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#176 2013年02月28日 19:31:57

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

irisさん お久しぶりです。

お元気そうでなりよりです。

お尋ねの件についてのわたしの見方を書きます。

キリストの到来まで誰も真のクリスチャンが誰であるか分かりません。

イエスは小麦と雑草のたとえ話でその点を明らかに示しておられます。

マタイ 13:24-30, 37-40
24 [イエス]は彼らに別の例えを示してこう言われた。「天の王国は,自分の畑にりっぱな種をまいた人のようになりました。25 人々が眠っている間に,その人の敵がやって来て,小麦の間に雑草をまき足して去りました。26 葉が生え出て実を生み出すと,その際に雑草も現われました。27 それで,その家あるじの奴隷たちがやって来て言いました,『ご主人様,畑にはりっぱな種をおまきになったのではありませんでしたか。それなのに,どうしてそこに雑草が生えてくるのでしょうか』。28 彼は言いました,『敵である人がそれをしたのだ』。彼らは言いました,『では,わたしどもが行ってそれを集めることをお望みですか』。29 彼は言いました,『いや。雑草を集めるさい,小麦も一緒に根こぎにすることがあってはいけない。30 収穫まで両方とも一緒に成長させておきなさい。収穫の季節になったら,わたしは刈り取る者たちに,まず雑草を集め,焼いてしまうためにそれを縛って束にし,それから,小麦をわたしの倉に集めることに掛かりなさい,と言おう』」。

37 [イエス]は応じて言われた,「りっぱな種をまく者は人の子です。38 畑は世界です。りっぱな種,それは王国の子たちです。それに対し,雑草は邪悪な者の子たちであり,39 それをまいた敵は悪魔です。収穫は事物の体制の終結であり,刈り取る者はみ使いたちです。40 それゆえ,雑草が集められて火で焼かれるのと同じように,事物の体制の終結のときにもそのようになります。

小麦で表されている真のクリスチャンは、雑草で表されている偽クリスチャンの中にいます。
その状態は事物の体制の終結の時まで続きます。つまりイエスの帰還まで誰が本物のクリスチャンか誰も裁けない、あるいは分からないということです。誰が真のクリスチャンかを裁く方は、自称クリスチャンと主張する人ではありません、それは王国の栄光のうちに到来するイエスご自身です。


ですから、キリストの帰還のときは全ての自称クリスチャンの裁きの時となります。

コリント第一 4:5
5 それゆえ,定めの時以前に,つまり主が来られるまでは,何事も裁いてはなりません。[主]は,闇の隠れた事柄を明るみに出し,また心の計り事を明らかにされます。その時,人は各自神からの称賛を受けるのです。

啓示 2:23
23 . . . それによってすべての会衆は,わたしが腎と心を探る者であることを知るであろう。そしてわたしは,あなた方一人一人にその行ないにしたがって与えよう

マタイ 7:21-23
21 「わたしに向かって,『主よ,主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく,天におられるわたしの父のご意志を行なう者が[入る]のです。22 その日には,多くの者がわたしに向かって,『主よ,主よ,わたしたちはあなたの名において預言し,あなたの名において悪霊たちを追い出し,あなたの名において強力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか』と言うでしょう。23 しかしその時,わたしは彼らにはっきり言います。わたしは決してあなた方を知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ,と。


イエスの時代から今日に至るまで、本物は偽物の中に覆われています。
キリスト教のダイナミックな宣教により西暦1世紀において信者の数は既に20万人を超えていました。(もっと多かったかも)その中でサタンの働きも顕在化して分裂、分派が始めから存在していました。

ですからキリスト教は大いなるバビロンと伴に始まったと見ることができます。
つまり、神の民は始めから大いなるバビロンの囚われの下に置かれて今日に至っているということです。
ですから、キリストの帰還に先立って啓示 8:4 にある呼びかけが出されることになります。

啓示 8:4
4 また,わたしは天から出る別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい

真のクリスチャンが偽りの宗教の組織の中に存在するのは、珍しいことではありません。
イスラエルの歴史もそうでした。
神は真の崇拝をイスラエル国民に開始させましたが、イスラエル国民はその始まりからサタンの影響下に置かれました。それで西暦1世紀にイエスが地上に来た時、イスラエル人はサタンに操られた宗教指導者たちの強力な組織宗教の下にいました。そのように宗教的な奴隷状態の一般の人々をイエスはそのユダヤ教の組織宗教から解放しました。

私たちがサタンの世にいる限り、サタンの働きを免れえません。
それで、全ての謙遜で誠実な人々は大いなるバビロンの囚われの下にいます。


西暦1世紀のサタンの働きとクリスチャン会衆設立当初からの背教の芽生えは、以下の聖句により裏付けられます。

むさぼり食うおおかみ(マタイ 7:15-19)
小麦と雑草(マタイ 13:24-30, 37-43)
圧政的なおおかみ(使徒 20:28-30)
肉を誇る者(ガラテア 6:12-16)
復活などないと言う者(コリント第一 15:12-14)
復活は既に起きたと言う者(テモテ第二 2:18-19)
エホバの日が来ていると言う者(テサロニケ第二 2:1-2)
背教(テサロニケ第二 2:3-12)
哲学の犠牲者(コロサイ 2:8)
優秀な使徒たち(コリント第二 11:5)
分派(コリント第一 11:19、啓示 2:14-15)
反キリスト(ヨハネ第一 4:2-3)
第一の地位を占めたがる者(ヨハネ第三 9)


以上の理由で、クリスチャン会衆はその始まりにおいてサタンの強力な欺きの働きを受けてきたことが分かります。そして使徒たちの死後、国家的なローマカトリック教会が権力を取り、その後その例に倣った国家融合宗教組織が幾つも存在するようになり今日に至っています。

現在、ほとんどの宗教組織(多分全て)は、宗教法人恩典のため国に法人登記をしており、その存在を国家の承認に依存しています。
それは明らかにサタンの体制により認められたシステムであり、真のクリスチャンの条件を満たしていません。

例えば税金についてイエスや使徒たちは何を教えているでしょうか。
以下の聖句は徴税免除を求めて国家に登記し国の恩典を受け宗教活動をすることを勧めるものですか。

マタイ 17:27
27 しかし,彼らをつまずかせないために,あなたは海に行き,釣り針を投じて,最初に上がる魚を取りなさい。その口を開けば,あなたはスタテル硬貨一つを見つけるでしょう。それを取って,わたしとあなたのために彼らに与えなさい」。

マタイ 22:21(マルコ 12:17、ルカ 20:25)
21 彼らは,「カエサルのです」と言った。そこで[イエス]は言われた,「それでは,カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」。

ローマ 13:7
7 すべての者に,その当然受けるべきものを返しなさい税を[要求する]者には税を,貢ぎを[要求する]者には貢ぎを,恐れを[要求する]者にはしかるべき恐れを,誉れを[要求する]者にはしかるべき誉れを。

コリント第一 7:31
31 世を利用している者はそれを十分に用いていない者のようになりなさい。この世のありさまは変わりつつあるからです。

これらの要求は個人によってふさわしく扱われるものであり、組織を対象に語られていません。
その事実は何を教えていますか。
それは、クリスチャン会衆は、キリストを信じる信者が構成する兄弟関係であり、宗教組織ではないということです。

宗教組織はキリストによって用いられいるのではなく、サタンが備えた偽物です。

それで多くのクリスチャンたちは大いなるバビロン(サタンの世が認める宗教組織)の中にいます。

ですから、どの宗派のクリスチャンもサタンの世のシステムの政府の恩恵の下で宗教活動を営む宗教組織が聖書的に肯定されるかどうか考えるべきです。

そして、なぜ啓示 18:4 が「わたしの民よ彼女(大いなるバビロン)から出なさい」と呼びかけているのか考えるべきです。


宗教組織に属している幾億人ものクリスチャンたちの誰が小麦で、誰が雑草かだれも裁けません。
それを行うのは王国の栄光のうちに戻られるキリストです。

そして、全てのクリスチャンはイエスの教えに従う義務があります。
バプテスマを受けたクリスチャンは自らの意思でキリストを受け入れて信者になったのですから当然自分の主の命令に従うべきです。そして個々の自称クリスチャンたちは自分がクリスチャンとして行ったことに応じてキリストにより小麦か雑草か裁かれるでしょう。

