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#76 2017年01月06日 18:21:03

さやか666
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

私が食べたのは300円のやつだ

80円プラスすると本物に出会えたんですか。残念

また行きます


ライトアップしてる時期もあるみたいで

#77 2017年01月06日 20:33:06

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

さやかさん 円八のあんころは以前は300円でしたので大丈夫かもしれません ちゃみせで中身だけ出てきたのならちょっとわからないですが 包みごと購入して 本物の竹の皮に包まれていたのならまちがいないです 他のメーカのは紙の箱とかプラスチックの入れ物ですから
今年は雪が全然ふらなくて 残念ながらまだ兼六園は雪化粧していないです 自分たちの生活は大変楽なのですがちょっとさみしいですね

またいつでもぜひ来てくださいね

編集者 てつてつ (2017年01月06日 21:26:51)

オフライン

#78 2017年01月09日 00:10:44

KAO
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

みなさん、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

てつてつさん、私は東京に戻りましたが「ナザレのイエスは神の子か」は、みなさんの議論の成り行きを見ているだけでもどうも怪しい本なので、買い急いでポチらず、キリスト教書店で値段に見合う本かどうか現物を確認してから購入しようと思います。

お正月は短い帰省中にやることが多く、ランプから出ないばかりか、なかなかパソコンも開けなかったので充分対応できずにゴメンナサイです。今日は学校の仕事ばかりでは気が滅入るので、少しパソコンに向かい、てつてつさんの質問を確認しました。

【元証人さんの発言】
「否定的な著作の多い自称、神を信じないクリスチャンであるギリシャ語の専門家の田川建三さんでさえ、『書物としての新約聖書』の中でマルコなどを福音書筆者と書いてます。(P333)」

これに対し【てつてつさんの発言】
「確かに田川さんはマルコの福音書はマルコがアラム語で書いたという理解でした
大変勉強になりました 元証人さんもすごい勉強しておられるのですね

というわけで ちょっと自分にはこれ以上分からないですね すいませーん 田川先生のパダワンのKAOさーん お願いします ちょっと助けてくださーい」

・・・という流れだったのですね。必要とされている時に忙しくてランプから出てこられないようでは「ランプの精」失格でしたね(笑) それではあらためまして・・・

田川先生は「マルコが福音書を書いた」なんて一言も言っておられないのでご安心を(笑)
突然こう書いても意味不明かもしれませんが、少し面倒ですが説明を試みます。

まず第一に我々の手元には「マルコによる福音書」が存在します。これは歴史的な固有名詞です。それに対し「この福音書はいったい誰が書いたのか?」という聖書学上の著者問題というものがございます。この第二福音書がマルコの名と結びつけられたのは、「教会史」で知られるエウセビオス(260-339)が、ヒエラポリスの司教パピアスの伝える伝承によるもので、そこで「マルコ」はペテロに同行した通訳として言及されています。しかしそれがⅠペテロ5章13節の人物を指しているかどうか、単なる通訳ではなく「わたしの子」と表現されており、それにⅠペテロそのものが偽書とされていることを勘案すると、根拠は乏しいようです。他にも新約の中にはパウロの同行者としてのマルコ(ヨハネ・マルコ)も存在しますが、その場合でもイエスの同時代人とはなりません。

要するに聖書学の分野では、マルコ福音書の著者は「無名人」であり、著者としての「マルコ」とは、便宜上の記号にすぎないということです。田川先生は、もはやマルコの専門家という狭い範囲の研究者ではありませんが、学位論文はマルコ研究だし、いまだ上巻だけとはいえ、『マルコ福音書』注解も出しており(新教出版社:1972年)、その序説の部分で著者問題に言及し、「著者がどういう人物であったかはわからない。新約聖書で何度か言及されているマルコなる人物(使徒行伝12:12,25,13:5,13,15:36以下 ピレモン24,第一ペテロ5:13)とは、おそらく無関係であろう。」(P6)と明確に書いていらっしゃいます。

「反対意見を記した書物も公平な目で見て幅広く読書する」とは立派な心がけだと思いますが、その読んだ内容を正しく理解できているかどうかは、まったくの別問題です。

田川先生のみならず、聖書学者が「マルコ」と言う場合、それは記号としてのマルコ福音書著者を指しているに過ぎません。これは聖書学のイロハの前の「ペンの持ち方」の部分ですが、てつてつさん御用達のティンデル聖書注解にはどう書いてありますか? このシリーズは保守的な立場の学者さんたちが集まっている注解シリーズですけど、その程度の説明はあるのではないでしょうか? ふつう注解書には、最初に「著者・著作年代・著作場所」について概観してあると思います。


この元証人さんの書き込みに、てつてつさんは動揺してしまったのでしょうか?
「確かに田川さんはマルコの福音書はマルコがアラム語で書いたという理解でした」
とは、いったいどの部分をお読みになったのでしょうか?もう少し落ち着いてくださいね。
田川先生は、マルコにとって第一言語はあくまでアラム語で、ギリシャ語は第二言語に過ぎなかったのに、頑張って、そのギリシャ語を駆使して苦労して書いたのだ、とおっしゃっていますよ。

少し落ち着いたら、この第二章「新約聖書の言語」の最初の部分に戻ってみましょう。200ページを開いてみてください。そこにはこうあります。

「その前にまず、念のため、新約の全ての文書はギリシャ語で書かれているということを事実として確認しておこう。つまり、はじめからギリシャ語で書き下ろされたということだ。ほかの言語で書かれたものの翻訳ではない。それも二七の文書の全てがそうである。部分的にさえも、ギリシャ語以外の原作はない。」

ものみの搭協会が、YHWHが新約にあった(はずだ)、という主張の根拠として、彼らにしてみれば背教した時代のはずの、4世紀のヒエロニムスに頼って「マタイはヘブライ語で福音書を編んだ」という伝承をよく引き合いに出しますが、今日この伝承を真に受ける聖書学者は誰もいません。現物証拠となる写本の断片でも出てくれば話は変わると思いますけど。

#79 2017年01月09日 10:26:20

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAOさん 大変詳しい解説ありがとうございます

この元証人さんの書き込みに、てつてつさんは動揺してしまったのでしょうか?
「確かに田川さんはマルコの福音書はマルコがアラム語で書いたという理解でした」
とは、いったいどの部分をお読みになったのでしょうか?もう少し落ち着いてくださいね。

すみません もう一度読み直してみました

そのセミティズムないしアラマイズムが非常に多く出て来るのがマルコ福音書である。これは本当は、単にギリシャ語における他言語の影響などという程度のことではあるまい。むしろアラム語で思索し、アラム語を母語とする人間が第二言語としてのギリシャ語で文章を書くとどうなるか、という問題であろう。しばしば、新約聖書の著者の中でマルコとヨハネ黙示録の著者のギリシャ語は粗野であると言われる。要するにギリシャ語が下手くそなのである。厳密なギリシャ語文法を頭に置けば、単純な間違いとも言えるような書き方がしばしば出て来る。これを露骨に下手だなどときめつけては、何しろ聖書の著者なのだから、失礼にあたると思うのだろうか、

ちゃんと アラム語で考え母語としている人間が第二言語のギリシャ語でかいたとかかれていました おかしいなー 自分が最初に見たときはアラム語で書かれたと書いてあったような気がしたんですけど アワアワと動揺したのかなー それとも目にウロコがついてたのかなー ?
(使徒 9:18) …するとすぐに,その両目からうろこのような物が落ち,彼は視力を取り戻した…
でもKAOさんのおかげでウロコが落ちてはっきり見えるようになりました「まだかなりあやしいですが」

