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聖書解釈

聖書解釈 – 平和だ安全だ(テサ第一 5:3)

ものみの塔協会はテサロニケ第一 5:3に出てくる「平和だ,安全だ」という言葉を終りが来る前に成就する預言であると説明しています。以下に例をあげます。

*** 塔91 9/15 16 「信仰の必要なところで私を助けてください!」 ***
間もなく,聖書預言の成就として,「平和だ,安全だ」という叫びを聞くことになるでしょう。(テサロニケ第一 5:3)それによってわたしたちの信仰は試みられるのでしょうか。その通りです。諸国家が平和をもたらす点で成功を収めたかに見える事態によって,わたしたちが虚を突かれる危険があるからです。

さらにブロシュアーの中では「最後に残った預言の一つ」として強調されています。

*** 気 21 第9部―わたしたちが「終わりの日」にいることはどうして分かるか ***
神が現在の体制を滅ぼされる前に成就すべき聖書預言はどれだけ残っていますか。ほとんど残っていません。最後に残った預言の一つはテサロニケ第一 5章3節にあり,こう述べています。「彼らが平和と安全について語っている間に,突然,災厄が彼らを襲います」。(新英訳聖書)この預言は,「彼らが……語っている間に」この体制の終わりが始まることを示しています。世にとっては不意に,全く思いもかけない時に,人々の注意が待望の平和と安全に向けられている時に滅びが臨むのです。

これに調和して、エホバの証人は終りが来る前に世界情勢が平和や安全が叫ばれるような情勢になると信じています。この記事の中では、この考えが完全に誤りであることを示したいと思います。主に二つの要点に分けて考えます。

1.パウロは「預言」のつもりで書いたのか?

ものみの塔協会はこの聖句の文脈を完全に無視しているか完全に誤って解釈しています。まずは文脈とともに聖句をご覧ください。

(テサロニケ第一 5:1‐5) …さて,兄弟たち,時と時期については,あなた方は何も書き送ってもらう必要がありません。2 エホバの日がまさに夜の盗人のように来ることを,あなた方自身がよく知っているからです。3 人々が,「平和だ,安全だ」と言っているその時,突然の滅びが,ちょうど妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨みます。彼らは決して逃れられません。4 しかし,兄弟たち,あなた方は闇にいるのではありませんから,盗人たちに対するように,その日が不意にあなた方を襲うことはありません。5 あなた方はみな光の子であり,昼の子なのです。わたしたちは夜にも闇にも属していません。

パウロは最初の二つの節で、テサロニケの人たちに「時と時節」に関しての事前の通達は期待できないという、すでに伝えていたと思われる点を告げます(*1)。その理由は「エホバの日が夜の盗人のように来る」からです。パウロの意図は「ものみの塔」の考えとは全く正反対で、終りが来るタイミングを見定めるようなことはできないということを伝えているのです。終わりが突然来るとしても弟子たちが不意を突かれるわけではない理由は、「平和だ安全だ」の”予言”に注意を払っているからではなく、いつ来ても大丈夫な昼に属する「光の子」だからであるとパウロは述べています。

*1 テサ一5:1,2で使われているギリシャ語「~の必要はない、なぜなら~であるから」はテサ一 4:9でも同じ意味合いで使われています。そこは次のように訳されています。「しかしながら,兄弟愛に関しては,あなた方に書き送るまでもありません。あなた方は,互いに愛し合うべきことを神から教えられているからです。」(テサロニケ第一 4:9) 

2.「平和だ安全だ」の本当の意味

なぜ、「平和だ安全だ」という言葉を政治上の声明や、世界情勢のように理解する必要があるでしょうか?聖書で「平和」という言葉が使われている時、政治情勢や国家間の戦争に関連して使われることはまれです。幾つかの記事の中ではエレミヤの聖句が参照されていますが、そこでは平和について政治情勢や世界情勢とは全く異なる観点で書かれていることは読み取れます。そこにはこうあります。

(エレミヤ 6:14) そして,彼らはわたしの民の崩壊を軽くいやそうとして,平和がないのに,『平和だ! 平和だ!』と言う。

エレミヤは純粋に宗教的な立場で当時の祭司たちが語る「平和」について戒めています。人々が「平和だ安全だ」と述べることを指摘したとき、パウロの意図は神からの裁きに留意していない人々の態度を描写することが目的であると考えるのが自然です。将来の世界情勢を「予言」する意図はパウロにはなかったと考えられます。

補足:平和と訳されているギリシャ語は次の箇所で使用されています。テサロニケ第一 1:1;5:3;5:23;テサロニケ第二 1:2;3:16;。テサ一5:3では「平和だ,安全だ」の部分に括弧が付けられていますが、元のギリシャ語に括弧があるわけではありません。

結論

パウロは「時と時期について」は知ることはできないことを指摘しています。それに類似する点は福音書にも語られています。「時と時期」を知ることはできないと述べたパウロが「時と時期」を知るための「預言」を直後に語るとは思えません。ものみの塔はテサロニケ第一5:3を「最後に残った預言の一つ」と描写しました。興味深いのは、このような聖句の曲解をしている協会が次のようなコメントを書いていることです。

*** 感 232ページ 3節 聖書の53番目の書―テサロニケ人への第二の手紙 ***
パウロはその最初の手紙の中で主の臨在について幾度か述べましたが,それら憶測をめぐらす人々は,その手紙が朗読されるのを聞いた時,多分,性急にもパウロの言葉をゆがめて,決して意図されていない意味にこじつけたのでしょう

they were quick to twist Paul’s words and read into them meanings that were never intended.

 

 

記事の終わり

 

 

2 コメント

  1. あかちゃん

    聖句の正しい理解の仕方を示していただき感謝いたします。ご説明通り、全く同感です。

  2. ロッソ

    平和だ安全だに関する情報に感謝致します。ものみの塔が得意な1つの聖句の特定な字句や表現を用いて無理やり理解させること暴いてくださり嬉しいです。正しく論理的な理解をありがとうございます。他の情報も注意深く見させていただきます。

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