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#501 2019年05月01日 15:38:26

仰天
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

シセイ さんの発言:

イエスは光と闇の部分があった。
異邦人の女が衣の裾を触ったときに「異邦人にくれてやる力はない」と叱ってみせ、信仰心を示せば寛容さを見せ許す。


まず、イエスは叱ってはおらず、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
と言われました。
多分、この話と混ざってるのかもしれません。

「イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。
しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。
イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」

そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。」


ここでは、まずイエスはイスラエルのために来られた事を述べていますが、異邦人の救いに無関心なわけではありません。
次の箇所で異邦人にも救いがある事が分かります。

異邦人クリスチャンについて「ほかの羊」として述べています。
この、「ほかの羊」とは、エホバの証人が言うような地的クラスの者ではありません。


ヨハネ10:16
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。 」

神からの救いに天的級や地的級などの二段階の差別的なクラス分けはありません。

ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンについて述べているのです。


シセイ さんの発言:

イエスはロバに乗って、エルサレムの南門から入っていったがゼカリヤ書ゼカリヤ書(口語訳) - Wikisourceによれば

「主は言われる、シオンの娘よ、喜び歌え。わたしが来て、あなたの中に住むからである。
その日には、多くの国民が主に連なって、わたしの民となる。わたしはあなたの中に住む。」
「シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る」「わたしは羊の商人のために、ほふらるべき羊の群れの牧者となった。わたしは二本のつえを取り、その一本を恵みと名づけ、一本を結びと名づけて、その羊を牧した。
わたしは一か月に牧者三人を滅ぼした。わたしは彼らに、がまんしきれなくなったが、彼らもまた、わたしを忌みきらった。」
主はわたしに言われた、「彼らによって、わたしが値積られたその尊い価を、宮のさいせん箱に投げ入れよ」。わたしは銀三十シケルを取って、これを主の宮のさいせん箱に投げ入れた。

これらを見るとロバに乗るのは神であり、イエスではないと読み取れる。また、ロバとは頑固で愚かなイスラエルもしくは偶像崇拝を止めなかったエフライム国家を指すと思われる。したがって、イエスは神ではなく、イエスを神のように崇めてはいけない。イエスを神格化するから苦しむのだ。



わたしは来てあなた方の中に住むと言われているように、神が人々の間に住まわれる事から、インマヌエル預言とも調和しています。

ロバに乗るのは神であり、イエスが乗ったのですからイエスは神として示されていると言えます。

インマヌエル(神は私たちと共におられる)、そうです、イエスは私たちと共におられる神という事なのです。


シセイ さんの発言:

わたしが値積られたその尊い価を、宮のさいせん箱に投げ入れよ」。わたしは銀三十シケルを取って、この主の宮のさいせん箱に投げ入れたという部分は「イエスを通して預言が成就された」と読むべきで、主=イエスではない。


旧約で値積もられたのは神(YHWH)であり、新約で値積もられたのは神イエス(YHWH)です。


ゼカリヤ書/ 12章 10節
わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、※ 彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。


旧約ではヤハウェが刺し貫かれましたが、イエスも十字架で刺し貫かれました。

また、ヤハウェはオリーブ山に立たれるとありますが、実際にオリーブ山に立ったのはイエスです。


ゼカリヤ14:4

その日、主(YHWH)は御足をもってエルサレムの東にあるオリーブ山の上に立たれる。


使徒 1:8-12

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。

イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、 言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

使徒たちは、※『「オリーブ畑」と呼ばれる山』からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。






シセイ さんの発言:

しかしイエスは神のみを信じなさいと言ったその口で自らを神とした。驚くこともない。なぜなら、言葉は神とともにある。光の発光源が神ならば、闇は常にともにいたはずだからだ。闇がなくてどうして光を光と認識できようか!