田川先生のみならず、聖書学者が「マルコ」と言う場合、それは記号としてのマルコ福音書著者を指しているに過ぎません。これは聖書学のイロハの前の「ペンの持ち方」の部分です
記号としての意味だったんですか てっきり田川先生はマルコの福音書の筆者がマルコだと認めていて その解説をしているものと思いました すいませんえんぴつの持ち方すら知らないです cry

ティンデルのマルコの筆者については

この福音書自体がマルコによって書かれたと言ってはいない。この書のどこにもマルコという人物への言及はない。マルコによるという表題は、すべての写本に含まれているが、おそらく後に、と言っても早い時期であるが、この福音書に付加されたものである。事実、この書の内容にはいかなる著者への言及もまったくないし、ルカの福音書(ルカー・3)やパウロの手紙(ローマ-.1)のように、「著者を示して」もいない

と書かれています

それで結論として 下のアーマンさんの表現とは微妙に違いますけど マルコではないことだけは間違いないようです

イエスの弟子が文字を書くことはおろか、読むことができたことを示唆する記述すら、福音書にも『使徒言行録』にも見当たらない。事実、『使徒言行録』には、ペトロとヨハネが「無学」であると書かれている(四章十三節)。「無学」とは、古代では文盲を指す言葉である。イエス同様、ガリラヤのユダヤ人であるイエスの弟子は、アラム語をしゃべっていたはずである。田舎出身の彼らは、おそらくギリシャ語の知識が皆無だっただろう。たとえ知識があったとしても、かなりいい加減なものだったに違いない。なぜなら、彼らは、その日暮らしのアラム語を話す文盲の農民と共に生活していたのだから。端的に言って、イエスの弟子はどのような人びとだったのか?彼らは文盲で、アラム語をしゃべる、ガリラヤの下層階級の農民だった。ならば、福音書記は誰か?彼らの身元は伏せられているが、福音書にはいくつかの手がかりが残されている。福音書から分かることは、私たちがイエスの弟子について知っていることと完全に食い違う。福音書の作者は高学歴で、ギリシャ語が堪能なキリスト教徒であり、おそらくパレスチナには住んでいなかった。

あと 福音書の筆者がだれかという問題は大した問題ではなく その内容が信頼できるものかということのほうがはるかに大問題なのですが なかったノアの大洪水や 不確かなソロモン王の栄華 なかった人口調査 イエスが処女から生まれるという根拠の聖句が誤訳からきていることなどから その他の記述もそのまま信じるわけにはいかないという感じです

あと本はアマゾンの評価みれば大体検討つくと思いますが 半分以上は筆者の記者として経験したときのお話で 本当に大切な論議の部分はわずかですので 近くの図書館などで中身を確認してから購入されたほうが良いと思います「けっこう高価ですし」 またはすぐに読めるので借りてくればよいと思います

長くなりましたが さすがエンペラー田川先生のパダワンのベイダー卿のKAOさんだけあって聖書の暗黒面のフォース半端ないです またこれからもよろしくお願いします smile

編集者 てつてつ (2017年01月09日 11:00:02)

オフライン

#80 2017年01月09日 12:39:04

KAO
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

てつてつさん
目からウロコが落ちてよかったです。ものみの搭の信者の方たちは、長年聖書に「書かれていないこと」を聖書から読み取るように訓練されてきたと思います。私も『聖書は実際に何を教えていますか』という書籍で、聖書が実際には教えていないことばかりを学ぶ機会がありました。また協会は、著名な学者の書物を引用しながら、その主張とは180度反対の結論を導き出すということまでやってのけます。
以前、子どもの学力国際比較で、日本の子どもたちは「計算」や「暗記」の能力が高い反面、「読み取り能力」が低いと言われたことがありました。初等教育に携わる者として肝に銘じているところです。

話題変わりますが、今「も搭」誌11月号の予習をしています。その20ページに「世界的な業のために寄付をする方法」というコラムがあります。

「無条件の寄付:銀行送金、デビッドカード、クレジットカード・・・
現金、宝石、貴金属、高額な物品、不動産、保険、遺贈・・・」こんな単語が踊っていますよ(恐)

読むだけでこの宗教タダ者ではないと感じます。これだけで覚醒してもおかしくないと思いますが、目にくっついているのはウロコだけですか?
さらにアイマスクして頭から袋かぶって後ろ手に手錠をして、脱出イリュージョンの引田天功(ちょっと古い)みたいな状態になっていませんかね?

#81 2017年01月09日 13:07:37

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAOさん 書き込みありがとうございます

「世界的な業のために寄付をする方法」というコラムがあります。
「無条件の寄付:銀行送金、デビッドカード、クレジットカード・・・
現金、宝石、貴金属、高額な物品、不動産、保険、遺贈・・・」こんな単語が踊っていますよ(恐)

そうですか.....

田川先生が翻訳したウイリアムティンダルの378ページ

教会堂、礼拝堂、祭壇、高祭壇、聖餐杯、礼拝用衣装、鐘などの聖物扱い、というよりむしろ呪物化。本、鐘、燭台、オルガン、聖餐杯、礼拝用衣装、聖職者のマント、祭壇の飾り布、白衣、手ふきの布、清めの水の鉢、水差し、舟形の器、香炉などあらゆる類の装飾品は、無料で彼らに提供されねばならない。彼らはそれに対してびた一文支払わないであろう。加えて、乞食修道士が群がる。パーソン(聖職禄つき司祭)が鋏を入れ、ヴィカー(聖職録のつかない司祭)が剃り、教区の司祭が角を切り、修道士が削り、免罪符販売人が爪を切る。あとは肉屋が皮をはぐだけである。

のことばを思い出しました 信者さんは骨の髄までしゃぶられますね

目にくっついているのはウロコだけですか?
さらにアイマスクして頭から袋かぶって後ろ手に手錠をして、脱出イリュージョンの引田天功(ちょっと古い)みたいな状態になっていませんかね?

でも 自分も現役のころこのような文を見ても 何もおかしいとは感じませんでした もう完全に催眠術にかかって心が無感覚になっていたんですね
(エフェソス 4:18) …彼らは精神的な暗闇にあり,神に属する命から疎外されています。それは彼らのうちにある無知のため,またその心の無感覚さのためです…

どうもありがとうございました

編集者 てつてつ (2017年01月09日 13:09:52)

オフライン

#82 2017年01月10日 13:38:26

yukahena
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAOさん

先日は引き合いに出してしまい失礼いたしました。(アブラハムの神の限界 #614)

某人気アニメの主人公っぽい(笑)マルコのご説明をありがとうございました。マルコが記号に過ぎずどんな人物かも全く不明なのですね。
このたび4福音書を解説してくださった皆さんは、文体が違うものの大げさに聞こえるかもしれませんが広範な知識や深い知性や教養や品性が投稿内容や行間ににじみ出ているように感じられました。自称たくさんの本を読んで何でも知っているような尊大なお方からは全然感じられなかったもので、その雲泥の差はどこから来ているのか不思議です。

