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輸血拒否 – 1985年大ちゃん事件

輸血拒否 – 1985年大ちゃん事件

概要

1985年6月6日の午後4時35分、神奈川県川崎市高津区のJR久地(くじ)駅前交差点で交通事故が発生したとの119番通報が入りました。これが後に「大ちゃん事件」としてマスコミにも報道された痛ましい事件の始まりです。まずはこの事件の出来事の経緯を振り返ってみましょう。詳細は大泉実成氏の「説得」(講談社)に記載されています。

  1. 午後4時10分頃 4時30分約束の聖書研究を受けるため司会者のアパートに向けて自転車で出発する。父親は危ないのでバスで行くように勧める。
  2. 4時35分 府中街道を走りガードレールとダンプカーの間を抜ける際に転倒、両足を轢かれる。すぐに119番通報。
  3. 4時38分 通報から3分ほどで救急車が到着。応急処置開始。
  4. 4時42分 救急車到着から4分ほどで、止血帯による処置完了。意識ははっきりしており、救急隊員にきちんと受け答えをする。
  5. 4時56分 聖マリアンナ医科大学救命救急センターに到着。医師の最初の所見では「両下肢解放性骨折、入院60日」。

以下は大君が自転車で出発した地点と事故が起きた場所を示しています。


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続いて病院到着後の流れです。

  1. 午後5時頃  推定出血量約500ccと判断し、一刻も早い輸血が必要と判断される。
  2. 5時30分頃 輸血および緊急手術を行う前に両親が駆けつける。手術同意書へのサインが求められる。輸血が出来ないと述べる。医師は両親に怪我の状況を見せる。父親と大君はわずかな会話をする。
    「大、だいじょうぶか」
    「うん」
    「お父さんがついてるからな。しっかりしろよ」
    「うん、…お父さん、ごめんね」
  3. 6時過ぎ センター長が電話で父親の説得を試みる。大君の意識がもうろうとし始める。人口呼吸用チューブが取り付けられる。
  4. 7時10分過ぎ 大君の人工呼吸用チューブを外し大君の意思を確認しようとする。意識は戻らず再びチューブ装着。
  5. 7時45分 集中治療室(ICU)に移される。
  6. 8時頃 大君は自発呼吸を停止。瞳孔も開く。
  7. 9時18分 死亡。

この間に医師は責任の所在をはっきりさせるために覚え書きを提出することを求めます。両親から提出されたものは「決意書」となっており、以下の内容になっていました。

決意書(両親により病院に提出されたもの)
「今回、私達の息子(大十歳)がたとえ、死に到ることがあっても輸血なしで万全の治療をしてくださるよう切にお願いします。輸血を受けることは、聖書にのとって受けることはできません 昭和60年6月6日」

以上が事件のおおよその流れになります。ここからこの事件の不明瞭な点について分析したいと思います。

輸血しても助からなかったという話

大君は輸血したとしても助からなかったという話があります。しかし、これには誤解が含まれていると思います。「輸血をしても助からなかった」の根拠とされるのは以下の新聞記事です。

88.03.10  東京読売朝刊 しかし、出血がひどく、担当の医師が輸血をしようとしたところ、エホバの証人の信者である両親が輸血を拒否。両親の信者仲間も押しかける中で、病院側は両親に対し輸血を説得したが、承諾を得られず、長男は約五時間後、死亡した。高津署では、輸血をしなかったことと死との因果関係を解明するため、司法解剖後、警察の鑑定医(私大教授)に、死因の鑑定を依頼する一方、両親に対する保護責任者遺棄罪や未必の故意による殺人罪、医師に対する業務上過失致死罪、医師法違反などの容疑を追及できるかどうか、慎重に捜査を進めてきた。

この結果、鑑定は〈1〉事故そのものによるけがが大きかった〈2〉急性ジン不全を起こして容体が急変、出血性ショック死につながった〈3〉従って、輸血をしても命は助からなかった--とした。これらを踏まえて、警察側は両親や医師の刑事責任を問えないと判断した。