ですから記念式の表象物に与る必要のあるバプテスマを受けたクリスチャンとは、クリスチャンを自称する全ての人のことです。


つづく

編集者 sk (2014年06月26日 21:10:13)

オフライン

#177 2013年02月28日 20:19:38

もんもん
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

skさん

わかりやすい答えをありがとうございます。

>結論を先に述べますと、
>イエスの犠牲は全人類のためなので、キリストを受け入れてバプテスマを受けているクリスチャンは全て表象物に与るべきです。

エホバの証人研究さんも同じ結論なんですね。

>主の晩餐の話に関しては、晩餐を祝いながら「見守る者」として皿とワイングラスを回すなんて
>いうのはナンセンスな話だと思います。

irisさん

お久しぶりです。

オフライン

#178 2013年02月28日 20:30:35

もんもん
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

jamさん

>そうやって、この掲示板から皆さんを排除してきたんですよ。SKさん。

これは違うと思います。
ある程度、掲示板がにぎわっていたら書きやすいというだけのことだと思います。
だれも、しばらく投稿していない期間は、書きづらいだけだと思います。
特にSKさんのせいだとは思いません。

オフライン

#179 2013年02月28日 21:44:49

akame
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

唐突ですみませんが、jamさんの指摘はかなり的を射ていると思います。

カルト的洗脳(聖書絶対主義や選民思想の呪縛)から解かれた、あるいは解かれかかった方にとって
聖書批判に対するSKさんの過剰反応や聖書の羅列、かと思えばあのサイボーグ的な冷たさで
番犬のように見張られたのでは書きづらかったことでしょう。

他のサイトのやりとりを見てもわかりますが、ロム専している中でそのような方(特に元JW)は比較的に多いと思います。

ここの行き着く先が、多と同様に「自分の塹壕を掘って冬眠する」世界でなけれが良いのですが。

#180 2013年02月28日 23:02:13

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

イヤーこれはこれは、
去年の暮れから正月にかけての雰囲気が戻ってきましたね。

akame さんも相変わらずお元気そうで何よりです。

わたしは聖書を信じていますが宗教教祖のキャラではありませんので、その点はご承知おきください。

akame さんや jam さんのような方には迷惑なことでしょうが、聖句から推論することはわたしの好むところです。

マァ~、次の聖句が皆さんには当てはまりますね。

テサロニケ第二 3:2
2 . . . 信仰はすべての人が持っているわけではないのです。


それとは別に、貧しい王国相続者が存在しています。
わたしはそのような兄弟、姉妹たちに聖書から論じます。

ヤコブ 2:5
5 わたしの愛する兄弟たち,よく聴きなさい。神は,世に関しては貧しい者を選んで信仰に富ませ,ご自分を愛する者たちに約束された王国の相続者とされたのではありませんか。


akame さんや jam さんとこの面での接点はありません。
皆さんもこの掲示板のメンバー登録をなさりご自分でトピックを立ててご自分と意見の合う人々との交友を楽しまれるのはいかがですか。

そうすれば読みたくもない聖書の教えのトピックにいちいち頭にくることもなくなるでしょう。
それはわたしにとっても平和を意味します。


いずれにしても元気でいてください。

編集者 sk (2014年06月26日 21:12:14)

オフライン

#181 2013年02月28日 23:29:29

もんもん
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

skさんの方法を否定していますけれど、海外記事の翻訳はskさんがしてくれなかったら、
他のみんなが知ることができていなかったと思いますよ。

だから、ある人の方法を否定したって、仕方がないんじゃないかなぁと思います。

仲のよい話の合う人たちだけで集まるのが居心地がよくって、少数の人を否定するなら
みんなが批判している今のエホバの証人の状態と同じだと思います。

編集者 もんもん (2013年02月28日 23:30:45)

オフライン

#182 2013年03月01日 06:39:50

akame
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

もんもんさん、それは違いますよ。

(私から見れば議論にさえなっていません。)

>skさんの方法を否定していますけれど、海外記事の翻訳はskさんがしてくれなかったら、
他のみんなが知ることができていなかったと思いますよ。

>だから、ある人の方法を否定したって、仕方がないんじゃないかなぁと思います。

私はそのようなところまで否定していません。よく読んでください。

逆にSKさんが他の見解(特に素直な感情)に否定的(一切認めない)なのではありませんか?

その証拠に↑「そうすれば読みたくもない聖書の教えのトピックにいちいち頭にくることもなくなるでしょう。」
などと、人の真摯な書き込みを単に「頭にきたから」などといったり、上から目線的な聖句多用を平然と続けている
としか思えません。


>仲のよい話の合う人たちだけで集まるのが居心地がよくって、少数の人を否定するなら
みんなが批判している今のエホバの証人の状態と同じだと思います。

ではこの書き込みを含め、これまでの私の感想を受け入れていただけますか?

#183 2013年03月01日 08:16:54

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

おはようございます。


危険 「かみつき」ます。

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皆さん「カミツキガメ」には近づかないようにしましょう。



それでは、「新しい契約」と新世界訳聖書の誤訳について、


新しい契約と王国の約束

前の #170 の投稿で示したように生来のイスラエル人たちは紅海をくぐりぬけモーセへのバプテスマを受け「律法契約」に入りました。(コリント第一 10:1-5)
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic.php?pid=572#p572


同様にイスラエルの12部族によって表されている人類の世もクリスチャンのバプテスマによってキリストへのバプテスマを受け「新しい契約」に入ることになります。

そしてその中から幾人かはキリストの共同相続人として神により選ばれます。
そのような選ばれたものたちに神は養子縁組の霊を送り、彼らは天的な召しを悟るようになります。(ローマ 8:15)
彼らは、「天にあるもの」です。(エフェソス 1:10)
それ以外の人々は「地にあるもの」です。

キリストが天的な希望を紹介したときから王権の栄光のうちに帰還するまでの間は、主にこの「天にあるもの」たちを集める時となります。

とはいえ、その選びは全く神に依存しています。
そして、選ばれる者は少ないといわれています。

ローマ 9:11
11 . . . 選びに関する神の意図が,業にではなく,召される方に引き続き依存するため

ローマ 11:5-6
5 それゆえ,これと同じようにして,今の時期にも,残りの者が過分のご親切による選びによって出て来たのです。6 さて,それが過分のご親切によるのであれば,それはもはや業にはよらないのです。そうでなければ,過分のご親切はもはや過分のご親切ではなくなってしまいます。

ヤコブ 2:5
5 わたしの愛する兄弟たち,よく聴きなさい。神は,世に関しては貧しい者を選んで信仰に富ませ,ご自分を愛する者たちに約束された王国の相続者とされたのではありませんか。

ヘブライ 5:4
4 また,アロンも[そうであった]ように,人はこの誉れを自分で取るのではなく,神に召された時にのみ[取る]のです。

マタイ 22:14
14 「招かれる者は多いが,選ばれる者は少ないのです」。


西暦1世紀にはバプテスマのときに聖霊を受けなかった信者たちがいました。
エチオピアの宦官はバプテスマを受けて、聖霊を受けずに故郷へ帰っていきました。

使徒 8:38-39
38 そうして彼は,兵車に,止まるように命令し,ふたりは共に,フィリポも宦官も水の中に下りて行った。そして[フィリポ]は彼にバプテスマを施した。39 彼らが水から上がって来ると,エホバの霊がフィリポを急いで連れ去り,宦官はもう彼を見なかったが,歓びながら自分の道を進んで行った。


聖書は「地にあるもの」の詳細を述べていません。
それで、それを集める時以前に神がどのように「地にあるもの」を扱われるのかは推測するしかありません。

キリストはまだ王国の栄光のうちに戻ってはいません。
それで、私たちはまだ「天にあるもの」を集める時にいます。
そして、その「天にあるもの」たちは、人類の世であるイスラエルの12部族のバプテスマを受けたクリスチャンの中から公平に選ばれます。

啓示 5:9-10
9 . . . あなたはほふられ,自分の血をもって,あらゆる部族と国語と民と国民の中から神のために人々を買い取ったからです。10 そして,彼らをわたしたちの神に対して王国また祭司とし,彼らは地に対し王として支配するのです」。

啓示 7:4
4 . . . イスラエルの子らのすべての部族の者たちが証印を押された。 (12部族から12,000人づつ)


