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#551 昨日 17:52:38

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

山我哲雄にしてもリベラルな人間の説を集めただけに過ぎないでしょう。

次は佐藤研でも出しますか。ささらさん。

#552 昨日 17:53:18

ささらほーさら
メンバー

Re: 信仰を維持する

ジョエル さんの発言:
ささらほーさら さんの発言:

元証人さんに「ダビデ・ソロモンの栄華はあった!」「ソロモンは壮麗な神殿と王宮を建てた」と信じ込ませた方たちは数字や文字が使われた形跡のないその時代に、どのようにして神殿の建設計画やサイズやデザイン、手順や報酬などの取り決めについて伝えた・・・と述べていますか?

知られている範囲での最古の記数法は、シュメール(バビロニア)とエジプトで、それぞれ紀元前3000年頃ですが、現在の万国共通「0=ゼロ」に近い表記を作って、限られた記号のみで大きな数を表せる位取り記数法をバビロニア人が確立させたのは紀元前3~5世紀くらいです。

ヘブライの記数法はローマ数字のようにアルファベットを代用する、比較的新しい部類に入る加法型で、これもヘレニズムからの影響または借用とされています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98 … 0%E5%AD%97

ジョエルさん、情報ありがとうございます。ノアの洪水のトピで少し投稿しておいたのも確認してくださいね。誤りとかあったら教えてください。

オフライン

#553 昨日 18:07:34

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

で、信仰の欠片もないという指摘は図星では?

聖書についての質問さん。


あなたの立場を語ってくれないかね?

#554 昨日 18:12:00

さやか666
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

神学校エピソード、よろしく

#555 昨日 18:14:02

ささらほーさら
メンバー

Re: 信仰を維持する

元証人 さんの発言:

山我哲雄にしてもリベラルな人間の説を集めただけに過ぎないでしょう。

次は佐藤研でも出しますか。ささらさん。

そんなことより、わたしの質問に自分の言葉で答えましょうね。それともまたまた「枝葉」かな?

オフライン

#556 昨日 18:15:34

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

さやか666 さんの発言:

神学校エピソード、よろしく

おたくの文章は価値のないものばかりだ。
答える価値もない。

#557 昨日 18:18:32

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ささらほーさら さんの発言:
元証人 さんの発言:

山我哲雄にしてもリベラルな人間の説を集めただけに過ぎないでしょう。

次は佐藤研でも出しますか。ささらさん。

そんなことより、わたしの質問に自分の言葉で答えましょうね。それともまたまた「枝葉」かな?

見当外れな事ばかり書いて自分の言葉でですと?
それより不誠実な悪引用についてと、書いた者の年齢についての言い訳を先にどうぞ。


スレが流れたからといってあなたの不誠実な態度は見逃しません。

#558 昨日 18:20:43

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ささらほーさら さんの発言:

後半の資料、てつてつさんが6000円もかけて購入→データくださったので取り急ぎ眺めてみました。
件の証拠(「ダビデ、ソロモンは実在し、その栄華も確認されています。」)って以下の部分ですかね?
他は、エジプト、アッシリア等々の遺物の話しばかりでしたので・・・。

さて、
ソロモンの時代とされる建造物のうち,最も注目されているのは三つの町を通り抜けている通路である建造者 誰かを明らかにする礎石も文言もないしかし,そこから発見される陶器は,ソロモンの治世のものであるつまりその建造物は,その当時使わ れていたことを示している.その-つは,1902年から 1909年にわたるゲゼルでの発掘,もう一つは,1936 年から37年のメギドでの発掘そして第三は,1955年 から58年にわたるハツォルの発掘で発見された.発掘技術の進歩と陶器類の様式についての知識の向上によって,イガエル.ヤディン は,彼がハツォルで発掘した門をソロモンの時代に属すると判定した彼は,さらに,最初の発掘者たちが全然ソロ モンと関連づけなかったゲゼ ルと特にメギドでの残骸を調 べた.ヤディンは,これらの三つ の門がほとんど同じ平面図と非常によく似た特質を持っていることを立証することができたその門が建造され,使用された時代に属する陶器の 破片は,ソロモンの時代,す なわち10世紀の中期のもの である ハツォルの門が明らかにな った後,ヤディンは‘ゲゼル とメギドに注目したなぜな らソロモン王国の菫要な町で,ソロモンが行なった建築 活動に言及している聖書の箇所を思い起こしたからである第一列王記9=15節はこう記録している「ソロ モン王は,役務者を使って神 殿H一千宮を建て,町の東側を土で満たし,城壁を建てた彼はまたハツォル,メギド, ゲゼルの町々を再建した」 これらの町で見つかった門の平面図が一致していることに加えて,ヤディンは隣接している城壁も同一の平面図を持っていることを発見したそれらは,「ケースメイト」と呼ばれるすなわち,城壁が2列になり,その間に仕 切りとなる壁があり,一連の 細長い部屋が続いているもの である 各遺跡の床面の上に建つ城 壁の石造りは非常に質の高い 物であった城壁の各側面に
おけるブロックは正確に正方形になって積まれ,構造を堅 固なものにしている.
これら三つの門の間にある 類似性と石工術の質の高さとによってわかることは,これらの門が,かなりの資源を自由に駆使できる中央権力による設計に合わせて建てられたということである,その設計は中央権力の間に伝えられていた‘陶器の証拠は‘その建造物が前10世紀であることを示している.これらの諸点存聖書の記録と比較するとき,これらの門が実にソロモンの事業であるという結論は,ほとんど間違いのないものとなる石の碑文が不足している中で,これ以上確かにすることは困難であろう.メギドには,同時代に属する町の中に‘広大な建物の跡がある残念なことにその石工事は非常に良かったので, 後代の建築者たちがそのブロックを再利用するために破壊してしまった.その結果,王宮,官庁,当時の住居などはほとんど知られていない。」


