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#226 2017年11月23日 16:35:32

ユーリ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

釈迦だけではありません。

古代の学問は相当進んでいました。

wikiで調べることができますが、古代の学問の中心地であったアレキサンドロス図書館の例があります。


紀元前300年ころに立てられた図書館です。

「アレクサンドリア図書館は世界中から文学、地理学、数学、天文学、医学などあらゆる分野の書物を集め、ヘレニズム文化における学術研究にも大きな役割を果たした。


アレクサンドリア図書館で研究され発表された知識は、その後の西洋科学の誕生に大きく貢献した。

幾何学のエウクレイデス、地球の直径を計測したエラトステネス、天動説の大家プトレマイオスなど、

ヘレニズムにおける学芸の巨人の多くは、この図書館で研究した。」



400年頃、ヒュパティアとい女性が新プラトン主義哲学校の校長になりました。

以下wikiより


新プラトン主義の他の学校の教義より、彼女の哲学はより学術的で、

その関心のためか科学的で神秘主義を廃し、しかも妥協しない点では、

キリスト教徒からすると全く異端であった。


「考えるあなたの権利を保有してください。なぜなら、まったく考えないことよりは


誤ったことも考えてさえすれば良いのです」とか「真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことです」


という彼女のものであると考えられている言動は、当時のキリスト教徒を激怒させた。


その時すでに彼女は、キリスト教から見て神に対する冒涜と同一視された思想と学問の象徴とされたのである。


-------------------------------------------


この女性は、後に総司教キュリロスの部下である修道士たちより、殺害されてしまいます。


(ちなみにこのキュリロスはカトリック教会の聖人です。)


そしてキュリロスは、アレクサンドリア図書館を壊滅させます。


おそらく、学問の進歩は相当遅れたでしょうね。


その後の研究者たちは、キリスト教の逆鱗に触れないよう、しかも多くの場合、教会はスポンサーでもあるので、

相当苦労があったでしょうね。

オフライン

#227 2017年11月23日 16:55:03

さやか666
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

女の校長さん、もう少し長く引用されている翻訳がありました



作り話は作り話、迷信は迷信、奇跡は文学的な妄想として教えるべきである。迷信を真実として教えるのは、あまりにも恐ろしいことである。子どもはそういうものをそのまま受け入れてしまい、人は後で何年もかけて、死ぬ思いをしないと、なかなかそういうものから抜け出ることができないものである。実際、本物の真実のためよりも、むしろでたらめの迷信のために人は戦うものである。なぜなら、迷信というのは、調べようがないので、でたらめであることには気がつきにくいが、真実は考え方であるため、変わる時には変わるからである。

#228 2017年11月23日 17:15:44

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

さやか666さん、ご紹介ありがとうございます。

まさにドンピシャ!の発言ですね。

オフライン

#229 2017年11月23日 18:03:28

ユーリ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

irisさん、まさに『ナイスタイミング!』の突っ込みですね!

オフライン

#230 2017年11月23日 18:05:45

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ヒュパティアの著作はまったく残っていないそうですが、さやか666さんの紹介してくださった翻訳はどのような文献なのですか?

オフライン

#231 2017年11月23日 18:15:38

ユーリ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

作り話は作り話、迷信は迷信、奇跡は文学的な妄想として教えるべきである。迷信を真実として教えるのは、あまりにも恐ろしいことである。子どもはそういうものをそのまま受け入れてしまい、人は後で何年もかけて、死ぬ思いをしないと、なかなかそういうものから抜け出ることができないものである。

さやか666さん。

女校長先生が言ったとおり、未だに世界はその戦いの最中ですね。

オフライン

#232 2017年11月23日 18:19:08

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

irisさん、私は体に悪いところがないわけではないのですが、病院は余程のことがない限り行かない人間でして、健康保険料は毎年ドブに捨てているようなものです。今年は一回も行ってません。いつも気分転換している酒場が私の病院みたいなものですね。(笑)

ユーリさん、最近は人生のマニュアル有りきではなく、様々なことを体験しながら自分自身の中に自分なりのマニュアルを構築していくものという考えに移行しています。釈迦の毒矢の例えはその通りで私が言いたかったことです。

ユーリ さんの発言:

