ログインしていません。

#26 2012年12月31日 12:32:55

もんもん
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

irisさん

神が死を敵と呼んでいて、死や悲しみを取り除くという約束をされているということをご存知ですか。

「最後の敵として,死が無に帰せしめられます。[神]は「すべてのものを彼の足の下に服させた」からです。」(コリント第一15章28節)
「また[神]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」(ヨハネへの啓示21章4節)

わたしはやはり、irisさんは、ものみの塔協会の教えが間違っていて、カトリック教会の教えが正しいと信じているように感じます。良いことも悪いことも神のご意志だという考え方です。けれども、悪いことは神はなさらないです。

「それゆえ,心ある人々よ,わたしに聴け。
[まことの]神が邪悪なことを行なったり,
全能者が不正を行なったりすることなど決してない!」(詩編35編8節)

親が子どもの死を望まないように、神は人間の死を望んではおられないですよ。ですから、イエス・キリストを贖いとして与えて、信じる者が永遠の命を持てるようにされたのではないでしょうか。

「それは,彼を信じる者がみな永遠の命を持つためです。」(ヨハネ3章15節)

オフライン

#27 2012年12月31日 13:51:15

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

裁きと救い

キリスト教の音信は、創世記 3:15 の神の約束の胤による裁きと救いです。
それは神の愛の証明でもあります。

創世記 3:15
15 そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」。

イエスが苦しみの杭(十字架)の上で忠誠のうちに犠牲の死を遂げられたとき、サタンとその体制に対する裁きの根拠が確立されました。

それは、約束の胤のかかとが蛇により砕かれた時でした。
刑柱上でイエスは、成し遂げられたと述べ息を引き取られました。

ヨハネ 19:30
30 さて,酸いぶどう酒を受けてから,イエスは,「成し遂げられた!」と言われた。そして,頭を垂れ,[ご自分の]霊を引き渡された。

キリストは何を達成したのでしょうか。
キリストの死にについて聖書は次のように説明しています。

ペテロ第一 2:22-24
22 彼は罪を犯さず,またその口に欺きは見いだされませんでした。23 彼は,ののしられても,ののしり返したりしませんでした。苦しみを受けても,脅かしたりせず,むしろ,義にそって裁く方に終始ご自分をゆだねました。24 杭の上でわたしたちの罪をご自身の体に負い,わたしたちが罪を断ち,義に対して生きるようにしてくださったのです。そして,「彼の打ち傷によってあなた方はいやされました」。

確かに、それはサタンによる厳しい試みの中での従順、及び忠誠の証拠となりました。
それによって何が証明されましたか。

それは、自由意志の誤用は、それを与えた神ではなく、理知ある被造物自身の責任であることです。
それによって、サタン、アダム、肉欲のため天の立場は去ったみ使いたちによる自由意志の誤用に対する裁きの根拠が据えられました。
神の理知ある子らは神への愛を発展させることも、自分の関心事を優先させそれを冷やすこともできます。
神の理知ある子らは、自分で自らをプログラムするコンピュータのようです。
何を見、聞き、考えるかは自分で選択します。
そのようにして、自分のまくものを、また刈り取ることになります。

神の創造物のなかに、神の子らの心の成長にとって不利なものは何もありませんでした。
それでも、サタンやアダム、天を離れたみ使いたちは、自分の関心事や欲望を神への愛に優先させる行為をしました。
それらの者の行為を正当化できますか。

神への愛を常に優先させることは、神の子らにとって不可能な要求なのでしょうか。
神の取決め、または要求は、神の子らにとって不当なものなのでしょうか
神からの離反が生じたとき、あたかもその主張が正しいかのように見えました。

そのようにして、神の子らの、不従順(自由意志の誤用)により、創造者である神が有罪とされる可能性が生じました。多くの神の子たちが、自らの決定で神から離反した事実からして、神はご自分への愛から完全な従順を証明する子を持つことができるのでしょうか。

アダムの失敗は、神の側の何らかの落ち度によるものですか。
アダムの失敗が、アダム自身によるものであることはどのようにすれば証明できますか。

アダムに対応する者の非の打ちどころのない従順以外に、それは証明されないでしょう。

それで、神は、ご自分の天の独り子を地上に送り、完全な従順の証拠を備えられました。
キリストの試練の下での犠牲の死は、神と神の子らの正しさを立証する行為となり、不従順な者たちの裁きの根拠を確立することになりました。

ローマ 5:18-19
18 こうして,一つの罪過を通してあらゆる人に及んだ結果が有罪宣告であったのと同じように,正しさを立証する一つの行為を通してあらゆる人に及ぶ結果もまた,命のために彼らを義と宣することなのです。19 一人の人の不従順を通して多くの者が罪人とされたのと同じように,一人[の方]の従順を通して多くの者が義とされるのです。

このようにキリストはご自分の犠牲の死によって、神と、神の子らの正しさを立証する行為を達成なさいました。
それにより人類(神の子ら)の救出が可能となり、不従順(悪)の裁きが可能となりました。




対照的な2つの異なる死

アダムは、失格者として命の権利を失いました。それでその死は罪の報いとして正当なものでした。
イエスの死は、罪のない状態での死で、失格者としての死ではありませんでした。

それでイエスは、物理的に死んだとはいえ命の権利を失いませんでした。
イエスは、その命の権利を、アダムの罪のために命の権利を持たずに生まれた私たちの救出のために用いてくださいました。 ですからイエスの死は、アダムのような罪の報いの死ではなく、他の者を救出するための犠牲の死といえます。

アダムは、自分と自分の子孫の命の権利を失いました。
キリストは、自分と自分の子孫の命の権利を失っていません。
ですからキリストは復活され、命を与える霊となられ、ご自分の子孫の命の権利により全てのアダムの子孫を死の宣告から買い戻されました。これがキリスト教の贖いの教えです。


コリント第一 15:22, 45
22  アダムにあってすべての人が死んでゆくのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのです。
45 まさにそう書かれています。「最初の人アダムは生きた魂になった」。最後のアダムは命を与える霊になったのです。


聖書は罪に陥った人類の救いの音信を強調しています。
宇宙主権の論争は聖書の主題ではありません。
それは、「キリストの臨在」と同じで、ものみの塔の巧みに考え出された作り話に過ぎません。
その聖書にない教えのために、ある人はakameさんのように愛ある神に対する信仰の破船を経験しています。


では、話を元に戻して、
キリストの死と復活により裁きの根拠が据えられました。
それで神は人の住む全地を義をもって裁く日を定められました。

使徒 17:30-31
30 確かに,神はそうした無知の時代を見過ごしてこられはしましたが,今では,どこにおいてもすべての者が悔い改めるべきことを人類に告げておられます。31 なぜなら,ご自分が任命したひとりの人によって人の住む地を義をもって裁くために日を定め,彼を死人の中から復活させてすべての人に保証をお与えになったからです」。

キリストの復活は完全な従順の証明です。
それはまた不従順に対する神の裁きの保証です。
これによりサタンとその胤の頭を砕くことが、もはや現実となりました。


来るべき裁きの日

これから生じるキリストの到来はサタンの世に裁きをもたらします。
それは、創世記 3:15 の予言の「へびの頭を砕く」ことの成就となります。

創世記 3:15
15 そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」。

キリストの追随者の「小さな群れ」は天でキリストとともにその砕く業に与かります。

その日の到来の際、既に死の眠りについている者たちは、第一の復活により、天でキリストに会うでしょう。
また、生き残っていいる者たちは、み使いにより地の四隅から集められて、天でキリストに会います。

そのようにして、サタンとその胤の頭を砕く業に与ります。

テサロニケ第一 4:16-17
16 主ご自身が号令とみ使いの頭の声また神のラッパと共に天から下られると,キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえるからです。17 その後,生き残っているわたしたち生きている者が,彼らと共に,雲のうちに取り去られて空中で主に会い,こうしてわたしたちは,常に主と共にいることになるのです。

啓示 14:13
13 またわたしは,天から出る声がこう言うのを聞いた。「こう書きなさい: 今からのち主と結ばれて死ぬ死人は幸いである。しかり,彼らはその労苦を休みなさい,彼らの行なったことはそのまま彼らに伴って行くからである,と霊は言う」。

啓示 20:6
6 第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死は何の権威も持たず,彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する。

コリント第一 15:50-52
50 また,兄弟たち,わたしはこのことを言います。肉と血は神の王国を受け継ぐことができず,朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはありません。51 ご覧なさい,わたしはあなた方に神聖な奥義を告げます。わたしたちはみな[死の]眠りにつくのではありませんが,わたしたちはみな変えられるのです。52 一瞬に,またたくまに,最後のラッパの間にです。ラッパが鳴ると,死人は朽ちないものによみがえらされ,わたしたちは変えられるからです。

マタイ 24:31, 40-42
31 そして彼は,大きなラッパの音とともに自分の使いたちを遣わし,彼らは,四方の風から,天の一つの果てから他の果てにまで,その選ばれた者たちを集めるでしょう。
40 その時二人の男が野にいるでしょう。一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。41 二人の女が手臼をひいているでしょう。一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。42 それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなた方は,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです。


西暦一世紀以来今に至るまで、どの時代に生きる小さな群れの成員は、創世記 3:15 の成就に与る約束をしっかりと思いに抱き犠牲の死を経験します。そして、キリストの到来の際に第一の復活にあずかる者も、主の日に生きる小さな群れの成員も、同じ思いをもってキリストに会い、サタンとその胤の頭を砕く業に与ります。それで、全ての時代の小さな群れの成員の間に、自分の果たす役割について不一致や混乱はありません。



大艱難生存者

では、誰がその裁きを生き残りますか。

全地の義なる者たちが生き残ります。

箴言 2:21-22
21 廉直な者たちが地に住み,とがめのない者たちが[地]に残されるからである。22 邪悪な者たちは地から断ち滅ぼされ,不実な者たちは[地]から引き抜かれるのである。


では、義なる者とは誰ですか。

啓示は、誰も数えることのできない大群衆と表現しています。

啓示 7: 9-10, 13-14
9 これらのことの後,わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が,白くて長い衣を着て,み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には,やしの枝があった。10 そして大声でこう叫びつづける。「救いは,み座に座っておられるわたしたちの神と,子羊とに[よります]」
13 すると,長老の一人がこれに応じてわたしに言った,「白くて長い衣を着たこれらの者,これはだれか,またどこから来たのか」。14 それでわたしはすぐ彼に言った,「わたしの主よ,あなたが知っておられます」。すると彼はわたしに言った,「これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。

この大艱難から出てくる者たちは、いつ自分の長い衣を子羊の血で洗って白くするのでしょうか。
救われる前ですか、救われてからですか。

英語の表現は、「そして」(and) を用いて、それが救われた後であることを示しています。

つまり、
これは大患難から出て来る者たちで,そして彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。

14 So right away I said to him: "My lord, you are the one that knows." And he said to me: "These are the ones that come out of the great tribulation, and they have washed their robes and made them white in the blood of the Lamb.

