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#951 2019年05月08日 20:17:26

めぐママ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

聖書についての質問さん

ありがとうございます。
内婚  外婚  についての 説明  司馬遼太郎も  そんなこと書いてました。 朝鮮半島では
同じ姓  つまりは 近親者 で遺伝的な問題が起こるのを避けるため 法律で禁じているそうです。  羊を 飼う事からの  遊牧民族の 知恵です。ギリシャ神話では近親結婚は当たり前だけど ヴィクトリア女王もいとこのアルパートと結婚したと。
日本でも 農村で財産の分散を防ぐために とか一族同士の井戸の中の平和を外から乱されたくないとかいう理由で 喜ばれた。
横溝正史の世界  です。
儒教からみると 野蛮な事なのだそうです。

聖書の  おかしな点  それを信じているカルト信者 のおかしな 理屈を  解明してください。

オフライン

#952 2019年05月08日 23:03:30

仰天
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#953 2019年05月09日 17:01:56

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#1013で私が書いた事が、聖書大好きで、きまじめな仰天さんには気に入らなかったようで、仰天さんからいろいろ反論が寄せられました。キリスト教への仰天さんの愛情はイエス様にも届いたでしょう。

キリスト教擁護の書き込みなら簡単にできます。過去2000年間キリスト教は自分たちの教えを擁護する理屈を考えてきたからですね。

アブラハムが妻を妹と偽った話を、護教的な外国人牧師風にいうと、こうなります。

「この話は、異国の危険な状況にあっても、神は決してその愛する者を見捨てないということを示しているので~す。この時、アブラムは勇気と信仰が足りませんでしたネ。そのため危機に瀕したので~す。アブラムの知恵や勇気で、アブラムは危機を脱したのではありませ~んネ。神の恵みゆえに危機を脱することができたので~す。ただ神の恩寵のみがアブラムとサライを救ったので~す。とても感動的な話だと思いますが、いかがでしょうか。」

こんなふうに過去2000年間教会で話されてきたのです。実際は、そんないい話ではないというのが、私の言いたいことで~す。

妻を妹と偽った話ですが、仰天さんは、この話を実際に起きた史実と考えているのですか?これは、イスラエル人の間で大昔から伝えられたお話をもとに、誰もが知っているアブラハムとサラ、あるいはイサクとリベカの話として作り直されたものだと思います。

史実だとしたら、この時サライの年齢は65歳以上です。アブラムがハランの地を出たのが75歳で、サライはアブラムより10歳若いことになっています。それがファラオの気を引くほどの美人だなんてありえません。このお話の語り手は、年齢のことを忘れています。

また史実としたら、危険を感じているはずのアブラムはなぜサライを隠さないのでしょうか?エジプト人やファラオの家臣まで、サライを見て美貌をほめそやしています。美人の妻をエジプト人にみせびらかしたのでしょうか。

仰天さんの意見と大きく違う点を一つだけ取り挙げます。それは、創世記12章でサライはファラオとセックスしたのか、という点です。非常に興味深い点ですね。

わたしはYes。仰天さんはNo! 聖書に何も書いていないのでどちらの答えも可能です。しかし、お話としてみた場合、どちらがより可能性が高いかというと、セックスした方だと思います。理由は、同様の話が創世記には3回出ていますが、2回ともセックスはなかったことがはっきり示されています。しかし、この創世記12章のみ、それが示されていません。あいまいな書き方です。なぜはっきり書かないのか?書きたくないからですよ。

古代のイスラエルの読者は、ここでサライは好色で薄気味悪い異教徒のファラオの慰み者になったのだと想像し、ひどく興奮するのではなく、彼女の不幸を思って涙したはずです。そうでなければ話として面白くないでしょう。聖書は子ども向けの道徳の本ではありません。妙にエロティックで残酷で不条理です。しかも、女が犠牲になって男を救うというのは、旧約聖書の男性中心の思想と合致します。そういう思想のもと、サライは模範的な女性と位置付けられていくわけです。

