ログインしていません。

#1 2013年05月13日 20:09:58

fs-cafe
ゲストユーザー

司会者を変更することについて

諸事情のために、会衆を移動して集会や神権学校に入校している1世の研究生です。
司会者を選べなく、長老から指示された司会者との研究が始まりました。
司会者は正規開拓者、親も正規開拓者、弟は別会衆で長老という神権家族です。
会衆でも模範的な姉妹、一目置かれています。
主催長老、巡回監督もその姉妹はほめています。
しかし、研究もきびしく、聖句から説明しなさいという具合で、いつも全部の聖句を
調べて予習しないと研究してくれなかったのでたいへんでした。

そして、愛があまりなく、他の兄弟・姉妹と交わりと、とかはありませんでした。
この会衆は、2世の小学生、中学生、未信者の夫、姉妹の息子が研究生で1世の研究生は私だけでした。
2世の研究生は群れで必要からこられた長老や訪問監督の招待にも参加させていたようです。
私だけが何年いてもありませんでした。
注解も2世のご子息やご令嬢・未信者の夫や妻が手を上げると主催長老は1回で注解させますが、
この主催長老は、私が手を5回以上上げてやっと、1回注解させるという具合です。
なかなか注解させない私を司会者は「主催長老も、エホバは我々の組織でやっていけるかどうか試している」といってこられましたが、
私は研究生です。
主催長老の妻はものみの塔の研究集会で3回はいつも注解させます。

1世で、知り合いもいなく、研究生で長老から司会するよう言われただけであって研究も窮屈でした。
神の言葉を一緒に研究している実感がなく、前の会衆の暖かい人柄の司会者を比べると、
この司会者では心から信頼できないと実感し主催長老に「司会者を変更したい」と伝えました。

主催長老から、「司会者が厳しいだけで変更は認めません。クリスチャンになればいろいろなことがあり
           こんなことで勤まりますか。」といわれました

私が「エホバはイエスはきびしいですが、やさしさがある。
    2世の司会者はみな、やさしい。今の司会者は愛を感じることができません」と伝えました。

研究を中断した数か月後、新しい司会者を紹介するといわれました。
会衆にそのころ、なじんでいたので、主催長老に私が親しくしている姉妹を司会者にと伝えましたら
「集会や奉仕に出られている姉妹だが、長老団から認める立派な姉妹でない」と言い出し、
伝道者にもなりにくいと主催長老から言われて、その姉妹と研究が始まりました。

その会衆で古い姉妹で、娘・息子も立派なクリスチャンですが、
研究して半年近くになっても、その家族での集まりや交わりはありません。
世の人感覚でしょう。群れに引越ししたきた姉妹は司会者は自宅で家族全員のお茶で自宅に招待していますが
私にはありませんでした。
司会者が休みのときも一人で座っていましたが、その娘や息子は研究生の私に話しかけてくることはありません。

仕事が不規則で、研究時間を合わせていただいているのはたいへん感謝していますが、
司会者から「あなたに研究の時間を合わせている」というので、
私が「姉妹の都合が合わなかったら、司会をやめていただいてもいいですよ。他の姉妹に希望しますし、夕方や夜なら固定時間で
研究できるのですが」と伝え、この姉妹も2世の研究生には、自分たちとつながっているからやさしいのですが、1世の研究生の私に
冷たく、司会者から「あなたは自分の思うとおりにならないとすぐそんなことを言う」といい、主催長老に報告され、
主催長老から「司会者の言うことを聞けなくて、あなたは我々の組織でやっていけるのですか」と威喝され、
主催長老から「今度、司会者を変えると、あなたは長老のいう司会者に従順でないので、伝道者に認めません」といわれました。

私から仕事もあるので、理解していただける姉妹がいたので、その姉妹と研究司会をすれば、司会者を変えることはないと伝えましたが、
エホバに仕える気持ちがあるなら、「司会者が意地悪でも、耐えられるのでありませんか?」と答えです。
この主催長老は毎回、研究生の私に、ひどいときは、7回以上手をあげても注解させません。開拓者や自分の妻、お気に入りは2回.3回注解させます。

私はそんなことがあっても、エホバに心を向けて、集会や神権学校で注解をしてきました。
よく祈り、黙想しました。

私も海老名の本部に電話をしました。
担当者から「海外の研究生は当然のように司会者を4-5回変えている。
        司会者を変えただけで、組織にふさわしくない、伝道者にさせないという主催長老のことをあなたは巡回監督に伝えてください。
        組織でそのような規定はありません」

私も研究生さんの投稿と同じようなの主催長老でした。
その主催長老は大阪のインテックス南港の地域大会で講演を述べ、巡回大会、特別大会で講演する長老でした、巡回監督のお気に入りです。
<そのときだけで、注解もすぐさせてくれますが>

このような主催長老を見抜けない、巡回監督は長老や開拓者しか話しを信用しないでしょう。
巡回監督が司会者と話しするのでなく、
司会者を通して話しをするのでなく、「一人、一人の研究生に困っていることはないか」と話しをしてくれる巡回訪問を望みます。
海老名の本部にそのような巡回訪問があればいいと伝えましたが
あなたが巡回監督に近ずいて下さいといわれました→(霊的に違いがあり、長老や司会者はゆるさないでしょうが)


同じくバプテスマを受けていない伝道者の発表がありましたが、2世の娘でした。
私はなりたいと司会者に言いましたが、当然、推薦してもらえませんでした。その娘さんは従順だからと言いましたが
2世の子供なので、群れの集まり、姉妹とのお茶、主催長老もかわいがっています。

私は専門職で働いています。身近な人にも聖書のすばらしさを述べてきました。

研究を中断していますが、2013年7月 神の言葉は真理という大阪 インテックスでの地域大会には出席するつもりです。
昨年もこの主催長老は地域大会で講演しており、今年も講演するかと思います。

顔も思い出したくないのですが、神の言葉は真理です。やはり聞きたいと思っています。

私も何回か巡回監督の訪問があり、伝えようと考えましたが、研究生さんと同じく、立場が弱く、悪く言われるだけです。

研究を中断してよかったのですが、司会者から主催長老に「それだけの信仰だった」と言われているのは承知ですが、

気持ちが落ち着いています。

このような会衆があること、事実で、今後の1世の研究生が司会者を何回変えても、攻めないでください。

司会者が研究生を大切にしていないのです。交わりや家族との食事、主催長老からのほめことば、1世の研究生は
ほとんどありませんから。

そして、伝道者やバプテスマをうけた信者が2世の研究生ばかりで、1世の研究生をなかなか伝道者に認めない
会衆にあたったなら、引越しするか、研究を中断するかおすすめします。

海外の掲示板を拝見しました、
「あなたの教え方は合わない、別の司会者に、そして、進歩したら、別の司会者に変わってと
海外のエホバの証人は自分の進歩で司会者を交代させ、長老もとくに研究生を攻めたりしない」という投稿がありました。

海老名の担当者も「司会者を何回か変更させて、その長老に従順でないとか、司会者に従順でないとか有り得ません
             司会者を変更させても、進歩してクリスチャンとして研究生を愛ある親切の仕方で
             長老は支えます。ぜひ、巡回監督に相談してください」といわれましたが

巡回監督は見抜けないでしょうね。残念ながら、研究を中断した1世の研究生でした。

真理を伝えた友人にそのことを言ったら「エホバの証人は、大人のいじめと同じじゃないの」

研究を中断しましたが、聖書に知り合えて真理を知った喜びがあり、神の言葉を勉強できたことには心より、感謝はしています。

成員の方には、司会者を何回か変更している研究生がいても、攻めずに、あたたかく、見守ってあげて、進歩を願って下さい。

つらい思いをして研究を中断した1世の研究生より。

#2 2013年05月15日 20:04:59

sk
メンバー

Re: 司会者を変更することについて

こんばんは、皆さん

研究生の皆さんのJW会衆による強いられた忍耐を気の毒に感じ、いくらかでも慰めになればと思って書いています。


まず、真理はものみの塔協会、エホバの証人のものではありません。
エホバ神は彼らだけの神ではありません。
エホバ神は人類全体の神です。
それで、神はすべての人を同じように扱われます。

神はエホバの証人だけに特別に好意を持っていません。
神は不公平な方ではありません。

使徒 10:34
34 そこでペテロは口を開いてこう言った。「わたしは,神が不公平な方ではなく,35 どの国民でも,[神]を恐れ,義を行なう人は[神]に受け入れられるのだということがはっきり分かります。

ローマ 2:6-11
6 そして,[神]は各々にその業に応じて報います。7良い業における忍耐によって栄光と誉れと不朽性とを求めている者には永遠の命です。8 一方,争いを好み,真理に従わないで不義に従う者に対しては,憤りと怒り,9 患難と苦難があります。それは,有害な事柄を行なうすべての人の魂に,ユダヤ人を初めとしてギリシャ人にも臨みます。10 しかし,栄光と誉れと平和が,良い事柄を行なうすべての人に,ユダヤ人を初めとしてギリシャ人にもあるのです。11 神に不公平はないからです。



すべての人は不完全とはいえ、皆神の像に造られているので、利他的な気持ちや親切、公正を喜びます。
またそれに反する振る舞いをする他人や自らを、不快に思います。


ものみの塔協会の伝道活動はパリサイ人育成活動に過ぎません。
研究司会者、研究生のような取り決めは人間の考え出した徒弟制度であり聖書所的根拠を欠いています。

バプテストのヨハネはヨルダン川で悔い改めを呼びかけバプテスマを施しました。
彼は研究司会者などではありませんし、バプテスマを受けた人々は研究生などではありません。