救出が先で、その後その救出をもたらした方についての正確な知識が与えられるでしょう。

テモテ第一 2:4-6
4 [神]のご意志は,あらゆる人が救われて,真理の正確な知識に至ることなのです。5 神はただひとりであり,また神と人間との間の仲介者もただひとり,人間キリスト・イエスであって,6 この方は,すべての人のための対応する贖いとしてご自身を与えてくださったのです?[このことは]そのために特に定められた時に証しされるのであり,

順番に注意して下さい。
真理の正確な知識に至って、救われるのではありません。

ここでも英語は、「そして」 (and) を用いています。

4 whose will is that all sorts of men should be saved and come to an accurate knowledge of truth.
[神]のご意志は,あらゆる人が救われて,そして真理の正確な知識に至ることなのです。



それで、大艱難を生き残る人々は、わずか700万人の数えられるエホバの証人だけではありません。


エホバの証人の間違った教え

救われる義なる者はバプテスマを受けたエホバの証人の他の羊


では神はどのように人を見ているでしょうか。

ルカ 18:9-14
9 しかし[イエス]は,自分は義にかなっているのだと自負し,ほかの人たちを取るに足りない者と考えるある人々にも次の例えを話された。10 「二人の人が祈りをするため神殿に上りました。一人はパリサイ人,他の一人は収税人でした。11 パリサイ人は立って,これらのことを自分の中で祈りはじめました。『神よ,わたしは,自分がほかの人々,ゆすり取る者,不義な者,姦淫をする者などのようでなく,またこの収税人のようですらないことを感謝します。12 わたしは週に二回断食をし,自分が得るすべての物の十分の一を納めています』。13 一方,収税人は離れたところに立って,目を天のほうに上げようともせず,胸をたたきながら,『神よ,罪人のわたしに慈悲をお示しください』と言いました。14 あなた方に言いますが,この人は,先の人より義にかなった者であることを示して家に帰って行きました。自分を高める者はみな辱められますが,自分を低くする者は高められるのです」。


神は自分の弱さやいたらなさを意識している人を義にかなった者と見ています。

そのような人は高慢ではありません、いつでも神の働きを認める謙遜さがあります。

例えば、イエスと共に刑柱にあった罪びとのひとりは、起きていることの意味を見失うことはありませんでした。

ルカ 23:39-43
39 ところで,[杭に]掛けられた悪行者の一人は彼のことをあしざまに言いはじめた,「あなたはキリストではないのか。自分とわたしたちを救え」。40 他方の者はそれに答え,彼を叱ってこう言った。「お前は少しも神を恐れないのか。同じ裁きを受けているのに。41 しかも,我々がこうなるのは全く当然だ。自分のした事に対する相応の報いを受けているのだから。しかしこの[人]は道に外れたことは何もしていないのだ」。42 そして彼はさらに言った,「イエスよ,あなたがご自分の王国に入られる時には,わたしのことを思い出してください」。43 すると[イエス]は彼に言われた,「今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」。


この謙遜な悪行者は、バプテスマを受けていませんでしたが地上のパラダイスの約束を頂きました。


このように地にあるものにとって水のバプテスマは必要条件ではありません。


キリストが到来して世が裁かれるとき、キリストは人を羊とヤギに分けると予言されています。

マタイ 25:31-40, 46
31 「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼と共に[到来する]と,そのとき彼は自分の栄光の座に座ります。32 そして,すべての国の民が彼の前に集められ,彼は,羊飼いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます。33 そして彼は羊を自分の右に,やぎを自分の左に置くでしょう。

34 「それから王は自分の右にいる者たちにこう言います。『さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなた方のために備えられている王国を受け継ぎなさい。35 わたしが飢えると,あなた方は食べる物を与え,わたしが渇くと,飲む物を与えてくれたからです。わたしがよそからの者として来ると,あなた方は温かく迎え,36 裸でいると,衣を与えてくれました。わたしが病気になると,世話をし,獄にいると,わたしのところに来てくれました』。37 その時,義なる者たちはこう答えるでしょう。『主よ,いつわたしたちは,あなたが飢えておられるのを見て食べ物を差し上げたり,渇いておられるのを[見て]飲む物を差し上げたりしたでしょうか。38 いつわたしたちは,あなたがよそからの人であるのを見て温かく迎えたり,裸なのを[見て]衣を差し上げたりしたでしょうか。39 いつわたしたちは,あなたが病気であったり獄におられたりするのを見てみもとに参りましたか』。40 すると,王は答えて言うでしょう,『あなた方に真実に言いますが,これらわたしの兄弟のうち最も小さな者の一人にしたのは,それだけわたしに対してしたのです』。

46 そして,これらの者は去って永遠の切断に入り,義なる者たちは永遠の命に入ります」。


救われる義なる者たちはどんな人ですか。

裁きの際、イエスが、7億人の世界の人と個別にこのような会話をかわすことはありません。
では、このたとえで何を学ぶべきですか。
それは救われる義なるものたちは、小さな群れを知らない人たちです。
またその人たちは他人の不幸な境遇に人間味のある親切を示す謙遜な人たちです。
諸国民の中のそのような人たちが救われます。

ものみの塔は一般の人が示す人間味のある親切の価値を軽く見ています。
しかし、聖書はそれを高く評価しています。

親切なサマリア人のたとえは、あなたに何を教えますか。

ルカ 10:29-37
29 しかしその人は,自分が義にかなっていることを示そうとしてイエスに言った,「わたしの隣人とはいったいだれでしょうか」。30 イエスは答えて言われた,「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中で,強盗たちに襲われました。彼らはその衣をはいだうえに殴打を加え,その人を半殺しにして去って行きました。31 さて,たまたま,ある祭司がその道路を下って行くところでしたが,その人を見ると,反対側を通って行ってしまいました。32 同じように,ひとりのレビ人もまた,そこまで来て彼を見ると,反対側を通って行ってしまいました。33 ところが,その道路を旅行していたあるサマリア人がやって来ましたが,彼を見て哀れに思いました。34 それで,その人に近づき,その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をしてやりました。それから彼を自分の畜獣に乗せ,宿屋に連れて行って世話をしたのです。35 そして次の日,デナリ二つを取り出し,それを宿屋の主人に渡して,こう言いました。『この人の世話をしてください。そして,何でもこれ以外にかかるものがあれば,わたしがここに戻って来たときに返しますから』。36 これら三人のうちだれが,強盗に襲われた人に対して隣人になったと思いますか」。37 彼は言った,「その人に対して憐れみ深く行動した者です」。するとイエスは言われた,「行って,あなたも同じようにしてゆきなさい」。


マタイ 5:7
7 「憐れみ深い人たちは幸いです。その人たちは憐れみを受けるからです。

マタイ 9:13
13 それで,『わたしは憐れみを望み,犠牲を[望ま]ない』とはどういうことなのか,行って学んできなさい。わたしは,義人たちではなく,罪人たちを招くために来たのです」。

マタイ 12:7
7 しかし,『わたしは憐れみを望み,犠牲を[望ま]ない』ということの意味を理解していたなら,あなた方は罪科のない者たちを罪に定めたりはしなかったでしょう。

ヤコブ 2:13
13 憐れみを実践しない人は,憐れみを示されることなく[自分の]裁きを受けるのです。憐れみは裁きに打ち勝って歓喜します。


諸国民の憐れみ深い救われる羊の大半はバプテスマを受けていないでしょう。
救われて後、この圧政的で搾取を続けるサタンの体制から自分たちを救出して下さった神とキリストについて知るでしょう。そして彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くするでしょう。


それで、諸国民が大艱難を生き残るでしょう。
それから時代の最終部分で (final part of the days) 次の予言が成就します。

イザヤ 2:2-4
2 そして,末の日 (final part of the days) に,エホバの家の山はもろもろの山の頂より上に堅く据えられ,もろもろの丘より上に必ず高められ,すべての国の民は必ず流れのようにそこに向かう。3 そして多くの民は必ず行って,こう言う。「来なさい。エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。[神]はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう」。律法はシオンから,エホバの言葉はエルサレムから出るのである。4 そして,[神]は諸国民の中で必ず裁きを行ない,多くの民に関して事を正される。そして,彼らはその剣をすきの刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず,彼らはもはや戦いを学ばない

final part of the days 時代の最終部分と訳せます。

ミカ 4:1-4
1 そして,末の日 (final part of the days) に,エホバの家の山はもろもろの山の頂より上に堅く据えられ,もろもろの丘より上に必ず高められる。もろもろの民は必ず流れのようにそこに向かう。2 そして,多くの国の民が必ず行って,こう言う。「来なさい。エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。[神]はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう」。律法はシオンから,エホバの言葉はエルサレムから出るのである。3 そして,[神]は多くの民の間で必ず裁きを行ない,遠く離れた強大な国々に関して事を正される。それで彼らはその剣をすきの刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず,彼らはもはや戦いを学ばない。4 そして彼らはまさに,各々自分のぶどうの木の下,自分のいちじくの木の下に座り,[これを]おののかせる者はだれもいない。万軍のエホバの口が[これを]語ったのである。


この予言を現在に適用することはできません。
なぜなら、わたしたちの時代はかってない軍拡の時代で予言と正反対の状況にあるからです。
これは、神の裁きの大艱難から救われた諸国民の変化について予言しています。
諸国民の中の憐れみ深い者たちは、憐れみを受け、救われて後に、自分たちの救い主について学ぶでしょう。 そして、神の教えに感謝して従うでしょう。


