ログインしていません。

#101 2015年06月05日 19:06:07

sk
メンバー

Re: サタンの世

人間の不完全さは、神しか治せません。

人間の医学は、いろいろな問題をその内に抱えています。

さまざまな理論が対立しています。


同性愛は、単に選択の問題とは思いません。
それは遺伝的な疾患です。
原因は、アダムが作りました。

編集者 sk (2015年06月05日 19:07:42)

オフライン

#102 2015年06月05日 19:10:13

カレブ
Administrator

Re: サタンの世

>人間の不完全さは、神しか治せません。

100%の性同一性障害を前提にした場合

地上の楽園ではどちらになるのでしょうか?

1.内面の性が優先される
2.外面の性が優先される
3.どちらになるのかお楽しみ。

オフライン

#103 2015年06月05日 19:17:53

sk
メンバー

Re: サタンの世

面白い質問ですね。


神しか答えられないでしょう。


それで3番


いずれにしても全ての人が満足する内面と外面を持つことになります。

アダムはさぞかしたくましかっただろうなぁ~。

イブはさぞかしチャーミングで魅力的たっただろうなぁ~。

みんなそうなるよ。


罪を持ち込んだサタンがますます憎らしくなりました。

オフライン

#104 2015年06月05日 19:26:58

カレブ
Administrator

Re: サタンの世

>それで3番

3番ですか・・
上手にかわしましたね smile


何を考えて質問したかと言いますと

仮に

1.内面の性が優先される

と答えたとすると

そのクリスチャンは論理的に性転換手術を認めるべきということになります。
なぜなら楽園での治療を今行うにすぎないからです。

そして、「内面のその人」がその人であるという考えは
クリスチャン的にも一般的にも受け入れられますよね。

そして仮に日本でも「戸籍上の性別変更」を利用して
結婚もできるようにすれば クリスチャンは誰も反対する
根拠がなくなるはずです。

どうでしょう?

オフライン

#105 2015年06月05日 19:37:36

sk
メンバー

Re: サタンの世

人間することは、本質的な解決にはなりませんよ。

それで泣き寝入りしている人々がいっぱいいます。


天地の創造者に目を向けてください。

詩篇 146:3-9
3 高貴な者にも,地の人の子にも信頼を置いてはならない。彼らに救いはない。
4 その霊は出て行き,彼は自分の地面に帰る。その日に彼の考えは滅びうせる。
5 ヤコブの神を自分の助けとする者は幸いだ。彼の望みはその神エホバにある。
6 [神は,]天と地,海およびそれらの中にあるすべてのものの造り主,定めのない時に至るまで真実を守られる方,
7 だまし取られる者たちのために裁きを執行してくださる方,飢えた者たちにパンを与えてくださる方。エホバは縛られている者たちを解き放っておられる。
8 エホバは盲人たち[の目]を開き,エホバはかがんだ者を立ち上がらせ,エホバは義なる者たちを愛しておられる。
9 エホバは外人居留者を守っておられ,父なし子ややもめを助けてくださる。しかし邪悪な者たちの道については,[神]は[これを]曲げられる。

オフライン

#106 2015年06月05日 19:48:16

u-chan
ゲストユーザー

Re: サタンの世

skさん こんにちは。

回答ありがとうございます。

sk さんの発言:

高度に調整された機械に一粒の砂粒が入ると機械は壊れます。
(中略)
アダムからの罪の影響はそれと同じです。
現在生きている全ての人はアダムから壊れた遺伝子を受け継ぎました。
(中略)
しかし、それは神が意図した命ではありません。

これは、
脳機能障害の病気をお持ちの方も同性愛者も、壊れた遺伝子を受け継いだという点で同じ罪を持つ。
その方たちが病気や同性愛を受け継いだことも、神が意図した命ではない。
ということですね。

続く、

sk さんの発言:

ですから聖書を読んで自分の命の源について信仰を築くことができます。

そうですね。同性愛者に多くのキリスト者が存在する事実は、そういう方にも自分の命の源についての信仰を築くことができることを示していると思います。

sk さんの発言:

また自ら決意して思いや生き方を変えることもできます。

ここは、疑問に思います。


以下、カトリックへの批判です。
(一部skさんの発言を引用させていただいています)


今回アイルランドで同性婚の合法化が国民投票で認められました。
アイルランドは、カトリック信者が多く、1993年まで同性愛を違法とし、1996年まで離婚を違法とするなど、ヨーロッパ諸国の中でもとりわけ保守的な国とみられてきました。
今回の決定に、多くの同性愛者たちが喜びの歓声をあげました。
それらの人は、自分たちの思いや生き方を変えられず、かといって棄教もできずに苦悩していたと語っています。

