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#1 Re: 総合フォーラム » ここが変だよJW » 2018年09月05日 11:03:53

Tak

皆さんこんにちは

確かに伝道者カードという取り決めは成員を管理するツールだと思います。でも”会衆”を会社のような組織と捉えるならその構成員を名簿のようなもので管理するのは普通のことだと思います。でも会衆を本来の意味である”クリスチャンの集まり”とみなすなら伝道者カードの取り決めはいかがなものかなとも思います。

長老、奉仕の僕、開拓者のような”よい評判”が必要な立場を続けたいなら伝道者カードや推薦状の取り決めに素直に応じればよいと思います。引越ししなくても会衆内でよい評判を保つのはそれなりに努力も要りますし不自由なものです。

別に推薦される必要のない平信徒はあまり気にせずどんどん引越しでもしてのびのびやっていこう!と開き直ることも出来ますね。

#2 Re: 総合フォーラム » 2018地区大会情報 » 2018年07月30日 10:00:44

Tak

昔の大会懐かしいですね。

バリーBの話といえば、確か1974年の万博陸上競技場の大会でも強烈な雨(たぶん夕立)が降りました。
そして1978年の大会の雨も経験して・・・・

バリーBの話=雨

のようなイメージになりました。

その後1981年に地帯監督の訪問でフランズBと共にバリーBが日本に来られ、
大阪の扇町プールで話をされました。
そのときにバリーBは「今日は雨は降っていませんね」といわれたときに会場がどっとうけていたのを思い出します。

(記録を調べてみるとこの日の前日に海老名ベテルの献堂式がありました。
翌日に大阪というのも?ですが私の記憶もあいまいなので、
そのへん分かる方がいましたら教えてください。)

屋外の大会は暑さ対策と雨対策がたいへんですね。今は当時より気温も高いですし、
年齢的にも体力的にもあのような大会を今行うのは無謀だと思います。

でも今でも感じるのは大会は何か新しいことを学ぶ場というより単なるイベントであって
「わーこんなに仲間がいるんだ」と感動するためだけに行くのかなと思います。
そんなときに台風がきたり雨が降ったりすればなお感動できるのかなと思います。

今となれば懐かしい思い出です。

#3 Re: 親睦・相談 » 現役時代の気持ちを教えてください。罪悪感について » 2018年06月27日 12:26:28

Tak

かつさん、みなさんこんにちは。

突然失礼します。

あらためてこのトピックを読み直しての感想です。

今から20年以上前になりますが、出版物や注解などで「自分はエホバに喜ばれていない」とか「自分には価値がない」といったフレーズがよく言われるようになりました。ちょうど日本でも伝道者数が頭打ちになって、努力をしても目に見える成果が現れにくくなってきたせいもあるかもしれませんが、あまりにもこういったフレーズが多いのはなぜなのか不思議に思えました。

それから2000年前後からものみの塔研究の内容が「生活指導」のように変化してきたように思えます。その直前のころまでは原則をあてはめることが強調されていたのになぜ具体的なことをとやかく言うようになったのか良く分かりませんでした。西暦2000年が無事に(?)過ぎたためなのか、組織のてこ入れなのか・・・・

2006年の「エホバの日を思いに留めて生きる」の書籍の頃には扱われる内容がほとんど生活指導一色になりました。研究や集会は聖書を学ぶためと言われてきましたが、聖書は単なる権威でやっていることはエホバの証人らしさの強制です。最近は聖書時代の背景まで現代風に解釈してあてはめて、古代の僕たちもあなたと同じ状況で同じ問題を抱えていたけれどそれを克服したような話にしています。古代の族長や王様と私たちが同じはずがありません。

このようにここ最近の流れを考えてもJWとして真剣に努力していると、かなりの息苦しさや罪悪感を感じても仕方はなくむしろそう感じるのが普通だと思います。人にはそれぞれ本来の欲求や好き嫌いがあるものです。でも集団になると勝手な行動が出来ないので、道徳規範などを作って人々を管理しようとしました。そしてそれに強制力をつけるために政治権力や宗教を利用してきたのが文明の歴史です。普段の人間関係のなかでさりげなく示される気遣いや、マナーといったものはとても好ましいことですが、上から目線の道徳教育や生活指導というものがどうも胡散臭く感じるのはそのためだと思います。