それで、選ばれたものたちは「新しい契約」にいるバプテスマを受けたクリスチャンの中から取られます。
全てのバプテスマを受けたクリスチャンは感謝してキリストの犠牲に与ります。


新しい契約
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic.php?pid=333#p333


新世界訳聖書の間違った翻訳

ものみの塔協会は「新しい契約」に入っている者は、イエスの「王国契約」にも入っていると教えます。
しかし、この考えは間違っています。
イエスは「新しい契約」の仲介者であり、「王国契約」の仲介者ではありません。
聖書中にイエスと弟子たちの間の「王国契約」という考えはありません。
加えて、「新しい契約」は罪の許しのためであり、王国の相続人のためのものではありません。
王国の相続人は「新しい契約」に入っている人の中から選ばれます。
そして、イエスは弟子たちに王国の約束を与えました。
しかし、この約束は「契約」ではありませんし、「新しい契約」の中に含まれてもいません。


ルカ 22:29 (新世界訳)
29 それでわたしは,ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように,あなた方と王国のための契約を結び,

(2001 AEB)
29 王国のために父がわたしに約束をしたように、わたしもあなた方にこの約束をします。

(KJV)
29 父がわたしにそれを約束したように、わたしもあなた方に王国を約束する

(共同訳)
29 だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる

ルカ 22:28-30 (共同訳)
あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。
だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。
あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。

記念式の夜の遅くになされたこの約束は、天での生活の唯一の約束です。
これは、一方的な約束であり、「新しい契約」の一部ではありません。
マタイ 19:28 に書かれているように、イエスはこの同じ約束を他の早い時期にご自分の使徒たちに語っています。

マタイ 19:28
28 イエスは彼らに言われた,「あなた方に真実に言いますが,再創造のさい,人の子が自分の栄光の座に座るときには,わたしに従ってきたあなた方自身も十二の座に座り,イスラエルの十二の部族を裁くでしょう。

2つの契約?
http://www.2001translation.com/New_Covenant.html

「新しい契約」とイエスの王国の約束は2つの異なった事柄であることは明白です。
多くの聖書翻訳は2つの異なるギリシャ語を「契約」と訳出しています。

例えばルカ 22:20 ではギリシャ語の diatheke が用いられています。それはやがて死ぬ者が残す遺言、財産の譲渡、遺言書、遺言状などを示唆しています。そしてこれが私たちが神との関係を得るために、ご自分の死の際にイエスがご自分の忠実な追随者たちに残すつもりのものでした。神と人との和解を取り持ちイエスはこの「新しい契約」の仲介者として働きました。

ルカ 22:20
20 また,晩さんがすんでから,杯をも同じようにして,こう言われた。「この杯は,わたしの血による新しい契約 (diatheke) を表わしています。それはあなた方のために注ぎ出されることになっています。

「新しい契約」には天での命の約束は含まれていません。
それは罪の許しのためのものです。


29 節では他の翻訳が「契約」と訳出しているギリシャ語は diatithemai です。
これは約束をすることを意味しています。これはイエスがご自分の使徒たちと直接交わした約束なので仲介者を必要としません。もし最初の「契約」が天で王として支配する希望を含んでいたのなら、2番目の「契約」は全く無意味である点に注目してください。ですからこれは王国のための「契約」ではなく、「新しい契約」と異なる使徒たちへの約束です。

ルカ 22:29
29 父がわたしにそれを約束したように、わたしもあなた方に王国を約束する(diatithemai)



なぜ、全てのクリスチャンが与るべきか

最初の過ぎ越しはエジプトにおける10の災いの一部であったことを思い出してください。それは逃れ道と救いを備えました。自分の長男の命を救いたければ、エジプト人、イスラエル人、その他に関係なくすべての人はモーセに与えられた指示を実行する必要がありました。そして多くのエジプト人や他の民族の人々がそのとおりに行いました。そしてイスラエルと共にエジプトを出ました。(出エジプト 12:38)

どのように過ぎ越しを守るべきかモーセの律法の指示を見ると、そこでも油注がれた祭司やレビ人の祭司、残りのイスラエル人、そして彼らの間に住む外国人居留者を含め全てが過ぎ越しの犠牲に与ることになっています。(出エジプト 12:19)というのは、神はそれぞれのグループのための異なる律法を与えられませんでした。むしろ神は「ただひとつの律法がある」と述べておられ、それは生来のイスラエル、彼らのうちに住む異邦人の改宗者双方に適用されました。(出エジプト 12:49)

最初の過ぎ越しは、長子の命を容赦するための要求でした。過ぎ越しを引き続き守ることによってイスラエルは神がご自分の民のために備えられた契約の一部にとどまる願いを表明しました。同様に「新しい契約」の唯一の目的は罪の許しであり命のためのものです。

ご自分の死の前の晩、イエスは弟子たちに「新しい契約」を設立することを明確にしました。表象物に与ることによって彼らはその後その「新しい契約」の当事者となります。それで、その時点で古い契約の「律法契約」は成就され、「新しい契約」がキリストの聖なる血の犠牲と伴に始まることになっていました。そしてイエスは彼らに引き続きそれを守り行うように命じられました。(ルカ 22:17-20)

そのとき以来、罪の許し、エホバ神との真実の関係、神が約束する命を願う全ての真のクリスチャンたちは、バプテスマを受け、「新しい契約」の当事者になることに同意し、心にその愛の律法を培い、それを自分の生き方で表すようにするべきです。そのようにしているクリスチャンはキリストの体と血を表す表象物に感謝して与ります。


つづく

編集者 sk (2014年06月26日 21:12:51)

オフライン

#184 2013年03月01日 14:48:26

akame
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

おやおや亀さん、こんにちわ(爆

それはいいのですが、

この掲示板を席巻しておられるSKさんでしたら
もう少しカルト的宗教に幻滅した方のより深いところに耳を傾けるかな
と思っていましたが思い違いのようでした。

時間がもったいないのでこれで失礼します。

(カミツキガメ、絶滅させられないようにガンバレ!)

#185 2013年03月01日 19:11:03

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

akame さん

爆笑 . . . ホームラン!

LaughingSmiley.gif


最高でした。
「カミツキガメ」は絶滅危惧種に指定して手厚く保護いたします。

akame さんもご自分でカルト犠牲者癒し系のトピックを立てください。
その日が来るのをお楽しみに、わたした地道に投稿を続けます。


永遠の命、どこで?


イエスは始めにアブラハムの胤、花嫁級、つまり天にあるものを集めます。
クリスチャンギリシャ語聖書の主要な音信は、この天にあるものたちに宛てられています。

ですから、エフェソス 4:4 の「ひとつの希望」は天的な命希望であり、地的な命の希望ではありません。

エフェソス人への手紙が誰に宛てられていたか、また文脈は何を物語るか見てください。

エフェソス 1:1-23
1 神のご意志によってキリスト・イエスの使徒となったパウロから,[エフェソスに]いる聖なる者たち,およびキリスト・イエスと結ばれた忠実な者たちへ:2 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストからの過分のご親切と平和があなた方にありますように。3 わたしたちの主イエス・キリストの神また父がほめたたえられますように。[神]はわたしたちを,キリストとの結びつきのもとに,天の場所において,霊のあらゆる祝福をもって祝福してくださったからです。4 それは,世の基が置かれる前から[キリスト]との結びつきにおいてわたしたちを選び,わたしたちが愛のうちに,そのみ前にあって神聖できずのない者となるようにしてくださったとおりのことでした。5 [神]はそのご意志にかなうところにしたがい,わたしたちをイエス・キリストを通してご自身の養子とするようあらかじめ定めてくださり,こうして,6 [ご自分の]愛する者によってわたしたちに親切に授けてくださった栄光ある過分のご親切に対する賛美となるようにされたのです。7 わたしたちはこの方により,その血を通してなされた贖いによる釈放,そうです,[わたしたちの]罪過の許しを,その過分のご親切の富によって得ているのです。8 [神]はそれを,あらゆる知恵と分別とにおいてわたしたちに満ちあふれさせてくださいました。9 そのご意志の神聖な奥義をわたしたちに知らせてくださったことにおいてです。それは,10 定められた時の満了したときにおける管理のためにご自身のうちに意図された意向によるものであり,すなわちそれは,すべてのもの,天にあるもの地にあるものを,キリストにおいて再び集めることです。[そうです,キリスト]において,11 この方との結びつきにおいて,わたしたちはまた相続人として選定されたのです。ご意志の計るところに応じてすべてのものを作用させる方の目的のもとに,わたしたちがあらかじめ定められていたからであり,12 それは,キリストに望みを置く点で最初の者となったわたしたちが,その栄光の賛美に仕えるためでした。13 しかしあなた方も,真理の言葉,すなわちあなた方の救いについての良いたよりを聞いた後,この方に望みを置きました。そして信じた後,やはりこの方により,約束の聖霊をもって証印を押されたのです。14 それはわたしたちの相続財産に関する事前の印であり,また,[神]ご自身の所有物を贖いによって釈放し,その栄光ある賛美とすることを目的としています。

