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#1 2015年04月17日 12:35:58

ガリレオくん
メンバー

聖書のみで607年は覆る

先日カレブさんにお願いしてタイトルを変更しました。ご協力下さった皆様の情報がお役に立てることを願っています。jwstudyの特集をお読みになられた上でご覧になることをお勧め致します↓


頭を整理してたのですがエレミヤ25:12とゼカリヤ7:5に出ている「70年」、どちらもエホバからの言葉でエルサレムの滅びに関係した記述ですが、対象や期間は別ということになりますでしょうか?エレミヤはバビロンに対して全盛期の期間、ゼカリヤは残りの民に対して断食の期間。そして歴代第二36:21の70年はエレミヤの言葉とあります。だとしたら、この歴代第二の聖句は正確には50年と考えるべきなのでしょうか?jw研究を読んでいて少し混乱します。

編集者 ガリレオくん (2015年04月26日 11:08:41)

オフライン

#2 2015年04月17日 17:49:44

真剣
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

エレミヤ25章9-11節を今一度呼んでみてください。
この時の神の言葉は「定めのない時(未確定の意)の荒廃」と『70年間のバビロンに仕える』この二つをエレミヤに預言されたのです。
対象と期間は別のことです。しかしことが全て終わると同じ70年の永さだったのです。

その荒廃の期間は断食と土地の安息の期間と重なり同一です。
ゼカリヤの70年です。

この70年の荒廃が終わるためには神殿が再建され、信仰が回復が条件です。
そのため神は民をエルサレムに帰すことがエレミヤの預言によって約束されていました。
『従属の70年』がBC539年に完了し、バビロンの王たちが約束どおり言い開きを求められると同時にキュロスも神の神託で
神殿を建て直すためにエルサレムにもどりなさいとイスラエルの民に告げました。

その後バビロンへの従属の70年の終りから22年を経てBC517神殿の据え石が置かれました、七つの目を持つ据え石です。
ダリウスの第4年神の祝福の言葉があります。ゼカリヤ8章。

こういった経緯は全て歴代第二に記述され、エレミヤの預言どおり、イスラエルの民はエルサレムにもどり、信仰を回復し、神の民となり、神も彼らを祝福したのです。
歴代2の聖句はエルサレムに戻る、安息が70年間守られるです。

エホバの証人の考えでは従属と荒廃を流刑という言葉で一緒くたにしてしまうゆがめた考えです。
混乱を避けましょう。

#3 2015年04月17日 21:07:29

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

真剣さん、ご丁寧に解説して下さりありごとうございます。確認ですが「従属の70年」は全盛期で実際ユダヤ人は50年仕えた、「荒廃の70年」は文字通り安息が守られた、この2つの預言から成っていたということですよね?身内に説明するのにいわゆる「背教ネタ」は一切NGなので、聖書だけで説明しようと試みてます。そういう特集コーナーみたいなのがあると助かりますが・・・もう一度時間をかけて整理します。ありがとうございました。

オフライン

#4 2015年04月18日 00:00:19

真剣
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

従属期間も70年です。よ。
609-539です。確かエレミヤ書27章エホやキム王の初めにバビロニアに全てを与えたと。609から22年後がエルサレム崩壊です。
従属と荒廃はそれぞれ同じ70年の永さなので終わりも22年ずれます。539と517年。
流刑の期間が長いもので598-539の59年間?エレミヤ書にあるネブカドネザル18年からの流刑は588−539なのでほぼ50年です。

エレミヤ書24章のイチジクの喩えからすれば悪いイチジクは最後まで流刑を拒んだ人でエルサレム崩壊から流刑は始まらない。その前から流刑されないとおかしい。
ものみの塔には矛盾があります

#5 2015年04月18日 10:57:44

真剣
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

従属期間も70年です。よ。
609-539です。確かエレミヤ書27章エホやキム王の初めにバビロニアに全てを与えたと。609から22年後がエルサレム崩壊です。
従属と荒廃はそれぞれ同じ70年の永さなので終わりも22年ずれます。539と517年。
流刑の期間が長いもので598-539の59年間?エレミヤ書にあるネブカドネザル18年からの流刑は588−539なのでほぼ50年です。

