エホバの証人研究

エホバの証人について真面目に研究するサイト

BC607年 補足資料, BC607年と1914年

ゼカリヤの七十年 – 一般的な見解

この記事はすでに固定記事として公開している「結論3 – 誤解された聖句」の中で記されている要点を補強するためのものです。その記事の後半ではゼカリヤ書の記述を用いてものみの塔の西暦前537年説の間違いを示しています。

このゼカリヤ書の聖句に関して一般の聖書学者はどのよう述べているのでしょうか?その点を取り上げる前に問題の聖句の背景について説明します。

ゼカリヤ書の時間的背景

ゼカリヤ書の聖句は「古代エルサレムの崩壊」の年が一般の考古学の証拠と一致して西暦前587年であることを明らかにしている重要な聖句です。ところが、ものみの塔協会は「古代エルサレムの崩壊」に関する重要な聖句であるにも関わらず「目72 7/8 28ページ」で引用して以降、この問題に関連してこの聖句にふれることをしていません。

まずは問題の聖句を見てみましょう。ゼカリヤ1:7,12 及び 7:5 に出ています。

(ゼカリヤ 1:7) ダリウスの第二年,第十一月つまりシェバトの月の二十四日,エホバの言葉が預言者イドの子であるベレクヤの子ゼカリヤに臨んでこう言った。

(ゼカリヤ 1:12) すると,エホバのみ使いは答えて言った,「万軍のエホバよ,いつまであなたは,エルサレムとユダの諸都市に憐れみを示されないのでしょうか。この七十年の間,あなたはこれを糾弾されたのです」。

このダリウスとはペルシャ人のダリウスのことです。ダリウスの第二年は西暦前520年になりますので、このときはキュロスのユダヤ人バビロン捕囚の解放からすでに18年の年月が経過していることになります。それにもかかわらずエルサレムとユダの諸都市が「この七十年の間」糾弾されていると言われています。

この聖句は現在継続している状況を述べているものです。伝統的な翻訳であるドウェー訳は「これは今七十年になるのです」と訳出しています。

その他の日本語訳も確認する

この聖句は「エルサレム崩壊」を西暦前607年と算出している「ものみの塔」が20年も間違っていることを示しています。正しくは一般の考古学の証拠が示している通り西暦前587年なのです。

続いて ゼカリヤ 7:5 はこの見解の正しさを示すさらなる証拠を提示しています。

(ゼカリヤ 7:1‐5) …さらに,王ダリウスの第四年,第九の月[つまり]キスレウの四[日]に,エホバの言葉がゼカリヤに臨んだ。2 そのためベテルは,エホバの顔を和めようとして,シャルエツェル,およびレゲム・メレクとその配下の人々を送り,3 万軍のエホバの家に属する祭司たち,また預言者たちに語ってこう言った。「わたしは,これまで,ああ幾年になるでしょうか,ずっとしてきましたように,第五の月に物断ちを行なって泣き悲しむべきでしょうか」。 4 すると,万軍のエホバの言葉が引き続きわたしに臨んでこう言った。5 「この地のすべての民また祭司たちに言うように,『第五の[月]また第七の[月]にあなた方が断食を行なって泣き叫んだ時,しかもそれは七十年【この七十年 – ギリシャ語LXX,  ラテン語ウルガタ訳, その他多くの訳】に及んだが,[その時]あなた方は,本当にわたしに,このわたしに対して断食を行なったのか…

「第五の月の断食」はダリウスの第4年になっても続いていることが示されています。そしてそれは「この七十年に及んだ」と示唆されています。人々はその断食について「これまで…ずっとしてきましたように」と述べています。「第五の月の断食」が始まったのはいつでしょうか?それはネブカドネザルの第19年(統治18年)にエルサレムを焼き払った事件(列王第二25:8,9)からです。一般の歴史がネブカドネザルがエルサレムを焼き払った年としている西暦前587年からカウントするとまさにダリウスの第四年(西暦前517/518年)は70年が経過した年になります。

ものみの塔協会はこれらの七十年は西暦前607年から西暦前537年までの70年であると考えているようです。もしそうであればエホバの「糾弾」およびユダヤ人の「断食」はキュロスの布告の二年後ユダヤ人がエルサレムに帰還を果たした時点が終わったことになります。

しかしゼカリヤの聖句の文脈はエルサレムを焼き払った事件から始まった断食は、今なお続いていることを示しています。そしてエルサレムが完全な復興を見るまで嘆きの習慣として続くことが示されています。(ゼカリヤ 8:18, 19)そしてゼカリヤ1章で言及されているエルサレムや周辺都市に対する「糾弾」に関してもバビロンからの解放後も引き続き継続していると当時のユダヤ人は感じており、エルサレムへの帰還も一時的な恵みであったとする聖句と一致しています。(エズラ 9:8をご覧ください)

偏見のない一般の聖書学者はどのように解釈してきたか

エホバの証人はラッセルの時代から始まった1914年に関する教理(あるいはすでに捨て去られた1874年やピラミッドの教理)があるため、上で説明したような説明を受け入れることはできませんでした。

では独特な教理上の前提をもたない聖書学者はゼカリヤの聖句をどのように説明してきたのでしょうか?この点を調べることは、1914年の教理による聖句への固定概念がなければ、どのように自然な聖書解釈ができるのかを知る助けになります。

なお、ここであげる聖書注釈書はあえて「ものみの塔聖書冊子協会」の設立前のものを選んでいます。それはこれらの聖書学者の意見がまったくエホバの証人の見解とは無関係であり、ものみの塔に対抗するために書かれたものではないことを示すためでもあります。彼らは純粋に聖書を研究し解説しているのであり、どこかの宗派の教理に縛られてはいないのです。

