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#251 2017年02月11日 07:52:17

リッチ
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

土の器のかけら さんの発言:

私の考える神とリッチさんの考える神が異なるという前提で考えると、リッチさんの神を崇拝する者ですかという質問になります。そうであるなら、私は違います。

いいえ、あなたが考えている神です。
あなたはあなたが考えている神を崇拝する者ですか?

土の器のかけら さんの発言:

この「神」という意味づけを私の主観でよろしければという前提にします。神は自らが創造した被造物において、どんなことでも実現できる力を持っています。
また、これは仮定ですが、神に実現できないことは存在するとすれば、神の力が及ばない被造物以外になると思います

被造物以外とは具体的になんですか?

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#252 2017年02月11日 10:43:20

iris
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

runさんありがとうございます。

JWの2種類のクリスチャンのことは知っていますが、土の器のかけらさんのお考えは
一般的なJWの考え方とはちょっと違う感じもしてよくわかりません。
もっと端的に、誰にでもわかるように書いていただければなぁともどかしい感じです。

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#253 2017年02月11日 12:54:14

土の器のかけら
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

リッチ さんの発言:

土の器のかけらさん、回答ありがとうございます。
聞き忘れていましたが、土の器のかけらさん自身は、「聖書を信じ、神の教えを守ろうとつとめ、神を崇拝する者」ですか?

リッチ さんの発言:
土の器のかけら さんの発言:

私の考える神とリッチさんの考える神が異なるという前提で考えると、リッチさんの神を崇拝する者ですかという質問になります。そうであるなら、私は違います。

いいえ、あなたが考えている神です。
あなたはあなたが考えている神を崇拝する者ですか?

リッチさん、質問の内容が変更になりましたか。
先の質問は3項目含まれていますが、次の質問は「神を崇拝する者ですか?」という1項目ですね。

先の質問の神の教えを守るかという質問には、私は神の教えを守り、全ての隣人を愛しますということができません、と答えました。別の例えでは、私は全てにおいて「善い行いをする正しい人」とはいえません。したがって、できません、無理です、というのが答えです。したがって、できません、無理です、というのが答えです。

「崇拝する者ですか?」という質問には、私は「クリスチャンとして苦しみに遭う」「キリストの苦しみにあずかる」ということができませんから、クリスチャンとして崇拝しているとは言えません。

また、崇拝とは言葉で「崇敬の念を示す」だけではなく、「霊と真理をもって」神のご意志に調和した振る舞いをすることです。もし、私が自分は崇拝する者だと言ったなら、その瞬間に嘘をつく罪を犯すことになります。

編集者 土の器のかけら (2017年02月12日 01:41:54)

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#254 2017年02月11日 13:22:27

土の器のかけら
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Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

iris さんの発言:

JWの2種類のクリスチャンのことは知っていますが、土の器のかけらさんのお考えは一般的なJWの考え方とはちょっと違う感じもしてよくわかりません。
もっと端的に、誰にでもわかるように書いていただければなぁともどかしい感じです。

irisさん、ごめんなさい。
「誰にでもわかるように」努力します。

iris さんの発言:

結局、あなたの考える「クリスチャン」=「神の家の者たち」というのはどういう人のことなのですか?
ものみの塔の聖書研究のようにペトロの手紙の該当箇所から切り出すと、「神の福音に従って善い行いをする正しい人」となるのでしょうか?
神の福音、善い行い、正しい人、というのも、それぞれ人によって解釈が多様になりそうですが。

そうですね。人によって解釈が違うと思います。

クリスチャンというのはどういう人のことなのかということを、クリスチャンではない私が正確に全てを理解できるわけがありません。その前提で読んでもらえれば嬉しく思います。


「ペトロの手紙の該当箇所から切り出すと、『神の福音に従って善い行いをする正しい人」となるのでしょうか?』」という質問は、どの聖句を切り出すかにその人によると思います。私はペテロ第一4章全体の主旨を考えて、自分に当て嵌めてみました。

irisさんがペテロ第一 4章15節から19節(新共同訳)を提示してくださったことに感謝します。#247において、irisさんに答えているのですが、新共同訳など他の翻訳では少し異なるようですね。解釈も違ってきて当然かと思います。他の翻訳や参照聖句を調べてみたいと思います。


私は、正しいかどうかについては述べていません。また、他の人の考えに反論するものではありません。例えば「教会で洗礼を受けた人」がクリスチャンであるという考えを否定するものではありません。

