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特集4 – VAT4956

VAT4956

粘土板 VAT4956 に関しては特集記事2の中ですでに取り上げていますが、重要性を考えて一つの特集記事とすることにしました。

VAT4956とは?

VAT4956 についての以下の「ものみの塔」の見解は一般的な認識と同じです。

この粘土板の冒頭には,「バビロンの王ネブカドネザルの第37年」と記されています。そのあとに,月や惑星が様々な恒星や星座とどんな位置関係にあったかを示す詳細な描写がなされています。また,月食が1回あったことも記しています。学者たちによれば,それらすべての位置関係は西暦前568/567年のものであり,ネブカドネザル2世がエルサレムを滅ぼした,その治世の第18年は,西暦前587年ということになります。

しかし記事の中では以下のコメントが加えられています。

それら天文学的な資料は,本当に西暦前568年/567年だけを指しているのでしょうか。

まず問題を整理するために「ものみの塔」と一般の学者の一致点をあげてみましょう。

一致点を整理する

  • 前提1  VAT4956はネブカドネザル王の第37年の1年間の天体観測日誌である。
  • 前提2  VAT4956は信頼に値する。
  1. 月食が「シマヌの15日」に起きたと記されている。一般の歴史家の言うとおり BC568年7月4日 に該当する月食がある。
  2. 月の一連の観測結果が 13個 記されており、例外を除けば一般の歴史家の言うとおり BC568年の月の動きと一致している。
  3. 惑星の位置関係を示す観測結果が 15個 記されており、それは BC568年に当てはまると解釈することができる。
  4. 日の出入りと月の出入りとの時間間隔が八つ記録されている。(これについて BC568年と一致しているかどうかについて雑誌の中でコメントしていない。)

ものみの塔は VAT4956 が BC568年に一致しているという点を否定していません。現に VAT4956 はあまりにも BC568年に適合しているため、ものみの塔は以前には「「VAT4956」の写字者が,その当時受け入れられていた年表に一致して,“ネブカデネザルの第37年”をそう入したかもしれない」と述べていました。(目72 7/8)

ものみの塔は、VAT4956が BC568年に適合することを認めつつも、それよりも20年前の日付 BC588年にも適合させることができると主張しています。

ではその主張を整理してみましょう。

ものみの塔の独自の主張

「ものみの塔」と一般の認識が異なる部分をあげます。それからものみの塔の主張を一つずつ検証します。

  1. VAT4956に記載されている月食は BC588年7月15日の月食にも当てはめることができる。
  2. 月の13の観測は BC568年より BC588年の月の位置のほうがより一致している。(ものみの塔はBC588年であれば「13のすべてがぴったり一致する」と述べる)
  3. 惑星の位置関係を示す15の観測記録は「惑星の名称やその位置を表すしるしの中には不明瞭なものもある」ので考慮する必要はない。
  4. 日の出入りと月の出入りとの時間間隔の記録は当時正確な時計があったわけではないので信頼できない。ゆえに考慮する必要はない。

要するに BC568年 よりも BC588年により適合している部分があり、適合していない部分については資料が信頼できないので考慮する必要はないということです。上記の四つの主張の妥当性をひとつひとつ検討してみましょう。

 

ものみの塔の主張を検証する

①月食の記録について

これについては特集記事2のところでもすでに言及していますが、補足的に幾つかの説明を加えます。まず以下の表をご覧ください。これは「紀元前626年 紀元75年のバビロニア年代学」(R・A・パーカーおよびW・H・デュバーシュタイン共著)の一部です。「洞察の本」の中では少なくとも4回は引用されています。


「紀元前626年 紀元75年のバビロニア年代学」 クリックして別ウィンドウで拡大

上のページはバビロニア年代(太陰暦)とユリウス暦(太陽暦)の対応表のうちネブカドネザル王の部分を抜粋したものです。太陰暦は新月と満月の周期(約29.5306日)で成り立っているため、起点となる日付と「うるう月」がどこで追加されたかを知れば現代でもバビロニア時代のカレンダーを判断することができます。

上記の一覧表のBC588年の行を見るとわかりますが、その年は4月4日から始まっています。しかしものみの塔はこの年は5月3日から始まったと主張しています。そのように主張することによって VAT4956に記載されている月食を BC588年7月15日の月食に適合させることができるからです。しかしバビロニア暦が5月に始まったという主張自体が大変無理のある主張です。詳しく確認されたい方は「紀元前626年 紀元75年のバビロニア年代学」(R・A・パーカーおよびW・H・デュバーシュタイン共著)の以下のPDF版をご覧ください。PDFの後半部分には一覧表が提示されていますが、5月にバビロニアの年が始まったことは700年中一度もないことがわかります。

Parker & Dubbestein’s Babylonian Chronology(著作権切れ版)クリックして別ウィンドウで開く

 

続いて以下の表をご覧ください。これはBM38462という名称で知られる粘土板の月食の記録を表にしたものです。

Astronomical Diaries and Reralted Texts from Babylonia – Hermann Humger
クリックして別ウィンドウで拡大