前回の投稿に書いたことですが。
人は「どちらの性に惹かれるか」を、自らがコントロールできません。
遺伝であれ後天的変異であれ、自分の意志で制御できないものを抱えることは、病気を抱えることと同じです。
研究者の努力とその成果により、これらのことが証明されました。

しかし、今回のアイルランドの決定は、カトリックをはじめ多くの宗派から非難されています。

これにより、同性に惹かれる特性を持ってしまった人たちの多くは「自分の信仰と自分の感覚のギャップに今後も苦しみ続けなさい」というメッセージを受け取ることになりました。

カトリックは、支持しない理由を「聖書には……」としか語っていません。

私は、宗教の代表者という多数派が、科学により明らかになった事実を無視し続ける構図が正しいとは思えません。

自分たちが苦しくないならば、相手を思いやることはしないということだと思います。


sk さんの発言:

聖書から示される真理にどう向き合うかは各自の自由だと思います。

その通りです。確かに個々の人が、どう向き合うかは自由です。

しかし、私にはskさんのこの言葉がカトリックの声明と同じ響きに感じられます。
(個人の発言を宗派の声明と混同することは、間違っているとは思いますが)

その裏には、言葉にはありませんが、
聖書以外から示される真理には目をつむります。私には、それらの真実に向き合う義務はありません」
という意志表示を感じます。

個々の人に義務がないからといって、その宗派全体や指導的立場の人に義務がないとは言えません。


先の大戦で中国に侵攻した関東軍の軍人一人一人には責任がないから、それを支持した日本人全体、また時の軍事政権に責任がないわけではないし、1935年のドイツ国民の個々に戦争責任は問えないから、ドイツ人全体に責任はないとは言えません。
私は、集団を構成する一人一人が、それぞれの事実にしっかりと向き合い真実を見ようとしなかったことが、多くの不幸を産んできたと思います。


sk さんの発言:

聖書を信じることは、また聖書から神の見方や希望を述べることは、他の人を見下しているのでも裁いているのでもないと思います。

これもまた、おっしゃる通りです。

しかし同性愛者を弾き出すキリスト者たちは、その人の置かれた立場や心情を想像し、斟酌し、尊重し、思いやってもいないと思います。

イエス様は、苦しむ人、悲しむ人、汚れていると言われる人、罪ある人を救うために、ご自分の生涯を差し出されました。キリストに倣うとはそういう人に寄り添うことではないでしょうか? 行うのは難しいことですが。

(カトリックへの批判に、skさんの発言を引用した無礼、申し訳ありません)

#107 2015年06月05日 19:56:22

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: サタンの世

結局のところ、SK兄弟のように、楽園が復興して人類が完全さを取り戻す希望をそのまま信じている少数派(JWが代表的ですが)と、あくまでも今の世の中での問題としてとらえる僕を含む多数派とでは、接点は見つからないと思います。
   ※多数派が常に正しいとは申しませんが、、。

#108 2015年06月05日 20:59:19

柿の木
ゲストユーザー

Re: サタンの世

僕は、聖書を絶対視しているわけではありませんし、聖書が同性愛を認めていると主張するつもりも全くないのですが・・・
skさんの宗教観や世界観にはものすごく興味があります。もちろん(真の?)クリスチャンだというskさんと、もうどこの宗教や宗派にも属したくないと考えている自分とは、違ってて当たり前なのですが、それにしても解釈が違うと、聖書の神に対するイメージがこんなにも違うんだなーとビックリしています。

それで、skさんにひとつ聞いてみたいのですが、同性愛者である僕が異性と結婚してセックスをすることは、神の目から見てなんの問題もないんでしょうか?
問題があるとすれば、どういう問題でどう克服するべきですか?
おそらく歴史を通して、今に至るまで多くの人が自分が同性愛者であることを隠して、異性と普通に結婚し、家庭を設けてきたと思うのですが・・・それは自然(神の意図)なことだと思われますか?