???聖書の記述による「ソロモンの時代」「ソロモンの統治下」を前提に書かれているだけですよね。
ソロモンの神殿とか栄華の証拠や根拠についてはまったく触れられていませんが("^ω^)・・・。

「聖書時代の秘宝」をよく読みましょう。


「しかし,そこから発見される陶器は,ソロモンの治世のものである。つまりその建造物は,その当時使われていたことを示している。

その-つは,1902年から 1909年にわたるゲゼルでの発掘,もう一つは,1936 年から37年のメギドでの発掘そして第三は,1955年 から58年にわたるハツォルの発掘で発見された。発掘技術の進歩と陶器類の様式についての知識の向上によって,イガエル.ヤディン は,彼がハツォルで発掘した門をソロモンの時代に属すると判定した。
彼は,さらに,最初の発掘者たちが全然ソロモンと関連づけなかったゲゼ ルと特にメギドでの残骸を調 べた。ヤディンは,これらの三つ の門がほとんど同じ平面図と非常によく似た特質を持っていることを立証することができた。

その門が建造され,使用された時代に属する陶器の 破片は,ソロモンの時代,す なわち10世紀の中期のものである 。

ハツォルの門が明らかにな った後,ヤディンは‘ゲゼル とメギドに注目した。

これら三つの門の間にある 類似性と石工術の質の高さとによってわかることは,これらの門が,かなりの資源を自由に駆使できる中央権力による設計に合わせて建てられたということである。その設計は中央権力の間に伝えられていた‘陶器の証拠は‘その建造物が前10世紀であることを示している。」


つまり、ソロモン時代に中央権力により建てられた事が述べられているのです。


そして、あなたか文章を提供した者の意図的な文章の区切り方と、あなたの意図的な強調部分の置き方とに問題があります。



書籍で読めば、

「これらの門が実にソロモンの事業であるという結論は,ほとんど間違いのないものとなる。

石の碑文が不足している中で,これ以上確かにすることは困難であろう。」

とあり、※【これらの門が実にソロモンの事業であるという結論は,ほとんど間違いのないものとなる。】という事が述べられているのです。



あなたが読解力を身に着けましょう。
実際に本で確認するならば、そのような間違いには至らないはずです。


さらに、私が挙げたその次のページである106ページは故意に読み飛ばしですか。


「シシャクは、勝利後1年くらいで死んだ。彼の息子が捧げた贈物の詳細が記録されている。それは、他のいかなるファラオが記録した金と銀よりも多くの量に達している。重さでは金銀の合計は、約20万kg(200トン)である。
他のエジプト文書の研究から、これらの量が誇張であると考える理由はなにもないことがわかる。これほどの量ではないにしても、他のファラオたちも自分の神々に壮大な贈物をしている。この富がどこからきたのかを明らかにするものは何もない。しかし、その多くは、シシャクがエルサレムにあったソロモンの神殿と宮殿から運び去った金であったと考えるのは妥当なことであろう。」


そして、104ページには、アッシリアとバビロンの王が神殿を金で覆った事を誇っているが、それを疑う理由はないと述べており、エジプトからは神殿を覆っていた金の薄板の証拠がいくつか見つかっていると書いています。

そして、「そういうわけで、ここにソロモンの黄金の神殿に関する聖書の記述が、けっして単なる作り話でもなく、また誇張でもないことを裏付ける同時代のよい証拠が存在している。それは、古代には良く知られたやり方であったということになる。」

