ログインしていません。

#476 2017年02月22日 23:27:00

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

「脱塔」という単語に久しぶりに反応してしまいました。

TBSテレビで坂上忍をMCに据えた「好きか嫌いか言う時間」というトークショーが月曜日に放映されています(私、けっこう好きです♡)

https://www.youtube.com/watch?v=7K-LqEovnBY

2/20(月)のお題の一つは「北朝鮮」でした。韓国では「脱北美女トークバラエティ」という実にエグい番組が人気を博しているそうです。21世紀に入ったあと脱北してきた人々のうち、見栄えのする若いお嬢さんたちを選んでヒナ壇に並べてインタビューしていくという結構ヤバい番組です。

一人は、一般市民に宣伝カーからウグイス嬢(いや、例のおばさんアナウンサー)よろしくスピーカーで、政府のプロパガンダを喋り続ける仕事をしていたとか。「あんだけプロパガンダをがなった翌日、ワタシ脱北しちゃったんだけどね (>_<)」とかテヘペロしている美人を見て、気楽に大笑いできなくなりました。

ヤメ JW そっくりじゃん! 情報統制も立派な建物も貧乏生活も……

興味のある方は上記URLをどうぞ。

#477 2017年02月23日 13:29:02

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

いまでこそものみの塔の教えを振り捨て、
脱出することを「脱塔」と表現していますが、
わたしがJWICに書き込みを始めたころ、
「霊的脱北者」と北朝鮮をもじって表現していた人もいました。
言いえて妙、ぴったりの表現だと今でも思います…。

オフライン

#478 2017年02月24日 10:46:13

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

最近知り合うことになった脱塔者は
二児の母親で20代半ば珍しく一世の現役JWでした。
彼女が脱塔を考えるようになったのは年金問題だったそうです。
自分の母親と同じ年くらいの女性JWが
彼女に向かい「年金に入っておけばよかった」とつぶやきました。
いろいろなところで時々話題になっていることですが、
多くのJWは自分が年金をもらうような年齢にならないうちに
ハルマゲドンが到来し、楽園になると信じ込まされているので、
年金に加入しないか免除の申請をしています。
開拓奉仕やべテル奉仕などしていては、
掛け金を支払えるような収入を得られないでしょう。
その脱塔を考えるようになった女性は
「なんだ年金にも入っていないのか」と思ったそうです。
多くの場合年金は高齢になってから給付を受ける
と浅い知識しか持っていない人が多いです。
JWでなくてもそのような人は多いのが現状です。

実のところ高齢に達する前でも、事故や病気などで
障害が固定され年金の給付を受ける資格を認定されれば、
受給者になることがあります。
決して高齢者になったときにだけ有効というわけではありません。
実際、学生などそのような取り決めを知らないで、
加入せず障害者になって、無収入というケースが多かったのです。
高齢になったJWで無加入者は多いでしょう。
最後は生活保護を受けることになります。

偽預言をあてにするあまり将来の見通しを誤ったわけです。
そのつけを組織でなく政府に追わせる
宗教にこれ以上かかわるのは身の破滅を招くことになるでしょう。

編集者 ラハム (2017年03月03日 06:15:42)

オフライン

#479 2017年03月01日 08:02:49

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

中野っちさんのブログからの転載です。
説明がなければどこぞのアメリカ生まれの
キリスト教かと思ってしまうところですね…。
-以下、引用です。

イスラム教過激派の教えです。

自分が属している宗教と類似点があるか、調べてみましょう。

情報ソース http://avoidjw.org/2015/02/jihad-jehovahs-witnesses/

イスラム教過激派

霊的な指導者の元、イデオロギーを広めるための
プロパガンダが用いられ、多くの信者が誘導される

神からの導きがある、と説く

絶対服従を要求する

他の宗派の人たちを改宗させる

世の中に抵抗することは、聖なる奉仕であり、神のご意思である、と説く

外界と隔離された生活をする。外の世界はサタンに支配されている、と説く

結婚相手は同じ信仰を持った人とだけしか許されない

高等教育を強く否定する

組織の権力構造に従うよう、強く促される。
ローカルなレベルの長であっても、神と同じであると見なされる

信仰に逆らうことを言ってはならない。
信仰に疑念を抱く者は死に処せられる。

子供にイデオロギーを教えて育てる。外の世界は邪悪であり、
やがて滅ぼされると教える。

指導者は神の代弁者である、と唱える

救世主を待ち望んでいる。

男性優位の社会である。

女性は従属する立場である。

女性は結婚前の性交渉を厳しく禁じられる。

イデオロギーを守るためには、
間違った情報を与えて敵を誤導しても良い、とされる。

オフライン

#480 2017年03月03日 01:36:15

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

>実のところ高齢に達する前でも、事故や病気などで障害が固定され、年金の給付を受ける資格を認定されれば、受給者になることがあります。

ラハムさんほど重度のハンデを負わなくても、若いうちに年金のお世話になる可能性は少なからぬ人々にあります。

私はわけあって障害者手帳を持つ身となり障害者年金「受給者」になってしまった身分の者ですが、初めて認定が下りて受け取れる権利のあるはずの年金額を聞いて腰を抜かしました。数千万円の額に上るのです(実際は「時効消滅」という制度のせいでその満額を受け取ることはできなかったのですが、それでもバカにならない金額の遡及年金を正当に受け取ることができました)

本来、年金を受け取る側に回ることはハッピーでも何でもないことではありますが、高校卒から生真面目に国の制度に従ってキチンキチンと毎月(当時は¥8,000/月でも開拓者には安くはなかった)保険料を収めていたおかげで、障害を抱えた状態で新たに職を探したり、ありついたとしても毎月十分とはいえない額の賃金しか得られない職場だったりしてもメチャクチャ焦ったりはしない程度の補助金を国から支給してもらえる……これはカエサルに感謝感謝、ですよ。

とかく若い人々は自分が受給者になるのは40~50年先だと決めつける傾向が強いですが、ラハムさんの指摘はすべての人が重く受け止めるべきです。下手すりゃ明日、年金を「受ける側」に回る可能性があるのですから。掛ける側ではなく、ね。

あなた、あなたですよ!

#481 2017年03月03日 19:41:00

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

エホバは荒野をさまよっているイスラエル人に
天からマナを降らせて養ってくださいました。
現代のJWにマナは降ってきません。
お金も降らせてはくれないのです。
自助努力を要求されているのでしょう…。

統治体もお金集めに必死の努力をしています。
お金が降ってこないことも
湧いて出ないことも知っているのです。
もちろん、自前で印刷できません。
組織の誇る印刷設備をもってもです。
まったく皮肉ですが…。
全能者エホバもさすがにお金は降らせてくれません。

初代ものみの塔会長ラッセルは
「山々の銀と金は我がものである」という方が
必要な資金を供給されないときは出版を中止するときである、と、
明言しています。ついにその時が迫っている兆候があります。

現役JWの皆さん、
統治体のお金集めの方法を学びましょう。
統治体はJWの見倣うべき信仰の模範ですから…。

編集者 ラハム (2017年03月03日 19:44:31)

オフライン

#482 2017年03月03日 22:26:19

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

>「山々の銀と金は我がものである」という方が必要な資金を供給されないときは出版を中止するときである

…うん、もしかすると私はラッセル兄弟のこの潔さに憧れて、いろんなややこしい疑惑をもハネつけて現状に留まっているのかもしれません。

そして「山々のオーナー」が出資するのをやめようとしている今、出版が ―― ひいては運営そのものが中止されたとしても驚いてはいけないのだと思います。

総合フォーラムの「ベテル奉仕者たちアレコレ」で最近書いたこととダブりますが、海老名ベテルの「静けさ」をじかに目の当たりにして、さすがに私も気持ちがそそーっと冷めていくのを感じました。とにかく「人がいない」。以前は地域大会前とかの「発表文書繁忙期」みたいなワイワイガヤガヤした時期もあったのでしょうが、現在の地区大会の発表出版物は “ブツ” ではなく3日間とも「配信開始のお知らせ」で済ませてしまうので、もはや大会前に人手が必要になって「臨時バイト募集」をかけなくてはならないという場面すらなくなってしまったようです。要するに「人は要らない」。

新しいプロジェクトが生じたらその都度、招集をかければいいし、コミューター、リモート、コンサル登録奉仕者が確保できれば彼らに海老名に来てもらう必要すらない(=「神の家」に住まわせるコストが不要)