罪悪感なんて感じなくてもいいよと言われても誰でもできるものではありません。ただ罪悪感にさいなまれているときや、他の人からどう見られているか気になるときにはたいてい自分の必要に思いがいっていないときだと思います。時々じっくり自分の心と向き合って、自分は本当は何が好きなのか嫌いなのか対話してそれをすべて受け入れてみるのも良いかもしれません。そして自分の必要に気づいたときには罪悪感もずいぶん治まっていると思います。

#4 Re: 総合フォーラム » エホバの証人の動画 » 2018年06月22日 11:02:59

Tak

最初にあの動画を見たときは「この兄弟は何の仕事をして
いるのだろう」と思いました。

医者をしているとのことですべて納得しました。昔のホームビデオ
もそりゃたくさん撮れますね。

JWを安定して続けていくためには、「お金」「能力」「体力」
のどれかが必須です(それぞれ互換性があります)。年をとると能力
と体力は衰えてきますので、若いJWの方はそのことを織り込んで早めの
将来設計が必要です。

今回のような動画を見ると、子供を育てたり奉仕を拡大するときには
組織の提案ではなく、まずはそれぞれの生活基盤をしっかりすることの
重要性が良く分かりました。

#5 Re: 総合フォーラム » ここが変だよJW » 2018年06月15日 10:52:23

Tak

開拓者学校
巡回監督のお世話
訪問講演者のお世話
歓迎会
送別会
などなど・・・・

ゲストたちの金銭的負担を減らすために食事やお菓子を提供するという目的もあると思いますが、いつもいつも続くとするほうもいい加減疲れてしまいます。

こういったことはお金で解決できることなので会衆の寄付をどんどん使ってもてなせば会衆の人の負担も減るし、夏場でも安全な食事を提供できると思います。

会衆の寄付は金額の大小にかかわりなく協会のものです。でもいまだにそのことの意味が分かっていないのか会衆の寄付を節約しようとして相変わらず手間ひまを掛けてもてなすのが良いことだと思っています。協会が節約している分を先に会衆で消費してしまえばよいわけで、会衆基金の総残高は少ないほうが今は賢いのですが、やはり数字が減っていくのは耐えられないのでしょうね。

「取り決め」でいつももめているのも変ですが、援助するほうの都合を優先に考えなければもてなしの精神はやがてしぼんでいくのではないかと思います。

#8 Re: 総合フォーラム » 神権用語 » 2018年05月26日 10:29:16

Tak

私自身は職場などでは神権用語は使っていないと思います。たぶん。

別に意識はしていませんが、なぜかなと考えてみたら神権用語は使う相手(兄弟、姉妹たち)や場所(王国会館や野外奉仕)で無意識に使い分けているのかなと思います。

また一緒に奉仕している人が家の人に対して神権用語を使っているととても違和感を感じるので自分は家の人に対して意識して使わないよう気をつけています。

神権用語は使いませんが、JW的な変なオーラは醸し出しているかもしれません。(笑)

#10 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年04月03日 15:30:55

Tak

Jayさんこんにちは
コメントを見て心が揺れ動いている様子がよく分かります。私もてつてつさんと同じ心配をしていますが、以前に病院にいったことがあったということで、ご自身でも客観視できているようで少し安心です。

今年は3月から急に暖かくなったりそして木の芽時ということもありますし、Jayさんのコメントが深夜~早朝にかけてされているのも正直気になりました。両極端の考えをあげてその中庸を探りながらきっと悩んでいるのだと思います。

私はJayさんのようなつらい経験をしたことはありませんし、どうしたらよいかという答えも分かりません。ただJayさんのコメントから感じられるのは、JayさんがJWから距離を置いたり一切排除しようと努力していながらJW的な「考え方」から抜け出せないためにとても苦しんでいるように見えます。考え方なので、何かを物理的に排除したりJWである奥様と別れたりJWに逆戻りすることとはまた別のことかなと思います。別と言うのは関係ないという意味ではなく、あえて分けて考えると言う意味です。