エレミヤ書24章のイチジクの喩えからすれば悪いイチジクは最後まで流刑を拒んだ人でエルサレム崩壊から流刑は始まらない。その前から流刑されないとおかしい。
ものみの塔には矛盾があります

#6 2015年04月18日 11:16:43

真剣
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

閉じたつもりで開いていてダブっちゃいました、ごめんなさい。消してください。

#7 2015年04月18日 11:28:08

真剣
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

見方によってはバビロンに仕えるべき70年にまともに使えなかった。だから70年ではない。
とも言えますね。
だから荒廃ももたらされた。
いずれにしろものみの塔の考えは聖書と不一致で、えれみやの進言やハナニヤの言動などエルサレム崩壊以前に従属すべき期間は進行中でした。それが聖書からよみとれます。
説明頑張って下さい。

#8 2015年04月18日 11:33:05

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

も塔サイドの書籍、洞察、霊感で統治年など逐一確認しておりますとさらに混乱が広がっている感じです。お時間下さいね glasses 困った

オフライン

#9 2015年04月18日 13:47:30

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

だめですね、ネブカドネザルの第一年も、カルケミシュの戦いも20年過去に起きたこととして書いてますね。切りが無い、どこまで歴史を操作しているのでしょう。出版物で話し合いはできそうにないです(ノω`)

オフライン

#10 2015年04月18日 15:47:41

ささらほーさら
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

ガリレオくん さんの発言:

そして歴代第二36:21の70年はエレミヤの言葉とあります。だとしたら、この歴代第二の聖句は正確には50年と考えるべきなのでしょうか?jw研究を読んでいて少し混乱します。

こんにちは、

あまり込み入った説明をすると、姉妹たちは混乱します。

〇簡単に言えば、歴代Ⅱ36:21は、エレミヤ25:11にあるように(諸国の民は70年の間バビロンの王に仕えなければならなくなる)、
諸国民が滅ぼされ始めてからの70年間ということですよね。
ネブカドネザルはエルサレムを滅ぼす前にアッシリアやエジプトを攻撃、勝利しています。
それが前606年頃ですから、確かにその辺から70年を数える方が理にかなっていると思います。

それと、JW研究さんのサイトではフラビウス・ヨセフスが「エルサレムが滅ぼされている期間は50年だった」とアピオーンへの反論で記しているみたいですね。
ネットで探して、都内と大手書店でも探したのですが、現物見つかりませんでした。

〇それと、これは村本さんの「エホバの証人情報センター保管庫」だったかと思うのですが(ごめんなさい。どのページだったか不明です。探してください。)
JWの主張によると天的級(144000人)は、33年のペンテコステから1900年前後に他の羊(自分が天に招待されていると思えない人々)が現れはじめるまで集められてきた。
言い換えれば他の羊が現れるまでの(背教していない)クリスチャンは全て天的級、とみなしてきましたので
使徒の活動1:15、2:41、4:4、6:7、9:31、9:35、9:42、10:44、11:19.21、11:24、13:48、14:1、14:21、16:33、21:20、コロサイ1:6
などを開きながら実際に数えて、1世紀当時でさえクリスチャンが(おおよそ)どのくらいの数に膨れ上がったのか一緒に確認してみることもできます。
加えて、当時の歴史家が「掃いても掃いてもクリスチャンが増える」的な描写をしていますので資料を探してみてください。
更に、表象物に預かった人々の人数に関する現代の記録を調べるといいと思います。
参考までに2例を挙げると
1925年 90,434人「千年王国p236」
1939年 71,509人「自由の子p150」
今はまた増えつつありますよね。

また、先日友人の姉妹が巡回監督に「協会はルターとかカルバンとか信仰のために闘った人も天的級に入ると言っていますが、どこに証拠があるのですか?」
と尋ねたところ「統治体がそう言うのですから、彼らもそうなのです」と答えたそうです。

〇これは、最近の塔研究で学んだ資料のに関して私がブログに書いたものです。
コピペしておきます。
確かに聖書の教えと矛盾したことは言っていないのですが、
根拠として挙げている聖句が、まったく論外のものなので確認してみてください。
参照聖句だけでは、たぶんわかりません。全体と比較してみてくださいね。