大食堂で食事を囲むのは毎回ローテーションで100人前後、それ以外の400人は朝のプログラムの配信を見ながら自室で食べる。ハウスキーピングサービスは廃止されたので部屋に戻ったら各自でお掃除。晩ご飯もパントリーから食材をピックアップして、自室の電子レンジとボータブルIHコンロで自炊。

ほんとに「人が要らない=いない」方向で物事が進んでいます。1990年制作のVHSビデオに映っていたブルックリンや農場で楽し気に働くベテル奉仕者たちの姿はもうありません。だって畑で作るより買った方がずっと安上がりだから。

世の中全般がどんどん自動化・無人化していく流れにあるのは知っていますが、その時流にJWがホイホイ乗っかってどうするよ? 月並みな言葉ですが「活気」を感じられなくなった団体に魅力を感じる人々は少ないと思います。そして肝心の資金もジリ貧になるのは時間の問題でしょう。

大きなお世話かもしれませんが、何十年もベテル奉仕をしてきた重鎮の兄弟姉妹たちが続々と働けない・動けない年齢に入っていった時どんな扱いを受けるのか、お察しします……

#483 2017年03月08日 22:07:39

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

年金 ➡ 転じて生活保護(公的扶助)について:

例の「好き嫌い」の番組で、「生活保護当事者=受給者 & 支給する窓口担当者」たちが発言を求められる回を見ました。ネットスラングで受給者のことを「生保=ナマポ」とか蔑むような安易な分析ではなく、普段の月給プラス一万円・二万円レベルの上乗せ(こういう人々も受給者と呼ぶ)で何とか食いつないでいる切実なケースから、よく知られた「働けるのにそれを拒んで怠けて無所得 ➡ 生活できないから受給」みたいなけしからんタイプまで、実にグサグサと胸に突き刺さる討論です。

中でも最も痛かったのは、自筆のルポを時おり出版社に持ち込んで原稿料を受け取りながら月平均¥120,000の保護費を「きちんと正規の手続き」を経て受給しているフリーライターの30代男性。自身が受給者であるというコネを生かして「生活保護者の実態」的な内容の記事に持ち込んでは、採用されるたびにいくばくかの収入を得て(例えば¥30,000で売れれば)それをきちんと行政に申告し、その月は120,000-30,000=¥90,000の支給額で我慢する。彼のその月の収入は12万のまま。

本人も認める通りまだ若いし病気じゃないし、もっと稼ぎのいい仕事に就こうと思えばできないわけじゃない(これを「能力の不活用」と呼ぶそうです)けれど、「私はライターであり続けたい。そのために合法的に活用できる制度があるからそれを利用しているだけです」と彼は言います。

……ここまで読んで、皆さん何を連想しましたか? そう、もっと稼ごうと思えばできなくはないが、私は全時間奉仕者であり続けたい。だからこの単価の職×このくらいの時間しか労働に費やせない。でもこの金額じゃ生活には困るから行政さん、生活保護費を支給して下さい。私は日本国民です。憲法で定められた「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有します、申請権があります……

スタジオにいた博識のロシア人が意味深なコメントを残しました:彼はべつに悪いことをしているわけじゃない。いわば日本は彼の夢を応援してくれる制度を備えた国だ。その制度を彼は正当に活用しているだけ。日本政府が法整備して目指した結果がこのライターのような人物なのだ。高度成長を経た結果、日本はこんな余裕を持った素晴らしい国にたどり着けたんじゃないのか……

実に理路整然とした文句のつけようがない指摘です。が! 真っ当なJWとして生きていきたい伝道者がこの説明に素直に納得するとは到底思えません。

>「なんだ年金にも入っていないのか」と思ったそうです(by ラハムさん #483)

今や国民年金を満額受け取れたとしても、生活保護支給額を大きく下回る金額になり果ててしまいましたが、額はこの際、問題ではありません。「夢」を追って自分のやりたいことを追い求めた結果、生活に困窮してしまった。内容はJWの全時間奉仕者だったり、フリーライターだったり、売れないお笑い芸人や劇団員やスポーツ選手だったりする。で、生活が苦しくなった場合、あなたならどうする?

日本には「生活保護」という“素晴らしいシステム”があり、書類を不備なく虚偽なく整えれば住んでいる自治体が受理してくれて、翌月から¥150,000前後のおカネが支給されるらしい。活用する? 所得税ろくろく収めてないけど? 長年、年金・健康保険料チャラにしてもらってるけど?

エホバの名に向く非難の視線を考えたら、私にはできません。アラフィフに達していたとしても、選択肢に残ったのがペイの悪いキツい仕事だったとしても、必死で保険料収めます。「カエサルのものはカエサルに」返せるうちは返そうとします…たとえバックされる金額がしょぼいものであったとしても。

#484 2017年03月09日 01:32:04

鬼太郎
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

ここで蛇足として投稿します。
そのライターの方のことです。ライター です。ここが彼の強み そして役人の弱みです
つまり、役所としては『働けるなら、もう少し働いて保護を止めることは考えませんか?』と
言いたいはずです。しかし、弱みがあります。彼はライターです。
例えば、ICレコーダーで録音されたり、スマートフォンで動画を取られて、それをライターとして
『保護を打ち切ろうとする冷酷な役人 暴言 脅迫 脅し云々』の記事を書くことも可能。
他の生活保護のメンバーからも取材して一大キャンペーンも可能です。
そんな立場の彼は別格に扱われているはずです。こんなこと、彼も言わないでしょうね。

オフライン

#485 2017年03月09日 12:44:08

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

なるほど、「別格」扱いか……一理ありますね。

このテの “仕事” をしている申請者にうっかりした応対をしたら、あとで何書かれて世論の集中砲火を浴びるか分からないからビビってる、というわけか……。

開拓者という無給ボランティアをしたいので支給してくれ、という申請者は……彼ほど強くはありませんよね (*_*)

#486 2017年03月09日 18:19:07

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

わたしの知りうる限り全時間奉仕をしていて、
生活保護で生活資金を補っている人はいませんでした。
みなさん、働く時間を削って奉仕していたので
低収入の状態を甘んじていました。
はじめてそのような生活の仕方があるのを知ったとき、
すごいなあと思いましたよ…。
ただ、知り合ったJWでわたしと同じ脳性まひの
独身男性は生活保護で正規開拓をしていました。
重度で賃金をもらえる仕事はできなかったのです。
中には開拓できても、仕事ができないのは変だという
意見もあったのです。奉仕時間は仕事と違い
能率は要求されませんでしたし、
手紙を書くなど自分なりの仕方でよかったのです。
仕事をしないことは変だと主張する人は、
わたしたちに可能な仕事を提供はしてくれないのです。
世の人でもそうした人はいますが、
JWの中で思いやりと理解ないことにがっかりしたものです…。

オフライン

#487 2017年03月09日 23:48:43

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

>わたしの知りうる限り全時間奉仕をしていて、生活保護で生活資金を補っている人はいませんでした。

そう、そこなんですよ。

私は個人的にここのサイト、肯定的に読んでいるんですが、ナマポ(生活保護受給)について言及したコメントの中に「十分元気で働けるのに、選んだ世俗の仕事のペイが悪くて生活が維持できず、福祉の世話になっている開拓者がいる」かのように発言しているのが混じっていて、そこがモヤモヤしていたんです。

私もちゃんと個人的に知っている現役開拓者の中に自治体からの生活保護受給者はいません。ただ、自らの稼ぎが芳しくないので実家の親が見かねていくばくかの援助をしている若手、はたくさん知っています。それはそのご家族の判断ですから、我々が外からどうのこうの言う筋合いはありません(印象は悪いですが)

芸術家・ライター・アスリート・棋士・芸能界の何か……そういった特殊で成功の保証がない職業を目指す人々は高校や大学を中退し、貧乏暮らしをしながらきついアルバイトで日々を賄い、時には親兄弟を頼って借金をしてまで「夢」を追う。

そしてある年齢に達して「もう限界だ」と悟った時、大部分は潔く足を洗って正業に就き、福祉には頼らない(手にする金額が生活保護を大きく下回るとしても)。だって自分で覚悟して選んだ道だから。もちろん例外はいますが。

たぶん問題になるのは、古くから(特開を含む)開拓奉仕に明け暮れ、年金の制度を無視して(面倒がらずにキチンと納付免除申請をしてればゼロにはならないが「無意味だ」と考えてか)何の手続きもせずに古稀を越えて、はて?まだ事物の体制は続いてるぞ、どうしたものかしらん?……みたいなケースに限られていると思うんですよね。

