#26 2016年08月07日 15:07:48
- てつてつ
- メンバー
Re: ガラテア6章1節の新世界訳の翻訳についてご意見をお聞かせください
ラハムさんまた他のみなさんもこんにちわ 詩編68.11の書き込みは自分です なんとなく気になって夜中に目が覚めて書き込んでまたあとでこのトピックと関係ないからよくないかなと思い直して消したんです 書き込みは以下の通りです 「このトピックとは関係ないのですが (詩編 68:11) 良いたよりを告げる女は大軍をなしている… この聖句はよく協会が大勢の女性のエホバ証人たちにより世界中で聖書のよい便りがのべ伝えられている予言の現代の成就みたいにいわれていて 自分も現役時代にそうなのかなと思っていたのですが本来はどのような意味なのでしょうか わかるかたおられましたら またはご意見でもよいので教えてください」
そのあとこの詩編68編全体を読み直してみたのですが「新改訳も読んでみました なぜか12節になっていましたが」全体の言わんとしていることは 言い方は悪いのですが 神がイスラエルをエジプトから導き出し約束の地に住まわせるときに 敵の王たちを打ち破りその分捕り物をただで手に入れることができてうれしいなー 「12節では彼女は分捕り物にあずかるとあります」というのがここでいう良いたよりで べつに現代の大勢の女性の証人たちが聖書の希望をのべつたえるという意味でもなければ予言でもないと思いました それで協会はただたんに似ている言葉だけを自分たちの都合のよいように解釈してるのかなと思いました
編集者 てつてつ (2016年08月07日 15:11:57)
オフライン
#27 2016年08月07日 18:43:34
- ラハム
- メンバー
Re: ガラテア6章1節の新世界訳の翻訳についてご意見をお聞かせください
てつてつさん、ご返事ありがとうございます。
実は、夜中に目覚めてちょっと掲示板を見ていたら、
てつてつさんの書き込みがあったのですが、
朝になったら消えていました。
しばらく、だれか返信しないかなあ、とか
わたしだったらどう考えるかなあと思案していたのです。
でも、夢でなくてよかった。
協会の詩編68:11の解釈は新約聖書全体で
旧約聖書から引用されている聖句のような、
部分的なあてはめ方(わたしの印象です)のような気がします。
文脈はほとんど考慮されないような…。
「新改訳」聖書は脚注付を持っていました。
でも、仲の良かった友人JWにプレゼントしてしまって
手元にはありません。節の番号がずれているのは
詩編の表題を第一節としていたからだと思いだしました。
てつてつさんの新改訳聖書でご確認ください。
このトピックはガラテア人の聖句から始まりました。
でも、聖句改竄、改変ということではとても興味があります。
よろしければ、JW同窓会のほうに
新しいトピックとたてさせていただき、そちらで話し合うのは
いかがでしょうか。特につくしさんどうでしょう?
ご意見、お待ちしていますね…。
編集者 ラハム (2016年08月07日 18:47:00)
オフライン
#28 2016年08月08日 00:32:13
- つくし
- ゲストユーザー
Re: ガラテア6章1節の新世界訳の翻訳についてご意見をお聞かせください
ラハムさん、ご提案ありがとうございます!
賛成です。
新世界訳についてお聞きしたいことはこれからも出てくると思いますので、次は移動先のトピックで質問させていただきます。
よろしくお願いいたします。
#29 2016年08月08日 01:03:08
- キーボード
- ゲストユーザー
Re: ガラテア6章1節の新世界訳の翻訳についてご意見をお聞かせください
キーボードと申します。
つくしさま、ご投稿ありがとうございます。読ませていただきました。
私もいくつか感じたことがありましたので、コメントいたします。
会社や学校では自分と比較的文化レベルが近い者と友人関係を築いたり、一緒に行動する傾向があると思います。大抵、進学・就職とキャリアを経るたびに、自分および日頃身近にいる人たちがカテゴライズされる社会経済階層の幅は次第に狭くなっていくものです。
それに比べ、会衆では非常に幅のある社会経済階層の人たちと一緒に行動する必要性から、職場や学校での対人関係以上に複雑な感情や誤解を生じやすい環境だと言えるでしょう。現在でも水面下で互いを裁くことはしばしば見られる光景ですね。信者であれば誰であっても過ちを犯した人を矯正する権利を主張しだしたら、おそらく今以上に信者同士で裁き合う、叩き合うという過酷な人間関係に発展する可能性が非常に高いと思います。
ある特定の人が責任を持って無規律な人たちを教え諭し、全体の調和と均衡を図る世話役を務めるのは、そういった不必要な暴走を回避する、ある程度の安全装置として機能している側面はあると思いますし、現実的な措置だと思います。