#109 2015年06月05日 21:49:57

sk
メンバー

Re: サタンの世

こんばんは、u-chanさん。


遺伝的な欠陥には程度の差がありますよね。


極度の精神障害者の意志力は非常に限られると思います。
また、身体障害もリハビリによってある程度克服できるとはいえ限度があります。
しかし、身体障害の場合意思の力でかなりの不便を乗り越えることが出来ます。五体不満足の方のような経験は珍しくないと思います。

人の意思の力は軽く見れないと思います。

足で字を書いたり、身支度をしたり、その他さまざまなことをこなす身障者の方たちがいます。

では、アル中、麻薬中毒、ギャンブル中毒、大食などは克服不能であると断言できますか。
これも遺伝子障害の程度の問題でしょう。

ですから、なにができるか、できないかは、やはり個人の状況により異なります。
その範囲で最善を尽くせばよいと思います。

そのような遺伝的な疾患や弱さは薬でしか治せないとは言えないでしょう。
やはり最重要なファクターは個人の意思の力だと思います。


仮に同性愛的な傾向を克服できるなら、共に喜びたいと思います。
できないなら、それ以上踏み込めないということだと思います。
なぜなら、それは自然(神の意図)に反することだからです。


u-chanさんの目
「聖書以外から示される真理には目をつむります。私には、それらの真実に向き合う義務はありません」
という意志表示を感じます。


聖書が真理の基準であり、聖書により偽りが暴露されます。
人間の発見や研究は発展途上であり、いずれ聖書の真理の立証に繋がります。
しかも、学校教育やメディアは体制側の道具で真理の信頼できる担い手ではありません。ネットのおかげでこの哀れな現実が明るみ出ました。

ですから聖書により、人間の主張の信憑性を確かめる人は幸いです。

箴言 30:5
5 神のことばはすべて精錬されている。[神]はご自分のもとに避難する者たちの盾である。

ヨハネ 17:17
17 真理によって彼らを神聖なものとしてください。あなたのみ言葉は真理です。


また、真理を隠す理由はありませんし、それを恥じることもありません。
それは光のように燭代の上に置くものであり、全ての人に及ぶべきのです。
なぜなら、真理は光のように人を益するのであり害すことはないからです。


マタイ 5:15
15 人はともしびをともすと,それを量りかごの下ではなく,燭台の上に据え,それは家の中にいるすべての人の上に輝くのです。


u-chanさんの思い
イエス様は、苦しむ人、悲しむ人、汚れていると言われる人、罪ある人を救うために、ご自分の生涯を差し出されました。キリストに倣うとはそういう人に寄り添うことではないでしょうか? 行うのは難しいことですが。


はい、おっしゃるとおりです。
問題を抱える人たちを気の毒に思いますが、助けることはできません。
それで、神がキリストをとおして助けてくださることを伝えるだけです。

やがて始まるキリストの支配について聖書はアダムの罪に起因するあらゆる問題の解決を約束しています。

詩篇 72:12-14
12 助けを叫び求める貧しい者,また,苦しんでいる者や助け手のない者を彼が救い出すからです。
13 彼は立場の低い者や貧しい者をふびんに思い,貧しい者たちの魂を救います。
14 彼は虐げと暴虐から彼らの魂を請け戻し,彼らの血はその目に貴重なものとなります。




次に柿の木さん

もし可能なら異性と結婚して幸福な家庭を築いてください。
お子さんが生れたら親としての強い自覚や動機により何かが変化するかもしれませんよ。

また、同性に惹かれていても不道徳を避けることは神が喜ばれると思います。
それができない人もいますけど、それは異性にひかれる人でも同じです。

同性、異性に関わらず不完全な肉から来る欲望をふさわしくコントロールするのは良いことだと思います。

それとは別に聖書を読み通してみてはいかがですか。
そうすれば、何をすべきか内面の声をもっとはっきり聞けると思います。

編集者 sk (2015年06月05日 22:21:08)

オフライン

#110 2015年06月05日 23:43:02

ボアネルゲス
ゲストユーザー

Re: サタンの世

過去の事を考えれば、同性愛者かどうかに関わりなく自分の望む相手と結婚できた人の方が少ないのではないでしょうか?

現在でも親が結婚相手を決めるのが当たり前の国もあります。

それでも神は姦婬を禁じています。

神が設けた結婚の取り決めを重視し、性に関する神の基準を守ることは、
それを侵してまで自分が惹かれる相手との愛を優先するより大事なこととされてきました。

異性間であれば恋愛や結婚の対象を強制することが許されるのに
同性愛者は自分の望む相手と恋愛出来ないと、愛が無いとか、神の意図と反すると主張するのはフェアでは無いと思います。

#111 2015年06月05日 23:56:27

カレブ
Administrator

Re: サタンの世

ボアネルゲス さんの発言:

異性間であれば恋愛や結婚の対象を強制することが許されるのに
同性愛者は自分の望む相手と恋愛出来ないと、愛が無いとか、神の意図と反すると主張するのはフェアでは無いと思います。

