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#201 2017年11月14日 08:19:37

ささらほーさら
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

iris さんの発言:

これはマザー・テレサのことでしょうか?
(マザー・テレサの洗礼名はアグネスであり、マリアという名は持っていません)

失礼いたしました。
単なる書き間違いです。
後の引用文では、マザー・テレサとなっていますので、彼女であることはおわかりになりますよね。



iris さんの発言:

カリスマ性のある人物が大きな仕事をする例は少なくないですね。その人物の人間性に問題があっても、周囲にサポートする体制があれば大きな問題にはなりにくいですが、暴走を止められなくなった場合には悪影響も大きくなってしまいます。

失敗を恐れずにガンガン突き進めるタイプの人も組織には必要ですが、その周りに冷静に大勢(たいせい)を判断できる人材が不可欠なのは、宗教に限らずどの分野でも同じなのでしょうね。

真性サイコパスは、ただ単にカリスマ性があるとか、大きな組織を引っ張る力量がある人とは違います。
サイコパスは、自分の行動に見合う以上の「報酬」がなければ、大きな仕事はしません。
周囲の人がその元で働く場合、サポートではなく、支配されるか依存心故に仕えるかしかありません。

自尊心を満たすこと、支配すること、お金を得ること、快楽を味わう事、称賛を浴びること・・・が動機ですから、
社会や人道のために大きな仕事や決断をすることもありません。

はじめはサポートしているつもりでも、長年の間にはボロが出ますから、
まともな人なら、やがて本性を見抜いて危険を察知することでしょう。
サイコパス経営者が、志半ばで削除される場合もあります。

編集者 ささらほーさら (2017年11月14日 08:36:46)

オフライン

#202 2017年11月14日 12:10:29

さやか666
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

平常時に現実を無視するような信じ方はしないのが平均的な日本人なのです。
そのような常識が身に付いていない(判断力の未熟な)人に対しては、普通は周りの人が「え?」という反応をすると思いますが、それでも気づけない場合は教えてはもらえないかもしれませんね。何しろ当人にとってはデリケートな問題かもしれませんからね。





死体を掘り起こすときは「えっ?」とならなかったのですか

#203 2017年11月14日 13:31:36

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

さやか666 さんの発言:

死体を掘り起こすときは「えっ?」とならなかったのですか

死体を掘り起こすときっていつですか?

オフライン

#204 2017年11月14日 19:04:50

さやか666
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

iris さんの発言:
さやか666 さんの発言:

死体を掘り起こすときは「えっ?」とならなかったのですか

死体を掘り起こすときっていつですか?



逆にそれは私がききたいのですが

例えば


「聖人」ピオ神父の遺体、伊で初公開。カトリックの聖人で、生前、数々の奇跡を行ったとされるピオ神父の遺体が24日、イタリア南部の教会で初めて公開されました。遺体が公開されたパドレ・ピオ神父は、1968年に81歳で死去するまで、その全生涯を奉仕に捧げ、2002年には聖人として認められました。ピオ神父は、未来を予知したり、信者の病気を治したりと、数多くの奇跡を行ったとされるほか、十字架に打ち付けられたキリストと同じように手と足に傷があったことから、死後も多くの信者の信仰を集めました。ロイター通信によりますと、遺体が公開されたイタリア南部の教会には信者ら1万5000人がミサに参加したほか、すでに75万人が遺体を見るための予約をしたということです。聖人の遺体は腐らないとの信仰を確認するため、死後40年経った今年3月に埋葬場所から掘り起こされましたが、顔は腐敗が目立つため、生前の顔を模したシリコン製のマスクで覆われました。ピオ神父の遺体は、12月まで公開されるということです。




irisさんの主張が正しければ日本のカトリック教会は日本人の宗教感(民度?)にかなりお世話になっているのではないでしょうか



そういえばjwでもいました、jwの人間関係で鬱になっている人に「日本の会衆が向いていないのよ、外国で奉仕しなさい」と


これでは会話が噛み合いませんよね

#205 2017年11月14日 20:14:59

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ピオ神父は聖人なのに目立つほど腐敗してしまって、「聖人の遺体は腐らない」と信じたい人々にとってはお気の毒でしたね。
なお、現在の日本ではカトリックでも普通は火葬しますので、遺骨以外は灰になり腐りようがありません。ただ、修道者の墓地などで土葬のところもあるようです。