また、この物語がどれくらいのタイムスパンかについては不明なことが重要です。仰天さんは、「すぐに」起きたと書いていますが、1日かもしれないし、1週間かもしれないし、1か月かも、1年かもしれません。聖書のこの部分の書き方は非常に簡潔で、細部は読者の想像に任せるものとなっています。仰天さんは、サライはファラオとセックスしていないという立場なので短時間に起きたことにしないと困るので、そう読むわけです。道徳家は違うね。

創世記12章で、一番道徳的なのはファラオです。サライが人妻と知って、贈り物の返却を求めることなく、自分の所から去らせるのです。他人の妻に手を出すのはいけないことだという倫理観があるようですね。

アブラハムが道徳性の高い人なら、嘘を言ってもらったものを返すでしょう。しかしアブラムは返すことなく、妻と贈り物を携え、エジプトを出ました。アブラムは、エジプトで大儲けしたわけで、その顔には笑みが浮かんでいたでしょう(聖書には書かれていませんが)。これは、創世記20章の場合も同様です。アビメレクはサライを返しますが、贈り物を返せとも言いません。アブラム、大儲けという結末は同じです。

アブラムは妻を妹として権力者に差し出すことによって、物質的利益を受けています。聖書大好きな仰天さんは気に入らないと思いますが、これをポン引き行為と呼んでも大きな問題はないと思います。

もうすぐ、近所のJW少年が、ものみの塔の予習にやってくる時間なので、この辺でやめておきます。

#954 2019年05月09日 19:51:52

仰天
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#955 2019年05月10日 00:43:33

シセイ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#956 2019年05月10日 13:54:01

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「予習に来ました。次回のものみの塔は、“わたしがバプテスマを受けることに何の妨げがあるでしょうか”で、エチオピアの宦官のように、さっさとバプテスマを受けろ、という内容です。」
「バプテスマを促す記事は1年に1回はあるよね。バプテスマは、年を取って、何もすることがなくなってから考えても遅くないよ。」
「組織としてはそれでは困るので、ニンジンをぶら下げたり、脅したりして、若者にバプテスマを受けさせようとしているのです。」
「ニンジンは、楽園での永遠の命という夢物語だろう。」
「最後の19節の締めくくりは、“今から1000年後の自分を想像してみてください。「あの時はバプテスマを受けることにして本当に良かった」と思うに違いありません。”です。1000年後の話しを持ち出すなんて、しらけますね。執筆者も、情けない気持ちになったと思いますよ。」
「1000年後のことじゃなくて、今得られる喜びと感動を強調すべきだ。JWになると、愛と感動に満ちた主の記念式に出られますとか、費用は普通の2倍はかかるけれど国際大会で世界的な兄弟愛を味わえますとか、迷惑な人が多いけれど会衆の兄弟姉妹という霊的家族が得られますとか、何の能力がなくても、奉仕活動に無駄に時間をかけるだけで開拓者という名誉が与えられますとか、JWだけが味わえる素晴らしいことはたくさんあるでしょう。」
「1年後に1万円もらうより、今すぐ千円をもらう方がうれしいのが人間です。1000年後の話なんか誰も関心ありませんよ。」

「1節に、アダムとエバの話が出ている。この記事の中であと数回繰り返されるけれど、JWはアダムとエバの話が大好きだね。自分で考えてはダメ、服従していればいい、というJWの基本的価値観を説教するのに都合の良い話だからだ。」
「1節では、アダムとエバが“何が正しくて何が間違っているかを自分で決めることを選んだのです。”といい、その結果人類は悲惨なことになったのだから、自分で決めるな、組織に従え、というメッセージを送っています。」
「組織に従った結果が、悲惨な死でも、組織が責任を取ることはないけれどね。」