ご自分を低くして地上に来られた人間としてのイエスが地上で求めたのが父なる神でした。

イエスは神の身分であられましたが、謙り、謙遜にご自分を低くして地上に人間として来られ、その、人間としての立場から、仕える手本として父なる神に従いました。


また、言葉は神です。闇がなければ光が存在できないのは、物質世界だけの事であり、神が光だというのは例えです。
神は光であり、神には闇が全くないということは、神は善であり悪の部分は全くないという事です。神は聖なる方です。

神は羽をもってあなたを覆い翼の下にかばってくださると、鳥のようにも書かれ、主は岩、また焼き尽くす火、主は羊飼いとも書かれています。
これらも例えです。


神は光なので、御子も光です。イエスは言われました。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)

「神は光であって、神のうちには暗い所が少しもない。」とあります。(第一ヨハネ1:5)

シセイ さんの発言:

(新約聖書の筆記者(ルカ、パウロ、その他)」)」によってイスラエルから異邦人に神の祝福を移動させるという事が行われたのである。彼らはネブカドネザルの7年の記録からそう捉えたのかもしれない。異邦人に移動させる際に「新たな神と秩序」を創り出す必要があり、それが現在のカトリックの創立に役立ったと考える。


アブラハムの時代から既に、アブラハムに対し、

「あなたによってすべての国民が祝福される」と述べられています。

異邦人への祝福ですね。

シセイ さんの発言:

旧約聖書は一つ美点がある。それは大量虐殺の歴史を隠さなかったという点である。多くの国が忌まわしい過去を隠蔽する。
それを堂々とさらしている点は評価できる。


そうですね。一般に、旧約の神は残虐で新約の神は愛であると言われますが、最後の審判の日には新約でも裁きが行われます。


シセイ さんの発言:

追記:お気づきだろうか。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。
義であって勝利を得(勇敢)、柔和であって、ロバに乗る(勤勉を愛する)
もしかしてYHWH神の名を隠喩しているのでは
今日気づいたのだが・・・



イエスの名の意味を考えてみましょう。

「主は救い」、「ヤハウェは救い」です。

イエスは救い主です。

神以外に救い主はおられません。

イエスは主(YHWH)なのです。

これで、新約時代の私たちが呼び求めるべき神の真名が分かりましたね。(^_^)

クリスチャンは、キリスト者、キリストの証人なのです。

#502 2019年05月01日 16:23:02

シセイ
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

仰天さん、私のブログから引用されたのですか?掲示板に書いてない部分が
あったので・・・これはちと照れますな・・・ただ他の人は何のこっちゃと
思うかも。できればブログの方にコメントくださればうれしいです。
おや、と思って探しました。でもこの掲示板に書いた記憶がないので。

#503 2019年05月01日 16:29:13

仰天
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

シセイさん、こんにちは。^_^

ここでは部分的にしか書いてなかったので、詳しいブログのほうから持って来ました(笑)

じゃあ、エリヤについての記事への意見もここには書かないほうがいいですね。

#504 2019年05月01日 16:44:22

シセイ
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

その方がいいと思います。他の人はどこからの引用か分からないと思うので。
私もあれ?書いたっけ?と思って探しました。
仰天さんのイエス愛は分かりました。私のは私の意見です。だから多分、レスバには
ならないと思います。基本反論しないので・・・歯ごたえなくて物足りないと思われる
と思いますがakameさん見習ってレッツらGo ε=ε=ε=\(><)/  タジケテ~!!

#505 2019年05月01日 17:56:10

仰天
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

確かに、私はイエスの愛に魅力を感じます。

パウロの説く愛もいいですが(≧∀≦)

コリントの信徒への手紙 13章 ~ 愛のむきだし - YouTube
https://m.youtube.com/watch?v=EE5f9xUEqvE



てつてつさんは満島ひかるのパンチラにしか興味がないでしょうけど(笑)

upskirt! パンチラ格闘 満島ひかる 愛のむきだし - YouTube
https://m.youtube.com/watch?v=-RCF8ZXBrD4

#506 2019年05月01日 19:42:25

仰天
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

満島ひかりでした(笑)