編集者 土の器のかけら (2017年02月12日 00:13:38)

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#255 2017年02月11日 13:42:00

run
ゲストユーザー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

irisさんの仰ること よく分かります。(^^;)

土の器のかけら さんの発言:

クリスチャンというのはどういう人のことなのかということを、クリスチャンではない私が正確に全てを理解できるわけがありません。

土の器のかけらさんはクリスチャンではなかったのですか?
なんか、ズコー(っていうAAが欲しい)ってな感じです。

では、この辺で。

#256 2017年02月11日 14:00:45

土の器のかけら
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

iris さんの発言:

JWの2種類のクリスチャンのことは知っていますが、土の器のかけらさんのお考えは一般的なJWの考え方とはちょっと違う感じもしてよくわかりません。
もっと端的に、誰にでもわかるように書いていただければなぁともどかしい感じです。

irisさん、わかりやすい実例を考えてみました。

記念式で表象物にあずかる油そそがれたクリスチャンは、自分がイエスの「苦しみに」あずかり、自分が新しい契約の当事者であるという絶対の確信を持っている人々です。(ルカ 12:32。フィリ 3:10。啓 22:5)

しかし、これはそういう考え方があるという意味です。そうではない考え方、その人なりの考えの人々も多数存在します。


近年、さまざまな国々の記念式において、表象物にあずかる人々が増加してきたという数値的な事実があります。それは、前述の油そそがれたクリスチャンとは異なる考え方で、表象物にあずかる人々が存在するということです。

しかし、その人なりのクリスチャンという考えで表象物にあずかる人々がいたとしても、現在、その人を追い出したり排除したりしていません。私はこの考え方で、暫定的によいと思います。

編集者 土の器のかけら (2017年02月12日 00:11:34)

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#257 2017年02月11日 14:03:53

土の器のかけら
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

run さんの発言:

土の器のかけらさんの考える「クリスチャン」=「神の家の者たち」というのは、油そそがれた追随者(天的級)のことのようです。

run さんの発言:

irisさんの仰ること よく分かります。(^^;)

土の器のかけらさんはクリスチャンではなかったのですか?
なんか、ズコー(っていうAAが欲しい)ってな感じです。

では、この辺で。

runさん、書き込みありがとうございます。
私は繰り返し同じ意味の答えをしてきたつもりなのですが、誤解を与えたならすみませんでした。

私は、神の家の者たち、油そそがれた追随者ではありません。クリスチャンではない私が正確に全てを理解することもできません。

編集者 土の器のかけら (2017年02月11日 18:00:35)

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#258 2017年02月11日 14:41:35

土の器のかけら
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

リッチ さんの発言:

被造物以外とは具体的になんですか?

神が創造した被造物以外という意味です。被造物以外ですから、被造物である人間は知ることができず、具体的に名前をつけることもできません。リッチさんの質問に答えることができません。すみません。


これは仮定ですが、神の力が及ばないのは被造物以外になると思いますが、被造物以外にも実現できる力があるかも知れません。どちらなのかよくわかりません。

もう一つの仮定ですが、人間が知ることのできない被造物以外というのは存在するかどうかについてを考察します。

現在、人間には未知なる存在が数多くあります。しかし、未知なる存在というのは人間が知らないというだけであり、存在そのものを否定していません。したがって、人間が知らないというだけでは存在を否定できないため、被造物以外の存在も否定できないと考えました。

編集者 土の器のかけら (2017年02月12日 00:23:32)

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#259 2017年02月11日 15:12:53

iris
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

土の器のかけら さんの発言:

記念式で表象物にあずかる油そそがれたクリスチャンは、自分がイエスの「苦しみに」あずかり、自分が新しい契約の当事者であるという絶対の確信を持っている人々です。(ルカ 12:32。フィリ 3:10。啓 22:5)

これがあなたの考える「クリスチャン」ということですか?