私は、べテルの執筆委員の誰かが反乱を興したのか?とさえ思いました。
一緒に雑誌と聖書を使って話し合った3人の姉妹は
いずれも「ホントだ、こじつけてるだけだ」と認めていました。
でも、残念ながら1人の姉妹は、言っている意味がよく理解できなかったようです。
記事は(2015/1月号、夫婦の絆を強め、幸せな結婚生活を築く)です。

以下ブログの記事:

今日の研究記事では
ソロモンの歌(雅歌)が扱われた。

あまりにも官能的な描写が含まれているため
クリスチャンには相応しくない...という議論もなされてきたらしい。
それでもやってくれるのがJWだ。


まず、これは若い男女の恋愛物語であって
結婚後に長きに渡る波風に耐えた男女の物語ではない。
にも関わらず、その書物から
男性と女性は夫婦になり
「不変の愛」を抱き続けることができる...
という結論に結び付けようとしているのである。

JWの恋愛の見方
「盲目的な恋が愛のように感じられることがあります。
確かに,愛にはロマンチックな感情も含まれます。....
相手の短所を見ず,長所だけを誇張して見ます。」(若い人が尋ねる質問p203~211)

若いシュラムの娘が羊飼いの若者に恋心を抱き
金持ちで地位も名誉もある王の求愛を拒否るという
ソロモンにしてみれば「失恋の歌」である。
ということは、
彼女が首尾よく若者と結ばれても
その後「愛が一生失せることはありませんでした」
という結論はどこにも見出せない。
確かに8:6では
「愛は....屈することがない」と述べてはいるが
扱っているのはあくまでも若者同士の求愛期間の話である。

そして、記事の8節では
ふたりは、「互いの外見だけを褒めているのではありません。
....娘の唇は『蜜ばちの巣の蜜をもって滴(る)』と表現されています。
なぜでしょうか。
蜜ばちの巣の蜜は,空気にさらされた蜜よりも甘く,
香りが良いからです。
『蜜と乳が[娘の]舌の裏にあり』ます。
つまり、その話し方は蜜と乳のように,快く良いものです。
......
明らかに、娘の外見の美しさだけに言及していたのではありません。」

え~?でも美人だったことには変わりがないわけだし
キャバクラのお姉さんだってお客には「快い言葉」を語るだろう。
説得力がなさ過ぎる。
他の狂おしい表現は全く説明されていない。

そして10節、
まだ夫婦になっていない恋人同士の愛の表現を
夫婦間の愛情表現の大切さに結びつけている。

更に12節、
「しかし羊飼いは、強くてハンサムだっただけではありません。
娘は、その青年がエホバを愛し、優れた特質を幾つも持っていることを知っていました。」
えっ?どこの聖句に書かれているの?
その青年の信仰について何か書かれていたっけ?

そして14節
「クリスチャンは『主にある者とだけ』結婚するように、
という強い訓戒が含まれています。」
あれあれ?
ソロモンも一応若かりし頃は「主にある者」じゃあなかった?
異邦人とユダヤの羊飼いの比較ならまだしも、
どうやったらその「強い教訓が含まれています。」なんて記事になるんだろう?

極め付けは16節、
娘の兄弟たちが娘を心配し、誘惑となる状況に陥らないように
若者と一緒に出掛けるのを阻止すべく「ぶどう園の番」をさせた、と説明している。
全然文脈無視。
この兄弟たちは(理由は定かではないが)怒って彼女に
ぶどう園の番をさせようとしている。
その文脈の中では若者に散歩に行こうと誘われたから...などとは書かれていない。
なのに、記事ではそう説明している。
しかも、何と彼女は「ですが、わたしは、わたしのぶどう園、
自分のぶどう園の番はしませんでした。」(1:6)と言っている。
本末転倒!!