異性間でも恋愛の対象を強制することは道義上ゆるされていません。

そのような家族や国が存在しているという事実と
それが「道徳的」であるかというのは別問題です。

恋愛や結婚対象を強制するような習慣がある国は
おそらく例外なく 文明後進国です。

もし例えるなら
異性愛者に同性愛を強要することと同列に例を出すべきです。

オフライン

#112 2015年06月06日 00:00:17

カレブ
Administrator

Re: サタンの世

ちなみに わたしは

「聖書は こう述べている」

「神は 同性愛者が生まれるようにされたが、彼らが恋愛をすることを嫌っている」

というような主張を否定しているわけではありません。

オフライン

#113 2015年06月06日 00:00:26

ボアネルゲス
ゲストユーザー

Re: サタンの世

カレブ さんの発言:

異性間でも恋愛の対象を強制することは道義上ゆるされていません。

聖書時代にどれだけの人間が自由に結婚相手を選べたと思いますか?

他の人が選んだ相手と結婚した人たちに姦婬を禁じてきた神の掟は道義上許されない者でしょうか?

#114 2015年06月06日 00:22:16

カレブ
Administrator

Re: サタンの世

>聖書時代にどれだけの人間が自由に結婚相手を選べたと思いますか?

それは ISISの人が 生ぬるいイスラム教徒に対して
「ムハンマドの時代に同性愛者がどうされたか知っているか?」と質問して
同性愛者をビルの上から突き落として、石打にすることを
正当化しているのと同じです。

もし古代の習慣を論議の筋に使うなら
「聖書時代に同性愛者を公言したら石打にされたのですよ」
と主張したほうが率直でまだあっぱれな主張でいいと思います。

オフライン

#115 2015年06月06日 00:29:04

カレブ
Administrator

Re: サタンの世

さらに

>他の人が選んだ相手と結婚した人たちに姦婬を禁じてきた神の掟は道義上許されない者でしょうか?

この文章には問題点があります。

まず前半の部分
「他の人が選んだ相手と結婚した人たちに」

人が好きでない人との結婚を強要するという前半の時点で
それは不道徳なことだと思います。

つまり前半部分で「結婚を強要した人」は不道徳です。

つづいて後半の
「姦婬を禁じてきた神の掟は道義上許されない者」
これは推論を捻じ曲げていると思います。

つまり前半の結婚を強要する人の不道徳性を隠すための
巧みな言い回しにしか思えません。

言ってることわかりますかね。

オフライン

#116 2015年06月06日 01:04:19

ボアネルゲス
ゲストユーザー

Re: サタンの世

カレブ さんの発言:

もし古代の習慣を論議の筋に使うなら
「聖書時代に同性愛者を公言したら石打にされたのですよ」
と主張したほうが率直でまだあっぱれな主張でいいと思います。

古代において自分が同性愛者であることを公言することは律法に対する明確な反意の表明なので、現代において自分が同性愛者であることを公言することとには多少違いがあると思います。

私が言いたいのは、神は性と結婚に関して明確な基準を設けているということです。

その基準に従うために、誰もが自分の肉の傾向と闘っています。


神が今のわたしたちに求めておられるのは、完全さではありません。そうであれば誰も応える事ができません。
神はご自分が定めた基準を愛して、それに近づきたいという思いを持つように要求しています。ご自分が創造の業を終えられて良いとご覧になった状態を、同じように良いと感じて欲しいのです。

不完全な今の状態が、人間にとってどうしようもない事態だからといって、神にこの状態を「良い」と認めさせようとするのは僭越では無いでしょうか?
「神の愛」を引き合いに出して、何でも受け入れてくださると言い張る人は、自分が神に何を要求していることになるのか考えてみる必要があると思います。

#117 2015年06月06日 01:12:31

ボアネルゲス
ゲストユーザー

Re: サタンの世

カレブ さんの発言:

人が好きでない人との結婚を強要するという前半の時点で
それは不道徳なことだと思います。

聖書時代には普通に行われていたと思いますが?
特に女性が自分の好きな人と結婚するなんて稀だったんではないでしょうかねぇ

どちらにせよ、望んだ結婚かそうではないかに関わらず、律法は結婚に拘束力を与え、姦婬を禁じることによって、
結婚と性に関して強制力を働かせていました。

#118 2015年06月06日 02:07:06

u-chan
ゲストユーザー

Re: サタンの世

skさん

回答ありがとうございます。
ただし、ほとんど理解できません。

聖書のみが正であるなら、他の情報を知る必要はないのでは?
skさんが、「ネットのおかげ」といわれる情報の真偽を判定することも無理ではないでしょうか?
「教育やマスコミは不誠実」ということも、ネット上の玉石混淆の中から有用な情報を選び取るセンスも獲得することは無理ではないですか?