さやか666さんのおっしゃるとおり、日本人の宗教観のおかげで、日本のカトリック教会は世界のカトリック教会の模範になっちゃってるかもしれません。

編集者 iris (2017年11月14日 21:01:16)

オフライン

#206 2017年11月14日 21:48:49

さやか666
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

iris さんの発言:

ピオ神父は聖人なのに目立つほど腐敗してしまって、「聖人の遺体は腐らない」と信じたい人々にとってはお気の毒でしたね。



なんかズレてませんか?この場合「信じたい人」はそれほどお気の毒じゃないと思いますよ

#207 2017年11月14日 22:05:40

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

そうですか?
聖人の遺体は腐らないと信じていた人は、腐っていたらガッカリしませんかね?

こんなところで腐っていたのどうのと話題にされる神父さまもお気の毒かも。

オフライン

#208 2017年11月14日 22:12:19

さやか666
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

うーん 神父もどうなんだろ

なんだかんだ、腐ってても皆さんに慕われてますしそこまで気の毒ではないかな

私はもっと小さな存在が気になりますよ

#209 2017年11月15日 07:07:24

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

中野信子さんは、サイコパシーはスペクトラム(連続体)であると述べていますね。つまり、「人に対する共感性が薄い」という特徴を弱く持っている人から強く持っている人まで、程度の様々なサイコパスが存在するわけです。その度合いが濃厚である人が、サイコパシーが高い人ということになります。

サイコパシーの程度が非常に高い(良心や共感性の欠け具合が相当ひどい)サイコパスがトップにいると、企業ならブラック企業、宗教ならカルト宗教になりそうですが、それほど程度の強くないサイコパスなら、サイコパスでない人にはできないような仕事をして(本人は自分のためだけに行動しているとしても)結果的に社会に役立つということは実際にありますよね。「本性」を知っている周囲の人は、それなりに苦労するでしょうけれどね。

編集者 iris (2017年11月15日 07:12:22)

オフライン

#210 2017年11月15日 11:44:26

大川秀康
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

宗教は人と人をゆるく結びつける装置である。酒が無い地域はあっても宗教が無い地域は存在しない。未開拓地にさえ独自の宗教は存在する。まず道徳が先行し、その理由付けとして神を建てる。そしてその後は神の言葉として定着する。その地域の人々の共通の価値観がそれにより形成される。宗教は規則であり、装置である。こころとは本来無関係である。

#211 2017年11月15日 13:46:58

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

大川秀康さん、コメントありがとうございます。

宗教は共同体の道徳を維持するために重要な役割を果たしていますね。ただ、社会のあり方が様変わりして、現在の先進国では道徳が宗教の教義そのものに依存する度合いはかなり低下していると思います。ここの管理人のカレブさんも「宗教がなくても道徳は守れるから宗教は要らない」というお考えであるように伺っています。
それでも、宗教の教義として意識されない、教義の背景あるいは土台となる宗教観のようなものが共同体に共有されて、その共同体の道徳観に影響している面はあると思います。

一方で、宗教は共同体の道徳のためだけのものではありません。ヒトという生物が「他人の意図を推測(妄想)して行動する」という性質を持ってしまっている以上、実際には存在しないかもしれない神仏や死者や悪霊の類いの意図を妄想したり、自分の存在意義に悩んだりしてしまうのは仕方のないことで、そのような苦悩に適切なヒントを与えることも宗教の重要な役割であると思います。

編集者 iris (2017年11月15日 18:45:42)

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#212 2017年11月15日 20:35:52

ささらほーさら
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

iris さんの発言:

中野信子さんは、サイコパシーはスペクトラム(連続体)であると述べていますね。つまり、「人に対する共感性が薄い」という特徴を弱く持っている人から強く持っている人まで、程度の様々なサイコパスが存在するわけです。その度合いが濃厚である人が、サイコパシーが高い人ということになります。

はい。
それは、サイコパスに限ったことではなく、ASD(自閉症スペクトラム障害)~ADHD(注意欠如多動性障害)の境界も不明瞭で症状も画一的ではないのと同じです。
ただ、通常は「サイコパス」と呼称した場合は、軽度の、あるいはサイコパシーの低い人を指すことは稀です。

わたしが今回の投稿でお伝えしたかったことは、サイコパシー傾向にある人でも「社会の中で役に立つ」とか、いやいや「迷惑でしかない」・・・とか、そんな議論のためではありません。

