ログインしていません。

#26 2012年12月21日 03:07:31

iris
ゲストユーザー

Re: 組織の改善に関する議論

上の投稿の「パウロ書簡」は「パウロの主張」に訂正します。


続いて本題の組織について述べます。

私はある神父が「教会が教えているから信じるという姿勢ではダメです。自分の信仰に責任を持ちなさい」と
教えているのを聞いて、これはキリスト教徒にとって重要な心構えだと思いました。

上に述べたとおり、キリスト教の信仰の基礎となるのはあくまでも神と自分との個人的な親密な関係であり、
教会との関係ではありません。それでも、各々の信仰を育てあうような交わりは貴重です。

問題は成員の意識です。目に見えない神との適切な関係を保つためには常に自覚が必要です。
しかし自分の信仰を忘れ、他人任せで幸福が転がり込んでくるのを期待する人もいます。
組織の中で力を持ち支配しようとする人間、組織に依存してラクをしようとする人間のどちらにも、
本来の信仰から逸脱していくことの責任があると思います。
また、信仰で結ばれた組織であっても、結局は人間の組織であるということを認識しておくべきです。


最後に献身について

聖書の神への信仰に献身の要素が含まれるのは自然なことだと思います。
すべてを尽くして神を愛する(信じる)ことを神は要求しているからです。
しかし教会やものみの塔のような組織への献身を要求しているわけではありません。

カトリックの修道者は「清貧・貞潔・従順」の3つの誓願を立てます。
このうち従順の誓願は徹底的にキリストの生き方に倣うという誓いですが、事実上は修道生活において
上の指示に従うという意味も含まれています。組織への献身のようなものです。
ブラザーやシスターになりたいと望む人が修道院で生活を始めてから、最終的に生涯をその修道会で
修道者として生きると誓う「終生誓願」を立てるまでには、何年もかけていくつもの段階を踏んでいきます。
その間に、その人がその修道会で生きることが適切かどうかを慎重に見極めるのです。
修道院には修道生活のための環境も整えられていますし、個人の適性も考慮されます。

エホバの証人研究さんの「従順と清貧の誓い」の記事では、この誓いは一部の人だけに要求されているようですが、
事実上は研究生から始まってすべての成員に同じことが(金銭的な内容を除いて)要求されていますね。
伝道に専念できる環境が整っていなくても、伝道に適性がなくても、すべての成員に一律に修道者のような生活を
要求している点が、さまざまな問題を生んでいる原因のひとつだと思います。

#27 2012年12月21日 22:25:27

sk
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

編集者 sk (2012年12月22日 15:59:51)

オフライン

#28 2012年12月22日 12:24:00

iris
ゲストユーザー

Re: 組織の改善に関する議論

skさん

お返事ありがとうございます。skさんの確信されたことを分かち合うことができて嬉しいです。
昨日書いてくださった内容は、私の思いや信仰と同じです。

skさんの信仰は、次の部分に要約されていると思います。
そしてこれは、イエスの教え(キリスト教の教え)そのものです。

「キリスト教の音信は、和解の音信といえます。
その和解は、神の方の大きな犠牲を伴って備えられました。
それで、それはまた神の側の大きな愛の表明でもあります。
和解の音信を受け入れた人は、神の愛に見習うように励まされています。
クリスチャンが愛を強調するのは、神の愛に同種の愛を持ってこたえ応じるためです。
神との和解は、悔改めと、キリストへの信仰によりなされます。
それは、清い良心をもたらし、神が全人類の隠れたことを裁く際に、救いをもたらします。」

このskさんの説明は大変わかりやすい説明です。
アレオパゴスの説教は、キリスト教の音信そのものといえるかもしれませんが、
聖書を読み込んでいる人でなければ、何のことやらわからないと思います。

私は悔い改めを軽視しているわけではありません。悔い改めこそが信仰の出発点です。
悔い改めることなしに、キリストへの信仰を持つことはできないと思います。


さて、聖書の音信について人がそれぞれ異なった見方を持つことは当然のことであり、
それ自体が責められるべきことではありません。
skさんのおっしゃるように、「他の人の信仰により励みを受けたり、理解を広げたり深めたりし、
神との個人的な関係を発展させていけ」ることこそが、分かち合いの恵みです。

