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聖書についての質問
今日 13:49:24

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“苦しいとき,ヨブ記が力になる(48)”で、伝道先で,人はどうして苦しい目に遭うのかと尋ねられたら、ヨブ記を使って答えよう、という内容です。そんなことを質問する人はいないですけれど。」
「全能で善なる神が存在するとしたら、なぜ悪が存在するのかという神義論の問題だね。JWの神義論はアウグスティヌスの自由意志の誤用という見解に、ヨブ記を利用してサタンとの論争の決着をつけるため悪の存在を一時的に許しているという見解を加えたもの。」

「JWとしてはエデンの園でどうのこうのという話に基づく自由意志の誤用から悪が生じたというよりは、ヨブ記にもとづく宇宙神権論争の方に力点を置こうということのようですね。それで、1節にヨブ記のことを“ある参考文献はヨブ記の筆者を「まさに文学の天才である」と評しています。”といって、持ち上げているわけですよ。」
「これも不正引用。誰がいつどのような文脈で言ったのかが全く不明。でもはっきりと“文学”と言っている。JWみたいに神の言葉なんて思っていないことは明白だね。」

「文学として見た場合でも、問題がありすぎます。同じことを繰り返していて、非常に冗長です。」
「ヨブと友人が議論しあうという展開だけれども、その議論は同じことを繰り返していて、少しも進展しない。同じことを表現を変えて繰り返すというのはヘブライ文学の特徴だね。古代のギリシャ語訳である70人訳ではもっと短くなっている。ギリシャ語を話す人たちから見たら無駄に長いと思われたのだろう。」

「1節に“約3500年前に書かれたヨブ記”とありますが、ウソですね。ヨブ記の作者をモーセとしたから、そうなっただけです。」
「ヨブ記の作者はモーセという根拠はない。そもそもモーセという人物が実在したかどうかも疑わしい。使われている言語は前6世紀以降のものと考えられている。ヨブ記のテーマはなぜ義人が苦しみ、悪人が栄えるのか、というものだけど、この種の問題が切実に考えられるようになったのは、バビロン捕囚以降。サタンがでてくるのは捕囚以降の文書だけれど、ヨブ記ではサタンは冠詞つきで固有名詞になっていない。歴代誌ではサタンは固有名詞になっているので、歴代誌より古いと考えられる。紀元前500年代から400年代に書かれたものとされることが多い。」

「2節に“例えば,ヨブ記はエホバのことを31回「全能者」と呼んでいます。聖書のほかの書を合わせてもその数には及びません。”とありますが、これがなぜ素晴らしいことなのか理解できません。」
「ヨブ記では神はヤハウェ(JWではエホバ)と呼ばれることはまれで、エル、エロアハ、シャッダイと呼ばれている。これはヨブ記がイスラエルという一民族の問題ではなく、普遍的なテーマを扱っているという作者の姿勢から来ていると考えられている。」

「ヨブはイスラエル人ではなく、ヨブ1:1には“ウツの地方にヨブという男性がいた。”とあるように、異邦人です。エホバはアブラハムの子孫だけをひいきする神なわけで、異邦人であるヨブがエホバなど知っているわけがありませんし、ましてや崇拝などしていませんよ。」
「“ウツの地方”とはイスラエルの南にあるエドムのことと考えられている。でもヨブ1:3では“ヨブは東方で最も裕福な人だった。”とあるね。イスラエルから見て東方という意味だから、とにかくイスラエル人ではない。エホバなる神を知るわけがないから、エホバという名称が出てくるのはおかしいことになる。」

「それなのに、2節では“ヨブ記は聖書の中でも,要になる部分です。全ての天使と全ての人間に突き付けられた非常に重要な問題を明らかにしているからです。それはエホバの名前が神聖なものとされることです。”とデタラメを書いています。」
「ヨブ記がいかに重要かを信者に叩き込むために、ついつい力が入ったということじゃないの。JWの主要な教義はエデンの話とヨブの話に基づいているからね。問題はどちらも寓話ということ。」

「4から8節が“神はヨブが苦しむままにした”です。  4節に“ウツは約束の地より東側,アラビア北部にあったと思われます。”とありますが、この根拠は何ですか?」
「JWはその根拠を書いていないけれど、70人訳に“イドマヤとアラビアの国境にある”という表現があること。でも今のヨブ記にはない。」

「5節に、サタンは“ヨブは苦しい目に遭えばエホバに仕えるのをやめるというのです。(ヨブ 1:7-11; 2:2-5)エホバはヨブをとても愛していましたが,サタンにその主張が正しいかどうかを証明させることにしました。”とあります。それで10人の子どもが殺されたわけですね。」
「本当だとしたら人命軽視の滅茶苦茶な話だね。でもヨブ記は寓話だからね。」

「5節には“エホバは,ヨブが試練に耐えた後,元通り健康で裕福になり,周りから尊敬されるようにしました。子供たちもさらに10人与えました。”とあります。死んだ子どもと同じ数の子どもが新しく生まれたので、ヨブは死んだ10人の子どものことはすっかり忘れて、幸せに暮らしたというのがJWの解釈のようです。JWは非人間的ですね。」
「JWのようにこれを事実として解釈するなら、神にとって子どもは単なる数字にすぎないということになる。ひとりひとりが個性を持ったかけがえのない存在だというような思想は全くないわけで、恐ろしいね。だから寓話としか読めないんだよ。」

「6節は“イスラエル人にとってどのようにためになったか。”で、“つらいことが起きる本当の原因,人間が苦しい目に遭うのをエホバが止めない理由,忠誠を貫く人をエホバがどれほど大切に思っているかなどが分かったはずです。”とあります。」
「翻訳に問題があるね。to understand who is ultimately responsible for suffering.(苦しみの最終的な責任が誰にあるか理解する)とあるのに、”辛いことが起きる本当の原因”と訳している。最終的な責任と言えばエホバにあるといわれるので、訳を変えたね。」

「この記事の執筆者はそんなこともわからない人なわけですね。」
「神は全宇宙の創造者であり支配者なのだから、最終的な責任を負う立場にあるのは明白なのに、この執筆者は、企業犯罪でいえば、社長の責任を部下に押し付けようとする悪徳弁護士のように、神を免責し、サタンという小物に全責任を負わせようとしているわけだ。」

「7節は“私たちにとってどのようにためになるか。”で、ルワンダのヘイゼルの体験談が出てきます。ヘイゼルは悲惨な人生を送るわけですが、神様に“神様,あなたに祈って,良いことをしようと頑張ってきました。なのに,どうして私をひどい目に遭わせるんですか。もうあなたのことを考えるのはやめて,これからは好きなように生きていきたいと思います”という手紙を書いたというものです。」
「ヘイゼルの人生が悲惨な理由の一つはルワンダという国にうまれたことだね。ルワンダは1990年代に内戦があり、100万人以上が死に、200万人以上が難民となった。それは“ホテルルワンダ”や“ルワンダの涙”という映画にも描かれている。神様に祈っても、祈らなくても多くのルワンダ人は悲惨な目に遭ったね。」

「JWという宗教は悲惨な目に遭って精神的に弱った人にすり寄っていく宗教ですから、悲惨な国はJWに目を付けられるわけですね。」
「アフリカはJWの主な成長地域でしょう。」

「8節には“でもヨブ記を読むと,私たちがつらい思いをするのは神のせいではなく,サタンのせいであることが分かります。”とあります。ヘイゼルは“今ではエホバが私を愛してくれていることがよく分かります。本当に幸せで満ち足りた気持ちです。”と言っています。簡単にだまされたようです。」
「この記事の趣旨に合うように創作したものだろう。でも、JWの見解では、ルワンダの内戦やその後の社会の混乱はサタンのせいだったわけね。サタンはアフリカ人を苦しめて、JWが増加するのを助けているわけだ。サタンはJWを応援しているようだね。」

「9から13節は“ヨブ記を読んで,忍耐する力をもらう”です。  10節に、ヨブは“苦しんでいるのはエホバのせいだという考え違いをしていました。また,3人の友人とのやりとりの中で,自分は間違ったことはしていない,苦しい目に遭うのはエホバのせいだと言ってしまいました。”とあります。でも、これは正しい認識ですよ。」
「神がサタンと賭けをしたから、ヨブは苦しんでいる。ヨブのせいではないよ。」

「ヨブの間違いは、ヨブ6:24に“教えてくれ。そうすれば黙ろう。私の間違いを理解させてほしい。”とあるように、苦しみには悪いことをしたせいだという応報思想を持っていることですよ。苦しみに原因はないわけです。」
「でもヨブ21:30で、ヨブは“悪を行う人は災難の日に見逃され,苦難の日に助け出されるのではないか。”と言う。悪とその結果には神が定めた法則性などないことに気付くわけだね。この世界は不条理なわけだけど、ヨブはそれに納得できなくて、神に対して答えるように食ってかかるわけだ。」

「その後、神が登場しますが、まともな答えはしていません。ヨブ記の作者は正解は思いつかなかったということですね。」
「最終的にヨブは神は理解不可能と悟り、それを受け入れておしまいとなる。エホバは友達で優しいお父さんという幼児的な思想ではないということ。」

「12節では“ヨブが苦しんでいる理由を詳しく説明したりはしませんでした。また,ヨブが不平不満をこぼしたことや身の潔白を必死で主張したことを非難したりもしませんでした。むしろ優しい父親が息子を教えるようにヨブの考えを正しました。その時のヨブにぴったりの教え方でした。”とテキトウなことを書いています。」
「ヨブが苦しんでいるのはサタンと賭けをしたからだとは言えなかっただけじゃないの。この時の神は優しい父親ではないよ。自分が優位な立場にあることを利用して、ヨブを問い詰めている。そして自分の自慢をしている。例えるなら、おとなげのない傲慢な父親。」

「12節は“イスラエル人にとってどのようにためになったか。”です。“ヨブの物語から,つらい中でも頑張っていく力をもらえたはずです。エホバに自分の気持ちを洗いざらい伝えてもいいこと,また自分を正当化してはいけない,ということを学んだことでしょう。エホバからの矯正を謙虚に受け入れることの大切さも理解できたはずです。”とあります。」
「それは違うね。ヨブ記は正統的なユダヤ教とはかなりズレがある。ヨブ記以外でヨブのことに触れられるのは、旧約では、“ノア、ダニエル、ヨブ”と2回エゼキエル書の中で触れられるだけで、新約聖書ではヤコブ書に“ヨブの忍耐”と1回だけ。イスラエル人にとって、ヨブは苦難を耐えた人という程度の認識でしょう。」

「英語の表現にJob's comforter(ヨブを慰めるもの)というのがありますよね。相手に同情や慰めの言葉を投げかけるものの、思慮に欠ける言葉や状況にそぐわない言葉によって、かえって相手を不快にさせたり苦しめたりする人物を指す慣用句となっています。」
「まるでJWのようだね。」

「13節が“私たちにとってどのようにためになるか。”で、エホバは“聖書や長老たちや友達などを通して,アドバイスや矯正を与えてくれます。そんなときも,諦めずに頑張っていくためにヨブ記が役立ちます。”とあります。元の英文をだいぶ変えていますよ。」
「The book of Job also teaches us how to endure if we receive counsel or discipline from Jehovah’s Word, His organization, or mature friends(ヨブ記はまたエホバの言葉、エホバの組織あるいは円熟した友人から助言や懲らしめを受ける場合、どのように耐え忍ぶかを教えています)だね。“組織”を“長老”に変えているのは、組織という単語を使いたくなかったのだろう。聖書的な言葉じゃないからね。“耐え忍ぶ”を“あきらめずに頑張っていく”に変えたのは、世界一幸福な民らしくないからでしょう。」

「JWは上から何か言われたら、ヨブのように理不尽なことでも耐え忍べ、ということですね。」
「JWにとっては、それがヨブ記から学ぶべき教訓。」

「14から16節が“ヨブ記を使ってほかの人を助ける”です。 14節で“伝道で,人はどうして苦しい目に遭うのかと疑問に感じている人に会ったことがありますか。どんなふうにその疑問に答えましたか。”と問いかけて、その答え方を教えてくれます。」
「JWにそんなこと聞く人なんかいないよ。会ったことないですで、終わり。」

「14節では“エデンの園で,サタンという邪悪な天使が最初の人間の夫婦にうそをつき,神に反逆するよう仕向けました。(創 3:1-6)アダムとエバが反逆した結果,人は苦しんで死ぬようになりました。(ロマ 5:12)神は,サタンの主張が間違っていることを証明するために時間を置くことにしました。そしてその時間を使って,人間がまた完全になれるという良い知らせが広まるようにしています。”と模範解答その①を示しています。聖書的根拠はほとんどないですね。」
「エデンの園の話にヘビは出てきますがサタンは出てきませんよ、と言われたらどう答えるの?ヘビはサタンが操っているんですというわけ?そんなこと聖書のどこに書いてあるのですか、とさらに尋ねられたらどう答えるの?」