「この記事で取り上げられている聖書の話は、使徒8章に出ている、エチオピアの宦官がバプテスマを受けた話です。これは奇妙な話だと思うのです。フィリポが、み使いの指示で、珍しい場所に行ったら、珍しい人に出会った、というのですが、史実というより、福音が地の果てまで伝わったことの象徴的な話としか理解できないのですが。」
「エチオピアはその当時知られているアフリカの最も南の地域。地の果てだね。そんな国の高官に出会うこと、しかもその人物がユダヤ教の改宗者であること、さらに、ギリシャ語訳のイザヤ書を所有し、なおかつそれを読めること、あり得ない偶然だね。」
「創作した話ということですね。」
「列王記二5章にある、シリアの軍人でらい病にかかっていたナアマンが、エリシャの所に来て、ヨルダン川の水に7度使ったら、病気が治ったという話が、この話の元ネタだろう。使徒には、他にも列王記を元ネタにしたと思われる話があるね。」
「それで、エチオピアの宦官も、軍人でもないのに兵車に乗っているわけですね。」
「また、この話の構造は、ルカ24:13-35と同じなんだ。エマオという村へ旅していた二人に復活したイエスが現れるという話ね。」
「二人は、イエスに気づかずに、イエスという人物が強力な預言者と思っていたのに、処刑され、その後復活したというから、墓まで見に行ったのに何も見えなかった、と歩きながら語る話ですね。」
「両方とも、教師役(フィリポ、イエス)が生徒役である旅人に出会い、質問に対して質問で答え、イエスの死と復活が話され、それに対する解説がなされ、その後ある種の宗教的な儀式が行われ、教師役が突然消えるが、生徒役は喜びを示す、という展開。同じ創作話を使いまわしているんだね。」

「エチオピアの宦官がバプテスマを受けている挿絵があるけれど、宦官はこんなに筋肉質なんですか?宦官は生殖器を切り取った、宮廷につかえる人ですよね。」
「精巣、つまり睾丸を切り取るわけだけど、そのため男性ホルモンが十分作れず、特異な体型になる。類宦官体型あるいは宦官様体型という。」
「細長い体型になるんですか?」
「男性ホルモンが少ないため、筋肉はあまりつかない。挿絵では筋肉質だけど。男性ホルモンが不足すると、骨の成長が止まらずに、手足が異常に長くなる。ヨーロッパではカスラートと呼ばれる去勢したオペラ歌手が沢山いた。去勢すると、声変りがおこらず、高音がだせるから。有名なヘンデルのオンブラ・マイ・フはカスラートが歌うために作曲された。当時のカスラートの絵を見ると、特異な体型をしていることがわかるよ。」

「ところが“洞察”の“宦官,閹人”の所には、“宦官という語はまた,広い意味では,だれであれ,王の宮廷の職務に就くよう選任される役人をも表わしており,それらの人々が文字通り閹人だったことを示唆していたわけではありません。”とあります。つまり、玉無しとは限らないということです。」
「それは正しいよ。申命記23:1は、“睾丸を打ち砕いて去勢された者,また陰茎を切り取った者は,エホバの会衆に入ることを許されない。”とあるから、この人物が本当の宦官なら、エルサレムの神殿に入ることはできない。」

「2節には、この宦官が“エホバとイエスが自分のためにしてくださったことに深く感謝し,すぐにバプテスマを受けました。(使徒 8:34‐38)”とありますが、感謝したとはどこにも書いていません。」
「初期のバプテスマがどのようなものかはよくわからない。“使徒”の中のバプテスマの特徴は福音を聞くとすぐにバプテスマを受ける、そして聖霊が下る、ことだね。」
「2節に“その宦官のようにエホバに献身してバプテスマを受けるなら,”とありますが、エホバに献身したとはどこにも書いていません。嘘が多いですね。」
「“イエスの名において”バプテスマを受けるのが普通だね。バプテスマをイエスの弟子となることの象徴的行為としてとらえていたようだ。エホバなんて関係ないよ。」