ものみの塔の間違った教え

マタイの羊とヤギのたとえの
:油注がれた残りの者を知って、彼らを忠節に支援するバプテスマを受けたエホバの証人
この教えは、羊がキリストの兄弟たちを識別していなことと調和しません。

啓示の大群衆:700万人のバプテスマを受けたエホバの証人の地的クラス
この教えは「誰も数えつくすことのできない」という表現と調和しません。

大群衆は大艱難の前に贖いを信じバプテスマをを受けたので大艱難から救われると教えています。
この教えは、「大艱難からでてきて、そして贖いの恩恵を受けた」という表現と調和しません。

イザヤ書とミカ書の予言を現在のエホバの証人の世界的改宗に適用している。
この教えは、現実と調和していません。700万人のエホバの証人の社会は、「諸国民」という表現と調和しません。
また現在「諸国民」は科学技術の先端兵器による軍拡、及び第3次世界大戦の準備の最中にあります。


主の日に、7億人の裁きはどのようになされるのでしょうか。

ローマ 2:6, 10-11, 13-16
6 そして,[神]は各々にその業に応じて報います
10 しかし,栄光と誉れと平和が,良い事柄を行なうすべての人に,ユダヤ人を初めとしてギリシャ人にもあるのです。11 神に不公平はないからです。
13 律法を聞く者が神のみ前で義なる者なのではなく,律法を行なう者が義なる者と宣せられるからです。14 律法を持たない諸国民の者たちが生まれながらに律法にある事柄を行なう場合,その人たちは律法を持ってはいなくても,自分自身が律法なのです。15 彼らこそ,律法の内容がその心に書かれていることを証明する者であり,その良心が彼らと共に証しをし,自らの考えの間で,あるいはとがめられ,あるいは釈明されさえしているのです。16 わたしが宣明する良いたよりにしたがえば,神がキリスト・イエスを通して人類の隠れた事柄を裁く日に,このことはなされます

神を信じていてもいなくても、バプテスマを受けていてもいなくても、宗教をもっていいてもいなくても、裁きの条件は同じです。
人々は、自らの良心の証しにより、自分のまいたものを刈り取らさせられるでしょう。

ペテロ第一 4:17-18
17 [今]は,裁きが神の家から始まる定めの時だからです。さて,それがまずわたしたちから始まるのであれば,神の良いたよりに従順でない者たちの終わりはどうなるでしょうか。18 「そして義人がかろうじて救われてゆくのであれば,不敬虔な者や罪人はどこに出て来るだろうか」。

詩篇 72:12-14
12 助けを叫び求める貧しい者,また,苦しんでいる者や助け手のない者を彼が救い出すからです。
13 彼は立場の低い者や貧しい者をふびんに思い,貧しい者たちの魂を救います。
14 彼は虐げと暴虐から彼らの魂を請け戻し,彼らの血はその目に貴重なものとなります。

サタンの世で搾取されている人々が神の憐れみを受け大艱難を生き残るでしょう。
そして彼らは、公正の裁きの目撃証人となるでしょう。

詩篇 58:10-11
10義なる者は復しゅうを見たので歓ぶ。彼は足を邪悪な者の血に浸す。
11そして人は言う,「まことに,義なる者のためには実りがある。まことに,地に裁きを行なう神がおられる」と。


だれも数えつくすことのできない諸国民の大群衆が大艱難を生き残るでしょう。


挙げられている聖句を自分で確認し吟味してください。

使徒 17:11
11 さて,[ここの人たち]はテサロニケの人たちより気持ちがおおらかであった。きわめて意欲的な態度でみ言葉を受け入れ,それがそのとおりかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べたのである。


読んで頂きありがとうございました。

編集者 sk (2014年06月25日 07:22:35)

オフライン

#28 2012年12月31日 17:24:03

iris
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

もんもんさん

私はカトリック教会の教えの主な部分を受け入れてカトリック信者になったのです。私が個人的にカトリックの教えが大筋で正しいと思っていることに
何か問題がありますか? もんもんさんも、本来のキリスト教の教えと比べて、ものみの塔の教えの方が正しいと思うのは自由だと申し上げたはずですが?

私は、ものみの塔の教えが間違っているとは言っていません。ものみの塔の教えは聖書の教えではなく、キリスト教の教えでもないと言っているだけです。
世の中には聖書の教えでもなく、キリスト教の教えでもない教えがたくさんあります。私はそれらの多くの価値を認めています。
ものみの塔の教えには輸血拒否などを強制できるような仕組みがあり、それが特に子どもたちの福祉の観点から問題であると考えているのです。


自分の身に起こるできごと(例えば子どもを亡くすこと)が良いことか悪いことかは、人間には判断できません。
人間にはそのできごとの先を正確に知ることはできないからです。自分にとって都合が悪いことを「悪いこと」だと感じているだけです。
中国にも「人間万事塞翁が馬」という言葉があるのをご存知ありませんか? ご存知なければ調べてみてください。

また、邪悪なことや不正なこと、例えば戦争や犯罪などは、神から離れた人間が引き起こしたことで、神が行われたことではありません。
ものみの塔も、「聖書は実際に何を教えていますか」という本の「神はなぜ苦しみを許しておられるのですか」という章の中で、
「罪を持つ人間は、必死になって人の上に立とうとする傾向があり、それが戦争や抑圧、苦しみを生じさせています。」と述べています。
これは正しい認識だと思います。

私も神は悪いことはなさらないと信じていることが、おわかりいただけたでしょうか?


神は最後には死や悲しみを取り除いてくださいます。
ですから、私はいま与えられている地上のいのちを、神の愛のために使い尽くすことだけを考えていればよいのです。
神から離れないように、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝して、神の愛を最優先に考えて生きていれば、
永遠のいのちをいただけることは間違いないからです。


私がものみの塔についていちばんキリスト教的でないと思うのは、エホバの証人を神の側に置き、「世の人」をサタンの側に置いて、
自分たちはサタンとの関係を絶っているかのように教えている点です。聖書にはなんと書いてありますか?

「正しい者はいない。一人もいない。(中略)善を行う者はいない。ただの一人もいない。」(ローマ3:10-12)
「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。(中略)
人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、
神の義をお示しになるためです。(中略)わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。」
(ローマ3:20-28)

エホバの証人も、カトリック信者も、どちらでもない人も、神の目から見れば罪の深さはたいして変わりがありません。
バプテスマを受けようと、洗礼を受けようと、時にはサタンの誘惑に負けることもある弱い存在です。

ものみの塔は「神に受け入れられる」行いを規定し、それを守ることによって永遠のいのちを勝ち取るように教えていませんか?
上のパウロの言葉のように、律法を実行しようとすることによっては、罪の自覚しか生じないのです。罪のない人はいないからです。
キリストの贖いを信じることによってこそ、永遠のいのちをくださるという約束を信じることができるのです。

#29 2012年12月31日 17:33:24

ray
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

akameさん

御返事ありがとうございます。
動画もみさせていただきました。自然界は創造者の存在を明確に表していると思います。科学は進歩していますが、まだまだ宇宙の表面しか解明されていないと思います。これからどんどん創造の証拠が見つかると思います。

しかし、創造者はおられ、人間を見守っておられると思いますが、これから人間に対してどうしたいのかについては別問題であると私も思います。今後のakameさんの書き込みに期待しています。


irisさん

御返事ありがとうございます。
私も神に愛され、認められていることに最近気づき、とても幸福になりました。神から肯定されていることを自覚し、毎日の生活でさらにそれを経験していくことが、まさに救いであり、信仰の目的だと思います。

ただ、irisさんも悲しい経験をされておられますが、すべては神のみ手にあるという説明では、自分は納得できても多くの人を納得させることはできない無力感を感じます。神の国はすでにきているという説明も、う~んと思ってしまいます。すみません。どう考えたらいいのでしょうか?
お答えをよろしくお願いします。

オフライン

#30 2012年12月31日 20:29:16

もんもん
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

irisさん

>私は、ものみの塔の教えが間違っているとは言っていません。
>ものみの塔の教えは聖書の教えではなく、キリスト教の教えでもないと言っているだけです。

なぜ自分は否定されたくないのに、他の人が信じていることを否定しますか。わたしはエホバの証人ですが、伝道をするときに、聖書の教えを伝えていると思っていますし、キリスト教について伝えていると信じています。どうして、他の人の信仰を否定しますか。

>ものみの塔の教えには輸血拒否などを強制できるような仕組みがあり、
>それが特に子どもたちの福祉の観点から問題であると考えているのです。

それは議論の対象にしてもよいですけれど、これは「血を避けていなさい」という聖書の教えの解釈の仕方なんです。だから、強く当てはめるのがよいか、弱く当てはるかがよいかの問題で、「血を避けていなさい」という教え自体は、ものみの塔の教えではなくて、聖書の教えです。

>私がものみの塔についていちばんキリスト教的でないと思うのは、
>エホバの証人を神の側に置き、「世の人」をサタンの側に置いて、
>自分たちはサタンとの関係を絶っているかのように教えている点です。聖書にはなんと書いてありますか?

これはエホバの証人の間でよく見られる悪い風潮だと思います。「すべての人が罪を負っている」と聖書に書かれているので、もっと謙遜にならないといけないと思います。

>ものみの塔は「神に受け入れられる」行いを規定し、それを守ることによって永遠のいのちを勝ち取るように教えていませんか?