「エデンの話をまじめに聞く人は、JWみたいに聖書に書かれていることは文字通り真実だと信じているキリスト教原理主義者しかいません。エデンの話を持ち出せば、それ以外の人はなんてバカな人なんだろうとあきれられるだけです。」
「この記事の執筆者は洗脳が進みすぎて、自分たちを客観視できないんだよ。」

「15節では“ヨブ記を使って説明するのも一つの方法です。まず,「いい質問ですね」と言えます。次に,聖書に出てくるヨブという誠実な人も,苦しい目に遭った時同じように感じた,と話せます。”とあります。エデンの話はダメだとわかっているようですよ。」
「そもそも“人はどうして苦しい目に遭うのか”という質問を頭の悪そうなおばちゃんJWにする人なんかいないよ。滅多にない状況を想定しても意味ないよ。」

「15節では“ヨブが災難に遭ったのは神のせいではなく,悪魔のせいだったということを説明できます。”とあります。これはウソですよ。それから、なぜ“悪魔”になるのですか?サタンは受け入れられないからですか?」
「神がサタンに許可を与えたから、サタンはヨブを苦しめた。神のせいだよ。ヨブ1:12でエホバは” いいだろう,彼の持つもの全てをあなたの手に委ねよう。ただし,彼自身に手を出してはならない!”と言い、ヨブ2:6では“いいだろう,あなたの手に委ねよう。ただし,命を奪ってはならない!”と言う。サタンは神が許可した範囲で行動する。神に忠実な僕だね。」

「16節はマリオの体験談です。“2度目の電話の時に,姉妹はヨブがつらい目に遭ったことについて話しました。それを聞いたマリオがヨブ記を読みたいと言ったので,姉妹は「新世界訳聖書」のリンクを送ってあげました。”というものです。マリオは聖書レッスンを始めたそうです。」
「16節には2021年のことと書いてある。ということは、マリオは聖書レッスンを始めてすぐやめたということかな?そうでなければ、マリオはその後バプテスマをうけ、電話伝道を楽しんでいます、と書いてあるはず。」

「最後の17節には“次の記事では,ヨブ記からどうすれば上手にアドバイスができるかを考えます。”とあります。」
「アドバイスと称して、平信者にあれこれ要求する記事なんじゃないの?来週は休もう。」

異端審問
今日 08:44:28

山ゆりさんのブログで知りました。
アニメ チ。
宗教組織が地動説 天動説をめぐり対立する物語。

聖書についての質問
2026年01月30日 13:47:44

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“あなたは大切な人です(47)”で、よくいる精神的な問題を抱えたJWでも大切な人だからJW活動を頑張りなさい、という内容です。」
「老人問題の次は心の問題ね。公式には、JWは他の人が知らない“真理”を知って、世界一幸せな人たちなんだけれど、問題だらけのようだね。」

「1節に“自分なんか駄目だという気持ちに悩まされている人もいます。過去にひどい扱いを受けたり,十分に愛情を注いでもらえなかったりしたせいかもしれません。”とあります。JWにこんな人が多いということですよ。」
「JWである限り、そういう問題は付きまとう。さっさとやめようJW。」

「3から13節が“イエスは,一人一人が自分の価値に気付けるようにした”です。  この記事でもイエスを大きく取り上げています。いつもなら旧約聖書の誰かを取り上げるのにヘンですね。」
「普通のキリスト教への変身を図るということでしょう。」

「3節では“イエスはガリラヤを回る3度目の伝道旅行の時,いろいろな地方からやって来た人たちを教え,病気を治してあげました。イエスはその人たちが「羊飼いのいない羊のように痛めつけられ,放り出されて」いることに気付きました。(マタ 9:36。注釈を参照)”とあります。これがガリラヤを回る3度目の伝道旅行って、何を根拠に言っているのですか?」
「新世界訳聖書(スタディー版)の付録Aに“ガリラヤ中での宣教”について1から3まで地図付きで出ている。でもこれはJWの独自解釈にすぎない。AIに聞いてみたら、正確に回数を数えるのは難しいという回答だったよ。イエスはガリラヤを主な活動拠点としていたから、何回も回ったんじゃないの?」

「3節では“彼らは宗教指導者たちから「神に見放されている」と言われ,見下されていました。(ヨハ 7:47-49と注釈)”とあります。引照聖句には“律法を知らないあの群衆は神に見放されているのだ”とパリサイ派の人たちが言ったとあります。JWはどちらかというとイエスよりもパリサイ派に近いです。」
「JWは聖書にない規則をあれこれ設けて、JWの規則を知らないあの連中はハルマゲドンで神から滅ぼされるのだ、と言っているでしょう。輸血したり、誕生日を祝ったら、まもなく神に滅ぼされると、そういった人を見下しているよね。パリサイ派そっくり。」

「JWは新約聖書を使わない方がいいですね。JWはどうみても新約聖書の中で批判されているパリサイ派や宗教指導者にそっくりですから。」
「特に福音書は使わない方がいいよ。旧約聖書のダビデなんかがJWとは相性がいいんだろうね。ダビデはよく取り上げられる。」

「5節ではマルコ5章に出てくる“12年間出血が続いている女性”が取り上げられます。6節に“苦しんでいたこの女性は,イエスに治してもらいたいと思っていましたが,直接お願いすることはしませんでした。どうしてでしょうか。病気のせいで引け目を感じ,恥ずかしく思っていたのでしょう。あるいは汚れた状態の自分が人混みに行ったら,イエスから叱られるのではないかと不安だったのかもしれません。それで,病気が良くなると信じてイエスの外衣にそっと触りました。(マル 5:27,28)”とありますが、根拠の乏しい推測が多すぎます。」
「引照聖句には“イエスの後ろから近づき,外衣に触った。あの方の外衣に触るだけで良くなる」と言い続けていたのである。”とある。ここに書いてある通り、イエスの服に触っただけでよくなると信じていたから、後ろから近づいて触ったということ。引け目を感じていたとか恥ずかしかったとか叱られるとか、そんなことは書いていない。」

「この女性は魔術的な発想の持主で、服に触ればイエスの魔力が自分に伝わって病気が治ると思っていたわけですよ。これは古代では普通の発想じゃないですか?」
「マルコ3:10には“多くの人を治したイエスに触ろうとして,重い病気の人が皆,押し寄せていたのである。”とある。またマルコ6:56には“イエスがどこの村,町,田舎に入っても,人々は病気の人たちを広場に置き,その人たちは,外衣の裾にだけでも触れさせてくださいとイエスに嘆願するのだった。そして,触れた人は皆良くなった。”とある。イエスに触れれば治るというのはごく普通の発想ということがわかる。」

「イエスはマルコ5:34で“あなたが良くなったのは信仰があったからです。安心して暮らしなさい。つらい病気は治りました。”と言っているのは、古代の魔術的思考を否定するためですね。」
「それなのに、JWは魔術的思考にとらわれている人がいるでしょう。中古品を買ったら悪霊がついていた、といった話をまじめに語り、それを信じているJWがいるよ。」

「7節ではマルコ5:34を取り上げ、“女性の心配な気持ちが痛いほどよく分かったので,安心してほしいと思って「娘よ」と呼び掛けました。その表現は単に丁寧なだけでなく,優しい愛情のこもった言葉でした。(マルコ 5:34と脚注を読む。)”とあります。日本語訳では“娘”を省略したので、何のことを言っているのかわかりにくくなっています。」
「JW英語訳ではDaughter, your faith has made you well.(娘よ、あなたの信仰があなたを癒したのです)。日本語訳は娘を省略している。イエスが娘よと呼びかける唯一の箇所なのに勝手に省略するとは、ダメな翻訳者。」

「7節ではそのあとに“もしイエスが優しい言葉を掛けてくれなかったら,体は元気になっても,自分のしたことに後ろめたさをずっと感じることになったかもしれません。でもイエスのおかげで,自分はエホバにとって大切な娘のような存在なんだと気付くことができました。”とあります。かなりズレていますね。」
「病気の人がイエスに触ろうとするのはごく普通のことで、後ろめたさを感じるようなことではない。それから“エホバにとって大切な娘のような存在”というのは間違い。エホバなんか出てこないよ。勝手にエホバの娘にするなよ。イエスの娘でしょう。マルコ3:35でイエスは“神の望むことを行う人が,私の兄弟,姉妹,母なのです。”と言っているよ。私とはイエスのこと。」

「8節は障がい者を使った組織の宣伝です。“ブラジルで開拓奉仕をしているマリア姉妹は,生まれつき体が不自由で左手と両足がありません。”とマリア姉妹を紹介します。」
「こんな障害のある人でも開拓奉仕をしているのだから、五体満足な人が開拓奉仕をしないなんてありえないぞ!と脅すために、障害のある人が組織によって過去何度も用いられてきたね。」

「9節で“マリア姉妹は,エホバの証人になったことがきっかけで自分にも価値があると気付けました。仲間の兄弟姉妹が優しく接してくれたので,エホバの温かい気持ちを感じ取れるようになりました。”とあります。エホバが出てきますが、イエスは出てきませんね。」
「イエスは今のJWとはほとんど関係ない。全てはエホバのおかげで、エホバに感謝するのが正しいJWの在り方。」

「10節からマグダラのマリアが取り上げられます。いつものように“マリア・マグダレネ”とおかしな書き方をしています。」
「JWの翻訳者はイエス・キリストのキリストをイエスの名字と思っているド素人と同じレベル。」

「10節では“この女性は邪悪な天使7人に取りつかれていました。(ルカ 8:2)そのために奇妙な行動を取ることがあったはずです。周りの人からも避けられていたかもしれません。きっとマリア・マグダレネはみんなから嫌われていると感じ,不安でさみしい日々を送っていたことでしょう。”とあります。推測だらけですが、“邪悪な天使7人に取りつかれ”というのはおかしいです。英文ではseven demons(7つの悪霊)ですよ。」
「日本語版では霊は禁止なんだよ。邪悪な天使と言い換えられている。悪霊と天使は違う存在で、この言いかえはおかしい。天使はより高次な存在で、悪霊はより低次な存在でしょう。」

「マグダラのマリアが嫌われていると感じていたとか、不安でさみしい日々を送っていたというのは完全な推測ですね。」
「聖書にはマグダラのマリアがどのように過ごしていたかは何も書かれていない。」

「12節はリディア姉妹の話です。“リディア姉妹の母親は,姉妹を身ごもった時,中絶を考えていました。姉妹は小さい頃から母親にネグレクトされ,ひどいことを言われていたのを覚えています。”とあります。しかし、13節では“聖書を学んで変わりました。エホバに祈り,聖書を読むことによって,自分がエホバにとって大切な人だと理解できるようになりました。また,仲間から優しい言葉を掛けられ親切にされたことも力になりました。”とあります。メデタイ話です。エホバのおかげです。」
「もっとありそうな別な話はこうだよ。元JWのリリアは、小さいころから、母親から伝道させられるという虐待をうけ、疲れていても夜の集会に参加させられ、眠ると体罰で痛めつけられ、伝道や集会を嫌がるとエホバに滅ぼされるとひどいことを言われたのを覚えています。それがJWをやめたことによって変わりました。自分が価値のある、有能な人間だと理解できるようになり、多くの人から親切にされました。こっちの方が数は多いよ。」

「14から18節は“エホバが見てくれているように自分自身を見るには”です。  4つのことが出ています。14節は①“エホバの見方が世の中の人の見方とは違うことを忘れない。(サムエル第一 16:7を読む。)”です。旧約聖書がやっと出てきました。そこには“人間の見方と神の見方は違う。人間は目に見えるものを見るが,エホバは心の中を見る。”というものですが、この話で選ばれたのは悪人のダビデで、神の見方も人間の見方と大して変わらないことがバレてしまうわけです。」
「旧約聖書の神は人間の外見重視で、中身なんかはあまり見ないでしょう。最初の王に選ばれたサウルは、サムエル一9:2で“キシュには,サウルという若くてりりしい顔立ちの息子がいた。イスラエル人の中に彼よりもりりしい人はいなかった。そして,民の誰よりも,頭1つ分,背が高かった。”とある。長身でハンサムな男がエホバ好み。ダビデだって、サムエル一17:42には“血色が良くてりりしい”とある。紅顔の美少年もエホバ好みなんだろう。」

「それに対して、障害のある人をエホバは嫌いですよ。中身より外見重視なのがよくわかります。」
「レビ21:17,18に“代々,あなたの子孫で体に障害がある人は誰も,神のパンを捧げるために近づいてはならない。体に障害がある人がいるなら,その人は近づいてはならない。”とある。レビ21:23では“幕の近くに来ても祭壇に近づいてもならない。体に障害があるからである。私の聖なる所を汚してはならない。”とある。旧約聖書の神は差別的だね。」

「15節は②“ずっと誠実に仕えてきた人をエホバは大切にする,ということを忘れない。”です。預言者ダニエルを取り上げて、“天使ガブリエルを遣わして,ダニエルが「大切な人」で,ダニエルの祈りが聞かれていることを伝えました。(ダニエル 9:23を読む。)”とあります。そして“エホバはあなたの祈りも聞いていて,あなたのことを大切な人と思っています。”と飛躍したことを言います。説得力ゼロです。」
「よくある作文だよね。旧約聖書のある人物の出来事を取り上げて、それを現代のJWに時代背景や置かれている状況などの違いを全く無視して、単純に当てはめる。JW以外の人が見たら、バカバカしさにあきれる。」