ただ、本来であれば、テトス1:7-11に明記された監督の資格に列挙されているように、高い仁徳を持った人物がそういった世話役を務めるべきところを、人材不足?なのか、十分にその機能が発揮されていない。あるいは、そういった徳のある人間を育てられなかったところに大きな問題があるように思います。会衆内で様々なストレスを感じることがあると思いますが、それは聖句が誤訳かどうかというのとはまた別次元の問題のように感じますね。
#31 2016年08月08日 16:56:28
- つくし
- ゲストユーザー
Re: ガラテア6章1節の新世界訳の翻訳についてご意見をお聞かせください
#32 2016年08月09日 15:01:17
- ラハム
- メンバー
Re: ガラテア6章1節の新世界訳の翻訳についてご意見をお聞かせください
てつてつさん、
貴重な情報をありがとうございました。
明石静江さんに関するお話全文読みました。
戦前JWに関する貴重な資料ですね。
わたしは現役時代、
「良心的兵役拒否の思想」と
「兵役を拒否した日本人」を読んだことがあります。
多くのJWが読めるのは1978年の年鑑だけです。
上記の二冊は岩波書店から発行されていたと思います。
「良心的兵役拒否の思想」には
わずかにJWのことも触れられていましたが、
「兵役を拒否した日本人」は戦前JW、
明石順三さんを中心とした灯台社に関する記録だと思います。
わたしの知っている範囲では同志社大学の
「戦時下抵抗の記録」という書物が詳細を記録している
というものですが、これは読んだことがありません。
「兵役を拒否した日本人」には明石静江さんが
獄中死したことがわずかに述べられていただけですから、
てつてつさんが知らせてくださった内容は
とても興味深かったです。
組織は明石順三さんのことは悪くしか述べていませんでした。
「兵役を拒否した日本人」には戦後、順三さんが
本部に送った質問状がありました。
ネットが発達した現在ではその内容は至極当然の
ものだとわかるのですが、彼はそれにより破門されたようです。
現在では彼のほうが組織より聖書に忠実だったと思えます。
静江さんもとても立派なクリスチャンですね。
脱塔には直接関係ありませんが一読する価値はあると思います。
別トピックを立てることですが、
しばらく保留にしようと思いました。
編集者 ラハム (2016年08月10日 14:18:02)
オフライン
#33 2016年08月10日 06:35:36
- てつてつ
- メンバー
Re: ガラテア6章1節の新世界訳の翻訳についてご意見をお聞かせください
ラハムさん 読んでくださってありがとうございます 順三も恋敵だった兄弟を自分の立場が上だったことをいいことに沖縄に飛ばすなんてもろパワハラで悪い面もあったのですが精力的に組織のために働き特高の尋問にも耐えたようです しかし教理について組織に送った質問状がいけなかったようで 飼い犬に手をかまれたと感じた組織が殺してしまった「排斥」したようです「つくしさん やっぱり組織に手紙を書くと大変ややこしいことになるかもしれません」 しかしそうはいえないので背教とか棄教したとか不道徳な生活をしていた「未亡人だった静栄さんとの結婚は問題のないものでしたが静栄さんの家のほうが心配してしばらく籍がそのままだったことを不道徳な生活といいがかりをつけているようです」などと順三を悪者にしたようですね 静栄さんは愛情に富んだ方で立派な方でしたね 復活して組織の間違いに気づいて真のキリストの弟子になれたらよいですね 別トピはしばらく保留 了解しました お気遣いありがとうございます また今後もよろしくお願いいたします
オフライン
#35 2016年08月12日 02:30:04
- キーボード
- ゲストユーザー
Re: ガラテア6章1節の新世界訳の翻訳についてご意見をお聞かせください
てつてつさま、はじめまして、キーボードと申します。
最近は集会への参加から足が遠のいているところですが、密告社会のような空気が強まっているというのは何とも物騒なお話しですね。素直に自分の考えを表すことが難しくなり、ますます窮屈な組織になっているように思います。
確かに物事が高度にシステム化され、相手も自分と同じ行動様式を取り思考スタイルを持っているなら相手の言動は想定の範囲内に収まるわけですから、その意味での安心感はあると思います。しかし、それとは反対に想定外の行動を取ったり、言動が全く予測できない場合、非常に不安になります。善意かどうか分かりませんが、信者同士で相手に自分と同じ行動を取らせようとしたり、密告してでも相手をコントロールしようとする感覚はそういった不安を払拭したいという(無意識の?)願望の表れなのではないかと推測しています。
教団の中で信仰を見出してきた人たちの多くは、社会的、経済的、あるいは心身の様々な問題を抱えた人たちが拠り所を求めて入信したケースがほとんどではないかと思います。したがって教団内で立派な肩書や立場があったとしてもメンタル的には意外と線が細く、パリサイ的になってしまうのは仕方がないのかなと感じることがあります。二世の場合は子供の頃から徹底した教育を受けていますので、また別のインセンティブが働いているように思いますが。