ところで、私は動物を見たりきやっきゃと楽しそうにはしゃぐ子供を見ているとほのぼのとします。なぜなのかと考えてみると、彼らは過去を気にせず未来を考えず、「今」を生きている(楽しんでいる)からなのだと思いました。自分に当てはめると、過去を悩み、将来を嘆き、気がついたら今を意識しないといういかにも現代人の頭でっかちな思考に気づきました。それで元気がないときはまずそのときをやり過ごし、落ち着いてから「今」を意識するようにしました。

これはJayさんがそうだと言っているのではありません。このことは現在JWである多くの人たちが共通して持っているJW的な考え方に通ずるひとつの例になるかなと思ったわけです。
例えば「ただ食べたり飲んだりしよう。明日は死ぬのだから」という聖句から

      世の人は好き勝手に生きている。でも自分達は・・・・だから立派だ。

と当てはめてみたりします。でも厭世的な態度で生きていることと、一度きりの人生を後悔のないよう精一杯生きるのとは全然違うことだと思います。むしろ過去の罪を常に意識させ、将来の希望のために現在の生活を犠牲にする生き方のほうがより厭世的だと思います。「今」を生きていないからです。

これが最善だと信じて一生懸命取り組んでも根本の考え方に問題があると人は大いに苦しむことがあります。がんばればいいというわけではないと思います。大げさに言えば生まれ変わるほどの変化も必要なのかもしれません。そして世界が今までとは違って見えるようになって初めて問題に取り組めるのかなとも思います。

Jayさんがこうだとかこうしたらいいとか言うつもりはありません。今書いたことはあくまでも一例です。Jayさんが何か感じ取ってくれるならうれしいです。

#11 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月30日 17:34:16

Tak

輸血について

アメリカ発のJWなので医療に対する見方も日本とはずいぶん違うと思います。

以前に無輸血治療のビデオが扱われていましたが、あれを見たときにきっとこの兄弟たちはアメリカでもお金持ちだったのかなと思いました。高額の保険に入っていれば患者の望む治療を受けることができるのがアメリカという国です。では貧しい兄弟たちはどうなるのでしょうか。

また無輸血治療の実績は軍関係の機関も関心があります。戦地の最前線で役に立つ技術です。いいお客さんですね。

日本でも輸血学会がガイドラインを示して、それに基づいて各病院もJW対策しています。絶対的拒否や相対的拒否といった言葉もあります。このように日本社会では輸血拒否というJWに対しても冷静に対処しようという流れが見られます。でも日本のJWは現在日本の医療機関が公式に発表している内容をどれほど教えられているでしょうか。最近はむしろ輸血のことはあまり言われなくなっています。「輸血について・・・」という表現でなく「ふさわしい医療措置」という言葉でしか書かれていません。

それこそ生きるか死ぬかという究極の選択が関係しているのに、そのことについての最新の正しい情報までが制限されているのはとても不誠実なことだと思います。

#12 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月30日 17:03:51

Tak

みなさんこんにちは。こちらは桜がいよいよ満開に近いですね。みなさんのところはいかがですか。

#59,60 のコメントで信仰のことが話題になっていました。

よく集会や出版物の中でエホバに全幅の信頼を・・・というときに、ではなぜエホバにより頼むのですかというとそれはエホバに「信仰」を持っているからと答えると思います。これは説明として正しいと思います。信仰を抱いているから、信仰を根拠にしているから崇拝できるわけです。

でもヘブライ11:1の聖句を信仰の定義という風にして当てはめてからどうも話がおかしくなってきたと思います。しっかりした信仰を持ちたい気持ちもわかりますが、いつのまにか「エホバ」への信仰から「科学」への信仰に変わったような気がします。

エホバが創造者である証拠は~といった科学的証拠からしてはっきり理解できます。といった表現を聞いても誰も?と思わないようです。

聖書が科学的にも正確ですよと科学的な例をあげて証言するときもみなさん自信満々です。これではエホバへの信仰を教えるのではなく、あまり科学を勉強していない、でも「科学」に信仰を持っている人たちが「科学」に比較的信仰を持っている人を探しているように見えます。

もちろん科学に信仰といってもそれは自分たちにとって都合のいい部分の科学です。進化論の「し」の字でも出て来たらなにか遅れた科学かサタンの呪いのように全否定です。困ったものです。

