エホバの証人研究

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習慣と信条

習慣と信条 – 統治体

gb聖書の中には「会衆」や「長老」、「監督」といった言葉が使われています。例えばパウロが書き送った手紙の中には「ケンクレアにある会衆」(ローマ 16:1)、「彼らの家にある会衆」(ローマ 16:5)といった表現が使われており、当時のクリスチャンが大小様々なグループを形成していたことが示されています。しかし手紙のどこを見ても「統治体」に相当する言葉は見出せません。もちろん聖書に出ていない言葉を使ってはいけないわけではありませんし、1世紀と今日では事情が違うのですから組織上の違いがあっても問題はありません。問題があるとしたら、そこで示される精神が、聖書で示されている精神から離れてしまっているときです。

現代の統治体の統治

ある統治体会議の中で「統治体」という言葉を使わない執筆部門のメンバーがいることが話題になりました。レイモンド・フランズは自著の中で、カール・クラインが感情的にそのメンバーのことを非難したときの様子を記しています。

彼(カール・クライン)はとても強い調子で次のように締めくくりました。「統治体という言葉のどこが間違っているんだい?我々そのものじゃないかい。我々は現に統治しているでしょう!」
Raymond Franz – In Search of Christian Freedom p.41

統治体の統治は信者の様々な領域にまで及びます。聖書をどのように解釈すべきかを細かく規定しています。(参照:受け入れなくてはならない信条)統治体が決めた聖書の解釈を受け入れない信者は破門されます。

その統治はプライベートな分野まで及びます。例えば男女間で起きた“不祥事”は何が淫行で何が淫行ではないか、ポルノを見るクリスチャンをどのように扱うかなどに関して細かく指導を与えます。

例えば、2012年3月15日号のものみの塔には「ポルノを見る習慣にはまり込んだ」人が宗教裁判にかけられる可能性について述べられています。このような見解が公にされると、自分のプライベートな生活について「告白」する信者が出てきます。そうすると地元の長老たちは難しい判断を下さなければならなくなります。恐らく多くの問い合わせが支部や本部に押し寄せたのでしょう。2012年4月10日付ですべての長老団へポルノについての細かな見解を述べる手紙が送られます。ポルノを見る習慣を告白した信者が開拓者などの資格を持つ人である場合、二人の長老が任命されて、資格を失うかどうかを判断するために11の質問を考慮するように指示しています。その質問のうち最初の4つは以下のようになっています。

2012年4月10日付 すべての長老団へ

ポルノについて

  1. その人は自発的に問題を明らかにしたか
  2. それは2,3回のちょっとした出来事か、それとも数か月、数年にさえ及ぶ習慣であったか
  3. どのような種類のポルノを見ていたか
  4. それはマスターベーションを伴っていたか

問いただす相手は女性の開拓者である場合もあります。年長の男性二人が若い女性を前にして、どのような種類のポルノを見ていたのか、ポルノを見ながらマスターベーションをしていたのかということを聞きだしている姿を想像してみてください。

このような規定を取り決める統治体とその神権組織は、カール・クラインが述べた「我々は現に統治しているでしょう!」という言葉を十分納得させるものになっています。

1世紀の統治体

エホバの証人は使徒15章に登場する「エルサレムにいる使徒や年長者たち」が統治体の役割を果たしていたと信じています。キリスト教の初期の進展がエルサレムから始まっており、そこに指導的な役割を果たす人たちがいました。しかしエホバの証人の統治体が果たすような役割を彼らは担っていたのでしょうか?そのように仮定するととても不自然な状況が見えてきてしまいます。

例えば、パウロはシリアのアンティオキアを中心にして活動をしていましたが、長年、「エルサレムにいる使徒や年長者たち」と会合をもって何かを決定したりすることはありませんでした。(ガラテア 1:16‐17)(ガラテア 2:1‐2)

では使徒15章はどのような背景があるのでしょうか?