エホバの証人研究さんが無神論者でいらっしゃるとしても、個人的なスタンスとしては他人から
批判されるようなことではありません。それをホームページなりブログなりで発信されることも、
個人的見解として表明する分には誰も文句をつけることはできません。

しかし、エホバの証人問題について情報提供するという目的で発信されるのであれば、
聖書のメインテーマであるキリストの音信(福音)についてキリスト教の立場を理解せずに
「エホバの証人はキリスト教である」と断言されるのは問題だと思います。
(念のため申し上げておきますが、「キリスト教」と「組織されたキリスト教会」とは別です。)

「エホバの証人はキリスト教か」という記事の中で、現在は削除されていますが
「イエスキリストを信仰の中心にしていなくてもキリスト教の定義から外れるほどではない」と
書かれていたのは、特にキリスト教の立場をまったく理解していない発言です。
skさんが使徒 1:8, 2:32, 3:15 で指摘されている通り、クリスチャンは「キリストの証人」
あるいは「神がキリストによって救いを備えられたことの証人」であるべきです。

エホバの証人研究さんのホームページを訪れる人は、エホバの証人について何らかの
問題意識を持っている人だと思います。その人たちに向かって、「国語辞典の定義では
こうですよ」と情報提供したところで何の意味があるでしょうか?
国語辞典以上の情報が求められているのではないでしょうか?
エホバの証人はなぜキリスト教の定義に当てはまるのか、という解説をひそかに削除されたようですが、
解説なしに断言されるよりは、個人的見解であっても解説があったほうがましだと思います。

エホバの証人問題で困っている人たちは、必死の思いで情報を求めています。
また、エホバの証人も、伝統的キリスト教徒も、生涯を賭けて信仰を大切にしているのです。
エホバの証人研究さんには、ご自身は無信仰でもかまいませんから、
信仰を大切にしている人たちの気持ちだけは理解していただければと思っています。
そして、ご自身の情報発信がどれだけの重みを持つかを自覚していただくことを願っています。

#29 2012年12月22日 15:03:50

iris
ゲストユーザー

Re: 組織の改善に関する議論

キリスト教とキリスト教会について

エホバの証人研究さんは、「キリスト教」と「キリスト教会」を混同されているのではないかと思います。
「キリスト教の教え」と「キリスト教会の教え」とは別に考える必要があります。

「キリスト教の教え」とは聖書が伝える教えです。skさんが上に書いてくださったとおりです。
「キリスト教会の教え」とは「キリスト教の教え+α」です。

例えばカトリックの場合、「カトリック教会の教え=キリスト教の教え+カトリック教会の伝統」となります。
カトリック教会の伝統とは三位一体論、聖職者制度、マリア崇敬(崇拝ではない)などです。
カトリック以外の伝統的教会の場合は「教会の教え=キリスト教の教え+各教会の伝統」です。
三位一体論については、カトリックからそのまま引き継いでいるところがほとんどですね。
そして単立教会の場合は、「教会の教え=キリスト教の教え+牧師個人の信仰」となります。

「キリスト教」と名乗る以上、教会の教えに「キリスト教の教え」が含まれていることは必須です。
ところがものみの塔の教えはどうでしょうか? 「キリスト教の教え」が含まれていません。
これで「キリスト教」と言えるでしょうか?

実際には、本来のキリスト教の教えと各教会の伝統とを区別して教えることはしません。
その教会にとっては、その教会の教えがキリスト教の教えであることには間違いないですし、
各個人にとっても、自分だけの体験に基づいた自分だけのキリスト教があってよいのです。
(当然ながら、キリスト教の教えだけは守らなければキリスト教ではなくなります。)

もんもんさんは、エホバの証人の組織には問題が多くて神から捨てられるかもしれない、と
心配しておられるようですが、skさんもおっしゃるとおり、神が問題にされるのは
もんもんさん個人と神との関係です。もんもんさんだけの信仰があってよいのです。
信仰を分かち合える交わりは大切ですが、個人に過剰に干渉する組織は弊害の方が大きいと思います。
これは伝統的キリスト教会でも同じことです。

