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#1 2018年01月13日 23:12:56

あみ
ゲストユーザー

JWがエホバに仕える動機

元二世です。
タイトルについて、組織内ではよく
・エホバの愛(贖い)に感銘をうけたから
・エホバだけが唯一まことの神であるから
などの理由が、挙げられていますが、端的に言えば、「死にたくないから」という、多くの人間が持つ、極めてシンプルで利己的な動機に過ぎないと思うのですが、いかがでしょうか。

そして奇妙なのは、その理由は決して公には語られないんですよね。
「楽園に行ったら〇〇したい」というような言葉にすりかえられてしまう。

誰も、「私は死にたくない、永遠に生きたい、だからエホバを崇拝します」とは言わないんですよね?

その代わりに、
「エホバは愛ある唯一まことの神、エホバだけが賛美されるにふさわしい方、だからエホバを崇拝します。そしてエホバの民には、永遠の命という希望があります」という文章になる。

誰も、このすり替えに疑問を呈さず、違和感を持たない。

これって、沢山ある、JWの気持ち悪い部分の筆頭に思うのですが、みなさんどう思われますか。

私は、この世でどんなに辛い思いをしたとしても、エホバを崇拝できた、それだけで幸せ、永遠の命の希望はあくまで希望、と考える信者ってどれくらいいるのでしょう?

#2 2018年01月14日 00:01:59

あみ
ゲストユーザー

Re: JWがエホバに仕える動機

タニタクミさん
ありがとうございます。

家庭の中では、それがまかり通るんですよね。
「滅ぼされる」「集会参加は生命線」などなど。でも、たしか、一度公の場所(集会など)になると、「滅ぼされたくないからエホバを愛します」という発言はできなかったように思います。
「エホバへの愛が動機であるべきです」という、記述もどこかで見かけた気がします。
でも、「エホバへの愛」と、「自分の延命」って、そもそも相関関係が無いと思うんです。
自分を延命してほしいって、まさに自己愛の典型ですので。

そこら辺が、余りにも無理あるのに、誰もそれに触れないというのが、非常に奇妙に思えるのです。

#3 2018年01月14日 00:17:43

あみ
ゲストユーザー

Re: JWがエホバに仕える動機

言ってみれば、「(自分を延命する権限を持つ)エホバへの愛」というところでしょうか。
皆、言わないだけで。

それを、敬虔な畏れとか、畏敬の念とか、綺麗な言葉に置き換えてしまう。

これって、収賄的な考え方と何が違うんでしょう。昇格させてもらうために、上司に媚を売るとか、そういう考え方と大差なく思えます。

#4 2018年01月14日 00:50:44

あみ
ゲストユーザー

Re: JWがエホバに仕える動機

タニタクミ さんの発言:

そもそも、自分を愛するもの(それがJWのみ、他の人は全員死ぬ)に永遠の命を与える
それが人類への神の愛のあらわれ

って、なんて自己中なJW

JWイコール人類代表者でしょうか?

まあ、そう考えているんでしょうね。
JWって、他人の価値観を認めない人の集まりです。世の中を見下すことが生きがいであり人生です。
自分達の価値観以外の人は消滅して、存在しない世界こそが、唯一の幸せであると考えてるわけですから。
言葉では、他の信条を尊重しますと言いますが、それが真実であれば、二世問題も生じないし、忌避問題も生じないです。

#5 2018年01月14日 07:58:20

てつてつ
メンバー

Re: JWがエホバに仕える動機

あみさんこんにちは

>そして奇妙なのは、その理由は決して公には語られないんですよね。「楽園に行ったら〇〇したい」というような言葉にすりかえられてしまう。誰も、「私は死にたくない、永遠に生きたい、だからエホバを崇拝します」とは言わないんですよね?その代わりに、「エホバは愛ある唯一まことの神、エホバだけが賛美されるにふさわしい方、だからエホバを崇拝します。そしてエホバの民には、永遠の命という希望があります」という文章になる

自分は1984の二重思考に似たようなものだと思います

オフライン

#6 2018年01月14日 16:06:31

リッチ
メンバー

Re: JWがエホバに仕える動機

エホバに見殺しにされたくないからエホバに仕える、と言い換えられますよね。

しかし、間違っても、それに類する言葉は発せられないからエホバを尊敬してるとかに言い換えてるのですね。

オフライン

#7 2018年01月14日 19:49:00

あみ
ゲストユーザー

Re: JWがエホバに仕える動機

リッチ さんの発言:

エホバに見殺しにされたくないからエホバに仕える、と言い換えられますよね。

しかし、間違っても、それに類する言葉は発せられないからエホバを尊敬してるとかに言い換えてるのですね。

そうなんですよ。
これって、JWの教義の一部という小さな話ではなく、根幹を成す話なんですよね。
日々、JW間で話されているはずなんです。
「姉妹、終わりがくるよ、耐え忍ぼうね」
「姉妹、滅ぼされたくないよね、私達、これだけやってきた。エホバに見放されないよう、明日も再訪問いこう!」というのが現実路線かと。

てつてつさんのいう、思想なのかもしれませんね。リンク見ました。

ただ、1人だけ、ネット上で見かけた二世の母親で、長年正規開拓者が、「例え、エホバに滅びの判断をされたとしても、人生かけてエホバに仕えられたのだから、満足、幸せ」というのを見て、これが本来教義の求める真の姿勢なのでは?と感じた次第です。ストイックですが。

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