と締め括ってますね。
ソロモンの栄華は何も否定されていません。





ささらほーさら さんの発言:

それに筆者は、前書きの部分で
「もし考古学的発見の結果が,古代のある習慣について述べた古代の作者の記述と一致していても,それによって,書物に述べられたひとつの実例が実際に起きたということが立証されるわけではない.立証のためにはその出来事に関しての,独立した, 記述された証拠が必要であろう.」と述べていますよ。


その後に続く文章はこうです。

「しかし、聖書が述べていることが、しばしば古代の習慣と一致しているという事実は、聖書の記録へ積極的にアプローチするための良い基礎ではある(たとえば「黄金の神殿」、「ペルシアの郵便袋から」の項を参照)。
これらの記録を古代の背景の中に正しく位置づけることは考古学の重要な働きである。それによって現代の読者は歴史的、文化的レベルにおいて、よりよくこれらの記録を評価することができる。まれではあるが、旧約・新約の聖書箇所に直接的に関連した発見があれば、その聖書箇所の正しさを立証し、証拠を付加することができる(たとえば、「宝は隠れていなかった」「アッシリアが下って来て・・・・」の項を参照)」

このように述べて、参照するように述べた箇所では聖書が裏付けられた事が書かれています。


あなたはどこを読んでるんですか。



ささらほーさら さんの発言:

※現代の聖書学者の多く(わたし自身も)は、聖書の記述のすべてが作り話・神話であるとは考えていません。
とりわけ、バビロン捕囚より少し前(王国分裂時代)からの歴史に関しては
正確とは言い難いにしてもほぼ史実と一致している場合が多いでしょう。
ただ、それを「神」や「予言」「特別の民」として記述している扱い方には誇張や創作が認められ、
そこに至る古代の歴史に関しては、口承を元に作り上げられた「物語性」が大である=神の介入はないと考えているのです。

少なくとも史実と一致している場合が多いわけですね。


誇張や創作ではないという考古学的観点からの証拠もあり、誇張や創作ではないという意見の学者も数多く存在し、神の介入もあったとしているわけですから、あなたの説だけが通るはずがありません。

#559 昨日 19:58:40

ささらほーさら
メンバー

Re: 信仰を維持する

今日はコンサートに来ていますので、またね^_−☆

オフライン

#560 昨日 21:52:03

KAO
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ささらさん、コンサートは楽しんでくださいね。元証人さんの相手はもうよろしいんじゃないでしょうか?

#561 昨日 22:38:14

さやか666
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

あれれ

神学校には行きましたか

行きませんでしたか

どっち?

#562 昨日 23:04:53

良い子556
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

良い子556 さんの発言:
元証人 さんの発言:

私ですか。

私は神の目から見たら取るに足りない人間でしょう。

しかし、イエス様の十字架の血潮による贖いにより、義とみなされるのです。


人は信仰によって救われるのです。


アーメン。

結局、JWと何が違うの?

そこを教えて下さい。

元証人クリスチャンさん、去年を少し思い出しませんか? あの凛々しく颯爽と登場された時の事です。覚えていますか? 私は覚えていません。

そうです、聖書への信仰に迷ったJWを救うべく立ち上がった、あの時です。
目標はまだ達成されていません。

当たりまえですが、迷える子羊が迷っています。元証人クリスチャンさんと自分達の信仰は何が違うのかと。

何が違うんですか?

#563 今日 09:58:19

ささらほーさら
メンバー

Re: 信仰を維持する

KAO さんの発言:

元証人さんの相手はもうよろしいんじゃないでしょうか?

KAOさん、わたしもそろそろ潮時かな~と思っています。

事実や確証と憶測との違いがどうしてもおわかりにならないみたいだし・・・。
わたしは、カレブさんやKAOさん同様、
若い方やJWから離れたものの迷っている方に正しい情報をお分かちしたいだけなので
彼を説き伏せたいわけではないし
他の方の信仰を否定するつもりもありません。
一連のやり取りを閲覧されたり、
紹介された書籍を手に取って実際に確認していただければ
各々が相応しい判断をされるでしょうから。

収穫がひとつありました。
わたしの大切な友人のひとり(JWに疑問を持ちつつも聖書には誤りがないと信じたがっていた)が
元証人さんの理屈と態度を閲覧していくうちに
「『聖書は真実のみを語っている』ということに固執することがどんなに愚かしいことかわかった」と言っていました。
わたしもかつてそうでした。
お会いして新解釈を拝聴しようとまで考えていたskさん
ずっと彼の主張を追っているうちに
「これは変!」と感じるようになったものです。



元証人さん、今までおつきあいありがとうございました。
わたしのことは何とでも言ってください。
わたしの以下の投稿をもういちど挙げておきます。

ささらほーさら さんの発言:

確証と憶測の違いがお分かりにならない方に
一から説明するのも・・・ていうか「懇切丁寧に説明」してもお認めにはならないでしょうしね、結局。

ささらほーさら さんの発言:

山我さんの新し目の書籍に目を通した人が今までの発言をするとは・・・.°(ಗдಗ。)°.
何を読み取ったのやら・・・情け無くて言葉がないです。資料を読んだとか検討したとかは、内容をきちんと把握してこそ言える言葉ですよ。

オフライン

#564 今日 10:42:11

モトシモベ
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

KAO さんの発言:

元証人さんの相手はもうよろしいんじゃないでしょうか?