「聖書の人物は神に選ばれた特別な人という設定です。そのような人物と現代のJWには何の関連もありませんよ。」
「現代のJWの多くは、たまたま自分の親がJWだったので、JWになっただけ。神に選ばれたわけじゃないからね。」

「16節が③“エホバがどれほど優しいお父さんなのかを忘れない。”で、エホバは優しいお父さんと思え、と指示しています。エホバはよい友達でもあり優しいお父さんでもあるわけです。でもすることと言えば人類虐殺です。」
「エホバって、誕生日を祝うと激怒するんじゃなかった?最近まではヒゲを生やすなとか、乾杯するなとか、進学するなとか、つまらない規則を設けて、JWを管理統制しようとしてきたよね。いまだに、輸血を禁止して、無駄に死なせている。誰が考えたって、親友でもないし、優しいお父さんでもないよ。」

「エホバは信者を無償で働かせ、寄付まで要求します。こんな優しいお父さんはいません。」
「でも、JWの教義ではエホバは良い友達で優しいお父さんなんだよ。文句をいうとまもなくエホバに焼き殺される。」

「17節が④“自分がエホバから喜ばれていることを心から信じる。(詩編 5:12を読む。)”で、引照聖句には“エホバ,あなたは正しい人を祝福してくださる。大盾で囲むように,恵みで覆ってくださる。”とあります。ヘンですね。自分を正しい人と確信している人にはこの聖句は励みになるかもしれませんが、そんな確信のない人には何の足しにもなりません。」
「この記事は自信がなく、自己評価の低い人を対象にした記事でしょう。聖句の選択がおかしい。」

「18節で“あなたのことをよく知っていて気遣ってくれる人たちからの誠実な褒め言葉を,素直に受け止めてください。エホバはあなたのことを大切に思っているので,そういう人たちを通して褒めてくれている,ということを忘れないでください。”とあります。ウソですよ。落ち込んでいる人をバカにしていませんか?JWが他の人をほめる場合、何らかの下心があるからで、エホバとは関係ありません。」
「JWが誠実に褒めることなんか滅多にないよ。多くは、お世辞、おべっか、外交辞令、迎合、ご機嫌取り、媚びへつらい、追従、ゴマすり。それらをまともに受け止めてはダメ。」

「最後の19節で“イエスは私たち一人一人が,お父さんエホバにとってかけがえのない存在だと伝えてくれています。”と、イエスを持ち出してきました。」
「初めはイエスの話だったけれど、途中からいつものように旧約聖書の話になって、エホバは優しいお父さんなんて旧約聖書にないエホバ教の話になった。JWは普通のキリスト教にはなかなか成れないね。」

聖書についての質問
2026年01月23日 13:56:29

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“イエスは思いやり深い大祭司(46)”で、イエスを誉めたたえながら、組織の宣伝をするという内容です。」
「エホバ教から普通のキリスト教に移行しようということかな?エホバ教にとって大事なのはエホバでしょう。イエスなんかどうでもいい存在なのに、この記事ではやたらと持ち上げているのが気持ち悪いね。」

「イエスが大祭司だというのはヘブライ書だけの思想ですよ。聖書の他の部分ではそんなことは書かれていません。」
「例えば、福音書の中で、イエスは私は大祭司だとは一回も言っていない。福音書では大祭司とその手下は悪役。それからパウロもイエスは大祭司だとは言っていない。ヘブライ書の作者はパウロじゃないからね。」

「1節に“イエスが大祭司になったのは西暦29年にバプテスマを受けた時です。”と断定していますが、聖書的根拠はありませんね。
「あれば聖句を引用するよ。それから西暦29年にバプテスマを受けたというのも根拠はない。JWの独自のインチキ年代計算に基づくもの。」

「3から5節は“神の最愛の息子が地球に来る”です。  “地球に来る”ではなく“地上に来る”じゃないですか?」
「JWの考えでは、イエスは別の惑星の住人なんじゃないの。」

「イエスは地上で大変苦労したことが書かれています。4節で“また,残酷な王ヘロデが生まれたばかりのイエスを殺そうとしたため,しばらくの間エジプトでの難民生活を余儀なくされました。(マタ 2:13,15)”とありますが、殺そうとしたのは生まれたばかりのイエスではないですよ。」
「マタイ2:11には占星術師たちは“家の中に入り,母親のマリアと共にいる幼い子供を見て,ひれ伏して敬意を表した。”とある。イエスの家族はベツレヘムでちゃんとした家に住んでいることになっている。ルカにあるように馬小屋にいるわけじゃない。」

「マタイ2:16では“占星術師たちから注意深く聞いておいた時に基づいて,ベツレヘムとその一帯にいる2歳以下の男の子を全員殺させた。”とありますから、ヘロデ王はイエスが生まれたばかりとは思っていないことがわかります。」
「生まれたばかりなら、1歳未満の男の子とするよ。でも、イエスのせいでベツレヘム一帯の2歳以下の男の子が殺されたわけで、残虐な話だ。愛ある神ならなぜそんなことを許すのか理解できない。」

「でも、こんな史実はありません。創作です。」
「マタイはイエスを新たなモーセとして描いている。それで、イエスもモーセ同様残虐な悪い王のもとに生まれ、殺されそうになるけれど、神の介入によって助かる、というストーリにしたわけだ。1世紀のユダヤ人がマタイの福音書を読めば、イエスとモーセの共通点はすぐわかったはず。」

「6から9節が“イエスは人を心から思いやった”です。  6節に“イエスは伝道していた時,恵まれない境遇の人たちを深く思いやりました。”とあります。その具体例として癒しの奇跡が書かれています。9節で“ヘブライ 4章15,16節を読む。”とあります。そこには“それで,助けが必要な時に憐れみと惜しみない親切を受けられるよう,気後れすることなく祈り,惜しみない親切を示してくださる神に近づきましょう。”とあるのですが、訳がヘンですよ。神に近づくとは書いていません。」
「JW英語訳でもapproach the throne of undeserved kindness(惜しみない親切の玉座に近づく)だね。玉座を神にしてしまったわけだ。翻訳者は何を考えているのか理解できないね。ヘブライ8:1では“その方は天で威光に輝く神の座の右に座り”と“神の座”にしているわけだから、4:16でもそう訳せばいいのにね。」

「それから“気後れすることなく祈り”はヘンです。気後れすることなく近づく、ですよ。」
「人間の大祭司は1年に一度しか神殿の最も聖なる場所にしか入れなかった。それに比べてイエスの大祭司は自由に近づける。それで気後れすることなく神の座に近づきましょうと言っている。協会共同訳では“堂々と恵みの座に近づこうではありませんか。”となっている。」

「9節で、イエスは“単に義務感に動かされて病気を癒やしたのではありません。何とかしてあげたいと心から思っていたからです。例えば,イエスは皮膚病の男性を離れた所から癒やすこともできましたが,あえてその人に触って治しました。きっと何年もの間,誰からも触れてもらえていなかったこの男性は,どんなにかうれしかったことでしょう。”とありますが、そうですか?イエスをヨイショしたいのはよくわかりますけど。」
「これはマタイ8:3の“イエスは手を伸ばして男性に触り,「そう望みます。良くなりなさい」と言った。すぐに病気は治った。”のことを言っている。相手に触ることによって病気を治すのは標準的な手順じゃないの?特別な思いやりのせいじゃないと思うよ。」

「9節では、イエスは“病気や障害を抱えている人や,大きな過ちを犯した人を避けるようなことは絶対にしませんでした。むしろ優しく愛のこもった接し方をし,自分は大切にされていると感じられるようにしました。”とあります。これはJWに対する皮肉ですか?」
「普通の宗教になりたいということじゃないの。JWといえば、些細なことで排斥処分にし、集団絶交をする意地悪なカルト集団として知られている。イエスとは真逆の精神を持った集団。今まではイエスなど軽い存在で、見倣う必要なんかなかったわけだよ。」

「10から12節が“思いやり深い大祭司に倣う”です。  イエスにどう倣うかというと、10節に“例えば,エホバの証人は聖書を学ぶための動画を100以上の手話言語で提供しています。目が不自由な人のために,点字版を60以上の言語で,動画の音声解説を100以上の言語で用意しています。それで,目や耳の不自由な人もエホバやイエスとの友情を育てることができています。”とあります。障害のある人もJWの勉強ができるように配慮しているという組織の宣伝ですね。」
「イエスはインチキ宗教家じゃないから、宣伝とは無縁じゃないの?障害のある人が、親切そうに近づいてくるJWに騙されないことを望むね。」

「11節も宣伝です。“イエスのリーダーシップの下,現代でもエホバの証人は聖書に基づく資料を1000以上の言語に翻訳しています。”とあります。あのいい加減なJWの聖書翻訳がイエスのリーダーシップの下に行われていたとは驚きです。」
「勝手にイエスの名前を使うなよ、と言いたいね。インチキ商品を売っている会社が、有名人の名前を出して、あの人も使っていますという宣伝を思い出させるね。」

「12節も宣伝です。“エホバの証人は,良い知らせを広める活動だけでなく,自然災害に遭った仲間の救援にも力を入れています。”とあります。“仲間の救援”と明記していて、助けるのはJW限定ということをはっきりさせているのは正直でいいですね。」
「キリスト教精神とは無縁の団体ということがよくわかる。倒れている人を見かけても、JWでなければ、見て見ぬふりをして立ち去るのがJWでしょう。」

「13から15節が“大祭司イエスが支えてくれる”です。  イエスが支えてくれるからガンバレと言っています。13節では“イエスはいつもあなたのことを見ていて,どんな大変な経験をしているか,そのせいでどんな気持ちになっているかを全部分かってくれます。ただ見ているだけではなく,思いやり深く助けの手を差し伸べてくれます。”とあります。これって、普段なら主語はエホバですよ。そして詩編あたりの聖句が使われるのがよくあるパターンでした。キリスト教を偽装しています。」
「エホバ教から普通のキリスト教へ変わりたいんだよ。最近バカげた禁止事項をゆるめているのもその流れでしょう。そのうち、イエスはやっぱり十字架にかけられて死んだ、と言い出すよ。」

「13節では、イエスは“また,「人々という贈り物」つまり長老たちと仲間を通して,あなたを励まし,支え,元気づけてくれます。(エフェ 4:8)”とあります。“人々という贈り物”という誤訳を少しも改める気がないことがわかります。」
「協会共同訳では“人々に贈り物を分け与えられた。”となっている。これが正しい。人間を贈り物にしてはダメでしょう。人間はモノじゃないよ。」

「15節で“イエスはエホバから離れてしまっている人たちのことも深く気に掛けています。私たちに,そういう人たちを捜し出して助けてほしいと思っています。(マタ 18:12,13)”と元JWに復帰を促せと指示しています。これって、イエスと関係ないですよ。イエスは排斥制度など制定していません。」
「引照聖句は“100匹の羊がいて,その1匹が迷い出るなら,男性は99匹を山に残し,迷い出ている羊を捜しに出掛けないでしょうか。”というものだけど、迷い出た羊は理不尽な排斥制度の犠牲者ではないよ。」

「15節には体験談が出ています。排斥された男性が復帰したという話ですが、“復帰した時,会衆のみんなが温かく迎えてくれました。その後妻も聖書レッスンを始め,今では家族でエホバに仕えています。”という定型文でつまらないです。」
「排斥された人には軽く挨拶することだけが統治体から許されたことだよ。温かく迎えるなんてことは統治体が許さないでしょう。復帰が発表されてから、それまでの冷たい態度から歓迎する態度に変わったということでしょう。」

「最後の16節で“もうすぐ来る新しい世界では,エホバに従う人たちがイエスに助けられながら,罪深い状態から完全に自由になっていきます。”と、この記事も楽園幻想を振りまいて終わりです。中身のない記事でした。」
「もうすぐ来る、というのは単なる慣用句で意味はないことは長年JWをやっている人には良くわかっているよ。とにかく、16節で終えたのは無駄に引き延ばすよりもいいことだ。」

聖書についての質問
2026年01月16日 13:54:35

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“前を向いて介護に取り組む(45)”で、介護が必要になったJWをこれからは見捨てないようにしよう、という内容です。」
「JWも介護問題を扱うようになったとは感慨深いね。時代の変化を感じるけれど、聖書とは無関係。聖書の時代に介護問題なんか存在しない。」

「2節に“介護しているあなたの努力をエホバは全て見てくれています。エホバはあなたに借りができたと思って,必ず返してくれます。(格言 19:17を読む。)”とあります。引照聖句には“立場が低い人に親切にする人はエホバに貸しており,神はその行いに報いてくださる。”とありますが、これを介護問題に関連させていいのですか?まず、この訳は問題ですよ。」
「これだと、介護される人=立場の低い人となってしまう。JWがそういうことを言ったら問題発言となるよ。“立場の低い人”という訳は解釈を入れすぎ。元のヘブライ語の意味は“ぶら下がっている”で、そこから弱い、貧しい、困っているなどの意味が派生した。」

