エホバの証人研究

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歴史5 – 不誠実な記載

それは「無知」か「不誠実さ」か

「ものみの塔」はかつて50年近くにわたり、キリストの臨在は1874年に始まったと教えていた。そして「終わりの日」は1914年ではなく1799年に始まったと1920年代になるまで教えていた。後にキリストの臨在も「終わりの日」も1914年に始まったと教えるようになるのであるが、この記事ではそのことを問題にするわけではない。問題はそれに対する指導者の対応である。

「1874年のキリスト臨在説」のことを知っているエホバの証人は今日どのくらいの割合でいるのであろうか? レイモンド・フランズは自著の中で、その割合が少ないことを指摘している。

良心の危機 200ページ
今日、何百万人ものエホバの証人は、キリストの目に見えない臨在が一九一四年に始まったと信じており、また人にもそう教えている。ところが「預言者」としてのものみの塔協会が、五十年近くにわたり、その目に見えない臨在は一八七四年に始まったのだと断言し続けていたことを知る人は少ない。しかし、実のところ、一九一四年から十五年経った一九二九年になってもこの一八七四年を教えていたのである。

ではなぜ、50年近く断言し続けてきた教理のことが現代のエホバの証人にあまり知られていないのだろうか?それは皮肉な言い方になるが、エホバの証人が「ものみの塔」をよく読んでいるからというのがその答えになる。ものみの塔出版物は過去のことに言及しないだけではない。過去の歴史を事実と異なる仕方で繰り返し説明してきたのである。

明らかな不誠実な記載

「ものみの塔」は事あるごとに自分たちが1914年という特別な年を終始一貫教えてきたという印象を与える記述を掲載してきた。例えば以下の記述がある。

ものみの塔93 8/15 9ページ
エホバの証人は1914年がこの世の終わりの時の始まりをしるしづける年であること,また,「不敬虔な人々の裁きと滅びの日」が近づいていることを,聖書から終始一貫して示してきました。(ペテロ第二 3:7)

このコメントは事実であろうか? この記述を読んだ人は「ものみの塔」が1925年の時点になっても「終わりの時」は1799年に始まったと教えていたという事実を知っても矛盾を感じないだろうか?

神の竪琴 1925年版 268頁
「終末の時」に来るべき知識増進と交通通信機関の発達は預言者を通じて興へられた預言を斯くの如く完全に成就しているのであって此の我等の眼前の事実は即ち一七九九年以後の「終末の時」に実現され来たりしことを何人も拒否し得ぬのである。

「ものみの塔」執筆者は「嘘」にならないギリギリのラインで記述するように言葉を選んでいるのだろうか。確かに「終わりの時は1799年に始まった」と教えていた時に彼らは「エホバの証人」とは呼ばれていなかった。(1931年より前はラッセル派や国際聖書研究者と呼ばれていた。) それで「エホバの証人は・・・終始一貫して示してきた」という記述の言いわけにはなる。しかしそのような書き方は読者に対して誠実な態度と言えるだろうか。

中には弁解できない記述もある。以下の例がそれである。

ものみの塔 1954年 6/15 370頁(英文)
それではなぜ諸国民は裁きのこのクライマックスが近付いていることを理解して受け入れないのでしょうか?それはキリストの帰還とその二度目の臨在に関する世界的な宣伝活動に注意を向けてこなかったからです。第一次世界大戦よりもずっと以前からエホバの証人は1914年がこの偉大な出来事の年になると指摘していたのです。

The Watchtower, 15 June 1954, page 370, para.4
Why, then, do the nations not realize and accept the approach of this climax of judgment? It is because they have not heeded the world-wide advertising of Christ’s return and his second presence. Since long before World War I Jehovah’s witnesses pointed to 1914 as the time for this great event to occur.

上記の文章の「キリストの帰還とその二度目の臨在に関する世界的な宣伝活動」がエホバの証人によって行われていたということは事実である。しかしその宣伝活動の内容は1874年にキリストの臨在が始まったという内容であった。したがって「第一次世界大戦よりもずっと以前からエホバの証人は1914年がこの偉大な出来事の年になると指摘していた」という記述は全くの間違いである。これは意図的な間違いなのであろうか?少なくとも1929年まではキリストの臨在は1874年に始まったと教えていたのであるから、1954年当時の「ものみの塔」を監修している人間がだれも事実を知らないということは考えにくい。

過去の歴史に言及する

1993年にものみの塔によって発行された「エホバの証人―神の王国をふれ告げる人々」の中ではエホバの証人の歴史が語られている。短い文章ではあるが、その中には1874年や1878年に関する記述も含まれている。

ふれ告げる人々 632ページ – 1993年発行
さらに彼らは,1世紀の出来事と後代の関連した出来事には類似点があるという前提に立って,もし西暦29年秋のイエスのバプテスマと油そそぎが,1874年の目に見えない臨在の始まりと類似しているのであれば,西暦33年春にイエスが王としてエルサレムに入城されたことは,1878年の春にイエスが天的な王として権力を執られることを指し示していると結論しました。

この記述にある通り、かつては1874年にイエスの臨在が始まり、1878年に王として統治を開始されたと解釈していた。エホバの証人はこの短い文面の中にこの事実を見ることはできる。

それでもやめない「嘘」の記述

「ふれ告げる人々」が発行されたのは1993年である。ではその5年後に発行された以下の「ものみの塔」の記述は「無知」から出たものなのか? 本当に記事の執筆に携わる人は何も知らないで書いているのだろうか?

ものみの塔98 9/15 15ページ
ある預言が神意により,誠実な19世紀の聖書研究者たちに期待を抱かせました。彼らは,ダニエル 4章25節の「七つの時」を「異邦人の時」と結びつけて考えることにより,キリストが王国の権能を受けるのは1914年であると期待しました。(ルカ 21:24,ジェームズ王欽定訳。エゼキエル 21:25‐27)

エホバの証人は1929年になるまで1878年の春にイエスが天的な王として権力を執られたと信じていた。5年前の「ふれ告げる人々」の本ではそのことを認めていたのに、なぜまた嘘の記述に戻ってしまうのだろうか? この記事を監修する責任を持つ人たちの中にはエホバの証人の歴史に通じているべき老齢のエホバの証人が含まれているのではないだろうか? 少なくとも全世界のエホバの証人が研究する「ものみの塔」の記事に関してそれを監修する責任のある人が誰も記事の内容の間違いに気付かないでいるということは考えにくい。

ものみの塔の責任ある立場の人は、自ら発効する書籍の中で述べる次の言葉を自分たちに当てはめることはできないのであろうか?

 エホバの日を思いに留めて生きる 115ページ – 2006年ものみの塔発行
気まずい状況で,都合の悪い事柄には触れずに事実をうまく言い換えたくなるかもしれません。そのような場合,語った内容に偽りはなくても,まるで違った印象を与えることになります。世間でよくある真っ赤なうそではないとしても,本当の意味で『おのおの隣人に[あるいは兄弟に]対して真実を語っている』ことになるでしょうか。(エフェソス 4:15,25。テモテ第一 4:1,2)クリスチャンが兄弟に対して,相手は真実でない不正確な事を信じ込むだろうと承知のうえで曖昧な言い方をする時,神はどうお感じになるでしょうか。

記事の終わり

 


 
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