そんなことはないです。聖書と同じ「信仰による義」を教えています。けれども、外部から見れば、「神に受け入れられる」行いを規定しているように見えても仕方がない部分もあると思います。

オフライン

#31 2012年12月31日 21:25:20

akame
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

私は生物の観察が非常に好きで色々考えたものです。

下記は自然界に見られる生態の一部です。
(見ないほうが良い方もおられるかもしれません)



托卵(カッコウ)

http://nicoviewer.net/sm13289255

他にホトトギスなど 魚類や昆虫でも多くみられる。

共食い(カマキリ同性同士)

http://www.youtube.com/watch?v=b43nUF0cu-w

捕食(ライオンが牛を食べる)

http://www.youtube.com/watch?v=b43nUF0cu-w


自然界を神の産物とすると

彼らの食性などの生態は神与のものです。自らが試行錯誤して
得た知識や知恵といった進化的獲得ではなく遺伝子に組み込まれた
本能的な行動です。

従って創造神の介入がないかぎり、今後の自然のなりゆきで
カッコウが自分の巣で子育てをすることは考えにくいことです。

創世記1:30また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、
すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。
そのようになった。 1:31神が造ったすべての物を見られたところ、
それは、はなはだ良かった

この聖句にはありませんが、互いを損なうという食性も普通に
人の創造よりもはるか以前からみられたことです。

生殖行為も一夫一婦以外に一夫多妻、一妻多夫など実に
実に多種多様です。自然界の際立った美に感動しますが、
人間の道徳感情からすれば「悪」「無情」としか思えないことも
非常に多くあります。

そうです。これは「創造物に見られる、神の見えない特質」の一面なのです。

火のないところに煙は立ちません。全能の創造者には上記のような
共食いや寄生など取り入れなくても自然界のバランスをとることは
可能だったことでしょう。

人間のような知性と力のある存在、自由の選択が可能な場合
結果そのものよりも「手段」に本質が現れることがあります。

そうです。創造神には愛や力や知恵などもおありですが、ある種の
残酷性や無情さも持ち合わせておられます。その確信は今でも
変わっていません。

しかしそれは新たな信仰の扉の鍵ともなりました。

#32 2012年12月31日 21:49:59

akame
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

ライオンの動画です。(訂正)
http://www.youtube.com/watch?v=FLZ0wMEbZyY

#33 2013年01月01日 11:38:42

カレブ
Administrator

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

akameさん
>そうです。創造神には愛や力や知恵などもおありですが、ある種の
>残酷性や無情さも持ち合わせておられます。その確信は今でも
>変わっていません。
>しかしそれは新たな信仰の扉の鍵ともなりました。

現実の世界を直視して考える鋭い視点に感心しました。
また続きも聞きたいです。
肉食の本能、体のつくり、これらは一部の動物の本質として
組み込まれていますので、無視することはできないと感じます。

オフライン

#34 2013年01月01日 14:52:52

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

人間と動物は異なっている

動物は、その知力の適用範囲、またその機能や性質の程度に差があります。

動物には自意識はありません。
鏡に映る自分の姿を意識できません。
鏡に映る自分を攻撃さえします。

動物に良心と呼べるほどの善悪の識別能力はありません。
その程度は人間と比べて限られています。
動物は罪の意識を持ちません。

それで、動物は律法によって生きているのではなく、神が組み込んだ本能によって生きているといえます。
動物の学習能力は程度の差はありますが有限で人間のように無限ではありません。
それで、動物は、自らをプログラムすることはできません。
本来神によりその最適化されたプログラムが備えられました。
しかし、サタンや人間によりそのプログラムの改悪が可能でしょう。
それは、神による最高のプログラムからの逸脱と見なせます。

本能
生きる(食べる)
繁殖(生殖、子育て)

この基本的な本能の要求を神はどのように満たすつもりだったのでしょうか。

まず食べ物

創世記 1:30
30 そして,地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた」。そしてそのようになった。

動物のタンパク質合成機能は多様です。
おもに腸内微生物がその荷を負っています。
現在肉食動物も本来は草食でした。
そのタンパク質合成菌の種類は今の肉食のときと異なるでしょう。
像、サイ、カバ、馬、牛、熊は基本的に草食です。
それでもそれらの生き物は巨体をしておりそれを維持しています。

動物の生殖の方法は極めて多様です。
それは、神の知恵の反映です。
その方法を人間の世界にあてはめる根拠はありません。
それは、単にわたしたちに驚嘆をもたらす営みに過ぎません。
おそらくそれから多くのことを学べるでしょう。
そして、その知識を活用して、興味深い自己増殖ロボットを開発できるでしょう。

自分の伴侶や子育てについて、創造者は動物にさえ愛の霊を与えておられます。
もちろんその霊の現れは条件によりコントロールされていますが、その愛の霊のあらわれは顕在です。

伴侶を失ったツバメ

ルカ 12:6
6 すずめ五羽はわずかな価の硬貨二つで売っているではありませんか。それでも,その一羽といえども神のみ前で忘れられることはありません。

バツの悪い犬くん


動物は人間の示す愛にこたえ応じるようにプログラムされています。
それは、神が人間による愛いある管理を意図されたからです。

サタンとアダムの不従順により罪が世にもたらされたとき、その影響はパン種のように極めて小さなものでした。
しかし、そのパン種は、かたまり全体を発酵させました。

ガラテア 5:9
9 少しのパン種が固まり全体を発酵させます。

人類はもはや神の霊により導かれなくなりました。
それが現在の弱肉強食の闘争秩序を招いています。
それは、最初から愛ある神によって意図されたものではありません。

神の霊による実

ガラテア 5:22-23
22一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,23温和,自制です


パン種による実

ガラテア 5:19
19 . . . 敵意,闘争 . . .


サタンと悪霊たちの倒錯した欲望、又は霊

ユダ 6-7
6 また,自分本来の立場を保たず,そのあるべき居所を捨てたみ使いたちを,大いなる日の裁きのために,とこしえのなわめをもって濃密な闇のもとに留め置いておられます。7 同様に,ソドムとゴモラおよびその周りの都市も,ここに述べた者たちと同じように甚だしい淫行を犯し,不自然な用のために飽くことなく肉を追い求めたのち,永遠の火による司法上の処罰を受け,[警告の]例として[わたしたちの]前に置かれています。

マルコ 5:7-13
7 そして,大声で叫んでから,こう言った。「至高の神の子イエスよ,わたしはあなたと何のかかわりがあるのですか。わたしを責め苦に遭わせないことを神にかけて誓ってもらいます」。8 これは[イエス]が,「その男から出て来なさい,汚れた霊よ」と命じておられたからであった。9 それでも[イエス]は,「あなたの名は何か」と尋ねはじめられた。すると彼は,「わたしの名は軍団<レギオン>です。わたしたちは大勢いるからです」と言った。10 そして彼は,霊たちをその地方から追い出さないようにと何度も懇願するのであった。

11 ところで,豚の大群がそこの山で物を食べていた。12 そこで彼らは懇願し,「わたしたちを豚の中に送り込んで,彼らの中に入れるようにしてください」と言った。13 それで[イエス]はお許しになった。そこで,汚れた霊たちは出て来て豚の中に入った。すると,その群れは突進して断がいから海に落ち,二千頭ほどいたのが,次々に海の中でおぼれ死んだ。

この倒錯した暴力的、自己中心的な霊による支配が今のサタンの管理運営する世界です。
それで、人間も動物も共にうめき苦しむことになっていますが、初めからそれが意図されていたのではありません。

やがて創世記 3:15 の予言の成就がもたらされるでしょう。
そして、サタンとその胤の頭が砕かれるでしょう。
その始まりを人間だけでなく動物も含めすべての創造物が切に待っています。

ローマ 8:19
19 創造物は切なる期待を抱いて神の子たちの表わし示されることを待っているのです。


サタンの世に対する裁きにより、汚れた、自己中心的な霊は除かれ、もはやなくなるでしょう。
神の霊によりすべてが導かれるようになり、神の意図しておられた最初の秩序が回復するでしょう。

聖書はすべての物事の回復のときを約束しています。

使徒 3:21
21 まさに,天はこの方を,神が昔のご自分の聖なる預言者たちの口を通して語られたすべての事柄の回復の時まで,その内にとどめておかなければなりません。

回復された新しい世における自然界の秩序は、イザヤ書に書かれているとおりになるでしょう。

イザヤ 65:25
25 「おおかみと子羊が一つになって食べ,ライオンは雄牛のようにわらを食べる。蛇に関しては,その食物は塵となる。これらはわたしの聖なる山のどこにおいても,害することも損なうこともしない」と,エホバは言われた。


このように、聖書はサタンの世の現状の原因と神の回復の約束を教えています。
それで、その実現を疑う人は、イエスの時代の復活を疑っていた人と同じです。

そのような人へのイエスの答えは、

マルコ 12:24
24 イエスは彼らに言われた,「あなた方が聖書も神の力も知らないこと,これがあなた方の間違っている理由ではありませんか。

コロサイ 2:8
8 気をつけなさい。もしかすると,人間の伝統にしたがい,また世の基礎的な事柄にしたがってキリストにしたがわない哲学やむなしい欺きにより,あなた方をえじきとして連れ去る者がいるかもしれません。


わたしたちの愛ある創造者のすばらしい特質を疑う理由は全くありません。
エホバ神は破壊を好む方ではありません。秩序は結合のうちに見出せます。
結合の完全な力は愛です。

コロサイ 3:14
14 しかし,これらすべてに加えて,を[身に着けなさい]。それは結合の完全なきずななのです。

それで、それに反する説得は、実質の欠けたむなしいものです。

ガラテア 5:8
8 その種の説得は,あなた方を召しておられる方からのものではありません。


読んで頂いてありがとうございました。

編集者 sk (2014年11月03日 11:39:13)

オフライン

#35 2013年01月01日 15:42:25

iris
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

新年おめでとうございます。みなさんにとって恵み豊かな年でありますように。


もんもんさん

>なぜ自分は否定されたくないのに、他の人が信じていることを否定しますか。わたしはエホバの証人ですが、伝道をするときに、
>聖書の教えを伝えていると思っていますし、キリスト教について伝えていると信じています。どうして、他の人の信仰を否定しますか。

これをエホバの証人の方に言われたくはありませんね。ものみの塔はほかの宗教についてどう教えていますか?
大いなるバビロンとか、偽りの宗教組織とか、完全に否定していませんか? 特にカトリックなんかボロクソです。
もんもんさんが伝道のときに、カトリックも間違っているとは言えません、といちいち訂正してくださっているのなら別ですが。

私はものみの塔の教えはリンゴの中にナシの種が入っているようなものだと思います。
リンゴはいりませんか?と売り込まれて、おいしいなと思ってその種を蒔いてもリンゴの木にはなりません。
リンゴを収穫しようとせっせと育てたあとに、その木になったナシの実を、
「これが本当のリンゴなんです。みんながリンゴだと思っているものは、実は本当のリンゴではないんですよ。」と
言われているようなものです。ではなぜ最初からリンゴに見える実ではなくナシの実を見せないのでしょうか?
リンゴとナシのどちらがおいしいかは人それぞれですが、ナシはナシであってリンゴではありません。


rayさん

悲しみの中にいる人は、それぞれに悲しんでいると思います。その悲しみの意味するものは、自分で見つけるしかありません。
すべての人に共通の答えはありませんし、そのときが来なければ納得もできません。
私も、子どもが神のところに帰されたのは私にとっても子どもにとってもよいことだったのだと納得するまでには時間が必要でした。
「悲しむ人とともに悲しむ」ことがいちばんの慰めになると思います。悲しみをすべて理解してもらうことはできなくて当たり前ですが、
傷つきやすい状態のときに自分の悲しい気持ちと少しでもずれたことを言われると、それだけで傷ついてしまうこともあります。
悲しみの深いときにはただその気持ちを受け入れてもらうことがいちばんの慰めになると思います。

時間がとれませんので、神の国については後日お返事します。

#36 2013年01月01日 16:53:45

akame
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

>本来神によりその最適化されたプログラムが備えられました。
しかし、サタンや人間によりそのプログラムの改悪が可能でしょう。

そういわざるを得ないでしょうけれど、サタンや人間が
そこまで変えた根拠はあるのでしょうか?