記事では、この娘は清く誠実で、羊飼いの若者に一途に恋をしている。
大金持ちで権力者のソロモンにどんなに請われてもなびかなかった。
だから「不変の愛」は可能なのだ。
しかも、彼女は貞潔。
貞潔さを守るため、家族は予防策を講じた。
見習いなさい!!
と言っているのに、

な、何と彼女は「予防策」突破したのだ。
しかも、その件に関して、記事は何も触れていない。

#11 2015年04月18日 15:55:58

ささらほーさら
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

ガリレオくんさん

他にも「研究記事」をよくよく検討してみると
強引過ぎてお話にならないもの、たくさんあります。
でも、いちいち記録してこなかったし
最近では、全く事前に読んでいません。

また「これはビックリ!」というのを見つけたらUPします。

がんばってください。

#12 2015年04月18日 20:11:55

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

こんばんはささらほーさらさん、興味深いお話ありがとうございました。私もエロモンの記事は笑って読んでました。古い記事によると早くからハーレム状態だったらしいので、いつ「我が子よ賢くあってー」なんて言ったんだろうと思ってました。予防策の適用に力点入れて欲しかった(笑)

オフライン

#13 2015年04月18日 20:44:26

真剣
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

エロモンの話もお面白いですが、今一度
ものみの塔を論破して下さい。
従属と荒廃の始まりは
ものみの塔はいじっているので、歴史とものみの塔が一致している終わりから入るのはいかがでしょうか?
それと共にものみの塔はエレミヤ書25の2つの出来事を一つにすり替えるという嘘をついていると指摘できます。一つの荒廃は、その時点では定めのない時とはっきりと違うことと聖書は述べているのです。

終わりから入るのはゼカリヤの70年です。
ダリウス4年には祝福があり、517年です。
遡る70年で何年が出て?、何があったのでしょう?
またバビロンがいい開きを求められた539年
から遡る70年は何年で何があったのでしょう?

一般的歴史では587年と609年のアッシリア帝国崩壊、ヨシア王の死亡、そしてエホヤキムの王国の初めは一緒のその年です。聖書と歴史は完全に一致してますね。

異論の余地は無く聖書はバビロニアとイスラエルの最後の歴史を正確に記述しています。

ものみの塔だけが逸脱して607年の主張とそこから1914年を無理矢理算出していることがわかりますよ。

一方間違えた歴史のものみの塔は629年のヨシアの死亡やバビロニア王国の統治年は当然一般的歴史と20年開きがあるのでバビロンの最後までに20年のギャップが埋められません。
近隣諸国のリディア、エジプトの歴史とも合致できないですよ。
嘘がバレバレなんです。

#14 2015年04月18日 22:19:23

やせ蛙
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

横レス失礼します。既出かもしれませんが
協会の出版物「霊感」でゼカリヤ書の項、3節を見ていただくと…ゼカリヤが神からのメッセージを受け取り始めた時について書かれています。

それは霊感の本文によると…
    「ダリウスの第四年,第九の月つまりキスレウの四日」(西暦前518年12月1日ごろ)に言及しています。(7:1)したがって,ゼカリヤの預言は西暦前520年から518年の間に語られ,また記録されたに違いありません。―エズラ 4:24。

そしてそのメッセージは…
ゼカリヤ7:5「「この地のすべての民また祭司たちに言うように,『第五の[月]また第七の[月]にあなた方が断食を行なって泣き叫んだ時,しかもそれは七十年に及んだが…」という、言葉で始まっています。

つまり、ダリウス第4年(西暦前518年)から70年遡ると??607年には到底ならない!!ということをWT出版物から証明できます…

が、そこまでの込み入った説明に最後まで思考停止せずに聞いてくれた人は、残念ながらまだ…

#15 2015年04月19日 11:00:29

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

こんにちは皆様、真剣さん、やせ蛙さんご協力ありがとうございます。参考にさせて頂きながら身内内にて問答が繰り広げられています。さてその中から帰還した民は20年に渡って土地の安息を守ったのか、畑も鋤き返さず種まきもしなかったのかという質問が出てきました。調査中ですが皆様どのようにお考えでしょうか?

