一般文書の用法

フラビウス・ヨセフス ユダヤ戦記 第一巻 1:10
次いでティトスがエジプトから軍をすすめてふたたび〔わが〕国に進入したこと、彼がどこでどのように軍隊をととのえたか、またその兵力など。彼が到着した(パルーシア)とき内戦によって衰えていたエルサレムの状況、ティトスの度重なる攻撃および彼が建築した一連の土木工事などについて語り…

聖書中の用法

聖書の中では臨在(パルーシア),到来(エルコマイ),顕現(エピファネイア),表わし示される(アポカルプト)というギリシャ語をキリストの再臨に関連して互換性のある言葉のようにして用いています。例えば マタイ24:37-42 ではパルーシアとエルコマイが同じ出来事を指すものとして用いられています。

(マタイ 24:37‐42) …人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。38 洪水前のそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。39 そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の臨在[の時](パルーシア)もそのようになるのです。40 その時二人の男が野にいるでしょう。一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。41 二人の女が手臼をひいているでしょう。一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。42 それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなた方は,自分たちの主がどの日に来るか(エルコマイ)を知らないからです。

さらにキリストの再臨の際に見られる状況をノアの洪水の際に見られた状況と比較したキリストの言葉をルカはアポカルプトというギリシャ語を使って表現しています。福音書筆者はこれらの語を同義語として用いています。

 (ルカ 17:26‐30) …また,ノアの日に起きたとおり,人の子の日にもまたそうなるでしょう。27 人々は食べたり,飲んだり,めとったり,嫁いだりしていて,ついにノアが箱船の中に入る日となり,洪水が来て彼らをみな滅ぼしました。28 また同じように,ちょうどロトの日に起きたとおりです。人々は食べたり,飲んだり,買ったり,売ったり,植えたり,建てたりしていました。29 しかし,ロトがソドムから出た日に天から火と硫黄が降って,彼らをみな滅ぼしたのです。30 人の子が表わし示されようとしている日(アポカルプト)(*1)も同様でしょう。

(*1) 人の子の現われる日 – 口語訳

さらにヨハネ第一の筆者はキリストのパルーシアに別のギリシャ語を類似する単語として用いています。彼は「現わされる(ファネロー)」こととキリストの臨在を同義語として用いています。

(ヨハネ第一 2:28) では今,子供らよ,彼と結ばれたままでいなさい。彼が現わされる時,その臨在の際に,わたしたちがはばかりのない言い方ができ,恥を被って彼から退かなくてもよいようにするためです。

初期キリスト教文書

初期のクリスチャンは福音書に記載されているパルーシアをどのように理解していたでしょうか? 聖書や初期のキリスト教文書では,1回目の到来(一世紀)と2回目の到来(将来)の二つのキリストの到来があるという共通認識が示されています。 一例として2世紀のものと思われているキリスト教文書には以下のように記載されています。

ムラトーリ断片(西暦2世紀後半)
福音書は・・・二つの部分から成るその降臨などに関するすべての事柄が明らかにされているからである。屈辱から身を起こして恥辱に終わったその最初の降臨はすでに起きたが,王としての力の栄光を伴う2度目の降臨はやがて起こるのである。

2世紀のギリシャ語を母国語としたクリスチャンは「パルーシア」や他の「到来」を意味する単語を読んでも同じ事を指す単語として判断しました。誰も目に見えない臨在とキリストの到来が別々に起きるとは考えていません。

第二クレメンス(西暦150年頃の作者不明の文書)
彼はご自身が表し示される日について語っている。それは彼が来て我々ひとりひとりの業に応じて受け戻してくださる時である。

The Ante-Nicene Fathers Vol.7 p522

ユスティヌス(西暦160年頃)
彼を信じるなら,その二回目の栄光ある到来(パルーシア)の際に救われることになります。

The Ante-Nicene Fathers Vol.1 p212

(下にギリシャ語テキストのコピーを掲載しています)

ユスティヌス(西暦160年頃)
キリストの二つの到来がふれ告げられています。最初のときは苦しみのうちに遣わされ,栄光はなく,不名誉とともに処刑されました。しかしながら,次の到来では,彼は天から栄光とともに来られます

The Ante-Nicene Fathers Vol.1 p253

ここで引用したユスティヌスの文書(ユダヤ人とリュフォンとの対話)はギリシャ語で書かれており,それは新約聖書に用いられた言語と同じです。彼はギリシャ語パルーシアを用いてそれをキリストが天から栄光のうちに到来するときの出来事として描写しています。

ユスティヌスのユダヤ人トリュフォンとの対話 35章

上記の4行目の左から4番目にパルーシア(παρουσία)が出ています。二世紀のクリスチャンはパルーシアはキリストが栄光をもって表わし示される時で,「到来」という意味で理解していました。

Trypnone Judaeo dialogus. – W. Trollope (1846)

 

この他にもキリスト教文書以外のギリシャ語で書かれた文献でもパルーシアは「到着」という意味で用いられています。例えば,フラビウス・ヨセフス はユダヤ戦記 第一巻 10節(新見宏訳)で「ティトスがエジプトから軍をすすめてふたたび国に進入したこと、…彼が到着したとき内戦によって衰えていたエルサレムの状況」について語っています。ヨセフスはここでギリシャ語のパルーシアを「到着」という意味で用いています。

ギリシャ語を母国語とする初期クリスチャンや一般の人はパルーシアを”到来”を意味するものと理解していました。当時のギリシャ語を話すクリスチャンはパルーシアとエルコマイが一連の文章の中に含まれていたら、同じ出来事を指すものとして解釈したと言えます。

実際、ギリシャ語を話す初期クリスチャンが誰も「パルーシア」を「キリストの目に見えない臨在」とは解釈してこなかったことが、ものみの塔の不自然な解釈の強力な反証となっています。

 

記事の終わり