私は科学的事実と信仰心は十分に両立できると思います。自然に対する畏敬の念や草葉の陰から見守っているといった日本人的感性はとても共感できます。科学的事実は関係ありません。

#13 Re: 親睦・相談 » 初めて投稿します。 » 2018年03月28日 11:41:27

Tak

TS1089さんへ
はじめましてTakと申します。

TSさんの若かったときの経験を読んで本当に大変だったろうなと思い、現在の様子から本当に今まで良くやってきたのだなと感じました。でも今でも重いものを背負っているのだなと思うとつらい気持ちになります。

でもたくさんの人が心配して励ましてくれているので良かったですね。

また落ち着いたらコメントしてください。気持ちの整理にもなると思いますよ。

#17 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月26日 16:35:54

Tak

実は自分でも今朝のコメントを書きながら「では自分はなぜJWとしてとどまり続けてきたのかな?他の人から質問されたならなんて答えようかな、まあそんなこともないかな。」と思っていたのでちょっとびっくりです。

答えは・・・自分では分かりません。あえて言うなら私は”変わった人”だからだと思います。もう少し詳しく言うとJWだからということではなく人間として”変わり者”だからなのだと思います。でも私自身は自分では今でもまったく普通の人間だと思っていますが、妻が「この人は変わっている」とか「頭がいいのか悪いのか分からない」とか「こんな不真面目で好き勝手な人間がこうやってのうのうと生きているのが理解できない」と褒めているのかけなしているのか良く分からないことを毎日のように言われているので、たぶん一般的な見地からして自分はかなり飛び出した人間なのではないかと思います。

実は私は奉仕の僕や開拓者は経験しましたが、長老は経験したことはありません。まだ30代だったころ話の流れで推薦や任命について個人的に長老に聞いてみたことがありました。その時の答えは長老たちの間で意見が一致しないということだったのです。いいとか悪いとかではなく決められないみたいでした。
10代の頃から会衆内で(奉仕に来ないと怒られたり、割り当てでがんばっても”努”しかもらえないなど)いびられてもけろっとして、勝手に自分の方法で難しい割り当てでもほいほいこなしていますので、長老たちから見てもどう扱っていいのか分からないのだと思います。この組織は決められたことを決められた仕方で上司の喜ぶようにして、なおかつ大変そうにしないとなかなか褒めてもらえない組織なので私の行動はことごとく逆なでするようなものです。でも私のモットーは失敗してもしなくても自分の好きなようにさせてもらって自分の満足できる結果が得られれば褒めてもらえなくても、なにか推薦されなくても全然構いませんし、べつにエホバを喜ばせようなんてこともまったく考えていませんでした。周りのごく普通の兄弟・姉妹の助けになればなおうれしいなというぐらいの考えでした。(それは今でも変わりません)

でも一般の世の中では逆に私のような人は放って置かないですね。日本では出る杭は打たれますが、出すぎた杭はだれも打たないようですね。学生時代も先生は私のことをかなり期待されていたようでしたし、仕事場でも新人時代からかなり大きい仕事を任されたりしました。(私の仕事は一応学歴と資格が必要な仕事です。それ以上は身ばれするのでご勘弁を)今でもパートタイムの立場でずっと同じ仕事を続けていますが、正社員になって科長をやってほしいと頼み込まれたりもします。丁重に断りましたがでも高く評価してくれていることはやはりうれしいですし、ありがたいことだと思っています。
職場やいわゆる世の人から見れば私はもっとできるのにもったいないなと思われたり、一方会衆の人からは家族を養いながら霊的なこともやっている兄弟と思われたりしていますが、実のところ私自身昔から変わっていないのは「自分は自分の納得できる方法で自分の好きなことを自由にしたい。その自由のためならしばらくの苦労もいとわないし自分の評価や面子は全然気にしない」ということが芯になっているように思います。全時間の仕事をやめたのも別に開拓奉仕をしたかったからではなく、自由を求めてフリーの立場になって、可能だから開拓奉仕をしようかなというものです。(でも奉仕はまじめにしましたし時間も入らなかったことは一度もありません。ミッションとしてはきちんと果たしたつもりです。)いまだにJWでいるのも、JWは制限が多いものの今は自分の自由を侵すほどのものでもないし、もし今後やめなければならないほどのことがあればそのときはそのときかな、妻とのこともあるので自分から今爆弾をしかけるのはどうかなというのが本心かもしれません。