#30 2012年12月22日 16:24:53

sk
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

編集者 sk (2012年12月23日 21:45:12)

オフライン

#31 2012年12月22日 16:55:14

カレブ
Administrator

Re: 組織の改善に関する議論

irisさん
ご意見ありがとうございます。

irisさんの キリスト教に関するご意見もわたしは特に異論はありません。
また skさんの聖書の解説もとても納得できるものです。

わたしがこのサイトを立ち上げたとき現役エホバの証人を主な対象に
していました。それと同時に一般の人も「エホバ」で検索してくること、
そしてその中の多くは聖書に関心があるわけでも宗教に入ることに
関心があるわけでもなく、たまたまエホバの証人と関係してしまった
という人がほとんであることを想定していました。

ですからサイトの中はエホバの証人の致命的な間違いを指摘すると
ともに、エホバの証人が人間として危険なわけではなく、人道的に
扱う必要がある人々であることも指摘する必要があると感じていました。

これはエホバの証人の組織に入信することに危険がないという意味では
なく、人間として接するというレベルでの話です。

わたしは一般の人にエホバの証人ってなんですかと聞かれたら、やはり
キリスト教の一派だと答えます。それと同時に普通のキリスト教とは違う
部分を説明します。
率直に言うと、「エホバの証人はキリスト教ではありません」という
メッセージはキリスト教を信仰しようと心が傾いている人に対してしか
意味が通じないです。

ご指摘の通り「キリスト教」やキリスト教会のことに言及した記事の幾つかの文面に
修正を加えました。最初の頃に書いた記事を読みなおしてみて、公平ではないと
思えた文面があったからです。しかしエホバの証人は分類するならキリスト教だと
今でも考えています。

また気になる点がございましたらご指摘ください。

オフライン

#32 2012年12月22日 19:03:24

iris
ゲストユーザー

Re: 組織の改善に関する議論

エホバの証人研究さん

丁寧なお返事ありがとうございます。

エホバの証人がキリスト教であるかどうかが問題になるのは、
エホバの証人とキリスト教徒とそのどちらかになろうとしている人、
よく分からないけれどとにかく聖書を勉強したい人にとってだけです。
ご指摘の通り、それ以外の人には問題になりません。

それなのに、聖書にも信仰にも関心がない人に向かって、
「エホバの証人はキリスト教の一派である」という個人的見解に基づく
先入観を与える必要があるのでしょうか?
私が同じ立場であれば、「エホバの証人はキリスト教の一派であると
自称しているが、本当にキリスト教かどうかは知らない」と答えます。
エホバの証人がキリスト教であってもなくても、個々のエホバの証人を
人道的に扱うべきであることには変わりありません。
また、聖書を勉強している以上、個々のエホバの証人が個人的に
キリスト教の信仰をもっている可能性は十分にあります。

「エホバの証人キリスト教比較表」でも、各教会の伝統の部分だけを
比較しても意味がありません。
キリスト教とエホバの証人との最大の違いは、エホバの証人には
「キリスト教の教えがない」ということです。
カトリックとプロテスタントを比較するときに同様の比較表が見られますが、
「キリスト教の教えがあるかどうか」という項目がないのは
両方ともあるに決まっているからです。

聖書に関心がある人が、キリスト教のつもりでエホバの証人に
なってしまうことについてはどうお考えなのでしょうか?
エホバの証人が増えることを望んでおられるのでしょうか?

#33 2012年12月22日 21:32:17

カレブ
Administrator

Re: 組織の改善に関する議論

irisさん

ご意見ありがとうございます。クリスチャンとしての立場はよくわかります。
同じように、イスラム教過激派に迷惑している正統イスラム教徒の気持ちもわかります。
しかしタリバンもやはり分類するとイスラム教を基盤とする組織とみなされています。(政治組織として)

キリスト教の定義については、論題としてはあまり意味をもたないと思います。
この話題が問題になるのは恐らく、日本のキリスト教の発展はエホバの証人によって妨害されている
と感じるからではないでしょうか。
これについてはわたしは肯定も否定もできない微妙な問題だと感じています。
聖書に関心がある人が、伝統的キリスト教ではなくエホバの証人になるというケースは、それなりの
割合であると思います。ただその人がエホバの証人にならなければクリスチャンになっていたかと
言うと判断がつきません。それほど単純なことでもないように思います。

逆にクリスチャンの立場としてエホバの証人被害について教えていただけると助かります。
教会にとって「エホバの証人問題」とはどのようなものなのでしょうか?
かなり迷惑しているという状況があるのでしょうか?