お三方により知識を増やすことができ大変勉強になりました。

オフライン

#83 2017年01月10日 21:59:58

KAO
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

yukahenaさん、ありがとうございます。
前にも書きましたが、マルコ10章のイエスの子どもたちに対するまなざしは、私にとって教師人生の指針となっているもので、それはこの福音書の著者がマルコであろうとなかろうと、その価値が減ずるものではありません。後の時代の教会教父たちも、書物に名前がないと不便だから、想像力を逞しくして「著者」の名前を当てがっただけではないでしょうかね。

#84 2017年01月10日 22:30:19

KAO
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

てつてつさん
今日仕事帰りにキリスト教書店に寄って『ナザレのイエスは神の子か』を買ってきましたよ。最初「いのちのことば社」のコーナーに行ってみたら全く見当たらず、2200円のはずがアマゾンで3800円になっていたのを思い出して版元品切れと悟りました。ところがそこのキリスト教書店は小さいですが3分の1ほどは古書のスペースで、そこに行ってみると・・・ありましたよ!! 「エホバだわ~!」と思いながら手に取って見ると2500円!
少しばかり色つけてありましたが、アマゾンより安いし送料もかからないので、結局中身を見ることもなく買いました(笑)。結構厚い本なので立ち読みはやめて家でゆっくり読むことにします。
コレ、2004年に出て私のは2010年の8刷なので結構売れてますね。ただし古本も数多く出回っているということは、愛読書とはならず、サラッと読んで手放す人も多いということでしょうか?

これから年度末かけて、大縄大会、ドッチボール大会、学芸会と行事が続くので、少し時間ができてから取り組むことにします。

#85 2017年01月10日 23:42:17

さやか666
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

ほー結構売れてるんですね


お疲れ様です

#86 2017年01月11日 09:43:37

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAOさん 書き込みありがとうございます ネイサン・ブラウン訳確認できて エホバだわ~!の一日でよかったですね ナザレのイエスの購入に少し殺意を感じるのですが... あとが楽しみです ワクワク

先日 解説してくださった 聖書という書物 半分くらい読んだ「細かい字のところはほとんど読まず読んだというよりもながめたとかとりあえず開いた程度 です」のですが もっと洞察や辞典みたいなのかなと思って敬遠していたのですが 意外と読みやすい文体です その中でちょっとパウロの回心のところが出ていて噴いてしまいました

271ページ
パウロの有名な「回心」の物語。熱心なパリサイ派ユダヤ教徒だったパウロは、ダマスコスに居るキリスト教徒を弾圧しようとして、そこに出かけて行った。その途中で、炎天下、多分日射病でも起こしたのだろうか、幻覚症状を起こす。つまり、パウロのつもりでは(またその伝説を信奉した使徒行伝の著者などのつもりでも)、そこで「生けるキリスト」に出会い、その声を聞いた、というのである

まあ全体的にこんな感じの本なんですけど 「馬鹿にしているのではなく 事実と思われることを田川節で表現しているような感じです」

今まで自分は
神様が地球や人間を含め宇宙全てを創造された
その時代に応じて必要なものを ご自分の僕を通して啓示してこられた「旧約聖書」
旧約の終わりにユダヤ人ひいては全人類に救いもたらすためご自分の御子イエス地上に遣わす
ユダヤ人とうとう一線を越えて神の子イエスを殺す
イエスの弟子たち復活見て強められ各地でイエスのこと伝道
同時に神の霊感受けた新約聖書の各書が記され 律法が廃されイエスが旧約で予言されていた約束のメシアであることまたクリスチャンとしてのありかた ハルマゲドン後の希望など最後までの道しるべが記される「原始教会ではきっちりとした正しい教え姿があったがだんだん時の経過とともにくずれていくが終わりのときに正される」

みたいに考えていたのですが

どうもこの本といままで得た情報組み合わせて考えてみると
旧約の部分は歴史的に正確な部分もあるが 神話や教訓的なおとぎばなしも多い
イエスの時代のイスラエルでの生活は古くなって非現実的な律法や儀式またはパリサイ人その他のガチガチの体制で大変息苦しいものだった
イエスはそれに対して律法は本来そういう意味ではないと説いた一教師「ルターみたいな」だった が当時の既得権益を得ているグループからうとまれ殺される
イエスの弟子たち ちらされ 各地でイエスのことしゃべる
律法はパリサイ人のいうような厳密な仕方で守らなくてよい その精神が大切という簡単かつ自分たち「ユダヤに住んでいないユダヤ教の人たち」にとってもつごうのよい教えはすぐにその人々から受け入れられところとなる パウロのイエスさえ信じれば救われるという 教えはなおのことよい「北陸に浄土真宗 ナムアミダブツ と となえさえすれば救われると いう教えがひろがったのと少し似ていると思います」

270ページ
このことを我々の主題に関して言えば、ヘレニズム的諸都市のキリスト教は、「十二使徒」やパウロが伝えたのではなくて、彼らが到着する前からすでにそこにはキリスト教が根づいていて、使徒たちはただそのことを発見するにすぎないのである。つまり、特定の教団指導層の意図に応じてキリスト教が広められたのではなく、ほとんど自然発生的とでも言うべき仕方で、各地の都市にキリスト教徒が出現している。すなわち、ヘレニズム的都市の状況がおのずとキリスト教を引き寄せていったのである。もちろん前者、つまり教団の指導的宣教者が意図した部分もないわけではない。しかし、彼らの意図をはるかに超えて、あるいは、彼らの意図に関わりなしに、初期キリスト教は、ほとんど自然発生的と言ってもいいくらいに、地中海世界のヘレニズム的都市に広まっていったのである。そのくらいに、ローマ帝国支配下のヘレニズム都市の生活状況にうまく適した宗教が誕生した

そのうちにイエスのことを知らない世代となりイエスの言ったことがあいまいになってくる「原始教会はカオス状態」がすでに宗教グループとしては各地で「とくにヘレニズム都市」で機能している それでヘレニズム都市にいる頭の良い2-3次の弟子たちが福音書や他の色々なキリスト教関連の各自の考えやもっている情報からの神学的な考察の文書たくさん書く「これで全てがギリシャ語でかかれている説明がつく また旧約の神の名エホバを用いなかったのも 自分たちは旧約を捨てたのではなく 神の意思によって旧約という古い腐りかけた木からでる新しい芽のような一連の流れから生まれたものであるが 旧約の神にはとらわれたくないという気持ちのあらわれかもしれません」

さらに宗教グループが大きくなり 支配者グループに目をつけられ脅威と思われ迫害されるがなくならないし それよりもその教えを利用したほうが都合の良いことに気づき国の宗教となる「王様は神から任命されている 今は悪くても神様が正すからとにかく従え それまで忍耐しろ 信者は暴力はいかん 王様はいいなど」

さらにさらに宗教グループおおきくなり教えが混乱する というわけで  イエスの死後いろいろな人が書いた文書から このあたりなら都合よいだろうという文書が選ばれ正典というお墨付き与えられ新約聖書となり 自分たちのいうこと聞かないもの異端として魔女狩りをする  それでも聖書の中身お互いにかなり矛盾しているがそこは読ませないことと異端審問という暴力で おさえこむ それでついに中世のような王様と教会が無知な一般大衆を支配するという システムができあがる

131ページ
正統派教会が正典を作ることの基本の目的の一つは、それにあてはまらないキリスト教の他の流れを「異端」として排除するためだったのだから。自分たちの内部だけのことなら、それほど厳密なものは必要としない。他を排除する基準を必要とする時にはじめて、厳密な境界線を必要とするのである。正典結集と異端排除は、ほとんど同義語に近い。

そのあと いろいろ と 現代に続く.....

