堆積してできた分厚い蒸発岩層が見られる。石膏は、三○センチに満たない層が析出するだけでも、深さ三○○メートルの海水が蒸発する必要があるため、テキサス西部の厚い石膏層ができあがるまでには、深さが七○○キロを超える海の水が蒸発したことになる、とカルプは推計した。死海で記録された最大の蒸発率をもとにして計算した結果、この石膏層ができあがるまでに数十万年の年月を必要とすることがわかった。世界中の蒸発岩床はノアの洪水が起きた年にできあがったわけがないのだ。
266ページ
地質学の基礎知識がある人なら、どの説も化石記録を説明できないことぐらいすぐにわかるだろう。決定的なのは地層に含まれる化石にはっきりとした順序が見られることだ。三葉虫は一番下の地層でしか見つからないが、そうした地層に含まれる化石はたいてい華著な浮遊生物のもので、密度の高い化石は見られない。化石が堆積する順序に水力学的な選別作用が関わっているとしたら、液体の中を密度の等しい物体が沈む場合、大きな物体ほど速く沈むので、小さな三葉虫は大きな三葉虫よりも上で見つかるはずだ。しかし、岩石の中に残された化石にこのような順序は見られない。低地に生息していたナマケモノは、短時間で山に逃げることはできなかったはずだが、その化石が見つかるのは一番上の新しい地層だけだ。恐竜と人類が同じ岩石層で見つかることはない。
数世紀前にこうした説を最初に唱えた者たちは、自説を地質学的記録に照らして検証しようとしたが、ウィットコムとモリスはそのようなことはしなかった。その代わりに、一般に受け入れられている地質学的証拠を疑問視し、聖書の記述の不都合な側面を説明するために、先人と同様に、必要に応じて言い逃れを考え出したり、奇跡を持ち出したりした。動物を方舟に乗せたり下ろしたりする問題を解決するために、方舟に乗れた動物は近くに住んでいたものだと主張した。いずれにせよ、洪水以前の世界は地形が現在とはまったく異なっていたはずだ。動物たちの世話や餌の問題については、超自然的な助けがあったとだけ述べている。
人類が北米に到達したのは紀元前一万年頃だというのが、当時の考古学者たちの一致した意見だったので、ウィットコムとモリスも、ノアの洪水がそれ以前に起きたはずがないことは認めざるを得なかった。そこで二人は、放射性炭素による年代測定法を否定し、考古学者の推定した年代は間違っているはずだと結論づけたのである。炭素年代測定法は洪水後の年代の測定にしか使えないと主張するために、特に大気中の炭素Mの濃度、宇宙線の入射量、放射性元素の崩壊率が一定であるという仮定を批判した。原始地球を覆っていた水蒸気の天蓋が宇宙から来る放射線を遮断していたので、ノアが下船する前の大気では炭素Mの生成は抑えられていたと論じる一方で、地質学的データが若い地球説と矛盾しないように、洪水以前は放射性元素の崩壊率はもっと大きかったと主張したが、天蓋が落ちるまでの間は温室効果で楽園は灼熱地獄と化しただろうという点は無視した。放射性炭素年代測定法は、過去の地球の大気や宇宙線の変動に影響を受ける、という二人の主張には一理ある。しかし、宇宙線の量が変動するのは確かだが、測定の結果に大きな影響を与えるほどではない。さらに、宇宙線が放射性炭素年代測定の結果に深刻な影響を及ぼすという二人の主張は、一九八○年代にワシントン大学のミンッ・スタイヴァーらによって根拠がないと立証ずみだ
271-2ページ
これだけでも十分だろうが、さらにサンゴ礁の化石が洪水地質学にとどめを刺している。ウイットコムとモリスは、地質記録に残っているサンゴ礁の化石はノアの洪水で海底からはぎ取られ、他の諸々といっしょに堆積したのだと説明している。しかし、私も学部生時代に野外実習でサンゴ礁の化石を実際に観察したが、荒れ狂う洪水に翻弄されてバラバラになったサンゴの破片が砕屑物の中に無秩序に混ざっているのではないのだ。大きな石灰岩の塊になり、繊細なサンゴの枝がまだ付いているものもある。礁湖、前礁と背礁、開けた海水域の環境と共に、サンゴ礁がそっくり保存されている。現在のサンゴ礁とまったく変わらない。サンゴ礁の一部を粉々に砕いて世界中にばらまく一方で、一部を元のまま保存するというのは筋の通らない馬鹿げた話だ。ノアがサンゴ礁を方舟にどうやって乗せたかという厄介な問題はさて置くとして、ゥイットコムとモリスが主張しているようなノアの洪水が起きたとしたら、方舟に乗せてもらえなかったサンゴは堆積物の混ざった濁流で絶滅してしまっただろうと思われるので、洪水の後に現代のサンゴ礁がでぎあがるまでに要した年数は簡単に算出できる。サンゴの個体は一年に一・三センチほど成長するが、サンゴ礁には絶え間なく波が打ち寄せるので、普通は年に数ミリしか成長できない。百歩譲って、年に一センチ成長すると仮定しても、サンゴ礁の厚みが一○○○メートルになるまでに一○万年を要する。
編集者 てつてつ (2017年01月12日 17:37:02)
オフライン
#86 2017年01月12日 19:29:53
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: ナザレのイエスは神の子か の本について
サンゴ礁の話は興味深いですね
#88 2017年01月12日 23:12:06
- KAO
- ゲストユーザー
Re: ナザレのイエスは神の子か の本について
【てつてつさんの発言】
「誰の紹介か忘れたんですけど ぽちったまま忘れていた発掘された聖書 フインケルシュタイン/N.A・シルバーマン」
てつてつさん、こんな本を人様に奨めるの私しかいないじゃありませんか(笑)。
自分で言っておきながら、どこだったかスゴく探しましたよ(汗)
ラハムさんが作ってくださった「現役教師の報告」以外に私が投稿するのはもっぱら「脱搭指南」のトピなので、最初の方から順に探してみたら、ありましたありました!#91です。ささらさんに奨めてますね。