編集者 iris (2017年02月11日 15:21:57)

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#260 2017年02月11日 15:39:57

土の器のかけら
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

iris さんの発言:
土の器のかけら さんの発言:

記念式で表象物にあずかる油そそがれたクリスチャンは、 自分がイエスの「苦しみに」あずかり、自分が新しい契約の当事者であるという絶対の確信を持っている人々 です。(ルカ 12:32。フィリ 3:10。啓 22:5)

これがあなたの考える『クリスチャン』ということですか?
エホバの証人の中だけに、クリスチャンがいるのですね?

irisさん、返信ありがとうございます。

前半の「これがあなたの考える『クリスチャン』ということですか?」については、そのとおりです。

啓示 14章1節に「子羊がシオンの山に立っており、彼と共に、十四万四千人の者が、彼の名と彼の父の名をその額に書かれて[立っていた]」と記述されているからです。ルカ 23章43節の「今日あなたに真実に言いますが、あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」という聖句からもそう考えました。


後半の「エホバの証人の中だけに、クリスチャンがいるのですね?」については、エホバの証人の中だけに限定するかどうか、現在、わかりません。誰かが天への召しを受けたとしても、報いを受ける最終的な確証が与えられたわけではないからです。油そそがれた人が天での報いを得るかどうかは、誰にもわかりません。(啓 2:10; 7:3,14)

また、その人なりのクリスチャンという考えで表象物にあずかる人々がいますが、私は何も言えません。(啓 2:10; 7:3,14)ローマ 9章16節では「願う者にでも走る者にでもなく,ただ憐れみを持たれる神にかかっているのです」と書かれているとおりです。


また、ゼカリヤ8章23節の「十人の者が、ユダヤ人である一人の者のすそをとらえ、まさしくとらえてこう言う。『わたしたちはあなた方と共に行きます。神があなた方と共におられることを聞いたからです』」という預言があります。

聖書は特定の人に従うことを決して勧めていません。指導者はユダヤ人である一人の者、イエス・キリストです。―マタ 23:10。

編集者 土の器のかけら (2017年02月12日 01:03:53)

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#261 2017年02月11日 16:24:20

リッチ
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

土の器のかけらさんは、聖書や神の存在は信じてはいるが、模範的な行動が出来ていない、もしくはする気がない、という事でしょうか?

そうすると、あなたは神によって滅ぼされる側だと考えているのですか?

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#262 2017年02月11日 16:33:32

土の器のかけら
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

iris さん、私はルカ 20章34節から36節のイエスの言葉からもそのように考えました。


「死人の中からの復活をかち得るにふさわしいとみなされた者たち」とは、油そそがれた者たちが「神の王国にふさわしい者とされ」ています。(テサ二 1:5,11。ロマ 5:1,18; 8:1)

「神の王国にふさわしい者」と同じ意味の聖句については、啓示 3章4節で「彼らは白い[外衣]を着てわたしと共に歩くであろう。[それに]ふさわしい者だからである」と記述されています。

「彼らはもう死ぬこともないのです」、他の聖書翻訳では「彼らはもはや死に服することがない」「死は彼らに対してもう何の力もない」と訳されています。天に上げられ、不滅性を与えられた者たちです。(コリ一 15:53,54)


これは、私の主観です。正しいかどうかについては述べていません。また、他の人の考えに反論するものではありません。

編集者 土の器のかけら (2017年02月11日 17:53:19)

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#263 2017年02月11日 16:51:26

土の器のかけら
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

リッチ さんの発言:

土の器のかけらさんは、聖書や神の存在は信じてはいるが、模範的な行動が出来ていない、もしくはする気がない、という事でしょうか?

リッチさん、書き込みありがとうございます。
前半の「模範的な行動が出来ていないという事でしょうか?」の答えは、そのとおりです。

パウロは「全くへりくだった思いと温和さとをもち、また辛抱強さをもって愛のうちに互いに忍び、結合のきずなである平和のうちに霊の一致を守るため真剣に励みなさい」と懇願しました。(エフェ 4:1‐3)私は全てにおいて「善い行いをする正しい人」とはいえません。したがって、できません、無理です、というのが答えです。

後半の「する気がない、という事でしょうか?」の答えは、私はこころの中で思考したことの全てを実行できるわけではありません。する気がないというより能力的に無理があります。


リッチ さんの発言:

そうすると、あなたは神によって滅ぼされる側だと考えているのですか?