中野さんの文章の以下の部分です。

ささらほーさら さんの発言:

サイコパス自体だけでなく、サイコパスの餌食になる人も、なかなか興味深い存在です。サイコパスのウソや奔放な性関係が完膚なきまでに暴露された後も、なぜかその人を信じ続け、支持し続ける人が少なくありません。
自分が騙されていたことがわかったり、犠牲者の存在が明らかになったりしても信者であり続けるー不思議な話じゃありませんか?
実は、人間の脳は、「信じる方が気持ちいい」のです。これもまた、集団を形成・維持する機能の一つと言えるかも知れません。
人間の脳は、自分で判断をおこなうことが負担で、それを苦痛に感じるという特徴を持っています。これは認知負荷と呼ばれるものです。
また、「認知的不協和」という現象もあります。人は、自身の中で矛盾する認知を同時に抱えて不快感(葛藤)をおぼえると、その矛盾を解消しようと、都合のいい理屈をつくりだすことが知られています。簡単に言えば、いったん「これは正しい」と思い込んだことが後から「間違っている」と証拠を突き付けられた場合、人間の脳は「言い訳」の理屈を考え出し、何とか間違いを認めずに済むようにしようとするのです。
何かを信じたら、そのまま信じたことに従い、自分で意思決定しない方が、そうでない人よりも幸福度が高いというエビデンスもあります。それがイイカゲンな宗教であっても、信じる方が幸せ、という人間の本質そのものは変わりません。

おまけ的にサイコパスの話しにズレましたが、サイコパスの嘘の波に乗せられる面々についての記述です。

オフライン

#213 2017年11月16日 12:33:02

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

共感を武器として進化してきたヒトとして「普通」の人々と、自分自身は共感する機能(能力)を欠いているのに共感しているかのように装うことができる「高機能サイコパス」との関係が歪みやすいのは、ある意味では当然と言えるかもしれませんね。

最近の神奈川県座間市の事件も、犯人は共感性が極端に薄いので(したがって良心の呵責とか罪悪感とかがないので)平気で何人も手にかけられる、共感できなくても自分の目的のためには普通の人以上に共感しているように装える(したがって被害者は犯人をいい人だと信じてしまう)、つまりサイコパスの犯行という見方もできますね。実際はどうなのかまだわかりませんが。

宗教に限らず世間で起こっている悪質な詐欺には、サイコパシーの病理が少なからず関与しているようにも思えます。結婚詐欺とか、オレオレ詐欺とか、普通の感覚の人ならできないし、普通の感覚の人だから被害者になってしまうのでしょう。

「信じるほうが幸せ」の程度は人それぞれだと思いますが、そのようなヒトとしての性質を認めた上での対策が必要で、「科学的・論理的に証明できないものを信じるのは間違い(信じるヤツはバカ?)」というヒトの本能を無視した理屈だけでは、問題解決にはつながりませんね。

編集者 iris (2017年11月16日 12:46:42)

オフライン

#214 2017年11月16日 12:38:20

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ちなみに、ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動性障害)とは独立した別の障害(疾患)です。

ASDとADHDが併存している(両方の特性をもっている)子どもで、支援のために両方の診断名が必要な場合はありますが、現在の精神医学の考え方ではASDとADHDとに連続性がある(スペクトラムである)わけではなく、ASDとADHDとの境界が不明瞭であるわけでもありません。ASDはASD、ADHDはADHDです。
(以前はASDとADHDの両方の診断をつけることはできませんでした。今でも併存はないという根強い主張はありますが、実際の診療では併存していると考えたほうがよい症例がたくさんあり、診断は併存可能となりました。)

ASDがスペクトラムであるというのは、旧来の自閉症とその周辺の障害との間に明確な非連続性がないという意味であって、ADHDとは関係ありません。
誤解なさる方がいらっしゃるといけませんので念のため。

編集者 iris (2017年11月16日 17:04:27)