現存しているヒトは、当然 生きるために必死に戦ってきた種です。
今までに絶滅した生物の中でも、きっと最高度に、死なないために頑張ってきたでしょう。
結果的に「死ぬこと」に対する恐怖心は強く、転じて「死んだらどうなるか」ということをものすごく考える生き物になったんでしょうね。

それが延命治療などにも反映されています。
あたふたせず、その時がきたと受け入れるべきではと今では考えています。

最近は、縄文時代のアミニズムに非常に興味があります。
教義も存在せず、海に囲まれ、外部の影響を受けにくい当時の日本列島で、大自然と共に生きていた彼らの中で発生した信仰とはどのようのものだったのか。今では絶対にあり得ない環境や条件の中での彼らの信仰を知ることによって、人間の本質を知ることができるのではないかと考えているからです。そのあたりも図書館で調べています。

ユーリさんも酒がお好きなようですね。私はもう長年、BSでやってる「吉田類の酒場放浪記」状態です。
ほとんどこれでゼニが飛んでいきます。そのかわり服なんてスーパーの衣料品コーナーの輪っかにぶら下がっている特売品の安物ばかりですよ。

ジョエルさん、釈迦の「筏の譬え」読んでみました。確かにあの団体に似てますね。(笑)

#233 2017年11月23日 19:18:39

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎さん、酒場で治療中でしょうか。

病院など縁がないのが一番です。どこか悪いのではないかと用もないのに病院通いをすることほど健康を害するものはありません。
医者が言うのもなんですが、私も病院嫌いで薬もなるべく使いません。

ただ、せっかく病院があるのですから必要なときには大いに活用してくださいね。
大人の病気には不案内なのですが、肝臓にはお気をつけて。

さて、日常から死が見えにくくなったのか、日本人は以前より死を受け入れることが難しくなっているのではないかと感じることがあります。
医療は命をつなぐお手伝いはしますが、生きるか死ぬかはまず御本人の生命力にかかっています。医学という科学が万能であるわけではありません。

人間はいつ死ぬかわからない、いつかは死ぬのだということを意識しておくことは、よく生きるためにも必要なことです。
生きること、死ぬことについて、自分なりの死生観を持てるような機会は誰にでも必要ではないかと思います。

オフライン

#234 2017年11月23日 20:32:58

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

irisさん ありがとうございます。
今 治療現場に向かってます。
何かあったときはいろいろ教えてください。

#235 2017年11月24日 00:07:16

マタイ7:7
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

自分なりの生死観を持てたとしても、本当に死に近ずいている時は自分がどうあるかはわからない。その時、私は祈れるかな?

#236 2017年11月25日 21:14:12

マタイ7:7
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

私毎日死に向き合ってる。だから祈ってる。

#237 2017年11月25日 21:23:39

マタイ7:7
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

DEARカレブ
ありがとう。

#238 2017年11月26日 08:38:02

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

マタイさん

「老い」そのものは、その準備なのかもしれませんね。

#239 2017年11月27日 17:47:17

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

「中庸(ちゅうよう)」という語は、よくよく調べてみるとかなり奥が深いんですね。

何事もほどほどがいいということを、別の言い方で、中庸がいいとか、中庸が大事などとよく言います。
中庸については、その程度のことしか知りませんでした。

意味は、偏ることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。

孔子は「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と語り、過不足なく偏りのない徳を修得することは非常に難しいと説いています。
「中庸」は、儒教の根本経典とされる「四書」の一つで、朱子が中庸を儒教哲学の最高峰とし、儒学者がまとめた「礼記」から抜き出した「四書」の一つ。
つまりこの「中庸」というのは、儒教においては中心概念であり、最高概念らしい。

ギリシャ哲学においても、「中庸」は倫理学上の主要概念の一つとされている。
最初にピタゴラスが調和的存在として考え、これを倫理学的領域に導入したのがプラトン。
アリストテレスは「ニコマコス倫理学」の中で、過大と過小の両極端が悪徳、正しい中間が徳、すなわち中庸(メソテース)とした。
例えば「勇気は、蛮勇や臆病の中間的な状態である時、初めて徳として現れる。」と言っている。
アリストテレスも中庸(メソテース)を、徳目全体の最高位に位置付けているようです。