という 考えになってきました
というわけで 聖書に創造者なる神が特別に関与したことはないという結論になり 聖書は別に神様の聖なる本ではなく たんなるほかの本と識別する記号になってしまいました 「というか 聖書ほど 戦争 争い 奴隷制の正当化 民族の抹殺 などの 原因になった書物はないでしょう もし本当に悪魔がいるなら聖書こそ悪魔サタンの最高傑作です!」 ああーとうとう落ちるところまで落ちて てつてつベイダーのできあがりです えーんえん cry 「いやまだ創造者なる神は信じているので 最下部までもう一段あります 進化論を信じ神を否定するようになれば完璧です」

まだ全部読んでないし なんだかとりとめのない文になってしまったのですが 忘れるといけないので勝手に書き込みました 適当にスルーしてください またよろしくお願いします

追伸
最後の三分の一くらいはそれぞれの写本や翻訳の特徴などを述べていましたので あまり真剣に読みませんでした 自分にとっては聖書「この本の場合は新約の部分」が神様が人間に霊感与えたのかどうかが一番重要なのでそうでないとわかれば それ以上細かいことを調べることは無意味なことで時間の無駄だと思いました

編集者 てつてつ (昨日 21:42:51)

オフライン

#87 2017年01月11日 10:22:26

yukahena
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAO さんの発言:

yukahenaさん、ありがとうございます。
前にも書きましたが、マルコ10章のイエスの子どもたちに対するまなざしは、私にとって教師人生の指針となっているもので、それはこの福音書の著者がマルコであろうとなかろうと、その価値が減ずるものではありません。後の時代の教会教父たちも、書物に名前がないと不便だから、想像力を逞しくして「著者」の名前を当てがっただけではないでしょうかね。

誰が書いたのであろうと中身で勝負ということですね。昔と比べると教員ばかりで教師といえる人が少なくなっていませんか?員と師ではずいぶん意味が違いますものね。KAOさんには良い意味で子供たちの記憶に残る先生を勝手にイメージしています。子供たちは幸せですね。

オフライン

#88 2017年01月11日 23:58:51

KAO
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

てつてつさん
いやはや、たった一晩で見事なまとめ具合ですね! 教師根性で評価を付けさせていただくと、リーディングレポートとしてはAをあげてもいいんじゃあないでしょうか?

私は今にして思うのですが、高校出たての現役生に神学校の勉強は10年、いや20年は早かったと思っています。社会に出て様々な経験をしてから、当時読んでもよく理解できなかった本が、ようやく理解できるようになってきたと実感しています。自分の経験と結びついてきたと言ったらいいでしょうか。ここに集う元JWの方々が、情報統制下にあったこれまでの分を取り戻す勢いで情報を集め、乾いた大地が雨水を吸い込むように吸収してゆく様は、神学校6年間のカリキュラムを、わずか1~2年で修了しているようにさえ思います。私もまた学ぶ意欲が湧いてきました(割ける時間はもうありませんが・・・)。

組織は高等教育を否定しますが、「資格」を問わないのであれば、大学など行く必要もないのだなとさえ思います。書物を批判的に読み、こういった場で討論を積み重ねれば、あらゆる方向に地平が広がってゆくでしょう。
組織は信者の思考を狭い範囲に押し込め、隷従させていこうというのでしょうが、それがエホバの意図であったはずはありませんね。

実は、神は命の木の実を食べてほしかったからこそ、そんな物を楽園のど真ん中に置いたんですよ。おまけに、食べたくなるようにわざと「それだけは食べちゃダメ」なんて言っています。
まともな親なら、子どもがどういう行動をするか判ろうというものです。

#89 2017年01月12日 05:51:49

ラハム
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

「イエスは神の子か」は毎日20ページずつ味わいながら読んでいます。
ルツさんが紹介された栄養学の本は今朝読み終わりました。
神の子の本はなんだかものみの塔を読んでいる気分にさせられています。
組織が聖書の矛盾点を説明する解説が記載されているからです。
KAOさんの言うように今だから理解できることはいっぱいあります。
てつてつさんの感想文もとても参考になり、読み応えがあります…。

オフライン

#90 2017年01月12日 11:06:55

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAOさん こんにちは はなまるもらえてすごいうれしいです スキップしてゲヘナにいくことにしました

誰の紹介か忘れたんですけど ぽちったまま忘れていた発掘された聖書  フインケルシュタイン/N.A・シルバーマン
を読んでみました  これは1970年以降に発見された考古学から聖書の記述を論考してある本です
するとだんだんベルシャザル王状態になってきました
(ダニエル 5:6) …その時,王は,顔色を変え,自らの考えのために恐れ驚き,その腰の関節はゆるみ,ひざは打ち合うのであった…


だって ユダヤ人の起源は 出エジプトしたアブラハムの子孫ではなくではなく もともとそこに住んでいた カナン人の一部族であるとかかれています

124ページ
考古学が示唆するように、もし族長と出エジプトの英雄物語が後の時代に編集された伝説で、もしヨシュァの下でのカナンの統一的な侵略について説得力ある証拠がまったくないならば、私たちは、古くからの民族であるというイスラエル人の主張についてどう判断すべきなのか。自らの伝統を共通の歴史的、祭儀的な出来事にまでたどるこの人々は何者なのか。もう一度、考古学はいくつかの驚くべき答えを提供することができる。土器、家屋、穀物倉庫を伴う初期イスラエル人の村の発掘は、彼らの日々の生活と文化的連続性の再現をより容易にする。そして考古学は驚くべきことに、それらの村に住んでいた人々が、イスラエル人と呼ばれるようになった民族的アイデンティティを徐々に発展させただけのカナンの先住民であったことを明らかにしているのである。

ということは 神様がカナン人がわるかったので滅ぼしたという理論は成り立たなくなりますね

あと イスラエル王国が北と南に分裂したというしるしはなく もともと別々の独立したもので 北のオムリ家「聖書で極悪非道の王といわれている」の支配の時代に大変栄えたことが分かるとかかれています

あと ダビデとソロモンはいたと思われるが 聖書の記述のような栄華はまったくないそうです 「ささらさん これで何十万とかいう動物の犠牲などなかったことがわかります」

そのあと200年ほどして ユダ王国も一応国家の様相をととのえてきて「近隣諸国との交易から富をためることができるようになってきたので」
そのころはまだ多神教だったようです エホバの妻の像がたくさん発掘されている
そしてどうもそのころの宗教指導者のグループの中で エホバ唯一という考え方を持つグループがあってその人たちが創世記からの旧約聖書を書いたようです
それで 基本概念は エホバが唯一の神 従えば物事が良くはこぶ 従わないと災厄にみまわれる ということです それでエホバにしたがわない「つまり自分たちに従わない」王は悪く言われ 北のオムリなんか最悪に言われていますが グローバルな交易でゆたかになっているのが ものすごい憎かったのかもしれません」