「元の聖句の意味は“貧しい人”ですよ。貧しい人に親切にする、つまりお金をあげることです。それは神に対する貸しだよ、必ず何らかの形で返してくれる、と言っているわけですね。貧者救済は聖書の中で強調されるわけですが、JWはしたくないようです。」
「JWは貧しい人を助けるよりも、組織に寄付することを優先する宗教。同じ単語は同じ章の格言19:4でも使われている。そこでは“富は多くの友を引き寄せる、しかし、その貧しい男は友人からも見捨てられるだろう。”と訳している。ここでは“立場の低い人”ではなく“貧しい男”と訳している。この格言によれば、貧しいJWは会衆からも見捨てられるよ。今からでも遅くないから、お金を貯めよう。」

「3節で“聖書には介護を経験した人たちのことが書かれています。例えばアブラハムとサラです。家族でウルを出た時,父親テラは200歳ぐらいでしたが,みんなと一緒にハランまで960㌔ほどの旅をしました。(創 11:31,32)”とあります。テラは約200歳ということですが、介護が必要な老人ですか?創世記で描かれる世界は900歳以上生きる人がいる世界ですよ。200歳は元気な老人じゃないですか?」
「テラが介護が必要だったなどと聖書のどこにも書かれていない。勝手な想像にすぎない。」

「テラがウルを出た時200歳くらいだったというのは正しいのですか?」
「創世記11:26に“テラが70歳になってから,アブラム,ナホル,ハランが生まれた。”とある。それから創世記12:4には“アブラムは,75歳の時にハランを出た。”とある。アブラムがハランを出た時、テラは既に死亡しているけれど、もし生きていたら145歳。ウルを出た時は140歳くらいじゃないの。」

「テラの年齢に関しては矛盾することが書かれているということですね。」
「創世記の登場人物に関する年齢は矛盾が多いね。」

「5から8節は“気持ちが沈んでしまうのはどうしてか”です。  3つの理由が書かれています。6節は①“燃え尽き。”で、7節は②“自分を責める気持ちや悲しみ。”で、8節は③“感謝されない。”です。介護は大変なことですね。」
「介護は大変だけど、JWの場合は、こんなはずじゃなかった、組織にだまされたという失望感がさらに加わるからね。いっそう気持ちが沈むよ。」

「8節にアマドゥ兄弟が出ているのですが、英文ではAhmaduです。読み方が違うのでは?」
「普通はアフマドかアハマドだね。アラブ系の名前。アマドゥとは読まないでしょう。」

「9から15節が“前向きな気持ちでいるには”です。  7つのことが出ています。9節は①“無理をしない。”です。“私たちはみんな,時間にも体力にも限りがあります。それで,できることとできないことを分けて考え,時には「できません」と言うことが大切です。”とあります。なかなかいいこと言っていますよ。」
「無理をしないのはJW活動もそうだね。特権と称する嫌な仕事を押し付けられたら、「できません」ということが大切だね。それで文句を言われたら、この記事を見せよう。」

「10節は②“相手の言動の理由を考える。(格言 19:11を読む。)”です。引照聖句には“洞察力があればすぐに怒ることはない。過ちを見過ごす人は美しい。”とありますが、これも訳がヘンですよ。まず、過ちを見過ごしてはいけませんよ。大変な結果になったらどうするのですか?なぜそれが美しいのですか?」
「協会共同訳では“背きの罪を赦すことがその人の誉れ。”だね。過ちというより罪でしょう。JW訳はなんでも許せ、ことを荒立てるなという組織の方針に合わせた訳でしょう。」

「11節は③“エホバとの絆を強めるための時間を取る。”です。“私たちも毎日欠かさず聖書を読み,祈るようにしましょう。”とあります。12節は④“健康に気を配る。”です。“十分な睡眠も大切です。(伝 4:6)研究によれば,睡眠を取ると脳から毒素が排出されます。”とありますが、本当ですか?」
「毒素って何かはっきりさせて欲しいね。脳に毒素が詰まっているの?科学に無知なのがJWだからね。恐らく、寝ている間にアミロイドβなどの老廃物が排出されることを言っているのだと思う。睡眠不足だと脳内にアミロイドβなどの老廃物が蓄積しやすくなり、アルツハイマー病などの神経変性疾患のリスクを高めると言われている。」

「13節は⑤“ユーモアを忘れない。”で、14節は⑥“心を許せる友達に話す。”です。JWにはユーモアはないですよ。それからJWには心を許せる友達もいません。本音をいうと、すぐ密告されます。誰にも本音は言えません。」
「JW以外の人間関係をつくることが重要ということだね。JW以外だと本音を言っても密告するなんてことはないし、JWより頼りになる人が多いでしょう。」

「15節は⑦“楽園での暮らしを一緒に思い描く。”です。やっぱり楽園です。楽園を思い描けば、どんな悩みも吹き飛ぶというのが、JWの教義です。」
「ヘザー姉妹が“楽園でやりたいことを2人で語り合っています。一緒に縫い物をしたり,走ったり,自転車に乗ったりしたいね,とよく話します。復活してきた人のためにパンを焼いたり,料理を作ったりする約束もしています。そういう素敵な希望があって私たち幸せだね,と話しています」。”と言っている。これを読んで、JWはなんて幸せな人たちなんだ、と思うわけないよ。長年無償で組織のために働いた結果得られたものは、しょぼい楽園幻想。つまらないむなしい人生だったね、と思うだけ。」

「英文には“そういう素敵な希望があって私たち幸せだね,と話しています。”という文はありません。」
「Together, we thank Jehovah for our hope.(一緒に、この希望を与えてくださったエホバに感謝します。)だね。それではインパクトが弱いと思って変えたのでしょう。元の文章は適当に変えてよいというのが組織の方針なのでしょう。」

「16から18節が“周りはどんなふうにサポートできるか”です。  3つのことが出ています。16節は①“息抜きできるようにしてあげる。”です。介護の手伝いをするということのようですが、そんなことをするJWはまずいません。組織のために働くのが正しいJWの在り方です。介護が必要なJWは役立たずとして忘れ去るのみです。」
「JWも普通の宗教団体になろうとしているかのようだね。無意味な伝道なんかやめて、仲間の信者を助けることに時間を使った方が神様も喜ぶと信者に説教すればよいのに。」

「17節は②“集会に集中できるようにサポートする。”です。介護している人でも同じことの繰り返しにすぎない幼稚な内容の集会に出なくてはいけないとは過酷です。」
「集会では、私が助けているよ、と周囲の人にアピールできるから、人目を気にするJWなら援助するかもね。実際はオンラインで集会を視聴するふりをするだけでしょう。」

「18節は③“ねぎらいの言葉を掛け,その人のために祈る。”です。それでこそ真のクリスチャンですよ。でもこういうことをわざわざ言わないと、誰も実行しないということですか?」
「JWは無給の出版物の訪問販売員として始まった。宗教というより企業なんだよ。相互に助け合うという文化は乏しい団体。」

「最後の19節はまとめです。“もうすぐエホバは,苦しみや悲しみが原因で流す涙を全て拭い去ってくれます。”と言っています。“もうすぐ”と100年以上昔から言っています。」
「JWは終末カルトだから、こういう文章は無意味とわかっていても、入れたくなるんだよ。書いている人だって本気で信じていないよ。自分も“もうすぐ”介護される立場になるのは確実だと思って、この記事を書いていると思うよ。聖書研究とは無関係のテーマだったね。」

聖書についての質問
2026年01月09日 14:06:38

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“明るい気持ちで年を重ねるには(44)”で、高齢のJWは文句や愚痴ばかり言っていないで、少しは組織の役に立つように努力しなさい、という内容です。」
「高校を卒業する前に楽園が来て、永遠に若いまま、とだまされたJWも高齢者となり、JWもいよいよ高齢者問題に取り組まざるを得なくなったというわけだね。終わりの日は当分来ないことを認めたようなもの。高齢JWはさらに落ち込むよ。」

「100年以上前から終わりはもうすぐ、と言い続けて、高齢者問題など存在しないはずだったのに、今やJWの半分以上は高齢者ですよ。」
「終末カルトから少しずつ普通の宗教に移行して欲しいね。老人をこき使うのではなく、老人が余生を楽しく過ごせるよう配慮する宗教になって欲しいね。」

「2節には、老人というと定番の格言16:31が出ています。そこには“正しい道を歩む人の白髪は美しい冠である。”とあるのですが、訳がヘンですよ。格言は1節が2行からなる形式で書かれているわけで、その形式を無視するのはダメですよ。」
「英語訳ではちゃんと2行からなるようにしている。日本語訳者はただ訳せばいいという程度のやる気しかないということ。」

「英訳を直訳すれば、“白髪は美しき冠/それが正義の道の中に見出されたとき。”です。この訳もヘンです。」
「協会共同訳では“白髪は誉れある冠/正義を行う道に見いだされる。”となっているが、これが普通の訳。意味は白髪になるまで長生きするのは正しい生き方をした人へのご褒美だ、ということ。長寿は神を畏れる人へのご褒美という思想は格言のあちらこちらで見られる。」

「格言3:1-2では“わが子よ,私の教えを忘れてはならない。私のおきてを心から守ってほしい。そうすれば,長く生きて平和な日々を送れる。”とありますね。」
「格言4:10では“わが子よ,聞いて,私の言葉を受け入れよ。そうすれば,あなたは長く生きられる。”とある。長寿は正しい人という証拠なわけで、それゆえ白髪は名誉なわけ。白髪を“美しい”と訳するのはダメだね。」

「2節で高齢の兄弟姉妹を“元気に生い茂る木に例えています。(詩編 92:12-14を読む。)”とありますが、違いますよ。デタラメです。」
「そこには、正しい人は“年を取っても衰えない。元気ではつらつとし”とある。引照聖句は正しいものが繁栄することを言っているだけ。老人を“元気に生い茂る木に例えて”いない。」

「2節では“例えば桜の木は,樹齢1000年を超えても,息をのむほど美しい花を咲かせることがあります。エホバに仕え続けてきた高齢の兄弟姉妹たちは,その桜の木のようにエホバにとって美しく大切な存在です。”とあります。高齢のJWが1000年桜のように美しく大切な存在なわけありません。」
「そんな聖句はないでしょう。執筆者が高齢者を持ち上げているだけ。」

「ベテルでは高齢になったら、退職金も年金もなしに追い出します。ベテルは神の家という意味ですが、神の家は民間企業よりもひどい扱いです。」
「そうだから、せめてものみの塔の記事で高齢者を少し持ち上げてあげようという配慮でしょう。」

「3節に“エホバは高齢の人たちにも大切な役割を与えました。例えばエホバは,高齢のサラが大きな国民の母,またメシアの先祖になると言いました。(創 17:15-19)”とありますが、これもズレていますね。高齢のサラが子どもを産むから、神の働きとわかるわけですよ。若い女性が子どもを産んでも何の不思議でもありません。」
「不可能を可能にして、神は崇拝される。神の奇跡物語の一つに高齢の女性が子どもを産んだ!!というのが定番としてある。似たような話は世界のどこにでもある。」

「3節には、高齢なのに神に用いられた人として、モーセと使徒ヨハネを挙げているのですが、なぜノアを取り上げないのか不思議です。大洪水が起きた時、ノアは600歳ですよ。600歳の高齢で箱舟を作らせられて、かわいそうです。そんなことはもっと若い時に言ってよ、とノアは絶対思ったはずです。」
「ノアは950歳まで生きる。600歳は高齢じゃないんだよ。恐らく、組織はノアの大洪水の話は取り上げたくないんだよ。あれは史実というのがJWの一貫とした立場だけど、そんな証拠がないことは、無学なJWでも知っているからね。」

「4節では“でも,前向きな気持ちがあれば,そういう中でもめげずにやっていけます。 (格言 15:15を読む。)”とあり、引照聖句には“陽気な心の人には毎日が宴会である。”とあります。そんなことはありませんよ。誇張がひどすぎます。」
「格言はどこにでもある通俗道徳が並んでいるというレベルのもの。まじめに受け止める必要はないね。」

「5から8節が“明るい気持ちでいるのが難しいのはどうしてか”です。 高齢JWが明るい気持ちでいられないのはJWだからですよ。JWをやめれば、くだらない集会や奉仕などから解放されて、それだけで気分が明るくなります。」
「そういう不都合な真実は書けないので、一般的な高齢者問題に話をすり替えるわけだね。」

「5節では“例えば,以前できたことができなくなって,がっかりするかもしれません。”とあります。6節では“自分一人でできていたことができなくなって,切なくなることもあります。”とあります。高齢者一般の問題です。」
「介護が必要になるとJWからは見捨てられて、サタンの政府の福祉にたよることになるわけだね。エホバは信者たちがそんな境遇になっても助けてはくれないようだね。」