オフライン

#215 2017年11月21日 01:59:34

ユーリ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

連続性(スペクトラム)ということから・・・。

キリスト教が始まって現代に至るまで、多くの分派が存在してきました。

あきらかに、エホバの証人もキリスト教の連続性の結果です。




「人間は社会的動物である」とは、紀元前328年ごろにアリストテレスが著した『政治学』の中に書かれていた一文です。


社会心理学者のゴードン・オルポートは、


社会心理学を「他者が実際に存在したり、想像の中で存在したり、あるいは存在することがほのめかされている


ことによって、個人の思考、感情、および行動がどのような影響を受けるかを理解し説明する試み」と定義しています。




この場合の他者は、実際に目の前に存在している必要はなく、頭の中で他者のことを想像したり、

他者に見られているかもしれないと思ったりするだけで、さまざまな心理的変化を経験することも含まれています。



また、さまざまな極端な事件、たとえばホロコーストや悲惨な事件がなぜ起きたかを

検証することによって、それまで当たり前のように”真実” だと信じてきた事柄が、研究によって

”誤り”だと明らかにされました。


実際、社会心理学では、人が他者の行動について考えるとき、状況(環境)の影響を軽視しがちであることや、

後知恵バイアス(ある事象がおこり、その帰結を知ってしまうと、その帰結は事前に予測できたものとして、

自分の予測能力を過大に評価する傾向のあること)のために、

一旦、事が起こった後では「最初からそうなると思っていた」と考え勝ちで、しかし現実には事前に物事が

そのように進むと予測できることはまれであることが、実験結果として実証されました。



エホバの証人などの団体は次から次へと出現しており、実際にレオン・フェスティンガーという人は、

ある新興宗教集団に潜入調査をし『予言が外れるとき:この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する』

という書籍を参与観察の記録として出しましたが、元エホバの証人である人が読めば、その教団の行動が

予言をはずしたあとのエホバの証人とほぼ同じであることがわかります。


ご存知の方も多いと思いますが、それらは「認知的不協和理論」としてまとめられています。



これは長くなるので、続きはまた書きますが


自分は大丈夫と思っている人で、大丈夫な場合はとても少ないということが実証されています。


詐欺やカルト被害は、とても多いのです。

実際に被害件数に上がっていないものが、どれほど多いか元JWだったらきっとわかると思います。


誰だって、自分の黒歴史を人には言いたくないものです。

詐欺に遭った人も、恥ずかしいし怒られるから、家族にも誰にも言わないで、苦しんでいる人も大勢います。



また権威に対して服従をするという性質は、集団生活を営む人間にとっては、欠かせない性質です。

物事を成し遂げるには、ヒエラルキーが必要であり、そこには必然的に下位の者による上位の者への

服従が含まれます。




人の脳が、実際に目の前に存在していない他者の影響を受け、性質として権威に服従するのであれば

連続性の中にある宗教がどこまでが現実か、妄想かなど判断をつけるのは容易ではありません。

ましてや、こういう場合 つけを払わされるのは、子供たちなのでは。




現在は測定技術の進歩により、脳神経科学の分野で解明されていることが、

さまざまな現実場面に応用可能となってきています。

編集者 ユーリ (2017年11月21日 02:04:24)

オフライン

#216 2017年11月21日 13:19:41

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ユーリさん、コメントありがとうございます。

いろいろ勉強なさっていますね。
ここで共有することで、私たちひとりひとりの考えが深まっていきますように。

オフライン

#217 2017年11月21日 19:26:15

ユーリ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

irisさん、こんばんは。

情報量が多いのはいいことですね。





『予言がはずれるとき』(1956年)