イエスの弟子たちも人々にバプテスマを施しました。
この場合も、彼らは研究司会者などではありません。
バプテスマの前に伝道者になった人などいません。

エチオピアの宦官はフィリポの援助でバプテスマを受けエチオピアに帰りました。
フィリポは研究司会をしたのではありません。またエチオピアの宦官は研究生ではありません。
エチオピアの宦官はバプテスマの前に伝道者などになっていませんし、集会にも出席していません。

同じことがコルネリオの家族についても言えます。

パウロは猛烈な反対者でしたが、復活したイエスに会い、アナニアに助けられてバプテスマを受けました。
アナニアは研究司会者ではありませんし、パウロは研究生ではありません。

キリスト教の発展について「使徒たちの活動」を調べてください。
ものみの塔協会、エホバの証人のインチキが良く分かるでしょう。


それで、インチキ宗教に入信することを熱望するのではなく、私たちの命の源であられるエホバ神を聖書にしたがって崇拝してください。

ヨハネ 4:21-24
21 . . . あなた方が,この山でも,エルサレムでもないところで父を崇拝する時が来ようとしています。22 あなた方は自分の知らないものを崇拝しています。わたしたちは自分の知っているものを崇拝しています。救いはユダヤ人から起こるからです。23 とはいえ,真の崇拝者が霊と真理をもって父を崇拝する時が来ようとしています。それは今なのです。実際,父は,ご自分をそのように崇拝する者たちを求めておられるのです。24 神は霊であられるので,[神]を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません」。


エホバ神を崇拝するのに、ものみの塔、カトリック教会、その他のこの世に登録された宗教組織は不要です。
それらの人間性の組織はサタンの世の一部です。

それで宗教組織に属していないのであれば、わざわざその一員となる必要はありません。

もし宗教組織に属していて神を受け入れられる仕方で崇拝することを望むのであれば、啓示 18:4 に従うべきです。

啓示 18:4
4 また,わたしは天から出る別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい

神が、「わたしの民よ」と呼びかけています。
神の民は大いなるバビロンの中にいます。
そして、彼らは、そこから出るように勧められています。


組織宗教を後にして、聖書に導かれて霊と真理によって神を崇拝してください。

神が受け入れる崇拝の方式は、複雑ではありません。

ヤコブ 1:27
27 わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式はこうです。すなわち,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つことです



ものみの塔協会、エホバの証人の神の言葉を無効にする崇拝の様式は無価値です。


以下は、エホバの証人も含め人間の宗教組織のお粗末な実態を暴露する聖句です。


マタイ 15:3-8
3 [イエス]は答えて言われた,「あなた方も自分たちの伝統のゆえに神のおきてを踏み越えているのはどうしてですか。4 たとえば,神は,『あなたの父と母を敬いなさい』,そして,『父や母をののしる者は死に至らせなさい』と言われました。5 ところがあなた方は,『自分の父や母に向かって,「わたしの持つものであなたがわたしから益をお受けになるものがあるかもしれませんが,それはみな神に献納された供え物なのです」と言うのがだれであっても,6 その者は自分の父を少しも敬ってはならない』と言います。こうしてあなた方は,自分たちの伝統のゆえに神の言葉を無にしています。7 偽善者よ,イザヤはあなた方について適切に預言して言いました,8 『この民は唇でわたしを敬うが,その心はわたしから遠く離れている。9 彼らがわたしを崇拝しつづけるのは無駄なことである。人間の命令を教理として教えるからである』」。


マルコ 7:9-13
9 [イエス]はさらに続けてこう言われた。「あなた方は自分たちの伝統を保とうとして,巧妙にも神のおきてを押しのけています。10 たとえば,モーセは,『あなたの父と母を敬いなさい』,そして,『父や母をののしる者は死に至らせなさい』と言いました。11 ところがあなた方は,『もし人が自分の父や母に向かって,「わたしの持つものであなたがわたしから益をお受けになるものがあるかもしれませんが,それはみなコルバン(つまり,神に献納された供え物)なのです」と言うならば』と言います—12 あなた方はもはやその人に,自分の父や母のために何一つさせないのです。13 こうしてあなた方は,自分たちが伝えた伝統によって神の言葉を無にしています。そして多くのこれと同様の事をあなた方は行なっています」。



忍耐を強いられている研究生の皆さん

ものみの塔協会やエホバの証人の会衆を恐れる必要はありませんし、神聖視する必要もありません。
彼らもわれわれと変わらない不完全な人間に過ぎません。
エホバ神は彼らを特別視していません。

すべての人は、神をかたる人間の組織にではなく神に言い開きをすることになります。

編集者 sk (2013年05月15日 20:17:52)

オフライン

#3 2013年05月17日 15:01:28

info
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

近い将来、私も引っ越しを考えています。そのときは私が以前研究していたと引き継がれ、次の会衆で、進歩した研究生とのことで長老は正規開拓者を研究生に紹介するでしょう。やさしい司会者がいい、開拓者でなく私の家から近い伝道者の姉妹がいいと言う権利はないのでしょうか。私も1世で知り合いもいません。しんどい思いをするかもしれません。この記事を拝見して考えさせられました。引っ越しした会衆のふいんきと司会者として紹介された人柄を見て研究を再開するか考えようと思います。

#4 2013年05月17日 20:38:42

sk
メンバー

Re: 司会者を変更することについて

こんばんは、皆さん

info さん、

神から頂いている人権を侵害するようなグループは神の是認を受けているでしょうか。

不完全な人間の集まりを言い訳にできるでしょうか。

一部の悪玉菌を言い訳にできるでしょうか。

この掲示板の投稿者の記事を読んで、わたしはものみの塔協会、エホバの証人の会衆は良い実をなにも生み出していないと思います。
むしろ、外見を繕う偽者クリスチャン製造株式会社のように見えます。

マタイ 23:27-
27 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は白く塗った墓に似ているからです。それは,外面はなるほど美しく見えますが,内側は死人の骨とあらゆる汚れに満ちているのです。28 そのように,あなた方もまた,確かに外面では義にかなった者と人に映りますが,内側は偽善と不法でいっぱいです。


info さんが親しみを感じる姉妹たちはきっと謙遜で純粋に神と人を愛しているのでしょう。
ですから、そのような親切で謙遜で愛ある人にひきつけられるのでしょう。
そのような兄弟姉妹たちは、ものみの塔に洗脳されいる自分に気づく必要があります。
そして、インチキエホバの組織から出る必要があります。

info さんや不要な忍耐を強いられている他の研究生の声を、そのような謙遜で親切な姉妹たち、あるいは兄弟たちに相談してみてください。
彼らは聖書からどのように励ますでしょうか。
彼らもピラミッド支配の底辺にいますので、何の助けも得られないでしょう。

彼らが言えることは、
「エホバ、イエスキリスト、ものみの塔協会の統治体、日本支部、巡回監督、会衆の長老の言うことを聞きなさい」調の何の助けにもならないピラミッド構造のむなしい言葉でしょう。



エホバ神は、ものみの塔協会などを用いていません。

その事実に気づくべきです。
そして、聖書と、ものみの塔協会の創設当初からの真実の歴史を注意深く調べそのインチキ神権支配を見破るべきです。

info さんのような研究生をはじめ、すべてのエホバの証人の兄弟姉妹たちは次の聖書の警告に従うべきです。
この点で、ものみの塔もカトリックも、その他のキリスト教会も例外はありません。

ヨハネ第一 4:1
1 愛する者たちよ,霊感の表現すべてを信じてはなりません。むしろ,その霊感の表現を試して,それが神から出ているかどうかを見きわめなさい。多くの偽預言者が世に出たからです。

啓示 2:2
2 『わたしはあなたの行ないを知っている。また,あなたの労苦と忍耐を,そしてあなたが悪人たちに耐えることができず,使徒であると言いはするが[実は]そうでない者たちを試して,それが偽り者であるのを見いだしたことを[知っている]。


インターネットのおかげで、誰でもそうすることができます。


わたしたち一人一人は、人や人間の組織にではなく、命の源であられるエホバ神に対して言い開きをするこになります。
その時、エバやアダムがしたように、ものみの塔協会が、または会衆の長老が、「そのように教えました」などの言い訳は通用しないでしょう。

エバは、「へびです。へびがわたしをだましました」と言いました。
アダムは、「あなたが与えた女がその実をくれたので食べました」と言いました。


ヘブライ 4:13
13 そして,[神]のみ前に明らかでない創造物は一つもなく,すべてのものはその目に裸で,あらわにされており,この方に対してわたしたちは言い開きをしなければなりません。


人は自分のまくものを刈り取ることになります。


ですから、この記事を読んでいるすべての研究生の皆さん、およびエホバの証人の皆さん、

「その(ものみの塔協会の)霊感の表現を試して,それが神から出ているかどうかを見きわめなさい。」の助言を無視しないでください。

編集者 sk (2013年05月22日 21:46:07)

オフライン

#5 2013年05月17日 21:49:12

loas
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

エホバの証人は正規開拓者は奉仕時間70時間、補助開拓者50時間を毎月、協会へ提出しなければなりません。
家から家への奉仕者で見出した研究生は正規開拓者が研究することはありません。
ただ、移動になった、引越しで会衆を移動になると、長老は、正規開拓者を司会者として任命します。
時間入れの問題です。研究は奉仕時間に入れることができます。研究がおわったお茶の時間を含めて3時間
毎週だと12時間、外で奉仕しなくてもいいわけです。