聖書にありますか?

>現在肉食動物も本来は草食でした。

それほどの変異はむしろ進化論が唱えているのです。

もちろん生物には柔軟性はありますが
人為的に変えることも容易ではなく
実際に純粋な草食を人為的に肉食に変えた例があるのでしょうか?

単なる腸内細菌などの変異などでは説明できない
様々な構造の変化が同時に伴わないと無理があります。

そこまでの変化はむしろ進化論にとって好都合でしょう。

それを別にしても、神の無情さは聖書の記述にみられます。

#37 2013年01月01日 17:16:10

akame
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

それともう一度述べますが

サタンや人間の歴史よりはるか以前、たとえば恐竜の時代の
肉食などの食性の証拠は圧倒的です。

生物界の搾取や殺し合いをサタンや人間の原因にするのも
到底無理があるように思います。

#38 2013年01月01日 21:13:25

カレブ
Administrator

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

akameさん

興味深いご指摘ありがとうございます。
アメリカのキリスト教右派の中には恐竜は人間と一緒に生活していたと主張する人たちもいます。
わたしは、そのような人たちはある意味あっぱれだと思いますし、ストレートな主張なので嫌いではないです。
ものみの塔は恐竜が草食であったということを暗に示すだけで、直接的に問題に取り組まないで
難しい部分を回避するようにするのには歯がゆい気持にもなります。
現実的にみるならば大型肉食恐竜の歯や体のつくりは獲物に食らいつくのに最適な作りをしています。
これを否定する努力もあって良いと思いますが、かなり苦しい説明をせざるをえないと思います。

akameさんが、理想と現実のはざまで、どのように考えを導きだされてきたのかはとても興味深い点だと思います。

オフライン

#39 2013年01月01日 21:53:21

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

akame さん

返信ありがとうございます。

神のことばを信じるか、信じないかは個人の自由です。

信じない人は聖書の記述を論理的に肯定できないのでしょう。

自分の希望の理由を弁明はしますが、信じない人を説得する責任は信じている人にはありません。
それで、わたしがここで挙げる聖句と推論を説得のためと取らないで下さい。
わたしには、そのつもりはありません。

akameさんも、ご自分の確信と推論を投稿なさると良いと思います。

わたしは、このトッピックを読んでいる方が、神のことばから益を受けることを願っているに過ぎません。

わたしの信仰の根拠、

創世記 1:30
30 そして,地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた」。そしてそのようになった。


本来の環境、秩序の大激変


創世記 6:11
11 そして,地は[まことの]神の前に損なわれ,地は暴虐で満ちるようになった。12 それで,神が地をご覧になると,見よ,それは損なわれていた。肉なるものがみな地でその道を損なっていたからである。

神はノアに箱舟の建造を命じ大洪水を生き残るための指示を与えました。

創世記 6:21
21 そしてあなたは,食べられるあらゆる食物を自分のために取りなさい。それをあなたのもとに集めなければならない。それはあなたと彼ら(動物)のための食物となる」。

創世記 7:11-16
11 ノアの生涯の六百年目,第二の月,その月の十七日,その日に広大な水の深みのすべての泉が破られ,天の水門が開かれた。12 そして,地に注ぐ豪雨は四十日四十夜続いた。13 まさにその日,ノア,そしてノアの息子たちセム,ハム,ヤペテ,またノアの妻と息子たちの三人の妻が彼と共に箱船に入った。14 彼ら,そしてあらゆる野獣がその種類にしたがい,あらゆる家畜がその種類にしたがい,地の上を動くあらゆる動く生き物がその種類にしたがい,あらゆる飛ぶ生き物がその種類にしたがい,あらゆる鳥,翼のあるあらゆる生き物が[入った]。15 こうして,その内に命の力が活動しているあらゆる肉なるものの中から二匹ずつがノアのところへ,箱船の中へ入って行った。16 そして,入って行くもの,すなわちあらゆる肉なるものの雄と雌は,神が彼に命じたとおりに中に入った。そののちエホバは彼の後ろの戸を閉じられた。


創世記 8:14-16
13 さて,第六百一年,第一の月,その月の一日に水は地からはけていた。そこでノアが箱船の覆いを取りのけて見ると,いま,地の表は[水が]はけて乾いていた。14 そして第二の月,その月の二十七日に,地はすっかり乾いていた。15 そこで神はノアに話してこう言われた。16 「あなたは,そしてあなたの妻,息子たち,息子たちの妻も共に,箱船から出なさい。17 あなたと共にいるあらゆる肉なるあらゆる生き物を,飛ぶ生き物も,獣も,地の上を動くすべての動く生き物も,あなたと一緒に携え出しなさい。それらは地に群れ,子を生んで地に多くならなければならない」。


ノアの生涯の600年目の第二の月の17日から、601年目の第二の月の27日まで、ちょうど1年と10日、人類と動物で表される創造物は箱舟で、神が最初から食物として与えた草木、果実を食べて世界的な洪水を生き残りました。

その洪水で、地球の環境は大きく変化しました。
地球を取り巻く天上の水はなくなりました。
その結果、宇宙からの放射線が以前より大量に地表に到達するようになりました。
また、気候や地形の変化ももたらされました。
この大きな変化の影響は、以前に比べて生物の大きさを小さくし、寿命を短くしました。

爬虫類は生きている限り成長します。
それで、大洪水前の爬虫類は恐竜と呼ばれる巨大な生き物でした。
しかし、その洪水の後爬虫類の寿命は極端に短くなりゾウガメでも150年くらいしか生きません。
それで、以前の恐竜のような巨大な爬虫類を今日みることはありません。

しかし、たまに巨大な恐竜らしき生き物が、1977年に日本の漁船に捕獲されたように、世界の各地で発見されています。
(ニューネッシー)
http://www.youtube.com/watch?feature=pl … HZRQNrCdL8

http://x51.org/x/05/07/2643.php

http://blogs.yahoo.co.jp/ducakashivcxr/22587954.html


ノアの洪水による地球環境と生物への影響は小さなものではありません。
その影響を正確に測れる科学者はいないでしょう。


また、ノアの箱舟をトルコのアララト山に発見した人がいます。

アルメニア人ジョージ・ハゴーピアン (George Hagopian) に関する記事です。
幼いと時に、おじさんと箱舟の残骸を発見しその中に入った生き証人です。

http://www.noahsarksearch.com/LeeElfred/LeeElfred.htm

http://www.biblearchaeology.org/post/20 … s-Ark.aspx

http://mail.antelecom.net/blogs/bsmaArk/item_26.htm

http://www.youtube.com/watch?v=FNyk0zMoi_A


英語ですがご覧下さい。
いつか日本語で要約したいと思います。


また考古学は、巨人の骨、古代のコンピュータ、飛行機、その他現代の科学技術を超える遺跡、遺物を発掘しています。さらに恐竜の足跡の化石と同じところに人間の足跡の化石があります。それらは、オーパーツ (OOPARTS, Out Of Place Artifacts) と言われて学校では教えられません。しかしそれは現実にあります。興味のある方は調べてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=6oGqPc6poS4 (英語、チャールトン・ヘストンによる解説です)

これらは、何を物語っているでしょうか。
洪水前、利己的な理由で天を離れたみ使いたちが造った世の様子を示しているのではありませんか。
それらの霊者たちは、物理学の知識を何百年も生きる身体的な機能がまだ完全に近い人々やネフィリムと呼ばれる自らの混血の巨人の子たちに教えたと思われます。ニュートンが500年生きたとしたら科学技術がどれだけ進歩するか考えてみて下さい。洪水前、ニュートン以上の人々が何人もいたでしょう。


現代科学で説明のつかない事柄はいくらでもあるでしょう。
UFO、クロップ・サークル、キメラ生物とか。これらの現象は現在の軍事技術の産物です。これについては別に投稿したいと思います。

クロップ・サークルについて(英語)
http://www.youtube.com/watch?v=8mAdrSvOgwI

これらの現象をどう解釈するかは、個人の自由です。

わたしは、聖書の記録に全幅の信頼を置きます。
なぜなら、神のことばに書かれていることへの信仰は報われるからです。

詩篇 12:6
6 エホバのみことばは浄いことば,
地の溶鉱炉で精錬され,七度純化された銀のようだ。

詩篇 119:160
160 あなたのみ言葉の本質は真理であり,
義にかなったその司法上の定めはすべて,定めのない時にまで及びます。

箴言 30:5-6
5 神のことばはすべて精錬されている。[神]はご自分のもとに避難する者たちの盾である。6 その言葉に何も付け加えてはならない。[神]があなたを戒めることのないため,あなたがうそをつく者とされないためである。



読んで頂いてありがとうございました。

編集者 sk (2014年06月25日 17:27:15)

オフライン

#40 2013年01月01日 23:05:37

akame
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

SKさん
JW研究さん

これらはあくまでも私見で投稿しております。
もちろん受け止め方は自由です。


「オーパーツ」は私も一時はまっておりました。

恐竜関係のそうした説も存じています。資料や発見は捏造と述べているサイトも多数あり
私には真偽は不明です。

ただいえるのは草食恐竜も肉食恐竜もアメリカでの一部だけでも
すでに数千体以上の化石が発掘されているようです。TVで格納された
建物をみましたがものすごい量でした。

でも肉食の特徴をもった個体が実は草食だったとする化石
証拠がなぜないのでしょうか?もしあったら大激論でしょうけれど。

クモを考えてください。
獲物を食べるまでどのぐらい多くのシステムが関係しているのでしょう。

たとえばアミのような巣を張っても食べるのはそれにかかる植物だけのクモが
肉食になるには口の構造から体内の構造成分まで変える必要があります。

それほどの変化を環境の変化やサタン介入とするならそれはもう特殊進化論
或いは再創造ではないのでしょうか?