記事の内容は警察側の発表に基づくものと思われます。詳細は書かれていませんが、これが両親や医師の刑事責任を問えるかという観点で語られている法医学的な所見の要約であるということを念頭に置くべきです。ですから「輸血をしても命は助からなかった」という判断は救急搬送された直後に輸血したとしても助かる見込みがなかったという意味にはなりません。どの時点で輸血をしても助からなかったか明記されていませんが、この所見と当時の処置に関わった医師の意見や大君の病状の悪化の度合いを見るとある程度判断がつくと思います。

〈1〉事故そのものによるけがが大きかった

5時間後に亡くなっているという事実は、事故そのものによるけがが大きかったことを示しています。刑事処分について考慮する際に第一次的原因に注目するのは自然です。

〈2〉急性ジン不全を起こして容体が急変、出血性ショック死につながった

これは出血多量のケースで普通に想定する状況です。急性腎不全は事故で内臓が機能停止したのではなく、血液が大量に不足した状態が続いてしまったために起きた症状です。そして当時の医師もそのように判断していました。その上で次のように語っています。

「説得」大泉実成 8章5 p213 金子医師のコメン

最大限の治療を尽くして、それで、戻らない、なんともならない、というのであれば、ある程度あきらめはつくけれども、でも、僕はもう今でも信じてますけど、明らかに、あの時点で輸血をしておけば百パーセント助かったろうっていうのはね。だから…口惜しいんですよね。

運ばれて1時間以内に輸血をしていれば、助かる確率は十分でしたからね。それが、理事長が本人の承諾があればいい、と言った頃には2時間半くらい、経ってましたからね。

予定通りのタイミングで輸血していれば100%助かったというのは誇張表現も含まれていると思いますが、かなりの確率で救命できたであろうというのは救急救命センターで長年勤めていれば判断できたはずです。そして上記の医師のコメントは大君の容体の変化とも一致しています。大君は当初意識がはっきりしていました。これはその時点では少なくとも脳に血液と酸素が届いていたことを示しています。初めは尿管カテーテルから尿が出ていました、しかし途中で出なくなります。これは腎機能が失われていることを示していました。6時過ぎには意識がもうろうとしています。これは輸血と手術の準備が整った5時30分にすぐに輸血を行っていれば状況は変わっていたであろうことを示唆しています。しかし同じ医師のコメントの中に以下のものも含められているということを指摘する必要があります。

「説得」大泉実成 8章5 p214 金子医師のコメン

ただ、チューブを抜いた時点で、客観的に見てね、うんと言って、手術をしたとして、助かったかといえば、もう手遅れだったと思うね。正直なところを言うと。
余分な時間をね。たくさん、費し過ぎたと思うの。あの2時間半というね。ただ輸血するかしないかだけのためにね。本当にね、2時間半が、彼の命を奪ったようなもんだと思う。

大君の意思を確認すべく人口呼吸チューブを抜いた7時10分頃に輸血を開始していても助からなかったというのは現場の医師が述べているとおりだと思います。生死を分けるのは最初の1時間が勝負で、その後の数十分、あるいは数分の違いで救命の可能性に差が出たと考えられます。

〈3〉従って、輸血をしても命は助からなかった

「輸血をしても命は助からなかった」という警察側の発表はどのように理解できるでしょうか?これは金子医師のコメントと矛盾するものと考えるよりも、一方は現場で最善を尽くすことを念頭に置いた医師の意見、他方は刑事責任を問えるかという観点での意見とみなすことができると思います。輸血を準備するのに時間がかかることもあれば、両親とのやり取りで輸血が遅れるということも想定されることです。すべてが混乱の中の出来事であり、そのような状況で輸血が遅れたことで刑事責任を問えるようなものではなかったでしょう。「従って、輸血をしても命は助からなかった」というのは直ちに輸血をしても助からなかったということではなく、道理にかなった説得が続いているある時点で急性腎不全を発症し輸血をしたとしても助からない状態になったという意味かと思います。確実に言えるのは最初から輸血しても絶対に助からなかったという意味ではないということです。

 