15 そのゆえにわたしも,あなた方が主イエスに対し,またすべての聖なる者たちについて抱く信仰について聞くにつけ,16 あなた方のことを感謝してやみません。わたしは自分の祈りの中で引き続きあなた方のことを述べています。17 わたしたちの主イエス・キリストの神,栄光の父が,ご自身についての正確な知識という点で知恵と啓示の霊をあなた方に与えてくださるようにするため,18 [また,]あなた方の心の目が啓発されて,[神]があなた方を召してくださったその希望は何か,聖なる者たちのための相続財産として[神]が擁しておられる栄光ある富は何か,19 そして,わたしたち信じる者に対する[神]の力の卓抜した偉大さがどんなものかを,あなた方が知るようになるためです。それは[神]の強大な力の働きによるのであり,20 [神]はキリストの場合,その働きをもって彼を死人の中からよみがえらせ,天の場所においてご自分の右に座らせたのです。21 すなわち,あらゆる政府と権威と力と主権,またとなえられるあらゆる名のはるか上にであり,単にこの事物の体制だけでなく,来たるべき[体制]においてもです。22 [神]はまた,すべてのものを彼の足の下に服させ,会衆に対して彼をすべてのものの頭とされました。23 その[会衆]は彼の体であり,すべてにあってすべてのものを満たす方の満ちるところです。

エフェソス 2:6, 12-13, 16
6 また,キリスト・イエスとの結びつきにおいてわたしたちを共によみがえらせ,天の場所に共に座らせてくださったのです。
12 そのころあなた方はキリストを持たず,イスラエルの国家から疎外され,約束にかかわる[数々の]契約に対してはよそ者であり,希望もなく,世にあって神を持たない者だったのです。13 しかし,かつては遠く離れていたあなた方が,今やキリスト・イエスと結ばれ,キリストの血によって近い者となりました。16 またそれは,両方の民を一つの体とし,苦しみの杭を通して神と十分に和解させるためでした。彼は自分自身によってその敵意を抹殺したからです。

エフェソス 4:1
1 それゆえ,主にあって囚人となっているわたしが,あなた方に懇願します。あなた方の召された召しにふさわしく歩み,

エフェソス 4:4-6
4 体は一つ,霊は一つです。それは,あなた方が自分たちの召されたその一つの希望のうちに召されたのと同じです。5 主は一つ,信仰は一つ,バプテスマは一つです。6 すべての者の神また父は一つであり,すべての上に,すべてを通し,すべての中におられるのです。

文脈は、4節の「召された一つの希望」がアブラハムの胤、キリストの共同相続人となるために選ばれ、召されたものための天的な希望であることを明らかにしています。

使徒パウロの全ての手紙はこの天的な召し、または天的な希望を強調しています。


地的な命の希望

とはいえ、エフェソス 1:10 で「地にあるもの」と言及されているように地的な命の希望があります。

贖われたアダムの子孫は、有罪判決から解かれ永遠の命の希望を与えらます。
それで、神の選びによりそれぞれが永遠の命をどこで受けるかにつまずかない人は幸福です。

マタイ 19:16, 29
16 さて,見よ,ある人が彼のところに来て,こう言った。「師よ,永遠の命を得るために,わたしはどんな善いことを行なわなければならないでしょうか」。29 そして,わたしの名のために,家,兄弟,姉妹,父,母,子供,あるいは地所を後にした者は皆,その幾倍も受け,また永遠の命を受け継ぐでしょう。

マタイ 25:46
46 そして,これらの者は去って永遠の切断に入り,義なる者たちは永遠の命に入ります」。

ヨハネ 3:16, 36
16 「というのは,神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされたからです。36 み子に信仰を働かせる者は永遠の命を持っている。み子に従わない者は命を見ず,神の憤りがその上にとどまっているのである。

ヨハネ 6:27
27 滅びる食物のためではなく,永遠の命へとながく保つ食物のために働きなさい。それは人の子があなた方に与えるものです。父,すなわち神は,この者の上に[是認の]証印を押されたからです」。

ルカ 23:43

43 すると[イエス]は彼に言われた,「今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」。

このパラダイスの約束は、イエスに信仰を働かせた刑柱上の罪人に対してなされました。
その罪人は水のバプテスマと霊により再び生まれたものではありませんので天の命へ召されてはいません。
ですからイエスが約束されたパラダイスは地上のものであることが分かります。その罪人は地上への復活を経験しパラダイスとなった地上での永遠の命の祝福を受けるでしょう。

ヨハネ 3:5
5 イエスは答えられた,「きわめて真実にあなたに言いますが,水と霊から生まれなければ,だれも神の王国に入ることはできないのです。(王国の相続人として天における永遠の命を得られません)


天的な希望、または天における永遠の命はユダヤ人にとって一般的な考えではありませんでした。それで、イエスを天へ見送ったにも関わらずイエスの弟子たちは、聖霊により油注がれるまで天的な希望を理解することができませんでした。

イエスが天に戻る直前の彼らの思いはまだ地にあるものに向けられていました。
彼らは復活したイエスに「イスラエルに王国を回復する」のか尋ねています。

使徒 1:6
6 さて,集合したときに,彼らは[イエス]に尋ねはじめた,「主よ,あなたは今この時に,イスラエルに王国を回復されるのですか」。

キリストの復活と昇天後天的な召しが始まりました。
それはエフェソス 1:10 の「天にあるもの」を集めることの開始であり、その業はキリストが王国の栄光のうちに戻られるときまで続きます。

そしてその間、マタイ 13:13:24-30, 37-40 の小麦と雑草が混在しつづけ、やがて事物の体制の終結の時、つまりイエスの帰還を迎えます。そしてその小麦は「王国の子たち」と呼ばれる王国相続者たち、アブラハムの胤、天の召しに与る者たちのことです。

エフェソス 1:10 の「地にあるもの」を集める時はまだ始まっていません。
それは、キリストの帰還とともに始まるでしょう。
そしてその「地にあるもの」の最初となるのは、マタイ 25:32-40, 46 の「キリストの兄弟」たちに善意を示して永遠の命を受ける「羊」、また啓示 7:9, 14 の「大艱難」から出てくる「だれも数えることのできない大群衆」と呼ばれてるあらゆる国の人々でしょう。

キリストの贖いにより永遠の命が全てのアダムの子孫に約束されています。
天であれ地であれその永遠の命を受ける場所につまずかない人は幸いです。


つづく

編集者 sk (2014年06月26日 21:15:18)

オフライン

#186 2013年03月01日 22:40:57

もんもん
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

akemeさん

>ではこの書き込みを含め、これまでの私の感想を受け入れていただけますか?