長老たちは、だから正規開拓者に研究生を与えたいのです。まず、研究引継ぎの研究生は伝道者が司会することはありません。
司会者を変えて困るのは、開拓者の時間入れの問題と、プライドが許さないからです。
親しみを感じる姉妹たちはきっと謙遜で伝道者の方が多いです。
その方が司会者となれば、こんなに悩むことはなかったと思います。

今の研究生はじっくりと時間をかけ、昔のように、すぐ、エホバの証人にはさせません。

駅でプラカードの奉仕をしている証人が多くなっています。
それで、エホバの証人の方に、聖書研究しませんか?といわれるかもしれません。

研究生やプラカードをみた一般の方もエホバの証人を調べます。

ぜひ、研究を始めてください。そして、集会に参加されていき、
SKさんが述べた、「エホバ、イエスキリスト、ものみの塔協会の統治体、日本支部、巡回監督、
会衆の長老の言うことを聞きなさい」調の何の助けにもならないピラミッド構造のむなしい言葉でしょう。
の意味が理解できるでしょう。

#6 2013年05月18日 01:03:22

iris
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

みなさまこんばんは。
skさんの的確なコメントは大いに研究生の皆さんのお役に立つものと思います。
私も大筋では同じ意見です。

以下は本筋から少しずれたコメントで恐縮ですが。

sk さんの発言:

エホバ神を崇拝するのに、ものみの塔、カトリック教会、その他のこの世に登録された宗教組織は不要です。
それらの人間性の組織はサタンの世の一部です。

それで宗教組織に属していないのであれば、わざわざその一員となる必要はありません。
もし宗教組織に属していて神を受け入れられる仕方で崇拝することを望むのであれば、啓示 18:4 に従うべきです。

skさんやエホバの証人研究さんは宗教組織あるいは組織宗教については否定的な立場のようですね。
(skさんの宗教組織に対する意見は論理的に明確なのに対して、エホバの証人研究さんの組織宗教に対する意見は
あいまいで私にはあまり理解できないのですが。)

私は宗教というものは人間社会の中で活きるものである以上、何らかの組織の形をとるようになるのが自然だと思います。
組織であること自体が問題なのではなく、組織の在り方が問題になる場合があると思っています。
聖書も組織自体を否定しているわけではなく、イエスの言葉に従って教会が組織されていく様子を肯定的に描いています。
(この点についてはskさんにもコメントいただいたことがありますね)

skさんもエホバの証人研究さんも、negativeな宗教組織の代表のようにカトリック教会を持ち出してこられますが、
私は現在の日本のカトリック教会がその他の宗教組織と比べて特に問題が多いとは思っていません。

私がエホバの証人の問題点(輸血拒否や不適切な育児などを含む組織への盲従の強制)を指摘する場合は
事実に基づいて批判しており、これまで皆さんから明らかな事実誤認を指摘されたことはないと思います。
(キリスト教であるかどうかという判断は事実だけでは語れないので別次元の問題ですが)。
カトリック教会が特に悪質な宗教組織であるとお考えであるのであれば、具体的に事実を指摘していただきたいと希望します。

#7 2013年05月18日 09:14:17

sk
メンバー

Re: 司会者を変更することについて

おはようございます。


iris さん

カトリック教会は政教合体キリスト教歴史そのものであり、プロテスタント教会も概ねその教えを引き継いでいます。


wiki より http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB% … 9%E4%BC%9A

カトリック教会(カトリックきょうかい、ラテン語: Ecclesia Catholica)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座におくことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる[1]。

「カトリック」の語源はギリシア語の「カトリケー(καθολική)」やラテン語では「カトリクス(Catholicus)」等で、「普遍的」「公同」などの意味である。ただし「カトリック」(普遍的)を自認・自称するキリスト教の教派は他にもあり(後述)、「カトリック」の語彙は教派名にとどまらない概念を指すこともある。

詳細は「カトリック」を参照

カトリック教会自身による定義は、教会憲章(Lumen Gentium) にみられる「ペトロの後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち(司教)によって治められる唯一、聖、カトリック、使徒的な教会」という表現にもっともよく表されている。



このような「キリストの12使徒の後継者による唯一の使徒的な教会」という主張そのもの聖書と調和しません。

イエスは小麦は雑草の中に隠れて収穫のときにみ使いたちにより収穫されると教えました。
また、啓示では神の民は大いなるバビロンの中に囚われており、その中から出るように呼びかけられています。
また、イエスは誰も父と呼ばれてはなりませんと教え中央集権的な組織宗教を認めていません。
クリスチャンは聖書の教えにより生きる人たちであり、そのような兄弟姉妹が自分の近くにいれば「あなた方は皆兄弟です」のレベルで交友を楽しむことができます。

西暦1世紀にクリスチャン会衆が各地に形成された時、そのすべてを統制するような組織は存在しませんでした。聖書の使徒たちの活動は、神が個々のクリスチャンを用いてキリスト教を拡大させたことがわかります。この点で使徒パウロはキリストにより際立った仕方で用いられました。しかし彼は中央集権組織の筆頭ではありませんでした。むしろそのような権威主義に譲歩することも屈することもなくクリスチャンの自由を擁護しました。

コリント第二 1:24
24 わたしたちがあなた方の信仰に対する主人であるというのではありません。わたしたちはあなた方の喜びのための同労者です。あなた方が立っているのは[自分の]信仰によるのです。

ガラテア 2:4-5
4 むしろ,それはこっそり連れ込まれた偽兄弟たちによるのです。その人々は,わたしたちがキリスト・イエスと結ばれて持っている自由をうかがうために忍び込んで来たのであり,わたしたちを完全に奴隷にしようとしているのです—5 そのような人たちに対してわたしたちは屈服して譲歩したりはしませんでした。そうです,一時といえどもです。それは,良いたよりの真理が引き続きあなた方のもとにとどまるようにするためでした。

ガラテア 5:1
1 キリストは,このような自由のためにわたしたちを自由にしてくださったのです。ですから,堅く立って,再び奴隷のくびきにつながれないようにしなさい


個々の会衆は、クリスチャンの自由を持つ兄弟姉妹たちによる交友と励ましの場となり、聖書の教えに委ねられおのおの独立して活動していました。そのすべての活動は天からキリストにより監督されていました。ですから、イエスは啓示の書の中でアジアに在る7つの会衆に宛ててそれぞれの会衆の必要を書き送っています。


使徒 20:31-32
31 「ですから,目ざめていなさい。そして,三年の間,わたしが夜も昼も,涙をもってひとりひとりを訓戒しつづけたことを覚えていなさい。32 そして今,わたしはあなた方を神とその過分のご親切の言葉にゆだねます。その[ことば]はあなた方を築き上げ,神聖にされた者たちすべての間の相続財産をあなた方に与えうるのです。 (パウロが伝道した兄弟たちは、統治体のような人間のインチキグループではなく、神とその言葉に委ねられました)


啓示2:2, 9, 13, 19, 3:1, 8, 15

エフェソス
2:2 『わたしはあなたの行ないを知っている。また,あなたの労苦と忍耐を,そしてあなたが悪人たちに耐えることができず,使徒であると言いはするが[実は]そうでない者たちを試して,それが偽り者であるのを見いだしたことを[知っている]。

スミルナ
2:9 『わたしはあなたの患難と貧しさを知っている—しかしあなたは富んでいるのである—また,自分はユダヤ人であると言いながら,[実は]そうではなく,むしろサタンの会堂[に属する]者たちによる冒とくを[知っている]。

ペルガモン
2:13 『わたしはあなたが住んでいる所を知っている。それはサタンの座のある所である。それでもあなたはわたしの名をしっかり守りつづけており,あなた方の傍ら,サタンの住むところで殺された,わたしの証人,また忠実な者であるアンテパスの日にも,わたしに対する信仰を否定しなかった。

テアテラ
2:19 『わたしは,あなたの行ない,また,あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を,そして,あなたの最近の行ないが以前のものより多いことを知っている。

サルデス
3:1 . . . 『わたしはあなたの行ないを知っている。あなたは生きているとの名を持ってはいるが,[実は]死んでいるのである。

フィラデルフィア
3:8 『わたしはあなたの行ないを知っている—見よ,わたしはあなたの前に開かれた戸を置いた。それはだれも閉じることができない—すなわち,あなたには少しの力があり,わたしの言葉を守って,わたしの名に不実な者とはならなかった。

ローデシア
3:15 『わたしはあなたの行ないを知っている。あなたは冷たくも熱くもない。わたしは,あなたが冷たいか熱いかのどちらかであってくれればと思う。



つまり、各地に散らばるクリスチャンたちの活動は天のキリストにより監督されているのであり、人間の中央集権組織のトップと称されるインチキグループによるものではありません。



西暦1世紀のクリスチャン会衆の発足当初からサタンの働きは活発であり、迫害、背教により偽クリスチャンの雑草が仕込まれました。そのおかげで西暦4世紀に異教のローマのコンスタンティヌス帝により政教一致のローマカトリック教が誕生し、この地上においていわゆるキリストの王国の支配が始まりました。その支配は政治的な意図をもつ専横支配そのものであり、異教、異端者の迫害、拷問の歴史が始まります。そのようにして神聖ローマ帝国はヨーロッパ、中央アジアへ拡大しその後の世界史の向かう道を作りました。