先回新約聖書がイエスの2-3次の弟子による創作だと書きましたが 残念ながら この本読んで
旧約も狂信的グループが自分たちの理論に従って創作した作り話であると思わざるをえなくなりました「自分たちに従わないものは皆殺しにしろ 同族とのみしか結婚するな ユダヤ人が世界を支配する など どうみてもヒトラーのナチスが世界征服の根拠にした自分たちアーリア人「そんな人種はいなかった」こそ最高の支配民族という優生学と同じものにしか見えません人種政策を含むナチスの理論」ただ 書かれた当時の王様の年代を北のサマリアとリンクさせたりして一部正確なところがあるので ちょっと見にはなかなか作り話だと思えない部分もあるわけですね というわけで 旧約聖書自体が宗教カルトの書であると思うようになりました「つまり もともとヘブライ語を話す民族がそのあたりに点在していたが ユダ王国の時代にそこに住む一部の人たちがひとつのイデオロギーを作り まわりの同族とは違うという選民思想を創作し人民を誤導しはじめた.....こういった手法はかつての日本や他の国でも国内を統一しベクトルを一つにして自分たちに従わせたり他国を侵略するのに非常に多く使われていると思います」

91ページ
従って、私たちは著しく新しい観点から出エジプトの物語の構成を見ることができる。ちょうど族長物語の書かれている形態がユダにおける七世紀の国家的復興のために起源についてのばらばらの伝承をまとめあげたように、エジプトとの争いという十分に練り上げられた、イスラエルの神の偉大な力と神によるその民の奇跡的救出の物語は、さらにもっと直接的な政治的、軍事的目的に役立った。新たな始まりと二度目のチャンスという偉大なサガは、七世紀の読者の意識の中で共鳴し、彼らに自らの困難さを思い出させ、彼らに未来への希望を与えたにちがいない

というわけで 自分の思いの中では 新約 旧約聖書のすべてで 創造者なる神が関係している部分はゼロになりました ただ隣人を愛しなさいとか 有益なアドバイスはたくさんあるという本になりました でもこれで一応 自分にとっては一つの区切り 真理に到達しました 聖書は創造者の本ではない 「てつてつさんは棄教したと思っていただければ結構です 多分そんごくうがおしゃか様の手の中をとびまわって 指に 自分は地の果てまで来たぞーと書いた程度だと思いますが」
KAOさん ここまで全部知ってたでしょう? 人が悪いんだからー でももっと以前にKAOさんから聞いていたとしてもまだ自分は受け入れることができなかったと思います(ヨハネ 16:12) …わたしにはまだあなた方に言うべきことがたくさんありますが,あなた方は今はそれに耐えることができません…


以上 てつてつさんの 発掘された聖書の感想でした「感想は人によって違いますので みなさんとちがってたらゴメンネー」

編集者 てつてつ (2017年01月12日 21:14:50)

オフライン

#91 2017年01月12日 17:31:12

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

元証人さん こんにちは 岩は嘘をつかないちょっと読んでみました これがめっぽう面白くて古代から現代間でのノアの大洪水の記述をめぐっての論争や それと地質学上の証拠や解釈とどのように関係していたか よくわかりました 他にもギルガメッシュの洪水伝説の発見の様子 ミズーラ洪水なども意味が分かりました どうもありがとうございました

ちょっと興味深かった点です
39-40ページ
グランドキャニオンを登り切った。頂上の縁に佇むと、失われた山脈、浅海や深海、海岸林、風の吹ぎすさぶ砂丘、サンゴ礁など、一日かけて登ってきた太古の世界が脳裏を去来した。谷底付近に散見された単純な生き物は、頂上付近に見られた複雑なサンゴ礁の生物群集と著しい対照を成していた。生命誕生の時代まで遡る谷底の岩から、恐竜以前に存在した頂上付近の岩に至る地質時代をめぐる大旅行を通して、私は太古の山地や海の栄枯盛衰を垣間見てきた。グランドキャニオンの壁面が頂上に至るまで完全な岩石であるということは、堆積していた砂や泥が上からの圧力で凝固し、その後、岩の層が侵食作用によってすべて削り取られてしまったことを裏付けている。現在、私たちが目にしている世界が現れる前にも、数多くの世界が現れては消えていったのだ。一度の洪水がこれだけの岩石を堆積させ、その直後に岩を削ってグランドキャニオンを作り出したという説に反論するために、わざわざ千数百メートルの断崖を登る必要はない。家庭でできる簡単な実験でわかることだ。魚を飼うガラスの水槽に水を張って、粉末粘土と砂と小石をいっしょに入れると、大きな粒子や重い物質は先に沈み、下から小石、砂、粘土の順に堆積する。さらに、その上から同じ大きさで色が異なる石か砂を入れると、カラフルな堆積物ができあがる。石や砂を入れるごとに色を変えれば、堆積層を色分けすることができる。グランドキャニオンの壁面に露出している幾重にも重なった岩石の層は互いに色や粒の大きさ、組成が異なるので、一度の洪水の間に堆積したはずがない 今回の旅で印象に残ったのは、グランドキャニオンの壁面に残されていた化石はどれも絶滅してしまった生物のものだということだ。こうした生き物がノアの洪水によって千数百メートルの岩壁に埋められたのであれば、その中に現生の動物がいないのはなぜだろうか?化石の大部分が絶滅してしまった生き物だという事実は、ノアがあらゆる動物のつがいを救った大洪水で化石ができたと主張する者に根本的な問題を突きつけている。さらに、グランドキャニオンの「ノアの洪水起源説」が直面している致命的な問題は、タピーッ層やココニノ層などで見られる砂岩や、足で蹴ると簡単に崩れたブライトエンジェル層のような頁岩は、ムァヴ、レッドウォール、トロウィープ、カイバブ層などの石灰岩とは形成される条件がまったく異なることだ。石灰岩は、サンゴや貝、微細な有孔虫のような炭酸カルシウムを豊富に含む生物が死に、その遺骸の殻や骨格が海底に堆積し、適当な温度で長時間、十分な圧力をかけられるとできあがる。こうした石灰岩のもとになる生物は成長するのに時間を要するし、濁った水域には棲めない。生物に由来する石灰岩の層と、濁った水域で土砂が堆積してできる砂岩や頁岩の層が幾重にも重なった地層が、一度の出来事で生まれるはずはないのだ。異なるタイプの岩石層が幾重にも積承重なったグランドキャニオンの壁面は、環境の変化や出来事が幾度となくくり返されてきたことを物語っているのである

133-5 ページ、マンモスについて
ある日突然にその水があふれ出してノアの洪水を引き起こし、熱帯の動物の死骸がシベリアまで運ばれたというのである。北半球の生き物が南半球で発見されることはなかったが、ゾウ(マンモス)は高緯度地方の礫の堆積層から幾度となく出土していた。マンモスの死体はたいてい単独で発見されることを(そしてかなり毛深いことも)知らなかったカーワンは、ゾウの骨が山積みになっており、それは押し寄せてくる洪水に立ち向かうためにゾウたちが集まっていたからだと思い込んでいた。一方、シベリアの堆積物の中から、ライオンやシマウマ、キリンをはじめとするアフリカの動物の骨が出土しないという不可解な事実には、まったく目を向けなかった。

.......また、教授はシベリアのマンモスの問題も取り上げて、骨が見つかるのは常に土壌や沖積堆積物の中で、その下の岩石層ではないことに言及している。当時の書き方に従って、しばらくはとりとめなく書いた後、カーワンの洪水観を一刀両断に斬り捨てた。
シベリアで発見された化石骨に関する事実を注意深く考察すると、遠い国から運ばれてきた外来の生き物とする説には致命的な欠陥があることがわかるだろう。……インドのガンジス川やブラマプートラ川のほとりで餌を食べていた動物が、大洪水でダッタンの砂漠やアルタイ山脈を越えてシベリアの平原まで押し流され、レナ川の泥に埋められたと考えられるだろうか?百歩譲って、この奇抜な説の難点がすべて取り除かれたとしても、世界の最高峰がある険しい山脈を越えて、三○○○キロを超える距離を引きずられてきた動物の死体がバラバラにならないだけでなく、皮や筋肉も失われていないことは不合理の一言に尽きる。

