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輸血拒否(補足資料)

補足 – アルコールの例え

エホバの証人は輸血を拒否する理由を以下のような例えを使って説明します。

*** 論 309ページ 血 ***
輸血は本当に血を食べることと同じですか
病院では,患者が自分の口を通して食事を取ることができない場合,その患者には静脈を通して養分が与えられます。では,自分の口の中に決して血を入れなくても,輸血によって血を体の中に受け入れる人がいる場合,その人は本当に,「血……を避けている」ようにという命令に従っていると言えるでしょうか。(使徒 15:29)例えとして,アルコールを避けるようにと医者から言われた人のことを考えてください。飲酒はやめても,アルコールを直接静脈の中に注入させるとすれば,その人は指示に従っていると言えるでしょうか。

「アルコールを避ける」という言葉をどのような意図で医者が述べたのかを知ることが重要ではないでしょうか?確かにアルコールを直接静脈に注入することは、医者が述べた「アルコールを避ける」という言葉に反する行為です。では別の例を考えてみてください。肝臓癌の治療としてアルコールを癌細胞に注入して死滅させる「エタノール注入療法(PEIT)」という療法があります。「アルコールを避ける」ように言われているという理由でその治療を拒否する人がいるでしょうか?医者に向かって次のように述べる人のことを想像してみてください。

「わたしは医者からアルコールを避けるように言われています。ですからエタノール注入療法を拒否します」

上記の主張の何が間違っているでしょうか?それは医者の言葉の意図をくみ取ることをしていないところです。「血を避ける」と語られた際、モーセの律法の17章10節から16節が念頭にあったことを文脈は示しています。それは動物の肉を食することと関連して述べられています。聖書は動物を食用に殺す場合、血抜きをすることにより食べてよい肉になるということを示しています。これは概念の問題であり、血が含まれているか含まれていないかという物理的な問題ではなく、血抜きをするという行為が行われているかどうかが重要でした。それは明確な意図と目的がある命令です。

血抜きをすることの意義は以下の二つの聖句を比較すると理解しやすくなります。

創世記 1:30 そして,地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた

(創世記 9:3-4) 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。

「血を伴う肉」は動物を殺しながら血抜きがされていないことを示しています。ですから、動物が人によって殺される、あるいは犠牲にされるという行為があって初めて血に宗教的な意味が出るのです(*1)。それに対して献血や輸血は動物や人を殺すことと関係がなく聖書筆者が念頭に置いていた原則と重なる部分がありません。

「アルコールを避ける」という言葉の意図を理解していればアルコールを使った医療を拒否するようなことはありません。同じように、「血を避ける」という言葉の意図を理解すればそれが輸血を拒否することを命じるものではないということを把握できます。

肝がんの治療としてエタノール注入療法(PEIT)を拒否した患者のことを聞いた時、「アルコールを避ける」よう助言した最初の医者はどのように感じるでしょうか?それは医者を喜ばすことにはならないでしょう。

同じように、もし神がおられるならば、「血を避ける」という言葉を最初の意図とは異なる仕方で解釈して教義を教えている人を見て喜ばれるとは思えません。

*1 血抜きは宗教的意味合いと共に肉の腐敗を防ぐという衛生上の目的にもかなっていました。血は体液の中でも特に腐りやすい物質です。

 

 

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記事の終わり

 

 

 

8 コメント

  1. アバター

    今、知恵袋で議論しているところです。
    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12140935082

    >肝臓癌の治療としてアルコールを癌細胞に注入して死滅させる「エタノール注入療法(PEIT)」という療法があります。「アルコールを避ける」ように言われているという理由でその治療を拒否する人がいるでしょうか?

    なぜ医師がアルコールを避けるように指示したのか?その意図・目的が欠落しています。つまり、多分、医師はアルコール依存症が再発しないための措置としてアルコール禁止にしたのでしょう。これが目的。

    もし、その患者がどうしてもアルコール依存症が深刻で、エタノール注入療法でさえも影響があるというなら、やはりそれを避けるでしょうね。

    ところで、ガンの治療にはエタノール注入療法以外に選択肢はないのですか?