オフライン

#16 2015年04月19日 11:40:06

真剣
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

土地の安息とは全く種を植えない耕さないというものではありません。
人間の安息日と同じで週一のやすみのように七年に1年間土地を休ませるものです。土地の場合、週一じゃあ休めません。

エルサレム崩壊前はそれが行われなかった状態が続いていて、神の怒りがあったと言えます。
70年の土地の安息とは実際9回の安息年と前後数年とも言えますね。
崩壊前の戦争状態、攻囲状態は実質安息期間に入っていた土地が多くあったでしょう。
そして538-537の帰還は極一部。全員が帰ったのではありません、
帰還後の荒廃が続く事を示した聖句、土地からの報酬は神が無いものとしていた聖句を後でとりあげます。
私には手にとるように描写が正確で土地が休んでいた様子がうかがえますよ。

#17 2015年04月20日 01:12:32

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

すみません、もう少しお付き合いください。も塔→「従属」「荒廃」どちらも同時期の70年、一般的→「従属」「荒廃」ともに70年だが20年の時間的ズレがある。ここは理解できました。それで今一度歴代第二36章の言葉の意味をご解説頂けないでしょうか?
21 これはエレミヤの口によるエホバの言葉+を成就して,やがてこの地がその安息を払い終えるためであった+。その荒廃していた期間中ずっと,それは安息を守って,七十年を満了した+。
エレミヤは「従属」の70年のことを言ってましたよね。この聖句の後半の言葉、エズラは20年のズレは言及せずとりあえず全て終了しました的なことを言っているのでしょうか?この後すぐにキュロスの布告のことが書かれてあり「荒廃」の残り20年のことは?
現在7割理解、3割混乱でさらに泥濘にハマり動きが取れないような感じです。

オフライン

#18 2015年04月20日 13:29:48

真剣
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

エホバの証人が陥る混乱にはまっていますね笑。
何度でも聞いて下さい。いつまでもお付き合いいたします。

私はこの607年の嘘はとても重要だと思っています。JW解約もJWスタディーもこれが最初のテーマです。しかし人間どうしても面白可笑しい問題やゴシップ系に流れてしまい、この問題を完全把握しきれないようになります。607は少し難しくつまらない話題に見えますよね。でもこの嘘を見抜けば統治体に振り回されることもなく、くだらないゴシップにも時間を割く必要もない。ただ無視すれば聖書的な生き方も出来ると思います。ここが要です。
ところで頭を整理するために少し箇条書きで列挙します。

1.    ともに70年だが20年の時間的ズレがある>>22年のズレです。も塔は20年誤魔化しです。609-539と587-517、も塔嘘607-537ですから。。

2.    エレミヤは従属の70年のことを主旨で言ってません。『神が流刑にしても根扱ぎにはしない、従属の70年以降に必ず戻す』だから従いなさいと言ったことをいっているのです。
ここがエレミヤ書のテーマなのです。悪いイチジクを思い出して下さい。
そして良いイチジクは必ず戻されるといったことを言ったのです。

3.    エズラは20年〔22年〕のズレは言及せず、、、、ではなくより細かく言及しているのです。それが続くエズラ記です。538-7年当時、エズラは戻っていませんしね。

4.    歴代は客観的な年表、エズラ記は重要なことをより細かく書いた記録誌、そしてダニエル書、ゼカリヤ書は預言書であり、神の視点で書かれていることを理解して下さい。
人間のくだらない視点ではないということです。も塔ではくだらない視点を取り沙汰して混乱させているのです。

5.    旧約書は長編ストーリーです。ですから途中でクライマックスは書かれていません。
ゼカリヤ書はイスラエルの歴史の旧約クライマックスです。そのハッピーエンドは信仰の回復です。この流れが意図的に“も塔”では壊されています。ひどい話です。ハッピーエンドのない三文長編小説にされています。これじゃあくだらない脅迫文章ですよ。

6.    そして、最後にもう一度。2つの出来事の預言のうち一つ、荒廃はまだ期間は定まっていない!と神は約束をしたのです。でもいつか荒廃を終わらせるためには539年にバビロンを滅ぼした後にイスラエルの民を戻す約束も果たす必要が神にはありました。その戻すころのイスラエルの葛藤がエズラ、ダニエル、ゼカリヤの全ての根底テーマとして書かれているのです。