「4から8節で、バプテスマをためらっている5人が取り上げられています。」
「4節のエイブリーは偉すぎる父を持ったゆえに自信が持てないとある。5節のハンナは、両親がJWの18歳の女の子で、“自尊心がとても低かったからです。気分が落ち込んで自傷行為をすることもありました。”とあるから、うつ病のようだね。」
「10節で、“ハンナは正しい考え方を持てるようになり,「み言葉を行なう者」になりました。”とあり、バプテスマを受けたとあります。本当でしょうか?」
「この記事に出てくる人物は架空の人物でしょう。ハンナは、専門家による治療が必要なのに、聖書を読むといった無意味な宗教療法のようなことをさせられている。適切な治療を受ける機会を奪うという点でJWのようなカルトは有害だね。」
「“ハンナは正しい考え方を持てるようになり”とあるのですが、自傷行為は正しい考え方をしていなかったから生じるのですか?」
「違うでしょう。ここでわかるのは、ハンナのような病人に対して、JWは正しい考え方を教えようとするということだね。あなたは間違っている、正しいのはこうだ、とカルトらしく押し付けるのだろうね。」
「その場合、症状は悪化するだけですよね。ハンナは両親がJWなので、本当は進学したいにもかかわらず進学できない、信じてもいない大嫌いなJWになるしかない、という閉塞状況が、彼女の精神を蝕んでいる原因じゃないですか?この後、ハンナは精神病を悪化させ、集会にも来なくなるというのが一番考えられる結末でしょう。」
「日本においても、自傷行為を繰り返すJW2世の話を聞いたことがあるよ。最終的には死亡したらしいけれど、JWの両親は、娘の命には無関心で、医師に言うことは、輸血をするな、ということだけで、周囲の人をあきれさせたらしい。」

「6節にあるバネッサは22歳のくせに、友だちがJWを嫌っているので、バプテスマを受けたくない、といっています。」
「中学生程度の発達レベルということだね。でも、“その子と付き合うのをやめたら,もう友達ができないんじゃないかと思いました”とある。バプテスマを受けたら、親友がJWでなければ、付き合いをやめなくちゃいけないんだ。おかしいだろう。社会的な隔離はカルトの特徴だね。」
「7節のマケイラという女の子は、バプテスマを受けた後の排斥を心配しています。もし排斥されたら、家族がバラバラになってしまうわけです。」
「でも、15節によると、“エホバがどれほど寛大に許してくださるかを理解した時,失敗することへの恐れを克服できました。”とあり、バプテスマを受けてしまう。エホバは寛大でも、会衆の長老の多くは、権力を振りかざすのが大好きな偏狭な人物ということを知らないのだろうね。」

「8節のマイルズは母親の反対が怖くてバプテスマを受けていないようです。」
「JWが、誠実な宗教団体なら、保護者の承諾のない未成年者のバプテスマは拒否すべきだ。そうすれば、社会的信頼も得られる。」
「16節を見ると、マイルズは母親を捨てて、家を出てしまいます。JWは、家族を破壊するカルトであることの証拠を図らずも提供していますね。」
「最後の19節に、“エホバの導きに従えば必ず良い結果になる,ということをいつも覚えておきましょう。そうすれば,エホバとエホバの規準に対する愛は深まります。”というおバカな文があるけれど、訳が変だね。」
「“When you continue to recognize how much you benefit from Jehovah’s guidance, your love for him and his standards will grow.”ですね。」
「エホバの導きからどれだけ利益を得てきたかを認識しつづけるとき、エホバとエホバの基準に対するあなたの愛は大きくなるでしょう、という意味だよ。“必ず良い結果になる”なんてどこにも書いていない。日本のJWをだましているよ。」

#957 2019年05月11日 07:21:41

仰天
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#958 2019年05月11日 09:58:18

シセイ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#959 2019年05月11日 12:19:14

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

順調〜 ♪

#960 2019年05月11日 20:40:44

シセイ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

天国の門、みんなで通ればただの門。

#961 2019年05月11日 20:55:29

めぐママ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

シルクロード 美の回廊  を見ています。
アルカイックスマイルの 弥勒 は遠く ギリシャから 途中 バーミアンを経て来た。
カニシカ王 は寛大に 鷹揚に取り入れていた。
中国 黄河を遡って 柄霊寺の 微笑みの弥勒は圧感です。
仏教徒になるつもりは  ありません。