滅ばされる側かどうか私にはわかりません。私にはそれを考える権限もありません。また、被造物である人間存在が滅ぼされる側かどうか考えたりすると、エデンのときと同じ結果になると思います。

これは、私の主観です。正しいかどうかについては述べていません。また、他の人の考えに反論するものではありません。

編集者 土の器のかけら (2017年02月12日 01:16:11)

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#264 2017年02月12日 02:20:00

run
ゲストユーザー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

ん?土の器のかけらさんの言葉は、やはり解り辛いものがあります。

土の器のかけら さんの発言:

私は、神の家の者たち、油そそがれた追随者ではありません。クリスチャンではない私が正確に全てを理解することもできません。

「クリスチャンではない私」というのは、「私は天的級のクリスチャンではない」ということですね。
しかしJWでバプテスマを受けた人たちのことを「クリスチャン」と言いますよね?その点で言えば、貴方はクリスチャンですよね?
(恐らくバプテスマを受けた方であろうという前提で語ってしまいましたけど)

#265 2017年02月12日 03:22:42

土の器のかけら
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

run さんの発言:

ん?土の器のかけらさんの言葉は、やはり解り辛いものがあります。

土の器のかけら さんの発言:

私は、神の家の者たち、油そそがれた追随者ではありません。クリスチャンではない私が正確に全てを理解することもできません。

「クリスチャンではない私」というのは、「私は天的級のクリスチャンではない」ということですね。

runさん、返信ありがとうございます。runさんのいうとおりです。念のため、「天的級」という意味が「油そそがれた追随者」という前提ならばです。


run さんの発言:

しかしJWでバプテスマを受けた人たちのことを「クリスチャン」と言いますよね?その点で言えば、貴方はクリスチャンですよね?
(恐らくバプテスマを受けた方であろうという前提で語ってしまいましたけど)

バプテスマの前にバプテスマの意義を説明する聖書的な話が行なわれます。その話の結びでバプテスマ希望者は、質問に答えることにより信仰に関する公の宣言を行なうように求められます。(ローマ 10:10)

バプテスマを受ける前には、神との個人的な関係を築き、聖書の基礎的な事柄を正確に理解し、献身に関係した事柄を明確に把握していなければなりません。どんな霊的進歩が明らかになっているか、神はご自分の僕たちにこの段階を踏むよう求めておられます。

runさんに、このような私がバプテスマを受けた者だと誤解を与えたとしたら、本当に申し訳なく思います。すみませんでした。


「JWでバプテスマを受けた人たちのことを『クリスチャン』と言いますよね?」については、「油そそがれたクリスチャン」「地的な希望を持つ人(人々、人たち)」という表現が用いられています。2015年頃までは「地的な希望を持つクリスチャン」という表現がありましたが、用いられなくなりました。

しかし、その人なりの考え方で公の宣言をする人々がいるとしても、現在、それを排除したりしていません。私はそれでよいと思いますし、他の人のことについては何も言えません。
「霊にしたがう者は霊の事柄に[向ける]」(ローマ 8:5)

編集者 土の器のかけら (2017年02月12日 21:39:28)

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#266 2017年02月12日 04:22:52

run
ゲストユーザー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

土の器のかけら さんの発言:

このような私がバプテスマを受けた者だと誤解を与えたとしたら、本当に申し訳なく思います。すみませんでした。

そうでしたか。研究生なのかな?(別に答えなくてもいいですよ)。

土の器のかけら さんの発言:

「JWでバプテスマを受けた人たちのことを『クリスチャン』と言いますよね?」については、「油そそがれたクリスチャン」「地的な希望を持つ人々(人たち)」という表現が用いられています。

オンラインライブラリーで「クリスチャン」を検索すると次のようにあります。

ギリシャ語クリスティアノスのラテン語化された形で,クリスチャン・ギリシャ語聖書中に3回だけ出ており,キリスト・イエスの追随者,つまりキリスト教の唱道者たちを表わしています。
http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200000967

「キリスト・イエスの追随者」、「キリスト教の唱道者たち」というのは、油そそがれた追随者(天的級)だけを指すものではないでしょう?
それともライブラリーで説明されている「クリスチャン」の項目は油そそがれた追随者(天的級)だけを指して語られているのでしょうか?

#267 2017年02月12日 05:07:56

土の器のかけら
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

run さんの発言:

ギリシャ語クリスティアノスのラテン語化された形で,クリスチャン・ギリシャ語聖書中に3回だけ出ており,キリスト・イエスの追随者,つまりキリスト教の唱道者たちを表わしています。
http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200000967

「キリスト・イエスの追随者」、「キリスト教の唱道者たち」というのは、油そそがれた追随者(天的級)だけを指すものではないでしょう?
それともライブラリーで説明されている「クリスチャン」の項目は油そそがれた追随者(天的級)だけを指して語られているのでしょうか?