フェスティンガーの実験だけ記述しておきます。

古今東西宗教には救世主の再来、大災害による世界の破滅など さまざまな予言がつきものということで、

信者たちは預言者、教祖の行う予言は信者たちに最悪の結果を回避し、最良の結果を得られるよう祈りをささげ

宗教活動にいそしんできました。

ただほとんどの場合は、予言は外れています。



本来なら、信者たちは予言が外れたことにより、失望し、宗教活動に熱心だった人たちも、意味のないことだと理解し

離れていくだろうと、常識的には考えられますが、歴史的事実を見ると、逆のことが生じていることに

研究者たちは気がつきました。

予言が外れた場合、信者たちはますます教団に愛着をもち、熱心に宗教活動にいそしんできたというのです。


実際、このある女性が教祖となった新興宗教に潜入した研究者たちは、それを実体験しました。

12月のある日に、アメリカに大洪水が起こって、選ばれた人たちだけが UFOに乗った宇宙人に救い出される

という予言が外れたにもかかわらず、信者たちはその後さらに熱心に布教活動をおこなったそうです。

数年の潜入観察で、明らかになったことです。

その後別の研究者が類似の研究を何度も行っていますが、結果は同じようなものだったそうです。



エホバの証人も、何度も予言をはずしていますが、何十年も信者を続けている人もいます。

そして、とても組織に愛着を持っています。

これは信者たちのよりどころとなるものがなくなった場合、極度の不協和を自分たちの内部に巻き起こします。

その不協和を解消するために、手っ取り早いのは、その教団を脱退することです。

ですが宗教活動に費やしたそれまでの時間や労力やお金、また人間関係、などを犠牲に払った人たちは

どうやっても取り戻せるものではないのです。



つまりそういった人々にとっては、教団を辞めるという選択肢ははじめからないので、「自分は教団の信者である」

という認知を前提としながら、その認知と矛盾しない別の認知を作り出す必要があります。

それは、「預言は実は外れていないのだ」という認知だったり、

「預言が外れたのは、自分たちが熱心に祈りをささげたからなのだ」 だったり、つまりは私たちの教団は

素晴らしいものなのだと、認知だったりします。




それだけでは足りない場合は、さらにはますます熱心に布教活動を行うことにより、

信者の数を増やすことで、私たちと思いを共有する人達がこれほどまでにいるのだから、

この教団はすばらしい教団に違いないという認知を作り出すことになります。

「認知的不協和理論」です。



傍から見ると、あきらかに矛盾していることや、厭わしい行いが教団内で行われているとしても、

それを認知しないことは、その矛盾から逃れるために無意識に行われることだと観察することができます。





だから先に脱退した者がいくら教団内にいる信者に、「預言が外れてるじゃない!」とか、

「教団内で、児童の性的虐待が相当数行われているし、裁判にもなっている」と、訴えても

まったく動じないのです。




私の友人の元JW2世は、組織を離れるときに自分の弟から「今までがんばってきたのに、もったいない」

と言われたそうです。

間違っているかいないかに関わらず、それまでのコストを「もったいない」と考えるのでしょう。



人が常識的に考えると、予言をはずす宗教から離れるのは当然と思うでしょうが、そうではないのが現実のようです。


これは宗教に限らず、現実の生活の中でも多く見られます。


傍から見るとわかるのに・・・、ということでしょうね。

オフライン

#218 昨日 12:30:45

ユーリ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

実は、NHKの100分de名著 「聖書」では、一神教のはじまりについて、この上記の原理で説明してありました。


私は社会心理学の基礎の教科書から書いたのですが、その番組では北のイスラエル王国が滅びたときに

一旦多くの民が離れましたが、それまで仕えていた一部の人々の考えを解説していました。


自分たちが苦境に陥った時(つまり、予言がはずれたときと同じです)→

「駄目な神に仕えているわけには行かない」→「神が駄目なわけではない」→

→「自分たちが悪いので」→「原罪」の概念の誕生→「どんなひどい目に陥ろうとも、神はなにもしてくれない」→

→「自分たちが罪の状態にあるからだ」→「神はなにもしてくれないという議論は起きない。」



これで、何が起こっても、神から離れる理由はないということになります。



番組内の例えでは、DV夫を持つ妻は「私が悪いので、夫はDVを振るうのだと。夫は悪い人ではない。

だから、離婚しない。」と考えるということです。




驚きですが、納得です。


歴史的には、こういうことはよくあることだけれど、ひとつの国家としておきたのはユダヤ民族が初めてでした。

そういう点で、特別なことで、当然そういう考えについていけず、離れた民は多くいましたが、

そういう人たちの記録は残っていないのです。



支配のためのシステムが構築されたというより、自己を守るための悲しい認知のシフトだったんですね。



どんな苦境に陥っても、それは神のせいだとはならない。

土地や神との関係を具体的に表現できるものが、すべて奪い去られても、神との思い出がある。(出エジプト)

またあのすばらしい日々がくるのではと。

苦しければ苦しいほど、追い求める心理が切ないほどわかります。


どれほどの人が、神の沈黙の中で、来るはずのない救いを祈り求めたのでしょう。

何度、神に対する深い愛の表明をしたでしょうか。



私自身が、苦しい中で神を祈り求めていた過去の姿に重なります。



今は正しい情報が得られていることは、本当によかったと思っています。

編集者 ユーリ (昨日 12:33:35)