オフライン

#34 2012年12月23日 02:09:26

iris
ゲストユーザー

Re: 組織の改善に関する議論

エホバの証人研究さん

お返事ありがとうございます。

私はカトリックですが、カトリック教会にとってエホバの証人がいると不利であるとか
邪魔であるということはありません。カトリック教会はエホバの証人問題に無関心です。
(無関心というのは要するにエホバの証人に対する愛がないということですが。)

カトリック以外の教会の中には、一部にエホバの証人が目障りで仕方ないという教会も
あるように聞いていますが、そういう教会は信者を取られると思っているのかもしれません。
私の印象では、歴史の短い教会や単立教会にそのような傾向がある気がします。

「日本のキリスト教の発展がエホバの証人によって妨害されている」と感じる人も
中にはいるかもしれませんが、多くの教会ではそのような見方はしないと思います。
「当教会はエホバの証人とは関係ありません」で済ましているところがほとんどでしょう。


私個人としては、職業上大変迷惑しています。輸血拒否問題で当事者になりかねないからです。
しかも私たちの相手は子どもです。本人の意思に反して、親に見殺しにされるかもしれないのです。

多くの医療関係者にとっては、エホバの証人は単に面倒くさい患者にすぎません。
最近ではどの医療機関でも輸血拒否への対応が決められていますから、運悪く面倒くさい患者に
遭遇してしまったらマニュアルに従えばいいと考えていると思います。

しかし私にとっては、エホバの証人も同じ神を信じる仲間のようなものです。
自分が信仰を持っていますから、エホバの証人がどれほど真剣に信じているかもわかります。
そして、輸血拒否が聖書の教え(キリスト教の教え)ではないということも知っています。
ですから、ただでさえ命に関わる大変な状況のときに、輸血拒否などというくだらない教義に
悩まされないで、もっと重要なことに心を配ってもらいたいのです。
けれどもエホバの証人にしてみれば、輸血拒否だけを信じない、というわけにはいかないのです。
ですから、そもそもエホバの証人にならないのがいちばんです。

キリスト教系の学校の卒業生でも、輸血拒否に迷惑していた医療関係者でも、
「聖書を学びませんか」と誘われてエホバの証人になり、輸血拒否も当然と思うようになっていきます。
「ものみの塔の教えは聖書の教えでもキリスト教の教えでもない」という情報は非常に重要です。
これはエホバの証人を増やさないためです。キリスト教徒が増えるかどうかには興味はありません。

キリスト教の教えがでたらめだったとして、私の人生の最後に何が残るでしょうか。
神の愛を信じ、人を愛することにつとめた幸せな人生が残るだけです。
ものみの塔の教えがでたらめだったと知ったエホバの証人の人生の最後に残るのは、
自分の本当の望みを捨て、場合によっては家族も家族の命も捨てた後悔だと思います。
この違いは大きいと思いませんか?

#35 2012年12月23日 13:12:09

カレブ
Administrator

Re: 組織の改善に関する議論

オフライン

#36 2012年12月23日 13:15:56

iris
ゲストユーザー

Re: 組織の改善に関する議論

私は最初にこの掲示板に書き込んだときから、宗教論争をしたいわけではない、
輸血拒否を防ぐためにはエホバの証人にならないことが重要なので、
「聖書を利用して勧誘してはいるが、ものみの塔の教えは聖書の教えでもキリスト教の
教えでもない」と広報することが必要である、と一貫して主張してきました。

それでもエホバの証人研究さんは、キリスト教徒としてエホバの証人に迷惑している、
キリスト教会にとってエホバの証人が邪魔であるという動機からの発言であると
考えておられたようですね。