だって、教育もマスコミも信用できないのでしょう。
信頼し尊敬する教師に出会うことも、書物から知識・判断力を養おうとしても、しょせんそれらも信用できないものであるという価値基準を持つべきということでしょう?

聖書のみを正として他の情報を遮断するなら、医療や自然科学の研究には意味がないということですか?
それとも、聖書に記載されていない自然科学の研究成果は受入れ、それが聖書と矛盾すれば聖書を優先すべしということになるのでしょうか?

いずれ聖書の真理の立証に繋がります

のいずれっていつですか?
いずれが来るまでは、自然科学の研究成果を受け入れるという意味ですか?
それとも、いずれが来るまで、自然科学を否定し続けるという意味ですか?
現在、聖書に否定され悩んでいる人たちは「いずれ」という言葉をどう受け止めるべきだと思いますか?

仮に同性愛的な傾向を克服できるなら、共に喜びたいと思います。
できないなら、それ以上踏み込めないということだと思います。

踏み込めないとはどういう意味ですか?
私に言われてもどうしようもない。そういう人は放っておけという意味ですか?

聖書が正であるなら、女性の社会進出は間違っていることになりますか?

カレブさんの問いかけにあった、地動説もいずれ否定されるのですか?
人間が月に行くことも、人工衛星から撮影した地球が丸いこともいずれ間違いであることが明らかにされますか?

ノアの方舟にペンギンは乗せたのですか?カンガルーは?北極熊は?恐竜は?昆虫は?
全てのつがいを乗せるには、あの方舟は小さすぎませんか?

聖書を理解するのに何年かかりますか? それを理解するまで他の情報を信じてはいけないということですか?

聖書が真理であるという主張は、JWのそれとどう違うのですか?
それとも、JWの聖書を真理とする教義は間違っていないが、やり方が誤っているのですか?
聖書を真理とすることが間違いではないなら、JWのように間違ったやり方をすることは起きないはずでは?

キリスト教も間違っていると言われていましたよね。
JWと同じで、聖書を真理とすることが正しい選択であるならば、そんなことはあり得ないのでは?
それとも聖書を真理とすることは出発点であるが、聖書を真理とするだけでは神の目に汚れのない道を進むことはできないのでしょうか?
そうであれば、聖書よりも重要なものがあるということになりますね。

このように、聖書は絶対の真理でありそれ以外は間違いである、という思考には理解できないことが多すぎます。

ふざけているつもりも、揚げ足をとりつもりもありません。
ただ、収拾がつかないほど混乱しています。


以下は、私の感覚的なもので明確な根拠はありませんが

聖書至上主義は、聖書を理解できない年齢の子どもに、自分が大事に守られているという自己尊厳感を育たせず、自己否定観念を生ずる危険性を高めると思います。これはJW特有の問題ではないでしょう。聖書は、親に対して子どもに注ぐべき無条件の愛情の規制意識を生じさせると思います。

#119 2015年06月06日 06:58:58

ジョエル
ゲストユーザー

Re: サタンの世

一連のやり取りを拝見してふと思うのですが、カレブさんを初めとする方々は、
古代のソドムとゴモラを想起させるような倒錯した同性愛を非とする聖書の禁止令は、
近年の研究が示す、利己的に欲したのでも育んだのでもない、生まれつきの内面が
外見と異なる性の人が真摯に誰か一人を好きになる、というデリケートな問題は
想定していなかったんじゃないか、というスタンスのように思います。

例外がどうこうじゃなくて、聖書にそんな観点も想定もない、生まれつきの内面が外見と
異なる性の人にそもそも「同性愛」をどう定義できるのか、という複雑で難しい問題です。

あくまで外見の方が優先される、外見が異なる性の人を愛するよう努力せよ、
それができないなら一生誰も愛さないように、という聖句があるんでしょうか。
聖書は直接扱っていないので、解釈による水掛け論になってしまうと思うのですが・・

カレブさんのように神は外見ではなく心(内面)を見る、という聖句もありますしね。

それを容認しちゃうと聖書が本当に非とする同性愛と「見分け」がつかなくなる、
というのはあるかもしれませんが、内面を裁けるのは神だけではないでしょうか。

それを慎重に謙虚に神に委ねて苦しみ悩む少数者を罪と断定しない、というのは聖書の字句
や精神を薄める言い訳ではなく、その教えに沿ったことではないかと個人的には思います。