で、生活保護制度のJW版が「時間を考慮された特開者」とか、「決議に基づく○○姉妹のための会衆基金からの支出」とか、「任地で最晩年を迎えて帰る故国もない宣教者を介護するベテルの設備」とかになるのでしょう。国の福祉にこそ頼ってはいませんが、「災いを見て身を隠す」ことを怠った結果、ならなくてもよかったはずの会衆の皆さんのお荷物になっちゃった。

以前どこかで書きましたが、ウチの死んだ父親の「要するにキミらは壮大な互助会を形成しようとしているんだね」という痛いコトバが身に染みます(苦)

#488 2017年03月10日 18:29:29

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

年金は一円も掛け金を支払わずに受給できるのです。
1,000時間奉仕者さんの言われる通りなのです。
ただし、掛け金支払い免除を申請する必要があります。
事情によって支払い免除が認められれば、
免除期間も加入していたとみなされます。
もちろん、掛け金を支払ってきた人たちより
ぐっと少額にはなるのですが、受給できる制度です。
たぶん、政府の説明の仕方にも問題があると思うのですが、
こうした制度だということをJWも含めて
知っている人が少ない現状があります。

わたしの知っている範囲ですが、
現在の年金制度が発足したのが昭和36年ごろで、
家族で高齢者もいっしょに生活するのが当然の時代でした。
だから、生活費というよりは経済的な意味で、
家族のお荷物にならない程度の
収入を確保するためだったそうです。
だから、国民年金はいまでも少額ですね。
わたしが受給している障害基礎年金でも生活できません。
少額すぎて家賃も賄えないかもしれないのです。

厳密に言うと年金加入は「義務」ではないと思います。
でも、日本国憲法に保証されている
「最低限度の文化的な生活を保証する」ということで、
生活維持の保証を「権利」として生活保護を申請するなら、
年金の受給の取り決めにも従って、
法的に必要な手続きをすべきでしょうね。

わたしの父は未信者でしたが、あるとき
「君は『権利』を主張するけれど、『義務』は行わない」と
知り合いから言われたことがあったと、話してくれました。
そうとうショックだったようです。

キリストは、
「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに返しなさい」
と教えてくださいました。
自分は神を代表するエホバの証人だと信じているのなら
この聖句を意味深長に考慮するべきではないでしょうか…。

編集者 ラハム (2017年03月10日 18:36:46)

オフライン

#489 2017年03月11日 00:31:22

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

>「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに返しなさい」と教えてくださいました

至言です。

おっしゃる通り「厳密に言うと年金加入は『義務』ではない」です。所得税のように月給が振り込まれる際には前もって天引きされていたり、買い物する時には¥108.-になっている「税」とは違います。

でも私は社会科で年金の基本的構造を普通に習ったとき、これは事実上の税金だな、と思いました。医療を受ける時、本当はベラボーな金額が発生しているにもかかわらず10%しか払わずに済んでいる(私が在学中は社保=父の勤務先の健康保険証では一割負担だった)のは、ひとえに父が保険料を強制的に天引きされているから。

もし父の扶養を離れて一人でやっていくとすればそれを自分で払うことになる。しかも窓口で支払う金額は3倍。でも健康保険料ぜんぜん払わないよりマシ。十割払うとすれば開拓奉仕なんて破綻するに決まっている。JWしてれば病気やケガをしないで済むなんて保証ないのだから。

年金だって同じこと。毎月¥8,000はイタいけど、それは自分の将来のためというよりは、今のお年寄りを養うため、そしていつ来るか分からない自らの「災いの日」のため(私は思いもかけぬ若さで自らのために納付したことになってしまったが)。

ラハムさんの言葉どおり、日本政府の説明というか教育というか、は片手落ちなところがありますが、大学受験勉強ほど難解な内容ではありません。また、真面目に何十年も保険料を納めてきたのにスズメの涙ほどしか受け取れない、という問題は厳然としてあります。

が! やはり「年金=税」と考えるべきです。トランプに交代してオバマの努力がチャラになってしまい、国としてのアメリカでは健康保険制度を準備してくれないそうですから、自らと自らの家族の健康を考え、輸血なしで受けられる治療方法のバリエーションを広げるべく?保険に入っておくのはマストです。

日本も似たようなものです。生活保護制度もありますが、それをアテにした生活設計をしていてどのツラ下げて家々を訪ねられましょうや?

#490 2017年03月14日 18:09:44

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

なんだか、福祉の生活保護講座、年金講座のようになってきました。
でも、現役組、覚醒組、脱塔組にもいつ必要になるかわかりません。
どこかで話しましたが、20年ぐらい前紹介で付き合った
女性JWは年金の必要性に気が付き、40歳ぐらいでしたが、
掛け金を支払い始めたといっていました。
彼女が現在どうしているのかわかりませんが、
生き延びていれば掛け金が生きてくるでしょうね…。

と思えば、わたしのアパートの二階に住んでいた女性は、
もうじき年金を受けられるところまで来ていたのですが、
一銭ももらうことなく病死してしまったのです。
彼女は未信者でした。30年以上掛け金を支払ったと思います。
でも、田舎に帰ったら年金では生活できないから、
玉の輿に乗りたいと何度も言っていました。
だれか、お金持ちで老人でもいいから自分をもらってくれないかと
たぶん、本音でしょうね、生きるために、そう言っていたのです。
長いこと掛け金を支払い一銭ももらえなかったので
さぞ、無念だっただろうとわたしは思ってしまいます。

しかし、彼女が支払った掛け金は無駄だったでしょうか。
彼女が受給できないことだけ考えれば、無駄という表現もありです。
でも、1,000時間奉仕者さんが述べているとおりですね…。
もし、一つの会衆で困窮している人の生活費すべてを
捻出することになれば…。
あるいは、ひと家族の中で困窮している
親や兄弟のために生活費を捻出することになれば…。
そうとうな負担が生じるでしょう。共倒れも…。

集めた掛け金を政府が配分しているので、
払うほうには多額に感じても
実際は軽い負担になっていると思うのです。

わたしたちが認識したいのは、自分が支払った
年金の掛け金や税金などは、自分と自分の家族、霊的な仲間を
養っていることに貢献しているということです。

奉仕に明け暮れて、もしもの場合を考えていない
現役の皆さんは、じっくり黙想することをおすすめします。

オフライン

#491 2017年03月20日 16:57:38

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

現役であっても、脱塔考慮中であっても、
脱塔した後であっても、
生活保護受給の必要が生じるかもしれません。
何かの拍子に人間関係が崩れるようなことが生じ、
あるいは失業するかもしれないからです。
脱塔するということは慣れ親しんできた人間関係が
失われることを覚悟する必要があるからです。
仕事面でも巻き込まれる場合もあるのです。

生活保護を受給することは決して恥ずかしいことではありません。
やむを得ない事情で困窮してしまう人を援助するために
日本国政府が定めている法律だからです。
最近知り合ったJWでない友人は住む家があります。
それは土地・家屋を相続しているからです。
土地・家屋は彼と彼の肉親の兄弟たちの所有物です。
そのような状況で日々の糧を得るための貯金のような
費用が底をついたら、生活保護を受給できるのでしょうか。
これは、前から疑問だったことです。

そこで、福祉事務所に行く用事ができたついでに、
担当者に質問することにしました。
その回答は事情にもよるけれど、
受給できるというものだったのです。
担当者としては土地がある場合、売却するよう
説明するということでした。
ここで、相続人が幾人もいて、
売却する同意が得られない場合、どうすればいいですか、
と、現実に生じる問題を聞きました。
その場合も相談に応じるので、
ぜひ、相談に来てほしいということでした。

一方、受給者が65歳以上の場合、
土地を担保にして生活資金を受給できるというものです。
担保にした土地は受給者亡き後、売却されて、
受給された生活資金は政府に戻されるようです。

以前は、住所不定で住居が定まっていないと
生活保護費は受給できませんでした。
また、持ち家があると受給できないと思い込んでいる
場合もあったようですが、柔軟な対応に変化したようです。

最初から受給できないとあきらめないで、
福祉事務所で聞くべきでしょうね。
わたしは現在受給する必要はありませんが、
将来的には必要になるかもしれません。

脱塔する際、どうしても必要であれば
政府の助けも活用なさってください…。
上位の権威は「あなたの益のための神の奉仕者であり」
「神の公僕」であるとパウロも述べてくれているからです。
(ローマ13:4,6)