キリスト教会にとって、エホバの証人問題には関わらないのが無難なのです。
多くの教会にとっては、世の中にエホバの証人がいても痛くも痒くもありません。

キリスト教についてよく理解しているキリスト教徒なら、ものみの塔の教えが
キリスト教の教えではないということはすぐにわかります。けれども聖書にもキリスト教にも
関心のない大多数の人には、なかなか理解できないのが普通です。
ですから「エホバの証人はキリスト教ではない」と主張したところで、護教論だとか
宗派争いだとか不寛容だとか思われて、非常に不愉快な思いをするだけでなく、
キリスト教のイメージダウンにも繋がる可能性があるのは容易に想像がつきます。
エホバの証人研究さんのような、キリスト教側の立場でない人が正しく理解して、
情報提供してくださるのがいちばんよいのです。


エホバの証人研究さんにとって、エホバの証人はキリスト教であるということが
なぜそれほど重要なのか私には理解できません。
エホバの証人がキリスト教でないと都合が悪いことでもあるのでしょうか?

聖書を学びたいという動機でエホバの証人になった人が、輸血拒否によって
命を落とすかもしれません。家族から見捨てられたり社会に適応できなかったりして
うつ病になったり、自殺したりするかもしれません。このように命にかかわる
問題であるという認識がエホバの証人研究さんには足りないと私は思います。

医学の世界では「予防に勝る治療法なし」と言います。病気になってから時間と労力と
お金をかけて治療するよりは、病気にならないように予防する方が節約になるのです。
現役エホバの証人への情報提供はもちろん重要ですが、エホバの証人になろうと
している人に配慮することも同等以上に重要であると私は思います。

#37 2012年12月23日 19:41:51

カレブ
Administrator

Re: 組織の改善に関する議論

iris さん

お返事ありがとうございます。以下の点を自分なりに考えてお答えします。

>エホバの証人研究さんにとって、エホバの証人はキリスト教であるということが
>なぜそれほど重要なのか私には理解できません。
>エホバの証人がキリスト教でないと都合が悪いことでもあるのでしょうか?

わたしにとってエホバの証人がキリスト教であることが重要なのではなく、
自分自身が分類するとキリスト教だと思っているからです。
これは都合の問題ではありません。

エホバの証人はキリスト教ではないというメッセージは、予防の面で
効果があるとは思っていません。ここが iris さんと考えが違う点なのかなと
感じます。

>現役エホバの証人への情報提供はもちろん重要ですが、エホバの証人になろうと
>している人に配慮することも同等以上に重要であると私は思います。

ご指摘の通り、アップしている記事は現役エホバの証人を対象にしています。
予防効果があるかどうかは定かではないですが、このサイトを見てエホバの証人に
なりたいという気持ちが高まるとは思っていません。

日本ではクリスチャンを公言する人は人口の1%ほどです。
何か特別なことがない限り、エホバの証人も主流教会も現状維持か減少傾向が続くと思います。
エホバの証人に関しては、あれだけ伝道に力を入れてやっと減少を食い止めている
くらいですから、厳しい現実があるとおもいます。

このような現状があるのでわたしは、すでにエホバの証人になっている人たちを重視しています。
その人たちの多くは今ほどインターネットで情報を調べることが少なかった時代の人です。

今、日本でバプテスマを受けるエホバの証人の半数はいわゆる二世の立場の人であると
思います。その人たちに対しても「エホバの証人はキリスト教ではない」という言葉は意味がない
と思います。

サイトを立ち上げたころにアップした記事はまた時間があるときに再点検したいと思います。
またご意見ありましたら書き込んでください。

オフライン

#38 2012年12月24日 09:37:10

iris
ゲストユーザー

Re: 組織の改善に関する議論

エホバの証人研究さん
丁寧にお返事くださることには感謝しています。

ものみの塔については、非常に丁寧に検証された記事をお書きになるエホバの証人研究さんが、
キリスト教については理解しようとせず、先入観にもとづいた情報を提供しておられるのが非常に
残念です。

エホバの証人研究さんがおっしゃるとおり、キリスト教の定義は既に安定しています。
「イエスをキリストすなわち救世主と信じる宗教。神の国の福音を説き、人類の罪を救済するために
自ら十字架につき、復活したイエス=キリストを信仰の中心とする。」
この定義に間違いはありません。