7.    その入り口(経緯のきっかけ)が歴代の最後に、全ての終わった後に年表として書かれていることを理解すると全体が見えるでしょう。これは全ての主観性を取り除いた事実だけと言った感じです。年表ですからね。しかしも塔聖書では、区切り方と接続詞に少し「も塔主観的意図」が加えてある。三文小説、脅迫文にするためです。歴代誌最後の一文が大切なのではなく、全体の流れ、ストーリー。そしてより重要なのがそこに描かれたテーマです。この考えさせるテーマがないなら全く意味がないですよ。

#19 2015年04月20日 14:13:09

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

こんにちは真剣さん、貴重な情報ありがとうございます!じっくり取り組んでみます。

どうやら新世界訳で読み解こうとすること自体が理解の足かせになりそうですね。ちなみに「バビロンで」「バビロンに」以外でもあるのでしょうか?事情で新世界訳しか手元になく、比較できるならネットでも調べてみようかと思うのですが・・・
昔、開拓者学校の教訓者が「新世界訳の編集者は匿名だが、全員油注がれた兄弟達で構成されているので他に類を見ない特別な聖書なんだ」と言っていたのを思い出しました。当時はそうかすごいな〜なんて思っていましたが、残念極まりないです。

編集者 ガリレオくん (2015年04月20日 15:00:14)

オフライン

#20 2015年04月20日 15:12:13

真剣
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

おっといけないいけない。
約束を私が守っていませんでした。

帰還後の荒廃が続く事を示した聖句は
エズラ記4-15節そのために、あの都市は荒廃している
ハガイ1-3節この家が荒れているのに、、
ゼカリヤ7-14節その土地そのものも彼らの後ろで荒廃に捨てられ。。

土地の安息がなかなか終わっていなかった状態は、
ゼカリヤ8章11節ー12しかし今。。。。以前のように日々のようにはしない。平和の種がそこにあるからである。ぶどうの木がその実りを出し、地もその産物を出す。

いろいろ読んでみてください。がんばって説明してください。

#21 2015年04月20日 15:29:49

真剣
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

英語でat Babylonとも塔してて、
  for Babylonをいじっているというやつですね!
そうなんです。このいじりが少しだけで、真剣に読めば余計に騙されるのです。

ところが、彼らの嘘に気がつくと、反対にこれが彼らの嘘を裏付けているのです。

私が発見したのは、も塔は英語版聖書を最近更新しましたね。
そのときに普通の訳に戻したのですが、昔の訳は誤魔化そうとしていたのがばれたのです。

これもエレミヤ書の24章でエホヤキンと一緒に流刑にされた民を良いいちじくのようにみなすとありますよね。
その英文が昔のは、確かWILL SENDと意志未来になっていて、改訂版は普通に完了形HAVE SENT
になってたと思います。これは意味が全く違います。つまり、エルサレム崩壊後に流刑に送る人を良いイチジクとみなすと
言いたかったのでしょう。でも話の筋で無理。

それと多くの聖書でも間違いがあるようですが、エレミヤ25章のページ見出し、ダニエル9章の見出し聖句に70年の流刑と書かれていると思います。
中サイズ。
でも本文に70年の流刑という言葉はまったくありません。荒廃や従属を流刑で一緒くたにしたいのがわかります。
これは歴史家にとっても聖書研究家にとっても冒涜です。ましてや神の前に大罪ですね。

#22 2015年04月20日 16:01:56

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

ありがとうございます、少し整理してみますね。 glasses  glasses  glasses  glasses  glasses

オフライン

#23 2015年04月21日 19:19:56

ガリレオくん
メンバー

Re: 聖書のみで607年は覆る

只今歴代第二の聖句で止まってます。やはり以前にお話したとおり帰還した民が耕作したなら安息を守ったことにならないと一点張り。原因はこれ↓

「七十年」はいつ始まったか(も2011-10-1特集1内)