オフライン

#492 2017年03月21日 21:20:46

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

>脱塔する際、どうしても必要であれば政府の助けも活用なさってください…。

グサっとくる一文です。というのも、私もとある貧しい伝道者に付き添って役所に出向いたことがあるからです。まだ高卒直後、自分の生活基盤もおぼつかない(しかし責任はない)若いころ。

親類縁者がいなくて貧しくて病気がちでちょっとメンタルにも支障がある兄弟。ペーペーの私にできることなど送迎と相談窓口同席くらいなものです。

我々の住んでいた自治体はそれほど不親切なところではなく(また時期もバブルの残り香がするような行財政も厳しくなかった時代)、そばで見ている限りでは窓口職員とのやり取りはそれほど難航してはいなかったと思います。

大変だったのは「書類」。具合が悪くて働けないから申請に来ているのに、拷問のように大量の書類を書かなければならないのです。係員の目の前で、という条件付きで私が代筆するのを許してくれました。それでも「あれが足りない」「この証明書が必要」と言われる度にあっちの窓口、こっちの建物…とかけずりまわりました。初めての経験だったので無我夢中で、気がついたら閉庁時間まぎわ。

だからといって、これだからお役所は……などとは感じませんでした。むしろ公金を支給してもらうためには誰からもどこからも文句のつけられようがない手続きを踏まなければいけないのだ、ということが骨身に沁みました。

現在はあれほど面倒なペーパーワークを要求されることはない、と聞いています(ただし、自治体によりけりですが)。近年、保護費支給を却下された例を非難するニュースが目立つため、窓口も無下には追い返したりしない傾向にあるとか。

悲しいかな、というか脱力したのは、その兄弟、その後まもなく集会に来なくなり、やがて遠方に引越してしまったことでした。もう亡くなっておられるはずのお歳です。

#493 2017年03月31日 15:54:06

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

JWICに投書したものをこちらにも
ご紹介しようとしていたのですが、しばらく滞っていました。
以下の記述を書いてから14年になりますが、
今読み直してみても、もっともな考えだと思います。
脱塔する時の心を整理するための一助になればと思いました…。

「こっそり変更された年数記述」-2003/07/27

  わたしは1914年の世代と拠点について二つの投稿をさせていただきましたが、
そのときに書き加えようとして思い出すことができなかったことがありますので、
その追加として、新世界訳聖書の付録に現れている人知れずに削除された年数
記述について書いてみたいと思いました。
もちろんご存知の方もいらっしゃるでしょう。

それは、日本語版の新世界訳聖書の1982年版と1985年版の付録に現れている記述
で、わたしが聞いてみた限りではご存知の方はいませんでした。これらの日本語訳も
本文の中でも多少ですが訳が異なるところもありますし、挿入句の加筆や削除もあり
ました。

それは1982年版では1972ページの聖書の各書の一覧表で、扱われている期間のこと
です。その創世記のところで扱われている期間が「1章2節以後:46,026年-1657年」
とされています。もちろんこれは西暦紀元前の意味です。おなじく、1985年版では
1928ページで『「初めに」から1657年まで』と記述されています。これらは、同じよ
うにも見えますが、わたしはこれらについてしばし考察してみました。

  「聖書はほんとうに神のことばですか」(旧版1969年発行、ライブラリーには収
録されていないp18-19)を要約しますと、創世記の創造の記録は一個の惑星である地
球について述べているのであって宇宙全体についてではない。創造の六日という期間
はすでに地球として存在していた惑星を人類のすみかとすることに関して述べられて
いる。1節の述べる初めにから3、4節の述べる第一日の開始までどれほど経過したか
については沈黙している。事実、第七日の長さをもとにして言えば、創造の各期間も
しくは一日は7,000年と考えられる、と説明しています。

  この一日の期間が7,000年であるというのはアダムが創造されてから1975年まで
と残された1,000年統治の期間を加えるところから現れたのでしょう。この7,000年に
ついてはライブラリーの2001年版で検索すると目ざめよ、ものみの塔の33の号に出現
しています。この創造の記述と無関係の記事もあるのですが、1970年から1997年まで
に出現しており、創造の期間の直接的な説明として最後のものは1987年1月1日号で30
ページに現れています。



「第二に,聖書預言の成就に関する研究,および時の流れの中でわたしたちの占める
位置に関する研究によってかなりはっきり分かっているのは,創造の日(創世記 1
章)は各1日が7,000年であるということです。また,神の7,000年間の『休みの
日』,つまり創造の週の最後の『日』はキリストの千年統治によって終わりを告げる
ことが分かります。(啓示 20:6。創世記 2:2,3)このような論拠からすれば,創造
の週全体は4万9,000年ということになります。」



「したがって,神が地球上の物的創造を休んでおられる,偉大な「第七日」は,アダ
ム以来の聖書歴史およそ6,000年に,黙示録 20章1‐6節の示す,キリストの統治す
る,きたるべき1,000年を加えた期間となります。それで,この偉大な創造の七
「日」間のうち,他の六日の各が最後の1日と同じ長さであるとすれば,各の日は
7,000年の長さであったに違いありません。」-目ざめよ 1971.2.1p68-71

    第七日目がほんとうに7,000年であれば、創造の七日間は4万9,000年ということ
になります。しかし、組織は1975年の預言がはずれたときに人間の創造をもってつま
りアダムだけでなくエバの創造を終えてから第六日目が終了し第七日目が始まったと
していました。それで、アダムの創造を基点として第七日の期間を算定するのであれ
ば、6,000年+エバの創造までの期間+1,000年=7,000年+αとなり、エバの創造を基
点とするのであれば、6,000年-エバの創造までの期間+1,000年=7,000年-βとなりま
す。要するに7,000年より多いか少ないかのどちらかなのです。でも、ぴったりの可
能性も残されています。しかしながらどれかはわからないのです。4026年を基点にす
るとアダムの創造からことしの時点では6028年ぐらい経過したことになります。も
し、7,000年ちょうどですと46,026年に創造を開始しなかったことになるでしょう。
それより後になると思います。

  そのようなわけで1985年版のように具体的な数字を示さないほうが正確な記述に
なると思います。アダムの創造は西暦前4026年とされていますので、一日を7,000年
とするのであれば、49,000年という数字を算出して地球を人類のすみかとするための
エホバの仕事が49,026年に始まったことになるのですが、7,000年にプラスかマイナ
スの年数を考慮しなければならないとなると、その49,026年に創造を始めたと主張す
るのはできなくなると思います。

  科学が述べるように何十億年という地球の年齢を考慮すると50,000年に満たない
その数字はほんのひとしずくのような気がしますが、100年も生きられないわたしに
とっては途方もない数字でもあるのです。わたしにとっては49,000年でも50,000年で
もよいのですが、組織が創造の一日を7,000年としたあやふやな表現もありますが、
かなり断定的に主張していたのに、聖書の付録から削除してこっそり書き換えたこと
には興味があります。

  その理由として、1999年11月1日号のものみの塔でエホバの証人にとって法律な
どで義務とされている国や地域において事実上選挙で投票することが解禁になりまし
たが、最近この事実を長老三人も含めて10人以上の人にその記事や事実を知っている
のかどうか聞いてみたのです。驚いたことに誰も知りませんでした。もちろん知って
いる人もいるでしょうが、わたしは長老という指導的な立場にいる人たちまで、それ
ほど大切な変更を知らないことにショックを受け呆然としました。その記事以降、選
挙が事実上解禁になったということは出版物や集会でほとんど語られていません。

  こうした現実を考慮すると、質問をされて返事に困るような真理はこっそり捨て
去られて新しい差しさわりのない真理に置き換えられていくのだろうと思います。ほ
とんどの人は気がつきません。

  また、1985年版と1982年版はどちらが正確な解釈かと考えてみますと、おそらく
は新しいほうでしょう。年数が不明なのですから記述しないほうがよいと思います。
7,000年を残しておくと1975年の解釈も、エバの創造された時期までの年数分だけプ
ラスかマイナスにずれると考えられますので、1982年版の記述を根拠にしてもう一度
1975年ハルマゲドン説のことを、数え始めた基点が不明だったのにどうしてあれほど
強く主張したのかという説明を要求される可能性があると思うのです。

  現在のわたしにとっては、年代記述のことは大きな問題ではありませんが、試み
として協会に質問してみようかとも思いました。でもこれまでの傾向からするとほぼ
100%返事はないと思います。

  わたしは広場の投書を読んでいて感じることは、編集者の村本さんはどうしてあ
れほど懇切ていねいな返事を書くことができるのだろうかということです。わたしは
投書を読んでいて村本さんに対して失礼だと感じるものがあると思います。わたし
だったらどのように返事をしてよいのかまったく見当もつかないものもあります。そ
れでも、長文の返事を書いてくださるのです。