ささらほーさらさん宛の投稿ではありますが、年末のアホ発言ひとつで十倍返しされたわたしのMPもズタボロです。
この辺でにぎやかしからも手を引こうと思います。

かつてJWを「ただのカルト」とぶった切ったChimeraさんに期待していたのは事実です。
しかしChimeraさんの投稿を読んだり、直にやり取りする中でいろんな意味で底が見えてきました。
いわゆる「クリスチャンの信仰」も、所詮は都合の良いカルト思想の集合体だったのですね。勉強になりました。

ところで。
ささらほーさらさん、KAOさん、わたしが手を引いて、仮にさやかさんまで手を引いてしまったら、誰もChimeraさんの独り言の相手をしてくれませんよ?
そうなったらチラ裏どころか便所の落書きレベルです。
3月まで完走する意味があるのか不明ですが、がんばってください。

あるいは素直に「ごめんなさい」すれば、まだ相手をしてくれる優しい人が現れるかもしれませんね。

#565 今日 10:52:04

てつてつ
メンバー

Re: 信仰を維持する

みなさんお疲れ様でした   これ以上は平行線たどるだけだと思いますのでこの辺で切り上げたほうが賢明かもしれませんね 自分には勉強になる点もたくさんあったのでよかったです どうもありがとうございました

編集者 てつてつ (今日 11:07:06)

オフライン

#566 今日 16:16:04

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

モトシモベ さんの発言:
KAO さんの発言:

元証人さんの相手はもうよろしいんじゃないでしょうか?

ささらほーさらさん宛の投稿ではありますが、年末のアホ発言ひとつで十倍返しされたわたしのMPもズタボロです。
この辺でにぎやかしからも手を引こうと思います。

かつてJWを「ただのカルト」とぶった切ったChimeraさんに期待していたのは事実です。
しかしChimeraさんの投稿を読んだり、直にやり取りする中でいろんな意味で底が見えてきました。
いわゆる「クリスチャンの信仰」も、所詮は都合の良いカルト思想の集合体だったのですね。勉強になりました。

ところで。
ささらほーさらさん、KAOさん、わたしが手を引いて、仮にさやかさんまで手を引いてしまったら、誰もChimeraさんの独り言の相手をしてくれませんよ?
そうなったらチラ裏どころか便所の落書きレベルです。
3月まで完走する意味があるのか不明ですが、がんばってください。

あるいは素直に「ごめんなさい」すれば、まだ相手をしてくれる優しい人が現れるかもしれませんね。

あなたもしつこい人ですね。
あなたや他の冷やかしの人の発言が落書きなのです。

独り言ですか?妙な落書きが入らない分、聖書についての質問と名乗る人物やカレブ氏へ集中できるので都合がかえっていいのです。


そして、何をごめんなさいする必要があるでしょうか。


あなたとの対話を拒否している事も分からないのでしょうか。手を引くというのなら、二度と出てこなくて結構ですので。

#567 今日 16:17:43

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ささらほーさら さんの発言:

事実や確証と憶測との違いがどうしてもおわかりにならないみたいだし・・・。
わたしは、カレブさんやKAOさん同様、
若い方やJWから離れたものの迷っている方に正しい情報をお分かちしたいだけなので

ですから、あなたの発言は正しい情報でも何でもなく、否定派やリベラルな者の『説』を集めているに過ぎないのです。


ささらほーさら さんの発言:

収穫がひとつありました。
わたしの大切な友人のひとり(JWに疑問を持ちつつも聖書には誤りがないと信じたがっていた)が
元証人さんの理屈と態度を閲覧していくうちに
「『聖書は真実のみを語っている』ということに固執することがどんなに愚かしいことかわかった」と言っていました。
わたしもかつてそうでした。
お会いして新解釈を拝聴しようとまで考えていたskさん
ずっと彼の主張を追っているうちに
「これは変!」と感じるようになったものです。

