doctor21989年10月22日号の「目ざめよ!」の中に「医師たちは娘を連れ去ろうとした」と題する経験談が掲載されました。 この題名だけを見ると娘を拉致されそうになった気の毒な母親の話を想像するかもしれません。ところが内容はそのようなものではありません。それは生まれたばかりの新生児に法廷命令による輸血が行われることから逃れるために危篤状態の赤ちゃんを連れて逃げる親の話です。新生児は輸血なしで回復することができたので親が法的責任を問われることはありませんでした。もし新生児が脳性麻痺や死亡という結果になっていたら話は違ったことでしょう。

この記事が掲載されてから半年後の「読者の声」にフランスの医学博士からのコメントが掲載されました。

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両親の権利  私は医師として,「医師たちは娘を連れ去ろうとした」という記事(1989年10月22日号)に関する感想を述べたいと思います。このような記事は相互の誤解を深め,対立を生むだけです。
ある症例では,輸血だけが理にかなった適切な療法ですし,[フランスの]医師たちには,輸血を行なう道義的,法律的な義務があります。したがって,もし医師たちが,(1)血液を使うため裁判所命令を取りつける場合,または(2)その患者の治療をまったく行なわないことにした場合でも,証人たちは憤慨すべきではありません。医師たちはエホバの証人が自分たちの選択の結果を受け入れるよう求めます。さらに,証人たちが自分を殉教者であるかのように言うのではなく,むしろ自分の立場をできるだけ明確にするよう求めます。例えば,「(エイズやヘルペスを恐れているからではなく,)神の律法に従いたいので血を拒絶します」というようにです。医師たちは,エホバの証人に,首尾一貫した責任ある行動を取り,道徳を説こうとしないよう求めます。
J・L・P 医学博士,フランス

医師たちの声

前述の「読者の声」を一つ一つ分析してみましょう。

■ある症例では,輸血だけが理にかなった適切な療法です

エホバの証人はどんな治療でも輸血なしで行えると信じる傾向があります。この傾向は、輸血拒否によって人が死ぬということを心理的に受け入れたくない気持ちが関係しているかもしれません。

しかし別の点も指摘する必要があります。それは、ものみの塔出版物が、出血を最小限に抑えて無輸血で行える手術の例と、本当に輸血が必要になっている症例とを区別することなく語っているという点です。例えば、ものみの塔協会は輸血拒否で子供が死んでしまう事例について質問されたら以下のように答えるように提案しています。

*** 論 310ページ 血 ***
もし,こう言われたなら―
『あなた方は輸血を拒んで子供を死なせています。それはひどい事だと思います』
こう答えられます: 『しかし,私たちは子供に,もっと安全な輸液は受けさせます。AIDS,肝炎,マラリアなどの危険を伴わない輸液を受け入れております。愛のある親ならだれでも願うことですが,私たちは子供のために最善の治療を受けさせたいと願っているのです』。それから,こう付け加えられます: (1)『失血がひどい場合,一番必要なのは,体液の量を回復することです。ご存じと思いますが,私たちの血液の50%以上は実際には水分です。そして,そのほかに赤血球,白血球,その他のものがあります。多量の血液が失われると,体そのものが,蓄えていた大量の血球を循環系の中に放出し,また新しいものの生産を速めます。しかし,体液の量は補われる必要があります。その必要を満たすために,血液を含まない血漿増量剤を用いることができ,私たちはそれを受け入れます』。

この返答の仕方は、まるで出血多量で死亡するような重篤なケースでも体液さえ補充していれば死なないかのように思わせます。「私たちの血液の50%以上は実際には水分です」という回答がどれほど誤解を招くものなのかは協会にとっては重要ではありません。信者は大量出血時にも水分さえ補えば救命ができると信じてしまいます。ものみの塔は読者に医学的に正確な情報を伝えることを目的としていないのです。

■医師たちが血液を使うため裁判所命令を取りつける場合憤慨すべきではありません

子どもたちの命が関わっている時に、裁判所命令を取り付けるのは道義的責任です。日本でも親による輸血拒否を裁判所が「児童虐待」とする事例がすでに存在します。ですから児童虐待を知った関係者として医師は児童相談所に通報する責任を感じることでしょう。

あなたがエホバの証人であれば、他の宗教が同じような行動をしていたらどのように反応するのでしょうか?近所に住む他の宗教の人が宗教信条ゆえの児童虐待を行っているという事実を知ったとき、あなたは児童虐待の報告義務を怠りますか?虐待を報告することは法律が求めていることなのです。

■患者の治療をまったく行なわないことにした場合でも憤慨すべきではありません

医師が自分の好みで診療を拒否するのは間違っていますが(*1)、輸血を完全に拒否する場合に治療を行えないと感じる医師がいることを理解すべきでしょう。 そしてどんな手術でも無輸血で行えるはずだと考えるべきでもありません。

目ざめよ!の経験談を書いた親のように、自分の宗教信条ゆえに法定命令さえも無視して危篤状態の赤子を連れまわす人に迎合することを拒絶する医者がいても不思議ではありません。

*1 日本では医師法 第19条規定により、正当な事由がなければ医師は診察治療を拒否することはできません。

■自分を殉教者であるかのように言うのではなく,むしろ自分の立場をできるだけ明確にするよう求めます

「目ざめよ!」に掲載された経験談では無輸血での治療が成功しました。しかしいつでも無輸血で救命できるわけではありません。この医師はエホバの証人が「(エイズやヘルペスを恐れているからではなく,)神の律法に従いたいので血を拒絶します」と一貫した立場を明確にすることを求めました。これは多くの医師も感じることでしょう。

例えば、経験の中の女性は「私たちは情報に基づいて安全な光線療法を選び,多くの危険をはらんだ輸血を拒んだので,カーレイがエイズや肝炎やその他の恐ろしい病気にかかったのではないかと心配することはありませんでした」と述べました。ではこの新生児が実際に死亡していたとしたら、このような言葉を語れるでしょうか?この女性が輸血を拒否したのは「安全」な治療を望んだからでしたか?エイズにかかることが心配で危篤状態の赤子を連れまわしたのでしょうか?

■首尾一貫した責任ある行動を取り,道徳を説こうとしないよう求めます

これも多くの医師が感じていることでしょう。日本のある内科医も「エホバの証人の二枚舌」と題して記事を投稿しています。ものみの塔は輸血のリスクを事あるごとに掲載してきました。ではなぜ、多くのエホバの証人が良心上受け入れている血漿成分由来の血液製剤の危険性について啓蒙しないのでしょうか?実際、日本で起きてきた輸血による感染の問題は、エホバの証人が受け入れている血漿分画に由来した薬剤がもとになっているのです。(*2)

薬害エイズ事件 – Wikipedia

薬害肝炎 – Wikipedia

ものみの塔が読者に対して、医学的に正確な情報を伝えることに関心があるのなら「血漿分画」を話題にするときにも全血輸血を語るときと同じように危険性を啓蒙するはずです。

 

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記事の終わり

*2 現在、血友病患者に使用される血液製剤は加熱処理などの技術向上で安全性は高まっています。