  わたしは、そのように誠意のある返事を書くことによって、組織が自分たちの都
合の悪いことに返事をしないことが、いかに不誠実なことかをことばと行ないによっ
て示してくださっていると思います。わたしは、わからないという返事でもよいと思
います。世の中には解答が存在しないものもあります。たとえそうであっても、努力
して返事をする人に誠実さを感じるのではないでしょうか。たとえ、間違いや誤りが
あっても、謝罪して訂正すればよいのですから…。

  わたしは投書するたびに感謝のことばを書きませんが、常に感謝して敬意を抱い
ていることをお伝えしたいと思いました。これからも、お体を大切にし、わたしたち
悩める者のためにサイトを継続していただきたいと思います。よろしくお願いいたし
ます。

《編集者より》
協会の出版物は、年が新しくなるほど、年代計算をうやむやにする傾向があります。
あなたの指摘された1982年版と1985年版の違いもその良い例ではないでしょうか。
協会の年代計算は、1914年も、アダムの創造も、天地の創造も、
その年代は全て妄想的聖書解釈に基づく作り話ですが、近年までは、
この欺瞞を情報統制によって隠すことができました。
ほとんどのエホバの証人は高等教育を禁止され、
「世の知恵」は間違っていると教えられていましたから、
たとえ本やテレビで地球や人類の歴史の科学的な話を聞いても、
「エホバの組織が正しく、世の知恵が間違っている」と固く信じてきました。
しかし、その後大学教育の解禁と情報化社会の到来で、
このような欺瞞は到底隠しきれるものではなくなり、
むしろものみの塔協会の恥さらしとなってきました。
何しろアダムが創造されたと称する6000年前には、人類の創造どころではなく、
人類の初期の文明が始まりかけていました。
宇宙の創造があったと称する四万年から五万年前には、
人々は既に石器を使って動物を殺して肉をとって食べ、
その骨で針や道具を作っていたことは現代の考古学では揺ぎ無い事実となっています。
(実は考古学の知見も少しずつ変更が加えられていますが、
その変化は全てより古い年代に変更されているのですから、
ますます協会の年代計算が子供だましのおとぎ話に見えてきます。)
高等教育を受けた知識人の一部のエホバの証人にとっては、
協会の年代計算は恥ずかしくて話にもならないものとなってきました。
このような事態に、ものみの塔協会の指導部は何をしたかというと、
年代計算に更に新たな解釈をつけるのでなく、
何となくうやむやにしてそのことには深入りしないという態度に出ているのです。
これ以上馬鹿げた計算を続けることは、
自分たちの知性の欠如をさらけ出す恥さらしになることを
薄々悟ったのではないかと思います。最近のものみの塔の出版物で、
このような露骨な年代計算をしたものは見なくなりました。
しかし、この年代計算こそが、ものみの塔協会の欺瞞の最も明らかなものの一つであり、
私はこの問題をうやむやにせずに、
徹底的に明らかにしてエホバの証人の人々に知らせるべきであると考えております。

オフライン

#494 2017年04月15日 17:49:16

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

2003/8/20
JWICへの投稿です。
わたしは目は見えるのですが、
JW組織は障害者には冷酷なところでした。
視覚障害のJW友人に生じた出来事の記録です…。

「エホバの証人と性の問題-その一-ロービジョンの場合」-ラハムより

(8-20-03)
  わたしの知りうる限り、日本においてエホバの証人ほど性に関して厳格さを示す
宗教は存在しないであろうと思います。これはピカイチでしょう。ほめられるべきこ
とだと思います。しかしまた、同じく日本においてエホバの証人ほど性に関して歪ん
だ見方と行動をとろうとする宗教も存在しないと思います。

  広場も含めてさまざまなサイトで男女の交際、男女関係、結婚について、性に関
する見方が述べられていますが、わたしが個人的に知っている幾人かの信者であり、
障害を持つ人々の扱い方から、エホバの証人が性に関してもっている歪んだ-いや、
組織から植えつけられたというか-見方や行動について述べて見たいと思います。こ
れから述べる事柄は、信者の多くが示した反応であり、少数ながらそうではない反応
もあったということを最初に申し添えたいと思います。

  まず最初にわたしとしては聖書を素直な気持ちで読む限り、性というものは美し
くて良いものであると思います。その理由は最初の人間であるアダムとイブに与えら
れたエホバからの最初の命令が子孫を産んで殖やすことだったからです。もちろん悪
い記録もたくさんあります。これらが真実かどうかはさておいても、性というものが
存在しなければわたしたち人類はここまで多くはならなかったでしょう。聖書の記録
では男女の性関係なしに存在したのはアダムとイブ、キリストと呼ばれたイエスだけ
です。

  最初に考えてみたいのは、ロービジョン(Low Vision-視覚機能が低下してい
る)の場合ですが、これは視覚に障害のある人々のことです。視覚に障害があると
いっても、いわゆる全盲という光をも感じないということでなく、ガイドヘルパーの
サポートが必要な人ということです。ここでは“ロービ”と省略します。

  通常晴眼者がロービをガイドする場合、ロービは晴眼者の後方で軽くそっと肩や
腕などに触れた状態でおこなわれます。彼らをガイドする場合に杖を引いたり、手や
腕を握り引くことは危険なこととされていますので、障害ゆえにやむをえない身体的
な接触です。この、障害を持つことを自ら選んだわけでなくやむにやまれず置かれて
しまった状況の人々に対する精神態度や対処方法にエホバの証人に植え付けられた性
に関する歪んだ見方が如実に現れていると思いました。以下に記す事柄はわたしの親
友であるロービの一兄弟(当時50歳ぐらい)を扱うさいに経験した実例です。

  彼がわたしの交わっている会衆の集会に出席し、伝道活動にも参加したいという
ことでしたので、わたしは朝早くから自動車で迎えに行きました。わたしは、その日
は講演の割当もあり、彼がせっかく来てくれるということでしたので昼食や夕食もわ
たしの家でもてなしたいと考えましたから、20歳ぐらいの若い学生の姉妹たちに応援
を頼んだのです。

  昼食を終えてから、その二人の姉妹たちに野外伝道で彼をガイドしてくれるよう
に頼み、伝道の集合場所まで自動車で連れて行き、わたしは夕食を自分で作りたかっ
たので自分のうちに戻りました。

  そのロービの兄弟は特に女性のガイドヘルパーのことを考慮して蒸し暑い夏でも
長袖のシャツを着用し、直接には素肌が触れ合わないように気をつかっています。そ
のようであっても女性がガイドするということで非難の声が上がり、長老たちふたり
そろって、自分の娘のようなひとりの若者に助言するということが生じたのです。

  その伝道地域は自動車の往来が激しく、人の声を聞き取ることが難しい場所でし
た。当然のことですが彼も視覚に障害があるわけですから、情報は声や音、接触によ
る以外にはありません。伝道に参加した姉妹たちから聞かされたことですが、年配の
女性たちの中にはその二人を見て「なんですか、ありゃ」と言った人もいたそうで
す。また、現場でともにいた長老にも聞いたのですが、そのふたりにガイドの交代を
申し出たけれども返事がなかったということです。 

彼らは人を毛嫌いすることはありませんから、なぜ交代の申し出に返事がなかったの
かわたしは不思議に思いましたので、直接彼らに聞いてみたところ、ふたりとも長老
のその声は聞こえなかったということです。そこは声が聞こえにくい場所であったこ
と、伝道中はおしゃべりに夢中になって他の人の声が聞こえないこともあること、な
によりその長老はふだんからぼそぼそ声で非常に聞き取りにくいことが多いことが重
なってしまい、生じた出来事だったのです。

わたしはふたりの姉妹たちにガイドを依頼したわけですが、ひとりは別の人と伝道し
ていたので助言されることはありませんでした。彼女ひとりが王国会館の第二会場で
長老ふたりから王国宣教の1988年2月号を用いて、異性に対する振る舞いに関して助
言をされたそうです。こののち彼女は会衆の人々に見られるところではガイドヘルプ
をすることを避けるようになりました。まったく嘆かわしいことです。

わたしはこれを聞いてショックを受け、大いに当惑し、動揺したことを覚えていま
す。見ることによって物事を判断することのできない人に、自分の申し出が聞こえた
かどうかどうして確認しなかったのか。「なんですか、ありゃ」といった人はそれがよ
くないと感じるのであれば、なぜ自分みずからガイドを申し出ようとしなかったの
か。これらの件についてぼそぼそ声の長老はわたしに対しても伝道に来て、彼らを援
助しなかったことを注意してきました。