「7節はJWならではの問題です。“もしかすると,自分の生きているうちに終わりは来ないかもしれないと思って悲しくなるかもしれません。”とあります。終わりがクルクル詐欺に騙されたと絶望している高齢JWのことですね。この宗教の犠牲者です。」
「終わりがクルクルと言われて、開拓者という低学歴低収入の生活を選んだせいで、貯蓄なし、年金ほとんどなしのJW高齢者は結構いるよ。間違った選択をしたことは明らかで、これが明るい気持ちでいられない大きな理由だ。それには全く触れないとはズルい。」

「ここで統治体は謝罪すべきですよ。終わりが間もなく来ると長年だまし続けたことを心よりお詫びします、ぐらいは言って欲しいです。」
「統治体は謝罪しない。統治体は間違えることはない。間もなく終わりが来る。これが統治体の立場。」

「7節では“エホバが待っているのには十分な理由があります。たくさんの人がエホバについて知り,エホバとの友情を育てられるようになるためです。”と、いつもの言い訳を言っています。毎日世界では約38万人生まれています。その人たちがエホバの友達になれるまで待つわけですね。でも英文には“エホバとの友情”という言葉はありません。」
「“エホバと友達”とか“エホバとの友情”という言葉が好きなのは日本語の翻訳者。英文になくても勝手に挿入する。そのせいで、日本のJWという宗教はますます子供じみた幼稚な宗教になっている。」

「8節では“高齢になると,病気のせいでその人らしくない言動が増えてくるかもしれません。”とあります。そんなときは“素直に謝りましょう。”と言っています。いつもは何か言われてもすぐに許しましょうと言っているのに、高齢者にはすぐ謝れというのはヘンですよ。」
「まず統治体からお手本を示したらと言いたいね。絶対謝らないのが統治体なのだから、末端の信者が謝る必要はないよ。ウソを垂れ流しても謝らない統治体を見倣おう。」

「9から13節が“明るい気持ちでいるには”です。  5つのことが出ています。9節は①“周りに助けてもらう。”です。周りの人とは福祉関係の人ですね。」
「JWは高齢の役立たずなど助けたりしないからね。助けるとしたらお金をもらえる時だけでしょう。」

「10節が②“感謝を伝える。”です。10節には“ベテルで高齢者の介護をしているリア姉妹はこう言います。「私がお世話しているある姉妹はよくお礼のメモをくれます。・・・”とあるのですが、これってベテルでは高齢者の介護をするのが普通だと誤解させるためのものですよね。」
「ベテルで高齢者の介護をすることがあるけれど、それは特別な高齢者だよ。それ以外は、不要になったら、高齢になる前に無一文で追い出される。」

「11節が③“人のためになることをする。”で、“エホバが教えてくれている通りに生きれば必ず幸せになれる,ということを伝えましょう。”とあります。これは人のためになりませんね。詐欺です。」
「そう伝えると、なぜ明るい気持ちになれるのか理解できない。もしJWでない人から、あなたはエホバの言うとおりの人生を送ったようだけど、少しも幸せそうじゃないよ、と反論されたら、なんて答えるのかな?」

「12節が④“祈ってエホバから力をもらう。”です。祈りはなんにでも効く魔法です。12節では“イザヤ 46:4を読む。”とあるのですが、これも聖句の誤用です。」
「そこには“あなたが年を取っても私は変わらない。あなたが白髪になっても背負い続ける。・・・”とあるけれど、これはイスラエル国民に向けた言葉。46:3に“ヤコブの子孫よ,イスラエル国民の残っている全ての人よ,私の言うことを聞きなさい。”とあるよ。JWとは関係ないね。」

「13節が⑤“今の状況は一時的だと自分に言い聞かせる。”です。楽園での暮らしを想像して、自らを慰めるわけですね。これはJWならではの明るい気持ちになれる方法です。」
「でも楽園がどんなものか聖書はほとんど何も言っていない。何を食べて、何を着るの?それとも裸でくらすの?乗り物はあるの?電気はあるの?何もわからない。楽園の生活など想像できない。」

「14から17節が“周りはどんなふうにサポートできるか”です。 3つのことが出ています。14節が①“定期的に高齢の兄弟姉妹を訪ねたり電話したりする。”です。大多数のJWはそんなことをするつもりはないでしょう。みな自分の生活とJW活動で忙しいです。16節が②“病院に一緒に行ってあげる。”です。家族がいないJWが多いので、病院にもひとりで行くしかないわけです。病院にどうやって行くかが深刻な問題になっているようですね。」
「いくら楽園を夢見ても、病院に行くのをやめるわけにはいかない。子どもが排斥されたり、JWをやめたりすると、親の方が一方的に関係を断つことが結構ある。孤独な老後になるのも組織の言いなりになって、頼りにできる家族と縁を切るからだよ。」

「17節がJWらしいです。③“一緒に伝道する。”です。真冬でも高齢者を伝道活動に連れ出すわけです。高齢者虐待です。」
「伝道に行かないと、病院に連れて行ってもらえないのだろうね。それで仕方なくJW活動をやっている高齢者はどれくらいいるのかな?」

「最後の18節がまとめです。“最高の日々はこれからやって来ます。その時が本当に楽しみです。”とあります。高齢者を元気づけるのは楽園幻想しかないということですね。これでは落ち込む高齢JWが増えるのは仕方がないですね。」
「来週は介護問題を扱うようだ。JW流のインチキ聖書研究よりも介護の仕方を学んだ方が役立つよ。」

ラハム
2026年01月03日 19:04:06

1,000時間奉仕者さん、これまでよく頑張りましたねえ。
42年以上ですか、わたしたちには長大な時間ですね。
記事は、ライブラリーから読みました。
こんなの、みんな、嘘っぱちに見えますよ…。
わたしは、東松山の東京大会ホールでバプってますが、
研究生に1975年になったので、この2026年にJW関係者になり50年以上です。
2003年の暮れに脱塔しました。
でも、奉仕の僕がやっとのところで、
いくら頑張っても長老にはなれませんでした。
同じ障害の兄弟と、障害者は長老にはなれないのかと、
嘆いたことがあります。
でも、ここまできて、古希も近づき、振り返ると、
まっとうなJWとして生きようと、人間らしくありたいと
自分を押し出したことが災いしたのかなあと、気が付きました。

わたしも、お医者さんを含めて、先生と呼ばれている人たちは、
自分より年上だとずっと思っていたのですが、
いつの間にか、30代、40代の人たちが若者に見えてきて、ショックでした。
現在の総理大臣もわたしより若いなあ。

おととし、入院生活で、
わたしは4人部屋でしたが、わたし以外は90代で、60代だったわたしは、
まるで、彼らの子どものようで、小僧に見えただろうと思ったものです。
でも、上には上がいるもので、
入院患者には102歳のおばあさんがいましたよ、
これにはびっくり!

だから、1,000時間兄弟も頑張ってきて来たんだと、
わたしは尊敬できるんです。たいへんだったと思うのです。

若いメンバーが選ばれて、統治体に参入できたのは、
その若者が現在のメンバーの言いなりになるような、
雰囲気が醸し出されたからではないでしょうか。

レイモンド・フランズのような人物は、
絶対的に参入されたくないでしょうから…。
JWには人間的な良心を発動させようとする人間は、
邪魔以外何者ではないと思います。

正月のほろ酔い加減での書き込みでおかしいところもあるでしょうが、
1,000時間奉仕者兄弟にコメントしたくて書き込みました。
兄弟の書き込みは、楽しみにしています。

1,000時間奉仕者
2026年01月02日 21:21:02

この記事の末尾に「統治体の新しいメンバー」として二人の追加が発表されています。

人が年を取ったなあと実感するのは、プロ野球チームの監督や日本の総理大臣が自分より年下になった時だそうですが、

統治体の成員のバプテスマ日付が自分のより後なのを見ても同じ感覚になります。J・ジェドリー兄弟のバプテスマが偶然、私のと同じ日付だったので、やれやれです。

聖書についての質問
2026年01月02日 14:44:21
聖書についての質問
2025年12月26日 14:46:34

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“エホバに心から祈るには(42)”で、JW流の祈り方と主に旧約聖書にある祈りの例を学ぶという内容です。」
「英語のタイトルはHow to Improve Your Prayers(あなたの祈りを改善す方法)で、心から祈ればいいとは言っていない。でも祈りを改善したら、祈りが実現する確率が上がるとも書いていない。それって改善といえるのかな?」

「JW流の祈りというのは、一日も早くハルマゲドン来て、JW以外の人を焼き殺してください、と祈るのかと思ったのですが、そうでないようです。」
「そんなこと祈ったってハルマゲドンなんか来ないからだよ。祈り=お願い事をくどくど述べる、ではない。そんな祈りは古代宗教の祈り。古代宗教では神は人間の願いをかなえるための道具にすぎない。JWにとってエホバもそうかもね。」

「4,5節は“ためらわずにエホバに祈る”です。  イエスに祈った人は排斥と言うのかと思ったら、4節には“エホバは私たちの幸せを願ってくれている親友なので,自分の気持ちを何でも自由に話せます。”とあります。エホバ=親友だから気楽に祈っていいよ、と言いたいようです。」
「英文ではa loyal friend who wants us to succeed(私たちの成功を願う忠実な友)だよ。裏切ることのない友と言いたいわけで、親友とは違う。エホバ=親友という神学は日本独自でしょう。全く非聖書的な思想。どうせ親友にするなら、エホバではなく、困ったときにお金を貸してくれる人を親友にした方がいいね。エホバは寄付を要求するだけ。」

「6から10節が“どうすれば心から祈れるか”です。  祈りの改善方法が3つ出ています。7節が①“エホバがどういう方かじっくり考える。”です。これは大事ですね。エホバは気に入らない人間を簡単に殺す恐ろしい神ですからね。7節で、クリスティン姉妹は“エホバの揺るぎない愛について考えると,そういう不安は消えていきます。エホバはどんな時もそばにいてくれます。たとえ私が転んでも,優しく抱き起こしてくれます。”と、全く聖書に基づかないデタラメを言っています。」
「どこの宗教の神のことを言っているのと聞きたくなるね。いったいいつ転んだ時に抱き起してもらったの?」

「旧約聖書の神は最悪のキャラクターです。大量殺戮者、差別主義者、そして歪んだ正義感の持主です。格言13:24の“むちを控える人は子供を憎んでいる。子供を愛する人は懲らしめを怠らない。”や、格言23:13の“少年を懲らしめるのを控えてはならない。むちで打つ場合,彼は死なない。”にみられるように、神は体罰大好きの暴力愛好家です。」
「ホセア13:16はエホバがどういう方かじっくり考える材料になるよ。そこには“サマリアは有罪とされる。神に逆らってきたからだ。彼らは剣によって倒れる。子供は打ち砕かれ,妊婦は切り裂かれる。”とある。子どもや妊婦に対する残虐性は異常だ。」

「8節は②“どんなことを話すか考える。”です。JWは考えるのが苦手ですからね。」
「得意なこと、文章の中から答えを拾い出すこと。」

「9節には夫が末期の脳腫瘍になったアリスカ姉妹の話が出ています。“祈る前に時間を取って頭の中を整理するようにしました。そうしたので,自分のことや夫の病気のことばかり祈らずに済みました。”とあります。自分や夫のことばかり祈ってはいけないわけですか?末期の脳腫瘍という非常事態ですよ。厳しすぎます。」
「そういう時でも、統治体の兄弟が素晴らしい知恵と人格で私たちをいつも正しく導いてくださることに感謝します・・・と、統治体をほめたたえるのを忘れると、ハルマゲドンで滅ぼされるのではと不安になるのがJW。」

「10節が③“じっくり祈る。”です。“時間をかけて祈ることを習慣にしていきましょう。”とあります。やっぱり10秒しか祈らない人がけっこういるわけですね。それならカップラーメンができるまで最低3分祈りましょうと具体的に書けばいいのに。」
「そんなことを書けば、JW嫌いの人たちからバカにされるのが怖くてかけない。ここにある3つの注意事項を見ると、JWの祈りは決まり文句をいくつか並べて短時間で終わる中身のない祈りが多いということかな。」

「11から17節が“聖書に記録されている心のこもった祈り”です。  共感できる祈りを探そうとあります。13,14節がハンナの祈りです。13節には“2つの大きな悩みを抱えていました。子供ができないことと,もう1人の妻から嫌がらせを受けていたことです。”とあります。そして“ハンナは時間をかけてじっくり祈り,心の内をエホバに包み隠さず話しました。そうしたので気持ちが楽になりました。(サム一 1:12,18)”とありますが、ハンナの苦しみはエホバが一夫多妻制を認めていることに原因があります。ハンナは男の子を授けてくださいと祈りますが、これはエホバが男尊女卑だからですよ。女の子ではダメなのです。ハンナの苦しみの元はエホバのせいです。」
「ハンナの夫は2人の妻がいた。古代のイスラエルでは男性は何人でも妻を持っていい。女性の立場や幸福に無関心な神。女性なら、もっとましな神に祈りたいね。」

