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#851 2018年10月12日 18:39:04

てつてつ
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Re: アブラハムの神の限界

オフライン

#852 2018年10月19日 16:59:57

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#853 2018年10月26日 17:09:24

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「予習に来ました。次回のものみの塔は、“いつもエホバと共に働く”で、伝道に加えて、“家族や会衆の兄弟姉妹を助けること,人をもてなすこと,組織の様々なプロジェクトに協力すること”は、エホバと共に働くことなので、一生懸命やりなさい、という内容です。」
「信者に対する要求が過大すぎるよ。いつ休むの?神様だって休むんだよ。信者を忙しくさせて、考えさせないというのはカルト宗教の特徴だ。」
「レイモンド・フランズの「良心の危機」の302ページによると、統治体のメンバーは6週間程度の休暇がとれるようですね。休暇と外国訪問を合わせることも可能で、外国で派手なもてなしを受けながら、外国旅行を楽しむようですね。JWは統治体を見倣うべきですよね。」
「フランズは、そんなもてなしを受けながら、マタイ23:6の“また彼らは晩さんにおいては最も目立つ場所を,そして会堂では正面の座席を好み,”という聖句を思い出したものである、と書いているね。立派なクリスチャンなら良心が痛んで当然だ。」

「この記事のタイトルは、コリント一3:9の“わたしたちは神と共に働く者だからです。あなた方は耕されている神の畑,神の建物です。”からきているのですが、どういう意味ですか?」
「コリントの会衆はパウロが設立した。パウロが他の所へ去ったのち、アポロがやってきた。アポロはアレキサンドリア生まれのユダヤ人だけど、なかなかの人物で、会衆内で人気を得た。困ったことに、コリントの会衆は、パウロ派とアポロ派に分裂し、争うという状況になった。」
「コリント一1:12では、“「わたしはパウロに属する」,「いや,わたしはアポロに」,「わたしはケファに」,「わたしはキリストに」と言い合っている”とありますから、その他のグループも存在していたようですね。」
「そういう事態を受けて、党派的争いを厳しく叱っているのがコリント一の3章だ。パウロは、自分とアポロは同じ奉仕者であり、ただ役割が違うといっている。」
「パウロは植えて、アポロは水を注いだといっていますね。」
「しかし、成長させてくださるのは神だといっている。その点で、パウロとアポロは、“神と共に働く者”といえる。そして、“あなた方は耕されている神の畑,神の建物です。”とつづく。」
「要するに、ここでいう、“神と共に働く者”は、パウロとアポロのことで、意味を広くとっても会衆の指導者層のことですね。人をもてなしたり、建設業に携わることも“神と共に働く”ことだといっている、ものみの塔の記事はおかしいですね。」
「このものみの塔の写真も記事も、信者が王国会館建設でただ働きすることを求めているけれど、信者こそ“神の建物”なんだ。神様は何かを作れと命じたのは全人類の歴史の中で2回しかないよ。」
「ノアの箱舟とモーセに幕屋を作るように命じたのが、本当のエホバによる建設プロジェクトですね。それ以外は、エホバは何かを作れと命令したことはないですね。神殿は、幕屋じゃみすぼらしいと思ったダビデが作りたがっていただけです。エホバはそれを許さなかったのですが。ましてや、後で売却されるかもしれない王国会館建設がエホバと共に働くなんてことはあり得ません。」