ネット時代になっていろいろな情報が入ってきて、人によってはとても動揺したり離れていく人もいますが、私としては子供のときから教理のことはかなりクールに見ていたのでそのような”背教的”な情報を見ても驚きよりも”やっぱりそうか”とか”なんだそんなちっぽけな理由なのか”といった程度です。(一応、子供~10代のころはかなりJWの勉強はしました。かなりといっても実はそう多いものではありませんが・・)「良心の危機」の本を読んだときは、あの時はなぜあのような発表や取り決めの変更があったのかなといった長年のたくさんのなぞが解けてとてもすがすがしい気分にもなりました。要するにエホバの証人的信仰や認識なんてもともとないのですかね。よく分かりません。いずれにしても組織の裏が見えてきても別に自分の自由が侵されるわけでもないし、組織の裏事情を知っていれば「奇妙な提案」も全然奇妙でもないし逆にこんな風にすればもっと効果的にお金が入りますよと提案したいくらいです。(笑)
(ちなみに最近海老名駅周辺の地価がかなり値上がりしているようですね。はたして統治体は海老名ベテルの土地を狙っているのでしょうか、楽しみです。)

人によって考え方は違いますが、私は人生の目的というものはべつになくても構わないと思っています。あってもいいですが人生の目的があったとしてもべつにない人より幸福になるわけでもないのでなくてもいいと思います。少なくとも「人生の目的探し」のためだけに自分の人生の貴重な時間を使ってはいけません。例えて言えば人生の目標といった頂上に向かって険しい崖を上るというイメージではなく、目の前を平原がパ~と開いて、それぞれの人が目的地は未定ですがそれぞれの人らしい仕方で一歩一歩いろいろな方向にくねくねしながらも着実に歩んでいるようなイメージです。自分の死ぬときにいるところが目的地(destination)で、自分の人生もベストではないけどまんざらではなかったなと思えるような歩みをしたいなと思っています。何が正しいとか間違っているとか、何が良くて何が悪いとかそんなことはどうでもいいような気がします。JWであるとかないとかもあまり関係ないのかもしれません。又、結婚とはその広い広い平原の中で、ある特定の時期に人生を一緒に歩んでいる人がそばにいてくれることだと思います。感謝できますね。

どうですか。私がなぜ組織にとどまっているか全然答えになってませんね。私の意見はあまり参考にならないと思いますが、もしJayさんや他の人の何かの”ヒント”になってくれればうれしいです。

#18 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月26日 10:49:01

Tak

Jayさんへ
コメントを読んで正直ほっとしました。
冷静に時間をかければどのような結果になってもその結果にしっかり向き合えるのではないかと思います。

ちょっと雑感なんですが・・・
Jayさんや松蔵さんのコメントで、御自分の好き嫌いをはっきりおっしゃっていたのはとても良いことだと思います。
生活していくうえで好きでもないのにしなければならないこともあります。ほんとうは好きでもないのに頭の中でそれを否定して、そのうち自分が「自分はこれが好きなんだ」と本気で(勘違いという意味で)考えたりする人もいます。本心のモニタリングが出来ない状態です。その究極がプロの詐欺師ということになると思いますが、普通の人ならば頭で考えていることと、心で感じていることのミスマッチが続けば心身の不調になると思います。
「自分はこのことを好きでしているんだ」と自分の心を欺くより「しなければならないからしているけど自分は本当はこれが嫌いだ」と自分のこころをきちんとモニタリングできているほうがその活動に身が入らないとしても精神的にはむしろ健全ではないのかなと思ったりもします。
JWの集会や出版物はそういった心のモニタリングをさせないための仕掛けがちりばめられているようです。これがいわゆるマインドコントロールということなのかもしれません。そのことに気付かず心身のバランスを崩している人を見ると複雑な気持ちです。まあそういう人はもともとそういう人なのかもしれませんが・・・

ものみの塔の記事の討議のことについても書かれていましたが、協会の出版物は突っ込みどころは満載ですが、深く研究したり議論するには内容が薄すぎです。周りの成員も誠実な方たちだとは思いますが深い討論なんて出来ませんし、集会の本当の目的は深い研究の対極ですね(みなさん分かっていると思います)。例えばこの掲示板のほかのスレッドなどの議論を見るとたくさんの調査や深い洞察がなされていて、とても勉強になります。

