#51 2016年09月22日 20:32:23
- カレブ
- Administrator
Re: カトリックの混宗婚について(分岐)
iris さん
扱いづらい相手に返信ありがとうございます。
マタイ19:9の解釈の違いで実務的にかなりの差が出ますが
カトリック教会の「結婚観」はエホバの証人とそれほど違いはないと思います。
以下 理解した点を書きます。
・最初の結婚がカトリックの教会婚でなければ「抜け道」をつかって離婚の許可と再婚の自由が得られる。
・混宗婚でも教会に正式に認められた結婚であれば離婚はできない。
・教会の正式な結婚の場合、配偶者の死別以外には再婚の自由はない。
・離婚再婚を強行した場合「聖体拝領」に加われなくなる。
・「聖体拝領」に参加できなくなることを「破門」とは呼ばない(何と呼ぶのでしょう?)
・聖職者は一般信徒にはないような「破門」を受けることがある。
以上のように理解しました。間違っている点があれば指摘していただけると助かります。
オフライン
#52 2016年09月22日 23:32:47
- KAO
- ゲストユーザー
Re: カトリックの混宗婚について(分岐)
カトリックの「結婚」についての厳格さは、カトリックがそれをサクラメントに含めていることと関係していると思います。プロテンスタントではサクラメントは「洗礼」と「聖餐」の二つのみですが、カトリックでは「結婚」含め七つもあります。これらは本来信者のみに適用されるものなので、古代・中世においては異教徒との結婚など生じることはなかったのだと思いますが、カトリックも近代化してきたとはいえ、過去の縛りが現代の実情に合わなくなってきたということではないでしょうか。
かくいう私の所属する教派も、「教会生活は長くとも、諸般の事情で未洗礼の者を聖餐にあずからせてよいか」という問題で大きく揺れています。カトリックなら当然論外だと思います。
「サクラメント」についての説明は長くなるので、調べ学習は各自でお願いいたします。横槍失礼しました。おやすみなさい・・・
#56 2016年09月23日 14:47:15
- iris
- メンバー
Re: カトリックの混宗婚について(分岐)
KAOさんも御参加ありがとうございます。
カトリック教会は、実情に合わないところについては積極的に検討を行うようになっています。
ただ、譲れないところは譲りません。
考えもなく社会に流されていたのでは、宗教の意義はなくなってしまいます。
プロテスタント教会の中にはさまざまな教義の教会がありますので、比較は難しいのですが、
厳密に言えばカトリックの聖体拝領とはだいぶ意味の違う聖餐を行っているプロテスタント教会が
多いと思います。
カトリックでは信者が拝領する御聖体は聖変化前のホスチア(水と小麦粉だけで作る種なしパン)とは
まったく別のものです。その意味を理解している信者でなければいただくことはできません。
オフライン
#60 2016年09月25日 16:46:24
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: カトリックの混宗婚について(分岐)
「わたしは命を与える力を持っており、それを再び受ける力を持っている」(ヨハネ福音10章18節)
彼は今や、死んでゆく一粒の麦となり、真のパンを増やす奇跡において時代を超えて自らを人々に分け与えることにより、聖体の秘跡を制定できるのです ― ヨゼフ・ラツィンガー(前ローマ教皇ベネディクト16世)「ナザレのイエス」第2巻157ページ
#61 2016年09月25日 16:58:32
- 萬燈
- ゲストユーザー
Re: カトリックの混宗婚について(分岐)
#62 2016年09月25日 17:07:57
- 萬燈
- ゲストユーザー
Re: カトリックの混宗婚について(分岐)
訂正:10行目三単現s挿入
訂正:最後 私が論点ずれているのかも?