いい演技してます。

#507 2019年05月02日 18:30:14

シセイ
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

Wikisourseより

ヘブライ人への手紙
12:2
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。

ヨハネの福音書

2:13
さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。

2:14
そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、

2:15
なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、

2:16
はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。

3:35
父は御子を愛して、万物をその手にお与えになった

4:21
イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。

4:22
あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからである。

4:23
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。

4:24
神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。

イエスも父なる神を拝むよう訴えていました。しかしその後認識に歪みが出て、いつしかキリストの名の下に
「魔女裁判」が行われ、古代フェニキアと何ら変わらないおぞましいことが行われてしまいました。そしてその後
もカルトが生まれ、そして父の家で商売する輩であるJWも出て来ました。だから、こういった部分にメスを入れ
なぜこういう事が起きるのか、光を当て、盲目的にならず検証することは「神学者」にとって重要なことでしょう。

私は神学者を名乗ったわけではありませんが、ゆっくり調べていこうかなと思っています。聖書は言い回しの関係で
翻訳でも意訳過ぎることが行われ、また誤解される部分が大きいと思います。

#508 2019年05月02日 18:35:45

仰天
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

独り言です。


マタイによる福音書/ 07章 21–23節

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。
かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。

そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」

#509 2019年05月02日 18:36:27

シセイ
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

キリストが「父よなぜお見捨てになられたのですか」と磔になった時に発した言葉を
無にする行為ですね。

#510 2019年05月02日 18:39:24

仰天
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

ルカ23:33〜34

#511 2019年05月02日 18:43:01

シセイ
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

イエスはやはり父の家の戸を閉める者のようです。今はそれでいいのでしょう。魔女裁判を行うような
者は「決して悟らないでしょう」。せめてイエスの磔上での言葉の意味ぐらい汲んでも良いと思います。
子は父の言いつけを守って戸を閉じたのですから。鍵をペテロに渡して。

#512 2019年05月02日 18:46:09

仰天
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

イザヤ書/ 22章 22節
わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く。彼が開けば、閉じる者はなく、彼が閉じれば、開く者はないであろう。


マタイによる福音書/ 16章 19節
わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

#513 2019年05月02日 19:23:37

仰天
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

ヨハネ 5:23

すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。※ 子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。

5:24

はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。


5:39、40

あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。

それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。




聖書はエホバについて証しするものですか?
イエスについて証しするものですか?

#514 2019年05月02日 19:30:13

シセイ
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

私が心配しなくても、ペテロさんがイエスの忠実な奴隷として、父の家を守ってるイエスのために鍵を開け閉めするでしょう。誰か戸を閉じる者がいれば良いのだがと嘆いている父のためにイエスが戸を閉め、家の中で父に仕え、自分の僕に主人の息子として鍵を渡すという話はつじつまが合っていて素晴らしいと個人的に解釈しています。聖書は簡潔でありながら壮大なストーリーで、世界で一番売れているベストセラーになるべくしてなったと思います。
また、日本はやっぱりいいなと思います。信仰の自由があり、思考する権利を保障されていることによって、現在は魔女裁判が行われていないことは奇跡的なことです。最近こそ、カトリックの法王も他の宗教と対談するようになり、柔軟になってきましたが。
人間にはそれぞれに知能があるので、自分の考えで日蓮宗やカトリックの魔女裁判のように、他人を実際に害さない限りOKだろうと思います。カルトに走る人の恐いところは実際に他人に危害を加えるところです。

光と闇に関する認識については、人の脳の機能の問題が関わってくるので、これはこれから科学的な研究などで明らかになってくるでしょう。

とりあえずいつか人は死ぬのですから否応なしに分かる話です。それまではじっくり聖書を楽しむことにします。
せっかくカルトから離れたのですから。

#515 2019年05月02日 19:42:48

iris
メンバー

Re: 根元的疑問諸々

ヨハネの黙示録3章20節
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。

とびらの外にはキリスト
心を開いて 神のことばと愛とを受けよう
キリストは今もたたく 心のとびらを
(典礼聖歌)