仏教には中道というものがあり、中庸と似ていますが、本質的には違うという異論もある。
釈迦は、中道について説法を行った際に、世俗的な快楽を求めることも、肉体的な疲労消耗を追い求めることも正しいことではなく
中道こそが人の目を開き、悟りを得させるものだと説いている。
中庸が中間を求めるものであるならば、中道は、対立するものどちらか一方に執着しないことを説いているようです。

中庸も中道も、実践することが極めて難しい、高い徳であることが理解できます。
中庸は、ほどほどだから、楽チンでいいやというのが低思考の自分。
これがいにしえの賢者たちと私との差になる。

そして注目すべきは、洋の東西を超えて、類似する高い概念に行きついている点。

ではキリスト教ではどうか。
旧約聖書の律法的な部分はどうか。私は中庸からの乖離は大きいと感じます。
しかし、その乖離を縮めたのが新約聖書ではないかと思います。
イエスほどの人物であれば、中庸の徳を知らないわけがない。
もしやイエスの最大の目的というのは、中庸から遠くかけ離れた律法主義のユダヤ人社会の矯正であって、本当に贖いの原理、神の王国、預言まで語ったのかと。

残念ながら、この新約聖書も不純物が多い。おそらく、イエスが言ったことは歪められ、言わなかったことまで付け加えられている。そして、無数の解釈。
これからも聖書だけを人生の教本にしたい人は、この不純物を取り除く作業は不可避で、それは自分自身でやらなければならないと思います。

「中庸」から発展して、こんなことまで考えてみました。
それにしても「中庸」には、何やら宇宙の大原則的なものが見え隠れしているような気もします。
日馬富士にビール瓶で殴られたようなとまではいきませんが、結構それに近い衝撃的なものがありました。

久しぶりの図書館、いろいろと勉強になった次第です。

#240 2017年11月27日 19:34:40

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎さん、コメントありがとうございます。

私も先日ここに「中庸」について書こうとして、意外に奥が深いことに気づいて断念しました。

仏教の中道と儒教の中庸とは厳密には違うようですが、アジアでは長い歴史のなかで互いに影響しあっている部分もあるように思います。

キリスト教の宗教としてのあり方は、仏教や儒教とは異なる部分もありますが、律法さえ守っていればよいという当時のユダヤ教のあり方をイエスが変えようとしたのは間違いないのではと思います。私はそのような意識改革こそがイエスの最大の功績であると思っています。

残念ながら、人間はよほど考えるのが面倒と見えて、今度は聖書を律法に代わるルールブックにしてしまったのが、聖書にこだわる信仰の怖いところですね。

編集者 iris (2017年11月28日 09:33:52)

オフライン

#241 2017年11月29日 21:29:46

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

”聖書を律法に代わるルールブックにしてしまった”

うまいこといいますね。そして聖書の権威まで利用している。

ところで、irisさんにお聞きしたいことがあります。

日本人の死生観は、昔と今とを比べると変わったと思いますか?
もし変わったと思われるなら、それはいつ頃からだと思いますか。

この掲示板で過去に討議してたらごめんなさい。

#242 2017年12月01日 01:29:16

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎さん、コメントありがとうございます。
日本人の死生観ですか、これもなかなか奥深いテーマですね。

「死んだらどうなるか」に関して言えば、古くは黄泉の国に行く、(日本式)仏教が普及してからは善人は極楽(浄土)・悪人は地獄に行く、キリスト教の影響を受けてからは天国に行く、などと考えられていますね。
特に信仰を意識していない一般的な日本人は、死んだ人は天国(あるいは極楽)で暮らしているのかなと漠然と考えているのではないかと思いますが、自分自身が死んだらどうなるのかについては確信が持てない(あまり考えていない)人が少なくないのではないでしょうか。

死生観の変化と言えるのかどうかわかりませんが、「科学的に証明できないことを信じるのは間違い」という考え方が幅を利かせるようになったために、自分自身や身近な人の死後の平安を確信できなくなっているとすれば、それは不幸なことかもしれません。もちろん、死後の苦痛を確信するよりは、よほどましですけれどね。