ものみの塔の教えも同様の定義で語れるかもしれません。
しかし、ものみの塔の教えでイエスが伝えたメッセージとされる「王国のよいたより」の内容は
キリスト教が教える(聖書に書かれている)「神の国の福音」とはまったく内容が違いますし、
「イエス=キリスト」に対する信仰の意味も、ものみの塔とキリスト教とではまったく違うのです。
国語辞典に載るほど安定している「定義」に含まれる内容こそが違うのです。

エホバの証人に関連して、どうしてもキリスト教に言及したいのであれば、キリスト教の教えも
きちんと勉強してください。ものみの塔の教える「王国のよいたより」が聖書に書かれている
「神の国の福音」と同じかどうか比較してみてください。
エホバの証人研究さんなら、先入観を持たずに聖書(福音書)を読むだけで、理解できるはずです。
ものみの塔の教えを信じ込まされていたskさんも、聖書から本来の福音を理解されているのです。

#39 2012年12月24日 09:42:44

iris
ゲストユーザー

Re: 組織の改善に関する議論

ものみの塔のウソのうち、「神の国の福音」を「王国のよいたより」にすりかえていることが最大のウソです。
「王国のよいたより」を証明するために、その他の多くのウソ(BC607年問題など)が必要になっているのです。

#40 2015年07月21日 18:28:08

yangmask
ゲストユーザー

Re: 組織の改善に関する議論

#41 2015年07月21日 18:35:03

カレブ
Administrator

Re: 組織の改善に関する議論

yangmask さん

もしかして古いトピックから初めて
全部のスレッドにコメント入れるつもりじゃないでしょうね?

この掲示板は新たな投稿があるとそれが全部上に並ぶ仕組みになっていますので

その点を考えて空気読んでくださいね。

オフライン

#42 2015年07月21日 18:49:23

yangmask
ゲストユーザー

Re: 組織の改善に関する議論

はい、興味のあるのトピックだけにするつもりですよ。新しいトピック立てるのもどうかと思って。

たまに、過去の討議を振り返るのもよいのでは? 一旦、再発議しても、皆さんが関心なければ、そこで終了ですしね。

決して掲示板を荒らすつもりはないです。私の見解が異なっていても、ルールとマナーを守る限り、かえってよい討議ができるのではないでしょうか? 先入観さえなければ。

今日はこれにて終了です。また明日。

#43 2015年07月21日 18:55:42

カレブ
Administrator

Re: 組織の改善に関する議論

そうですね。
限定的なものであれば構いません。

内容によってはスレッド全体を読み返す必要がでるほど
忘れられていますので、その点も心配です。
でも量的ば制限を配慮していただければ構いません。
あと古い投稿が残っていてももう参加していないメンバーもいます。

オフライン

#44 2015年07月21日 19:56:02

yangmask
ゲストユーザー

Re: 組織の改善に関する議論

ありがとうございます。何だか生意気な反論しちゃったかなと思って、発言取り消そうかと思ってたんですが・・・。寛大なお返事でとても嬉しく思いました。本当に本当にありがとう。発言時には気を付けます!

今、霞が関の地下鉄です。wifiがあるんで。

#45 2015年07月21日 20:30:33

カレブ
Administrator

Re: 組織の改善に関する議論

>今、霞が関の地下鉄です。wifiがあるんで。

帰る家はあるんですね。

それにしても東京の公衆WIFI化は素晴らしいですね。

オフライン

#46 2015年07月21日 20:41:10

sk
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

編集者 sk (2015年07月21日 20:45:46)

オフライン

#47 2015年07月21日 20:43:08

もんもん
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

編集者 もんもん (2015年07月21日 20:47:41)

オフライン

#48 2015年07月21日 21:52:41

sk
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

編集者 sk (2015年07月21日 21:58:28)

オフライン

#49 2015年07月21日 22:30:54

yangmask
ゲストユーザー

Re: 組織の改善に関する議論

#50 2015年07月21日 23:14:56

カレブ
Administrator

Re: 組織の改善に関する議論

オフライン


こちらは閲覧専用のアドレスです。

投稿は 掲示板 v2 からどうぞ。


Board footer