キリストを受け入れるかどうかは自由です。
選ぶのは、あなた。

オフライン

#516 2019年05月02日 19:50:41

シセイ
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

投稿のずれでちょっと噛み合ってないですね。そもそもエホバという名前ではないので
何ですが。
個人的に思っていることですよ。
旧約聖書 → 選民に預言者を通して直接語りかける様式
契約破棄
新約聖書 → イエスを通し新契約を結んだ
しかしこの新契約を締結するときにローマカトリックによって何か改変されたと思うので
ルカを著作物だけでなく歴史的に検証することによって分かることもあるのではと思います。
でもルカは情報が少ないんですよ。
聖書は、誰かに読ませるために書かれたと思います。ストーリー構成が素晴らしい。
そこで伝えようとするメッセージを読み取ることが大切だと思います。メッセージを読み取る事に
よって知能が与えられた人間はおのずと行動するでしょう。
それが神の目的であると思います。自由があるので色々エラーしますが・・・
そこは脳の機能と量子物理学的な話になって来るので難しい問題ですが

#517 2019年05月02日 22:01:13

akame
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

シセイさん

そもそも聖書にしろ、宗教的教義にしろ、客観的検証は困難です。知力が限定された人間には、本当のことは分からないです。

下手に「科学的、客観的証拠がある」など主張すれば、証明責任が生じますが、

あくまでも(いくつかの仮定上にある)信仰ですから、色々考察して良いと思います。

#518 2019年05月02日 22:39:56

シセイ
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

akame さんの発言:

シセイさん

そもそも聖書にしろ、宗教的教義にしろ、客観的検証は困難です。知力が限定された人間には、本当のことは分からないです。

下手に「科学的、客観的証拠がある」など主張すれば、証明責任が生じますが、

あくまでも(いくつかの仮定上にある)信仰ですから、色々考察して良いと思います。

京大の、ある教授もブログで同じような感じで書かれていました。「無限の情報」を限られたPDFという媒体で書き尽くすことは可能なのかという内容だったような。ひとつ解決すればまた別の問題が生じる追いかけっこです。限られたサイズの脳みそで宇宙の全てが分かるのなら、人間ひとりひとりに知能はいらなかったのではないかと思いますし、神という存在に対し、色々な角度から見る自由と能力が人間にはあると思います。それでも全てが分かるかというとそれもまた疑問です。

とりあえずゴールデンウィーク中、ずっと雨にならなくて良かったです。どこか行かれましたか?
今、京都の東寺で珍しいものが一般公開されてるそうです。何だったか忘れました。((・∀・)

#519 2019年05月03日 06:47:00

akame
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

専ら孫たちと庭遊びです。
特別公開は写真だけ観てます。^^;

#520 2019年05月03日 07:11:12

akame
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

>神?という存在に

究極においてはわからないのですが、

理論や観念的な世界観が吹っ飛ぶような、内面的につながる瞬間はあるように思います。命がけのときなど...

#521 2019年05月03日 22:24:18

三太郎
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

前回の続きです。

旧石器時代から新石器時代初期の代表的な埋葬遺跡になります。

●現生人類のものと見られる埋葬跡。

【10万年前】
現生人類のもっとも古い儀式的埋葬はイスラエルのカフゼーから見つかっている。母と子と見られる二人が共に埋葬されている。骨はベンガラで着色されている。解剖学的な現生人類は10万年以上前にアフリカから中東に移住したと考えられている。しかし彼らの記録はまもなく途絶える。従って研究者は彼らが全滅したか、アフリカに戻ったと考えている。
(wikiより抜粋)

【7万5000年前】
南アフリカのブロンボス洞窟。埋葬ではないが、大きさが完璧に揃った貝殻ビーズ、幾何学紋様が刻まれたオーカー(粘土状物質)が見つかっている。
http://www.nikkei-science.com/page/maga … olism.html

【4~3万年前】
オーストラリアのウィランドラ湖群地域。世界遺産。アボリジニーによる石器・貝塚、人類最古の火葬場などが見つかっている。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/seiyousi/b … Lakes.html

【1万3000年前】
アメリカのモンタナ州西部アンジック。北米最古の埋葬。約1歳〜1歳半の男児。同じ地点から出土した数十個の石器は黄土が塗られており、クロービスの技術と一致。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8899/