「サムエル一2章にはハンナの祈りが出ているのですが、ハンナの状況と関係するのは2:5の“子供がたくさんできた人は産めなくなり,子供ができなかった人は7人も産みます。”だけです。後はハンナとは関係ありません。」
「ハンナの祈りは、技巧的な詩で、無学な古代の女性であるハンナが作ったものではない。内容は戦争の勝利を祝うもので、ハンナの祈りとしてふさわしくない。サムエル二22章にダビデの勝利の歌が出ているけれど、内容はよく似ている。ハンナの祈りはサムエル記を書いた人がすでにあった詩をハンナの祈りとして挿入したものと考えられている。」

「サムエル一2:1には“私の角はエホバによって高く上げられます。私の口は敵に向かって大きく開きます。あなたによる救いを喜ぶからです。”とあります。これは戦いについてですね。」
「戦いの詩。角は強さのシンボル。神による勝利を喜び、感謝するという内容。」

「14節の注に“ハンナは祈りの中で,モーセが書いたのと似た表現を使っています。きっとそういう聖書の言葉についてじっくり考えていたのでしょう。”とありますが、これはデタラメですね。」
「古代の特別な地位についているわけでもない女性が読み書きができるとは考えられない。」

「14節では“何が学べますか。たとえ問題が続いているとしても,エホバがこれまでどんなふうに支えてくれたかを考えると,前向きな気持ちで頑張っていけます。”とハンナの話からの教訓を述べています。これは一夫多妻制での妻というハンナの立場は変わらないけれど、願い通り男の子が生まれたのだから、ガンバレというわけです。」
「神は時々祈りを聞いて、願い事を実現させてくれるようだけど、それは権力者の気まぐれ程度のものとしか思えないね。」

「15節はエレミヤの祈りです。“エレミヤ 12:1を読む。”とあり、そこには“しかし,邪悪な人たちが成功を収めているのはどうしてですか。不誠実な人たちが気楽に暮らしているのはどうしてですか。”とあります。それを15節では“預言者エレミヤはある時,悪い人たちがうまくやっているのを見て心が乱されました。”といっています。エレミヤをずいぶん卑小な存在にしています。」
「これは神義論だね。神は正義なのに、なぜ悪人は繁栄しているのかという問いを神に提出した。その答えは12:5の“あなたは,人と走って疲れるのなら,どうして馬と競走できるだろうか。平和な土地では安心していられるとしても,ヨルダン川沿いのうっそうとした茂みの中ではどうするのか。”というもの。」

「つまり、ヨブ記と同じで、ちゃんと答えていないわけですね。」
「神はエレミヤの問に答えず、これからもっと厳しくなるぞ、と叱っているだけ。」

「15節では“エホバが一番いい時に不正を全部なくしてくれることを信じて疑わないようにしましょう。”とありますが、聖書はそんなことを言っていません。」
「何か悪が行われても、エホバを待つ、つまり何もせず泣き寝入りするというのはJWの教義だね。悪人には良い宗教だ。」

「16節は“詩編 42:1-4を読む。”です。これはアッシリアかバビロニアによって捕囚となった人の嘆きの詩ですね。16節では“感情の浮き沈みを経験するかもしれません。でもそんな時こそ,どう感じているかを全部エホバに伝えられます。”と、祈りの中で感情を伝えろと言っています。そして“私たちも祈って気持ちを全てエホバに伝えるなら,考えが整理され,バランスを取り戻し,頑張り続ける力が湧いてきます。”とありますが、詩編42にはそんなことは書いていません。」
「詩編42で強調されているのは“神を待て”だね。JW好みの結論なので、詩編42をわざわざ取り上げたのだろう。」

「詩編には敵を憎み、復讐を願う詩が結構ありますよ。それは無視するのがJWです。詩編94:1では” 復讐する神,エホバ,復讐する神,輝きを放ってください。”とあります。」
「詩編109:6-20もそうだね。そこには“敵の寿命が短くなり,就いていた監督の職にほかの人が就きますように。 敵の子供は父親のいない子になり,妻はやもめになりますように。敵の子供が,さまよう物乞いになりますように。廃虚に住んで食べ物をあさりますように。”とある。復讐を願っているわけだけど、結構細かいことを言っているのがおかしいね。いつものことだけど、子供でも容赦しないことがよくわかる。」

「17節は“ヨナ 2:1,2を読む。”です。“祈りの中で,詩編に出てくる表現をたくさん使っています。よく知っているそういう言葉についてじっくり考えることで,エホバがきっと助けてくれるという希望を持てました。”とありますが、全くヨナ書を理解していません。」
「ヨナは魚の腹の中で“神は答えてくださいました。墓の底から,私は助けを求めて叫びました。あなたは私の声を聞いてくださいました。”と祈っている。これは救われたものが感謝するときの祈り。まだ魚の腹の中に居るヨナには全く場違いで、ふざけた祈り。模範とするような祈りではない。」

「17節には“私たちも聖書の言葉を覚えるようにすれば,問題にぶつかって祈る時にそういう表現を思い出して安心感を持てるはずです。”とあります。要するに聖句をたくさん暗記して、祈りの中で使え、と言いたいようです。」
「“復讐する神,エホバ,復讐する神,輝きを放ってください。”とか、“敵の寿命が短くなり,就いていた監督の職にほかの人が就きますように。”を暗記して、祈りの中で使えば安心感が持てるわけだね。」

「18から20節が“祈ってエホバともっと親しくなる”です。  18節は“ローマ 8:26,27を読む。”で、そこには“祈るべきなのに何を祈り求めればよいのか分からないとき,私たちの声にならないうめきと共に,聖なる力が願い出てくれるのです。”とあるのですが、その意味は“エホバは聖なる力を使って,たくさんの祈りを聖書に記録させました。私たちと同じような問題にぶつかった人が捧げた祈りもあります。気持ちをうまく言葉にできない時,エホバは聖書に記録されている祈りを私たちの祈りと見て,その祈りに応えてくれます。”と、メチャクチャな解説をしています。何を祈ればよいかわからない時は聖書の中の祈りを読めばいいという意味のようです。そんなことをパウロが言うはずがありません。」
「パウロの時代に新約聖書はない。旧約聖書だって、極めて貴重なもので個人で所有している人なんか滅多にいないよ。」

「聖なる力は英文では聖霊ですが、聖霊はある種の人格を持つ存在と想定されているのに、JWでは電力や磁力のようなもの聖なる力としているので、“聖なる力が願い出てくれるのです。”と言った聖句が解釈不可能になるわけですね。」
「ローマ8:15には“皆さんは,聖なる力により奴隷とされて再び恐れを抱いたのではなく,聖なる力により養子とされたのであり,その力によって私たちは「アバ,父よ!」と叫びます。”とある。アバ、父よと叫ぶのは祈りの中でだから、祈りは聖霊との共同作業という思想が見て取れる。ローマ8:26で何を祈ればわからない時に“聖なる力が願い出てくれる”というのも、祈りは祈るものと聖霊の共同作業で、何を祈ればわからない時は聖霊が助けてくれて、言葉が出てくるよ、と言っているのでしょう。」

「20節では“心を整えるために詩編のオーディオ版を聞くことができます。”とあります。詩編がお勧めなのですね。」
「“復讐する神,エホバ,復讐する神,輝きを放ってください。”とか、“敵の寿命が短くなり,就いていた監督の職にほかの人が就きますように。”を何度も聞くと、自然にそのセリフが出てくるので、祈りに困らなくなるわけだね。」

「最後の21節では、“聖書に記録されているいろんな祈りの言葉を参考にできます。”とまた言っています。組織としては、好き勝手に祈らせると、ろくなことを祈らないと思っていることがよくわかります。」
「統治体の老人は大会や集会でのJWの祈りを聞いて、あまりのくだらなさに呆れているのだろう。それでこんな記事を書くように命じたんじゃないの。」

聖書についての質問
2025年12月19日 14:22:09

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“神の愛はどんなときも変わらない(41)”で、エホバに疑問を持っても、エホバを信じろ、という内容です。」
「神の愛は変わらないかもしれないけれど、神の基準はよく変わるよね。ひげを生やしてよいとか女性はスカートでなくてもよいとか、乾杯をしてもいいとか変わったよね。これからも時代に合わせていろいろ変わるわけでしょう。」

「3節に“エホバは私たちを絶対に見捨てたりはしません。何があっても変わらずに支え続けてくれます。”と断言しています。奉仕活動中に殺されたJWは全世界で結構いますよ。この場合も支えてくれたんですか?支えてくれたけれど無残に殺されたとすれば全くダメな神ということです。」
「2014年に名古屋で77歳のJW活動歴40年以上のおばあさんが、名古屋大学の女子学生に斧で数回殴られ、その後マフラーで首を絞められて殺されて、1か月以上女子学生のアパートのふろ場に放置されたという事件があったけれど、あれもエホバは支えてくれたわけね。」

「4から8節は“エホバが愛してくれていることは聖書の基本的な教え”です。  4節に“エホバから愛されているということを,聖書の基本的な教えと捉えるなら,苦しい目に遭っている自分をエホバは気に掛けていないという考えを振り払うことができます。”とあります。エホバの愛=聖書の基本的な教え、という公式で暗記しろということです。この公式は正しいですか?」
「例えば、聖書は一度たりとも奴隷制に反対していない。従って、奴隷制の容認=聖書の基本的教えとは言える。でも、エホバの愛は基本的な教えではないよ。」

「出エジプト21:7に“人が娘を女奴隷として売ったなら,彼女は男奴隷と同じ仕方で自由の身になることはない。”とあります。つまりエホバは自分の娘を奴隷として売ることを認めています。しかもいつものように女性差別しています。奴隷に売られた娘もエホバは愛しているわけですか?ありえません。」
「出エジプト21:20,21には“自分の男奴隷や女奴隷を棒で殴打してその場で死なせた場合,必ず処罰される。しかし,奴隷が1日か2日生き延びるなら,主人は処罰されない。”とある。もし売られた娘が主人から暴行を受けて3日後に死んだら、奴隷の所有者は処罰されない。この奴隷に売られて、暴行を受けて死んだ娘もエホバは愛しているのかな?」

「エホバって誰かが罪を犯した場合。関係のない人を罰することがあります。愛のある神のすることですか?絶対違います。」
「JWによると、アダムの罪のせいで1000憶人の人類が死んだわけだ。無茶苦茶だね。ノアの大洪水では箱舟にいるものを除いて動物や植物が全滅。愛はない。なぜ罪深い人間だけを抹殺しないのか、理解できない。」

「出エジプトの時、7:3で“私としては,ファラオが強情になるままにし,しるしとなることや奇跡をエジプトで多く行う。”といって、その後長子の皆殺しをします。11:5では“エジプトにいる長男は全て死ぬ。王座に座るファラオの長男も,ひき臼をひく女奴隷の長男もである。家畜の初子も全て死ぬ。”とあります。なぜ奴隷の長男まで殺さなくてはいけないのですか?」
「こう見るとエホバは奴隷は愛していないね。」

「レビ記では姦淫した人、同性愛者は死刑と言っています。」
「神はそれらの人も愛していないね。そもそもイスラエル人以外は無関心だった。」

「6節は“エホバから愛されているか不安になる時”の対処法です。“自分の気持ちとこの記事の主題の聖句,詩編 136編1節を比較してみます。エホバが自分の愛を「揺るぎない」と言っているのはどうしてでしょうか。「神の揺るぎない愛は永遠に続く」という表現が詩編 136編で26回も繰り返されているのはどうしてでしょうか。ここまで考えてきた通り,何があってもエホバが愛し続けてくれるというのは,聖書の基本的な教えです。”と信者を説得しようとしています。詩編136はそんなに重要なものですか?違いますよ。」
「これは古代イスラエルの宗教儀式、特に過ぎ越しの祭りの際に歌われただろうと考えられている。それはこの詩の内容が天地創造→出エジプト→カナン征服を祝った内容だから。この詩はJWとは何の関係もないよ。」

「“「神の揺るぎない愛は永遠に続く」という表現が詩編 136編で26回も繰り返されている”ことを特別な意味があるかのように書いていますが、繰り返しが多いのは詩だからですよ。バカですね。」
「例えば、この詩は
18 力強い王たちを殺した。
神の揺るぎない愛は永遠に続く。
19 アモリ人の王シホンを。
神の揺るぎない愛は永遠に続く。
20 バシャンの王オグを。
神の揺るぎない愛は永遠に続く。
というような構造になっていて、最初の部分を誰かが歌うと、別の誰かが“神の揺るぎない愛は永遠に続く。”と続けて歌うというもの。それが26回になったというだけ。」

「“神の揺るぎない愛は永遠に続く。”という訳はどうですか?意味を付け加えすぎですよ。」
「協会共同訳では“慈しみはとこしえに。”となっている。JWは神の愛はゆるぎないものだと信者に説教したいので、そう訳したのだろう。元のヘブライ語は一語だから、余計な言葉を付け加えずに訳して欲しい。」

「7節で“エホバから愛されているのか不安になる時は,こういう聖句を思い出してください。”とあります。聖句の2つ3つを読めば、どんな不安も解決するようですね。」
「JWは組織の要求事項をすべて実行しないと、ハルマゲドンで滅ぼされるという恐怖と不安をあおる宗教だから、不安でいっぱいになる信者がいるのでしょう。それでこんな記事を書いているわけだ。」