#120 2015年06月06日 07:13:02

sk
メンバー

Re: サタンの世

おはようございます。


u-chanさん


質問読みました。

あ~、おもしろかった。

聖書という所を人間の教えに置き換えて、同じ質問をu-chanさんに贈ります。

聖書の真理で人間をの教えを評価するこの意味が分かりませんか。
人間の教えで聖書の真理を評価することの反対です。

聖書は科学技術の発展に反対しているとでも言い張るつもりですか。
その逆です。

創造物は創造者の知恵と理解と力の産物です。
それは人間の科学者の頭のレベルを無限に越えています。

ローマ 1:13
20 というのは,[神]の見えない[特質],すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見えるからであり,それゆえに彼らは言い訳ができません。

詩篇 104:24
24 エホバよ,あなたのみ業は何と多いのでしょう。 あなたはそのすべてを知恵をもって造られました。 地はあなたの産物で満ちています。


自然科学の発見について、よく「人知を越えた奇跡」などという表現を目にしますが、では人知を越えた造りや知恵は誰のものですか。

真面目に答えなさい。


当然、その造り主のものです。

ですから、創造者のことばは真理であり、それが全てを評価する基準です。


毎日、聖書の真理の実証が世界各地で生じています。
真理の探求は聖書中の真理と矛盾しません。むしろ聖書中の真理を強力に実証します。
今日も世界中の誰かがその事実に気づくでしょう。

真理は火であり、偽りは紙屑です。
紙屑が火に勝つわけがありません。
紙屑は火によって灰になります。


箴言 12:19
19 永久に堅く立てられるのは真実の唇であり,偽りの舌はほんの一瞬にすぎない。

聖書の基準、真理は不変ですが、人間の教えは、それが偽りである場合いつも新たな発見により置き換えられています。

人間には、聖書のような不変の本を作ることはできません。
人間は永遠に発展途上です。

それに対して創造者は知識の全き方であり発展する必要性がありません。その方の知識と知恵と理解力と力により全てが創られたのであり、それらに限界はありません。

神を恐れる人たちは幸です。

ヨブ 37:16
16 あなたは雲の釣り合いを保つことについて知っているか。 知識の全き方のくすしいみ業を。

ヨブ 38:31-33
31 あなたはキマ星座のきずなをしっかり結ぶことができるか。 あるいは,ケシル星座の綱をも解くことができるか。
32 あなたはマザロト星座をその定められた時に引き出すことができるか。 それにアシ星座と共にその子らは,あなたはこれを導くことができるか。
33 あなたは天の法令を知っているのか。 あるいは,その権能を地に施すことができるだろうか。


詩篇 139:13-17
13 あなたご自身がわたしの腎臓を造り出されたからです。 あなたはわたしをわたしの母の腹の中に,仕切られた状態にして保たれました。
14 わたしはあなたをたたえます。なぜなら,わたしは畏怖の念を起こさせるまでにくすしく造られているからです。 わたしの魂がよく知っているように, あなたのみ業はくすしいのです。
15 わたしがひそかに造られたとき, わたしが地の最も低い所で織り成されたとき, わたしの骨はあなたから隠されてはいませんでした。
16 あなたの目は胎児のときのわたしをもご覧になりました。 あなたの書にそのすべての部分が書き記されていました。 それが形造られた日々について, しかも,それらのうちの一つもまだなかったのに。
17 ですから,あなたのお考えはわたしにとって何と貴いのでしょう。 神よ,その全体はいかばかりでしょう。


啓示 14:6-7
6 また,わたしは別のみ使いが中天を飛んでいるのを見た。彼は,地に住む者たちに,またあらゆる国民・部族・国語・民に喜ばしいおとずれとして宣明する永遠の良いたよりを携えており,7 大声でこう言った。「神を恐れ,[神]に栄光を帰せよ。[神]による裁きの時が到来したからである。それゆえ,天と地と海と水のわき出るところとを造られた方を崇拝せよ」。


すべてのものの第一原因を信じる人たちは、バカではありませんよ。



次に聖書を使う詐欺師たちについて、

「も塔」、その他のキリスト教は聖書の真理に100%従っていると思いますか。

聖書を読み、そうでないことが分かりました。
ですから、彼らの偽りを聖書から暴露しています。


ここに集まる皆さん、
少なくとも1回、聖書を初めから終わりまで読み通してください。
聖書の価値を見直すでしょう。




最後に、踏み込めない問題について、

ジョエルさんの思い
それを慎重に謙虚に神に委ねて苦しみ悩む少数者を罪と断定しない、というのは聖書の字句
や精神を薄める言い訳ではなく、その教えに沿ったことではないかと個人的には思います。