恐竜はほんの些細な例にすぎません。あくまでの神の創造には殺傷競争がなかった
とするなら、生物の実に多くの種類にそのような変性が必要となることでしょう。

しかもそれほどの大規模の食性の変化がアダム時代以降だとすると
非常に最近それが生じたことになりますね。人間の歴史と重なる
時代のそれほどの大変化・・進化論者でも尻込みしてしまうのではないでしょうか?

何が愛なのか?無情とか残虐性も其々の感性ですから其々の方のご判断におまかぜします。

次に聖書の神の特質や聖書の真偽も合わせて述べたいと思います。

#41 2013年01月02日 00:05:59

もんもん
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

irisさん

わたしはキリスト教について、聖書から話し合いあいたいと思っているのに、
irisさんは、歴史的なキリスト教の定義から出発しようとしていると思います。

>これをエホバの証人の方に言われたくはありませんね。ものみの塔はほかの宗教についてどう教えていますか?
>大いなるバビロンとか、偽りの宗教組織とか、完全に否定していませんか? 特にカトリックなんかボロクソです。
>もんもんさんが伝道のときに、カトリックも間違っているとは言えません、といちいち訂正してくださっているのなら別ですが。
>私はものみの塔の教えはリンゴの中にナシの種が入っているようなものだと思います。
>リンゴはいりませんか?と売り込まれて、おいしいなと思ってその種を蒔いてもリンゴの木にはなりません。
>リンゴを収穫しようとせっせと育てたあとに、その木になったナシの実を、
>「これが本当のリンゴなんです。みんながリンゴだと思っているものは、実は本当のリンゴではないんですよ。」と
>言われているようなものです。ではなぜ最初からリンゴに見える実ではなくナシの実を見せないのでしょうか?
>リンゴとナシのどちらがおいしいかは人それぞれですが、ナシはナシであってリンゴではありません。

エホバの証人を異端(リンゴではない)と呼んでいるのは、正統派キリスト教の伝統なんですよ。
だから、ぜひirisさんが、この観点については考え直していただきたいと思っています。

ものみの塔協会は、カトリックのことを大いなるバビロンと言っていますが、
わたし自身は、それが具体的に何を指しているのかを、特定したいとは思いません。
ものみの塔協会自身も「大いなるバビロン」である可能性の高い組織だと思います。

オフライン

#42 2013年01月02日 00:44:06

カレブ
Administrator

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

肉食について
akameさん
>クモを考えてください。
>獲物を食べるまでどのぐらい多くのシステムが関係しているのでしょう。

クモはなかなか良い指摘だと思います。他の昆虫をハンティングする仕組みが
美しいほどに完成されていますので。

ものみの塔が創造物の素晴らしさを強調するのにクモを用いているのを見ると
不思議な感覚になります。

昆虫の世界以外にも、海の中の生き物は草食を想定するのが非常に難しい
生き物であると思います。

オフライン

#43 2013年01月02日 08:10:35

akame
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

>美しいほどに

海から空、歩く地面の下
庭の花や道端の草の間も
熾烈な競争で満たされています。

ほっとさせるもの、穏やかさ、最高の美、
何でもあります。

それは実に感動的です。

地はあなたのためにのろわれ、
あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
3:18地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、
あなたは野の草を食べるであろう。


わたしは裸で母の胎を出た。
また裸でかしこに帰ろう。
主が与え、主が取られたのだ。
主のみ名はほむべきかな


喜びも苦痛も最終責任は神にあります。

酷い仕打ち、不条理が神からのものとしても
神にすべてをお任せできる。

これが現在の私の心境、目標です。それに至るのは
容易ではありませんが。

また音楽や芸術がこれほど味わい深いものになっている
理由も考えさせられます。

#44 2013年01月02日 10:28:36

akame
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

神に最後はお任せできる。とはいえ

不条理の中にあっても自らの課題に正面から取り組むこと
で成長する。

これが人生の大きな意味で、神の喜びでもあると今は感じています。

#45 2013年01月02日 11:45:21

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

植物と昆虫

植物は極めて美しい工場であり、昆虫はその工場で働く生物機械(ロボット)と見なせます。
また目に見えない細菌ロボットも無数にあります。
人間は最近無機物、有機物から自己増殖機能を有する分子を組み立てる仕組みを学び始めたばかりで、生命体の本質についてまだ分かっていません。

ウィルスからバクテリア、原生細胞、これらがどのような条件化で自然発生するのかそのメカニズムを科学者は十分に解明していません。いまある理論は、研究者の説(持論、意見)の域を脱していません。。

微生物を研究している学者にアントワーヌ・ベシャン (Antoine Béchamp 1816-1908) という人がいました。

フランスの医師、科学者、薬学者で、パスツールと同時代の微生物学の先駆者と言われている人です。
マイクロジマス (microzymas) 理論をとなえ、体内環境に応じて、マイクロジマスと呼ばれる生命の基本単位(原生細胞、primordial cell) が、バクテリアになると主張しました。
そして、体内の微生物は、体内環境に応じて、形、大きさを変化させると述べています。それをプレモフィズムといいます。(pleomorphism)

べシャンによると、原生細胞、ウィルス、バクテリア、真菌類は、変化した同一生命体です。
バクテリアは、体内環境の悪化の結果生じ、健全な部分を侵すことはありません。それ自体が病気の原因ではありません。これら病原菌と呼ばれている生命体は、体内環境(特に血の状態)が悪化すると、健全でない細胞から生じ、不健康な細胞を駆逐していく自然の清掃係であるいわれています。それで、健全でない細胞や代謝副産物の除去とともに、体の環境が良くなると、それらの病原菌は、再び、原生細胞に戻ってゆきます。このように自然界は秩序(高度な組織)の維持管理のためのメカニズムを備えています。それでこれら目に見えない細菌類は生命体と言われていますが、神の作ったマシン(機械)と見なせます。
生命の自然発生を拒否していたパスツールは、べシャンの見立てに大反対でしたが、死ぬ間際に「べシャンは、正しかった」と述べています。

http://en.wikipedia.org/wiki/Antoine_B%C3%A9champ


日本には千島喜久雄博士 (1899-1978) がいました。

この方は、細胞と微生物は、融合して共生していることを発見しました。
細胞から細菌へ、またその逆の変化が見られます。
細胞の環境が、有害物質で悪化すると、ウィルスや細菌が発生します。(チフス菌、淋菌、桿菌等)
細胞は微生物の集合、融合、分化という過程をもって新生します。
つまり「体内細胞の環境劣化により、細胞が病原菌へ分化する」という見方を示しています。

千島博士によると現代の微生物学の学説は、間違った観察実験の結果であり現実とかけ離れているされています。なぜなら、研究者が細胞を生きたまま観察していないということです。生きた生命体の中で機能している細胞と細菌の観察、実験をしていない限り真実に到達できないと千島博士は主張しています。

千島博士は以下の結論に至っています。
生命体すべては共生で成り立っている。
原生細胞、ウィルス、バクテリア、細菌、昆虫、植物、動物など、そのすべてが共生によって生きているということです。
単体で活動する生命機能を有する機械から高度に組織された細胞、さらに生き物にいたる共生関係が存在しています。それは、破壊的でありません。むしろ建設的で実用的です。壊れた、または悪化した環境の自動修復機能、自浄機能を備えた驚くべき共生関係が自然の秩序を保っています。私はそこに創造者の知恵、思いやりを見ることができます。神には残虐性は微塵もありません。清さと良い環境を維持する機能を破壊とみる妥当性はありません。

興味のある方は調べてください。
http://www.chishima.ac/innovation.html


アメリカには、ロイヤル・レイモンド・ライフ博士 (Royal Raymond Rife 1888-1971) がいました。

この方は、「生きた有機体を自然の状態で観る」ことができる6万倍の超高倍率光学顕微鏡を独自で開発しました。、

この電子顕微鏡に匹敵する光学顕微鏡は、生きた細胞や微生物を生きたまま観察できるので、電子顕微鏡に勝っています。
電子顕微鏡は被写体に電子の弾丸をあてるので、その電子弾丸により微生物を殺してしまい、生きた状態における観察はできません。

博士は、その超倍率光学顕微鏡を用いて生体や血液の中に微小な有機体を発見し、次のような結論を得ました。

細菌は、病気を起こす原因でなく、病気(細胞の環境悪化)になった結果生じるもの。
細菌は、体の状態に応じて、無害なものから致死的な病原菌に変化する。
細菌は、生命の基礎単位と考えられているが、実は細胞の中に、もっと小さな細胞があり、その小さな細胞の中に、さらに小さな細胞がある。このプロセスは、16段階まで続くとしています。

http://www.thinker-japan.com/life.html



植物、昆虫

植物は工場で昆虫は生物ロボットと見なせます。
微生物は目に見えないナノあるいはピコロボットです。
昆虫の情報伝達は極めてロボット的で、それ故に人間の技術者が真似のしやすいものとなっています。
蟻などは、情報伝達ホルモンの交換で情報を伝達しています。それは、あたかもUSBで情報を交換するかのようです。神は実利と楽しみのために昆虫を備えらたと見なすことができます。それは驚嘆すべき「おもちゃ」です。子供は昆虫に夢中になります。そしてよくその精巧なおもちゃを壊します。科学者はその神の作ったロボットを研究し仕組みを真似て生活便利品を開発します。この取決めの中のどこにも神の残虐性は見られません。



海の微生物について

クラゲの逆成長(若返り)……栄養状態による逆戻り

海水中に食物をなくして絶食状態にしておくと、クラゲは触手や体が次第に吸収され退化し、最後には発生初期の胚子のような細胞の塊に逆戻りします。即ち逆成長(若返り)です。環境により、エントロピー増大法則とは逆の方向に進みます。