補足:毎日新聞は鑑定書の内容を具体的な引用の形で紹介しています。

「同課は輸血拒否と死亡との因果関係について同県警監察医に鑑定を依頼、今年一月三十一日、「大君は輸血されたとしても、必ずしも生命が助かったとはいえない」という内容の鑑定書が出され、これを受けて両親や運転手の処分を検討していたが、「両親に保護者遺棄致死などの刑事責任を問うのは困難」との結論に達し、ダンプカーの運転手だけを業務上過失致死容疑で書類送検することにした。」(1988.03.10毎日新聞)

 

輸血しないで救えたか

現場の医師は輸血なしでは救えないと判断しました。以下の内容を見るとその時の状況を理解できます。

週刊文春 85年6月20日
「右足は足首から太ももにかけてパックリと割れて、骨が見えていた。左足は脚部の骨が折れて、太ももに食い込んでいました。両太ももを止血帯で縛っていたのですが、そのままにしておけば止血した下から腐る。止血帯を外せば出血し、数分で命がなくなるような、非常に危険な状態でした」(センターの外科医)

「数分で命がなくなる」というのは止血帯をはずせば数分で助かる見込みがなくなることを指していると思います。大君の命を取り留めていたのは止血帯であり、輸血を行って容体を安定させてからでなくては本格的な手術自体が出来ないということがわかります。

85.06.07 朝日新聞夕刊

同署は事故に遭った同市高津区二子、書店経営、鈴木誠さん(42)の長男、市立高津小5年、大君(10)が、入院当時、即座に輸血を受けていれば助かる可能性がかなりあったとみられる点を重視している。調べによると、医師は両親を十数回にわたって説得、しまいには押し問答となり、かけつけた警察官も加わって話し合うなどした。しかし、両親は拒絶し続けた。芦川和高・同病院副センター長は「止血バンドをし、傷口を縫うなど、初期治療だけはできた。だが、手術の前に必要な消毒液でのブラッシングは、輸血が必要だったのでできなかった」と当時の状況を話している。一方、父親の誠さんは「医師から輸血をOKしてほしいと何十回も言われたが、考えは変わらなかった」と大君の死後も冷静な表情で話した。「生きたい」と大君が訴えながら死んだことについても「復活を信じている。悲しくないわけではない。私たちの行動が正しかったかどうかは、私と妻が死ぬときに分かるはずだ」との態度を変えていない。

輸血なしで手術してくれていれば助かったかもしれない、とか他の病院に転院していれば救えたかもしれないと考える人もいるようですが、大君が運ばれたのは救命救急センターであることを理解するべきです。これは24時間十分な医師とスタッフ、ICUや救命に必要な機材すべてがそろっている病院であることを意味しています。上記のような状況を理解していれば、大君に必要であったのは、まず脳や臓器に酸素を送るために必要な血液であり、それに続いて手術でした。手術が遅れたのが死亡原因だったのではなく、臓器に酸素を送り込む血液が不足して腎機能が失われたのが死亡の原因でした。輸血をして容体を安定させることができれば、本格的な手術自体が遅れたとしても命を失うことはなかったと思います。

何が問題なのか

大君が「生きたい」と言ったか言わなかったかは重要なことかもしれません。しかし、そもそも10歳の少年が自分の命に関わることを理解し決定できる立場にいたかということを考えてみてください。大君が神権宣教学校に入校したばかりというのが信仰の面で何を意味しているのか把握することはできませんが、そのような立場の少年が自分の命を失うことになる決定を下せたでしょうか?わたしの感覚では、例え10歳の大君がバプテスマを受けたエホバの証人であったとしても、それは少年の最終決定とも思えません。例えば親の片方、あるいは両方がエホバの証人は間違っていると考えてエホバの証人を辞めたとします。10歳の子供がそれでも自分の信仰を貫き通す可能性はどれほどでしょうか?