オフライン

#219 昨日 17:31:00

ユーリ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

比較認知科学より

迷信行動

日ごろ私たちは、縁起を担いだり、おまじないをしたりといったさまざまな奇妙な行動をとります。

それらが非科学的な行為であることを認識しているにもかかわらず、やめようとしません。

このことを、人がもともと宗教心や信仰心を持つものとして存在しているということだと結び付けるかもしれません。


スキナー(1984)は、ハトを実験箱に入れ、ハトが何をしようが無関係に15秒に一度、食物を提示しました。

するとハトは、ひたすら待っていればよいだけであるにもかかわらず、ぐるぐる回る、床をつつくなどの、その固体(ハト)によって異なるさまざまな行動を繰り返し見せるようになりました。

これを、食物の提示前に生じていた反応が偶然強化された結果であると考え、迷信行動と名づけました。


いったんこうした無意味な行動が強化されると、その出現頻度は高まり、その結果さらにその行動が強化される機会が多くなりました。多くのルーティーンはこのような偶然の強化の結果生じたものかもしれません。


しかもこうしたルーティーンは、強化との因果関係はないのですから、毎回強化されるわけではなく、間欠強化を受けます(間欠強化:心理学的用語で、犬のしつけのときなど、同じ行動のあとに毎回同じ結果を与えるよりも、間が開いたほうがさらに強く印象付けられること)

そうすると、こうした迷信行動はますます強固になっていきます。

雨乞いや人柱やさまざまな恐ろしい宗教的儀式も、もとをたどればこのような偶発的強化によって形成されたものかもしれません。



ハトがとった行動から、人間が超自然的な因果関係を求めはじめるようになった経緯が理解できました。

(もちろん、これだけの観察結果だけでそのように結論付けたわけではありませんが、顕著な点を載せました)


現在は、人柱と雨に関連はないとわかっていますが、それでもいろいろな迷信や儀式が残っています。


科学の解明が進んでいくのをみていると、誤った方向への労力が減らせて

そういった迷信などに苦しめられていた人や、無駄な出費をさせられていた人たちが

開放される日が近いかもしれないな・・・と、思います。

オフライン

#220 今日 00:02:57

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

安定した人生という観点では、人間には宗教が必要だろうかとか、人に幸福をもたらすのは宗教か科学かを論ずるよりも、寧ろプライオリティ(優先順位)を重要視したほうが、余程人生がうまくいくような気がします。

どういうことかというと、先ず物質世界に生きている我々は、何といっても食わなければ生きていけない。
つまり、自分や家族を養うためには一生懸命働かなければならない。そして労働を通して世の中に貢献し、世の中から学ぶ。
次に、その結果として余剰の時間や金銭が生まれたなら、ゆっくり休み、好きなことや楽しいことをする。
次に、さらに余裕があるならば、身近な人を助けたり親切にしたり元気づけたりする。
宗教や精神的なことを考えるのは、その後でいい。
科学は、それらを円滑に遂行するための道具に過ぎないという位置づけ。

精神が病み、生活が破綻し、一家が離散するケースが少なからず見受けらるJWは、このプライオリティを間違えている。

また、科学は快適な生活をもたらし、悪しき慣習から人々を解放してくれたが、マイナスの副産物もある。
現代レベルの科学でそれを至上としてよいのか、効率や損得を追求する合理主義に盲点はないのだろうか、という姿勢は保っておく。

かなりざっくりとした個人的な意見ですが。

明日から4連休。
ここ数週間、忙しくてヘトヘトになってしまったので予定は入れてません。
天気も悪そうなので、蔵書の多い最新の図書館に入り浸って、本を読み漁りたいと思います。
そしてその図書館の近くには通い慣れた飲み屋があり、夕方はたぶん一杯引っかけるでしょう。
勝手に行ってこいという感じですかね。
こんなことに、ささやかな幸せを感じてしまいます。

#221 今日 08:04:08

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎さん、コメントありがとうございます。

宗教を絶対視するのでもなく、科学を絶対視するのでもなく、偏りのない見方ができるとよいですね。

図書館に入り浸って読書三昧とはとても羨ましいです。充実した連休になりそうですね。お酒もさぞ美味しいことでしょうね。

オフライン

#222 今日 09:30:12

ユーリ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎さん、4連休いいですね。

三太郎さんの言われていることと、ほぼ同じことを紀元前5世紀ごろに語った人がいます。

釈迦です。

こういう感じです。

「毒矢が飛んできて体に刺さり、毒が回りだしました。そのときに、人間は何を考えるでしょう。

たとえば、毒矢はどこから飛んだ北のだろうか?