アーメン

編集者 sk (2015年06月06日 07:33:33)

オフライン

#121 2015年06月06日 08:03:44

るい
ゲストユーザー

Re: サタンの世

SKさん、ボアネルゲスさん  こんにちは。

私は10代の終わりからJWと関わり始めた自然消滅の元一世です。
私も現役の頃、同性愛者に対してお二方同様の考え方をしていましたので
よくわかります。

そのうえ司会者がとても厳しい方で、コリント第2章7節?でしたか独身をすすめる聖句を強調され、そのしつこさに音をあげて「生涯結婚をしません」と約束させられました。
司会者はそれを聞き満足そうに「わかればいいのよ」と言い放ちました。

自分の言葉には責任を持つよう親には厳しく育てられましたので、とても苦しかったです。
そんな中で会衆の兄弟姉妹たちが結婚してゆくのを見て「どうして独身を保てないのだろう」と不思議というか厳しい目で見ていました。

そして聖書に書かれている通り、これ以上出来ないというまで集会、奉仕、祈り、寄付,会衆の必要にと頑張りました。

胃に何度も穴が開き、目の下がヒクヒクなってもなお自分は幸せなんだと言い聞かせていましたが、生きている実感はありませんでしたし、楽園に入りたいとも思わなくなりました。

運転中に大型トラックが来ると、このままぶつかって死ねたら楽だろうなとさえ思ったほどです。

消滅後アマチュアオーケストラに属している時、少数で練習することになり場所を提供して下さる方が同性愛者で、お宅へ伺い初めて知りました。

勤勉で親切で清潔でユーモアがあり、知的水準も高く、時間やお金にきち
んとしていて信頼できる人たちでした(パートナーにも会いました)
彼は両親には疎遠にされているけれどお祖母さんが理解してくれていて、よく行き来していると言ってました。

私は彼らの持つ深い哀しみをたまたま味わわなくて済んでいますが、JWであった時を思い出し何と歪められた感情をもち生きていたのだろうと思います。
あの時トラックに飛び込まなくて良かった。
今では心の底から笑えますし、生きている実感があって一日一日が愛おしいです。

いろいろな人がいて世の中が成り立っていると思います。
SKさん、ボアネルゲスさんには面白くないコメントですみません。

#122 2015年06月06日 11:50:10

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: サタンの世

>るいさん

険悪になりつつある投稿合戦を
引き戻してくださり感謝しています。

私が立てたLGBTについてのトピックでも取り上げて、
カレブさんたちからも指摘があったように、
「同性愛」と「同性愛行為(セックス)」には
差があるようです。私もそう思います。

親しくしてもらっている兄弟は
(ダビデとヨナタン並みの差)、私のことを
「親友」と呼んでくれ、ウチの家族よりも
”愛してくれている” と感じさせてくれます。
私も彼にならホンネで打ち明け話ができます。

ただし「フィリア」の範囲内だと思います。
彼にセクシャルな感情は湧きません。

また、クリスチャン兄弟同士で組んで
ハウスシェアしている男性同士も、
互いに「愛し合って」いるに違いない。
でもセクシャルではない。

兄弟同士コンビを組んで、各地を転々と
開拓奉仕してきた皆さんは、
世間的に見れば「ゲイ」でしょう。
一昔前なら賃貸アパートを借りるのにも
苦労したはずです(私も断られました)。

LGBTたちも程度の差があっても不思議はない。
「同性に惹かれる」といっても一様ではない。
折り目正しく爽やかだな、と思っていた人が
実はLGBTだった、と知ってビックリ、
というケースもあって、
「同性愛者は節度がなく怖い」という図式が
当てはまらない人の方が多いのかもしれない。

自分(たち)の知っている、もしくは学んだ例
のみで判断するのは傲慢です。
例外は常にあります。

聖書がキッパリと禁じているのは
「不自然な目的で囲われた男、男同士で寝る者」
であり、ゲイの権利を主張してパレードをする
ような生き方であって、
LGBT的傾向な発想までは入っていない
と思います。

私は「障害・障碍者」という言い方が嫌いですが、
「多くはない・不便を強いられる」という境遇
のことを指すのなら、それは「障害」なのかも、
というスタンスです。

面白い説を展開する学者がいました。

「恋愛して結婚する」というのは一種の才能だ。
とても多くの人が持っている才能だ。
その才能がない人は、少ないとはいえ、
昔から確実に存在している。
では、近代まで非婚が社会問題化しなかったのはナゼか?
それは、その才能のない人たちでも
まわりの「お節介おばさん」たちが縁談を持ち込んで、
何とかかんとかして ”夫婦” にさせていたから。
(それゆえ、「縁談を成立させた回数」を競う
おばさんたちがいた)
現代ではそのテのお節介が難しい➡非婚者が多い。