ゼカリヤ 1:12 に関する注解

マシュー・プール(1624年-1679年)

Matthew Poole’s Commentary
「この七十年;捕囚に関して使われてきたこの言葉は完全な成就を迎えます。それは彼らの惨めな捕囚から七十年目になるのです。今や憐れみが示され、シオンを築き、それによって神の栄光がたたえられるときです。定められた時が訪れたからです。今や神殿が焼かれエルサレムが破壊されてから七十年になります。そしてエコニヤが多くの神の民と共にバビロンに連れ去られてから満80年にもなります。そしてエホヤキムと共に多くのものが略奪されてからはさらに時がたっています。ダリウスの第二年までを計算すると88年あるいは90年ほどにまでなるのです。」

http://biblehub.com/commentaries/zechariah/1-12.htm

英文

 

マシュー・ヘンリー(1662年-1714年)

Matthew Henry’s Complete Commentary on the Bible
「ここで期待されていた神の憐れみによる同情の対象はエルサレム、聖なる都市、そして今や崩壊した状態のユダの諸都市です。なぜならそれらに対する神の憤りは今70年にもわたっているからです。み使いが70年に言及したのは捕囚の継続に関する神のみ旨が決められた期間であったからでしょう。神の憤りがこれほど長く続き、主なる彼らの神からの恵みは今もまだ限られた範囲でしか示されていないのです。神の恵みは彼らにある程度の復興を可能にしました。(エズラ 9:8)しかし70年の捕囚の傷は深く残っています。それは痛ましく、その70年に及ぶ神の憤りの哀歌の音はいまだに響き渡っています。70年の捕囚はエホヤキムの第四年[西暦前605/604年頃]から始まり、キュロスの第一年に終わりましたが、ライトフット博士によるとここでの70年はゼデキヤの11年[西暦前587年]、つまり最初の捕囚からおよそ19年が経過してからエルサレムと神殿が焼き払われたときから計算すると考えられます。そしてその終わりがダリウス・ヒュスタスピスの第二年、キュロスの宣言からおよそ17年後になっています。 ゼカリヤ 7:5 で言及されている70年はさらに後の年で捕囚終了から約19年になります。時が進む中彼らはこう考えるようになりました。『主よ、わたしたちは七十年の怒りの重みのもとにいます。あなたは永遠に怒りを示されるのですか?』」

http://www.biblestudytools.com/commentaries/matthew-henry-complete/zechariah/1.html

英文

 

ジョン・ギル(1697-1771)

John Gill’s Exposition of the Bible
「バビロニアの捕囚の時間、これはエコニヤの捕囚からキュロスによる解放まで示された神からの怒りの期間(エレミヤ 25:1,11およびダニエル9:2)ではなく、エルサレムが奪われて、ゼデキヤのときに神殿が崩壊させられたときから数えます。それはダリウス・ヒュスタスピスの時代に神殿が再建されたときにまで及ぶものです。ゼカリヤの預言はダリウスの第二年に語られたものです。(ゼカリヤ 1:7)それらの間には七十年の隔たりがあります。」

http://biblehub.com/commentaries/zechariah/1-12.htm

英文

 

アダム・クラーク(1760/1762年 – 1832年)

Adam Clarke’s Commentary on the Bible
「七十年の間 – これは捕囚期間と考えることはできません。なぜならそれからほぼ20年が経過しているからです。それは単に神殿の破壊からみ使いが語っている時点までの時間経過を表したに違いありません。神殿は滅ぼされたのはネブカドネザルの第十九年であり、この幻が現れたのはダリウスの第二年です。この二つの年の間で70年の年月あるいはそれに近い年月が経過していたことを示しています。」
http://www.studylight.org/commentaries/acc/view.cgi?bk=37&ch=1

英文

 

アルバート・バーンズ(1798-1870)

Albert Barnes’ Notes on the Bible
「『この七十年の間』 – エレミヤによって預言されていた捕囚に関する七十年(エレミヤ 25:11-12; 29:10)はダニエルの偉大な仲裁の祈り(ダニエル 9:2)の時点でその完了の直前に達していました。それはバビロンが征服されユダヤ人の帰還を認めるキュロスの布告をもって終了しました。(歴二 36:22-23;エズラ 1:1)しかし、副次的な成就が存在していたことが示されています。これは神殿と都市の崩壊から(ゼデキヤの第11年、列王第二 25:2,8-9、西暦前588年)ダリウスの第二年(西暦前519年)までの期間に成就しました。そのような二重の預言の成就はどちらかを選ぶものではありません。それらは単純な成就に比べると、複雑ではありますが、より完全な成就を示すものです。しかし『この七十年の間』 という言葉自体は二重の成就があると考える必要はありません。それは完全なる回復がいまだに途上にあり七十年が完了することへの期待と敬虔な念の表現にすぎないからです。」
http://biblehub.com/commentaries/zechariah/1-12.htm

英文

 

以上、5人の聖書学者の注釈書からゼカリヤ 1:12 に関する説明を書き出しました。ここで取り上げた5人の筆者はそれぞれ宗派も異なり、見解も細かな点での違いはあるかもしれません、しかし教理上の偏見がないとどの筆者も同じような説明になるのがわかります。

 

1 コメント

  1. あかちゃん

    聖書の記述と歴史的な見解が一致して、正しい理解だと思います。「も塔」の1914年は、もうあきらめたほうが真理を愛する者の態度だと思います。

コメントを残す