225-6ページ
炭素年代測定法でマンモスの死体の年代を測定した結果は、洪水地質学の信奉者に
深刻な問題を突きつけた。四万年以上前に死んだものや、死んでから一万年に満たな
いものなど、死体によって年代が大きく異なったのである。マンモスは一斉に死んだのではなかったのだ。この測定結果は、マンモスは一度の天変地異で死んだという説を覆すものだった。福音主義者はこうした調査結果をどのように受け止めたのだろうか?多くは放射性炭素による年代測定の結果を受け入れて、地球は古く、洪水は局地的だったという可能性を認めたが、洪水地質学と若い地球説を信奉するファンダメンタリストは、事実を示して反論することも、聖書を解釈し直すこともしなかった。彼らはただ、信じようとはしなかったのである。
しかし、創造論者にとって、マンモスの問題はこれで終わらなかった。洪水で命を落としたのならば、すべてのマンモスが溺れ死んだはずだが、個体によって死因が異なるのだ。年老いたゾウが死を迎えたとぎのように、腹をつけ、足を前へ投げ出した姿勢で死んでいる個体や、永久凍士を踏承抜いて穴に落ち込んだもの、あるいは湿地にはまり込み、抜け出せなくなったものなどがいた。マンモスの冑の中から発見されたコケや草本類は、死体が発見された場所の周囲数百キロ内に自生しているものだった。マンモスは創造論者が主張するように、熱帯地方から洪水で運ばれてきたのではなく、死体が発見された場所の近くで暮らしていたのだ。マンモスは大規模な天変地異で絶滅したという主張は、二○世紀の科学的検証でことごとく否定されてしまったが、創造論者は気づいていないようだった。

229ページ
堆積岩の年代は新しいとする説があるが、それを否定するもっとも単純な根拠がある。テキサス州の西部やミシガン州には、水が蒸発した後に残された石膏(硫酸カルシウム)が堆積してできた分厚い蒸発岩層が見られる。石膏は、三○センチに満たない層が析出するだけでも、深さ三○○メートルの海水が蒸発する必要があるため、テキサス西部の厚い石膏層ができあがるまでには、深さが七○○キロを超える海の水が蒸発したことになる、とカルプは推計した。死海で記録された最大の蒸発率をもとにして計算した結果、この石膏層ができあがるまでに数十万年の年月を必要とすることがわかった。世界中の蒸発岩床はノアの洪水が起きた年にできあがったわけがないのだ。

266ページ
地質学の基礎知識がある人なら、どの説も化石記録を説明できないことぐらいすぐにわかるだろう。決定的なのは地層に含まれる化石にはっきりとした順序が見られることだ。三葉虫は一番下の地層でしか見つからないが、そうした地層に含まれる化石はたいてい華著な浮遊生物のもので、密度の高い化石は見られない。化石が堆積する順序に水力学的な選別作用が関わっているとしたら、液体の中を密度の等しい物体が沈む場合、大きな物体ほど速く沈むので、小さな三葉虫は大きな三葉虫よりも上で見つかるはずだ。しかし、岩石の中に残された化石にこのような順序は見られない。低地に生息していたナマケモノは、短時間で山に逃げることはできなかったはずだが、その化石が見つかるのは一番上の新しい地層だけだ。恐竜と人類が同じ岩石層で見つかることはない。
数世紀前にこうした説を最初に唱えた者たちは、自説を地質学的記録に照らして検証しようとしたが、ウィットコムとモリスはそのようなことはしなかった。その代わりに、一般に受け入れられている地質学的証拠を疑問視し、聖書の記述の不都合な側面を説明するために、先人と同様に、必要に応じて言い逃れを考え出したり、奇跡を持ち出したりした。動物を方舟に乗せたり下ろしたりする問題を解決するために、方舟に乗れた動物は近くに住んでいたものだと主張した。いずれにせよ、洪水以前の世界は地形が現在とはまったく異なっていたはずだ。動物たちの世話や餌の問題については、超自然的な助けがあったとだけ述べている。
人類が北米に到達したのは紀元前一万年頃だというのが、当時の考古学者たちの一致した意見だったので、ウィットコムとモリスも、ノアの洪水がそれ以前に起きたはずがないことは認めざるを得なかった。そこで二人は、放射性炭素による年代測定法を否定し、考古学者の推定した年代は間違っているはずだと結論づけたのである。炭素年代測定法は洪水後の年代の測定にしか使えないと主張するために、特に大気中の炭素Mの濃度、宇宙線の入射量、放射性元素の崩壊率が一定であるという仮定を批判した。原始地球を覆っていた水蒸気の天蓋が宇宙から来る放射線を遮断していたので、ノアが下船する前の大気では炭素Mの生成は抑えられていたと論じる一方で、地質学的データが若い地球説と矛盾しないように、洪水以前は放射性元素の崩壊率はもっと大きかったと主張したが、天蓋が落ちるまでの間は温室効果で楽園は灼熱地獄と化しただろうという点は無視した。放射性炭素年代測定法は、過去の地球の大気や宇宙線の変動に影響を受ける、という二人の主張には一理ある。しかし、宇宙線の量が変動するのは確かだが、測定の結果に大きな影響を与えるほどではない。さらに、宇宙線が放射性炭素年代測定の結果に深刻な影響を及ぼすという二人の主張は、一九八○年代にワシントン大学のミンッ・スタイヴァーらによって根拠がないと立証ずみだ

271-2ページ
これだけでも十分だろうが、さらにサンゴ礁の化石が洪水地質学にとどめを刺している。ウイットコムとモリスは、地質記録に残っているサンゴ礁の化石はノアの洪水で海底からはぎ取られ、他の諸々といっしょに堆積したのだと説明している。しかし、私も学部生時代に野外実習でサンゴ礁の化石を実際に観察したが、荒れ狂う洪水に翻弄されてバラバラになったサンゴの破片が砕屑物の中に無秩序に混ざっているのではないのだ。大きな石灰岩の塊になり、繊細なサンゴの枝がまだ付いているものもある。礁湖、前礁と背礁、開けた海水域の環境と共に、サンゴ礁がそっくり保存されている。現在のサンゴ礁とまったく変わらない。サンゴ礁の一部を粉々に砕いて世界中にばらまく一方で、一部を元のまま保存するというのは筋の通らない馬鹿げた話だ。ノアがサンゴ礁を方舟にどうやって乗せたかという厄介な問題はさて置くとして、ゥイットコムとモリスが主張しているようなノアの洪水が起きたとしたら、方舟に乗せてもらえなかったサンゴは堆積物の混ざった濁流で絶滅してしまっただろうと思われるので、洪水の後に現代のサンゴ礁がでぎあがるまでに要した年数は簡単に算出できる。サンゴの個体は一年に一・三センチほど成長するが、サンゴ礁には絶え間なく波が打ち寄せるので、普通は年に数ミリしか成長できない。百歩譲って、年に一センチ成長すると仮定しても、サンゴ礁の厚みが一○○○メートルになるまでに一○万年を要する。