(使徒 15:1‐2) …さて,ある人たちがユダヤから下って来て,「モーセの慣例どおり割礼を受けないかぎり,あなた方は救われない」と兄弟たちに教えはじめた。 しかし彼らを相手に,パウロとバルナバによって少なからぬ争論と議論が起きた時,人々は,パウロとバルナバおよび自分たちのうちのほかの幾人かが,この論争のことでエルサレムにいる使徒や年長者たちのもとに上ることを取り決めた。

パウロやバルナバがエルサレムに問題の解決を求めにいった理由が「ある人たちがユダヤから下って来て」クリスチャンはモーセの律法にしたがう必要があると主張しはじめたからでした。ではこのような主張をした人たちとは誰でしたか?

(使徒 15:24) …わたしたちの中から行ったある人たちが,わたしたちが何の指示も与えなかったにもかかわらず,いろいろなことを言ってあなた方を煩わせ,あなた方の魂をかく乱しようとしていることを聞きましたので…

何の問題もなく平和に過ごしていたアンティオキアの会衆をかき乱していたのは、“統治体”のおひざ元から来ていたユダヤ人クリスチャンだったのです。アンティオキアのクリスチャンは必要に迫られてユダヤ人クリスチャンに対して影響力をもっていたエルサレムの主だったクリスチャンに仲裁を求めました。

西暦70年にエルサレムのユダヤ人社会は壊滅させられます。エホバの証人は西暦70年のエルサレムの滅びの後も、どこかで統治体組織が機能していたと信じています。(ただしこれは1世紀の間だけで2世紀以降の宗教支配体制は背教であるとしています)

不思議なことに、パウロ、ペテロ、ユダ、ヤコブなどの手紙の中には統治体の取り決めに対する言及がありません。そして西暦70年以降に書き記されたとする「ヨハネの啓示」には統治体の存在を匂わせるものはありません。その書の前半部分には「アジア地区にある七つの会衆」のことが述べられていますが、そこで描写されている様子はイエス・キリストの直接の支配であり、統治体が間に入って取り仕切っている様子はありません。ヨハネが統治体の成員だったのでしょうか?では仲間の統治体の成員はどこに登場するのでしょうか?1世紀に統治体の取り決めがあったとするのはとても不自然な主張になってしまいます。

聖書による権威付け

統治体あるいは組織の権威の根拠とされてきた聖書解釈は数多くあります。 その中には奇妙にも見える聖書解釈によって組織の権限を守ろうとするようなものがあります。例えば J.F.ラザフォードはマタイ20章に出てくる1デナリで契約した働き人が後に不満を述べるようになった例えを解釈し、その1デナリとは最近発行された聖書研究第七巻であると宣言しました。(ラッセルは1デナリは単純に「王国の誉れ」としていた)そのようにして第七巻に不満を抱いた人をけん責し、ラザフォードの率いる組織の正当性を擁護しました。そして聖書研究第七巻(終了した秘儀)が組織にとって重要ではなくなると、その解釈も捨て去られました。1933年になるとラザフォードはデナリの例えにまた新しい解釈を与えます。今度は、そのデナリとは「エホバの証人」という名称のことで12時間は1919年から1931年までの12年間であると説明しました。(WT1933 11/15)こうして新しい名称に不満を持つ者は戒められ、ラザフォードの正当性が擁護されました。その新しい解釈も意味を持たなくなると別の解釈にとって代わることになります。(ものみの塔 1967年5月1日 277頁)

宗教組織の中に支配する者と支配される者がいることは別におかしいわけではありません。エホバの証人の組織の場合、それをいちいち聖書によって権威付けをしようとするところが逆に怪しさを増し加えています。

例えば、協会は霊的な食物を与える排他的な権限は「忠実で思慮深い奴隷」級に与えられており、エホバの証人の大半はその級に属さないクリスチャンであるとされています。そして油注がれたクリスチャンと油注がれていないクリスチャンの二つの級が存在しており、ほとんどのエホバの証人が後者のグループに属しており、そのグループは聖書の数多くの記述で予表されているとしています。