オフライン

#243 2017年12月01日 01:33:19

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

医療技術の進歩によって、不妊治療や出生前診断、脳死者からの臓器移植などが行われるようになりました。人間の欲望には限りがありません。生老病死を抗うことのできない自然として受け入れるのではなく、人間の科学の力でコントロールすべきだと驕ってはいないでしょうか。

私は新生児医療をしばらくやっていましたが、今の技術なら妊娠7か月(予定日より3か月以上前)とか体重500g以下とかで生まれた赤ちゃんでも救命できたり、大きな障害もなく成長できたりするようになってきています。感染症や喘息の治療もよくなり、小さな命を落とすことは本当に少なくなりました。高齢者に多い心筋梗塞や脳梗塞などの治療もどんどん進んでいます。

そのように、不可能を可能にしようとする多くの人の努力により、医学・医療の進歩は素晴らしい成果をもたらしてはいますが、すべての病気の原因や治療法がわかっていたり、すべての治療がうまくいったり、すべての死亡の原因が解明できていたりするわけではありません。
以前この掲示板でも「なぜ病気になったり死んでしまったりしたのか、とことん科学的に原因を考えればよい」という意見がありました。科学的に対処できないこと、科学的に究明できないこともあるのだという限界が一般の人に理解されていないのは、難しい病気になったときや死に直面したときに受容の妨げになり、非常に不幸なことと私は感じます。人の生死は人智を超えたものというのが私の実感です。

参考までに以前の発言です。あなたにとって神とは#16

オフライン

#244 2017年12月02日 09:53:57

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

お忙しい中のご返信、本当にありがとうございます。
実は宗教と医学を両立されているirisさんに、以前からいろいろとお聞きしたいと思っていました。

科学や合理主義は「考える」ということにおいて目覚ましい進歩を遂げてきましたが
一方で、「感じる」ということを置き去りにしてしまった感があります。

現代人のような物質文化に毒されていなかった古代の人々は、我々現代人が想像もつかないような研ぎ澄まされた
感覚持っていたようです。
日本人の死生観を理解しようするとき、これを頭に入れておくべきと考えます。

iris さんの発言:

死生観の変化と言えるのかどうかわかりませんが、「科学的に証明できないことを信じるのは間違い」という考え方が
幅を利かせるようになったために、自分自身や身近な人の死後の平安を確信できなくなっているとすれば、それは不幸なことかもしれません。

私もそう思います。
近年における日本人の死生観は、古来の死生観と科学的知識の混合で、曖昧な死生観を持っている人が多いように見えます。
古来からの死生観の変化がどのあたりから始まったのか。私が知り得た情報であえて線引きをするならば、明治維新のあたりです。
来日した外国人は、「日本人は自分たちは無宗教であると言うが、そうは見えない」とよく言います。
彼らは日本人の中にまだ残っている宗教心のようなものを嗅ぎ分けているのかもしれません。
明治初期ぐらいまでは、過去に大陸から他の宗教が入ってきて表向きが変わっても、日本人の信仰の根底にあるものはそれほど影響は受けていません。

iris さんの発言:

以前この掲示板でも「なぜ病気になったり死んでしまったりしたのか、とことん科学的に原因を考えればよい」という意見がありました。

脱塔したJW、特にJW組織によって人生を台無しにされ、積年の恨み辛みのエネルギーが科学に向いてしまっている方々は、このような発言をする傾向があります。勿論、そうでない人もいます。
彼らが仮に医学の知識を持っていたとしても、医学の知識があって尚且つ、実際に数千数万人の患者の治療の経験がある医師には及びません。
他の仕事でも、机上だけで現場を知らない頭でっかちの人は、よくこういうことを言います。

iris さんの発言:

人の生死は人智を超えたものというのが私の実感です。

それが、千の経験が生む一の直感というものではないでしょうか。
やはり医療の最前線に立たれる方のご意見には説得力があります。

信仰と医療科学が同居している医師から、直接話を聞くことができて非常に有難いです。
とても参考になりました。

私が察するにirisさんは、ご自身の信仰に関しては「考える」よりも「感じる」のほうを大切にしておられるように見て取れます。

#245 2017年12月03日 12:37:14

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎さん、丁寧なコメントをありがとうございます。

三太郎 さんの発言:

来日した外国人は、「日本人は自分たちは無宗教であると言うが、そうは見えない」とよく言います。
彼らは日本人の中にまだ残っている宗教心のようなものを嗅ぎ分けているのかもしれません。
明治初期ぐらいまでは、過去に大陸から他の宗教が入ってきて表向きが変わっても、日本人の信仰の根底にあるものはそれほど影響は受けていません。

私は、今でも日本人の宗教心(信仰心)はあまり変わっていないのではないかと思います。日本人には万物に神が宿ることを感じ、常に感謝と畏怖を感じる感性が豊かに備わっています。これは日本人のとても優れた特性です。

ただ、「科学的であることが正しい」「非科学的なことを本気で信じるなんてバカのやること」という、この掲示板でも顕著にみられる風潮が強まり、「理屈ではない」自分たちの宗教心(感性)を素直に認められなくなっているような気がします。

三太郎 さんの発言:

脱塔したJW、特にJW組織によって人生を台無しにされ、積年の恨み辛みのエネルギーが科学に向いてしまっている方々は、このような発言をする傾向があります。勿論、そうでない人もいます。

「宗教は間違いで科学が正しい」と考えたい気持ちは理解できますが、何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し。
特に生物に関しては個体差が大きいことから、医学・心理学の一般的な知識を不用意に個人に適用したり、個人の所見を安易に一般化して考えたりすることは避けなくてはなりません。
趣味・教養として医学・心理学を学ぶ方と臨床家との理解度が異なるのは当然ですが、熱心な方ほどその点には注意しておくことが必要だと思います。

三太郎 さんの発言:

私が察するにirisさんは、ご自身の信仰に関しては「考える」よりも「感じる」のほうを大切にしておられるように見て取れます。

信仰は理屈ではないと私は思っていますが、そもそも人間は理屈だけで生きられるようにはできていません。自分は論理的・理性的であると自負している人が、自分の理屈に合わないからといって感情的になり、他人の思考回路や精神状態がまともでないとか公言してしまったりすることもあります。また、科学的には理由などなくても、何らかの理由をつけなくては感情的に納得できないことは珍しくありません。

科学や論理に徹しなくてはならない部分と、科学や論理では対処できない部分とを区別して、意識的にバランスを取ることが必要だと思います。

編集者 iris (2017年12月03日 21:37:05)

オフライン

#246 2017年12月04日 19:29:59

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

irisさん ありがとうございました。

申し訳ありませんが、また私の質問に付き合ってください。

irisさんは、カトリック教会という世界的規模の宗教組織に属しておられますが、信仰のために大きな組織は必要だと思いますか。

私は巨大な宗教組織は必要がないという考えです。
同じ信仰を持った者同士が集まり合うのはいいと思います。
それは少人数のサークル活動的なもので、集い合い、話し合うための簡単な取り決めがあって、参加は自由。
人が集まって何かをしていく以上、経費の発生は避けられませんので、それは有志で集めるといった感じですかね。
集まる人の気持ち次第ですので、宗教団体としての結束は弱いかもしれませんが、その程度のものならいいと考えています。

人間が大きな組織を作ると、宗教組織に限らず必ず階層が生まれ、トップが金や権力を握るようになると、上から腐っていくというのが世の常です。
また、営利団体ではない宗教組織が肥大化していくと、維持・運営にお金がかかり、そのために時間や労力を消耗してしまうため、本来の目的が疎かになってしまうという懸念もあります。
JWなどは組織が大きい上に世と隔絶しているので、独特の閉鎖的なコミュニティを築き上げています。

会社組織の場合、その監視機能として、コンプライアンス部門や組合があって睨みを利かしているわけですが、それでもすり抜けてしまい、結局内部告発で不正が発覚したりします。
大体、大企業の社員なんていうのは、偉くなって窓際に座るようになると天下取ったような気分になり、その日から有識者気取りするようなバカが多いですから。

かつて日本では、寺や神社は共同体の中心としても機能していました。
村の問題を話し合ったり、取り決めを作ったり、祭りの準備をしたり、子供たちが勉強したり遊んだり。
そういう利害関係のない場所が、必ず共同体の中にあったようです。