『洞察,第1巻』807–810ページ 「クリスチャン」における「クリスチャン・ギリシャ語聖書中に3回だけ出ており、キリスト・イエスの追随者、つまりキリスト教の唱道者たち」とは、参照聖句が全て「油そそがれた追随者」に関するものであることから、「油そそがれたクリスチャン」を指しています。

21世紀の現代社会におけるクリスチャンではなく、ギリシャ語聖書中に3回だけ出てくるクリスチャンが前提となって説明されています。当時、「神慮によってクリスチャンと呼ばれ」、超自然的な事柄、神託や神に関する事柄と結びつけられていることからも「油そそがれた追随者」だと思います。(使徒 11:26)


また、『洞察,第1巻』「クリスチャン」には、「地的な希望を持つ人(人々、人たち)」については全く書かれていません。啓示1章5節、 3章14節の「忠実な証人」というのは、エホバの証人のことではなくイエス・キリストです。

さらに、「地的な希望を持つ人(人々、人たち)」について明確に記述されたのは、1世紀末に記された『ヨハネへの啓示』巻末ですから、クリスチャンと呼ばれた西暦44年頃はまだ知られていませんでした。

編集者 土の器のかけら (2017年02月12日 06:59:01)

オフライン

#268 2017年02月12日 07:51:57

run
ゲストユーザー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

やはり「クリスチャン=油そそがれた追随者」というお考えなのですね。
そして「地的な希望を持つ人(人々、人たち)」のことはクリスチャンとは言わない。
でも、普通に使ってますよね?ライブラリーでも普通に使っていますし、JW自体はそんなに拘ってないのでは?

例えば、下記ページを見るだけでも普通に「クリスチャン」という言葉を使ってますよ?
http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/2003803

独身の人も結婚している人も,幾万というクリスチャン女性が開拓者や宣教者として奉仕し,生活の必需品だけで満足しながら王国の音信を広めています。

もちろん,多くのクリスチャン女性は家族に対する責任を顧みなければなりませんが,それでも王国の関心事をいつも大切な位置に置いています。

「主にある者とだけ」結婚するようにとのエホバの助言に忠節に従うゆえに結婚していない,クリスチャンの姉妹たちについて考えてみましょう。

一人の姉妹はこう語っています。「わたしは主にある者とだけ結婚することを決意していますが,多くの涙を流してもきました。友人たちがとても良いクリスチャン男性と結婚するのを見ながら,自分は独りのままです」。

普通にクリスチャンという言葉を使っているように思うのですけど…
それとも上記に挙げられているクリスチャン女性たちは皆「油そそがれた追随者」たちなのでしょうか?

#269 2017年02月12日 17:33:03

リッチ
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

なるほど。土の器のかけらさんの考えはわかりました。

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#270 2017年02月12日 21:12:10

土の器のかけら
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

run さんの発言:

でも、普通に使ってますよね?ライブラリーでも普通に使っていますし、JW自体はそんなに拘ってないのでは?

例えば、下記ページを見るだけでも普通に「クリスチャン」という言葉を使ってますよ?
http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/2003803

独身の人も結婚している人も,幾万というクリスチャン女性が開拓者や宣教者として奉仕し,生活の必需品だけで満足しながら王国の音信を広めています。

もちろん,多くのクリスチャン女性は家族に対する責任を顧みなければなりませんが,それでも王国の関心事をいつも大切な位置に置いています。

「主にある者とだけ」結婚するようにとのエホバの助言に忠節に従うゆえに結婚していない,クリスチャンの姉妹たちについて考えてみましょう。

一人の姉妹はこう語っています。「わたしは主にある者とだけ結婚することを決意していますが,多くの涙を流してもきました。友人たちがとても良いクリスチャン男性と結婚するのを見ながら,自分は独りのままです」。

普通にクリスチャンという言葉を使っているように思うのですけど…
それとも上記に挙げられているクリスチャン女性たちは皆「油そそがれた追随者」たちなのでしょうか?

runさん、返信ありがとうございます。runさんの疑問は非常に興味深いものです。

土の器のかけら さんの発言:

「JWでバプテスマを受けた人たちのことを『クリスチャン』と言いますよね?」については、「油そそがれたクリスチャン」「地的な希望を持つ人(人々、人たち)」という表現が用いられています。2015年頃までは「地的な希望を持つクリスチャン」という表現がありましたが、用いられなくなりました。