#66 2016年09月27日 11:29:09
- iris
- メンバー
Re: カトリックの混宗婚について(分岐)
元・エホバの証人同窓会・脱塔分室のトピックでも、エホバの証人の方は二元論に
陥りやすいのではという指摘がありましたね。
ものごとを過度に単純化する傾向にあるように感じられます。
ものみの塔もダメだし過去のキリスト教もダメだし、従って聖書もキリスト教も
宗教もダメだという理屈は、ひどい目に遭った方の心情としては理解できますが、
客観的な見方とは言えませんね。
ものみの塔の教えとは違って、聖書の読み方もキリスト教会のあり方も、
ひとつである必要はないのです。
念のために言っておきますと、私は皆さまからの御質問に対して現在の日本の
カトリック教会の実情をお答えしているだけで、カトリック教会こそが正しいとは
一言も言っていませんよ。それは4年前から同じです。
私にも、本当に神がいてイエスが救い主キリストなのかなんてことはわかりません。
でも「そういうことにしておけば」私の人生うまく行くだろうと思っているだけのことです。
「今となっては洗礼を受けただけ」というカトリック信者は山といますよ。
自分にとって意味がなければ、聖書を読んだり教会に行ったりする必要を感じないのが
当たり前だと思います。そういう人に信者のつとめを強制したところで何の益もありません。
ただその必要を感じるようになることがあれば、カトリック教会はいつでも受け入れます。
編集者 iris (2016年09月27日 11:36:59)
オフライン
#67 2016年09月27日 14:06:09
- iris
- メンバー
Re: カトリックの混宗婚について(分岐)
私がしつこくこのサイトにお邪魔し、ものみの塔のやり方を批判するのは、
その教えによって特に子どもたちの福祉に反する事態が現実に起こっているからです。
現代の日本に生まれながら、輸血拒否を強要されて命を落としたり、自然な情愛を
操作されて健全な育ちを妨げられたりしている子どもたちが現実にいるのです。
ただでさえ人手が足りない医療現場で、一刻を争う事態のときに輸血をするしないの
不毛な問答をしなくてはならないのは、命の危機に瀕している子どもにとっても、
確信もないのに組織の目を気にして悩まなくてはならない親にとっても、
適切な治療をする責任を感じている医療者にとっても、
治療の順番を待っている無関係な患者にとっても、どれほど迷惑なことでしょう。
このような事態が起こるのは個々のエホバの証人の判断によるのではなく、
ものみの塔の教えがそのような仕組みになっていることによるのです。
そのような非人道的な事態を起こさないのであれば、ものみの塔が何を教えようと、
証人たちが何を信じようと自由だと思います。
オフライン
#68 2016年09月27日 14:16:22
- 萬燈
- ゲストユーザー
Re: カトリックの混宗婚について(分岐)
irisさん、いつもバランスのとれた見識に感謝しております。
JW関係者は、ご指摘のように二元論が強く刻印されており、辞めてもその刻印がなかなか取れないのでして、
「大いなるバビロン」=「偽りの宗教の世界帝国」、その頂点に君臨しているのがカトリック教会であるという刷り込み教育があり、
(致し方ありません、一部のプロテスタントの教職者ですら、ほとんど大前提でもある、カトリック=悪、に多かれ少なかれ依拠している、依拠せざるを得ない、あるいはただ単に知らない、という状況ですから推して知るべしなのですが、今やエキュメニカル的共働、東西両教会和解、宗教間対話の時代であり、傷ついた世界に発しているオピニオン・リーダー的役割を国連とともにカトリック教会が担っているという極めて今日的重要な意義に関して、閉じた周回遅れのグループ内ではなかなか気づけないでいるという現状があります。)
恵みあふれるカトリック教会という実体験がなければ、
伝聞推定・史観・観念・イメージ等等で判断するしかない致し方ない面があり、
そういう弱さを持っていることをおゆるしいただければ幸いに存じます。
カトリック教会は二元論を注意深く退けてきたわけですが、
アウグスティヌスがマニ教から回心したことにも現れている通り、
二元論からの解放と癒しとしてのカトリックというのは私も体験しているところです。
ここの板では「JW」を思考の基点としており、
その反動形成としての諸相が現れていることに、
不自然さとある種のもどかしさをお感じかと心中拝察いたします。
これも致し方ないことではあるかと思います。
天動説と秘跡を同列で論じたり、
JWとカトリックをニアリーイコールで捉えたり(オウムと伝統的仏教を同列に論じるようなもので・・)