あるいは、この読破どんな毒だろうか?

誰の仕業だろうか?

などなど。

毒が刺さったことで、いろいろ考え悩むことは増えたでしょうが、その前にやるべきことがあるはずです。

それは、まず矢を抜きなさい、ということです。」


つまり、あの世について語ること、その前に将来について語ること、それはすべて妄想だから、

目の前にあるやるべきことをやりなさいという感じでしょうか。

釈迦は、「あの世はない」とか「霊魂はない」といったことを直接的には言及はしていないようです。

それを語ること自体が無駄なことだ、それよりもやるべきことをやれ、だそうです。

元来、釈迦の教えは西洋的な定義では宗教ではないです。



ちなみに、キリスト教世界では長い間、釈迦の教えのことを「悪魔の宗教」と呼んでいました。

神を否定する釈迦が生み出した仏教が、キリスト教徒たちの目には邪悪なものに映ったのでしょうね。

釈迦は悪魔の存在も否定していますけど。

神も悪魔もいない釈迦の教えは、人を脅したり支配する影響力がないので、宗教としては弱いです。


また、釈迦は悟りを開くために修行することを「無駄」といって否定していますし、お経を唱えることも否定しました。

彼は死ぬ前に弟子たちに、自分の教えが誰にでもわかるように、生きた言葉で語って伝えるようにするようにと言い残しました。


ですが残念なことに、経典はサンスクリットで現代に伝えられ、単にお経を唱える宗教に変わってしまいました。




死んだらどうなるか・・・、


現存しているヒトは、当然 生きるために必死に戦ってきた種です。

今までに絶滅した生物の中でも、きっと最高度に、死なないために頑張ってきたでしょう。

結果的に「死ぬこと」に対する恐怖心は強く、転じて「死んだらどうなるか」ということをものすごく考える生き物になったんでしょうね。


でも、平衡の取れた考えをもった賢人たちは、死に対する見方について、死をむやみに恐れる必要はないということを

伝えたのだと思います。


残念なことに、その賢明な考えは弟子たちには伝わらず、

今では権威主義な宗教ばかり残ることになっているのかもしれません。


科学的な思考ということは、実証性のあること、つまりは客観的に見ることだと思います。

それは人間性を否定しているわけではありません。


闇を恐れすぎて、疑心暗鬼になって、争いや人間不信が広がっている中で、

その闇にほどよく光を照らして、普通に対処できるようにしているのが科学かもしれません。


その方が安心していろいろなことを楽しむことができるのではないでしょうか?


びくびく怯える子供の時代はすぎて、「大人」になる時期が近い将来くるといいですね。


そのような中での、子育てはとても楽しいものでしょう。


お酒もさぞかし美味しいでしょうね。(今でも、美味しいですけれど)

編集者 ユーリ (今日 10:56:37)

オフライン

#223 今日 12:46:03

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

釈迦は筏の譬えも語ったとされていますが、何かの聖典や団体をいつまでもありがたがって担ぎ続ける「修行」で精神が病んだり一家が離散したりするのは、どこか間違っていますよね。

#224 今日 15:02:19

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

仏教は「こだわるな!」という教えであると説明している人もいます。端的でわかりやすいですね。

何事も固執しないことが大切なようです。

オフライン

#225 今日 16:00:40

ユーリ
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ジョエルさん。

自由に考えられるための先人の知恵を、人を苦しめて、縛り付ける重荷にしてしまう。

そういうものに、振り回されないようにということでしょうね。



irisさん、釈迦の教えは、神が人間に寄せる無条件の愛といった、

人間の心に強烈に突き刺さる幻想を売り物にはしていません。


むしろ、人間にまとわりつくそうした幻想を徹底的に剥ぎ取り、

その足かせやくびきから自由になることを教えています。



その意味で、その教えは宗教的には非常に貧弱です。

だから、弟子たちはその後、道教やらさまざまな宗教と混ぜてしまったり、

女性の宗教家を否定したり(釈迦は女性を出家させたりと、当時の仏教界でも、現代のユダヤ教や

キリスト教でもなかなかできなかったことを数世紀も昔にやっていたそうです)釈迦の教えを実践することが

できなかったようです。



科学はその点を、実験と実証とで私たちに理解させてくれます。


すべての人が、実験や研究ができるわけではありませんが、情報は誰でも調べてみることができます。

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