編集者 てつてつ (2017年01月12日 17:37:02)

オフライン

#92 2017年01月12日 18:09:10

ラハム
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

てつてつさん、ありがとうございます。
どの証拠を見ても
ノアの洪水伝説を否定することがよくわかりました。
現在、読んでいる資料が山ほどあるので、
ときがきたら「岩」の本も読もうと思います…。
ほんとうにありがとう…。

オフライン

#93 2017年01月12日 18:24:05

ラハム
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

てつてつ さんの発言:

KAOさん こんにちは はなまるもらえてすごいうれしいです スキップしてゲヘナにいくことにしました
というわけで 自分の思いの中では 新約 旧約聖書のすべてで 創造者なる神が関係している部分はゼロになりました ただ隣人を愛しなさいとか 有益なアドバイスはたくさんあるという本になりました でもこれで一応 自分にとっては一つの区切り 真理に到達しました 聖書は創造者の本ではない 「てつてつさんは棄教したと思っていただければ結構です 多分そんごくうがおしゃか様の手の中をとびまわって 指に 自分は地の果てまで来たぞーと書いた程度だと思いますが」

てつてつさん、
正直な気持ちを吐露してくれてありがとうございます。
わたしも同じような結論になりそうです。
命がけで信じようと努力してきたのにとても残念です。

わたしはスキップできないからてつてつさんにおんぶしてもらって
いっしょにゲヘナに行こうと考えています。
重いからスキップできませんね、きっと…。

KAOさんからはなまるもらえてよかったですね。

オフライン

#94 2017年01月12日 19:29:53

さやか666
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

サンゴ礁の話は興味深いですね

#95 2017年01月12日 20:39:02

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

ラハムさん 書き込みありがとうございます

いっしょにゲヘナに行こうと考えています

あんまり苦しくないところだといいですね 自分これまで悪いこといっぱいしてきたのでしかたないですけど ラハムさん障害もって生まれてきて死ぬまで苦しんで 死んだあともゲヘナで永遠に苦しむなんて不条理すぎます cry

編集者 てつてつ (2017年01月12日 21:17:36)

オフライン

#96 2017年01月12日 23:12:06

KAO
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

【てつてつさんの発言】
「誰の紹介か忘れたんですけど ぽちったまま忘れていた発掘された聖書  フインケルシュタイン/N.A・シルバーマン」

てつてつさん、こんな本を人様に奨めるの私しかいないじゃありませんか(笑)。
自分で言っておきながら、どこだったかスゴく探しましたよ(汗)
ラハムさんが作ってくださった「現役教師の報告」以外に私が投稿するのはもっぱら「脱搭指南」のトピなので、最初の方から順に探してみたら、ありましたありました!#91です。ささらさんに奨めてますね。
それにしても自分でビックリ、この頃の私はすごく沢山投稿してますね。お仕事大丈夫だったのかな? きっとかなりサボってるか手を抜いてますね(・・)

こんな信仰の養いにならないどころか躓きになる本が、キリスト教出版大手の教文館から出ているということは、元JWの方々にとっては驚きかもしれませんね。元証人さんの御高説にもかかわらず、聖書の記述と考古学の結果が一致しない例は多数あります。むろんその逆もあります。それから、1930年代や40年代の調査結果が再検討された結果、結論が大きく変わってしまった例もありますし、現在の発掘結果が今後再検討される時代もくるでしょう。当時と今とでは発掘の方法も根本的に変わってしまいましたし、政情不安定で発掘地域も限定的。残念ながら現時点ではイスラエル史の全体像を評価できるような成果は考古学には期待できません。それは現在出版されている「イスラエル史」と名のつく書物を読み比べてみれば、その多様さとして表れています。「定説」がないんです。

それに前にも述べましたが、この聖地考古学に関する限り、発掘許可の下りる地域や許可される団体にもイスラエル政府の政治的思惑が強く絡んでおり、正直言って私は言及したくありません。少なくとも「聖書の記述は考古学によって裏付けられている」と無邪気に語る方々は、現代イスラエル国家の暴虐によってパレスチナの子どもたちが置かれている悲惨な現状に思い至るべきだと思います。そういう意味でも聖書はすでに前科10,000,000,000犯です。

私は元証人さんが嫌いではありませんが、(お気に入りで)読んだものを無批判に丸ごと信じてしまわれる傾向には、JW時代の経験がちっとも生かされていないなと感じます。それに「資料の用い方」もJW流のまんまです。元証人さん、聖書の史実性を極端に過少評価するフィンケルシュタインが気に入らなくて、ナショジオを引っ張ってきて、マザール女子の所論に乗っかってフィンケルシュタインを「論破」なさいます(信仰を維持する#296.297)。
ところがところが、洪水の話題で、C14年代測定法があてにならないことを論証する段になると、今度は大嫌いなフィンケルシュタイン先生のご意見に乗っかり、
『「炭素14法を使えば、ダビデが6世紀にノルウェーの村に住んでいたという結論だって出せるさ」とフィンケルシュタインは極論する。』(信仰を維持する#344)と御高説です。
「多面的に調べる」のはいいですが、節操というものも必要ではありませんか?
持論に合致するものは何でも引っ張ってくるというのでは、ものみの搭聖書冊子協会の出版物となんら変わりありませんよ。

#97 2017年01月13日 09:32:39

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

やっぱり 知ってたんですね もうー 自分はKAO釈迦様の手の中でぶんぶん力いっぱいとびまわっているつもりのバカなおさるさんじゃあないですかー

さあー あとどんな悪いご禁制の本をかくしているのか 洗いざらい白状しなさい!
いちおう全部検閲しておきますから


この聖地考古学に関する限り、発掘許可の下りる地域や許可される団体にもイスラエル政府の政治的思惑が強く絡んでおり

多分 英米がイスラエルという国を中東全体を支配するため聖書にもとづく正当な国だよーという大義名分をかかげてつくったので 政権の基盤となっている信じやすいキリスト教徒にそのまま信じ込ませておくため 聖書の記述を裏付けそうな部分は許可しても否定しそうなところの発掘は許さないのだと思います

少なくとも「聖書の記述は考古学によって裏付けられている」と無邪気に語る方々は、現代イスラエル国家の暴虐によってパレスチナの子どもたちが置かれている悲惨な現状に思い至るべきだと思います。そういう意味でも聖書はすでに前科10,000,000,000犯です

前科10,000,000,000犯の0の多さにKAOさんの 怒りと怨念を感じますね こわっ!