「3節で、“エホバはわたしたちが家族を世話することを求めておられます。”とありますが、JWは宗教活動優先で家族を顧みないという批判を、気にしているということですか。」
「宗教活動優先は全てのカルト宗教の特徴だからね。批判されたときのアリバイのようなものじゃないかな。」
「排斥された家族についてどうすべきか、この記事では何も言っていません。JW独自の排斥制度が家族を破壊し、不幸を生み出しているという批判が様々な方面から出ているのですが、沈黙したままです。」
「外国では、子どもが排斥されてJWの家族がバラバラになるという映画も作られた。JWは家族を破壊する危険なカルトというイメージが多くの国で定着している。JWの家族はこんなに幸せという、カレブとソフィアの宣伝ビデオではそのイメージは覆せないね。」
「4節では、“親の皆さんは,子どもが目標を持って神に仕えるよう助ける”とあり、子どもを全時間奉仕や開拓者にせよ、といっています。“子どもが王国を第一にしていることが喜びだからです。”だそうです。子どもの喜びより親の喜び優先ですね。」
「まともな親なら子どもに全時間奉仕者とか開拓者になるようには絶対勧めないよ。聖書に全時間奉仕を目指せなんてどこにも書いていない。」
「5節で、“病気や老齢の兄弟姉妹や,家族を介護している兄弟姉妹の助けになれるかもしれません。”とありますが、高齢者が多く、若者が少ないというJWの年齢構成を知って、こんなことを書いているのですか。高齢者が多すぎるのですから、日常的に会衆内で助けるなんて無理ですよ。」

「もてなすことを強調していますが、一貫性がないですね。6節で、“「もてなすこと」と訳されている語には,「見知らぬ人たちへの親切」という意味があります。”といいながら、7節で、全時間奉仕者をもてなすようにと、巡回監督を家に泊め、自分はソファで寝たというオラフの例が出ています。巡回監督は見知らぬ人なのですね。」
「普通の社会では、利害関係のある人からもてなしてもらうことは職業倫理に反する行為だ。例えば、学校の教師が生徒の親からしょっちゅう饗応を受けていたら、その教師はやめるように注意されるよ。しかし、JWではその種の行為が禁止されるどころか、推進すべきとされるんだ。巡回監督などに関する倫理規定はあるの?無制限にお金やモノを受け取っていいの?」
「あれば公開してほしいですね。例に出ていたオラフは、巡回監督に気に入られ、すぐに長老になったんじゃないですか。箴言17:8、“贈り物はその偉大な所有者の目に恵みを勝ち得る石。その人は自分の向かう所がどこであっても成功する。”の実践です。」

「8節にある、エクアドルからスペインに移住したエシカの話は気の毒だ。」
「食べるものがなくて、神様に助けてと祈っていたら、そこへJWがやって来て、初めは雑誌、その後で食べ物を入れたかごを置いていったという話ですね。“神が祈りに答えてくださっていた”とありますが、どうでしょうか。よいことがあるとエホバね、という発想です。」
「エシカはスペインに移住し、JWと研究しているそうだけど、エシカがまず感謝すべきは、移住を認めてくれたスペイン政府にだよ。スペインで安定した生活をしているようだけど、それはエホバのおかげではない。」
「エシカの例は、JWも貧しい人に対する慈善活動を行えば信者が増えるかもしれないという例ですよ。」
「お腹のすいている人に食べ物ではなく、雑誌を渡すJW。この非常識さを反省している様子はないね。JWは終末カルトである以上、信者獲得に効果があるとしても慈善活動はしないと思う。慈善活動は、この世界がまだまだ続くことを前提とした活動だから。」

「12節で、“エホバと共に働く別の方法は,災害時に兄弟姉妹を助けることです。”、13節では、“難民として米国に来た兄弟姉妹を援助し,神と共に働く喜びを味わいました。”とあり、信者以外の人を助けることは神と共に働くことには含まれないようですね。」
「差別的な神様なんだろうね。災害時には、様々な宗教団体が救援活動を、信者であるかどうかにかかわらず行っている。いい宣伝になるし、これこそが隣人愛の実践と考えているからね。JWのように仲間内だけ手を差し伸べるというのは、まったく内輪の論理だけで動いていて、他者の評価を気にしないという点でカルト的だね。」
「災害の時、JWの被災者は一般の人の援助は受けるわけですが、JWは一般の人を助けないで、伝道のチャンスとして利用さえします。」

「16節で、“ベテル奉仕や建設奉仕を援助するために,テンポラリー・ボランティアやコミューターとして働けますか。”と問いかけています。ベテル奉仕者を大幅に削減していることや王国会館を世界規模で売却していることには沈黙です。」
「ベテル奉仕者の削減は費用削減と老人を追い出して、若い人に取り替えるためでしょう。王国会館の売却は、もう信者が増えることはないと見限ったということだね。」