私自身は、もうどの宗教組織にも入ることはないでしょう。気が向いたらたまに神社でも行こうかなと思うぐらいです。
身近に自分と同じ考えの人がいたら、酒でも酌み交わしながら話でもしたいですね。

時間がある時で結構ですので、ご意見を聞かせてください。

#247 2017年12月06日 23:02:34

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎 さんの発言:

irisさんは、カトリック教会という世界的規模の宗教組織に属しておられますが、信仰のために大きな組織は必要だと思いますか。

私も巨大な宗教組織は必要ないと思います。この「必要ない」というのはあくまでも「なくてもよい」という意味で、「あってはならない」という意味ではありません。

組織が大きければ、物事を決めたり、決まっていることを変更したりするのに、小さな組織より時間がかかるのは事実です。また、全体像を把握するのが難しくなり、問題が起こったときの対処が遅れがちになるかもしれません。
だからといって、小さな組織のほうが大きな組織より優れているとは限りません。中小企業には中小企業の良さがあり、大企業には大企業の良さがあるものです。どのような組織であろうと、組織の質を決めるのはその規模の大小ではありません。

三太郎 さんの発言:

JWなどは組織が大きい上に世と隔絶しているので、独特の閉鎖的なコミュニティを築き上げています。

私は、JWの組織に問題が多いのは証人たちが「情報の遮断によりまともな判断ができない」「逃げ場がない」状態におかれているためだと考えています。以前も指摘したとおりです。
最近はインターネットの普及で情報遮断が困難になったので、覚醒する証人が増えているのではないでしょうか。

三太郎 さんの発言:

かつて日本では、寺や神社は共同体の中心としても機能していました。
村の問題を話し合ったり、取り決めを作ったり、祭りの準備をしたり、子供たちが勉強したり遊んだり。
そういう利害関係のない場所が、必ず共同体の中にあったようです。

カトリックの地域では、カトリック教会も同様の機能を持っていたと思いますよ。洗礼台帳が戸籍の役割を果たし、教会が役所のように機能していたのです。地域によっては現在もそうで、例えばユニセフが支援を行き渡らせるために教会を利用している例があります。

日本では歴史的に宗教が政治権力を持つことに対する為政者たちの警戒心が強く、コミュニティのまとめ役として神社や寺を利用することはあっても、神社や寺の力が強くなると遷都したり武力で叩き潰したりして、宗教組織が強い政治権力をもつことはありませんでした。

これに対し、ヨーロッパでは教皇の権威が皇帝を上回る時代もあったほどで、教会組織のトップである教皇が世俗の権力も併せ持っていたことが大きな問題であったと思います。皇帝をも従わせるために“破門”を武器に使っていたことは、ものみの塔にそっくりですね。
幕府が宣教師を追放し禁教を徹底したことは、日本を守るためには賢明な判断であったと私は思います。

三太郎 さんの発言:

私自身は、もうどの宗教組織にも入ることはないでしょう。気が向いたらたまに神社でも行こうかなと思うぐらいです。
身近に自分と同じ考えの人がいたら、酒でも酌み交わしながら話でもしたいですね。

私はキリスト教をきちんと学びたくて、いくつもの教会を訪ねました。たまたまカトリックの居心地がよかったのでそのまま信徒になりましたが、居心地が悪くなったら(自分の信仰に合わなくなったら)またフリーに戻ると思います。

三太郎さんとお話ができたら楽しそうですが、宗教組織に属していたら失格ですかね。残念!

オフライン

#248 2017年12月07日 23:52:10

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

irisさん コメントありがとうございました。

irisさんの立ち位置が大体よくわかりました。

iris さんの発言:

組織の質を決めるのはその規模の大小ではありません。

組織の最小単位は家族であると言います。
奥底に流れるものが同じであれば、確かに組織規模の大小は関係ありませんね。

iris さんの発言:

私は、JWの組織に問題が多いのは証人たちが「情報の遮断によりまともな判断ができない」「逃げ場がない」状態におかれているためだと考えています。以前も指摘したとおりです。