「8節に“心で感じていることと頭で分かっていることを比較して,どちらが信頼できるか考えてみてください。感情は事実ほどには当てになりません。”とあります。ここで言う“事実”とはJW流に解釈した聖句のことです。そんなことよりも自分の感情の方があてにできます。不安はこの宗教に留まってはいけないという心の警報ですよ。」
「JWは理性に対する感情の優位性をわかっていないね。例えば閉所恐怖症は狭いところを怖がる必要はないことは知的には理解しているけれど、それでも恐怖を感じて狭いところが耐えられない。不安感いっぱいの人に聖句なんて何の意味もないよ。」

「9、10節が“エホバが私たちに「愛情を抱いている」ことをよく考える”です。  イエスの登場です。キリスト教の攻撃をしています。10節で“でもイエスは弟子たちに,イエスではなくエホバに祈るべきだと言いました。”とあります。イエスに祈るのは禁止と信者に徹底させたいようです。」
「中南米やアフリカで新しくJWになった人の多くはかつて教会に通っていた人でしょう。そういう人にとってエホバなる神はいかにもインチキ宗教の神の名前のように聞こえて、祈る対象として抵抗があるんだよ。それでイエスではなくエホバに祈れと改めて指示している。」

「JWも昔はイエスに祈っていたんですよね。それが途中で変わった。いいかげんな宗教ということがよくわかります。」
「イエスを崇拝すべきではないと明確に述べられたのは1954年1月1日号のものみの塔の記事から。1950年代にJW訳の新世界訳が出るけれど、そこではイエスを“崇拝する”というのは“敬意を表す”などに変えている。聖書を自分たちの教義に合わせて訳するということは最初からしている。」

「例えば、ヘブライ1:6は“神はご自分の初子を再び世界に遣わす際,こう言います。「神の天使たちは皆,彼に敬意を表しなさい」。”ですが、最後の部分は協会共同訳では“神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ。”です。」
「ここで使われている同じギリシャ語(proskuneó)はマタイ4:9のサタンのセリフである“「ひれ伏して私を崇拝するなら,これら全てをあげましょう」。”でも使われる。ここではちゃんと“崇拝する”と訳している。なぜ“敬意を表す”と訳さないのかな?JWでは、イエスに対してだけ“崇拝する”とは訳さない方針ということがわかる。それはJWにとって都合が悪いから。」

「11から14節は“疑ってしまうのはどうしてか”です。  11節に“エホバの愛を疑ってしまうのはどうしてでしょうか。1つの原因は,サタンがそういう気持ちをあおっているからです。”とあります。サタンは役に立つキャラクターですね。サタンはそんなことまでしているとは知りませんでした。」
「不都合なことはサタンを持ち出せば何でも説明できるようだ。JWという宗教は単純でいいね。」

「その後“サタンは私たちを「むさぼり食おうとして」いて,自分はエホバから愛されていないと思わせようと仕向けています。(ペテ一 5:8)”とありますが、引照聖句には貪り食おうとしているとありますが、エホバから愛されないと思うように仕向けるなど書いていません。」
「そこには“敵である悪魔が,ほえるライオンのように歩き回って,誰かをむさぼり食おうとしています”とある。ライオンが象徴しているものは愛されていないと思わせるように仕向けるような策略家ではない。例えば、詩編7:1,2に“私を迫害する人全てから私を救い,助け出してください。さもないと,誰かがライオンのように私を引き裂きます。助け出してくれる者がいない私を運び去ります。”とある。これがライオンのイメージ。引き裂き、運び去る。」

「エゼキエル19:6には“その雄もライオンの間を歩き回り,若くて強いライオンになった。獲物を引き裂くことを学び,人間さえ餌食とした。”とあります。ライオンは引き裂き、食い尽くす存在です。」
「それなのに、ライオンように歩き回っている悪魔を、“自分はエホバから愛されていないと思わせようと仕向けています。”というケチな詐欺師として解釈するのがJWなわけだ。悪魔ってもっと恐ろしいものでしょう。」

「13節では“罪を受け継いでいるせいで,罪悪感,心配,不安,恥ずかしさなどのネガティブな感情を味わうことがあります。”と、アダムから受け継いだ罪のせいにしています。原罪というのは何でも説明する便利なものなんですね。」
「JWにとって便利なものと言えば、“サタン、罪、不完全”の3つかな。これで大抵のよくないことは説明できると考えているね。」

「13節には不完全も出てきます。“私たちも完全ではなくなったので,エホバが意図していた通りに生きていくことはできなくなってしまいました。それで,エホバから愛されているか疑ってしまうことがあります。”とあります。」
「問題は、不完全とはどのようなことか、完全とはどのようなことか、誰も知らないこと。意味不明なので、なんにでも使える便利な言葉になっている。」

「最後の15,16節は“揺るぎない愛を貫く”です。  15節に“サムエル第二 22:26を読む。”とありまして、そこには“あなたは,揺るぎない愛を示す人に,揺るぎない愛を示す。誠実な人に誠実である。”とあります。エホバは条件付きの愛と誠実を示す神ということです。」
「JWの神学の基本は、神(組織)に服従していれば、楽園というご褒美がもらえ、そうでなければ間もなく来るハルマゲドンで滅ぼされるというもの。ところがハルマゲドンがなかなか来ないので、もはやその神学も維持できなくなっている。」

「つまり、ゆるぎない愛を持っても、持たなくても、死亡してしまえばみな楽園で復活することになっていますので、つらくてつまらないJWをやり続ける理由がないわけですね。」
「大患難が始まってからJWになってもOKというのが今の教義。統治体の奴隷となっていないで、今ある人生を楽しむべきだね。」

「16節はまとめですが“エホバが私たちを愛し,いつも支えてくれるからです。それは聖書の基本的な教えです。”とあります。訳がヘンです。英文では“いつも支えてくれる”とは言っていません。“基本的な教え”とも言っていません。」
「英文ではWe know that Jehovah loves us and will support us. That is what the Bible teaches.(エホバが私たちを愛し、支えてくださることを知っています。それは聖書の教えていることです。)とあるね。頭の悪い日本人JWにわかるように誇張表現を使ったということでしょう。」

1,000時間奉仕者
2025年12月13日 21:18:34

この研究記事のいっこ前に、恒例の「19◯◯年……100年前はこんなでした」の連載が載ってました。

相変わらずノー天気な記事だこと。

期待大ハズレで離脱した伝道者たちの話は最小限にとどめ、頑張ってラジオ塔をバンバン建てた話とか。

* 近年、英語原文から和訳文にするとき、受け取る雰囲気がガラリと変わる大胆な方針転換しているので、しれっと要点が改変されているのに気づかないことがあります。要注意。

聖書についての質問
2025年12月12日 15:25:17

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“エホバは「あふれる喜び」(40)”で、喜びの少ない人生を送っているJWがどうすれば少しでも喜べるようになれるかを組織の立場でアドバイスしたという内容です。」
「楽園のことを考えれば、どんなに苦しい生活を送っていても、喜びが湧き上がってくるという、ウソ話が出てくるかと思ったけれど、あまり出てこないね。」

「1節で、世界の人たちは“むなしさ,やるせなさ,悲しみにのみ込まれそうになっています。エホバに仕えている人たちも例外ではありません。”とありますが、逆ですよ。JWこそ、今頃は楽園で暮らしているはずだったのに組織に騙された!と、むなしさ、やるせなさ、悲しみに飲み込まれていますよ。」
「それはそうだけど、そうは書けないから、まずJW以外の人を誹謗中傷して、JWも例外ではありません、という風に話を展開させるのがJW流の作文術。」

「3から7節が“本当の喜びや幸福感はどこから来るか”です。  3節では“エホバはいつも幸福な方”と断定していますが、そんなことはないですよ。」
「聖書の神は後悔したことが何度かあるよ。創世記6:7では“それでエホバは言った。「私が創造した人を地上から滅ぼそう。家畜や空を飛ぶ生き物や地面を動く生き物も。私はこれらのものを造ったことを嘆いているからだ」。”とある。このとき幸福とは思えないよ。」

「サムエル一15:11では“エホバはサムエルに言った。「私はサウルを王にしたことを嘆いている。”とあります。この時も幸福ではないですよ。自業自得とはいえ、エホバかわいそう。」
「聖書の神はJWの考えるハッピーな神じゃない。けっこう間抜けで、失敗が多く、泣き言を人間に言う情けない神だね。」

「3節では“美しい地球,数え切れないほどの色彩,かわいいしぐさの動物,たくさんのおいしい食べ物。エホバがそういうものを造ったのは,私たちを愛し,生きるのを楽しんでほしいと願っているからです。”と、自然界の一面だけを取り上げた小学生向けのプロパガンダがでています。」
「地球の陸地の割合は29%で、そのうち71%が居住可能とされている。つまり地球の20.6%しか居住可能ではない。地球は神が人間のためにつくったとすれば、それは失敗作。それから動物はかわいいのもいるけれど、不気味で気持ち悪いものの多いよ。食べ物がおいしいのは人間が品種改良したから。たいていの原生種はおいしくないよ。」

「蚊とかダニ、シラミは“私たちを愛し,生きるのを楽しんでほしいと願っているから”造ったのですか?人間を苦しめるためにつくったとしか思えません。」
「毒のある生物が多すぎるよ。クラゲなんか結構危険。楽園想像図で子どもが海で遊んでいるというのがあったけど、クラゲに刺されることはないのか心配だ。キノコには有毒なものが200種類以上ある。楽園でも子どもが食べて死ぬ事故が多発しそう。なんでそんなものを造ったの?」

「4節にテモテ一1:11が引照聖句となっていて、“その教えは幸福な神の素晴らしい良い知らせと一致しており”とあるのですが、“幸福な神”はヘンですよ。」
「協会共同訳では“祝福に満ちた神”で、英語の聖書ではthe blessed Godだね。JWのようなthe happy Godとしているものはないでしょう。エホバ=幸福な神というJWの公式に合わせたJW独自の訳だね。」

「5節では“エホバによって造られたものの中で,イエスほど幸福な方はいません。”とありまして、その理由を2つ述べているのですが、説得力ゼロです。6節では“イエスはエホバが望むことを行うことで,いつも幸せを味わっています。(格 8:30,31。ヨハ 8:29)”とありますが、引照聖句はそんなことは言っていません。」
「聖書は幸せになるハウツーを書いた本じゃないからね。なんかずれているよね。これもJWの幼児化の現れかな。」

「イエスを取り上げた5,6節は不要ですよ。エホバ教なのですからイエスは不要です。キリスト教らしくみせたいからですか?」
「イエスはエホバによって作られたとわざわざ書いてあるから、三位一体を唱えるキリスト教を攻撃したいからじゃないの。」

「7節はバカバカしいことが書かれています。“エホバについて学んでエホバと一緒に時間を過ごせば過ごすほど,そしてエホバに倣えば倣うほど,幸せが大きくなっていきます。また,エホバの望むことを行ってエホバから喜ばれていることを実感すると,幸せを味わえます。”とあります。この論理だとJWは世界一幸福な人たちになりますね。」
「人類の大多数はエホバなんて知らないからね。JWに比べたら不幸のどん底にいるということになるね。でもそう見えないよね。」

「“エホバと一緒に時間を過ごせば過ごすほど”幸福になるようですが、これは誤訳ですよ。そもそもエホバと一緒に時間を過ごすことなんかできません。」
「The more time we spend learning about Jehovah and imitating him, the happier we will be.(エホバについて学び、エホバに倣う時間を取れば取るほど、より幸福になります。)だね。ちょっと複雑な構文になると、翻訳者はまともに訳せない。」

「ここで言うエホバとは組織のことですね。組織の教えを学んで、実行する。組織の望むことを行って、統治体を喜ばせる、と幸せになるといっているようなものです。」
「そう言うと誰もがウソだと思うので、エホバという便利なキャラクターを持ち出す。」

「8から16節が“どんなときも明るい気持ちでいるために”です。  3つのマイナス要素とその対処法が書かれています。8節は、マイナス要素①“つらい出来事。”です。“迫害,自然災害,貧しさ,病気,加齢のためにつらい思いをしていますか。”とあります。JWはそうでない人よりも、つらい出来事は多いですからね。明るい気持ちになれませんね。」
「組織は意図的に信者がつらい人生を送るように誘導している。進学するな、仕事はパートにしろ、結婚は先延ばしだ、子どもはつくるな、伝道をやれ、集会に必ず来い、無給で建設工事をしろ、寄付も忘れるな・・・、と無限の要求がつづく。明るい気持ちでいるにはまずJWをやめること。」

「8節に“聖書にも「心に痛みがあると気持ちが沈む」とあります。(格 15:13)”とありますが、聖書の訳がヘンですね。」
「JWの英語版ではheartache crushes the spirit.(心の痛みは霊を打ち砕く)。いつものように日本語訳では霊は別の単語に置き換えている。」