#854 2018年11月02日 16:57:52

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「予習に来ました。次回のものみの塔は、“それを行なうときに,あなた方は幸福です”というもので、謙遜であれ、という内容です。謙遜であれば組織に疑問や不満を持つはずがないという前提のようです。パウロとバルナバ、エパフラス、シムイに挑発されたダビデの例が出ています。」
「一番謙遜さが必要なのは統治体の老人たちだろう。自分たちを聖書にある忠実で思慮深い奴隷で、必要な霊的食物を与えていると不遜なことを言っているんだからね。」
「カルトの指導者は、自分がいかに偉いかをアピールすることには熱心なものと、昔から決まっていますからね。」

「この記事のタイトルはヨハネ13:17からだけど、この記事の中では“行う”ことを強調するためにこの聖句を引用している。これはへんだね。これはどのような文脈で使われたかというと、イエスが弟子たちの足を洗い、13:14で“あなた方も互いに足を洗い合うべきです”と言って、13:17で、本当にそうしたらあなた方は祝福されるといっている。要点は、お互いに謙虚になれということだ。」
「確かに3から6節では、“知識を取り入れるだけでは不十分です。”と“行う”ことの重要性を強調していますね。」
「問題は、それがどんな行いかだね。3節で、ヨハネ4:34の“わたしの食物とは,わたしを遣わした方のご意志を行ない,そのみ業をなし終えることです”を引用しながら、4節で、“イエスの「食物」には神の教えに従うことが含まれていました。”と、要するに従うことだけを強調している。」
「強調すべきは、“み業をなし終えること”の方ですよね。目的を達成することは大いなる喜びをもたらす。あたかもおいしい食べ物を食べたように。そういう意味なのに、服従を強調するのはいかにもJWらしいですね。」
「5節には、弟子たちは、“生涯中ずっと従う必要があったのです。”、6節では、“ずっと幸福でいるためには,エホバの教えに謙遜に従い続けなければなりません。”とあり、死ぬまで服従、死ぬまで組織の奴隷でなくてはいけないようだ。お互いに謙虚であれという聖句から変な結論になっている。JWって気の毒だね。」

「8節からパウロの謙遜さの例が出ていますが、謙遜さと関係する話なのですか?」
「取り上げられているパウロとバルナバの例は、使徒14章の話ね。ルステラというところで、歩けない人を歩けるようにしたということで、群衆が二人を神のように扱い、ゼウスの司祭まで出てきたけれど、それを止めさせたという話だ。」
「バルナバがゼウスという一番偉い神様とされたようですが、バルナバがパウロより威厳のある男だったからでしょうね。パウロは、ものみの塔の挿絵でも頭の禿げたさえない男として描かれています。」
「自分たちを神と誤解した群衆に、“わたしたちも,あなた方と同じ弱さを持つ人間です”と言ったことを謙遜さの現れとし、パウロを見倣おうと、11節に書いている。でも、自分を神と誤解したままにしておいたら、単なる詐欺師なわけで、謙遜だから正直に人間だと言った、というのはおかしな主張だね。」