その人物は、どこかに信仰を棄ててもいいとの考え、あなた方と同じ道を進んでもいいかなという思いがあったのでしょう。神や聖書に対する本当の愛と確信など最初からなかったのです。
エホバの証人としてやってきてなかなか組織の間違いと自分の選択を否定したくなかったのでしょう。

あなたの音楽の友人のクリスチャン(jwでなく)がいるならその人々に、神は結婚詐欺師のようだとか、愛がないとか、聖書は信用できないとかここで書いているような事を言い続けたらいいではないですか。
おそらく友人をなくすでしょう。


ささらほーさら さんの発言:

元証人さん、今までおつきあいありがとうございました。
わたしのことは何とでも言ってください。
わたしの以下の投稿をもういちど挙げておきます。

自分の不誠実な組織顔負けの悪引用と意見変更を指摘されたらそれですか。KAOさんも同じで自己の信仰について問われたら逃げる。『聖なる妄想の歴史』も昔読みましたが、それも一つの説に過ぎず、KAOさんの感想もまた一つの説に過ぎない。


二度と来ないように。


ささらほーさら さんの発言:

確証と憶測の違いがお分かりにならない方に
一から説明するのも・・・ていうか「懇切丁寧に説明」してもお認めにはならないでしょうしね、結局。

リベラルな人間の憶測は棚に上げて、そのような者の一つの説をあたかも唯一の正しい説であるかのように吹聴する様がおかしいと指摘しているのです。

最古の言語の問題にしてもそうです。諸説あると言いながらも自分の読んだものが真理であるかのように語る。あなたは古代に行って見てきたのか。最古の言語については様々な見解があるのです。

ささらほーさら さんの発言:

山我さんの新し目の書籍に目を通した人が今までの発言をするとは・・・.°(ಗдಗ。)°.
何を読み取ったのやら・・・情け無くて言葉がないです。資料を読んだとか検討したとかは、内容をきちんと把握してこそ言える言葉ですよ。

山我に限らず佐藤研(みがく)、田川、アーマン、秦と様々読んでますがね。あなた方より前から。

あなたは、自由主義神学に毒された人物のものに極端に片寄り、聖書信仰に立つ人の書いたものを極端に軽視しているのが明白ではないか。

そして、そういうものしか重視して読んでいない。信仰的なものから引用しても著者の結論と別の箇所を強調して悪引用する。不誠実極まりない。一体どこを読んでいるのか。

信仰を持つ者の意見に価値がないというのであれば、不信仰、或いは世に妥協した者の意見こそ無価値なのです。

理解力の不足しているのはあなた方のほうです。
そのような者に懇切丁寧に説明しても認めないどころか理解すらできないでしょう。

「こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。
この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである」

「そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

#568 今日 16:24:40

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

迷える子羊は人に頼らず、神との関係の中で自分で祈りのうちに調べ、自ら真理へ到達するものです。

しかし、海外奉仕さんのように真剣に悩んでおられる人達のために参考として書きます。

まず、エホバの証人はクリスチャンではありません。1世紀の初期クリスチャン達が「エホバ」と発音していた事実はありません。
もちろん、エホバはYHWHの四文字にアドナイの母音符号を混ぜてできた本来あり得ない発音、人造表現であり、後代にできたので当然です。
YHWHで表される神のみ名をクリスチャンは用いていませんでした。
なぜなら、「イエス」こそYHWHの現れであり、クリスチャンの伝え、呼び求める名とはイエスだからです。それがキリスト者、クリスチャンです。
決してエホバ者やエホビアンではありません。新世界訳では神慮によってクリスチャンと呼ばれたとありながらクリスチャンという名称があるにもかかわらず、独自にエホバの証人などと名乗るのは間違いです。
論じるの本等から反論はあるでしょうが、クリスチャンは過去2,000年の歴史の中で、エホバ者、エホビアン、エホバの証人などと呼ばれた事もありません。
クリスチャンはエホバの証人ではなくキリストの証人なのです。イエスを神と認めず被造物とするならクリスチャンではありません。

これらについてはjwを抜けて迷っておられる方々はウィリアム・ウッドさんや岩村義雄さんの書籍等を参考にされたらよいでしょう。他にもエホバの証人とキリスト教の違いを扱ったものはありますので各自で調べて下さい。

さて、エホバの証人の説くようなキリストの見えない様での臨在など聖書は教えていません。
1914年ハルマゲドン説が外れたために苦し紛れに言い訳したに過ぎません。
キリストの再臨は見える仕方でただ1度だけです。
ですから、1919年に組織がキリストの検閲をパスして『忠実で思慮深い奴隷』として任命されたという事はありません。