前述の#273において「2015年頃までは」クリスチャンという表現がありましたと説明しました。runさんの指摘した文書は2003年のものです。2016年以降は次第に用いられなくなりました。

runさんが教えてくださった「神の家=ベテル・ホーム=ものみの塔協会の本部や支部事務所で働くクリスチャンの自発奉仕者の住居のこと」の例と同じように、参照聖句と文章全体を読んで判断することをお勧めします。翻訳の問題も少なくありません。

「JW自体はそんなに拘ってないのでは?」という疑問については、私は他の人が拘っているかどうかその人のこころの中がわかりません。拘っている人もいれば、拘っていない人もいると思います。しかし、他の人の考えがどうであれ、私が口出すべきではありません。runさんの疑問は私の主観による答えではなかったのですか。


私は「地的な希望を持つ人(人々、人たち)」という表現を支持しています。しかし、現在、その人なりの考え方で公の宣言をする人々がいるとしても、それを排除したりしていません。それについては私も同様に支持しており、それでよいと思います。他の人のことについては何も言えません。私の説明が十分ではなかったことをお許しください。すみませんでした。

余談ですが、runさんが用いた「天的級」という表現も同じように用いられなくなりました。「天的な希望を持つ人」という表現に改められています。私に対しては、手持ち文書の「級」を目の前で抹消するように指示されました。口頭での言葉遣いも助言を受けます。ですから、この場合は他の人の考えを排除しないというのではなく厳格な命令だと思います。しかし、これもまた他の人がどうであるか私にはわかりません。


これは、私の主観です。正しいかどうかについては述べていません。また、他の人の考えに反論するものではありません。

編集者 土の器のかけら (2017年02月12日 21:47:32)

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#271 2017年02月12日 22:36:39

土の器のかけら
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

run さんの発言:

例えば、下記ページを見るだけでも普通に「クリスチャン」という言葉を使ってますよ?
http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/2003803

独身の人も結婚している人も,幾万というクリスチャン女性が開拓者や宣教者として奉仕し,生活の必需品だけで満足しながら王国の音信を広めています。

もちろん,多くのクリスチャン女性は家族に対する責任を顧みなければなりませんが,それでも王国の関心事をいつも大切な位置に置いています。

「主にある者とだけ」結婚するようにとのエホバの助言に忠節に従うゆえに結婚していない,クリスチャンの姉妹たちについて考えてみましょう。

一人の姉妹はこう語っています。「わたしは主にある者とだけ結婚することを決意していますが,多くの涙を流してもきました。友人たちがとても良いクリスチャン男性と結婚するのを見ながら,自分は独りのままです」。

runさんが教えてくださった記事が興味深いので注解してみます。これは私の主観です。他の人の考えに反論するものではありません。

この記事では「クリスチャン」と「姉妹」に区別しています。記事の前半、1世紀においてイエスに奉仕する特権を得たクリスチャン女性は「油そそがれたクリスチャン」です。

例えに登場するグウェン、ボニー、スーザン、オリビアなどは「油そそがれたクリスチャン」だと思います。なぜなら、参照聖句がハガイ 2章7節であることからわかります。ハガイ 2章7節の「あらゆる国民のうちの望ましいもの」の引照が、啓示の「子羊の血で洗って白くした長い衣を着て」いる人たちだからです。


runさんが引用した「ひとり身でも貴重な姉妹たち」の「忠節な者」は「あらゆる国民のうちの望ましいもの」と共通しています。(サムエル第二 22:26)

「わたしは主にある者とだけ結婚することを決意していますが、多くの涙を流してもきました」とは、「わたしはエホバに忠節を保つように決意していますが、多くの涙を流してもきました」ではないでしょうか。「忠節な者」であり続けるには多くの涙を流すこともあるという意味だと思います。


しかしながら、記事全体は現代の多くの姉妹たちを励ますことが目的であり、「油そそがれたクリスチャン」かどうかを問うものではありません。現代の油そそがれたクリスチャン女性を励ますとともに、「忠実なクリスチャン女性 」に倣うように励ます記事ですね。

また、複数の筆者と翻訳者が正確に記述しているわけではありません。日本語表現は曖昧です。しかし、私は参照聖句にハガイ 2章7節を記述した筆者からの情報を感謝して受け容れました。長文失礼しました。

編集者 土の器のかけら (2017年02月13日 00:07:36)