そこでまた、食物を与えると、今度は普通の成長を再開して元の生体に戻ります。この間、生体にとっては時間は逆行するかのようです。これを生物的な時間の逆行といいます。


海の生物も神の造った生物ロボットです。
海の中の魚、哺乳類の中で、どこまでが生物ロボットかは楽園で証明されるでしょう。


動物の肉食の特徴とされる犬歯について
パンダは立派な犬歯を供えていますが、堅い笹しか食べません。

現場を見たこともない学者たちが、単に外見からの想像で生き物は進化したとか、これは肉食の特徴だと独断的に決め付けて持論を公共教育制度を利用して全世界に広めたとしても偽りに過ぎません。真実が明らかにされる時、それらの浅薄な推論は恥をこうむるでしょう。

ローマ 1:21-22
21 彼らは,神を知りながら,それに神としての栄光を付さず,また感謝せず,その推論するところにおいて無能な者となり,その悟りの悪い心は暗くなったのです。22 自分は賢いと唱えながら,彼らは愚かとなり,23 不朽の神の栄光を,朽ちる人間の,また鳥や四つ足の生き物やはうものの像のようなものに変えました。

コリント第一 3:20
20 また,「エホバは,賢い人たちの論議が無駄なことを知っておられる」とあります。



自然界に見られる秩序と美


仲良しのトラと豚
http://buzzpics.blog.fc2.com/blog-entry-1339.html

2-3年前の英語のニュースに、ある野生の雌ライオンが迷い子牛を数日にわたって保護している記事が写真付で掲載されていました。その写真と記事を検索しましたが見つかりませんでした。どのなたか見つけたら投稿お願いします。

lion and calf で検索して見つけました。

http://old.magicalkenya.com/default.nsf … 66002D784B



サタンの世は調和や仲良しより破壊や闘争に関心があるのでしょう。
動物間の闘争に関する画像や映像は沢山ありました。
わたしは、それはサタンの霊の反映であると見ています。

エホバ神の性質ではありません。
神はご自分のお名前に帰される偽りの主張をキリストの王国の到来により取除かれるでしょう。

そして、神が意図しておられる秩序と調和、共生の喜びにあふれたパラダイスが実現するでしょう。


読んで頂きありがとうございました。

編集者 sk (2014年11月03日 12:48:13)

オフライン

#46 2013年01月02日 14:58:40

akame
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

>植物は工場で昆虫は生物ロボットと見なせます。
微生物は目に見えないナノあるいはピコロボットです。
昆虫の情報伝達は極めてロボット的で、それ故人間の技術者が真似のしやすいものとなっています。
蟻などは、情報伝達ホルモンの交換で情報を伝達しています。それは、あたかもUSBで情報を交換するかのようです。神は実利と楽しみのために昆虫を備えらた見なすことができます。それは驚嘆すべき「おもちゃ」です。子供は昆虫に夢中になります。そしてよくその精巧なおもちゃを壊します。

この引用もよく目にしました。

良い子は真似しませんように。どんどん平気で虫の首を抜いたりして殺す子供(子供がそうしている姿も不気味ですが)
が目の前にいたら親は注意しましょう。

さて、聖書朗読をしていて引っかかる部分には次のようなものがあります。

サムエル第一第15章

15:1さて、サムエルはサウルに言った、「主は、わたしをつかわし、あなたに油をそそいで、その民

イスラエルの王とされました。それゆえ、今、主の言葉を聞きなさい。 15:2万軍の主は、こう仰せら

れる、『わたしは、アマレクがイスラエルにした事、すなわちイスラエルがエジプトから上ってきた

時、その途中で敵対したことについて彼らを罰するであろう。 15:3今、行ってアマレクを撃ち、その

すべての持ち物を滅ぼしつくせ。彼らをゆるすな。男も女も、幼な子も乳飲み子も、牛も羊も、らく

だも、ろばも皆、殺せ』」

後に皆殺しをしなかったことで叱責されます。

見よ、従うことは犠牲にまさり、
聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
15:23そむくことは占いの罪に等しく、
強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。

私の子供が生まれたてのころでしたが、この聖句を読みながら
考えたものです。

アマレク人との戦いに自分がいたとして、果たしてこのエホバ神の命令に
従っただろうか?

戦いの最中、アマレク人のある家に入りました。男はすでに殺され、
そこで恐怖に震える乳飲み子を抱いた女性がいます。

乳飲み子はすやすや眠っているかもしれません。

母親は命乞いをするかもしれません。

「神の命令だからと平気で殺せるだろうか?」

「この命令は神のどのような特質が示されているのだろうか?」

#47 2013年01月02日 16:20:14

カレブ
Administrator

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

>すべての持ち物を滅ぼしつくせ。彼らをゆるすな。男も女も、幼な子も乳飲み子も、牛も羊も、らく
>だも、ろばも皆、殺せ』」

akameさん 興味深い点ありがとうございます。
考えさせられる聖句の代表例だと思います。

これを映画化したら子供には見せられないスプラッター聖書物語ができると思います。
このような旧約聖書の現実は 直視する必要があるとわたしも思います。
ニューヨークの同時テロでさえ、イスラエルの生々しい虐殺の場面と比較すると
色あせます。

akame さんが どのように信仰の問題を解決したのか とても気になります。

オフライン

#48 2013年01月02日 17:38:53

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

神の裁き

神の裁きは、神の残虐性の現われではありません。
それは処刑であり、死つまり存在を断つことです。

あなたは、人を裁く神の権利を認められるでしょうか。

ヤコブ 4:12
12 立法者また裁き主である方はひとり,それは救うことも滅ぼすこともできる方です。しかし,[自分の]隣人を裁くあなたは,いったいだれなのですか。

命はそれをふさわしく用いる人への神からの贈物です。
もし、人が命と自由意志を誤用し殺人、強姦、近親相姦、動物の虐殺、乳飲み子の犠牲、偶像崇拝を楽しみそれを何とも思わない社会を作ったなら、命の賜物の贈り主はどうするでしょうか。

そのようなサタンと悪霊の倒錯した霊に導かれる社会を終わらせるでしょう。

カナンの地の住民はそのような社会を作りました。
その悪の深度がピークにいたるまで何百年もかかりました。
神はその事態の進展を予測して何百年も前にアブラハムにご自分の計画を伝えています。

創世記 15:16
16 しかし四代目に彼らはここに戻って来る。アモリ人のとががまだ満ちていないからである。

カナンの地の住人は、ソドムとゴモラと同じ道徳状態に陥り、その土地が彼らを吐き出すことになりました。
イスラエルは神の刑執行者として用いられたとはいえ忠節ではありませんでした。
その結果、自ら同じ罪を国家的規模で犯し、やはり土地から吐き出されることになりました。


レビ記 18:1–30

1 エホバは引き続きモーセに話してこう言われた。2 「イスラエルの子らに話しなさい。彼らにこう言わねばならない。『わたしはあなた方の神エホバである。3 あなた方の住んでいたエジプトの地の風習に従ってはならない。また,わたしがあなた方を携え入れるカナンの地の風習に従ってもならない。彼らの法令によって歩んではならない。4 あなた方は,わたしの司法上の定めを実行し,わたしの法令を守ってそのうちを歩むように。わたしはあなた方の神エホバである。5 それであなた方はわたしの法令と司法上の定めとを守らねばならない。それを守り行なうなら,人はそれによって必ず生きるのである。わたしはエホバである。

6 「『あなた方は,すなわちあなた方のうちのだれも,自分の身近な肉親に近づいてその裸をさらしてはならない。わたしはエホバである。7 あなたの父の裸,また母の裸をさらしてはならない。それはあなたの母である。その裸をさらしてはならない。
8 「『あなたの父の妻の裸をさらしてはならない。それはあなたの父の裸である。
9 「『あなたの姉妹,すなわちあなたの父の娘あるいは母の娘の裸については,同じ家に生まれたにしても外で生まれたにしても,あなたはその裸をさらしてはならない。
10 「『あなたの息子の娘または娘の娘の裸については,あなたはその裸をさらしてはならない。それはあなたの裸だからである。
11 「『あなたの父の妻の娘,すなわちあなたの父の子の裸については,それはあなたの姉妹であるから,あなたはその裸をさらしてはならない。
12 「『あなたの父の姉妹の裸をさらしてはならない。それはあなたの父の血縁である。
13 「『あなたの母の姉妹の裸をさらしてはならない。それはあなたの母の血縁だからである。
14 「『あなたの父の兄弟の裸をさらしてはならない。その妻に近づいてはならない。それはあなたのおばなのである。
15 「『あなたの息子の嫁の裸をさらしてはならない。それはあなたの息子の妻である。その裸をさらしてはならない。
16 「『あなたの兄弟の妻の裸をさらしてはならない。それはあなたの兄弟の裸である。
17 「『女とその娘の裸を共にさらしてはならない。その息子の娘や娘の娘もめとってその裸をさらしてはならない。それらは血縁の関係である。それはみだらな行ないである。
18 「『また,女をその姉妹に加えて,それに張り合う者としてめとり,その裸をあらわにしてはならない。つまり,彼女の生きている間に彼女のほかに[これをめとってはならない]。
19 「『また,不浄である月経の期間中に女に近づいてその裸をさらしてはならない。
20 「『また,あなたの射精をあなたの仲間の者の妻に与え,それによって汚れた者となってはならない。
21 「『また,あなたの子のいずれかをモレクにささげるようなことを許してはならない。あなたの神の名をそのようにして汚してはならない。わたしはエホバである。
22 「『また,あなたは女と寝るようにして男と寝てはならない。それは忌むべきことである。
23 「『また,あなたは獣に対して射精し,それによって汚れた者となってはならない。女も獣の前に立ってこれと交接してはならない。それは自然に背くことである。

24 「『これらの事のいずれによってもあなた方の身を汚してはいけない。わたしがあなた方の前から去らせる諸国民はこれらのすべての事によってその身を汚したのである。25 そのためにその地は汚れており,わたしはそのとがのゆえにそれに処罰を加え,その地もそこに住む民を吐き出すのである。26 ゆえにあなた方は,わたしの法令と司法上の定めとを守らねばならない。あなた方は,その地に生まれた者もあなた方の中に外国人として住んでいる外人居留者も,これらすべての忌むべき事柄のどれを行なってもならない。27 あなた方より前にいたその地の人々が,これらすべての忌むべき事柄を行なったゆえに,その地は汚れているのである。28 そのようにすれば,その地は,あなた方より前にいた諸国民を必ず吐き出すとしても,それと同じようにこれを汚したことであなた方をも吐き出すということはないであろう。29 だれにせよこれらすべての忌むべき事柄のどれかを行なうならば,それを行なった魂はその民の中から断たれねばならない。30 ゆえにあなた方は,わたしに対する務めを守って,あなた方より前に行なわれていた忌むべき習慣のどれをも行なうことのないようにしなければならない。それによってあなた方の身を汚すことのないためである。わたしはあなた方の神エホバである』」。