1914年から終わりの日に入ったのではありません。
キリストの預言された飢饉、地震、戦争などが再臨や世の終わりが近いことの前兆になっていないということでしょうか。そうではありません。これらの事柄は、全ての時代の人々に対するしるしであり、キリストの来臨を待ち望む信仰を促すしるしでした。そうです。人類は、ペンテコステの日以来、終わりの時代に入っており(使徒2:17-21、ヘブライ1:1-2、ヨハネ第一2:18、コリント第一10:11)、この2,000年間ずっと、キリストのことばの文字通りの成就を見てきたのです。

だからこそ、キリストのことばが全ての時代の人々に当てはまるのであり、意味のあることばとなるのです。
「それゆえ、ずっと見張っていなさい。あなた方は、自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです。」(マタイ24:42)

「「「しかし、たとえわたしたちや天からのみ使いであろうと,わたしたちが良いたよりとして宣明した以上のことを良いたよりとしてあなた方に宣明するとすれば,その者はのろわれるべきです。」(ガラテア1:8)

初期クリスチャンが1914年に設立される天の王国など伝えたでしょうか。違うものを良い便り(福音)として伝える者は呪われるのです。

ほかの羊とは、地的クラスではなく、ユダヤ人に対しての異邦人クリスチャンを指します。
144000人というのは通常のキリスト教会においては象徴数であり、大群衆と同じで全てのクリスチャンを指します。
12の12倍    完全数の倍数で、さらにそれを千倍して、全てを包括する完全性を表すという説明もあります。

天的クラスと地上組の2段階の差別的な救いなど聖書は教えていません。

そして、もちろん輸血拒否も間違った拡大解釈であり、さらに、死んで無意識、無存在になるのではなく、魂に意識があることが示されています。(本が一冊書けるぐらいの量になりますので、ここでの説明は省きます。)

イエスは神の子ですが、クリスチャンなどが神の子と呼ばれるのとは異なり、イエスは子なる神、独り子の神であり、神そのものであられます。
聖霊も人格を持たれる方であり、単なる神の力、エネルギーではありません。
三位一体の神についても長くなりますので、また、それを扱った書籍もいくつか出ていますので各自で調べて下さい。

エホバの証人の間違いには気付きました。
では、組織を出てどこに行けばいいのでしょうと問われるかもしれません。

イエス・キリストの元に行けば良いのです。
神と人間の仲介者はイエスだけであり、どんな人間製の組織も支配すべきではないのです。

では、既成のキリスト教会はどうなるのかと言われる事でしょう。この点で、教会で教える者は一番小さい者であり、仕える点で率先し、謙遜な者でなければなりません。
権威を振るうような者ではないのです。

ですから、ふさわしい教会を選びましょう。

エホバの証人の間違いに気づいた後、ここの掲示板の多くの人のように信仰を棄てる道を選びますか?
そして、よく言えばリベラル、悪く言えば世に妥協したクリスチャン、神の言葉よりも、この世の知恵と呼ばれるものに妥協した『信仰』を選びますか?
どちらも『別の囚われ』です。

ですから、イエス・キリストの元に行けば良いのです。

エホバの証人の集会全てに参加し、予習し、注解し、野外伝道や大会に参加して忙しくして組織に忠誠を保つなら、将来に救われるというのは聖書の教える救いではありません。

「み子に信仰を働かせる者は永遠の命を持っている。み子に従わない者は命を見ず、神の憤りがその上にとどまっているのである。」


「きわめて真実にあなた方に言いますが、わたしの言葉を聞いてわたしを遣わした方を信じる者は永遠の命を持ち、その者は裁きに至らず,死から命へ移ったのです。」


信じた時点で死からいのちに移っており、永遠の命を持っているのです。

組織の指示に従って忙しくしていれば、いつかハルマゲドン後に永遠の命が与えられるかもしれないという不確かなものではないのです。

クリスチャン、キリスト者(エホバ者ではない)の救いは今、与えられているのです。

組織を出たらどこへ行けば良いでしょうかとお考えになるかもしれません。その答えは聖書にあります。「すべて、労苦し、荷を負っている人よ、わたしのところに来なさい。そうすれば、わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう。」(マタイ11:28)

「だれでも渇いている人がいるなら、わたしのところに来て飲みなさい。」(ヨハネ7:37)

「わたしのもとに来る者を、わたしは決して追いやったりしません。」(同6:37)

そうです。あなたは、イエス・キリストのところに行けばよいのです。自分自身をキリストに委ねてキリストに救いを求めればよいのです。

あなたは、エホバの証人の組織に永遠の命があると思っていたかもしれません。けれども、そうではありません。聖書は、永遠の命をイエス・キリストにあると明言しています。

「あなた方は、聖書によって永遠の命を持てるようになると考えて、それを調べています。そして、これこそわたしについて証しするものなのです。それなのにあなた方は、命を持つためにわたしのところに来ようとしません。」(ヨハネ5:39-40)