ローマカトリック教会の歴史は、世の支配の歴史そのものです。
世界の主権争いの背後にローマカトリック教会がいつでも存在します。


そのようなバビロン的な環境の中で、マルティン・ルターのような宗教改革を推進するカトリックのモンクが現れ、ウィリアム・ティンダルやその他の人々に影響を与え、聖書の翻訳が進み一般の人々に聖書が普及するようになります。しかし、それでもなお組織宗教による人々の支配の型は残り、現在存在する多くの宗教組織を生み出しました。


iris さんが仰るとおり、組織のあり方が問題です。
わたしたちは一人で生きているのではなく、また神が「人はひとりでいるのは良くない」と言われているように、クリスチャンは信仰を共にする仲間との交友を必要としています。その基本的な必要があるゆえに多くの人が組織宗教に入信するのでしょう。ですから、神の民は組織宗教の大いなるバビロンに囚われることになるのでしょう。


とはいえ、聖書が普及し、インターネットにより世界中の人々がつながるようになった今、人々はバビロンの囚われの実情を知るようになりました。
それで、啓示の呼びかけに答え応じる環境が整った思います。

啓示 18:4
4 . . . 「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい



この面で、カトリック教会は例外でしょうか。


「カトリック教会の実情」で検索してみました。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%8 … =firefox-a


記事を読むとカトリック教会もまた中央集権ピラミッド構造の人工物であることが読み取れます。


また海外の記事によると、ものみの塔協会と同じようにカトリックもまた児童性愛者の司祭による問題を抱えていることが暴かれています。


iris さんがご自分の気持ちを整えて大いなるバビロンから出ることができますように。

編集者 sk (2013年05月20日 21:18:13)

オフライン

#8 2013年05月18日 19:15:39

marius
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

このトピックから、エホバの証人 研究生についていろいろとしらべてみました。
アドラムの洞窟さんのブログでもとりあげられています。
http://blog.goo.ne.jp/bereshit007/e/cb4 … 076920a24a
2012-10-29 15:00:14

司会者が研究生にとって絶対の存在になってしまう。
司会者の良心が善悪の基準になってしまい組織ぐ明言していない分野の口伝伝承が地方に広まってしまう。
集会も司会者の隣に座らされ、他の兄弟姉妹から囲ってしまう。
王国宣教学校では、一旦集会にきたら司会者と研究生という考えでなく
会衆全体で育ててゆく考えが強調されていてその通りだと思います。
いずれにしても、司会者が司会している人の人生を全部決めるかのような、傲慢な接し方は、感心しない。
巡回訪問でも、長老、開拓者がとりあげられ、司会者の言うことが絶対的で研究生が悪者になってしまう。

野外奉仕が減って、街路、駅でプラカードや公園でも奉仕する証人が増えています。
研究生に合わせる、柔軟に合わせ方がこれからの時代に求められると思います。

#9 2013年05月19日 09:06:28

iris
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

skさん

お返事ありがとうございます。明快なお答えをいただきすっきりしました。
カトリック教会が過去の負の遺産を引きずっていることは否定しません。
何しろ2000年の歴史を引きずっている組織ですから。

エホバの証人の組織について考える際の比較対象として、参考までに私の認識を述べます。


1.中央集権的な組織構造について

以前は名実ともにピラミッド構造だった時期がありますが、現在は少なくとも名目上は信者(聖職者、信徒)は
すべて平等であるということになりました。聖職者と信徒とは役割が違うだけということです。

現在の司祭(神父)の立場は、skさんの指摘されたコリント第二 1:24に非常に近いと思います。
カトリック信徒は自分自身の信仰によって立つことを求められています。

しかし、司教以上の立場になると「権威をもって教え導き、統治する」という役割が明確になります。
聖職者と信徒は平等であるという名目が怪しくなってくるのは確かですが、まとめ役がいないことには
まとまりがつかなくなりますから、教会としての一致を保つためには仕方のないことかもしれません。
(ここがskさんの引っかかるところでしょう。)

私自身は、カトリック教会の建前をすべて受け入れなくてはならないとは思っていません。
skさんのおっしゃる「あなた方は皆兄弟です」のレベルを保っているにすぎません。
そして教会側も、伝統の類など本質的でない事柄を強制しない雰囲気に変わってきています。

けれども聖職者の立場となると話は変わってきます。司祭の中にはかなり自由に発言している方も多く、
それによって教会の在り方が改善されていくことを私も期待しているのですが、特に修道女の立場では
教会や修道会の建前が重視される(自由に発言できない)ような印象を持ちました。
それで私はシスターになるのはやめました。
(エホバの証人は研究生時代からカトリックの修道者のような立場に立たされ大変だと思います)


2.聖職者の質について

司祭(神父)の養成はかなり手間暇をかけてやっているはずなのですが……残念ながら残念な方も少なくありません。

聖書についても神学についてもよく勉強されていて、司牧(信徒の世話)にも熱心な司祭が理想的ですが、
そういう司祭ばかりであるとは言えません。人間としてどうなのかという司祭もいますし、自分が大将でいないと
気が済まない司祭(前時代の名残?)もいますし、まあいろいろです。
だいたい、日本では若い男性のカトリック信者はそれほど多くないのです。司祭候補になりうる人数が少ないので、
全体の質を上げることが難しいのかもしれません。

司祭は実質的に地域の教会の顔です。信者も未信者も大きな影響を受けますから、司祭の質が悪いのは問題です。
私は最初にしっかりした神父さまに出会うことができたので幸運でしたが、司祭の質を問う仕組みが機能するようで
なくてはならないと思います。そうでなくては、質の悪い司祭が人々をキリストから引き離す結果になります。


3.信徒の在り方、小教区(地域の各教会)の在り方について

教会の在り方を考えるうえで、信徒の在り方は無視できない要因です。
カトリック教会にはさまざまな考え方の信徒が混在しています。昔からの慣習を絶対に変えたくない信徒もいますし、
新しい教会しか知らない信徒もいます。古くからの信徒が幅を利かせていて、司祭が手を焼くこともあります。

会計報告などを問題にしているサイトもありましたが、これは教会全体の体質というよりは各教会の事情が
大きいと思います。私が最初に所属していた教会はかなり大規模で、教会事務員(信徒)を雇用していましたし、
専門知識を持った信徒も多く、組織の運営に必要な人材がある程度そろっていたと思います。
けれども多くの教会では信徒が片手間に多くの事務仕事をこなし、十分でないことも多いのが実情かもしれません。
また司祭が会計報告などを「世俗のこと」と軽視する場合もあり得ます。
この辺りの事情はエホバの証人の各会衆の事情と共通しているかもしれませんね。


4.純潔について

司祭の独身制に問題があるという議論はカトリック内部でもかなり以前から出ています。
これが性犯罪などに結びついているとすれば、根本的に見直す必要がありますが、時間がかかるでしょうね。
ミサの際の侍者(アシスタント)は男性に限られていましたが、最近は女性も務めるようになってきています。
変化できないものではないと思いたいですね。

個人の性生活への干渉に関連して、カトリックで問題になりやすいのは避妊や人工妊娠中絶の禁止ですが、
私は個人的には親の勝手な都合で胎児を中絶することには反対です。殺人、間引きですから。
けれども一部のカトリック国で問題となっているように、母児の健康状態を無視してまで何が何でも中絶しない
というのは行きすぎです。「生命を最大限に尊重する」という大前提よりも「中絶禁止」の方が優先されてしまう
状況は、エホバの証人の輸血禁止に何となく似ています。宗教のお墨付きが人々を暴走させるのでしょうか。

胎児を中絶しないためには望まない妊娠を避けることが必要ですが、医学的にも100%確実な避妊法は
性交渉をしないという方法しかありません。万人に適した方法ではないのかもしれませんが、結婚して子どもを
迎える準備ができるまでは性交渉を持たないというのは優れた方法だと思います。現在の社会の状況では、
結婚前に妊娠してしまうと母も子も心身ともに不利益を受けることが少なくありません。複雑な家庭環境の中で
苦労している子どもたちも診てきましたから、節度のない性行動は不幸のもとだと思っています。
その意味では純潔を守ることには価値があると思いますし、何の宗教的信念も持っていなくても相手の女性を
大切にするために時が来るまでは手を出さないという男性もいますから、子どもたちをそのように教育する方が
望ましいと思います。


sk さんの発言:

iris さんがご自分の気持ちを整えて大いなるバビロンから出ることができますように。

私は生涯、神さまの子どもらしく生きることを望んでいます。その助けとしてカトリック教会の一員となることを
選びましたが、カトリックを選んだのは私の信仰の自由を制限されることがないためです。

聖なる教会とはいっても弱い人間たちの集まりですから必ず問題も起こります。
カトリックの場合は10億人以上の規模になってしまったことによる問題も起こるでしょう。
けれどもskさんも御承知の通り、信仰を共にする仲間との交友は必要です。仲間との交友はいつから小さい
バビロンになり、大いなるバビロンになっていくのでしょうか。3人ならよくて、30人ならよくないのでしょうか。
私は組織の規模の問題ではなく、一人一人の意識の問題だと思っています。

カトリック作家の遠藤周作は子どもの時に母と一緒に洗礼を受けています。その頃のことを、「合わない洋服を
着せられたようだった」と書いています。その後、合わない洋服を何とか体に沿うようにしようともがいた歩みが
作品にも表れています。遠藤の作品はカトリック教会から禁書扱いになったこともありましたが、後に教皇に
謁見し諸宗教との対話に関して教皇から協力を求められています。