「奇跡をおこなった話は新約聖書の中に何度も出てきますが、神と誤解されたというのはほかにありませんよね。なぜこういう誤解が起きたのでしょうか?」
「パウロの宣教より約50年前に書かれた本に、この地域でよく知られて伝説が出ている。ゼウスとへルメスが、人間の姿になって泊めてほしいと家々を回ったが、みんなに断られた。唯一、貧しい老夫婦が泊まらせてくれた。その後、二人の神は貧しい家を立派な寺院に変えて、老夫婦をその寺院の祭司にした。一方、泊めてくれなかった人の家はすべて破壊した。この伝説を知っていたリステラの人たちは、病人が癒される奇跡を見て、ゼウスとヘルメスが再び人間の姿でこの地にやってきたのだと誤解したのだろう。」
「それでゼウスとヘルメスなんですね。」
「でも、パウロもバルナバのこの伝説は知らなかったので、群衆が大騒ぎする理由がわからず当惑していた。そこへゼウスの司祭が犠牲にする牛を引っ張ってきたのを見て、これはまずいと判断して、群衆に“わたしたちも,あなた方と同じ弱さを持つ人間です”と叫んだというお話。謙遜さとはあまり関係ない話だろう。ものみの塔の執筆者はこの辺のことを知らないんじゃないかな。」
「9節に、“人々はパウロとバルナバをヒーロー扱いしました。”、“パウロとバルナバは人気の波に乗ろうとしましたか。”とありまして、古代人の神に対する怖れを、現代人が有名人に抱く憧憬の念と混同していますよ。」
「人々が騒いだのは神を見て喜んだというよりは、早く敬意をささげないと、どんな不幸に会うかと恐れているためで、人気スター扱いではない。ものみの塔の執筆者は全く理解していない。」

「12節で、エパフラスという極めてマイナーな人を挙げて、13節で、“エパフラスに倣い,会衆の兄弟姉妹のために祈ることができます。”とあります。エパフラスって何者ですか?」
「エパフラスは、新約聖書の中でコロサイに2回とフィレモンに1回、名前が出てくるだけ。問題は、コロサイはパウロのふりをした別人が書いたもので、その際、コロサイに真実性を持たせようと、フィレモンの状況設定を採用していることなんだ。」
「両者とも、パウロが獄中からテモテを共同発信者として手紙を送り、逃亡奴隷のオネシモを送りかえすという設定ですね。さらに最後の方で、挨拶を送る人が、エパフラス、アリスタルコ、マルコ、デマス、ルカと同じ人ですね。」
「エパフラスは、フィレモンに出ている人なので、コロサイでも同じ状況設定をしている以上エパフラスを出さざるを得なかっただけ、という可能性が高い。」
「となると、コロサイに書かれたエパフラスのことは信用性に欠けることになり、フィレモン23の“キリストにあって仲間の捕らわれ人であるエパフラスがあなたにあいさつを送っています。”だけが信頼できるエパフラス情報なんですね。」

「14節も奇妙なことが書いてある。“出エジプト記 32章11‐14節に記されているモーセとのやり取りに注目しましょう。(読む。)エホバはモーセの提案を必要としていませんでした。それでも,モーセの意見に進んで耳を傾けました。”とあるけれど、引用されている32:14には、“するとエホバはご自分の民に下すと言われた災いについて悔やまれるようになった。”とあるよ。初期の頃の神様は、しばしば後悔をするダメな神様なの。決して全知全能ではないんだ。だからモーセの提案は必要とされていたの。モーセが神様をなだめなければイスラエルの人は皆殺しになっていたよ。」
「例えば、サムエル一15:10、11で、“さて,エホバの言葉がサムエルに臨んで言った, 「わたしはサウルに王として治めさせたことをまさしく悔やんでいる。”とあります。エホバは初代の王をだれにするかという大問題で、自分のミスを認めていますね。エホバって適切な助言者がいないと、とんでもないことをしてしまう危ない神様ですよ。」

「16節に、ダビデがシムイに挑発されたけれど、感情を制御して、謙遜さを示したと書いていますが、ダビデの例は謙遜さの現れですか?」
「もちろん違う。サムエル二16章の話だね。シムイはダビデに16:8で、“お前は血の罪のある男だからだ!”と叫ぶ。ダビデは、16:10で、“エホバが彼に,『ダビデの上に災いを呼び求めよ!』と言われたのだ。”という。神様がシメイにそう言わせているとダビデは理解した。だからダビデはシメイをかまうなと部下に命令した。それだけの話なのに、この執筆者は詩編第3篇を持ち出して来てへんなことを言っている。」

