C.T.ラッセル – 組織に注意しなさい

C.T.ラッセル – WT1895 9/15 1866
組織に注意しなさい。それは全く必要のないものです。聖書の規則があなたがたの必要とする唯一の規則なのです。他の人の良心を束縛するようなことをしてはいけません。そしてあなたの良心も他の人に束縛されてはなりません。今あなたが神の言葉から理解している事柄に限り、信じ従いなさい。そうすることによって恵みと知識と愛において日々成長し続けなさい。
Beware of organization. It is wholly unnecessary. The Bible rules will be the only rules you will need. Do not seek to bind others’ consciences, and do not permit others to bind yours. Believe and obey so far as you can understand God’s Word today, and so continue growing in grace and knowledge and love day by day.

国際聖書研究者と呼ばれたグループは、グループを形成し「会」として集まっていました。しかしラッセルは現代のエホバの証人の組織のような画一化された組織を作ることを否定しました。ラッセルは「組織」が個々の人の良心を支配することにつながることを認識していました。

しかし次の会長のラザフォードは「神の組織」や「サタンの組織」という概念を導入します。そのような概念に慣れている現代のエホバの証人は上記のラッセルの考えが逆に「奇妙なこと」に映るかもしれません。

 

*** 塔81 8/1 17ページ 1節 神が組織を持っておられるなら,それはどんな組織ですか ***
奇妙なことに,極めて知的なこの時代において,大勢の人々は神が組織を持っておられるかどうかについて疑問を抱くようになっています。自分の持つ翻訳聖書では神に関連して“組織”という言葉が全く使われていないことに気付き,“神の組織”という表現を使うことをためらい,不安に思っている人がいます。

統治体の成員であったレイモンド・フランズは、この組織という概念がもたらす弊害について次のように語っています。

レイモンド・フランズ 良心の危機 384頁

「組織」という概念が原因である。組織が言うことは何でも神が言うのと実質上同じだという思い込みが形成されるのである。…協会組織の見解が作り出す効果をよく反映していた出来事に、アラバマの一区域の巡回大会における長老の集まりでの一件がある。地域監督のバート・トンプソンが緑色の表紙をした協会発行の書籍を掲げ、長老たちを前にこう言ったのである。「協会に、この本は緑色ではなくて黒だと言われたら、私はこう言います、『誓って緑色だとは思うけれども、協会が黒だと言うんだから、この本は黒い!』」似たようなたとえを使った人が他にもいた。

もちろん、ここまで露骨な盲従になると嫌悪の念を抱くという心有るエホバの証人も多い。しかし大多数は進んで同調する上、協会の解釈に疑いをはさむ者を「審理にかける」ことも辞さない。これはどういうわけだろうか。

統治体のメンバーも含め、この大多数の人たちの気持ちを理解すべく、私は自分の心に問いかけてみる。私自身の経験に照らしての感じを一言でまとめると、「概念の虜になっている」と言えると思う。「組織」について持っている概念・イメージが一人歩きする。そしてその概念に支配され、動かされ、また縛られ、考えも行動も判断も型にはめられてしまう結果になる。…

「組織」は何かはっきりと定義づけられない抽象的なものであり続け、はっきりした現実にならない。このような「組織」の幻想があるからこそ、実質上無制限の権力を持った統治体の一員となりながらも、その統治体が行なうこと、それによって人が傷つくこと、おかしな情報を流して結果として道を誤らせることなどについて個人的な責任を感じないで済むのである。つまり「組織のやったことで、我々がやったことではない」のである。さらにこの「組織」が神の選んだ機関だと信じているのだから、責任は神の方へまわされる。たとえ後になって間違った決定や教義を変えることになっても、これはやはり神の意志なのである。間違った決定で排斥になった人もいるかもしれない、傷ついた人もいるかもしれない。しかし統治体のメンバーは個人として自分に責任があるとは感じない。何かまずいことがあっても「組織」のために神が後始末をしてくれるというわけである。

 

記事の終わり