ここで大切なことは、合わない洋服の方を何とかしようと努力したことです。エホバの証人は、シンデレラの
ガラスの靴に足を入れるために足を切ったお姉さんのように、アメリカ生まれの宗教に自分を無理やり
合わせようとしているように見えます。
日本には日本人の心に合った、日本のキリスト教(日本らしいカトリック)が育つことを私は期待しています。

skさんのお返事は丁寧で大変勉強になります。これからもよろしくお願いします。

#10 2013年05月20日 18:27:11

エアーズ
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

エホバの証人は無償での奉仕や伝道活動を行っており、ある意味では自己犠牲を払っており、賞賛に値すると思います。
すべてのエホバの証人がそうではないとは思っていますが、
skさんが
  「この掲示板の投稿者の記事を読んで、わたしはものみの塔協会、エホバの証人の会衆は良い実をなにも生み出していないと思います。」
  「外見を繕う偽者クリスチャン製造株式会社のように見えます。」
私もそう感じました。

私も駅でプラカードをしているエホバの証人やいろいろなエホバの証人のブログ、この研究生の投稿をみて、ものみの塔協会に対して、残念に思いました。

そして、irisさんのエホバの証人は研究生時代からカトリックの修道者のような立場に立たされ大変だと思います)
日本には日本人の心に合った、日本のキリスト教(日本らしいカトリック)が育つことを私は期待しています。

私もそう心から思います。良い参考になる投稿、勉強になりました。

#11 2013年05月20日 19:04:24

愚道
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

これで洗脳を解くなど無理な話。

大いなるバビロンにしてもSK氏の持論って物見の党教理の焼き直し、唯のラベル交換でしょう?
長々とした文章のわりに根拠が述べられず、JWの洞察などはそれなりに根拠が示されてるけど

JWとカテゴリーが同じなので大半はスルー

#12 2013年05月20日 20:25:01

sk
メンバー

Re: 司会者を変更することについて

こんばんは、皆さん


テサロニケ第二 3:2
2 . . . 信仰はすべての人が持っているわけではないのです。

愚道さんの言葉は、パウロの伝道に反応したギリシャの哲学者のようです。

使徒 17:18
18 しかし,エピクロス派およびストア派の哲学者のある人々が彼と言い合うようになり,ある者は,「このおしゃべりは何を言おうとしているのか」,またほかの者は,「これは異国の神々を広める者らしい」などと言うのであった。彼がイエスおよび復活の良いたよりを宣明していたからである。

彼らはパウロをアレオパゴスにつれて行きパウロの話を聞きます。
パウロは神、キリスト、復活、裁きについて証しします。

その結果は、

使徒 17:32
32 さて,死人の復活について聞くと,ある者たちはあざけるようになったが,ほかの者たちは,「これについてはあなた[の言うこと]をまた別の時に聞こう」と言った。33 こうしてパウロは彼らの中から出たが,34 幾人かの者は彼に加わって信者となった。その中には,アレオパゴス裁判所の裁判官デオヌシオ,ダマリスという名の女,またそのほかの者たちもいた。


西暦1世紀以来、キリスト教の宣教はあざける者の中でなされてきました。

キリストご自身も同じあざけり、憎しみの中で良いたよりを宣べ伝えられました。
彼の弟子たちにも同じ経験が待っています。
わたしは、パウロや他のクリスチャンのようにキリストのことばを恥じることはありません。
それは、救われていく者たちにとって神からの力、また慰めだかれです。

ヨハネ 15:20
20 奴隷はその主人より偉くはないと,わたしがあなた方に言った言葉を覚えておきなさい。彼らがわたしを迫害したのであれば,あなた方をも迫害するでしょう。彼らがわたしの言葉を守り行なったのであれば,あなた方の[言葉]をも守り行なうでしょう。

ローマ 1:16
16 わたしは良いたよりを恥じてはいないからです。実際それは,信仰を持つすべての人にとって,すなわちユダヤ人を初めギリシャ人にとっても,救いのための神の力なのです。


だれでも、キリストとの結びつきを告白する人々は幸いです。

マタイ 10:32-34
32 「それゆえ,人の前でわたしとの結びつきを告白する者はみな,わたしも天におられるわたしの父の前でその者との結びつきを告白します。33 しかし,だれでも人の前でわたしのことを否認する者は,わたしも天におられるわたしの父の前でその者のことを否認します。34 わたしが地上に平和を投ずるために来たと考えてはなりません。平和ではなく,剣を投ずるために来たのです。

ヨハネ 3:19-21
19 さて,裁きの根拠はこれです。すなわち,光が世に来ているのに,人々が光よりむしろ闇を愛したことです。その業が邪悪であったからです。20 いとうべき事柄を習わしにする者は,光を憎んで,光に来ません。自分の業が戒められないようにするためです。21 しかし,真実なことを行なう者は光に来て,自分の業が神に従ってなされていることが明らかになるようにします」。

編集者 sk (2015年01月21日 18:56:09)

オフライン

#13 2013年05月21日 10:18:58

tetu
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

SKさんはパウロみたいな方なんですね。

裁きってよく出るけど、裁きたいの?

#14 2013年05月21日 11:49:40

iris
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

エアーズさん、コメントありがとうございます。

私は結婚生活に召されていることを感じて最終的にはシスターにはなりませんでしたが、
修道生活から得られる恵みも大きなものだと思います。
カトリックの修道会はたくさんあり、それぞれ活動内容も違いますので、自分に合う会を
見つけて生き生きとすごせるのであれば素晴らしいことだと思います。
黙々と祈り、労働する生活の繰り返しが向く人もいるでしょうし、マザー・テレサのように
教皇も真っ青になるような行動力で教会や世の中に大きな影響を与えた人もいます。

カトリックの修道者になるのにはかなりの時間がかかります。
幼児洗礼の人でなければ、まずは洗礼までに時間をかけてカトリックの信仰を学びます。
洗礼を受けてもすぐには修道会には入れません。本当に修道生活に呼ばれているかを
時間をかけて確かめます。さらに修道会に入ってからも、正式に修道者になるまでには
いくつもの段階があり、何年もかかってゆっくりと自分の道を探します。
「シスターになりたい」と思う女性信徒は少なくはありません。けれども、実際に修道会に
入る人はほんの一握りですし、修道会に入ってからやめる人もたくさんいます。やめても
特に不都合はなく、一般信徒としてすごします。

エホバの証人研究さんが指摘されている通り、エホバの証人が修道者なみの生活に
引きずり込まれる際には、今後どのような生活になるかという説明が欠けています。
教えの内容もよくわからない研究生のうちから、組織に逆らえない状況に追い込まれ、
やめるにもやめられず、人生を乗っ取られたような生活になってしまうのは非常に
お気の毒というしかありません。けれどもそれが組織の意図するやり方ですからね…


駅で雑誌などを持って立っている方、目立つようになりましたね。
ただ立っているだけで、勧誘にどれほど役立つのか非常に疑問ですが、声をかけたりは
できないことになっているそうですね。(以前は呼びかけてこられたこともあるような…)
実際のところ効率はどうなのでしょうか。

#15 2013年05月21日 13:00:50

iris
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

残念ながら、愚道さんの指摘されているように「大いなるバビロンに関するsk氏の持論は
ものみの塔の教理の焼き直し」であると思います。元エホバの証人ならではですね。

個人的にはskさんの誠意ある書き込みは有意義だと思いますが。

#16 2013年05月21日 19:04:55

sk
メンバー

Re: 司会者を変更することについて

こんばんは、皆さん


ものみの塔バビロンを去ったクリスチャンは、以前の信仰をすべて否定すべきでしょうか。
エホバ神、イエスキリスト、復活、裁きといった信仰の基礎的な部分を否定する必要がありますか。

ものみの塔バビロンを後にすることは、信仰の破船を意味していますか。
わたしは、そう思いません。

キリストへの信仰を失わない人々に対して、アカメさんや愚道さんのように「それはものみの塔の独自のバージョンに過ぎないので考慮に値しない」のような評価は、キリスト教をユダヤ教の一宗派とみなした人々と同じものです。



使徒パウロは熱心なパリサイ人でした。
彼は他の誰よりも神に対する熱心さを示したと述べています。
しかし、彼は人間の伝統のゆえにイエスをキリストとして受け入れることができませんでした。

その彼が、クリスチャンの迫害の途上、復活したキリストに遭遇し、イエスと信じるようになりました。
それは、神の側の過分の親切によりました。
神はパウロの純粋さを理解なさっていました。

パウロは、異邦人の改宗のためにキリストにより顕著に用いられました。

パウロはパリサイ人(ユダヤ教)からクリスチャン(キリスト教)へ改宗しました。

この改宗において何が変わりましたか。
エホバ神、復活の希望、メシアに関する教えのようなユダヤ人が信じている基本的な聖書の信仰が変わりましたか。

いいえ、全く変わっていません。
むしろパウロの信仰は以前にも増して強固にされました。
なぜなら彼はメシアの実体を信じることができたからです。


多くのユダヤ人、異邦人にとってこの変化は、アカメさんや愚道さんが見ているように一つの宗派の誕生に過ぎませんでした。

とはいえ、それはエホバ神から出ており、その価値は単なる人間による評価に依存しません。



わたしも同じように、エホバの証人として熱心でした。
エホバ神、イエスキリスト、復活、裁きをエホバの証人の兄弟姉妹たちと同じように信じています。
それを変える必要はありませんし、ものみの塔がバビロンだからといって、それが自分の信仰の破船のいい訳にはなりません。