残 190ページ

神の王国の地的な領域を相続する,今生きている人々に関する預言的な型と描写

次のような人々のグループ,もしくは個人によって予表されていた:
(1)ノアの子らとその嫁たち(創世記 6‐9章)。
(2)ロトとその娘たち(創世記 19章)。
(3)ヨセフの10人の悔い改めた異母兄弟(創世記 37,42‐45章)。
(4)飢きんに見舞われ,身をヨセフに売り渡したエジプト人(創世記 41章; 47:13‐26)。
(5)イスラエルと一緒にエジプトを去った,入り混じった集団(出エジプト記 12:38)。
(6)贖罪の日における,イスラエルのレビ人ではない十二部族(レビ記 16章。マタイ 19:28)。
(7)イスラエルの中の外人居留者(レビ記 19:34)。
(8)モーセの義理の兄弟ホバブ(民数記 10:29‐32)。
(9)エリコのラハブ(ヨシュア 2,6章)。
(10)イスラエルとの和平を求めたギベオン人(ヨシュア 9,10章)。
(11)ケニ人ヘベルの妻ヤエル(裁き人 4,5章)。
(12)サウル王の子ヨナタン(サムエル第一 18章; 23:16,17)。
(13)ダビデと共に戦った異国の者(サムエル第二 15:18‐22)。
(14)シェバの女王(列王第一 10章)。
(15)らい病を清めてもらったナアマン(列王第二 5章)。
(16)レカブの子エホナダブ(列王第二 10:15‐28)。
(17)エホバの神殿に向かって祈った異国の人々(歴代第二 6:32,33)。
(18)ネティニムと,ソロモンのイスラエル人ではない僕たちの子ら(エズラ 2,8章)。
(19)レカブ人(エレミヤ 35章)。
(20)エチオピア人エベド・メレク(エレミヤ 38章; 39:16‐18)。
(21)悔い改めたニネベ人(ヨナ 3章)。

それに対して「忠実で思慮深い奴隷」には神からの圧倒的な信任状があるとして以下の記事に根拠が書かれています。

*** 塔81 6/1 27ページ あなたは「忠実で思慮深い奴隷」を認識していますか ***

圧倒的な信任状
「忠実で思慮深い奴隷」には数多くの信任状があります。1919年という顕著な年以来,イエス・キリストの油そそがれた追随者の残りの者に当てはまる,あるいは残りの者を予表していた聖書的かつ預言的な名称のリストの一部を下に掲げます。