はい、skさんが、他の方と、強くやりやっていたのを見ているので、akemeさんの意見も受け入れます。

オフライン

#187 2013年03月02日 08:49:55

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

記念式の頻度

聖書はいつキリストの死を記念するか告げていません。
イエスはニサンの14日のユダヤ人の過ぎ越しの後にそれを設立しました。
過ぎ越しの食事は、モーセの律法契約で毎年1回ニサンの14日に行うように命令されていました。
キリストはその日の過ぎ越しの食事の後ご自分の死の記念式を設立しましたが、毎年1回その日に行うようにと命じてはいません。そして、クリスチャンはモーセの律法契約の下にはいません。

使徒パウロはコリントの会衆に「主の記念式」について指示を与えています。

それで、まずコリント会衆について説明したいと思います。

コリント会衆の始まり

その会衆はパウロの2回目の宣教旅行の終わりの西暦52年ごろ設立されました。
彼はコリントでアクラとプリスキラと一緒に働きました。
彼はそこに1年6ヶ月滞在しました。

パウロ、アクラ、プリスキラは共に住みテント作りの仕事をしました。
パウロは安息日毎にユダヤ人の会堂 (syagogue) で宣べ伝えました。(使徒 18:4)
パウロはイエスがキリストであることを証明しました。(使徒 18:5)
ユダヤ人はパウロに反対し続けました。
それでパウロはテテオ・ユストという名の信者の家で集るようにします。
彼の家はユダヤ人の会堂の隣にありました
そのうち会堂の主宰役員のクリスポが信者になります。
そして多くのコリントの人々が信者になりました。
コリントには信者の収穫の極めて大きな可能性がありました。


使徒 18: 8-11
8 しかし,会堂の主宰役員クリスポが主の信者となり,その家の者たちも皆そうなった。そして,[み言葉を]聞くコリント人の多くが信じてバプテスマを受けるようになった。9 そのうえ,夜中に主が幻によってパウロにこう言われた。「恐れないで,語りつづけなさい。黙っていてはいけない。10 わたしはあなたと共におり,だれもあなたを襲って危害を加えたりはしないからである。この都市にはわたしの民が大勢いるのである」。11 こうして彼はそこに一年六か月腰をすえて滞在し,彼らの間で神の言葉を教えた。

この時点で全体で17万人を超える数の弟子たちがコリントを含め各地にいたと思われます。

やがてユダヤ人たちはパウロと会堂の主宰役員のソステネを迫害し始めます。
それで、パウロはコリントを去りエフェソス経由でシリアのアンティオケ会衆へ船で戻ります。
このようにパウロの2回目の宣教旅行が西暦52年ごろ終わります。

その後パウロは西暦55年ごろエフェソスからコリント会衆へ最初の手紙を書き送ります。

それでパウロがコリント会衆を西暦52年に離れてからコリント会衆がコリント第一の手紙を受取るまで約3年が経過していました。

その手紙の中で彼は「主の晩餐」に関して気遣いを表明しています。


コリント第一 11: 20-22, 25, 33-34
20 こうして,あなた方は一つの場所に集まっても,主の晩さんを食べることができません。21 あなた方が[それを]食べるとき,各自自分の晩さんを前もって取るのである者は空腹で,ある者は酔っているという状態だからです。22 あなた方には食べたり飲んだりするための家があるはずではありませんか。それとも,あなた方は神の会衆を軽んじ,何も携えていない人たちに恥ずかしい思いをさせるのですか。わたしはあなた方に何と言いましょうか。あなた方をほめるべきでしょうか。このことについては,わたしはあなた方をほめません。

25 晩さんをすませた後,杯についても同じようにして,こう言われました。「この杯はわたしの血による新しい契約を表わしています。それを飲むたびに (as often as),わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい」。

33 そのようなわけで,わたしの兄弟たち,[それを]食べるために集まる際には,互いに待ち合わせなさい。34 空腹な人がいるなら,その人は家で食事をし,あなた方が裁きのために集まるというようなことがないようにしなさい。しかし,その他の事柄は,わたしがそちらに着いたときに整理します。

彼が書いた以下の表現に注目してください。

一つの場所に集まって
各自自分の晩さんを前もって取る
あなた方には食べたり飲んだりするための家があるはず
あなた方は神の会衆を軽んじ
それを飲むたびに
食べるために集まる際には、互いに待ち合わせなさい
その人は家で食事をし

これらの表現から以下のことが推察できます。

「主の晩餐」は個人的な食事の機会ではない。
それは会衆全体の取決めと断定できないものの、会衆の成員が関わる取決めである。
「たびごと」 (as often as) という表現は頻度を示唆している。
もしそのイベントを1年に1度の行事と取るなら、パウロの手紙はコリント会衆が設立されてから3年後に書き送られていますので、コリント会衆の人々はその行事を僅か3-4回ほど経験していたことになります。
そして、まだ3-4回しか行ったことのないその1年に1度の行事の際に毎回だれかが空腹であったり、酔っていたりする状況は想像しがたいことです。

またクリスチャンは律法契約の取決めから解かれ律法の要求の下にはいませんのでニサンの14日の過ぎ越しを祝う必要はありませんでした。

ガラテア 3:25
25 しかし,信仰が到来した今,わたしたちはもはや養育係(律法)のもとにはいません

ヘブライ 10:1, 10
1 律法は来たるべき良い事柄の影を備えてはいても,事の実質そのものを[備えて]はいないので,年ごとに絶えずささげる同じ犠牲をもって,[神に]近づく者たちを完全にすることは決してできないのです。
10 ここに述べた「ご意志」のもとに,わたしたちは,イエス・キリストの体がただ一度かぎりささげられたことによって,神聖なものとされているのです。

クリスチャンは律法契約下のユダヤ人のような年毎の要求はありません。
キリストの贖いは西暦33年のニサンの14日に備えられて、その後、キリストの帰還までその死の意義を記念する(思い起こす)ようにとの命令がクリスチャン(キリストの弟子たち)に残されました。

そうする事は、クリスチャン宣教の一部です。キリストの死の意味を思い起こすことは年に1度に限る必要はありません。またこの行事はクリスチャンのためのものであり一般の人と関係はありません。その最初から招待はキリストの弟子たちだけに差し伸べられています。また聖書のどこにも「主の晩餐」に「見守るもの」や一般の人を招待するようにとの命令や例もありません。ですからものみの塔協会の「主の記念式」の様式は聖書的根拠に欠けています。

コリント第一 11:26
26 このパンを食べ,この杯を飲むたびに (as often as),あなた方は主の死をふれ告げてゆくのであり,それは彼が到来する時にまで及ぶのです。


以上の理由で、クリスチャン各自は自分の置かれた状況のなかで「キリストの死の記念」を1年のうちに何度するか自分で決めることができます。

聖書には、「主の記念式」をいつすべきとか何回すべきとか律法契約の取決めのような明確な命令はありません。
それでクリスチャン各自は自分で決めることができます。


もちろん、それをニサンの14日に行うことは悪いことではありません。



補足
ものみの塔協会の様式による「主の記念式」
なるべく多くの信者でない一般の人々を記念式に招待する。そのための招待状を準備している。
ほとんどのエホバの証人は表象物に与らない。与らないように公に教育される。
全体のJWの人数の僅か0.14%の油注がれた残りの者だけ表象物に与る。
年に1度だけニサンの14日に行う。

これはものみの塔バビロンに人々をリクルートする年に1回の大規模宣伝キャンペーンに過ぎません。
現役のJWの方々は「主の晩餐」について聖書に書かれていることを自分で聖書から調べません。
彼らはものみの塔協会により準備された聖句とその説明だけで「記念式」について思い巡らします。
特に意味不明なことは、毎年記念式の前にはイエスが記念式を制定された日に至るまでの1週間くらいのイエスの足どりの聖書朗読を勧めます。それで殆どのJWはそのイエスの地上での出来事に思いを向け、ものみの塔の様式が聖書的根拠があるかどうか考えることもなく野外へ出かけて行き、キリストについて何も知らない一般の人々に「主の記念式」の招待状を配るための時間を増やします。

そして会衆では記念式の準備がなされますが、それが会衆の一大イベントとなります。
パリサイ人らしく、多くの細かい取決めを設けます。そのイベントに先立ち長老たちは取決め作り(全く霊的でない活動)に忙しくなります。誰が記念式の話をするか、誰がパンとぶどう酒の祈りをするか、誰が司会を務めるか、だれが表象物を回すか、駐車場整理、会場整理、表象物の準備、花、特別伝道、その他色々を首尾よく準備するために思いと心を使い、肝心のキリストの死の意義について思いと心を用い損ねます。それで毎年「主の記念式」は大勢で集る華やかなイベントとなります。そして出席者の人数の多さに喜びを見出そうとします。(多くのJWは自分たちの努力が神に喜んで頂いたと想像します)

いま振り返れば、これはエホバの証人の「主の記念式」お祭り騒ぎに過ぎず、信者のリクルートのための効果的な宣伝活動であることが分かります。

しかし、「主の記念式」はクリスチャンがキリストの犠牲に与り、その意義を思い起こすためのものです。
この記念式はキリストを知らない一般の人のものではありませんし、それに未信者を招待する理由もありません。

編集者 sk (2014年06月26日 21:16:00)