その現場にはわたしと親しい奉仕の僕の兄弟がいましたので、彼がロービの兄弟たち
のことをどう思っているのかを、これらの事情を説明してから聞いたことがありま
す。彼の話では一緒にそのぼそぼそ声の長老がいて何もしないのだからそのままでい
いと思った、ということだったのです。彼の立場からすれば妥当な反応でしょう。障
害者をサポートすることについてはそれぞれの感性もあると思います。

たとえそうであっても、律法下におけるイスラエル人やヨブ記に現れる記述、またイ
エスご自身のことばによれば視覚障害の人々を異性であろうとなかろうと誰がサポー
トするかについて依存は何もないはずです。それを仲のよい男女が腕を組んで歩くこ
とと同じように感じて助けることに異議を唱え、交代の申し出が聞こえたかどうかを
確認もせず、助言するとはなんという非人間的な扱いでしょう。わたしはこうした非
人間的な扱いにはとてもついていけなくなったのです。

ある人々はロービの人をガイドすることが異性の接触を意味していると考える根拠と
して「さて,あなた方が書いてきた事柄についてですが,男は女に触れないのがよい
ことです」というコリント第一7章1節を持ち出します。わたしにとってはばかばかし
いとしか言いようがありません。性的な接触とガイドヘルプをごちゃまぜにしている
のです。気の毒なぐらいであり、この人たちはほんとうに聖書を真剣に読んでいるの
だろうかと考え込んでしまいます。

これは文脈を読めばわかることですが、性的な接触をさしていますし、ものみの塔は
1973年の4月15日号の読者からの質問でこの意味をはっきり説明しているのです。神
と聖書の精神がはっきりわかる人にはこのものみの塔の説明すら必要ないはずです。
視覚障害者のガイドにこれを当てはめるなどとは愚の骨頂と言わざるを得ません。

ロービの人々をガイドヘルプする場合は腕を組んでいるように見えますが、恋人同士
のようにしっかり組むことはないのです。それはとっさの場合すぐに離れることがで
きなくて危険なことだからです。それで、そっと触れてヘルパーの位置や動きがわか
る程度であり、彼の場合手のひらでなく、手の甲で触れることが多いのです。

付け加えるのであれば、彼は鏡で自分を見ることができないこと、自分の外見を確か
めることができないためでしょうか、外部から見ていると女性との接触の仕方に誤解
を招きそうになることも事実です。しかし、たとえそうであったとしても上記のよう
な非人間的な扱いをしてもよいことにはなりえないと思うのです。

わたしはこうした扱いを知るとき、安息日に片手のなえた人を癒したイエスを訴えた
人々のことを思い出します。イエスは彼らを憤りをもって見まわされました。それは
彼らの心の無感覚さを深く憂えたからだとマルコ3章1から6節に記されています。

なぜ、エホバの証人はそのような聖書を信じていると主張するのに心の無感覚さに気
がつかないのでしょうか。この次は、もうひとつの実例をあげて考察してみたいと思
います。

《編集者より》
この体験談も、エホバの証人がいかにイエスの当時のパリサイ人とそっくりであるかを物語るものだと思います。ありがとうございました。

オフライン

#495 2017年04月15日 19:01:01

てつてつ
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

ラハムさん 興味深い経験ありがとうごさいます
(テモテ第二 3:3‐7) 3自然の情愛を持たない者,になって....
常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することがない...
ことになっていると思います 残念です cry

オフライン

#496 2017年04月15日 19:51:25

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

てつてつさん、心で理解してくださり、ありがとうございます。
てつてつさんも、脳性マヒで重度障害のJW兄弟を
サポートされていたと聞いていますので、
わたしの述べる経験談を真実な出来事として
分かち合ってくださったのですね。
わたしのとってJW時代の悲しい一面でした…。

オフライン

#497 2017年04月16日 09:35:10

三太郎
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

ラハムさん こんにちは。

ラハムさんが述べられたように、”心の無感覚さ”と、それに気がつかなくなってしまったという状態は、非常に残念なことだと思います。

無感覚や無関心というのは、ある意味、間違ったことを信じて突っ走るよりも怖いかもしれないですね。感情や思考を失った人間など、もはや人間とはいえないわけですから。

今にして思えば、正しいことも書いてあるが、間違ったことも書いてある教科書を基に、身勝手な解釈で書いた参考書を使って勉強しても、試験に合格することなどはない。
むしろその結果として、”心の無感覚さ”を生み出してしまったのだと思います。

ガチガチの現役の方には、出来れば自分自身でそこに気がついてもらいたいものです。
今はインターネットからの情報で目が覚める信者が圧倒的かと思いますが、それがなかった時代に、その異常さに気づき、自らの頭で考え、自ら行動を取った脱塔者の方の心の強さに、私は尊敬の念すら覚えます。

遅れましたが、ラハムさん、お誕生日おめでとうございます。
祝ってもらって嬉しくない人間なんていませんよね。
それが素直な人間の感情だと思います。
実は私も先月の誕生日に、行き付けの飲み屋で祝ってもらったのですが、いい歳こいてもやっぱり嬉かったです。マッカラン12年をプレゼントにもらって、ボトルキープしました。
(結局、金払ってまた通うようです。アホです)

#498 2017年04月16日 18:37:34

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

三太郎さん、コメントありがとうございます。
お互い人間を取り戻すことができてよかったですね。
人間本来の感情というのか、気持ちというのかですが…。
感じるところはとても大切にしたいものです。
「マッカラン12年」ですか。わたしは初めて聞きました。
チャンスがあれば味見したいです。
わたしは必要なところで「アホ」になれれば、
人間として自分にも必要なことだと思っています。
おいしいお酒、楽しんでください…。

オフライン

#499 2017年05月08日 17:09:38

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

2003/11/19 JWICに投稿したものです。
JWの歪んだ聖書解釈と統治体の気分によって
信者が振り回されていることに気が付いてほしかったのです。

「エホバの証人と性の問題‐その二」-ラハムより-レイプについて

  わたしがバプテスマを受けて2、3年たった25年ほど前、女性がレイプを受け
た場合の扱いについて聞いたときショックを受けたことがありました。それは、
レイプのときに声を上げて抵抗しなければ、排斥になるということだったので
す。

  このときに聞いたことはこのことだけだったのですが、なぜそんなにきつい
処置がなされるのかわからなくて厳しすぎると思いました。このときわたしは聴
覚・言語障害の人々とわずかながらの接触がありましたし、声がどうにも出せな
い場合のことを考えると、物理的に声を出さなければ排斥だということが、どう
しても理解できなかったのです。また、聖書的な、出版物的な根拠もぜんぜん知
りませんでした。

  そのようなある日、古い年配の姉妹から1960年代のものみの塔をもらうこと
ができて、それらの中に理由を発見したのです。その記述は1964年3月1日号191
ページ、読者よりの質問で扱われていました。これは日本語版のCD-ROMであるラ
イブラリーには記載されていませんが、近年製本が再版されましたので多くの人
は実際に読むことができるでしょう。しかし、参考にOCRで読み取って全文を提
供させていただきます。このころの雑誌は縦書きでしたので、漢数字を算用数字
に置き換えました。



≪●申命記22章23-27節によると、婚約したイスラエルのおとめは、強姦されそ
うになった時叫ぶことが要求されていました。もしクリスチャンの婦人が今日同
じような事態に直面したならどうしますか。暴漢が武器で殺すとおどしても叫ぶ
べきですか。‐アメリカの一読者より



神の律法によると、イスラエルのおとめは叫ばねばなりませんでした。「もし処
女である女が、人と婚約した後、他の男が町の内でその女に会い、これを犯した
ならば、あなたがたはそのふたりを町の門にひき出して、石で撃ち殺さなければ
ならない。これはその女が町の内におりながら叫ばなかったからであり、またそ
の男は隣人の妻をはずかしめたからである」。しかし、もし野でおそわれて、女
がのがれようとして叫んだなら、その女を石で打ってはなりませんでした。なぜ
なら彼女は力で負け、救う者がいなかったからです。‐申命、22:23-27。



