この世代は決して過ぎ去りません(マタイ 24:34)

(マタイ 24:34) … あなた方に真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません。

この聖句に関するエホバの証人の見解の変更は次のようなものです。

  1. ~1995 1914年のしるしを見た人がいなくなる前に終わりが来る。
  2. 1995 11/1~ この世代は「邪悪な人々の世代」のことであり、時間的要素は計れない。
  3. 2008 2/15~ 「この世代」は油注がれたクリスチャンのことである。(その一部は大患難が始まる時にも地上で生きている)
  4. 2010 4/15~ 1914年の世代と大患難の世代が重なる、1914年から2世代で終わりが来る。

上記の見解のうち統治体が最も聖書的根拠に向き合ったのは2番の見解です。最悪なのは4番の見解で、統治体がもはや聖書的根拠や真実に関心を持っていないことを物語る見解となっています。今確実に言えるのは4番の見解は、ちょうど1番の見解が変更せざるをえなかったのと同じように将来変更することになるであろうということです。

この聖句の本当の意味

聖書の意味を理解するためにはまず先入観を捨て、文脈を見てみることが大切です。以下の聖句を通して読んでみてください。

(マタイ 24:34‐35) …あなた方に真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません。35 天と地は過ぎ去るでしょう。しかしわたしの言葉は決して過ぎ去らないのです。

35節を見るとイエスの言葉の要点が見えてきます。マタイは終わりが到来する前兆となる出来事について記しました。それらの前兆のすべてが起きないで終わりが来ることはないという点を強調するための比喩表現として上記の言葉が語られていると考えることができます。この点は次の聖句と比較するとより明確になるでしょう。

(マタイ 5:18) あなた方に真実に言いますが,律法から最も小さな文字一つまたは文字の一画が消え去って,[記された]すべてのことが起きないよりは,むしろ天地の消え去るほうが先なのです

この聖句と比較して考えるならば問題のイエスの言葉は次のような意味に受け取ることができます。「あなた方に真実に言いますが,わたしの言葉が成就しないまま過ぎ去ることはありません。その成就なしにこの世代(世の時代という意味で)が過ぎ去ってしまうことは決してないのです」。意訳すると以下のような短い文章にすることができるでしょう。

リビングバイブル
マタイ24:34
それらのことが全部起こってから、この時代は終わりになるのです。

福音書は「世代」と訳せるギリシャ語ゲネアを使っています。これが「世代」だけを意味するのではないことは「ものみの塔 95 11/1」では正確に説明されていました。続く部分では、「この世代」が意味していたかもしれない、もう一つの事柄について説明します。

もう一つの可能性

「この世代」という言葉に関して、もう一つ指摘しなくてはならない点があります。それは西暦1世紀にマタイがイエスの予言の言葉として記した通りの出来事が実際に起きていたという点です。福音書には西暦70年に至るユダヤの情勢がそのまま描写されており、それはイエスと同じ世代での出来事と言うことができます。この見方は次の聖句とも調和しています。

(ルカ 11:50‐51) … こうして,世の基が置かれて以来流されたすべての預言者の血がこの世代に対して要求されるのである。51 アベルの血から,祭壇と家との間で殺されたゼカリヤの血に至るまでが』。そうです,あなた方に言いますが,それはこの世代に対して要求されるのです。

そしてエルサレムを中心とするユダヤ人の国が西暦70年にローマによって滅ぼされます。

公平を期するために付け加えると、マタイを含む福音書が西暦70年より前に書かれたとする証拠はありません。パウロの書簡を読む限りパウロが福音書を一部でも読んでいたことを示すものはありません。パウロは西暦50,60年代に活動していた人物ですが、その書簡には不自然なくらい福音書に記載されているイエス物語、イエス語録への言及がないのです。

結論

「この世代」にまつわる「ものみの塔」の見解に関しては次の点が考えられます。1.そもそも1914年という年代は聖書とは無関係。2.「この世代」という言葉には時間的要素は関係ない。恐らくその両方が正解でしょう。

 

 

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