オフライン

#188 2013年03月06日 13:52:07

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

レイプについて

アダムが罪を犯して以来人類はブレーキの壊れた自動車のように多くの悲惨な暴力、性犯罪、搾取、悲哀などで歴史を満たしてきました。神は、アダムの罪の直後に罪とそれがもたらす全ての悪と苦痛、涙、死を取除き、人々が被った害からの回復とそれを上回る永遠の祝福を約束なさいました。それが創世記 3:15 のサタンとその胤を滅ぼす「女の胤」の約束です。

創世記 3:15
15 そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」。

その神が与えた希望が実現するまで、神を離れた人類は神が意図していなかったあらゆる悪で自らを害してきました。それであらゆる悪、不公正で自らと他人にとって有害ことを行っているのは神を知らない人間たちです。

イスラエルに与えた神の律法を調べるなら神の公正さと全ての人への愛ある気遣いを学ぶことができます。
それは、人々を罪とその有害な影響から保護する役目を果たしました。

例えば、他のトピックで取上げられているレイプの扱いについて見てみましょう。


モーセの律法下においては、基本的に性の不道徳は死刑に処されました。
それをふまえて申命記 22:28-29 を適用できます。

申命記 22:28-29
28「人がある娘,すなわち婚約していない処女を見つけ,これをとらえて共に寝,その者たちが見いだされた場合,29彼女と寝たその男はその娘の父に銀五十シェケルを与えなければならない。そして,その者が彼女を辱めたゆえに,彼女はその者の妻となる。その者は[命の]日の限り彼女と離婚することを許されない

申命記 22:28-29 の説明
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic.php?pid=603#p603



それでイスラエルにおいて、jw研究さんが引用したインドのような適用はあり得ません。
インドの警察がレイプ犯罪者との結婚を犠牲者に要求したため犠牲者が自殺したというものです。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121 … 002-n1.htm

これは聖書の正しい適用と何の関係もない神を知らない者たちの愚かな助言のもたらす悲惨な結末の証拠です。

モーセの律法は性の不道徳を率直に指摘し死刑を規定しています。
レビ記18章全体を読んで下さい。

1 エホバは引き続きモーセに話してこう言われた。2 「イスラエルの子らに話しなさい。彼らにこう言わねばならない。『わたしはあなた方の神エホバである。3 あなた方の住んでいたエジプトの地の風習に従ってはならない。また,わたしがあなた方を携え入れるカナンの地の風習に従ってもならない。彼らの法令によって歩んではならない。4 あなた方は,わたしの司法上の定めを実行し,わたしの法令を守ってそのうちを歩むように。わたしはあなた方の神エホバである。5 それであなた方はわたしの法令と司法上の定めとを守らねばならない。それを守り行なうなら,人はそれによって必ず生きるのである。わたしはエホバである。

6 「『あなた方は,すなわちあなた方のうちのだれも,自分の身近な肉親に近づいてその裸をさらしてはならない。わたしはエホバである。7 あなたの父の裸,また母の裸をさらしてはならない。それはあなたの母である。その裸をさらしてはならない。
8 「『あなたの父の妻の裸をさらしてはならない。それはあなたの父の裸である。
9 「『あなたの姉妹,すなわちあなたの父の娘あるいは母の娘の裸については,同じ家に生まれたにしても外で生まれたにしても,あなたはその裸をさらしてはならない。
10 「『あなたの息子の娘または娘の娘の裸については,あなたはその裸をさらしてはならない。それはあなたの裸だからである。
11 「『あなたの父の妻の娘,すなわちあなたの父の子の裸については,それはあなたの姉妹であるから,あなたはその裸をさらしてはならない。
12 「『あなたの父の姉妹の裸をさらしてはならない。それはあなたの父の血縁である。
13 「『あなたの母の姉妹の裸をさらしてはならない。それはあなたの母の血縁だからである。
14 「『あなたの父の兄弟の裸をさらしてはならない。その妻に近づいてはならない。それはあなたのおばなのである。
15 「『あなたの息子の嫁の裸をさらしてはならない。それはあなたの息子の妻である。その裸をさらしてはならない。
16 「『あなたの兄弟の妻の裸をさらしてはならない。それはあなたの兄弟の裸である。
17 「『女とその娘の裸を共にさらしてはならない。その息子の娘や娘の娘もめとってその裸をさらしてはならない。それらは血縁の関係である。それはみだらな行ないである。
18 「『また,女をその姉妹に加えて,それに張り合う者としてめとり,その裸をあらわにしてはならない。つまり,彼女の生きている間に彼女のほかに[これをめとってはならない]。
19 「『また,不浄である月経の期間中に女に近づいてその裸をさらしてはならない。
20 「『また,あなたの射精をあなたの仲間の者の妻に与え,それによって汚れた者となってはならない。
21 「『また,あなたの子のいずれかをモレクにささげるようなことを許してはならない。あなたの神の名をそのようにして汚してはならない。わたしはエホバである。
22 「『また,あなたは女と寝るようにして男と寝てはならない。それは忌むべきことである。
23 「『また,あなたは獣に対して射精し,それによって汚れた者となってはならない。女も獣の前に立ってこれと交接してはならない。それは自然に背くことである。

24 「『これらの事のいずれによってもあなた方の身を汚してはいけない。わたしがあなた方の前から去らせる諸国民はこれらのすべての事によってその身を汚したのである。25 そのためにその地は汚れており,わたしはそのとがのゆえにそれに処罰を加え,その地もそこに住む民を吐き出すのである。26 ゆえにあなた方は,わたしの法令と司法上の定めとを守らねばならない。あなた方は,その地に生まれた者もあなた方の中に外国人として住んでいる外人居留者も,これらすべての忌むべき事柄のどれを行なってもならない。27 あなた方より前にいたその地の人々が,これらすべての忌むべき事柄を行なったゆえに,その地は汚れているのである。28 そのようにすれば,その地は,あなた方より前にいた諸国民を必ず吐き出すとしても,それと同じようにこれを汚したことであなた方をも吐き出すということはないであろう。29 だれにせよこれらすべての忌むべき事柄のどれかを行なうならば,それを行なった魂はその民の中から断たれねばならない。30 ゆえにあなた方は,わたしに対する務めを守って,あなた方より前に行なわれていた忌むべき習慣のどれをも行なうことのないようにしなければならない。それによってあなた方の身を汚すことのないためである。わたしはあなた方の神エホバである』」。


これは神が性の不道徳をどうご覧になっていおられるかを疑問の余地なく教えています。
それは死刑に値する罪です。
神の公正と哀れみはこの極めて嘆かわしい貪欲な罪をケース・バイ・ケースで扱うように規定していました。
それで裁き人たちは個々のケースを義と哀れみをもって裁く必要がありました。


また昔から今日に至るまで諸国民の戦争において敗者の生き残った処女たちはレイプされてきました。
しかしイスラエルにおいては生き残った処女たちをレイプすることは禁じられおり、彼女たちは奴隷とされるか望むものを妻とすることが規定されていました。

エホバ神が女性を含め全ての人の人権を重くみていることを疑う理由は全くありません。

神は変わっておらず、その基準も普遍です。
ですから、誰でも自分の欲望を制御せず貪欲に自己中心的に振舞う人は神の是認を得られません。

啓示 21:8
8 しかし,憶病な者,信仰のない者,不潔で嫌悪すべき者,殺人をする者,淫行の者,心霊術を行なう者,偶像を礼拝する者,またすべての偽り者については,その分は火と硫黄で燃える湖の中にあるであろう。これは第二の死を表わしている」。

編集者 sk (2013年03月06日 18:34:25)

オフライン

#189 2013年03月06日 21:45:00

もんもん
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

skさん

クリスチャンはモーセの律法の下にはいないので「過ぎ越しを1年に1回行う必要がある」というのは間違った認識というのは同意です。この部分は絶対的なものではなくって、回数や日時には、幅があってもよいのかなと僕も思います。

イエスが死なれた過ぎ越しの日を、大切にする人にとっては大切ですし、モーセの律法の下にはもういないと思う人にとっては、その日を守ることは大切ではないと思いました。この分野にも、自由があると思います。

オフライン

#190 2013年03月07日 09:04:57

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

おはようございます。

もんもんさん

そうですね。ものみの塔協会は「書かれていないこと」を決めたがりますね。
それが彼らの権威の表明となるのでしょう。
そして自分たちの基準で人を裁きます。
開拓者、長老、旅行する監督たちは協会の解釈、基準を代表するように期待されていますので、クリスチャンの自由はないでしょう。北海道の広島会衆の事件、レイモンド・フランズやその他の協会と異なる見方を表明した兄弟たちの排斥事件などはそのことを良く物語っていますね。