しかし男が武器をもっていて、一緒に寝ないなら殺すとおどすならどうします
か。これらの聖句は女が叫ばなくてもよい場合をあげてその趣旨を弱めたり変え
たりしていません。事情がどうあろうと女は叫ぶことによって暴行に反対しなけ
ればならないことをはっきり示しています。もし彼女が力に負け、あるいはたた
かれて無意識になり、彼女の叫び声に応じて助けが来るまえに犯されたなら、彼
女に責任はありません。この聖句の趣旨は明らかに、たとえ暴漢が、おとなしく
言うとおりにしないなら殺すとおどかしても、娘が叫んで近所の人の注意を引く
なら暴漢は驚いて逃げ、娘は救われることにあります。聖書のそういう判例は、
「不品行を避けなさい」という戒めのもとにあるクリスチャンにも適用されま
す。(コリント第一6:18)したがって、もしクリスチャンの婦人が叫ぶことをせ
ず、また逃げるためにあらゆる努力をしないなら、暴行に同意したものと見られ
るでしょう。身を清く保って神の戒めに従うことを望むクリスチャンの婦人が、
今日このような事態に直面したならば、勇気をふるって聖書の提案どおりに行動
し、叫ばねばなりません。実際のところこの戒めは、クリスチャンの婦人の福祉
になるものです。というのは、もし男の欲望に従うなら
ば、彼女は淫行あるいは姦淫に同意することになるばかりでなく、恥ずかしい思
いをしなければなりません。そのいやな経験からばかりでなく、配偶者以外の者
と性関係を結ぶことによって神の律法を破ったということから恥ずかしい思いを
します。そればかりでなく、未婚の母親になるかも知れず、その堕落した暴漢か
ら病気をうつされないとも限りません。暴漢がおどしを実行する危険に女が直面
することは事実です。しかしそういう逆上した犯人が欲情を満足させたのち女を
殺さないという保証がどこにありますか。事実、そういう男は恐らくすでにおた
ずね者になっているので、暴行を働いたのち女を殺す可能性が大きいとみねばな
りません。というのは女はその男を観察する機会がかなりあるために、警察に彼
のことをくわしく説明できるからです。そういう場合、聖書の助言に従って叫ぶ
なら、人々の注意を引き、また相手は、あとで証言されると困るから殺してしま
おうという殺意を抱くすきもなく最初から逃げるので、女の命は助かるでしょ
う。

ほとんどの場合、問題は、暴漢のおどしにはのらないということを見せつけるこ
とにあるのはたしかです。娘が叫べば暴行未遂で逮捕される恐れがあるからで
す。また、もしそのおどしを実行して殺人をしたなら、男はそのためにもっと重
罪に問われることを心配するかも知れません。もちろん暴漢は、すぐに逃げず
に、叫ぶのを止めさせようとしてたたいたり、ちょっとした傷を負わすかも知れ
ません。しかし、不道徳な男に従う恥辱とくらべるなら、そういう肉体的な傷を
がまんするのはささいなことではないでしょうか。

クリスチャンの婦人は、自分の処女性あるいは貞操を最後まで守る権利がありま
す。自分を犯そうとする者から、どれほどよく自分を守るかは、その人の勇気と
気転にかかっています。すでに述べたように、まず少なくとも叫び声をあげ、助
けを得るためにできる限りさわぎ立てて、暴漢を追い払わねばなりません。それ
が役に立たないなら、ほかのあらゆる手段を用いて自分の貞操を守る権利があり
ます。

この世代の道徳は、聖書がこの終りの時代について預言したとおり前例のないほ
ど低下しています。アメリカだけでも、一年に15000人-半時間に約ひとり-の婦
人が強姦されるという事実をみてもわかります。またそれは、危険を避けるよう
に注意しなさい、という婦人への警告です。婦人が襲われるのはほとんどの場合
ひとりのときです。ですから、とくに暗くなって外を歩くときは、連れと一緒に
歩くようにしなければなりません。昼間でも危険とされている地区では、婦人は
必ずほかの人と一緒に歩かねばなりません。神のことばはこう述べています。
「人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、ふたりで、それに当るであろう。三
つよりの綱はたやすくは切れない」。(伝道、4:12、新口)女の人がしばしば襲
われる都市とか地区にひとりで行くと言い張るクリスチャンの婦人は、わざわざ
問題を起し、不必要に命を危険にさらす人です。特定の状態のもとで何が起るか
を考慮し、それに対して警戒することは知恵です。賢明な人は危険を見てそれを
避ける手段を講じます。「さとき者は自分の歩みを慎む」。

-箴言14:15、新口。≫

 

  わたしはついに長老にはなることができませんでしたので、ここに記述され
ている聖書的な根拠とされるものによって、実際に排斥された人が存在するのか
を確認できません。しかし、融通性がほとんど利かず、杓子定規に人を扱う組織
のことですから、これを根拠にして排斥処置をとられた人のいることは想像に難
しくありません。

  しかし、ここに示されている原則は変更されたと思います。それは2003年2
月1日号の読者からの質問で何らかの理由で声が出せなくてもやむをえない事情
があることが認められているからです。わたしの調査した限りでは実に39年ぶり
の変更なのです。CD-ROMで検索しても、このたぐいの出版物は見つけられません
でした。

  やむをえない事情のあることが認められてよい方向に向けられたのだからそ
れでいいじゃあないかという人がいるかもしれません。でも物事はそれほど簡単
ではありません。わたしは以前に主宰監督だった兄弟と食事をしたときに次のよ
うなことを話しました。



  わたしは研究生だったときにマスターベーションを淫行だと思い込み、自分
を非常に罪深い人間だと考えていた。でも、後ほどその思い込みが間違っている
ことを知った。だから、このように間違って理解し、思い込んでいる人は大勢い
るだろう。もし誰かが、審理問題として淫行の罪に問われ、本当はマスターベー
ションをおこなっているだけで、他の人が関係していないのに、あるいはまった
く性的な問題ではないのに、当人は淫行であると告白して排斥になり、後日その
審理が誤りだとわかった場合、無条件で復帰させてくれるのか?

  これを聞いて元主宰監督だった兄弟は、確かに調べてみると誤った審理のた
め無実で排斥された事例があったことを認めていましたが、無条件で復帰させて
くれるかどうかについては返事をしませんでした。

 

  わたしは今年の2月1日号を読んだときこれらのことを思い出したのです。39
年の長期にわたっておこなわれてきた、人を傷つける処置をあたかも新しい解釈
のように指し示し、以前の変更点を伝えずにこっそり変えてしまうとは!こうし
たことは近年おこなわれてきた、選挙について、兵役の代替勤務、成分輸血など
数えればきりがありません。

レイプなどはほんとうに恐ろしい経験で、出版物を読んで声をあげて抵抗しなく
てはいけないことを頭で知ってはいても、恐怖で身がすくんでしまい大声をあげ
ることさえできない場合もあるのではないでしょうか。今回の記事ではそうした
ことのあることが、はっきり認められています。今年の読者からの質問ではそう
した事情もあることが考慮され、39年前の記事と比べると非常に柔軟な考え方や
対応が示されています。最近の記事ですので部分的に引用してみたいと思いま
す。ものみの塔2003.2.1号31ページです。



≪申命記22章23-27節がどう適用されるかを理解するにあたって,この短い記述が
あらゆる状況を想定しているわけではないことを認識しなければなりません。例
えば,襲われた女性が叫べない状況については何も述べられていません。その女
性は口のきけない人かもしれず意識を失っていたり,恐怖で身がすくんでいたり,
叫べないように手やテープで口を無理やり覆われていたりする場合もあるでしょ
う。しかしエホバは,人の動機を含め,すべての要素を考慮できるので,理解と公
正をもってその種の事例を扱われます。「そのすべての道は公正である」ので
す。(申命記32:4)エホバは,実際に何が生じたかということも,被害者が力を尽く
して相手を退けようとしたこともご存じです。ですから,叫ぶことはできなかっ
たものの,その状況下で出来る限りのことをした被害者は,物事をエホバのみ手に
ゆだねることができます。一詩編55:22。ペテロ第一5:7≫



この記事で述べられていなくても、39年前はおろか人間の歴史が始まって以来、
口の聞けない人や耳の聞こえない人がいたのは当然のことです。聖書時代のイス
ラエル人の社会にもいましたし、何よりイエスがそのような障害のある人を奇跡
によって癒したことが聖書には記録されています。また、恐怖や何かの理由で声
を出すことができない場合もあるでしょう。わたしとしては、そのようなわかり
きった当然の事柄がなぜ過去において一言も言及されないのだろうかと思うので
す。そのようなわかりきった当然の事柄が考慮されずに排斥処置がとられたこと
があるのなら、恐ろしいことです。