「17節に、“不当な扱いを受けた時には,ダビデのように神に祈りましょう。エホバは聖霊を与え,耐え忍べるよう助けてくださいます。”とあります。的外れですね。」
「聖霊は旧約聖書にほとんど出てない。神様が聖霊を与えて誰かを助けたという例が旧約聖書にあるかな?」
「怪力サムソンの例はどうですか。ライオンが向かってきたときの話です。裁き人14:6では“ときにエホバの霊が彼に働きはじめた。そのため彼は,人が雄の子やぎを二つに裂くかのようにしてそれを二つに引き裂いた。”とあります。」
「エホバの霊であって、聖霊ではないよ。聖霊が大活躍するのは新約聖書。そこでは聖霊は天使のような人格を持った存在としてさえ描かれる。神の霊ではなく、神からの霊としての聖霊は、新約から出てくる新思想だよ。」
「要するに、ダビデと聖霊を結びつけるのは時代錯誤ということですね。」

#855 2018年11月02日 21:04:33

てつてつ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

オフライン

#856 2018年11月09日 16:04:50

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「予習に来ました。次回のものみの塔は、“互いを愛し,励ましましょう”で、信者に対する自殺対策、精神病対策が必要だという内容です。」
「暗い話だね。でも、その翌週は“「幸福な神」に仕える人は幸せ”というテーマで、エホバの民は幸せです、という内容なんだけど。」
「この記事でも、2節では、“エホバに仕える人たちは,純粋で自己犠牲的な愛を示し,固い絆で結ばれています。”と、幸せ宣言をしています。こんな素晴らしい組織は他にはないというのが公式見解ですよ。」
「確かに信者は自己犠牲的だけど、固い絆では結ばれてはいないよ。」
「遠い異国の地で若いJWが悲惨な最期を遂げても、本人が勝手にやっていることで組織としては関知しないという冷たいコメントで済ますだけですからね。」
「使徒8:2には、“敬虔な人々はステファノを埋葬所に運び,彼のことで大いに嘆き悲しんだ。”とある。ステファノは最初の殉教者だ。JWも敬虔な人々なら、同じようにすべきだね。」

「1節で、“イエスは弟子たちと過ごした最後の晩,「愛」とか「愛する」という言葉を30回近く使いました。”とありますが、ヨハネの福音書での話ですよね。」
「愛を繰り返すのがヨハネのイエスの特徴だね。マルコだと愛は全体で6回しか出てこない。しかも神を愛せとか隣人を愛せとか、旧約からの引用する形で使用することが多い。」
「ヨハネはなぜ愛を強調するんですか?」
「マルコのような福音書では、神の国が近づいたというのがイエスの主要なメッセージだった。ヨハネが書かれたのは90年ごろで、その時は、神の国はすぐには来ない、イエスの再臨は遠い先だと認識されるようになった。つまり、信者は終わりの日を待ち望むのではなく、地上でお互い助け合って生きていかねばならないと認識されるようになって、愛を強調するイエスになった。ヨハネのイエスは神の国が近づいたなどとは一度も言わないよ。ヨハネでは教会的キリスト教が目指されている。」
「無人島に流れ着いた人たちが、始めはすぐに助けが来ると思って、自分が船に乗れるかどうかしか考えなかったけれど、当分助けが来ないとわかって、生き延びるためにはお互い協力し合うことが必要だと思うようになった、というようなものですね。終末論にこだわるJWは、お互いに愛を育みようがないのですね。」