以前は、皆さんと同じようにものみの塔協会の伝統(インチキ)により、忠実で思慮深い奴隷級をイエスが用いていると信じていました。
しかし、それはそれ以外を考えない洗脳の結果でした。

もちろん、パウロのように復活したイエスに遭遇したわけではありませんが、神の言葉とものみの塔協会の伝統の違いに気づくようになりました。
そして以下の聖書の聖句に導かれて調査を開始し、洗脳から解かれました。

ローマ 2:21
21 それなのに,ほかの人を教えているあなたが,自分を教えないのですか。

ヨハネ第一 4:1
霊感の表現すべてを信じてはなりません。むしろ,その霊感の表現を試して,それが神から出ているかどうかを見きわめなさい。」


わたしは、この覚醒の過程に神の導きを見ています。

現在、イエスをわたしの主としてキリスト教の音信を自分のできる範囲でできる方法を用いて、自分の地域のおいて、またインターネットをとおして宣べ伝えています。

わたしの願いは使徒パウロの願いと同じです。


パウロは同胞のユダヤ人たちがキリストを受け入れることを願いました。
わたしは同胞のJWの皆さんが、インチキ統治体ではなくキリストを受け入れることを願います。


エホバの証人の皆さん、ものみの塔聖書冊子印刷株式会社のピラミッド統治の欺きに気づいてください。
人間のグループによる取り決めに導かれるのではなく聖書にあるキリストの言葉と指導にのみ導かれてください。

やがて多くの兄弟姉妹たちがものみの塔バビロンを調査の結果得られた確信のもとに後にするでしょう。
近所で聖書に立脚したクリスチャンの交友を楽しめるときが来るでしょう。
神はご自分の民を知っており、ふさわしく導かれるでしょう。



tetu さん

もし、あなたがかってエホバの証人であったなら、パウロの次の言葉の意味が分かるでしょう。

コリント第一 11:1
1 わたしがキリストに[見倣う者]であるように,わたしに見倣う者となりなさい。

フィリピ 3:17
17 兄弟たち,皆ともにわたしに見倣う者となってください。また,あなた方がわたしたちに見る手本にかなう歩み方をしている人たちに目を留めなさい。

もし、あなたがその意味をあざ笑うなら、あなたの信仰は破船しています。


また、裁きについては私がと言うより神のことば自体がそれを示しています。

それで、神の裁きについて言えば、無視するものは裁きを信じているものを無視しているのではなく、裁きを約束しておられる神そのものを無視していることになります。


伝道の書 3:16-17
16 そして,わたしはさらに日の下で,公正の場に邪悪があり,義の場に邪悪があるのを見た。17 わたしは心の中で自ら言った,「[まことの]神は義なる者をも邪悪な者をも共に裁かれる。そこにはすべての事に,またすべての業に関して時があるからである」と。

ヘブライ 9:27
27 そして,人がただ一度かぎり死に,そののち裁き[を受けること]が定め置かれているように,


使徒 17:30-31
30 確かに,神はそうした無知の時代を見過ごしてこられはしましたが,今では,どこにおいてもすべての者が悔い改めるべきことを人類に告げておられます。31 なぜなら,ご自分が任命したひとりの人によって人の住む地を義をもって裁くために日を定め,彼を死人の中から復活させてすべての人に保証をお与えになったからです」。


神の裁きをあざける者たちは、神を信じてもいなければその気もないでしょう。
それが、その人の選択でしょう。

わたしとは違います。


ペテロ第二 3:3-4
3 というのは,あなた方はまずこのことを知っているからです。つまり,終わりの日にはあざける者たちがあざけりを抱いてやって来るからです。その者たちは自分の欲望のままに進み,4 「この約束された彼の臨在はどうなっているのか。わたしたちの父祖が[死の]眠りについた日から,すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか」と言うでしょう。


啓示 18:4
4 また,わたしは天から出る別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい。5 彼女の罪は重なり加わって天に達し,神は彼女の[数々の]不正な行為を思い出されたのである。6 彼女自身が返したとおりに彼女に返し,二倍を,つまり,彼女が行なったことの二倍を彼女に行ないなさい。彼女が混ぜ物を入れた杯に,二倍の混ぜ物を彼女のために入れなさい。7 彼女が自分に栄光を帰し,恥知らずのおごりのうちに暮らしたその分だけ,彼女に責め苦と嘆きを与えなさい。彼女は心の中で,『わたしは女王として座す。やもめなどではない。嘆きを見ることは決してない』と言いつづけているからである。8 そのために,彼女の災厄は一日のうちに来る。それは死と嘆きと飢きんであって,彼女は火で焼き尽くされるであろう。彼女を裁いたエホバ神は強い方だからである。



サタンの体制の圧制者たちが裁かれることは、柔和なものたちの開放、救いを意味するでしょう。

救いを経験する虐げられてきた謙遜な人々は神の裁きを感謝するでしょう。

詩篇 58:11
11 そして人は言う,「まことに,義なる者のためには実りがある。
まことに,地に裁きを行なう神がおられる」と。


エホバの証人の兄弟姉妹たち、ものみの塔を離れた兄弟姉妹たち、また研究生の皆さん、

神を信じるすべての人が、エホバ神への聖なる信仰を保ち神の愛のうちに留まれますように。

また、信仰のない人々の信仰のない言葉や評価により自分の確固とした立場を失いませんように。

編集者 sk (2015年01月21日 18:55:28)

オフライン

#17 2013年05月21日 20:32:37

tetu
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

なるほど

SK さん

ではものみの塔は最初は神の組織だったのですか?
いつ頃から大いなるバビロンの一部に
なったのでしょう。黙示録には真の信仰の組織が
サタンの組織に変わることが示されていますか?

#18 2013年05月21日 21:02:45

tetu
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

それから、解釈の問題をどう考えてますか?

同じ文章、例えば最近の歴史を読んでも人により異なるのが普通です。
聖書となるとほとんどは解説や導きがないと
ただ読んでもチンプンカンプンで、エチオピア人が
導きが必要と言ったのはある意味真実だと思います。

現在導く人が必要ですか?それとも個々の解釈で良い
のですか?

解釈の違いは大きく容易に一致しなくて
このサイトだけでも一致は困難と思いますけれど。

#19 2013年05月22日 14:58:03

カレブ
Administrator

Re: 司会者を変更することについて

カトリックは大いなるバビロンをローマ帝国だと言いました。

マルティン・ルターは大いなるバビロンはカトリックだと言いました。

ラッセルは大いなるバビロンはローマカトリックの教皇制度だと言いました。

後でカトリック+プロテスタントだと言いました。

最後はカトリック+プロテスタント+他の偽りの宗教と言いました。

さて どれが正解でしょう?

わたしが思うのは一番正解に近いのはカトリックの見解です。
なぜならヨハネの啓示が書かれた当時,それしか存在しませんでしたし
その作者は身近にあることがらをもったいぶって書いていたにすぎないと
思うからです。ヨハネの啓示の作者が本当に頭の中で幻を見たのかは
わかりませんが,その作者の時代のクリスチャンが欲していた内容が
そこには書かれていました。

その作者がタイムマシーンにのって現代に来て 啓示の書の注解書を
読んでどんな感想を持つか聞いてみたいところです。
「みんなよく考えましたね」って感心されるかもしれないですね^^

オフライン

#20 2013年05月22日 19:41:26

sk
メンバー

Re: 司会者を変更することについて

こんばんは、tetu さん

わたしの投稿を謙遜に辛抱強く読んでくださりありがとうございます。



さて、まず

大いなるバビロンについて

皆さんこの話題に関心が高いみたいですね。
JW研究さんは啓示の書を神からの啓示という観点でみることができない、あるいはしたくない、するつもりもないようですね。


それは良いとして、ではスタート

キリストの宣教はサタンの敵意と欺きの中でなされました。
彼の使徒の一人でさえ裏切り者となりました。

キリストの弟子たちの宣教もやはり、サタンの敵意と欺きの中でなされました。
クリスチャン会衆の発足当初からサタンの働きは活発でした。

アナニアとサッピラに起きたことを思い起こしてください。
二人は聖霊に虚偽を働いたために命を失いました。
クリスチャン会衆(クリスチャンの集まり)は、その始まりから神の霊の働きと、サタンの霊の働きの双方を受けていました。

会衆には、サタンの霊による肉の業(分裂、分派、闘争、ねたみ、権威主義、その他)が存在しており、サタンは会衆の設立当初から雑草を仕込みました。西暦一世紀にクリスチャンが爆発的な勢いで増加するにつれて、サタンの仕込んだ異質の雑草の数は小麦を優に上回わるようになりました。

それは、イエスの「小麦と雑草」のたとえ話にあるとおりです。

やがて、西暦4世紀にサタンが仕込んだ雑草は異教ローマ帝国によって組織化された宗教となります。
このようにサタンはキリストを信じる人々を取り込む器を早いうちに準備しました。
小麦は完全に雑草の中に姿を消しました。

ローマカトリック教会をかわきりに始まった、ギリシャ正教会、英国国教会、その他の政教融合の教会組織はサタンの作品であり神と何の関係もありません。
これらのすべての教会は、神の名前をかたるサタンの詐欺商品であり大いなるバビロンの一部です。
信仰を求める人々は神の是認を期待してサタンの作品である紛い物の神の組織に入信します。
これは、人々から救いを奪い去るサタンの巧妙な策略であり全人類がそれにより欺かれてきました。