以上 てつてつさんの 説でした またよろしくお願いします

編集者 てつてつ (2017年01月13日 19:59:35)

オフライン

#98 2017年01月13日 23:02:23

KAO
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

聖書そのものに罪があるというわけではなく、結局それを「利用」する人間が、聖書を自己正当化の手段とする時に、巨大な暴力とさえなり得るということを私たちは自覚すべきでしょうね。
聖書の中には有益な教えも多いのに、ひとたび「約束の地」という聖書の概念が、現代イスラエルの国家イデオロギーに吸収されるとき、それを「約束されていない」と見なされる民族は、排外主義の災禍に見舞われることになります。そして、そういった状況下では、もはや律法や預言者に託された神の言葉が省みられることはありません。

「寄留者があなたの土地に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国において寄留者であったからである。わたしはあなたの神、主である。」(レビ記19章33~34節)

「万軍の主はこう言われる。正義と真理に基づいて裁き、互いにいたわり合い、憐れみ深くあり、やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者を虐げず、互いに災いを心にたくらんではならない。」(ゼカリヤ書7章8~12節)

シオニズムに毒されたラビたちが、こういった聖句をどう読んでいるのか分かりませんが、移民・難民に対する排外主義を掲げる政治指導者を支持するのも、熱心なクリスチャンであったりしませんかね? 人間というものは、結局は自分の利害と、信じたいものに従って生きているだけなのかもしれません。

ちょっと「も搭」の話題からそれましたが、統治体の場合は、「神の用いている唯一の組織」という自己正当化に聖書を利用しているという感じでしょうか? そこで守りたい唯一のものは、自分たちのリッチな生活と、巨大組織のTOPだという満足感だけかもしれません。

#99 2017年01月14日 05:56:35

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

本当にそうですね 聖書の神に対する信仰はなくなってしまいましたが 尋常ではない悪行をみると悪魔はいるんじゃないかなと思ってしまいます

オフライン

#100 2017年01月15日 22:56:07

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAOさん こんにちは おすすめのユダヤ人の起源 ちょっとみてみました「とても内容がむずかしくほぼながめただけ のこりもみることすらできるかわかりません」

一部 発掘された聖書と同じような記述がありました

194ぺージ
結論としていえば、新しい考古学者や研究者のほとんどが抱く仮説によると、栄光に満ちた統一王国は決して存在したことがなく、ソロモン王は、七○○人の妻と三○○人の側妻を住まわせるほど広い宮殿をもってはいなかったのだ。この広大な帝国の名が聖書に記されていない事実も、この考えを補強するばかりだ。唯一神の恩寵とその祝福を当然受けて建設された、共通で広大無辺の王としてのアイデンティティを考え出し、誉めたたえたのは、後世の作者たちだった。豊かで独創的な想像力を発揮して、この作者たちは同様なやり方で、天地創造・恐るべき大洪水・族長たちの苦難・ヤコブと天使の闘い・エジプト脱出と紅海に開けた通路・カナン征服・そしてギベオンでの奇跡的な太陽の運行停止などの名高い物語を再構成したのだ。砂漠から到来し、力をもって広い国を征服し、そこに豪勢な王国を建設した非凡な民の古代的起源に関する中心的な神話は、ユダヤ・ネイションという観念の飛躍と、入植というシオニストの企図とに忠実に奉仕した。これらの神話は一世紀にわたり、非常に複雑なアイデンティティ政策と、絶えざる自己正当化を必要とする領域的植民とに精神的エネルギーを提供するような、テクストによる一種宗教的芳香性をもつ燃料の役割を果たしてきたのである


186ページ ラクダについて

ラクダもまた、厄介な問題だった。ラクダが家畜としてこの地域に現れたのは紀元前一○○○年紀の初めになってからで、商業用役畜としては前八世紀に入ってからなのである。

発掘された聖書 52ページ

しかし、その編集はいつ起こったのか。聖書のテクストは、その最終的な編集時期を絞り込むことができるいくつかの明瞭な手がかりを示している。例えば、繰り返し言及されるラクダが挙げられる。族長たちの物語にはラクダ、たいていはラクダの群れがたくさん出てくる。しかし、ヨセフが兄弟たちによって奴隷に売られた物語においてのように(創三七・二五)、ラクダはまた隊商貿易において使われた荷物運搬用の動物として述べられている。私たちは今、考古学的調査によって、ラクダは二千年期後期以前に荷物運搬用の動物として家畜化されてはおらず、紀元前一○○○年の後しばらくするまで古代近東においてその用途で広く使われてはいなかったことを知っている。そして、ヨセフ物語における「樹脂、乳香、没薬」を運ぶラクダの隊商というさらに印象的な細部の描写は、紀元前八~七世紀のアッシリア帝国の監視の下で繁栄した、富をもたらすアラビア貿易の主要産物を明らかによく知っている
実際、アラビアと地中海との間の主要な隊商路で特に重要な貨物集散地である、イスラエルの海岸平野の南にあるテル・ジェメ遺跡での発掘は、七世紀になってラクダの骨の数が劇的に増えたことを明らかにした。その骨はほとんどもっぱら成長した動物のものであり、このことは、それらがその地方で育てられた群れからではなく(そうであれば若い動物の骨も発見されるだろう)、荷物運搬用の移動する動物からのものであることを意味している。実際、正確にこの時期、アッシリアの資料はラクダが隊商で荷物を運ぶものとして使われたことを述べている。ラクダが文学的物語での付随的な細部として含まれるほどにひじょうにありふれた風景の特徴となったのはその時代においてのみだった。


あと 175ページ 現代イスラエルの初代首相ベングリオンについてもちょっとだけ知っていたので興味ぶかかったです

ディヌールの多彩な活動の一つに、最初のイスラエル首相、ダビッド・ベングリオンの自宅で一九五○年代に定期的に開かれていた聖書サークルへの参加が数えられる。このカリスマ的な国家指導者は、古代のへプライ語の書物、すなわち聖書の熱心な読者であっただけでなく、鋭い政治戦略家として、それを巧みに利用するすべを知っていた。この聖なるテクストは、過去の集団的表象の中心的な宝庫でもあるし、何十万もの新移民を統一された民族にしたてあげるのに貢献するし、また若い世代を大地に結びつけるので、世俗的Ⅲネイション的な書物になりうることを、ベングリオンは比較的早く理解した。聖書の記述は、毎日の政治的レトリックを組み立てるのに役だった。また、ベングリオンが自らをモーセやヨシュアと同一視したその思いは深く、そして全体としては正直だったと思われる。フランス革命の指導者たちが自らを古代ローマの元老院議員の役割を体現していると確信していたのと同じように、ベングリオンその他のシオニズム革命の指導者・高級軍人・「国家知識人」は、聖書の地の征服と、ダビデの王国にならった国家の建設とを再現しているのだと確信していた。現代史の出来事は、彼らにとって、古代の範例的な出来事を背景にしてしか意味をもつことはなかった。フランスとイスラエル、どちらの場合でも、革命の指導者たちは全く新しい人間の創造を夢見たが、それを創りだす要素は神話的過去に由来するものだった。ベングリオンの〃想像体としての歴史″のなかでは、新しいイスラエル国家とは第三神殿の王国だった

あとヨセフスが 70年のエルサレムの滅びの際の人数を当時の習慣によってかなり盛っていることもかかれていて おもしろかったです 自分は古代史だったかユダヤ戦記 だったかで ヨセフスが 自国を自慢するところで 神が自分たちに与えてくださった土地では果実が年に12回実るといっていたので そんなすごいところなのかーと信じてました「てつてつさんは信じやすいのです」これも大盛りだったんですね cry

追伸
457ページ
現在ではイスラエルの力の基盤は、その人口の増加ではなく、ユダヤ人組織や共同体のイスラエルへの忠誠度と支持を保持しつづけることにある。シオニズムに同調する世界中のユダヤ人の圧力団体が大挙して聖なる約束の地に移住してくるほど、イスラエルの力にとってありがた迷惑なことはありえないだろう

の言葉にちょっと笑ってしまいました 昔はなんとしても国としての体裁整えるため ソロモンとシバの女王の間にできた子供の子孫だという人たちまで輸入して頭数だけそろえていたのにと思います

編集者 てつてつ (昨日 23:10:43)

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