「9節は“どうしたらまた明るい気持ちになれるか。”で、“現実を受け入れ,感謝の気持ちを持つことが役立ちます。”とあります。バビロン捕囚の話を持ち出して、“現状を受け入れ,物事の良い面に目を向けて感謝する,ということです。たとえ理想的な状況ではなくても,エホバが必ずそばにいて助けてくれます。(詩 63:7; 146:5)”と、調子のいいことを言っています。もちろん、引照聖句は必ずそばにいて助けるなんてことは言っていません。」
「多くのJWはよせばいいのに現状を受け入れているよ。だからいつまでもJWを続けている。」

「9節には事故で体がマヒしたエフィ姉妹の話が出ています。“くよくよせず前向きに生きていくことで,エホバと仲間に恩返ししたいです。”と言っています。エホバは事故に遭うのは防いではくれませんが、事故に遭った後に支えてくれる神様のようです。」
「エフィ姉妹が3年以内に会衆から見捨てられる確率は90%でしょう。組織はエフィ姉妹を組織の宣伝に利用しているだけ。体がマヒしているエフィ姉妹が頑張っているんだから、病気などは頑張らない理由にならないぞ、というメッセージだね。」

「10節には“どんなにつらい状況もずっと続くわけではないことを忘れないでください。砂浜に残された足跡のように,やがてすっかり消えてなくなります。”とポエムが出ています。」
「ポエムなんかダメだろう。終末論カルトらしく、はっきりと、間もなく楽園が来て、全ての苦しみはなくなりますと力強く宣言しろよ。」

「11節で“エホバに嫌われているから問題にぶつかるんだ,と思うことがありますか。”と問いかけています。そんな風に思うJWはいないでしょう。よい事はエホバのおかげ、悪いことはサタンのせい、と考えるように訓練されていますよ。」
「会衆の傲慢な長老や意地悪な姉妹に嫌われているから、問題にぶつかるんだと思うJWは多いよ。」

「12節はマイナス要素②“理想と現実のギャップ。”です。楽園がなかなか来ないことを言うのかと思ったら、それは無視です。“自分の状況では達成できないような高い目標を持つと,落ち込んでしまうことがあります。(格 17:22)”と言っていますが、引照聖句はそんなことは言っていません。」
「そこには“喜びにあふれた心は良い薬になり,打ちのめされた心は体を弱らせる。”とある。心理状態が身体に影響を与えることを言っている。聖書を学んでいるという幻想を与えるために、大した関係のない聖句を適当にちりばめるのがJW流の作文術。それから英語版では心ではなく霊だよ。」

「12節ではホリー姉妹の話が出ていて、“SKEに行ったり,海外で奉仕したり,ラマポの建設プロジェクトに参加したりしたいと思っていました。でも事情が変わって,どれも無理になってしまいました。すごく落ち込みました。”とあります。SKEとか海外奉仕とか建設奉仕はみな組織がヤレ、ヤレと信者に圧力をかけているものですよ。」
「組織は信者に無限に要求し、それに応えられない信者に罪悪感を植え付けて、もっと組織のために自分を犠牲にしなくてはと思わせるわけだね。JW流の信者操作術。」

「13節が“どうしたらまた明るい気持ちになれるか。”です。JWをやめればいいわけですが、そうは書けないので、“自分で勝手にハードルを上げる必要はないのではないでしょうか。 今の状況ではエホバへの奉仕でできることが限られているとしても,できることに打ち込んでください。”と、他人事のように書いています。無責任ですね。」
「信者が自分で勝手にハードルを上げているわけじゃないよ。組織からの有形無形の圧力があって、ハードルを上げないとダメなJWと周りのJWからいじめられるから、ハードルを上げざるを得ない。」

「13節では“それに新しい世界では,期待をはるかに超える素晴らしい奉仕ができるはずです。”とやっと楽園幻想が出てきました。」
「やっと出てきた“新しい世界”。楽園を持ち出せば全ての問題が解決する。なぜ最初からそうしないのか不思議だ。最近は遠慮がちにさらりと触れるだけ。楽園という言葉はもはや今のJWの心に響かないと思っているのかも。」

「14節はマイナス要素③“遊び中心の生き方。”です。それがなぜマイナスになるのかよくわからないです。その根拠として“エバという開拓者の姉妹はこう言います。「とにかく楽しもうとして生きていると,結局いつまでたっても楽しめません」。自分のやりたいことを追求しても満足できず,むなしくなります。”とあるだけです。これって、一人の感想にすぎません。JWとして生きているとむなしくなるだけですという感想は無数にありますよ。」
「“遊び中心の生き方”というのは日本語版だけ。英文ではSelf-indulgence(自己満足)で、自分の楽しみを優先した生き方でしょう。その何がいけないのかわからなかった翻訳者は“遊び中心の生き方”と誰もが悪いと思えるものに変えたのだろう。」

「組織としては、信者が楽しくするのは許せないのですよ。JWは24時間365日組織のために汗水たらして働くべきなのです。でもそうは言えないので、楽しみを追求しても空しいとケチをつけるわけです。」
「JWも昔は会衆で様々な楽しい行事をしていたようだけれど、今はしなくなった。楽しいことがほとんどない宗教になったのはなぜなのかな?組織の奴隷には楽しみはいらないということかな?」

「15節はソロモン王の話です。ソロモン王はありとあらゆる贅沢をしたけれど“むなしさだけが残りました。こう言っています。「見ても目は満足せず,聞いても耳は満たされない」。(伝 1:8; 2:1-11)”とあります。伝道の書の作者はソロモン王ではありません。ソロモン王の時代の何百年後に書かれたものです。」
「伝道の書の結論は、3:12,13に“私はこう結論した。生涯の間,喜び,善を行う。人にとってこれ以上の幸せはない。 人は皆,食べ,飲み,一生懸命働いて充実感を得るとよい。それは神からの贈り物なのだ。”とある。それなのに、JWは、飲まず食わずでも一生懸命働かず、組織の言いなりになって、充実感のないJW活動をだらだらするだけ。これ以上の不幸せはないね。」

「16節が“どうしたらまた明るい気持ちになれるか。”です。他のJWのためにもっと働けと要求しています。“あなたにはどんなことができますか。誰かがつらそうにしているなら,ちょっと声を掛けてみるのはどうですか。悩みを解決してあげられなくても大丈夫です。その人の身になって話を聞いてあげれば,相手は本当にほっとすることでしょう。・・・”と、すべきことはまだまだ続きます。JWは本当に不幸です。」
「そのあとに“一緒に伝道すれば,その人はきっと爽やかな気持ちになるでしょう。”とある。伝道に誘われて、そんな気持ちにならないよ。JWの大多数は伝道なんか大嫌いだよ。」

「最後の17節で“私たちは,お父さんエホバと親しくなればなるほど幸せになれます。”と断言していますが、説得力はありませんね。エホバに関われば関わるほど不幸になります。」
「説得力がないのは、JWのおかげで幸せになったという感動的な体験談がなかったからでしょう。不幸のどん底にいたけれど、たまたまJWと知り合い、聖書を勉強し、集会に行き、伝道するようになったら、それまでの不幸が一気に吹き飛び、今では世界一の幸せを味わっていますという○○姉妹の話をなぜでっち上げなかったのか不思議だ。」

統一教会
2025年12月11日 21:57:05

新世界訳聖書が以下のように改訂されましたので、全員、教えを厳守すること。

◆エルサレム陥落の年は607年ではなく587年である。
◆新世界訳聖書では237回「エホバ」という言葉を使っているが、原本の新訳聖書には「エホバ」という言葉は一回も出てこない。
◆“献血・輸血を禁止する”という聖書の解釈は間違っていた。ガンの化学・放射線治療において、輸血は必要不可欠である。もちろん、“輸血の代替医療”の内容も全くのデタラメである。“代替医療”によって信者が命を落としても、それは自己責任として処理され、ものみの塔は責任を取らない。よって、手術やガン治療等で輸血が必要な場合は素直に同意し、過去にあったような、輸血拒否によって医療従事者を困らせるような幼稚な言動は絶対にしないこと。もちろん献血は素晴らしい社会貢献であるので、積極的に協力すること。
◆聖書研究よりも学校の勉強の方が重要である。極力、子供を大学へ進学させること。できれば博士号を取得することが望ましい。すでに成人していて、大学を出ていない信者は、放送大学等を利用し、なるべく大卒の資格を取るよう努めること。(ものみの塔は信者の生活資金までは保証しない。大学を卒業して正規雇用のまともな職に就き、自立した生活を送ることこそが、まともな社会人であり、まともな人間といえる。)
◆バレンタインやホワイトデーでチョコ等を授受することは個人の自由とする。男性信者がバレンタインデーにチョコをもらったら、必ずホワイトデーでお返しをすること。信者である前に人間として当然の行為である。
◆誕生日パーティーを開催したり、参加するのは個人の自由とする。
◆クリスマスパーティーを開催したり、参加するのは個人の自由とする。
◆選挙の日は必ず投票に行くこと。民主主義国の国民として当然の義務である。
◆嗜むべきスポーツとしては、剣道を推奨する。剣道以外にも、武道を嗜むことは、武士道や礼儀作法を学ぶ上で非常に有意義である。
◆飲み会等で乾杯をする際は、協調性を重視して、自分も杯を掲げ、声高らかに「乾杯!」と発声すること。
◆国旗掲揚の際は協調性を重視して、国旗の方を向くこと。
◆国歌・校歌斉唱の際は協調性を重視して、大きな声で歌うこと。
◆年明けに年賀状をもらったら、礼儀として必ず返事を出すこと。「明けましておめでとうございます」と言われたら、協調性を重視して「おめでとうございます」と返事をすること。
◆“キリスト教”の名前を使わせていただいている以上、自宅に必ずキリスト像を置くこと。
◆喫煙は個人の自由であり、規制はしない。
◆食事の前には手を合わせて、「いただきます」と発声する。
◆マイホームなどの財産を所有したり、起業などの経済活動を行うことは個人の自由とする。
◆なるべく多く貯金すること。(これも前述の通り、ものみの塔は信者の老後生活を保証しないので、自力で老後の資金を貯めておくこと。)
◆婚前交渉は個人の自由とする。一般的に、恋愛経験の無い者は社会で苦労する事が多いため、恋愛経験を積むことは、思慮深い人間になる上で非常に重要である。
◆積極的に地域活動に参加すること。(地域住民と良好な関係を保てない人間が良好な信者になることなどあり得ない。)
◆他のいろんな宗教を尊重すること。特にプロテスタントやカトリックは素晴らしい宗教である。
◆神社仏閣も重要な文化遺産であるので、機会があれば参拝して見聞を広めること。
◆知人から結婚式の招待を受けた場合は、どの様な宗教形式であっても極力参加すること。信仰よりも友情の方が大事である。
◆先祖のお墓参りには必ず行くこと。墓の宗教形式に関係なく、先祖を尊ぶことは大事である。
◆知人が亡くなった場合、どの様な宗教形式の葬儀であっても、極力参加すること。知人やその周りが悲しんでいる時に支え励ますことは、宗教云々よりも人として当然の行為である。
◆開拓奉仕は極力控えること。開拓奉仕をしなくても、エホバのような素晴らしい宗教なら自然に信者は増えるから、ただひたすら待つ。開拓奉仕をする時間的余裕があるなら、仕事や家庭のために時間を費やすこと。
◆諸君が“サタン”と呼んでいる人達は、真実を教えてくれる非常に貴重な存在である。よって、サタンの話は真剣に聞くこと。
◆“排斥”を恐れてはならない。“排斥”こそが、ものみの塔が用いる最大の“脅迫”なのだから。エホバの証人全員が勇気を出して同時に脱会すれば、“排斥”という概念自体が消滅する。ものみの塔で知り合った仲間を大事にしたいなら、全員同時に脱会するべきだ。そうすれば、“排斥”もされず、仲間も失わず、みんな幸せになれる。
◆ハルマゲドンは起こらない。恐怖を植え付けることは、人を洗脳するための常套手段である。
◆死後の楽園は存在しない。楽園に行くためではなく、現世で幸せになることを目的として、世のため、人のため、自分のために頑張ることが重要である。

ジョエル
2025年12月08日 21:07:00

JW聖書の「正しい態度を持つ人」は、研究とか毎週とか言われるとハードル高くて断る人なんでしょうか

全知の神様が救いたいなら救いたい人を好きに救えばいいと思うのですが、そういう乗り気でない人を気軽に会話しながら~みたいなセールストークから始めて数か月とか数年かけて顧客獲得しないと救われない方がハードル高いような


JWというマイナー宗教をかすりも知らない人なんて中国インドイスラム圏に何億どころか何十億といて、最近エホバは聖なるパワーで動かしているはずの信者の活動限界を認めて、大患難?が始まってからでもOKの修正緩和を公表したんじゃなかったでしたっけ?

かすりも知らない人でも容赦なく滅ぼす神様だとウケが悪いし、終わりが来てからでもOKにするとセールス伝道嫌いな信者がもっとしなくなるし、でマーケティングの方向性に困ってるんでしょうね

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