「3節で、“残念なことに,クリスチャンの中にも,苦しみに耐え切れずに命を絶った人がいます。”とあり、5節で、“今日,多くの兄弟姉妹が難しい状況に置かれ,愛や励ましを必要としています。”とあるのを見ると、JWの組織でさえ、JWの精神状態が悪化していることを理解しているのでしょうね。」
「しかし、その原因を正しく認識しているわけではないね。アメリカやヨーロッパでは、現在新しくJWになる人は移民が多い。JWの問題は移民問題でもあるという認識が必要でしょう。」
「そのことを統治体は認識してないかもしれませんね。新しい光はまだのようです。」
「欧米では、白人中流層はJWから減少し、移民が増加している。移民というのは、社会の中で孤立し、差別され、経済的に貧しい状態に追い込まれやすく、しかも移民先の文化に同化するよう強い圧力を受ける。こういった要素は精神障害のリスクファクターだ。」
「カルト特有の問題もありますよ。JWに改宗したら、社会の主流から孤立し、差別をうけるだけでなく、以前の仲間や親せきからも孤立し、差別を受けるわけです。」
「JWの会衆が、それに代わる温かい集団かというと、そうではないだろう。」
「JWは、ムチで子どもを痛めつけてきた宗教ですが、子ども時代の虐待も精神障害のリスクファクターじゃないですか?」
「普通はそう考えられる。幼児期に虐待を受けた人はうつ病になりやすく、自己破壊的な行動をとりやすく、結果として自殺に傾きやすい。」
「ハルマゲドンの教義はどうですか?子どものころから不気味な挿絵の本や雑誌を読まされて、強い恐怖を植え付けられているJWは結構いるんじゃないですか?」
「恐怖の条件付けだね。一度条件づけられた恐怖は消去できず、一生苦しむ。」
「エホバかサタンか、という二分法的思考はどうですか?」
「それもJWの特徴だけど、極端な二者択一思考をしてしまう人は、柔軟性に乏しく、生き方を極端に狭いものにしてしまう。」
「性的抑圧はどうですか?JWは禁欲主義を貫けという教えですよ。」
「それは精神障害とはあまり関係ないと思うけれど、反同性愛の教義はJWの中に確実にいる同性愛の人を苦しめ、自殺に追い込むものだ。」
「となると、移民や2世のJWは、精神障害のハイリスクグループといえそうですね。」

「11節で、“うつ病などを抱えている人には専門的な助けや治療が必要かもしれません。(ルカ 5:31)会衆の長老や他の成員は,自分が医療の専門家ではないことを認めています。でも,できることがあります。”とある。なぜもっと積極的に専門家の治療を受けるべきと言わないんだろう。精神的問題を抱えた人を自分たちの内部で処理しようしようという姿勢が強いね。」
「専門家の所に行けば、JWを辞めればよくなりますと言われて、本当に辞めちゃう人が出てくるので、ものみの塔では、それを強く勧められないのですよ。」
「冗談だろう?そうなると本当は必要なのに、適切な治療を受けていないJWがたくさんいることになる。」
「まじめなJWの中には、精神科に行くのはエホバの名に傷をつける行いだと思って、治療を受けない人がいますね。組織は、精神の病んだJWが問題を起こせば排斥すればいいと軽く見てますよ。」

「排斥で思い出したけれど、ものみの塔の2011年7月号、“あなたはエホバの明確な警告に留意しますか”で、背教者を精神病と差別しているよね。」
「6節に、“背教者たちは「精神的に病んで」おり,いわば他の人を自分たちの不忠節な教えに感染させようとしています。(テモ一 6:3,4)偉大な医師であるエホバは,彼らとの接触を避けるようにと言っておられます。”とありますね。ひどいですね。」
「そこに出ているテモテ一6:4を、“疑問をはさむことや言葉をめぐる論争で精神的に病んでいるのです。”と新世界訳は訳している。しかし、このような訳は他では見られない。新共同訳では、“議論や口論に病みつきになっています。”とある。このように訳するのが普通だ。英語ではunhealthyがよく使われ、新世界訳の英語版では、mentally diseasedはやめて、obsessedという語を使っているけれど、これも使われない表現だ。」
「新世界訳では、どうしても頭のおかしな人に仕立て上げたいのですね。」
「テモテの手紙の著者が、精神医学的な診断を下しているとは考えられない。それにもかわらず、新世界訳では、“精神的に病んでいる”と診断を下していることになっている。おかしいよ。そう訳しておいて、背教者たちは精神病と、ものみの塔の中で差別する。」