BM38462はネブカドネザルの1年から29年までのほぼすべての年の月食の報告が記述されている粘土板です。特に注目できるのは、この表の中で「-587 Jul 15」と記載されている部分です。これはまさにネブカドネザルの第37年に起きたと「ものみの塔」が主張している BC588年7月15日と同じ月食です。BM38462は、その月食が「ものみの塔」が主張するネブカドネザルの第37年の第三の月ではなく、第17年の第四の月に起きたとしています。VAT4956を20年ずらして計算するならBM38462も20年ずらして計算する必要があります。ところが20年ずらしてしまうとBM38462で複数適合していた月食が適合しなくなってしまうのです。一つの月食を別の年に当てはめようとする主張は別の月食の記録によってはばまれるのです。

②月の13の観測について

ものみの塔は自分たちの主張する年代とVAT4956の月の13の観測を比較すると「13のすべてがぴったり一致した」と主張しています。しかし、ものみの塔はなぜか具体例を列挙していません。(英文ものみの塔には「ぴったり」に該当する単語はない、そこにはただ「一致した」としか述べられていない。)これでは「ものみの塔」がどの程度の一致のことを述べているのかがわかりません。

実際に検証した結果についてはネット上に公開されているので、それを参照することにします。どう解釈しても「ぴったり一致した」と言えるものではありません。

Do All 13 Sets Of Lunar Positions On VAT 4956 Fit The Year 588/587 B.C.E.?

http://www.jehovahs-witness.net/watchtower/bible/216051/1/Do-All-13-Sets-Of-Lunar-Positions-On-VAT-4956-Fit-The-Year-588-587-B-C-E

測定結果は以下のようになります。表の左側がものみの塔の主張する年、右が一般的な年になります。

月の13観測データの処理結果概要:

588/87
ものみの塔

568/67
一般

Nisanu 1 一部良い とても良い
Nisanu 9 とても良い 悪い
Ayyaru 1 一部良い とても良い
Simanu 1 一部良い とても良い
Simanu 5 悪い 悪い
Simanu 8 悪い とても良い
Simanu 10 悪い 不正確?
Sabatu 1 一部良い とても良い
Sabatu 6 悪い とても良い
Sabatu 11? 特定不能 特定不能
Addaru 1 だいたい良い とても良い
Addaru 2 悪い とても良い
Addaru 7 とても良い とても良い

 

総合成績:

 

588/87
ものみの塔

568/67
一般

とても良い

2

9

だいたい良い

1

一部良い

4

不正確?

1

悪い

5

2

特定不能

1

1

一般の年代である BC568/567年と VAT4956の記録が一部の例外を除いて適合しているという点は「ものみの塔」も認めている点なので、ここで一つ一つの点を説明することは省略します。詳しく検証されたい方は以下のウェブサイトをご覧ください。

http://www.caeno.org/_Feat/pdf/F020_Full%20analysis.pdf

http://adamoh.org/TreeOfLife.wan.io/OTCh/VAT4956/VAT4956ATranscriptionOfItsTranslationAndComments.htm

③惑星の15の観測について

ものみの塔は脚注18で以下のように述べています。

惑星の名称や位置を表すしるしの中には不明瞭なものがあるので考慮しないと述べています。そして「デービッド・ブラウン」の著わした文献を参照しています。

ではデービッド・ブラウンはその本の中でどのように述べているのでしょうか?確かにブラウン氏は星の名前を表す「しるし」がどの星を表すかを特定できない例があることを示しています。しかし「ものみの塔」が読者に明らかにしていない点があります。それはVAT4956の中にはブラウン氏が不明確だとしていた名前の星は一つもなく、名前が明確な惑星のことしか記していないということです。

では、ものみの塔が VAT4956 の15の惑星観測結果を無視する理由は何でしょうか?答えは単純です。それは自分たちの主張している年代とは適合せず、一般の年代である BC568年のほうと一致してしまうからです。

④時間間隔の記録について

ものみの塔は脚注18a.で以下のように述べています。

当時の「時計」は正確ではないので時間間隔の記録は信頼できないとしています。しかし例え誤差があるとしても、それらの記録が BC588年ではなく BC568年の計算値と適合することは認めるべきでしょう

西暦前568/7 に当てはめた場合の一致



ユリウス暦


時間間隔


記述


計算値


I

14

568
May 5


SR-MS

4

3.5

0.5

II

26

568
Jun 17


MR-SR

23


23.2

0.2

III

1

568
Jun 20


SS-MS

20


22.7

2.7

XI

1

567
Feb 12


SS-MS


14.5


17.0

2.5

XII

1

567
Mar 14


SS-MS

25


25.7

0.7

XII

12

567
Mar 26


SR-MS

1.5

0.7

0.8

F. R. Stephenson and D. M. Willis

 

他の検証結果については以下のページをご覧ください。
Page 1: http://www.jehovahs-witness.net/watchtower/bible/216056/1/VAT-4956-Comparison-Of-The-Lunar-Three-Time-Intervals-For-Years-568-7-BCE-and-588-7-BCE
Page 2: http://www.jehovahs-witness.net/watchtower/bible/216056/2/VAT-4956-Comparison-Of-The-Lunar-Three-Time-Intervals-For-Years-568-7-BCE-and-588-7-BCE

 

結論

VAT4956は一般的に言われているように西暦前568年春から同567年春までの1年間の記録と一致しています。それは(1)月食の観測、(2)月の観測、(3)惑星の観測、(4)月と太陽の出入りの観測すべてを総合的に分析して判断することができます。VAT4956 がBC568年よりBC588年に適合しているという証拠は4種類の観測記録のどの部分にも見出すことができません。

 


 
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