冤罪、つまり無実の罪で排斥されることがあるのだろうかということを最初のほ
うで書いたわけですが、わたしの友人の親友にその処置が取られたということを
知りました。彼の親友が排斥されたということですが、この親友のところにひと
りの姉妹が訪ねてきて、その姉妹が玄関先で泣き出してしまい、彼に抱きついて
きたので両肩を抱いて引き離したそうです。ところが後日この姉妹は自分の会衆
の長老に“彼に抱かれた”と話したということなのです。そして、この出来事の
次の日に長老たちから呼び出されて、彼女を抱いたのだから排斥だと一方的に告
げられ、気の弱かった彼は自己弁護することもできず、その処置がなされたとい
うことでした。

後日彼は事実を報告して復帰することができたのですが、長老たちは審理問題の
誤りを認めることもなく、当然会衆にも復帰以外の発表はなされませんでした。

また別に、本人には実際に直接事実を確認もせずに排斥処置がとられたという例
もあります。

  わたしたち日本人の場合、ちょっとでも触れるとかなりの疑いの目で見られ
ますが、同じJWでも、外国人の場合は両肩を抱くぐらい何でもないことが多いも
のです。たしかに性的な関係を持つことを“抱く“とか“寝る”などと表現しま
すが、この場合は実際文字通り抱いたわけで、性行為をしたわけではありませ
ん。そうしたことの確認もせずに排斥に追い込むというのは、いったいどういう
精神構造の長老団なのだろうといぶかりたくなるのです。そういえば、JWの用語
で信者同士や未信者と交友関係を持つことを“交わる”といいますが、これなど
は、一般的には性関係を持つときに使用されると思います。中学生だったか、二
世の女の子が学校でこの言葉を用いたらまわりの人が驚いたといっていました。
わたしもJWと“交わり”はじめたころこれを聞いて、いったいなんだろうと思っ
た覚えがあります。

JWの組織がおこなう排斥処置のあり方についてもわたしなりに別の機会に考慮し
てみたいと思いますが、人間として生活し、生きている以上は個々の人としてど
うしようもやむをえない事情のあることは当然のことです。それを理解して思い
やりや憐れみという特質を十分に発揮して物事に対応していくことこそ、人間の
人間らしい生き方であり、キリストの特質を真に反映させた組織のあり方ではな
いでしょうか。

一世紀当時、パリサイ人たちは旧約聖書の律法を細部に渡って守ろうとして細か
い規則を作り上げ、人々をうんざりさせ、生活を息苦しいものにしてしまい、自
分では負わない重たい荷物を他の人に負わせました。キリストはこのことを非難
して、ほんとうの神の愛や憐れみを教えました。彼の教えた必要な原則はわたし
の読み取る限り三つぐらいしかないと思います。

「良心の危機」でも詳しく記載されていますが、統治体が読者からの質問を用いて
さまざまな性に関する規則を作り上げ変更していったいきさつがあります。それ
によって離婚問題に発展し、必要でない排斥措置や夫婦不和が多くもたらされま
した。規則がよい方向に改善されても、これらの感情的な痛みは元に戻せませ
ん。冤罪で排斥された人の無条件での復帰は聞いたことがありません。結局は組
織が神の教えにないことを、神の言葉を踏み越え、定めて実行したことに問題が
あったのでしょう。上のように記した性に関する事柄もJWの歪んだ教理と規則の
一面だと思います。


《編集者より》
この、レイプの被害者が叫んで抵抗する必要性の教えは、
私も大変興味があり、これについて記事を書こうと思っていましたが、
時間がなくてそのままになっていました。
ラハムさんも言及されていると思いますが、
排斥になった事例は、叫ばなかったことそのことを理由にしたのではなく、
叫ばないことが淫行をしたことに当たるとして排斥になったのでした。
この規則は上に引用されたように、
2003年2月の記事で、はっきりと撤回されたようですが、
その前にも幾つかの記事で、
叫ばないことが淫行には必ずしも当たらないという記事は出ています。
たとえば、1993年3月8日の目ざめよ誌、4ページは次のように述べています。

*** 目93 3/8 4 レイプの実態 ***

レイプ神話と真実
次に挙げるのは,昔からあるレイプに関する誤った考え方です。
こうした考え方があるため,被害者は非難され,
加害者の肩を持つような見方はいつまでたってもなくなりません。

<中略>

神話: 体を激しく動かして抵抗しなければ,レイプの被害者にも責任がある。

事実: 定義からすればレイプは,暴力や脅迫によって
相手の意思に反した性交を行なう,
またはそれに類する行為をする時に成立します。
嫌がる相手に暴力を振るえば,その人はレイピストです。
したがって,レイプの被害者は淫行の罪には問われません。
近親相姦の犠牲者と同様に,相手が振りかざした力に圧倒されて
望まない行為を無理やりさせられることもあります。
恐怖におののいたり,気持ちが混乱したりしたために
レイピストの思いどおりになったとしても,
女性がその行為に同意していることにはなりません。
同意とは,脅されずに行なった選択に基づく能動的なものであって,
受動的なものではありません。

ここでは、直接「叫ぶ」ことを述べていませんが、
レイピストの言いなりになったとしても、
淫行ではないとはっきり述べていることで、
1964年の教義を否定しています。
恐らく、目ざめよの筆者は、その29年前の教義をうっかり忘れて、
「次に挙げるのは、昔からあるレイプに関する誤った考え方です」と
言い切っていることです。ここにもまた、人間が作った、
言ってみればいい加減で都合によって勝手に変えられる教義によって、
無数の人の人生が左右された、
あわれなエホバの証人の実態が見事に出ているのです。

しかし、このレイプの教義はこれだけでは終わりません。
なぜなら、この十年も前に、既にものみの塔誌で
次のようにはっきりと述べられているからです。

*** 塔83 6/15 30 敬虔な結婚を誉れあるものとしなさい! ***

無理やりに強姦された男性あるいは女性はポルネイアの
罪があるものとはされません。
しかしその二年後には、レイプされかけたが叫んで抵抗して、
怪我をしながらもレイプされなかったエホバの証人の体験談を掲載して、
次のようにこのエホバの証人の口を通して教えています。

*** 目86 5/22 23 「よし,殺してやる!」 ***

でも,私は勝ったのです! 強姦されなかったのです!
勝利者であって,犠牲者ではないのです!
良心も汚されず,自尊心も尊厳も傷つきませんでした。
そして全能の神エホバに対して忠誠を保ちました。
ここで上の申命記22章23-27節を引用した上で、
目ざめよ誌は、この女性の口を通して次のように教えています。

私はこの簡明な言葉を知っていたことを心の底から感謝しました。
この言葉は私に道徳的義務を教えてくれました。
この言葉のおかげで,混乱することも,
あいまいな態度を取ることもしなくてすみました。
この言葉を知っていたために,なすべきことは正確に分かっていました。
私は叫び,反撃も加えました。聖書の教えを信頼し,
それが堅固な基盤であることに気づいていました。
つまり、この目ざめよの記事の主旨を裏返しにすれば、
叫んで抵抗せずに強姦された女性は、
「全能の神エホバに対して忠誠を保ちました」とは言えなくなるわけで、
この記事を読む限り、たとえ強姦が二年前のものみの塔誌が
教えるようにポルネイアの罪ではなくても、
エホバの証人の女性は命がけで叫んで
抵抗しなければならないということになります。
これもまた、ものみの塔協会の見解が全く一貫していない、
指導者の気分でどうにでも変えられるよい例と言えるでしょう。

オフライン

#500 2017年05月08日 22:41:23

鬼太郎
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~

1980年に友人のK兄弟から聞いた話ですが、、
某会衆の姉妹達が労働者達がたむろする所に二人で再訪問し、強姦されてました。
姉妹達は恥ずかしくて告白できませんでしたが、その後発覚。
一人は悔い改めが見られて許されましたが、他の姉妹は排斥処分。
その後見解が調整されましたが、、、
酷い組織、、、としか表現できません。
当時も、理解できない思いでしたが、『いずれ楽園で全てが正される 全ての涙がぬぐわれる』と
自分に言い聞かせて思考停止していました。

その後特権をいただいた時も、、、時折、排斥された姉妹はどうなったのか?と考えました。
それでも全能者エホバ神が最終的には公平に扱われる、とまたも思考停止。

都合の悪いことは、『全能者で愛の神エホバが全てを適切に扱うことを信じることが信仰』と
いうWT組織に都合のよい論理で解決する この思考回路がJW教育教理の最大の問題点です。

オフライン

クィック投稿

メッセージを書いて送信してください。

Board footer