「13節以降、“どのように励ませるか”が書かれているのですが、精神的な問題を抱えた人を励ますのは、一番良くないことじゃないですか。」
「英語版では、“HOW TO BUILD UP OTHERS IN LOVE”で、励ますじゃないよ。日本語の訳者は“励ましは禁物”程度の常識も知らない無知な奴ということさ。」
「なぜ励ましはダメなんですか?」
「うつ病になる人はまじめで几帳面でがんばり屋が多く、さんざんがんばった挙げ句、うつ病になった。そんな人を励ますことは、まだ頑張りが足りないと非難しているように聞こえるだけ。だから励ましはやめろということ。」
「なるほど。5つのアドバイスが出ていますが、どうですか?」
「特に悪いことはないけれど、それ程役に立ちそうもないと思う。JWであるという現実を変えないで、会衆内で接し方を多少変えたところで効果は期待できないよ。」

「最後の20節にはパラダイスのことに触れています。パラダイスさえ来ればすべてが解決するというわけです。」
「逆に言うと、JWはそれ以外の解決策を何ももっていないということだね。」
「どうして箴言13:12、“延期される期待は心を病ませる。”を引用しないのでしょうね。楽園、楽園なんて虚しいことを言うから、JWの心が病むんですよ。」

#857 2018年11月16日 16:53:16

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#858 2018年11月16日 18:12:49

またい
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

平和ってどこにあるのかな?

#859 2018年11月21日 16:56:04

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#860 2018年11月21日 23:07:08

ちょっと失礼します
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

またいさんの柔らかい書き込みになごんでます。もっとコメントを読みたいです。
なんとなくまたいさんのコメントないかなあと思ってしまいます。でも、いいんですよ。
カレブさん、ラハムさんのコメントも読んでいてなるほどと思います。

#861 2018年11月22日 07:44:46

てつてつ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

オフライン

#862 2018年11月23日 04:49:18

てつてつ氏に同じ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

私も同じことを考えていた。
ローマ時代ブリテン島へ遠征した兵士とその家族の
使ったカエサルの肖像の硬貨や家具、おもちゃの類が
イギリスで発掘されている。太古の昔の貝塚でさえ
残っている。無線機や通信手段など無い時代にどうやって
300万人に一斉司令を伝えるのか、第一砂漠の荒野で40年300万に
どこから食料調達を行うのか?
300万と言えばてつてつ氏の地元の県の総人口の3倍である。
ほぼ大阪市の人口である。地区大会の7000人の出席者を
拡声器もPCも使わず口述だけで運営出来るかJWにさせて見ればいい。
出エジプトなどヤングマスクの詭弁と同様であろう。

#863 2018年11月29日 16:31:37

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#864 2018年11月29日 18:35:31

てつてつ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

編集者 てつてつ (2018年11月30日 06:55:39)

オフライン

#865 2018年12月07日 16:46:33

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#866 2018年12月07日 20:40:12

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

聖書についての質問さん。

何時もながら、今回は特にjwのみならず、
「聖書の神」の不条理性の部分を浮き出しておられるように思います。

#867 2018年12月08日 11:03:04

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

新約も使徒行伝になると狂暴な話が出てきますが、その締めが、歴代のも塔うそつき執筆者も投げ込まれそうな火の湖です。

女性信者が目立ちすぎて正典から外されましたが、パウロとテクラの行伝にも、神が雹を降らせて大量殺人する旧約みたいな話があります。


聖書についての質問さんの解説しか読んでいませんが、JW信者対象の脅迫記事としては上手く書けていると思います。恐怖でカミングアウトする人の宗教裁判で忙しくなるんじゃないですか。

#868 2018年12月08日 11:11:28

万年研究生
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

イエスの王国は1000年で終わってしまうとJWの方々は信じているようです
ルカ1:33などは気にかけていないのかものみの塔などにもいくつか記事があります

*** 塔00 10/15 20ページ 神の王国は何を行なうか ***
王国の将来
18 王国は,エホバが地とそこに住む人々を完全にし,ご自分と和解させるために用いた副次的な政府です。
・・・・・以下略

読んでもなぜ終わるかがさっぱりわかりません。
聖書についての質問さん
千年王国について教えてください。

#869 2018年12月08日 17:12:25

iris
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

みなさまこんばんは。

昨日たまたまテレビで、ダイアモンド博士の“ヒトの秘密”という番組を見ました。

昨日のテーマは集団虐殺でした。ナチスとか、ポル・ポト政権とか、集団虐殺の例はたくさんありますよね。
私は旧約聖書で自慢気に語られる虐殺を思い出してしまいました。この掲示板でよく話題になっていましたからね。