(1)ノアの妻,創世 7:7。(2)ロトのもとに遣わされたみ使いたち,創世 19:15。(3)リベカ,創世 24:64。(4)ヨセフとベニヤミン,創世 45:14。(5)残して置かれた落ち穂,レビ 19:9。(6)ラハブの所へ行った二人のスパイ,ヨシュア 2:4。(7)バラク,士師 4:14。(8)エフタ,士師 11:34。(9)ナオミとルツ,ルツ 2:2。(10)ダビデに属するイスラエルの戦士たち,サムエル後 18:1。(11)エヒウ,列王下 10:11,15。(12)モルデカイとエステル,エステル 4:13。(13)ヨブ,ヨブ 42:10,13。(14)王の娘,詩 45:13。(15)愛ある親切に富む人々,詩 50:5。(16)親しい集い,詩 89:7。(17)シヤルヤシユブ,イザヤ 7:3。(18)諸国民の光,イザヤ 60:3。(19)義の大木,イザヤ 61:3。(20)わたしたちの神の奉仕者,イザヤ 61:6。(21)残し置かれた房,イザヤ 65:8。(22)別の名で呼ばれる僕たち,イザヤ 65:15。(23)神のみ言葉におののく人々,イザヤ 66:5。(24)生まれ出た新たな国民,イザヤ 66:8。(25)エレミヤ,エレミヤ 1:10。(26)新しい契約に入れられたエホバの民,エレミヤ 31:33。(27)亜麻布を着た人,エゼキエル 9:2。(28)地の中心に住む者たち,エゼキエル 38:12。(29)川のほとりの木,エゼキエル 47:7。(30)すなどる者,エゼキエル 47:10。(31)天の軍勢,ダニエル 8:10。(32)回復された(清められた)聖所,ダニエル 8:14。(33)賢い者たち,ダニエル 11:33。(34)ずっと待ち続ける幸いな者,ダニエル 12:12。(35)霊を受けるあらゆる肉なる者,ヨエル 2:28。(36)ヨナ,ヨナ 3:1‐3。(37)エホバの目の玉,ゼカリヤ 2:8。(38)大祭司ヨシュア,ゼカリヤ 3:3,4。(39)ユダヤ人,ゼカリヤ 8:23。(40)レビの子ら,マラキ 3:3。(41)小麦,マタイ 13:25。(42)王国の子たち,マタイ 13:38。(43)ぶどう園の働き人,マタイ 20:1。(44)婚宴に招かれた者たち,マタイ 22:3‐14。(45)選ばれた者たち,マタイ 24:22。(46)鷲,マタイ 24:28。(47)忠実で思慮深い奴隷,マタイ 24:45。(48)思慮深い処女たち,マタイ 25:2。(49)王の兄弟たち,マタイ 25:40。(50)羊の小さな群れ,ルカ 12:32。(51)放とう息子の兄,ルカ 15:25。(52)こじきラザロ,ルカ 16:20。(53)ぶどうの木の枝,ヨハネ 15:4。(54)ダビデの王宮,使徒 15:16。(55)キリストと共同の相続人たち,ローマ 8:17。(56)残りの者,ローマ 11:5。(57)オリーブの木の枝,ローマ 11:24。(58)聖なる者たちあるいは聖者たち,コリント第一 6:2; 啓示 16:6。(59)神殿,コリント第一 6:19。(60)新しい創造物,コリント第二 5:17。(61)キリストの代理をする大使,コリント第二 5:20。(62)神の会衆,ガラテア 1:13。(63)アブラハムの胤の一部,ガラテア 3:29。(64)神のイスラエル,ガラテア 6:16。(65)キリストの体,エフェソス 1:22,23。(66)キリスト・イエスの兵士,テモテ第二 2:3。(67)キリストによって建てられる家,ヘブライ 3:6。(68)聖なる祭司職,ペテロ第一 2:5。(69)聖なる国民,ペテロ第一 2:9。(70)仲間の兄弟たち,ペテロ第一 2:17。(71)七つの会衆,啓示 1:20。(72)年老いた24人の人々,啓示 4:4。(73)霊的イスラエル,啓示 7:4。(74)いなご,啓示 9:3。(75)二人の証人,啓示 11:3。(76)二本のオリーブの木,啓示 11:4。(77)女の胤,啓示 12:17。(78)命の木,啓示 22:2。(79)キリストの花嫁,啓示 22:17; 19:7。(80)エホバの証人,イザヤ 43:10。

このような聖書の言葉のこじつけを行うことは結局のところ主張することに関して聖書の中に明確な根拠を見出せていないことを物語っています。

 

記事の終わり

2 コメント

  1. 翡翠

    カレブさん

    興味深く拝見しております。

    お尋ねしたいのですが、このカレブさんの記事は最近協会が述べている “これ迄行ってきていた予型と対型で教えることは聖書的根拠がない限りもうしません” ということにあてまるものと考えて良いのでしょうか?ご回答頂ければ幸いです。

    • JWSTUDY

      残 190ページ「神の王国の地的な領域を相続する,今生きている人々に関する預言的な型と描写」に関して言うならば、今回の「予型と対型」に関して協会が捨てさった見解の中に含まれると思います。ただ問題なのは最近は具体的に「どこどこの見解は変更した」と言わずに「いつの間にか使わなくなる」というやり方を使っているようなので、困りますよね。

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