カトリックが聖書から演繹されるようにな捉えられたり(プロテスタントの聖書信仰と同種と錯覚したりという・・)、
カトリック教会はかなり曲解されがちだな、とやはり思います。
かようでありながらも、いえ、かようであるからこそ、でしょうか、的確なご指摘の中にも、忍耐と暖かな眼差しが含まれていることを感じ取っている者も読者の中におりますことを申し添えたいと思います。
本丸は、イエスさまが探しにこられ戸口に来ておられる、出会い交わり語り合いつながることにあるのだけど・・・
というとてもシンプルなことなのではありますよね。
#69 2016年09月27日 16:36:54
- カレブ
- Administrator
Re: カトリックの混宗婚について(分岐)
iris さん
>私がしつこくこのサイトにお邪魔し、ものみの塔のやり方を批判するのは、
>その教えによって特に子どもたちの福祉に反する事態が現実に起こっているからです。
ぜひ これからもお願いします。
なんだか対立みたいになってしまっていますが
正直わたしもカトリックに関して批判することにはあまり関心はありません。
やはり ものみの塔の問題を中心に考えたいと思っています。
>聖変化の教理にどんな非人道性があって変える必要があるのか、御説明をお願いします。
そもそも聖変化の教理について「非人道性」があるから変える必要があるとは
思っていません。
わたしが言わんとしていたのはプロテスタントを異端とする
ときに使った条文をそのまま残しながら、カトリックとプロテスタントの一致を
目指すなんて難しいのではないかということです。
そういう意味では変えたほうがいいんじゃないのかと思います。
たまたま わたしが関心があったところにビンゴしてしまったので
iris さんにいろいろ突っ込みを入れる形になってしまいましたが
結果的にカトリックの解釈をいろいろ調べるきっかけになって
よかったです。
萬燈さん
投稿ありがとうございます。
JWからカトリックに改宗された方でしょうか?
よかったらカトリックに魅力を感じた点や癒された点など
投稿していただければ、参考になる人もいるかもしれません。
本題ですが
>天動説と秘跡を同列で論じたり
これはわたしのことだと思いますが
「同列」といっても中世と現代では
カトリック教会の力が全然違うので
同列にはおけないと思います。
ただ「教会がそう言ってるので信じる」という
考え方のことを言っています。
カトリック教会が絶対的な権力を持っていた時代に
それは科学の停滞にかなりの影響を与えたと思います。
>JWとカトリックをニアリーイコールで捉えたり
「ニアリーイコール」といっても程度がありますよね。
わたしはJWとカトリックは信者の似ている部分と
まったく対局の部分と両方あると思っています。
対局の部分のほうが断然多いと思ってます。
「ニアリーイコール」でいうならSDA(セブンスデー・アドバンティスト)
のほうが派生元が同じなので従弟みたいな感じで似ている部分あると思います。
カトリックに関していうと
似ている部分はヒエラルキーな権威構造のところがあります。
しかし現代のカトリックの場合、信者に対する権威という点では
JWの会衆のような構造はほとんどないと思ってます。
あとはなんとなく組織に属することによる「安心感」みたいなものを
少し似た空気を感じます。プロテスタントでは宗派によっていろいろとは思いますが
エホバの証人の場合は
とりあえず不活発にならないで伝道に参加するというのが
カトリックの秘跡みたいなもんかなと感じました。
違ってたら思いっきり否定してくださいね。
あと 今回の混宗婚や再婚、聖体拝領に関する点は
ものみの塔の文書は一切参照していません。
できるだけカトリックの公式文書を見るようにしています。
それも単なる一般解説よりもバチカンが何を言っているのかを
探すように努力しました。
>恵みあふれるカトリック教会という実体験がなければ、
>伝聞推定・史観・観念・イメージ等等で判断するしかない致し方ない面があり、
という点ですが
カトリックの公式文書を読んでも誤解されてしまうようなら
過去の公会議やら、法王や司教の発言などを早いうちに
訂正する努力をカトリック教会がしないといけないということを
意味しているのではないでしょうか?
オフライン
#70 2016年09月27日 16:47:13
- akame
- ゲストユーザー
Re: カトリックの混宗婚について(分岐)
萬燈さん
>「大いなるバビロン」=「偽りの宗教の世界帝国」、その頂点に君臨しているのがカトリック教会であるという刷り込み教育があり、
この掲示板にはその刷込みのまま来ている方はかなり少ないようです。
失礼ながら、こちらに来られるのでしたら掲示板全体を再精査し、元JWに対する認識を深めていただきたいと思います。