サタンが最初に生み出した偽キリスト教のローマカトリック教会から今日のプロテスタント教会、またものみの塔協会、モルモン教会などの多くの宗教組織が生まれてきました。それらの組織は真理を餌に人々を取り込むサタンの罠です。
これらのすべてに共通する点は、そのすべてが国家の承認を受けた宗教法人であることです。


クリスチャン会衆は人々の集まりであり、国家に登記された組織宗教ではありません。
雑草である国家承認宗教組織(団体)はすべて「大いなるバビロン」です。
小麦は全世界に散って、それらの宗教法人大いなるバビロンの中に存在します。

ですから、ものみの塔協会は、ローマカトリック教会から始まる他の国家登記宗教法人と同じく、その始まりから神の組織などではありません。それは、人々の宗教心を利用したサタンの巧妙な偽りです。これらの宗教法人はすべて大いなるバビロンのパーツです。

また、キリスト教だけでなく、仏教、ヒンズー教、神道、イスラム教、ユダヤ教、またそれらから派生した宗教法人はすべて国家への登記と承認により組織活動(宗教活動)を行っています。これらもまた全て大いなるバビロンのパーツです。

サタンは、クリスチャン会衆の設立の時からキリスト教世界という大いなるバビロンの領域を巧妙に設け、真理を愛して聖書を学ぶ人々をその始まりにおいてバビロンの捕囚とすることに成功しました。

サタンは、信仰を持つ全ての人々を偽キリスト教に捕獲することに成功しています。
ですから、誠実な信仰を持つ個々の人々が大いなるバビロンの中にいます。
神はそのような個々の人々をご存知であり、その人がサタンの偽キリスト教の一員であっても、誰でも神を恐れ儀を行う人を受け入れておられます。
そして、バビロンの中にいる真理を愛する神の民を導かれます。

歴史は、神の民がバビロンの中にいても神のことばに従うことに命を懸けてきたことを物語っています。
カトリック教会の中で行われた真理の普及を妨害するあからさまで陰険な迫害にもかかわらず、聖書翻訳がなされ一般の人々に聖書が行き渡るようになりました。それでもサタンは偽りを聖書翻訳に埋め込みキリストの真理を歪曲することを試みました。

それでもなお、神とキリストの導きにより、数万もの聖書写本が今日まで継承され、その写本を比較研究することでサタンの偽りの排除が可能です。

これらの恩典は、バビロンの中にいた神の民の犠牲により可能となりました。
ですから、神とキリストへの偽善のない信仰を持つ人は、大いなるバビロンの中に捕囚の身であっても神の民といえます。
それらの神の民は真理のために命をなげうってきました。
彼らは、イエスや使徒たちのように人間より神に従うことを優先します。

そのような神の民に対し、神はバビロンの裁きに先立ち「彼女から出なさい」と呼びかけています。


イエスの小麦雑草の例えは「大いなるバビロンの中の神の民」を見事に示しています。

マタイ 13:24-30, 36-43
24 [イエス]は彼らに別の例えを示してこう言われた。「天の王国は,自分の畑にりっぱな種をまいた人のようになりました。25 人々が眠っている間に,その人の敵がやって来て,小麦の間に雑草をまき足して去りました。26 葉が生え出て実を生み出すと,その際に雑草も現われました。27 それで,その家あるじの奴隷たちがやって来て言いました,『ご主人様,畑にはりっぱな種をおまきになったのではありませんでしたか。それなのに,どうしてそこに雑草が生えてくるのでしょうか』。28 彼は言いました,『敵である人がそれをしたのだ』。彼らは言いました,『では,わたしどもが行ってそれを集めることをお望みですか』。29 彼は言いました,『いや。雑草を集めるさい,小麦も一緒に根こぎにすることがあってはいけない。30 収穫まで両方とも一緒に成長させておきなさい。収穫の季節になったら,わたしは刈り取る者たちに,まず雑草を集め,焼いてしまうためにそれを縛って束にしそれから,小麦をわたしの倉に集めることに掛かりなさい,と言おう』」。

36 それから,群衆を解散させた後,[イエス]は家の中に入られた。すると弟子たちがそのもとに来て,「畑の雑草の例えをわたしたちに説明してください」と言った。37 [イエス]は応じて言われた,「りっぱな種をまく者は人の子です。38 畑は世界です。りっぱな種,それは王国の子たちです。それに対し,雑草は邪悪な者の子たちであり,39 それをまいた敵は悪魔です。収穫は事物の体制の終結であり,刈り取る者はみ使いたちです。40 それゆえ,雑草が集められて火で焼かれるのと同じように,事物の体制の終結のときにもそのようになります。41 人の子は自分の使いたちを遣わし,彼らは,すべてつまずきのもとになるものや不法を行なっている者を自分の王国から集め出し,42 それを火の燃える炉の中に投げ込みます。そこで[彼らは]泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするでしょう。43 その時,義人たちはその父の王国で太陽のように明るく輝くのです。耳のある人は聴きなさい。



小麦は収穫まで雑草の中にいます。
収穫は実物の体制の終わりであり、裁きのときです。
啓示にあるように、裁きに先立ち神からの「大いなるバビロンから出なさい」との呼びかけがなされます。
神の民はそれに応じてバビロンを去るでしょう。
その後、まずバビロンの雑草(偽者王国の子ら)が集められて焼き滅ぼされ、その後王国の子たちは人間ではなくみ使いたちにより天に刈り取られるでしょう。
将来のサタンの体制の裁きの日に本物は天に連れ去られるでしょう。

マタイ 24:40-42
39 そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の到来[の時]もそのようになるのです。40 その時二人の男が野にいるでしょう。一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。41 二人の女が手臼をひいているでしょう。一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。42 それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなた方は,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです。


ですから裁きの日まで、唯一真の神の宗教組織などは存在しません。
そのようなものの存在は人類の歴史と聖書によって否定されます。
そのような「唯一の神の組織」幻想はサタンの偽りです。
その幻想を持っている人は、サタンに欺かれた人たちです。

ものみの塔協会の伝道により集められるJWが小麦であり、ものみの塔協会に収穫されるというとんでもない主張は聖書の裏づけを欠きます。
同じことが他の宗教組織にも当てはまります。
ものみの塔協会は、他のキリスト教会同様、人を欺くサタンの道具に過ぎません。
そのような組織は皆、自分たちが唯一の神に組織、神の教会と主張しています。
そのような主張はサタンの欺きの働きの結果あり、羊のような人を大いなるバビロンに捕囚にするための方便です。

善意の第三者であるだまされた羊のような人々は、自らが大いなるバビロンにいることなど思いも及ばず、自分が神の組織に属していると思い込んでいるでしょう。そのように洗脳されている人は、いつも自分の属する組織を例外扱いします。

とはいえ、人の心を調べる神はご自分に属するものたちご存知で、ご自分の民を巧みに大いなるバビロンから導き出されるでしょう。

テモテ第二 2:19
19 しかしながら,神の堅固な土台は不動であり,それにはこの証印が付いています。すなわち,「エホバはご自分に属する者たちを知っておられる」,また,「すべてエホバのみ名を唱える者は不義を捨てよ」。

そして、神の呼びかけに応じて「大いなるバビロン」から出た王国の子らは、裁きの日にみ使いたちにより天に収穫されるでしょう。

マタイ 13:24-27
24 「しかしその日,その患難ののちに,太陽は暗くなり,月はその光を放たず,25 星は天から落ちてゆき,天にあるもろもろの力は揺り動かされるでしょう。26 またその時,人々は,人の子が大いなる力と栄光を伴い,雲のうちにあって来るのを見るでしょう。27 そしてその時,彼はみ使いたちを遣わし,四方の風から,地の果てから天の果てまで,自分の,選ばれた者たちを集めるでしょう


誠実な人たちの全てが大いなるバビロンを出るわけではありません。
それらの人々は王国の子らではありません。なぜなら王国の子らは全員、神の呼びかけに答え応じてバビロンを出るからです。

それでバビロンに残る憐れみ深い人々、また宗教心のない無心論者でも、憐れみ深い人々は神の憐れみを受けて大艱難から出てきて地を受け継ぐでしょう。
彼らは王国の子らではありません。彼らはみ使いたちにより天に収穫されません。彼らは大艱難を地上で生き残り地にとどまるからです。
憐れみ深い義なるものたちは宗教を持っていてもいなくても、無視論者でも神の憐れみを受けて大艱難を生き残るでしょう。そして救われて後、自分の命の救い主の憐れみについて学ぶでしょう。


啓示 7:14
14 . . . これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。
14 . . . "These are the ones that come out of the great tribulation, and they have washed their robes and made them white in the blood of the Lamb.

これは大患難から出て来る者たちで,そして彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。

マタイ 5:7
7 憐れみ深い人たちは幸いです。その人たちは憐れみを受けるからです。


テモテ第一 2:4
4 [神]のご意志は,あらゆる人が救われて,真理の正確な知識に至ることなのです。
4 whose will is that all sorts of men should be saved and come to an accurate knowledge of truth.