これには納得しました。

多くはない(マイナー)のは
分かってもらいにくいし、不便だ。
誰かれとセックス行為を求めてくるのは辟易するが、
そういう不便さの中で暮らしている人もいる
という現実は認める必要がある……

ここまでなら私も同意します。

#123 2015年06月06日 13:46:39

柿の木
ゲストユーザー

Re: サタンの世

sk さんの発言:



次に柿の木さん

もし可能なら異性と結婚して幸福な家庭を築いてください。
お子さんが生れたら親としての強い自覚や動機により何かが変化するかもしれませんよ。

また、同性に惹かれていても不道徳を避けることは神が喜ばれると思います。
それができない人もいますけど、それは異性にひかれる人でも同じです。

同性、異性に関わらず不完全な肉から来る欲望をふさわしくコントロールするのは良いことだと思います。

それとは別に聖書を読み通してみてはいかがですか。
そうすれば、何をすべきか内面の声をもっとはっきり聞けると思います。

JW時代も、JWを抜け出してからも、しばらくはそうしたいと考えていました。
ですが、実際に女性と付き合ってみて感じるのは罪悪感ばかりでした。
やはり、女性を魅力的に見れないということで、相手にもすごい失礼だと感じましたし、それよりも自分の中の本質的な部分で、とても不自然なことをしているという罪悪感がありました。
それは恐らく、異性愛者なのに同性と付き合う時に感じる違和感、不自然さと同じものだと思います。

いうなれば、自分の良心が痛むのです。
その「良心」とは、聖書から培ったものというわけでなく、生まれた時から人間に備わっている良心、つまり神から与えられた良心だと思うのですが……

もちろん、僕の良心が汚れているのかもしれませんが……(たしか聖書でも、不信仰なものの良心は汚れているとかいう言葉がありました)

JWの教えに対して良心の咎めを感じ、自分の良心を信じてJWを抜け出した時に、これからは、いろいろな組織(宗教組織に関わらず)の教えに振り回されず、神から与えられた自分の良心に従って生きていこうとこころに決めたので、今さら聖書に囚われて生きて行こうとは思えません。

「良心」って何なんでしょうね?
難しいです。

#124 2015年06月06日 14:31:23

sk
メンバー

Re: サタンの世

こんにちは、


柿の木さん




柿の木さんの内面の声は「自分は女性」であると言っていると言うことでしょうか。

子供を生みたいですか。
子供を女性がしているようの育てたいですか。
自分に母性本能があると感じますか。

そうであるにも関わらず体が男性ということなんでしょうか。

男性の場合、若さの盛りには生理現象で射精がおきます。
射精の際は性的興奮(オルガスムス)を伴いますが、その対象が女性ではなく男性との結合を思い描くということでしょうか。


女性が性をどのようにとらえているのか分かりませんが、女性は男性ほど頻繁にまた強力に性的な興奮を感じないのではありませんかね。

この性的興奮度合いから自分はどちらと思いますか。


仮に女性であれば、自分の性欲をコントローするのは男性よりやりやすいのではないかと想像します。

そうであれば、ことさら結婚せずに独身のままで、男性女性に関係なく誰とでも楽しく付き合えるような気がしますけど。



良心について、

性別の自覚と良心とは別物と思います。

良心は、内面の組み込まれた律法です。
それは神の象の反映であり、男女の差異はありません。


公正、正直、辛抱強さ、親切、善良、その他その類の神の性質の反映だと思います。


良心を汚す方法は、嘘をつくこと、えこひいきをすること、盗みなど神の性質と逆のこと行うことです。

それらの生まれながらに理解できる非とされたことを良心の警告を無視しつづけてあえて行い続けるなら悪を行うことが気にならなくなると思います。そのようにして持って生まれた神の象を壊すことができます。

だれでも、神への敬意も愛も恐れもない者になれます。

編集者 sk (2015年06月06日 14:36:13)

オフライン

#125 2015年06月06日 14:43:33

カレブ
Administrator

Re: サタンの世

こんにちは

1,000時間奉仕者 さんの発言:

「恋愛して結婚する」というのは一種の才能だ。

結婚する才能のない人の話題が
この文脈で出てくるのはどうしてですか?

結婚のお世話するおばさんは
今の話とどう関係するんですか?

1,000時間奉仕者さんがLGBTの問題を
どういうふうにとらえているのか
理解に苦しみます。

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