オフライン

#962 2019年05月11日 21:00:05

めぐママ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

5世紀から6世紀  戦乱が絶えなかった。救済の 仏は 微笑みにより 人々の心を癒したのだそうです。
今の 日本は自由でいいです。カルトに入っても 火あぶりにされないし、天皇陛下は神道を押し付けられませんし。

オフライン

#963 2019年05月12日 10:58:43

シセイ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

akameさんの書き込みが減ってる~寂しいよ~
でもお孫さん相手に忙しいのかな・・・
良いことです・・・平和。

#964 2019年05月12日 11:21:22

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

他トピで書いたユングについて、ついでに少し。

ユングの面白いところは、旧約の神をその発言から心理的に分析しているところで(新約では、父なる神は是認したよ、と無機質に3回くらい声を響かせるくらいでほぼしゃべらない、だからいっぱいしゃべる旧約の方が題材としては価値がある)その心理が最もよく表れているのがヨブ記です。以下、自分の考察も多少含みます。


ヤハウェは造った割には人間心理がよく分からなくて疑り深いところがある。むしろ、そういう風に(自らの全知が及ばない領域を)造ったからこそ興奮する(熱情の神)。だからわざわざ食べてはならないと前置きした上で、木をこれみよがしに真ん中に植える。

アブラハムには自分の掟に矛盾して子を焼き殺せとまで命じてどうするかを見る。このシチュエーションは最高に興奮するよなおい。

神の子の一人はヤハウェのこの性格を熟知していて、ヨブに対する疑いをほのめかせばすぐに興奮して(笑)賭けに乗ってくることを知っていた。

「お前は理由もなく、わたしを唆して(新世界訳:けしかけて)彼を破滅させようとしたが、彼はどこまでも無垢だ。」(ヨブ2の3)

ここで、ヤハウェ自身が「理由もなく」と認めちゃっています。彼は訳もなく興奮しているだけなのです。


ところが、このヨブの件で、ヤハウェは変わります。

無垢な義人が、言われもなくここまで苦しんだのに、そしてそれを残酷に許可したのは自分なのに、自分を呪わずに耐えている。ここで、ヤハウェは全能性においてではなく、精神性においてヒトが自分を超えてしまったことに焦燥する。それが心理的に表れているのがムキになっているかのようなヨブへの最後の叱責です。

「彼は71行のもの長さを費やして、スクリューカウンターを食らわすかのように、惨めな犠牲者に創造者の権能を叩きつける。ヨブには、もううんざりするほど、この権能に驚かせてもらう必要はないのに、である。」(ユング)


この件で、ヤハウェにはヒトになりたい、ヒトにならなければ自分は真の意味で「完全」にはなりえない、という願望が芽生えます。それが神の受肉です。なぜなら全能性が決して味わうことがない、自らではどうにもならない障壁に圧倒され、さらに「神」にさえ見捨てられる絶望と無力さの極限に達したとき、ヒトの精神性が昇華するのを見てしまったからです。


「というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。」(ヘブライ2の10)

休日の道楽(笑)長文書き込み失礼しました。

#965 2019年05月12日 11:43:59

シセイ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#966 2019年05月12日 11:47:13

シセイ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

苦しみを知らなかったから懲罰与え放題とか・・・それただの・・・
それで受肉して「やばっ!これやばいじゃん」とか・・・
見えてくるのは安い哲学もどき。超越した精神性は感じませんね。