大君はお父さんを信じました。次の会話が何を意味するか考えてみてください。

意識があるときの会話(説得 11:5 p316)

「大、だいじょうぶか」
「うん」
「お父さんがついてるからな。しっかりしろよ」
「うん、…お父さん、ごめんね」

10歳の少年が自分の父親を他の誰よりも信じるのは自然なことです。お父さんがどうにか自分を助けてくれると信じたに違いありません。(お父さんに謝っているのはバスで行く提案を振り払って自転車で移動したことが関係していたのでしょう)

意識がもうろうとしてからの会話(説得 8:1 p194)
(医師のコメント)
『死にたくないだろう、な、そうだろう、輸血して助かりたいだろう』と何度も言ったんですよ。
ところが父親も、子供の耳もとで、『お父さんの言う通りでいいんだな』と言うんです。
すると、医師達には何も反応しなかった子供が、父親の声にはうんうんとうなずくんですよ。

大君は輸血をしないという両親の判断にしたがいました。単独で自分の信仰を10歳の少年が表明したのではありません。その事を考えると以下にある会話の中で病院センター長が述べた言葉は重みがあると思います。

センター長と父親の電話での会話(説得 11:8 p.331)
「子供が死んでしまうんだよ」
「…たとえ死んでも、大は楽園で復活があります」
「だけどね、死ぬのはあんたじゃない。あんたの子供なんだ。あんたには信念があるかもしれないが、それを子供にね…」
声は黙り込んだ。

親の確信のもとでの子供の殉教

大君のお父さんは新聞記者の取材に次のように答えました。

85.06.07 朝日新聞夕刊

「復活を信じている。悲しくないわけではない。私たちの行動が正しかったかどうかは、私と妻が死ぬときに分かるはずだ」

わたしは大君のご両親が復活を信じていること、そして誰よりも息子の死を悲しんでいることを否定しません。自分が死んだ後、楽園で復活したときに正しさが証明されると信じていることも認めます。しかし親の信仰は10歳の息子の死をもってまでして主張できるようなものだったのでしょうか?「わたしはエホバの証人なので輸血は聖書が禁じていると信じています。しかし息子はまだ10歳ですし信仰の面で自分自身で決定していると思いません。まずは救命を第一にお願いします」と言う選択肢はなかったのでしょうか?

大君のお父さんは事故が起きた時、バプテスマに向けって進歩する「伝道者」という立場でした。「説得」の本には葛藤の中、妻や仲間のエホバの証人と相談しながら輸血拒否を貫いた様子が描かれています。お父さんの信仰は強いものであったことは疑いようがありません。しかしどこかに「かけ」のような要素はなかったでしょうか?

「説得」の著者は大君のお父さんに直接質問しました。学んでいく中で疑問はなかったのか?

「説得」 5章3 p120

「そうですね、ノアの箱舟なんかについては、兄弟と同じようでしたね。そういっぱい引っ掛かったわけじゃないですけどね。まあでも究極的には神の存在ということでしたねえ。私は神の存在を実感することがね、信仰をもつためには絶対必要だと思っていました。それでね、伝道に早く出て、奉仕することによってね、喜びを感じて神に少しでも近づきたい、と思ってたんですよね。
ただ私の場合、たまたまそういう時期にうちの息子の事故があったので…」

「まあ、あと、私が祈りで必ず入れているのは、息子とね、復活して会うこと。それをね、やっぱり…、一番…。私達家族は、バプテスマを受けてから今まで、頑張ってねえ…。やっぱり、息子に対して、あるいは息子自身、ああいう形で信仰を表明できたので・・・。
『最後まで耐え忍んだものが救われる』っていう聖句がありますから。ここでくじけたらねえ、なんのためか、ということになりますからねえ。もう本当に、エホバを信じてやっていこう、っていう気持ちが、強いですねえ」

「エホバを信じてやっていこう」という気持ちの中に「これにかけてみよう」という”かけ”のような要素があるように思えます。そして、これだけ頑張って犠牲を払ったのだから報われないはずがない、という考えが含まれています。

大人が強い信仰を持つのにはそれなりの理由があると思います。「血を避けなさい」という聖書の言葉を輸血を拒否すべきという神のご意思と解釈するのも大人の自由です。しかし少なくとも、その信仰は批判的な意見にも耳を傾けたうえでも崩されることのないものであるべきだと思います。大君のご両親も事件の後に多くの批判にさらされたことかと思います。大切なのは自分がそのような難しい立場になる前に、血に関する聖書解釈も含めて多角的に今の聖書解釈の妥当性について考えることかと思います。

 

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記事の終わり

 

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