    • アバター

      カレブ

      yangmask さん

      知恵袋も見てみましたが、yangmaskさんが何を主張されているのかよくわかりませんでした。

      jwstudy.com の輸血に関する記事は、ものみの塔がエホバの証人に対して「血を避ける」という言葉の強調により、血に関する聖書の律法の意図に関して盲目にしているということを伝えています。

      >「なぜ医師がアルコールを避けるように指示したのか?その意図・目的が欠落しています。」

      なので、その意図を考えるよう勧めているのです。
      yangmaskさんの幾つかの主張を見ましたが、少し前に主張したことが 次の主張と繋がっていないなど
      何か根本的な推論の仕方の問題があるように思います。(失礼な言い方で申し訳ないですが)

      たぶん知恵袋で対話してくれている人たちも 疲れちゃうと思います。

      >ところで、ガンの治療にはエタノール注入療法以外に選択肢はないのですか?

      ラジオ波焼灼術や開腹手術などありますが それが何か?

      ちなみに
      輸血に関するわたしの主張は そもそも神は命を救うために血を用いることを
      禁じていない点です。

      • アバター

        yangmask

        >ラジオ波焼灼術や開腹手術などありますが それが何か?

        では、別に、アルコール注入療法を持ち出して、「それをも受け入れないのか?」と問う意味はないように思えます。例えば、アルコール依存症の患者はそれを避けて、他の療法を実施することもできるのですから。

        ですから、このブログ本文の「>「エタノール注入療法(PEIT)」という療法があります。「アルコールを避ける」ように言われているという理由でその治療を拒否する人がいるでしょうか?」に対しては・・・・、

        「はい、そういう人もいますよね」という答えが出るのではないでしょうか。

        • アバター

          カレブ

          yangmask さん

          >例えば、アルコール依存症の患者はそれを避けて、他の療法を実施することもできるのですから。

          この記事の要点を理解していれば上記のような発言は出ないと思います。

          >ですから、このブログ本文の「>「エタノール注入療法(PEIT)」という療法があります。
          >「アルコールを避ける」ように言われているという理由でその治療を拒否する人がいるでしょうか?」に対しては・・・・、
          >「はい、そういう人もいますよね」という答えが出るのではないでしょうか。

          そういう人がいるなら、それは医師の意図をくみ取ろうとしない人です。
          まさにエホバの証人らしい考え方の典型を指摘してくださいましたね。

          と 指摘しても また堂々巡りになるんでしょうね。

          • アバター

            yangmask

            >そういう人がいるなら、それは医師の意図をくみ取ろうとしない人です。

            ①「医師からアルコールはダメだって言われてるんで、アルコールを使わない治療法でお願いできませんかね・・・」と、アルコール依存症の患者が言っても、別に非現実的ではないと思いますよ。

            ②逆に、エタノール注入療法を受けたために、アルコール依存症が再発・悪化したら、アルコール禁止を指示した医師は、「何で、指示通りにしなかったの? ダメじゃない」と患者を叱るでしょうね。

            まあ、今回はこれくらいで・・・。

          • アバター

            カレブ

            どうやって yangmask さんが理解できるように説明できるのか悩んでしまいます。

            この記事の要点は
            ・そもそも医者が「アルコールは避けましょう」と言うのと
            ・患者の命を救うためのアルコールを使った医療は異なる
            ということなんですよ。

            そんなに理解するのが難しいですか?

            聖書が動物を殺して食物とすることを認める条件として
            血抜きを命じていることと
            命を救うための医療行為として血が利用されることとは
            そもそもの意図が異なるということなんです。

            「血を避ける」という言葉を本来の意図を無視して
            解釈することが間違っています。

            聖典がもつ本来の意図というのを忘れると
            たとえば「血漿成分の一部が母体から胎児にながれている」
            みたいな主張をして 血液の4分の1は排斥処分で
            4分の1をさらに分解すると許されるという
            解釈にまで発展するのです。

            さらには「血液が自分の体から離れたら忌避すべきで、
            体の一部とみなせるなら認められる」というような
            主張も同じです。

            yangmask さんも 根本からエホバの証人の思考パターンの
            おかしさに気が付かないと前に進めないのではないですか?

          • アバター

            カレブ

            あと一応指摘しておきますが

            エタノール注入療法を受けたために、アルコール依存症が再発・悪化したら

            それはないですよ。

            yangmaskさんの推論は 聖書解釈の面でも 医療の面でも 間違ってます。

    • アバター

      匿名

      yangmask氏へ

      大事なのはそこ(肝臓癌治療法)の話じゃないし(苦笑)。例えに噛み付くんじゃなくて発言者の意図を考えるんだよ。「肝臓癌の治療とアルコール依存症(仮定)の治療どっちが大事か?」って自問してみたら自ずと答えは見えるでしょう。

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