#967 2019年05月12日 11:52:09

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ジョエルさん、ありがとうございます。

>自らではどうにもならない障壁に圧倒され、さらに「神」にさえ見捨てられる絶望と無力さの極限に達したとき、ヒトの精神性が昇華するのを見てしまったからです。

私も似たような解釈をしたことがあります。

上から抑えつけたような通り一遍等の「預言の成就」以上に、イエスの血のような汗、苦悶との整合性や感動があることさえあります。

単なる肯定や否定以上に物語を生かす方法はたくさんあるように思います。

#968 2019年05月12日 12:08:46

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#969 2019年05月12日 12:23:41

シセイ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

外典、偽典を読むに、楽園の外で泣いているエバに、ミカエルが「泣いても仕方ない
知恵の実は5000年(5500年?)経たないと実らないのだ。今はアダムの傍にいてやりなさい。」と
言ったという記述があります。私はそこに冷たさは感じませんでした。イエスが神の子で、父なる神と
人間の間をとりなすという立場なら「これ程までに苦しい」と知ることは人間の擁護者として真っ当だと
思います。そうでないと、宇宙を司る立場で、宇宙の方程式を司る神が死んではいられないと思います。(笑)
人間が神の孫なら、孫の不始末の責任は親である子が取るのは当然、そして孫は思う存分、親に弁解できる
わけです。ワンクッションあった方が良いこともある。皇帝という者は我が儘で豪腕で孤独な存在ですが
そこに丞相がいて、時にとりなす事もある。しっくり来ます。(笑)
偉いおじいさまに直接、孫が物言うのではなくて、直接の子である親を通す、とても組織的です。

私は、外典のミカエルに親近感を感じます。「しょうがないなあ、ホントのこと教えるからさあ」みたいな。
「ほんというとさ、あれ大変なんだよ、あれで宇宙つくってるからさ、あれないと代用品探すの大変なんだよね
でさ、厳しいこと言い方してるけど、今さ、工事中で、関係者以外立ち入り禁止なんだよね。」とさえ聞こえる
ような感じです。

#970 2019年05月12日 12:55:54

シセイ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#971 2019年05月12日 13:11:26

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

akameさんありがとうございます。

自分もそうでしたが、JW解釈で凝り固まった頭をほぐす体操にはなると思います。


いつか、akameさんの続きも聞きたいです。

自由すぎるシセイさんは、ブログじゃないからここではほどほどにね(笑)。

#972 2019年05月12日 13:23:14

シセイ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#973 2019年05月12日 13:51:31

シセイ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

追記
これでちょっと遠慮しますね。
旧約聖書で神が「産みの苦しみ」を味わった事が書いてありますね。
じゃ、神も拷問のような苦痛を知っていたことになります。
人によっては死にますからね、今でも。あちらを繕うとこちらが綻ぶ
こちらを繕うとあちらが綻ぶ。これでは最初から諸行無常と言った方が
ましだった。
聖書が好きだっただけに残念です。

#974 2019年05月12日 20:36:35

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ほどほどにとは言いましたが、シセイさんの書き込みも楽しいです(他に語彙がないのですみません)。さやかさんとは違った意味で理解は十分に及ばないのですが。

ユングはシセイさんが大好きで大嫌いな「ヨハネ」(ヨハネな福音書とヨハネな手紙とヨハネな黙示録の著者)についても、面白い心理分析をしています。


別の新約学者は、ライバル福音書に名が付されたトマスを欠席させて、しかも後になって「わが主!わが神!」と叫ばせたのは、「ヨハネ」にとって最高にヨハネな瞬間だったであろうと分析しています。シセイさんには張り倒したくなる一言ですね。

ヨハネ共同体の存在も想定されていますが、シセイさんがカチコミかけても、ヨハネなおっさんたちが熱気むんむんで「完全な愛に恐れはないのです」「愛さない者は神をしらないのです」「さあ、愛し合いましょう☆」と語り合っているのを見て、これはそっとしておこうと気が変わるかもしれません。

聖書嫌いになるにはまだ早いかもですよ。

#975 2019年05月12日 22:35:33

シセイ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ヨハネなおっさんたちがヨハネってるんですよね・・・遠くから見ていた方が・・・
男のセ・カ・イですね♡


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