「そして、神がわたしたちに永遠の命を与えてくださり、この命がそのみ子のうちにあるということ、これがそのなされた証しです。み子を持っている者はこの命を持っています。神のみ子を持っていない者はこの命を持っていません。」(ヨハネ第一5:11-12)。

あなたは、自分の努力や良い行いや組織に対する忠誠の報いとして、やがていつか救いが与えられると期待していたかもしれません。
しかし、救いは神の賜物であり、イエス・キリストに対する信仰だけで与えられるものであり、今経験できるものなのです。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:8-9、新改訳)。

「救われた」と書いてあることに注意してください。聖書の言う「救い」とは、未来の神の国において、死や病気や貧困からの解放を保証するだけでなく、今、罪の束縛や刑罰から救われる経験も含むものなのです。この救いを言い表すのに、聖書の中で様々な表現が用いられています。「義と宣せられる」、「新しく生まれる」、「神の子供とされる」、「新しい創造物になる」、「罪を赦される」、「生かされる」、「永遠の命を与えられる」などですが、これらのことばは全て過去形で書かれています。
(ローマ5:1、ペテロ第一1:3、コリント第二5:17、ヨハネ1:12-13、エフェソス2:4-6、ヨハネ第一5:11-13)
これらの聖句が示している救いの経験こそ、あなたが求めておられることではないでしょうか。

どうか、勇気のある決断をしてください。偽りの組織を出て、イエス・キリストを救い主として迎え入れてください。そうすれば、あなたは必ず、聖書に書いてあるとおりに救われ、今まで味わえなかった神の豊かな祝福を経験することでしょう。
そして、同じように救いの体験をし、聖書に従って生きていこうとするクリスチャンの群れに導かれることでしょう。



お祈りします。

#569 今日 17:37:10

さやか666
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

皆様は山田ズーニーさんってご存知でしょうか


長いですが興味のある方はお読みください








●なぜか饒舌になるとき

ある演劇の演習を、見てきた友人が、
こんなことを言った。

その日の、その演習は、
先生が、わざと、意図を知らせず、
生徒に表現させていった。

それで、

演習がすすむにつれ、
自分で演習の意図に気づいて、
大事なことをつかんでいった生徒と、

最後まで意図に気づかず、
その日の演習の核心をつかめなかった生徒と、
差が出てしまったそうだ。

同じ空間に、
「わかっている人」と、「わかっていない人」、

その差は、歴然としていた。

同じものを学んでも、
それぞれの、「内面の準備」によって、
あるいは、ある方面への「慣れ」によって、
理解に差が出てしまうのはしかたのないことで、

「わからない」、そのこと自体、
「恥かしいことではない」、

と、私は思う。
第一、そんなことを、いちいち恥かしがっていたら、
なにも、新しいことは学べないもの。
未知に、からだごと、突っ込んでいった。
そのこと自体が尊い。

私が、注目したのは、ここからだ。

演習のあと、

なぜか、「わかっていない人」ほど、饒舌に、
その演習のことを語り、
言えば言うほど、
その人が、いかにわかっていないかが、
まわりに、あからさまになっていった、
という点だった。

そう。
そういう場合、多くは、
「わかっている人」は、黙っている。

声高らかに、しゃべっているのは、多く、
「わかっていない人」だ。

わたしも、記憶のなか、
なぜか饒舌になり、
しゃべればしゃべるほど、
墓穴を掘ってしまった経験が思いあたる。
そういう自分を振り返ると、恥かしい。

よくわかっていないなら、
しゃべらなきゃ、人にはバレない。恥もかかない。
なのに、そういうとき、
しゃべらずにおられない何か、がある。

なぜか饒舌になるとき、
そこに、どんな心理が働いているのだろうか?

以前、企業で編集者をしていたとき、

私は、原稿をいただいた先生に、
電話で、改作を頼んでいて、
ちょっと、もめたことがあった。

それまでは、先生の話をじっくり聞きながら
電話のやりとりをしていたのに、

途中、私は、「なぜか饒舌に」なった。

先生の言った、何かひと言に反応したのだ。
「そんなことありません! もう、先生、怒りますよ!」
とばかり、私は、私の考えを、一気にまくしたてた。

急におしゃべりになり、
しゃべる、しゃべる、一方的に、よくしゃべる、私を、
先生は、まったく、口をはさむことなく、
あいづちさえ打たず、
じっと、黙って、聞いて、いた。