[神]のご意志は,あらゆる人が救われて,そして真理の正確な知識に至ることなのです。





次に

クリスチャンの一致について、

クリスチャンの一致は以下の3つの条件において達成されます。

ヨハネ 8:31
31 そこでイエスは,自分を信じたユダヤ人たちにさらにこう言われた。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,32 また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。

コリント第一 4:6
6 さて,兄弟たち,わたしは,あなた方のために,これらのことを移し変えてわたし自身とアポロとに当てはめました。それは,わたしたちを例にして,「書かれている事柄を越えてはならない」という[定め]を学んでもらい,あなた方がそれぞれ一方に付いて他方を退け,思い上がるようなことのないためです。

ローマ 14:4
4 他の人の家僕を裁くとは,あなたはだれなのですか。その人が立つも倒れるも,それはその主人に対してのことなのです。実際,その人は立つようにされるでしょう。エホバはその人を立たせることができるからです。


条件1 イエスのことばのうちにとどまる
条件2 書かれていることを超えない
条件3 他人を自分の基準で裁かない


以上のことを実践するなら、神とキリストの是認が得られるでしょう。
そのようにするクリスチャンたちは、確実に信仰の一致に導かれるでしょう。


割礼の問題の解決について思い起こしてください。

彼らは、神の導きを示す自らの経験を状況証拠として用い、神の言葉にによる裏づけを導きとして全員一致の結論(合意)に至りました。

同じようにするなら誰でも同じ結果が得られるでしょう。

ですから、クリスチャンが、聖書、キリストのことばを無視して、あるいは根拠として用いず、ただ単に自分の意見を述べるだけでは、信仰の一致はありえません。それは単に不協和音の雑音を生み出すだけです。


もし、あなたが聖書、神、キリストを信じていると言うのなら自分の信仰の根拠を神のことばによって裏付ける責任があります。
その責任を誠実に果たすことが自分の信仰の表明となります。

そして、自分の信仰を表明するなら、他の人々がその信仰の根拠により同じ信仰を発展させるでしょう。
そうすることにより相互に他の人の信仰の表明により学び合うことになるでしょう。
やがて、神のことばと神の霊の導きにより信仰の一致にいたるでしょう。
神、キリストと一致したクリスチャンの兄弟姉妹たちの会衆(組織宗教ではなく人々の集まり)が形成されます。

そのようにして、各地に独立したクリスチャン会衆(一致した人々の集まり)が生み出され、その地における神の民としての機能を果たして行くでしょう。各クリスチャンは主人であるキリストとエホバ神への自らの責任を、組織宗教の規則によってではなく、自らの自発心に動かされて喜んで果たすでしょう。

そのようにしてキリスト教の真の証がなされます。その音信は、使徒パウロが明確に証言したものと同じものです。

それは、神、イエスキリスト、復活、悔い改め、裁きについての証です。 (使徒 17:22-31)
それが王国の良いたよりです。


その音信には予言が含まれますが、ものみの塔協会やその他のグループがしているような、「終わりの日が何年に始まり、終わりが何年に来るだろう」調の聖書の年代計算などを裏づけとするようなものではあり得ません。

そのような好奇心をそそるサタンの霊によりあおられた人間の推測(山勘)はイエスの次のことばと調和しません。


使徒 1:7
7[イエス]は彼らに言われた,「父がご自分の権限内に置いておられる時また時期について知ることは,あなた方のあずかるところではありません

マタイ 24:36
36 「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も[知らず],ただ父だけが[知っておられます]。


聖書予言の年代計算は何の役にも立たない無意味な時間と思考の浪費です。
そのような知りえないことを知ろうとする無意味なことから生まれるものは、サタンに用いられる宗教教祖でしょう。


人が聖書に精通すれば、その程度に応じて信仰の一致が得られるでしょう。
真理は明快であり複雑ではありません。
誰でも同じように理解でき、理解のブレなどあり得ません。

太陽が東から昇り西に沈むという事実(もちろん地上の観測者からの視点)を取り違える人などいないでしょう。
それと同じです。

それで、聖書のことばにより真理を確立することができます。
ですからクリスチャン各自は聖書に精通するべきです。
なぜなら、聖書の真理によりクリスチャンの一致が約束されているからです。


使徒 18:24-25
24 さて,アポロという名のユダヤ人で,アレクサンドリア生まれの雄弁な人がエフェソスに着いた。彼は聖書によく通じていた。25 この[人]はエホバの道を口伝えに教えられており,霊に燃えていたので,イエスに関する事柄を正しく話したり教えたりするようになったが,ヨハネのバプテスマについて知っているのみであった。

使徒 17:2-4
2 それで,パウロは自分の習慣どおり彼らのところに入り,三つの安息日にわたって彼らと聖書から論じ,3 キリストが苦しみを受け,そして死人の中からよみがえることが必要であったことを説明したり,関連した事柄を挙げて証明したりして,「わたしがあなた方に広めているこのイエス,この方がキリストです」と[言った]。4 その結果,彼らのうち幾人かが信者となってパウロとシラスに加わり,さらに,[神]を崇拝する非常に大勢のギリシャ人,そして主立った婦人たちのうちのかなりの者もそうなった。


皆さんが上記の聖書的な例に見習えますように。

編集者 sk (2015年01月21日 20:30:23)

オフライン

#21 2013年05月22日 20:37:53

tetu
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

大筋わかりましたが、


私の考えではクリスチャン会衆も、実際に組織宗教だと思います。
要は中身の問題かなと思います。

一世紀にせっかくイエスやパウロの多大な犠牲があって真の会衆ができたのに
なぜ神は背教を許されたのでしょう?

神の霊は当時のクリスチャンの心を導く持続力が
なかったのですか?

#22 2013年05月22日 20:56:36

tetu
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

今のところ大いなるバビロンは、エホバの証人研究さんの理解で正しいと
思います。

だからといって私は神やイエスを否定する
つもりなど毛頭ありません。

#23 2013年05月22日 21:32:02

tetu
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

つまり、神はなぜサタンが悪いものを
まくことを止めなかったのだろうって
思います。

誠実でもだまされやすい人は多いです。
そのような人たちは理不尽な苦しみに
あってきました。

なぜそれが許されてきたのでしょう?

神がいるのに、不必要な苦しみだと思います。
将来幸せに成ろうが、時がたとうが、忘れられない傷がたくさんあると
思いますけど

#24 2013年05月22日 21:36:13

sk
メンバー

Re: 司会者を変更することについて

tetu さん

クリスチャン会衆は国家に登記した組織宗教ではありません。

クリスチャン会衆は「神の家」、「キリストの体」に例えられていますの秩序を保つ取り決めが存在する点において組織といえます。

とはいえはそれはニムロデの時代から今日に至るまでのサタンの世の組織つまり政府、企業、宗教組織のようなピラミッド構造による組織ではありません。

キリストの体の成員は神とキリストの権威の下兄弟関係にある人々の集まりです。
それらの人々は神のイスラエル、アブラハムの胤と呼ばれており神とキリストへの信仰で結ばれています。

それで、tetu さんの仰るとおり中身が違います。



tetu さんの次の疑問は「神はなぜご自分の民を大いなるバビロンと別に確保しなかったのか」というように受け取りました。

それは、神の力不足なのか、やる気不足なのかと言われているようですね。

この点で神だけが関係者ではありません。
自由意志を持つ人間ひとりひとりが関わっています。

人は真理を愛するか、偽りを愛するかのどちらかになります。

究極的に二者択一ですね。

現実は人が光よりも闇を愛したということです。

テサロニケ第二 2:9-12
9 しかし,不法の者が存在するのはサタンの働きによるのであり,それはあらゆる強力な業と偽りのしるしと異兆を伴い,10 また,滅びゆく者たちに対するあらゆる不義の欺きを伴っています。彼らが[こうして滅びゆくのは],真理への愛を受け入れず,救われようとしなかったことに対する応報としてなのです。11 そのゆえに神は,誤りの働きを彼らのもとに至らせて,彼らが偽りを信じるようにするのであり,12 それは,彼らすべてが,真理を信じないで不義を喜びとしたことに対して裁きを受けるためです。


自由意志には責任が伴います。
撒くものを人は刈り取ります。
自ら原因を作り、その結果を刈り取るという原則の下に全ては展開してゆきます。


罪人アダムの子孫として人々が真理より偽りを愛したということですね。
ですから偽善のない信仰は真理を愛する人への神からの贈り物と言えます。
この面で何か神に不公平があるのでしょうか。


神の救いがわたしたちの自由意志を侵害することはありません。

救いの途上で後ろを振り向きたい人を神の霊は妨げることはないでしょう。

ルカ 17:32
32 ロトの妻のことを思い出しなさい。

編集者 sk (2014年03月28日 21:41:05)

オフライン

#25 2013年05月23日 00:51:18

tetu
ゲストユーザー

Re: 司会者を変更することについて

..自由意志を持つ人間ひとりひとりが関わっています。
人は真理を愛するか、偽りを愛するかのどちらかになります。
究極的に二者択一ですね。



今はサタンがまいたものを考えていましたね?

何が真理か偽りか、人にはわからないことが
多いと思います。

偽りをまいたのがサタンでしたら
相手は超人で卓越した詐欺では
いくら誠実な人でもだまされますよね?

だまされる方が悪いのですか?だまされる
者も、まいたものをかりとったのですか?

しかも情報というものは、

愛するか憎むか以前に、真実と偽りが混在していますよね?
SKさんの今の理解にしても、全て真実だとはわからない
のではないでしょうか?


私の思い違いならあやまりますが
SKさんって、ご自分の理解に反したことに
対し、すぐに裁きに関した聖句など引用されます
よね?とても本心が言いにくいのです。

クィック投稿

メッセージを書いて送信してください。

Board footer