オフライン

#272 2017年02月13日 00:30:07

土の器のかけら
メンバー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

runさんの書き込みで思い出したことがあります。
巡回監督は「あなたはハガイ2章7節の『あらゆる国民のうちの望ましいもの』ですか」という質問をしたことがあります。私はわかりませんと答えました。とても重要な質問だったと思います。

ハガイ2章7節の「この家」が「神の家=ベテル・ホーム=ものみの塔協会の本部や支部事務所」という考え方をしている人が「はい、そうです」と答えたとしても、その人の自由です。

同じ質問をされたみなさんはどのような答えをしたのでしょうか。これは「議論に無関係な意見」ですが書きました。

編集者 土の器のかけら (2017年02月13日 00:42:59)

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#273 2017年02月13日 01:10:54

run
ゲストユーザー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

土の器のかけら さんの発言:

前述の#273において「2015年頃までは」クリスチャンという表現がありましたと説明しました。

編集されたのですね。今確認致しました。

土の器のかけら さんの発言:

runさんの指摘した文書は2003年のものです。2016年以降は次第に用いられなくなりました。

そうでしたか。貴方がいつからJWに関わるようになられたのかは知りませんけど、この変化に気づいた人たちは何も思わなかったのでしょうかね?
思うところがあったとしても ものみの塔の教えに従うだけなのかな?

#274 2017年02月13日 01:12:28

run
ゲストユーザー

Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

土の器のかけら さんの発言:

巡回監督は「あなたはハガイ2章7節の『あらゆる国民のうちの望ましいもの』ですか」という質問をします。私はわかりませんと答えました。とても重要な質問だったと思います。

「望ましいもの」とは、他の訳では「財宝」「宝物」となっています。
続けて文脈を見ると、「銀はわたしのもの、金もわたしのもの」とあります。

新共同訳
6 まことに、万軍の主はこう言われる。わたしは、間もなくもう一度/天と地を、海と陸地を揺り動かす。
7 諸国の民をことごとく揺り動かし/諸国のすべての民の財宝をもたらし/この神殿を栄光で満たす、と万軍の主は言われる。
8 銀はわたしのもの、金もわたしのものと/万軍の主は言われる。

新改訳
6 まことに、万軍の主はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。
7 わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の主は仰せられる。
8 銀はわたしのもの。金もわたしのもの。――万軍の主の御告げ。――

口語訳
6 万軍の主はこう言われる、しばらくして、いま一度、わたしは天と、地と、海と、かわいた地とを震う。
7 わたしはまた万国民を震う。万国民の財宝は、はいって来て、わたしは栄光をこの家に満たすと、万軍の主は言われる。
8 銀はわたしのもの、金もわたしのものであると、万軍の主は言われる。

「この神殿」、「この宮」、「この家」とは千年王国の神殿のことです。その神殿は栄光で満たされます(エゼキエル40~48章参照)。
千年王国の神殿は、豪華に飾られたものとなります。なぜなら、諸国の民が宝物をもたらすからです。銀も金も、【主】のものです。

#275 2017年02月13日 02:14:37

土の器のかけら
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Re: 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~

run さんの発言:
土の器のかけら さんの発言:

runさんの指摘した文書は2003年のものです。2016年以降は次第に用いられなくなりました。

そうでしたか。貴方がいつからJWに関わるようになられたのかは知りませんけど、この変化に気づいた人たちは何も思わなかったのでしょうかね?
思うところがあったとしても ものみの塔の教えに従うだけなのかな?

runさん、繰り返しの返信ありがとうございます。

2014年頃からの変更は私にとって大きく印象的でした。特に「級」を用いてはいけないと、手持ち文書の「級」を目の前で抹消するように指示されました。口頭での言葉遣いも助言を受けました。「天的級」も「忠実で思慮深い奴隷級」も改訂されたことに驚いた人が多いと思います。

runさん、もう一度「なんか、ズコー(っていうAAが欲しい)ってな感じです」と言ってくださいね。


「思うところがあったとしても ものみの塔の教えに従うだけなのかな?」という疑問ですが、私には他の人のこころの中までわかりません。従った人もいれば、従わなかった人もいると思います。他の人が自分の文書を抹消したり破棄したかどうかわかりません。

もし、私が他の人から質問を受けたら、この掲示板と同じ答えをします。または具体的に説明せずに、会衆の年長者たちの援助を求めるよう返答します。そこまでしか、私にはわかりません。

編集者 土の器のかけら (2017年02月13日 05:15:20)

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