列王第一 14:21-24
21 一方ソロモンの子レハベアムは,ユダで王になっていた。レハベアムは治めはじめたとき四十一歳で,エホバがご自分の名を置くためにイスラエルのすべての部族の中から選ばれた都,エルサレムで十七年治めた。そして彼の母の名はナアマといって,アンモン人の女であった。22 そして,ユダはエホバの目に悪いことを行ない続けたので,その父祖たちが自分たちの犯した罪によって行なったすべてのことに勝って[神]にねたみを起こさせた。23 そして彼らもまた,自分たちのために,すべての高い丘の上や,すべての生い茂った木の下に,高き所や聖柱や聖木を建て続けた。24 それに,この地には神殿男娼さえいた。彼らは,エホバがイスラエルの子らの前から追い払われた諸国民の,すべての忌むべきことをならって行なった

歴代 第二 28:3
3 そして彼は,ヒンノムの子の谷で犠牲の煙を立ち上らせ,エホバがイスラエルの子らの前から追い払われた諸国民の忌むべきことにならって,自分の子らを火で焼くようになった。

詩篇 106:34-38
34 彼らは,エホバが自分たちに[そう]言われたのに,
もろもろの民を滅ぼし尽くすことをしませんでした。
35 そして,諸国民と混じり合い,
彼らの業を学ぶようになりました。
36 また,その偶像に仕えつづけ,
それらは彼らにとってわなとなりました。
37 また,自分の息子や娘を
悪霊に犠牲としてささげてゆきました。
38 こうして,罪のない血を,
彼らの息子や娘の血を流しつづけました。
それらの者を彼らはカナンの偶像に犠牲としてささげたのです。
その地は流血で汚されることになりました。

エゼキエル 9:9-10
9 すると,その方はわたしに言われた,「イスラエルとユダの家のとがは甚だ大きく,この地は流血に満ちており,この都市はよこしまに満ちている。彼らは,『エホバはこの地を捨てた。エホバは見ていない』と言ったからである。10 それでわたしとしても,わたしの目は惜しみ見ず,わたしは同情を示さない。わたしは彼らの道を必ず彼らの頭にもたらす」。


わたしは、神の基準の正しさを疑う理由を持ち合わせません。
その義の基準にしたがってなされる裁きは公正で関係者すべての益となります。
邪悪な霊と、それによって導かれる人々が共に除かれるとき、そんれによって苦しめられる犠牲者はいなくなります。

現在、サタンの世はその悪のピークに向かって腐敗を促進させています。
そのために、多くの犠牲者の涙が流されています。
この状態は、キリストの帰還の「主の日」の裁きのときまで続くでしょう。

すべての真のクリスチャンは第一の復活と、み使いにより地の四方から天に集められて、キリストとともにその裁きの執行にあずかります。それは、サタンとサタンの胤の頭を砕くときとなり、すべての悪が裁かれて相応の報いを刈り取るでしょう。


それで、カナン人、及び背教のイスラエル人は普通の罪人でありません。
それを裁く者は人間ではありません。
それは、心と腎を調べる神のみが行なえる裁きです。
そして、その裁きを疑う正当な理由はありません。

創世記 18:32
32 最後に彼は言った,「どうかエホバがお怒りにならないで,いま一度だけお話しさせてくださいますように。もしそこに十人が見いだされるとしたら」。それに対してこう言われた。「その十人のゆえに,それを滅びに至らせることはしない」。

実際には、ソドムとゴモラには義人は、10人もいませんでした。
それで、エホバ神はみ使いを遣わしロトとその家族を救出されました。
その途中でロトの妻は命を失いました。

エホバ神の愛や義は変わりません。
それ故にわたしは神を賛美します。

ペテロ第二 2:
4 まさに神が,罪をおかしたみ使いたちを罰することを差し控えず,彼らをタルタロスに投げ込んで,裁きのために留め置かれた者として濃密な闇の坑に引き渡されたのであれば,5 また,古代の世を罰することを差し控えず,不敬虔な人々の世に大洪水をもたらした時に義の伝道者ノアをほかの七人と共に安全に守られた[のであれば],6 また,ソドムとゴモラの都市を灰に帰させて罪に定め,来たるべき事の型を不敬虔な者たちに示された[のであれば],7 また,無法な人々の放縦でみだらな行ないに大いに苦しんでいた義人ロトを救い出された[のであれば]—8 この義人は日々彼らの間に住んで見聞きする事柄により,その不法な行ないのゆえに,自分の義なる魂に堪えがたい苦痛を味わっていたのですが—9 当然エホバは,敬虔な専心を保つ人々をどのように試練から救い出すか,一方,不義の人々,10 わけても,肉を汚そうとの欲望を抱いてそれに従い,主たる者の地位を見下す者を,切り断つ目的で裁きの日のためにどのように留め置くかを知っておられるのです。



邪悪なカナン人の風習で育った人でも、個々の人はエホバ神の真の崇拝を受け入れることができました。
レハブは、娼婦でしたけれどエホバの崇拝者になりました。
ルツは、カナン人でしたけれどやはりエホバの崇拝者になりました。
この2人の婦人は、キリストの先祖となっています。

この例から分かるように、エホバ神は義を愛する人を決して無視なさいません。
神は義なる人をどのように救うかをご存知です。
それを疑う権利や妥当性はわたしたちにはありません。




次にヨブの間違い


苦しみの中でヨブは神の正しさを擁護し損ねました。
彼は苦しみが神からのものと見なして推論したため神を擁護できませんでした。

それで彼は神から正されることになりました。

ヨブ 40:6-8
6 そこでエホバは風あらしの中からヨブに答えて言われた,
7 「どうか,強健な人のように,あなたの腰に帯を締めるように。
わたしはあなたに尋ねるので,あなたはわたしに知らせよ。
8 実際,あなたはわたしの公正を無効にしようとするのか。
あなたは自分が正しい者とされるために,わたしを邪悪な者とするつもりか

神との会話の末にヨブは、神に対する正しい見方を得ることができました。

ヨブ 42: 1-6
1 そこでヨブはエホバに答えて言った,
2 「私はあなたがすべてのことをなし得ることを知りました。
あなたには達成し得ない考えはないことを。
3 『知識がないのに計り事を暗くしているこの人はだれか』。
それゆえ,私は語りましたが,理解していませんでした。
私の知らない,私にとって余りにもくすしいことを。
4 『どうか,聞くように。そうすれば,わたしが話すであろう。
わたしはあなたに尋ねるので,あなたはわたしに知らせよ』。
5 私はあなたのことをうわさで聞いていましたが,
今は,私のこの目があなたを確かに見ております。
6 それゆえに,私は撤回し,
塵と灰の中でまさしく悔い改めます」。


知識の限られた、また心や腎を調べることもできない単なるわたしたち人間が知識の全き方、心と腎を調べられる方を邪悪、残虐、暴力を好むと裁けるでしょうか。

そのようなことは、わたしにとって、全く考えられないことです。

それは、サタンとなった者の見方でしょう。
全能者の愛や善良さに疑いをもつことから始まり、その者は神を低め愛せなくなりました。
それは、その者の利己的な関心事の言い訳となったことでしょう。

それで、兄弟・姉妹たち、そのような神を低めるような浅薄な推論の犠牲となってはいけません。
わたしたちの天の父は決して邪悪な方ではありません。
その方の裁きは公正で愛と憐れみのうちに執行されます。


読んで頂きありがとうございました。

編集者 sk (2014年06月25日 17:31:04)

オフライン

#49 2013年01月02日 20:03:31

akame
ゲストユーザー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

エレミヤ25:33「その日、主に殺される人々は、地のこの果から、
かの果に及ぶ。彼らは悲しまれず、集められず、また葬られずに、
地のおもてに糞土となる。」




累々たる遺体をふとみると自分の親だったり自分の子供の一人かもしれません。

だれが殺されるかわかりません。人間からみて邪悪かどうか
決してわからない赤ちゃんでも殺されるのですから

近所でよく話していたおばちゃんかもしれません。

葬式どころか地の肥やしです。

その光景は決して忘れないことでしょう。

>その方の裁きは公正で愛と憐れみのうちに執行されます。

まったくそれを感じませんね。

恐怖政治以外のなにものでもありません。

これで本当に神への愛が強まり
皆で幸福に笑ってすごせるのでしょうか?

神の命令なら赤子だろうと妊婦だろうと
平然と殺せるSKさんなら笑ってすごせるかも
しれませんが、

私には無理です。

他の皆さんはいかがですか?

#50 2013年01月02日 20:27:55

sk
メンバー

Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)

ライオンと子牛のビデオがありました。


単独雌ライオンがオリックスの子を自分の子、または友として何日も連れ添った様子を見れます。
動物学者や研究者の解説によると単独雌ライオンは精神的な支えを子牛にもとめていたようだとのことです。
境遇の変化が脳のスイッチを切り替えたかのようだとのことです。
また、明らかに獲物としてその子牛を見ていないことが明らかだと述べています。

やがて、この子牛は別の雄ライオンに殺されてしまいます。
しかし、その場にいたこの雌ライオンはあたかもその子牛が自分の子でもあるかのような振る舞いをしその喪失を悲しみました。

とはいえ、その子牛がいなくなったため、この雌ライオンは再びインパラを獲物として襲って食べています。
獲物と友達を識別していると思われると解説されています。

驚いたことに、この雌ライオンは、再び別の子牛を、先の子牛と同じように友として連れ添うようなりました。

それで、解説者の婦人が認めているように神が組み込まれた何かの存在を意識させられます。
聖書が教えるように、肉食動物 (predator) は本来はそうではなかったことの証拠の一つとしてみることができます。


編集者 sk (2014年11月03日 12:36:10)

オフライン

クィック投稿

メッセージを書いて送信してください。

Board footer