また脱JWされた方でもJW的思考、価値観から抜けられないために空回りしているようなコメントも見られます。自分の培った価値観やフレームワークというものは当たり前すぎて自分で意識しないこともあってそこから抜け出すのは容易ではありませんが、いろいろな人の意見を聞いて自分の価値観を客観視出来るようになることは大切なのではないかと思います。もしそれが出来ればどのような状況でも冷静になれるのではないかと思います。

またコメントさせてください

#21 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月23日 11:02:32

Tak

Jayさん、てつてつさんこんにちは。
みなさんの書き込みを見て私もつらい思いになります。

私の場合、現在は平凡な夫婦生活で、子供もなく、会衆の中ではおそらく仲の良いクリスチャン夫婦と見られていると思います。(たぶん)
でもエホバの証人としての個人的な葛藤はやはりあります。夫婦としての関係は十分満足していますが、自分の気持ちに正直に行動しようとすれば一番の気がかりは夫婦関係をどうするかということになると思います。そしてそのことを考えると無限ループのように同じような考えが回っています。まさにJayさんとまったく同じ内容です。

今のところ普通の成員として振舞っているのでこのままでよいかなと思ってみたり、妻に打ち明けることもなくかってに妄想している自分に愛想をつかせたりします。少なくとも信者である親が生きているあいだは余計な波風を立てないほうがいいかなとも思ってみたりもします。ちょっと問題でもおこしてそれにつまずいたという形で自然消滅しほうが良いのかなとも思ってみたり・・・

もし二人ばらばらに生活したときに何が困るかと考えて、今はお金の苦労だけはかけないように準備している最中です。でもそんなことのためにお金を準備しているというのも気が引けたり・・・・

つらいものです。

読んでくださりありがとうございました。

#22 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月22日 11:13:35

Tak

エホバの証人の教えがどうしてこんな風になってきたのか考えたときに、そもそもごく普通のアメリカ人(エホバの証人でない人も含め)はどんなものの考え方をするのか興味を持ったことがありました。

私が子供のころはアメリカといえば、日本よりずっと進んでいて頭のいい人がたくさんいて宗教の位置づけも日本よりもっと割り切っており(普段の生活と切り離されている)合理的な思考がきちんとできる人たちだと思っていました。かつて日本にエホバの証人の教えが入ったころは、きっとその教えがアメリカという国からきたというだけの理由できらきらしたものに見えたのだと思います。

そのあとアメリカについていろいろ知るとずいぶん違う国だなと分かってきました。まず大前提は自由と多様性がありますので、これが”アメリカ人だ”と断定はできませんが、日本人が考えている以上に今でもこんなことを本当に信じているんだということが結構あるのには正直驚きました。

そのような国がいわば発祥のエホバの証人なので組織の教理が”?”というものでも「まあそんな風に考えるのもしょうがないな」と思えるようになりました。

#23 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月20日 15:16:18

Tak

Jayさんへ
Jayさんのコメントを見てまたいろいろ考えさせられました。まったくその通りだと思います。個人の中のゆがみや葛藤のガス抜きが「エホバの証人としての舞台」というのも言いえていると思います。

エホバの証人組織が個人に対して行っているのはコミットメントの濫用にも思えてきますが、組織と個人ではあまりにも立場が違いすぎます。得ている情報や寿命では個人のほうが不利です。情報を得ることについては今は個人のほうが有利ですが、新しい人や子供たちには届きません。
また現実とのゆがみや偽善といったものが世代を超えて受け継がれて、もう誰も責任が持てない爆弾のたらいまわしのようにも感じます。教理の矛盾、輸血の問題、排斥制度など・・・・個人にとっては生死を分けるほど大切なことでも、組織にとってはどうでもよいこと、もう触れてくれるなといっているようにも思えてきます。

エホバの証人として今後どのようなスタンスでいるかは個人によって状況が異なりますし、答えはないのだと思います。私個人としては、今まで経験したいろいろなことを思い返し、問い続け、これからの変化を内部から見つめていくのかなと思っております。

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