話しおわると、先生は、きわめて、冷静に、こう言った。

「山田さん、怒るということは、図星ということです。」

このときの、ズッキーン! と
言葉がささる感じを、何年たっても、忘れられない。

いつも、いつも、
自分が怒るとき、相手の指摘が図星
とは限らないのだろうけれど。
このときから、私は、感情を荒げたようなとき、

「怒るときは図星」

という言葉が蘇ってきて、
ビクリ、とするようになった。

結局、このとき、私は、
先生の言葉を、否定することも、
かといって、肯定することも、絶対、できず、
一瞬、押し黙ったものの、
あとは、また、しゃべりまくって、
「なぜか饒舌」なまま、その場をなんとかおさめた。
いま、思い出しても、恥かしい、自分の姿だ。

「なぜか饒舌になるとき」と言えば、
こんなケースもある。

「ほぼ日」に感想メールを書こうとしていたときのことだ。

わたしも、「ほぼ日」の読者であり、
心に触れた記事があると、
ときおり感想メールを書いて送る。

「そうそう!私も同じことを想っていたの!」
という、「共感」や。

自分の経験に照らしてみて、
記事がこういうふうにしみた、という「理解」や。

新しい気づきがあった、という「発見」や。

ほうっておけば消えてしまう感想が、
稚拙でも、カタチになり、
自分のものになるのは、うれしい。
運よく編集部に伝わったときは、さらに、うれしい。

多くは、そんなうれしいやりとりなのだが、
その日だけは、ちがった。

「ほぼ日」の、ある記事を読んで、
すぐに、感想メールの欄を押してしまっていた。

だけどヘンなのだ。
普通は、何か伝えたい気持ちがあって、感想を書く。
だけど、その日は、「感想を書く」というのが
目的になってしまって、無理やり、
書くことを、探し出し、こじつけようとする自分がいた。

書くことがないなら、「黙って」いればいいのに、
黙っていられない。
これも、カタチはちがうけれども、
「なぜか饒舌になる」瞬間だった。

何か伝えたい気持ちがないのだから、
メールを書いていて、どんどん、自分が、つまらなくなる。
書いては消し、書いては消し、をくりかえした。

最初は、記事に対して、
「そうだそうだ、そのとおりだ」
というようなことを、私は、言おうとし、
そのうちに、
「私は、断じて、記事に出てくるような、
そんなことはしておりません」
というような内容になっていった。

たとえは悪いかもしれないけれど、
クラスで、給食費がなくなったようなとき、
自分はとっていないし、
だれも自分をうたがっていないのに、
自分から、「私はとっていない」と言って、
言えば言うほど、墓穴をほるような、
なんか、そんな感じのメールになってきた。

それじゃまずい、と角度をかえると、しだいに、
「いちゃもんをつけたいのか自分?」
という感じになってきて、
そのうち、
「いったい自分は、そうまでして、
なんでメールを書こうとしているのか?」
と考えて、「はっ!」とした。

これは、「雑音」だな。

ひとことで言えば、私は、記事の内容に関して、
無意識の部分で、なにか、うしろめたかった。
まったく人を攻撃するような内容ではなかったのに、
無意識の部分の何かが、
攻撃を受けたような感じがしていた。

口を閉じて、静けさに耳を澄ますことで、
それが、自分の身に、ひたひたと迫ってくる。
その音から逃れようとして、
私は、自ら「雑音」を立てていたのだ。

沈黙への抗い。
黙すれば、聞かねばならぬ音がある、
気づいてしまうことがある。
それに抗い、紛らす、自分がいた。

こういうときは、苦痛だけど、
いったん、発言スイッチを切って
静けさの中に、耳を澄ましたほうがいい。
そう思って、そのときだけは、
メールを書くのをやめた。
そうして、私は、じっと自分の心の音を聞いた。
あのとき、静けさの中に、
自分を解き放ってよかったと想う。

なぜか饒舌になるとき、
そこに、どんな心理が働いているのだろうか?

静けさの中、自分が聞くべき音は、何だろうか?

#570 今日 18:38:20

良い子556
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

「迷いJW羊は尋ねる」

なるほど、解釈が違うのか、では聖書をどう解釈すれば良いのだ?

元証人クリスチャンさんは勝手に聖書を解釈するな、と言っていた。実際、聖書にも書いてあるし....

正解は何なのだ?

irisさんに聞けばパパ様です、と言うだろう。

KAOさんに聞けば、存在しない神に祈る(意味はきちんと調べてね)
と言うだろう。

どちらも解釈が違うが、お互いに解釈について争っていない。

なぜ認めあっているのだろう?
なぜ元証人クリスチャンさんだけ、相手を認めようとしていないのだろう?

それは元証人さんだけがクリスチャンだからなのか?

教えてくれメェ~~

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