記念式の表象物について考えてみました。

キリストの死の記念式は過ぎ越しにより予表されていた実体でした。
それで過ぎ越しの祭りについて復習すると、

出エジプト 12:17-20
17 「『こうしてあなた方は無酵母パンの祭りを守らねばならない。実にその日にわたしはあなた方の軍隊をエジプトの地から携え出すからである。そしてあなた方は定めのない時に至る法令としてこの日を代々守らなければならない。18 第一の月,その月の十四日,その夕方にあなた方は無酵母パンを食べ,月の二十一日,その夕方にまで及ぶ。19 七日の間あなた方の家に酸い練り粉があってはならない。パン種の入った物を味わう者がいれば,外人居留者であってもその地に生まれた者であっても,その魂はイスラエルの集会の中から断たれなければならないのである。20 パン種の入った物はいっさい食べてはいけない。あなた方はその住むすべての所で無酵母パンを食べる』」。


そしてクリスチャンの生き方は7日間の無酵母パンの祭りに例えられています。

コリント第一 5:6-8
6 あなた方が誇りにしている事柄は良くありません。あなた方は,少しのパン種が固まり全体を発酵させることを知らないのですか。7 古いパン種を除き去りなさい。あなた方は酵母を持たない者なのですから,それにふさわしく新しい固まりとなるためです。実際,わたしたちの過ぎ越しであるキリストは犠牲にされたのです。8 ですから,古いパン種や悪と邪悪のパン種を用いず,誠実さと真実さの無酵母パンを用いて祭りを行なおうではありませんか。


無酵母パンは、キリストの罪のない生き方、またそれを見習うクリスチャンの生き方のふさわしい象徴(シンボル)であることが分かります。
そのような意義を考えると、それができるなら記念式の表象物として無酵母パンを用いたいと思いました。
それは罪を避ける決意を強めるよい助けとなります。


補足

過ぎ越しの「焼いた子羊」はキリストの犠牲の象徴。
記念式では「焼いた子羊」は食べません。
記念式では2つの表象物「無酵母パン」と「ワイン」が用いられます。
それは過ぎ越しの際にその場にあったもので、それをイエスは用いたことになります。
「無酵母パン」はイエスの罪のない体を表します。
「ワイン」はイエスの血による新しい契約を表します。

聖書はイエスの血の象徴としてアルコールが必要であると述べていません。
それでアル中の治療者やその他アルコールを飲めない人にとって「ぶどうジュース」での代用が可能と思います。

また「無酵母パン」にしてもパン粉にこだわる理由はないと思います。

それで聖書に書かれていないこれらの分野は自分の置かれている境遇と自分の判断により各自が決定できる分野といえます。宗教的な権威をこれらの分野で無理やりに行使する(強要したり、それによって人を裁くこと)ことは、聖書が非としている「威張り、権威を振るう」ことに当ります。

コリント第一 4:6
6 さて,兄弟たち,わたしは,あなた方のために,これらのことを移し変えてわたし自身とアポロとに当てはめました。それは,わたしたちを例にして,「書かれている事柄を越えてはならない」という[定め]を学んでもらい,あなた方がそれぞれ一方に付いて他方を退け,思い上がるようなことのないためです。

ペテロ第一 5:3
3 また神の相続財産である人々に対して威張る者 (lording it over) のようにではなく,かえって群れの模範となりなさい。

マタイ 20:25
25 しかしイエスは,彼らを自分のところに呼んでこう言われた。「あなた方は,諸国民の支配者たちが人々に対して威張り (lord it over),偉い者たちが人々の上に権威を振るう (wield authority over) ことを知っています。

コリント第二 1:24
24 わたしたちがあなた方の信仰に対する主人であるというのではありません。わたしたちはあなた方の喜びのための同労者です。あなた方が立っているのは[自分の]信仰によるのです。

編集者 sk (2013年03月07日 09:06:45)

オフライン

#191 2013年03月07日 21:14:00

もんもん
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

ファンタグレープでもいいですね。

オフライン

#192 2013年03月08日 07:47:52

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

おはようございます。

もんもんさん

誰ももんもんさんのために決める人はいません。
ご自分でふさわしいと思う決定をして下さい。
それは、もんもんさんとキリストとの関係で、他人と関係ありません。

クリスチャンの自由と責任は本人が負います。
誰も他人の決定を裁けないでしょう。

ローマ 14:22
22 あなたの抱く信仰は,神のみ前で自分自身にしたがって抱きなさい。自らよしとしている事柄について自分を裁かないでよい人は幸いです。

オフライン

#193 2013年03月08日 13:26:06

浜田朋尚
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

SK様の書き込み、いつも興味深く読ませていただいています。

ところで、私は律法に関して詳しくないのですが、
申命記 22:28-29は、レイプ(暴力的な強姦)に関して扱った律法ではないと思ったのですが、どうでしょうか?

申命記 22:28-29は、出エジプト記22:16-17の聖句と同じ意味をもった律法のように思われます。

出エジプト記22:16-17
「また,人が婚約していない処女をたぶらかしてこれと寝た場合,その者は買い取りの代価を払って彼女を必ず自分の妻とするように。17 その父が彼女を与えることをきっぱり拒むなら,彼は処女の買い取り金に応じた金を支払うように」

「人が婚約していない処女をたぶらかしてこれと寝た場合」というのは、レイプ(暴力的な強姦)ではなく、あくまでも、ある種の合意のもとでおきた男女関係ということになるのでしょうか。
そう考えると、申命記 22:28-29は、経験の浅さゆえの過ちが、ある程度考慮された律法なのかとも思いました。

#194 2013年03月08日 15:32:06

カレブ
Administrator

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

現代的に言うと

申命記 22:28-29    =強姦罪
出エジプト記22:16-17 =準強姦罪

かと思いました。

ちなみに申命記の「これをとらえて」の部分のヘブライ語は”捕まえる”という意味で以下の個所でも使われていました。

ヨシュア記 8:8
そして,その都市を略取したらすぐ,その都市に火をかけるように。エホバの言葉のとおりに行なうべきである。見よ,わたしはあなた方に命じた」。

ヨシュア記 8:23
また,アイの王を生け捕りにして,ヨシュアの近くに連れて来た。

サムエル第一 15:8
そして彼はアマレクの王アガグを生け捕りにし,他の民はみな剣の刃で滅びのためにささげた。


出エジプト記22:16-17 が印象的なのは、その律法が お父さんに弁償することが着眼点に
あるという点です。まさに所有物のように扱われているように感じます。

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#195 2013年03月08日 16:09:39

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

こんにちは

浜田さん

聖句からの適切なご指摘ありがとうございます。
ジグソーパズルの「ぴったり」のひとコマがはまりこれで全体像がより一層明らかになりましたね。

a00160-1.jpg


モーセの律法の関係するさらなる聖句と他の聖書的な実例(ディナ、タマル、その他)を調べていくと扱いがもっとはっきりしてくるでしょうね。

また裁きにおいては状況に関わる知識、理解、洞察力、知恵、公正さ、憐れみが求められますので高い霊性が必要ですね。イスラエルの裁き人たちがこの点で失格者が多かったようにエホバの証人の長老たちとそれを指導すると称する日本支部、統治体のシステムは全くお粗末で多くの犠牲者を生んできましたね。神は彼らに申し開きを求められるでしょう。


これからも浜田さんの聖句からのコメントや注解を楽しみにしています。



jw研究さん

聖句からの注解ありがとうございます。

また、慰謝料の支払いをどうみるかは人により違いがありますね。
私はそれは必要なお詫び(悔改め)のしるしと見ます。
ザーカイは良心に動かされて律法が求める以上の弁済をしました。
神は人々が良心的に隣人を愛することを望んでおられます。

そして愛は隣人に害を加えることをしませんし、むしろその益を望みます。
神の律法の規定によって、人間の不完全さ(罪深さ)を思い知らされるのではないでしょうか。

編集者 sk (2013年03月08日 16:12:23)

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#196 2013年03月08日 16:54:11

浜田朋尚
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

「新世界訳聖書」
JW研究さん、返信ありがとうございます。HP、ブログの更新、いつも楽しみにしています。
SKさん、ありがとうございました。
SKさんがご指摘されているとおり、律法に問題があるのではなく、その運用者に問題があるということを感じます。