それにしても自分でビックリ、この頃の私はすごく沢山投稿してますね。お仕事大丈夫だったのかな? きっとかなりサボってるか手を抜いてますね(・・)
こんな信仰の養いにならないどころか躓きになる本が、キリスト教出版大手の教文館から出ているということは、元JWの方々にとっては驚きかもしれませんね。元証人さんの御高説にもかかわらず、聖書の記述と考古学の結果が一致しない例は多数あります。むろんその逆もあります。それから、1930年代や40年代の調査結果が再検討された結果、結論が大きく変わってしまった例もありますし、現在の発掘結果が今後再検討される時代もくるでしょう。当時と今とでは発掘の方法も根本的に変わってしまいましたし、政情不安定で発掘地域も限定的。残念ながら現時点ではイスラエル史の全体像を評価できるような成果は考古学には期待できません。それは現在出版されている「イスラエル史」と名のつく書物を読み比べてみれば、その多様さとして表れています。「定説」がないんです。
それに前にも述べましたが、この聖地考古学に関する限り、発掘許可の下りる地域や許可される団体にもイスラエル政府の政治的思惑が強く絡んでおり、正直言って私は言及したくありません。少なくとも「聖書の記述は考古学によって裏付けられている」と無邪気に語る方々は、現代イスラエル国家の暴虐によってパレスチナの子どもたちが置かれている悲惨な現状に思い至るべきだと思います。そういう意味でも聖書はすでに前科10,000,000,000犯です。
私は元証人さんが嫌いではありませんが、(お気に入りで)読んだものを無批判に丸ごと信じてしまわれる傾向には、JW時代の経験がちっとも生かされていないなと感じます。それに「資料の用い方」もJW流のまんまです。元証人さん、聖書の史実性を極端に過少評価するフィンケルシュタインが気に入らなくて、ナショジオを引っ張ってきて、マザール女子の所論に乗っかってフィンケルシュタインを「論破」なさいます(信仰を維持する#296.297)。
ところがところが、洪水の話題で、C14年代測定法があてにならないことを論証する段になると、今度は大嫌いなフィンケルシュタイン先生のご意見に乗っかり、
『「炭素14法を使えば、ダビデが6世紀にノルウェーの村に住んでいたという結論だって出せるさ」とフィンケルシュタインは極論する。』(信仰を維持する#344)と御高説です。
「多面的に調べる」のはいいですが、節操というものも必要ではありませんか?
持論に合致するものは何でも引っ張ってくるというのでは、ものみの搭聖書冊子協会の出版物となんら変わりありませんよ。
#90 2017年01月13日 23:02:23
- KAO
- ゲストユーザー
Re: ナザレのイエスは神の子か の本について
聖書そのものに罪があるというわけではなく、結局それを「利用」する人間が、聖書を自己正当化の手段とする時に、巨大な暴力とさえなり得るということを私たちは自覚すべきでしょうね。
聖書の中には有益な教えも多いのに、ひとたび「約束の地」という聖書の概念が、現代イスラエルの国家イデオロギーに吸収されるとき、それを「約束されていない」と見なされる民族は、排外主義の災禍に見舞われることになります。そして、そういった状況下では、もはや律法や預言者に託された神の言葉が省みられることはありません。
「寄留者があなたの土地に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国において寄留者であったからである。わたしはあなたの神、主である。」(レビ記19章33~34節)
「万軍の主はこう言われる。正義と真理に基づいて裁き、互いにいたわり合い、憐れみ深くあり、やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者を虐げず、互いに災いを心にたくらんではならない。」(ゼカリヤ書7章8~12節)
シオニズムに毒されたラビたちが、こういった聖句をどう読んでいるのか分かりませんが、移民・難民に対する排外主義を掲げる政治指導者を支持するのも、熱心なクリスチャンであったりしませんかね? 人間というものは、結局は自分の利害と、信じたいものに従って生きているだけなのかもしれません。
ちょっと「も搭」の話題からそれましたが、統治体の場合は、「神の用いている唯一の組織」という自己正当化に聖書を利用しているという感じでしょうか? そこで守りたい唯一のものは、自分たちのリッチな生活と、巨大組織のTOPだという満足感だけかもしれません。
#96 2017年01月16日 22:56:54
- KAO
- ゲストユーザー
Re: ナザレのイエスは神の子か の本について
www・・・
一応体育会系の人間ですので、そういう印象も与えたかも?(笑)
「事後預言」というと、現代ではちょっと詐欺っぽい響きがありますが、
そういう事ではなくて、古代ヘブライ人は文学的手法として、自分を過去に置いてみた時、未来はどのように見えるだろうか?という視点を持っていたように思います。現代人にはあまり無い発想ですが、古代ヘブライ人はそういう意味でとても自由な精神を持っていたと思います。
我々の発想は、単純に過去や未来に行っちゃうというタイムトラベルの発想しかありませんからね。
#99 2017年01月17日 20:12:49
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: ナザレのイエスは神の子か の本について
ダニエルの話の炉でひとこと言わせてもらっても良いですかね
七倍に熱するの意味が分からないのですよ
炉内の温度なのか 燃料や送風を普段の七倍に増やしたのか
通常の焚き火が900度程度らしいので6300度となると、またもやデタラメ科学の世界になってきます
ニトログリセリンの爆発で、ようやく4000度とのこと
勢いでネブカドネザルが啖呵を切っただけなのかしら
「いややっぱりまだ死にたくないですー」