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歴史3 – 思い込み – J.F.ラザフォード

主は1914年と1918年を消し去る可能性の
ないものとして証印を押された。
さらに証拠が必要であろうか?
J.F.Rutherford – Watchtower 1922 6/15

「思い込み」ほどやっかいなものはない。人は強い「思い込み」にとらわれると物事の推論はすべてその「思い込み」を土台にして進められてしまう。エホバの証人の場合は、すでに発行されている「ものみの塔」に掲載されてきた公式見解が思い込みの土台となる場合がある。その見解が正しいことを前提に推論が始まる。白紙の状態から考えれば簡単に答えを見出すことができる問題も、いつまでたっても間違った推論から抜け出せないのである。J.F.ラザフォードの場合もそうであった。彼にとっては「ラッセルは正しいに違いない」という前提があった。BC607年の問題に関する記事が書かれる際も、その前提があった。彼にとってラッセルの著作を否定することは「主」を否定することと同じであった。

ものみの塔[英文] 1922年5月1日号 132頁
ラッセル兄弟は主の僕だったのです。したがって、ラッセル兄弟やその著作を却けることは、ここに述べた原則に則って、主を却けるのと同じことになるのです。

1922年当時のラザフォードの確信の根拠が今では退けられているピラミッド年代学や聖書の中に隠されているパラレル(ある年代と別の年代が相似の関係になる)にあったということはすでに「確信の根拠 – J.F.ラザフォード」という記事で指摘した。彼は間違った計算に基づいているにも関わらず強い口調で次のように語る。

ものみの塔[英文] 1922年6月15日号 150頁
このような計算によって1878年、1914年、1918年が定められました。そして主は1914年と1918年を消し去る可能性のないものとして証印を押されました。さらに証拠が必要でしょうか?

ラザフォードは 1914年と1918年という年は「主」によって「消し去る可能性のないもの」とされたと断言する。ほかならぬ「主」がそれらの年代を是認したのであるから、もはやこれ以上の証拠は必要としないというのだ。

このような「思い込み」が始まると、どのような推論に導かれるだろうか?ラザフォードは次のように言う。

ものみの塔[英文] 1922年5月1日号 132頁
ここでもやはり試みがなされているのです。今度は年代計算についての試みです。これに疑いを持ったり反対したりするのは、主の再臨を、収穫の時を、「かの僕」の職務とそれを果たした者を疑うことになり、さらには世の終わりの証拠を、王国の開始を、人の改まりの近いことを疑うことになり、最終的には神と主イエス・キリスト、並びに我々がそれによって贖われたキリストの血を却けることになるのです。

1914年という年は正しいはずである、神に用いられた僕ラッセルが語ったことであるのだから、ゆえにその計算の土台になるBC607年は当然正しいはずであるという考えだ。年代に関する反論はラザフォードにとっては悪魔からの誘惑にすぎず、クリスチャンはどうにかその「試み」を切り抜けなければならないとラザフォードは言う。そしてラザフォードは自分たちの年代計算に反対する者は「悪魔の巧みな影響に惑わされている」野心的な者たちであるとして敵愾心を見せる。

ラザフォードはラッセルの年代学を信じた、そのラッセルは元アドベンチスト派のネルソン・バーバーの年代学を受け入れたにすぎない。どの著作を見ても合理的で客観的な証拠に基づいて年代を確証することに関心を示していない。まさに「もとからあった思い込みにさらなる思い込みを付けくわえていく」という状況である。この点はレイモンド・フランズが自著の中で語っている通りである。

良心の危機 299頁
ある元エホバの証人と長距離電話で話していた時、その人が言ったのが「私たちは追随者の追随者だったのですね」という言葉だった。別の人はまた、「私たちは犠牲者の犠牲者だったのです」と言っていた。どちらも当たっている。チャールズ・テイズ・ラッセルは、ある人々の言うことに従った結果、「明らかにされた真理」という概念の犠牲となった。以来、歴代のリーダーたちも同じ道をたどり、時としてもとからあった思い込みにさらなる思い込みを付け加えていった。私にはこれについて許せないような気持ちはなく、ただ自分の知っている人たちに対して気の毒だと思うばかりである。私もそういう「犠牲者の犠牲者」であり、「追随者の追随者」だったのである。

例え集団として軌道修正ができないところまで進んでしまっても、個々のエホバの証人は「思い込み」の連鎖を断ち切ることができる。ものみの塔は公式に607年説に関する自分たちの間違いを認めるときが来るのだろうか? 一つ言えるのは、607年説の間違いを認めること、それはつまり1914年説を撤廃する覚悟ができたということを意味しているということだ。現在、1914年から二つの世代が重なる間に終わりが来るという新しい見解が出され、それに当惑しているエホバの証人も多いに違いない。「1914年から二世代で終わりが来ると言える根拠は何ですか?」と尋ねられても何も答えられない自分に気づく人も増えているであろう。上層部の知性を信じていた人たちも、何かおかしいと感じ始めているのではないだろうか。

 

記事の終わり

参考資料:ものみの塔1922年