申命記 22:25 しかし,男が婚約しているその娘を見つけたのが野原であり,その男が彼女をつかまえてこれと寝たのであれば,彼女と寝たその男のほうだけが死ななければならない。26そして,その娘に対しては何も行なってはならない。その娘には死に価する罪はない。この場合は,人が仲間の者に立ち向かい,これを,すなわち魂を殺害した場合と同じだからである。27その者が彼女を見つけたのは野であったのである。婚約していたその娘は叫んだが,これを救い出す者がいなかった。

申命記22:26には、婚約者のいる女性を強姦した場合、「強姦した人間は殺人者と同じ」であると書かれています。
レイプを殺人に等しいとする考え方は、現在の世界でも、性的暴力の被害にあった女性から聞くことがあります。

律法の話に戻りますが、もし、強姦されたのがすでに結婚した人妻だったらどうでしょうか?
婚約者に対する強姦は殺人とみなされ、人妻に対する強姦は殺人とはみなされない……古代イスラエルでも、これは考えにくいかと思います。

では、(ここでは処女ということになっていますが)婚約していない女性ならどうでしょうか?
例えば、まだ幼い少女が性的暴力の被害にあった場合。少女は、(強姦した相手が婚約した処女であれば、殺人者として死刑に処されたはずの)この男との結婚を強制されたのでしょうか。

古代イスラエルで、実際に、どのように律法が適用されていたかは分かりません。しかし、イエス・キリストのような精神をもつ人間が律法の運用者であったとすれば、やはり少女を強姦した人間は殺人者として処罰されたと考えるのが自然なことだと思います。

これらのことを考えると、申命記 22:28-29は、やはり強姦の規定ではないように思いました。

#197 2013年03月08日 20:52:45

カレブ
Administrator

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

聖句の文面を見ていただくとわかりますが

婚約していない処女 => お父さんの所有物 でも セックスはOK
(結婚 OR 弁償の罰則あり 決めるのは女ではなくお父さん)

婚約している処女 => すでに他の男の所有物 セックスしたら殺す

バテシバ => 王様が手を出したら懲らしめ => 生まれた子供を殺せ

ということかと思いました。

間違っていたらご指摘ください。

オフライン

#198 2013年03月09日 00:04:07

iris
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

skさん、お返事ありがとうございます。

sk さんの発言:

宗教組織に属している幾億人ものクリスチャンたちの誰が小麦で、誰が雑草かだれも裁けません。
それを行うのは王国の栄光のうちに戻られるキリストです。

ですから記念式の表象物に与る必要のあるバプテスマを受けたクリスチャンとは、クリスチャンを自称する全ての人のことです。

大変よくわかりました。わたしもほぼ同意します。

sk さんの発言:

現在、ほとんどの宗教組織(多分全て)は、宗教法人恩典のため国に法人登記をしており、その存在を国家の承認に依存しています。
それは明らかにサタンの体制により認められたシステムであり、真のクリスチャンの条件を満たしていません。
(中略)
それは、クリスチャン会衆は、キリストを信じる信者が構成する兄弟関係であり、宗教組織ではないということです。

宗教組織はキリストによって用いられいるのではなく、サタンが備えた偽物です。
それで多くのクリスチャンたちは大いなるバビロン(サタンの世が認める宗教組織)の中にいます。

skさんが否定されているのは国に法人登記をしている宗教組織であって、法人登記をしていなければサタンとは関係ないのでしょうか?
skさんの勧められているクリスチャン会衆も、人間が複数集まって宗教活動をするのであれば、宗教組織だと思いますが。

私の考えでは、法人登記をしていようがいまいが、優れた組織もあれば呪われたような組織もあると思います。

#199 2013年03月09日 09:42:26

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

おはようございます。


浜田さん、jw研究さん

律法の規定に関するそれぞれの見方や注解ありがとうございます。
人は自ら考えて結論を出すことが一番よいですね。
他の人の意見から学ぶこともあれば、共感できないこともありますね。
しかし、それらは全て学習の過程でしょうから、これからも自由に注解お願いします。わたしもそうします。


まず裁きについて (律法の規定や実例の解釈について)

人を裁くことは簡単なことではありません。
聖書を与えられているとはいえ不完全な人間が人を正確に裁くことは不可能でしょう。
人間の法システムが信頼できないように、人による律法の解釈も当てにならないと思います。
ですからイエスは当時の裁き人(宗教指導者)たちについて次のように評価しています。

伝統により神のことばを無効にしているもの(マタイ 15:2, 6、マルコ 7:13)
重荷を他人に負わせるもの(マタイ 23:4、ルカ 11:46)
律法のより重要なことを知らない、又は無視するもの(マタイ 12:5-7, 23:23-24)


これらの表現は律法の解釈や正しい理解について性急に、または人間の伝統により結論をだすことの愚かさを教えています。

物事をよくわきまえている人は、
聖書中の神の処遇や律法の義の要求から、神の知恵、公正、憐れみを汲み取ろうとします。
自分の命の源、また私たちの楽しみのために全てのものを豊かに与えてくださっている方にについて性急に「神は知恵がない」などと述べないでしょう。

関係する他の原則、規定、神の意向、その他必要な理解や洞察をもって事の全体を見ることは大切です。
ですから事の全体を捉えるのに他の人の建設的な意見は役に立つと思います。
それぞれが、大きなジグソーパズルの「ひとコマ」を幾つか見出しており、それをふさわしい所に当てはめて神の意向や性質についての理解をより広げ、深めることができます。


関連聖句

詩篇 19:7-11
7 エホバの律法は完全で,魂を連れ戻す。エホバの諭しは信頼でき,経験のない者を賢くする。
8 エホバから出る命令は廉直で,心を歓ばせる。エホバのおきては清く,目を輝かせる。
9 エホバへの恐れは浄く,永久に立つ。エホバの司法上の定めは真実であり,全く義にかなっていることが実証された。10それらは金よりも,いや,精錬された多くの金よりもさらに願わしいものであり,蜜,それも蜜ばちの巣から流れる蜜よりもなお甘い。11また,あなたの僕はそれによって警告を受けました。それを守ることには大きな報いがあります。

ヨブ 37:16
16 あなたは雲の釣り合いを保つことについて知っているか。知識の全き方のくすしいみ業を。

ヨブ 38:2, 33
2 「計り事を暗くしているこの人はだれか。知識がないのに言葉によって。33 あなたは天の法令を知っているのか。あるいは,その権能を地に施すことができるだろうか。

ヨブ 40:2, 8
2 「とがめだてする者が全能者と争おうとするのか。神を戒める者がこれに答えよ」。8 実際,あなたはわたしの公正を無効にしようとするのか。あなたは自分が正しい者とされるために,わたしを邪悪な者とするつもりか。


マタイ 12:36
36 あなた方に言いますが,人が語るすべての無益なことば,それについて人は裁きの日に言い開きをすることになります。


エレミヤ 8:9
9 賢い者たちは恥じた。彼らは恐れおののいた。そして捕らえられるであろう。見よ,彼らはエホバの言葉を退けたのだ。それでどんな知恵が彼らにあるというのか。

エゼキエル 18:25
25 「『そして,あなた方は必ず言うであろう,「エホバの道は正しく調整されていない」と。イスラエルの家よ,どうか,聞くように。わたしの道は正しく調整されていないのか。あなた方の道が正しく調整されていないのではないか。



iris さん

組織宗教に関する補足注解ありがとうございます。
同感です。

キリストを頭とし、兄弟関係を維持しクリスチャンの自由を楽しみ守りたいですね。

編集者 sk (2013年03月09日 10:08:51)

オフライン

#200 2013年03月09日 13:22:30

もんもん
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

skさん

>人を裁くことは簡単なことではありません。

これは本当にそう思います。社会の制度の中でも、3審制があったり、公正のために恥ずかしいような事例でも、原則公開が求められていたりします。
また裁判官は法を超えることができないです。弁護士が、非常に複雑な事例を扱う能力が必要だったりとそう簡単なものではないと思います。

なので、審理委員会というのは、実質的に、司法制度なのですが、とても幼稚で、未熟で、不完全なものに見えます。
反対に制度を整えれば、支持が増え、もっと複雑になるので、制度をなくして、安易に裁けないようにしたほうがよいのではないかと思います。

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