過去を振り返ってみれば、何も悪いことをしていないのに、自分から進んでJWという刑務所に入って、意味のない修行と償いの日々。逃れたくても逃れられない状況の中、眠ったフリをして、自分を偽って生きるようになる。そして心は病み、気がつけば世間から取り残されていた。
その刑務所で生まれ育った2世さんなどは、長老だ僕だといっても一般社会では全く通用しない。覚醒して脱塔しても大きなハンデを背負ってのスタート。
しかし、その閉鎖された社会の中で生きてきた彼等にも、楽しく懐かしい思い出があり、それを綴った投稿などを読むと、健気で泣けてきます。
それはわかってあげて下さい。

iris さんの発言:

私はキリスト教をきちんと学びたくて、いくつもの教会を訪ねました。たまたまカトリックの居心地がよかったのでそのまま信徒になりましたが、居心地が悪くなったら(自分の信仰に合わなくなったら)またフリーに戻ると思います。

それでいいと思います。
というか、それが普通だと思います。
会社を辞める人の大半は人間関係。
逆に人間関係が良ければ、給料が安くても、仕事にそれほどやり甲斐を感じなくても、意外と辞めずに続くものです。
ただ、科学科学と念仏のように唱える方々にとっては、irisさんのスタンスは受け入れ難いかもしれませんね。
私はこれからもirisさんには、屈託のない意見を期待します。
この掲示板では貴重な存在だと思いますね。

iris さんの発言:

三太郎さんとお話ができたら楽しそうですが、宗教組織に属していたら失格ですかね。残念!

いや、そんなことはないですよ。ちょっとビビりそうですが。。(^_^;
私は酒繋がりで何人か知り合いの医師がいますが、皆さん酒好きで、いつもの店で会うときは既にペロペロの状態なので、あまり真面目な話をしたことがありません。
先日、心療内科の医師と約束していたので、その先生の行きつけの焼鳥屋で一緒に飲みました。その先生は女の先生で年配の方なんですが、気持ちが若く外見も若造りで、ちょっとブッ飛んだようなところがあり、年相応には見えません。話が盛り上がり、次の店に行こうとなって先に店を出て外で待っていたんですが、なかなか出て来ないので、中に入ったら、その焼鳥屋の親父っさんとすったもんだやっていました。どうも親父っさんはその先生のファンらしくて、先生が私と一緒に次の店に行くのが面白くなかったようです。いやえらい目に会いましたね、その時は。
そんな感じなので、「先生は臨死体験についてどう思いますか」とかなかなか切り込めないんです。困ったものです。
irisさんはそんなふうにはならないでくださいね。

今回は色々と話が聞けて良かったです。

また宜しくお願いします。

#249 2017年12月08日 23:05:33

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎さんありがとうございます。

三太郎 さんの発言:

しかし、その閉鎖された社会の中で生きてきた彼等にも、楽しく懐かしい思い出があり、それを綴った投稿などを読むと、健気で泣けてきます。
それはわかってあげて下さい。

エホバの証人として過ごした日々を、否定する必要はないと思います。私も元証人の皆さんの過去を否定しません。
元証人であろうとなかろうと、どんな経験もこれからの人生に生かすことができます。自分の心の持ち方次第だと思います。

三太郎 さんの発言:

会社を辞める人の大半は人間関係。
逆に人間関係が良ければ、給料が安くても、仕事にそれほどやり甲斐を感じなくても、意外と辞めずに続くものです。

私は教会に通うときに人間関係には期待しませんでした。教会の人間関係に期待して来る人は、教会にも聖人君子ばかりがいるわけではないという当然のことに躓いてしまいます。
私は就職してからはたいへん多忙で、ろくに教会に行くこともできず、行っても御ミサにあずかるだけでさっさと帰ってしまうので、まったく知り合いができなかった教会もありました。(若い医師は異動が多いので転居も多く、いくつものカトリック教会を転々としていました)

それでもやはり、同じカトリック教会には価値観の近い人が多いから、居心地がいいのでしょうね。他のキリスト教会は「自分たちだけが真理を知っており正しい生き方をしているのだ」というような雰囲気が漂っているところが多く、礼拝に参加しているだけで息が詰まりそうでした。

私はあまりお酒は飲めないのですが、飲むと幸せそうになると周りから言われていました。いつか飲みながら、お話してみたいものです。

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