エレミヤの預言した70年間が成就した後の人である,霊感を受けた歴史家エズラは,ネブカドネザル王の行なったことについてこう書きました。「剣を免れて生き残った者は捕らえられ,バビロンに連れ去られた。彼らはペルシアの王国に覇権が移るまで,バビロンの王とその王子たちの僕となった。こうして主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し,この地はついに安息を取り戻した。その荒廃の全期間を通じて地は安息を得,七十年の年月が満ちた」。―歴代第二 36:20,21,「新共同訳」。

したがって,その70年は,ユダの地とエルサレムが「安息」を得る期間でした。それは,そこの土地が全く耕されない,つまり種まきもぶどう畑の手入れもされない,という意味です。(レビ記 25:1‐5,「新共同訳」)神の民が犯した罪には,安息年を全部は守らなかったことも含まれていたと考えられ,そうした不従順に対する処罰として,その土地が70年間ずっと耕作されずに放置されることになったのです。―レビ記 26:27,32‐35,42,43。

↑レビ記を引き合いに出すからさらにややこしい。これは単に安息年を守ったと伝えるだけではダメでした。皆様知恵をお貸しください。

オフライン

#24 2015年04月21日 21:34:13

真剣
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

まず第一にこのものみの塔文章はエルサレム崩壊の年を算出逆算するために流刑の帰還から70年遡る話ですよね。
土地の安息はいっせいに全ての土地が耕し始めたり終わったりすることは不可能なので、エルサレム崩壊年とはほぼ無関係。
ただ聖書は荒廃していた期間によって十分な安息年、70年分以上が取り戻せたと記述しています。
ですから荒廃とは関係あっても流刑とは関係ないですよね。
また後で補足します。

#25 2015年04月22日 11:08:39

真剣
ゲストユーザー

Re: 聖書のみで607年は覆る

引き続き、
流刑とは関係ないですとは、70年間安息年ルールを守ったことが70年流刑があった証明にならないという意味です。

話はガリレオくんの相手に移りますが、
まずはレビ記をもう一度読んでほしいです。
安息ルールとは安息日と安息年がある。
安息年とは7年に一年です。

これが守られなかったのはエルサレム崩壊前のことです。
だから荒廃にもつながった。

とても明解ですよね。

そしてエズラ記1章をよく読んでください。
祭司やレビたちが中心にエルサレムに戻っています。
バビロンに残されてまだ住んでいる大多数の人たちの大金カンパを持ってです。

エルサレムに戻った選りすぐりの少数の人はレビ記に25章1-5にあるような安息ルール、26章に続く安息のおきて、全て自分たちでレビ記に書いたことを当然守っています。不敬虔なイスラエル人ではありません。

そこでレビ記26章34-35をよく読んでみましょう。
『その時、荒廃しているその期間中ずっと、あなた方が敵の地にいる間に、その地は安息を払い終えるであろう。その地は安息を払い終えるであろう。それは自らの安息を返済するのである。

荒廃しているその期間中ずっとそれは安息を守る。
あなた方がそこに住んでいた時、あなた方のその安息の間、それは安息を守らなかったからである。』

ここを読んで『ほら、安息は荒廃期間中ずっと守られたでしょ」というのは文章をよく読んでいませんと指摘させてください。

『あなた方がそこに住んでいた時(エルサレム崩壊前の平和な時)、あなた方のその安息の間(安息日を得ている安住の期間であったのに)、それは安息(のルール、つまり安息年ルール)を守らなかったからである。』

この括弧内解説付き意味でなければ、エルサレム崩壊ずっと前にイスラエル人は飢饉で死に絶えてしまうことになります。

ですから、
「荒廃しているその期間中ずっとそれは安息(安息年のルール)を守る。」
と理解しなければなりません。

荒廃期間中、神殿の建て直しのためにエルサレムに戻った人々が、
「荒廃している間、土地を耕さず、種まきも一切しない」
という理解を聖書から見つけることは出来ません。

むしろエズラやハガイ、ゼカリヤ書は神殿が建て直される前、まだ荒廃していたと見ることが出来ます。
そして荒廃期間中は、50年ほどの流刑と一部の敬虔なイスラエル人だけが戻ったことで、安息年ルールが完全に守られたことが聖書に書いてあるのです。

それを荒廃期間中、安息が守られたといっているのです。

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