ダイアモンド博士の意見では、この残虐な行為は人間が動物から進化する中で引き継いできたものではないかということです。進化を否定しているはずの旧約聖書に、動物から引き継いだ習性を自慢気に記録しているのかもと思ったら、可笑しくなっちゃいました。

集団虐殺は、“us vs them”(我々対彼ら)という考え方が影響しているのだそうです。自分たちのグループさえよければOK!
某トランプさんとか、某○○さんとかが大好きな考え方では…?

現代人は「汝殺すなかれ」というルールを知っているから、殺人に対する罪悪感によって虐殺にブレーキがかかるというお話もありました。でも旧約の虐殺物語では“them”は殺してはいけない相手ではないのですよね。
同種であるヒト同士の殺し合い。動物の習性そのものに見えます。

オフライン

#870 2018年12月09日 11:37:21

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#871 2018年12月09日 16:26:19

三太郎
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

Irisさん こんにちは

このシリーズ7回目の「農業は人類に何をもたらしたのか」は、人類史における階級や格差は、農業と共に始まったという見方をしていました。私も同じような考えでしたから、興味深く見ていましたよ。

数年前、青森の三内丸山遺跡と佐賀の吉野ヶ里遺跡に行ったことがあります。この同じ大規模集落の決定的な違いは、防御施設としての環濠の有無です。
漁労狩猟採取の縄文遺構の三内丸山からは、集落を取り囲む環濠は見つかっていません。弥生遺構の吉野ヶ里から見つかったV字型の環濠は圧巻で、深さ3m以上、幅が6mもあり、どう見ても外敵から集落を守る為の施設であることは間違いないという感じでした。これは縄文時代には無かった大集団による戦闘が、既にこの時代には繰り広げられていたことを示すものです。実際、縄文期の殺傷人骨の出土例は、弥生期にに比べると圧倒的に少ない。

水稲稲作などの大規模農業によって爆発的に人口が増え、余剰の農産物が保管できるようになると、それを手に入れた者が富と権力を握るようになり、そこから階級や格差が生じたと考えられます。その後の支配権拡大の動きが戦闘に繋がっていったことは、想像に難くありません。

確かに農業には功罪がありますが、そうかといって今更、弓と槍もって山に入るわけにもいかないし。

狩猟採取か農業かという食料調達手段の問題よりも、問題の本質は食料調達後の人間の側にあるのでしょうね。

ちなみに、「農業は人類の原罪である」(コリン・タッジ著) なんていう本もあります。

#872 2018年12月10日 18:27:56

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

交配できない近種では、捕食対象をずらすなど上手くすみ分けるよう進化するケースも多いですが、哺乳類から霊長類にかけて社会性がある種ほど、同種間の殺害率が高いようです。


「殺すなかれ」ルールのあるヒトも大量殺戮のインパクトは強く、昔の史記にありがちですが、旧約も、動物でも人間でも(と)殺した数をむしろカサ増して誇示したり、びびらせたりします。

そんな昔話を脅しに使うしか能がない統治体も、信者を動物のように調教しているつもりなんでしょう。

#873 2018年12月14日 16:05:59

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#874 2018年12月15日 11:24:32

iris
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

三太郎さん、こんにちは。

私はこのシリーズを見たのは前回が初めてでした。もっと前から見たかったです。

弥生時代に稲作が始まって貧富の差が生まれた…とはるか昔の中学時代に習った気がします。
動物も獲物をめぐって縄張り争いをしますが、農耕・牧畜の生活になって良い土地がより重要になり、戦闘も激しくなっていったのかも。

聖書でも「乳と蜜の流れる土地」が神さまの約束であり、奪い合いの対象でしたね。

オフライン

#875 2018年12月16日 06:31:10

てつてつ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

編集者 てつてつ (2018年12月16日 06:51:35)

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