【1万1600年前】
イスラエル北部カルメル山の洞窟。墓地に花を飾った最古の例。花で飾られた墓に2遺体が埋葬。成人男性と性別不明の若者。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8124/

●現生人類以外では次のような埋葬跡?も見つかっています。

【40~20万年前】
スペインのアタプエルカ遺跡。ネアンデルタール人の直接の祖先にあたるホモ・ハイデルベルゲンシス。洞窟の穴の中から32人分以上の人骨が発見されている。

【13万年前】
クロアチアのクラピナ遺跡。ネアンデルタール人が埋葬を行っていたと見られる。

※ネアンデルタール人の埋葬については、真っ向からの強い反論が多い。

http://c14.um.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/wik … ri%252Epdf

●日本において

・日本国内最古の人骨とされるのが、沖縄県山下町第一洞穴遺跡の山下洞人。(約3万2000年前とされるが信頼性は低い)
・沖縄県石垣市の白保竿根田原洞穴の人骨。全身骨格がほぼ残ったものとしては国内最古。約2万7千年前。風葬の可能性あり。
https://web.archive.org/web/20170519082 … 98755.html
・信頼性の高い最古の埋葬人骨は、約8300年前の群馬県長野原町の居家以(いやい)岩陰遺跡。
https://yamba-net.org/22915/
・沖縄県島尻郡具志頭村港川で発見された港川人の人骨が、約20000~22000年前。(埋葬かどうかは不明)
・静岡県浜北市で発見された浜北人の人骨が、約1万4000年~1万8000年前。(埋葬かどうかは不明)

その他にもありますが、この時代の埋葬遺跡については色々と調べていく過程において、学者の思い入れが少なからず見え隠れします。旧石器時代の埋葬遺跡は年代測定以前に、それが本当に埋葬跡なのか、本当に副葬品なのかという論点もあります。更に宗教性が確認できても、信仰の実態まで知ることは現状では不可能、今後もおそらく無理でしょう。

象徴文化は、およそ10万年前にスイッチが入り、7~5万年前には宗教性が見られるようになった、というのが大方の見方のようです。

学説には定説と通説があり、定説とは一般に認められ確定的であるとされている説。通説とは世間に広く通用している説。しかし、旧石器時代などの先史時代における定説は、確定的であるとしながらも、新しい発見によって簡単に覆されてしまうことが多々あります。有史時代についても、歴史の教科書が改定されることは決して珍しい事ではありません。私的には、先史時代の定説は事実上、通説と同義という認識です。

相対的に年代測定の精度は向上しているようです。
近年の年代測定は、放射性炭素年代測定(C14法)が主軸で、その誤差を年輪年代法の標準年輪曲線(約1万年分)や氷床・湖沼の年縞堆積物の標準曲線などによって較正します。湖沼の年縞堆積物では、日本の水月湖の較正曲線が標準曲線(約7万年分)として採用されています。また最近では、ESR年代測定法(電子スピン共鳴吸収法)、ルミネッセンス年代測定法という測定法もあります。

水月湖
http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/shizen/ … bookJp.pdf

ESR年代測定法
https://www.jeol.co.jp/applications/detail/1259.html

ルミネッセンス年代測定法
https://atomica.jaea.go.jp/data/detail/ … 01-39.html


一方、洞窟壁画からは一歩踏み込んだ宗教性が見えてきます。


次回に続く。参考程度に読み流してください。次もいつになるかわかりません。ではまた。
(^^)/~

#522 2019年05月05日 22:48:57

めぐママ
メンバー

Re: 根元的疑問諸々

三太郎さん

詳しく調べてくださり ありがとうございます。
ちょうど今日 ダヴィンチコードの続編 正確には 時系列では 最初の話 の「天使と悪魔」という映画を見て 例のごとく 一度では理解不能なので
録画しています。  鏡文字とか 記号  の専門家である博士が難題を解決するお話です。
身内が グラフィックデザイナーで  会社のロゴのデザインとか  いろんな 事やっていた関係で マーケティングとか 人に及ぼす 視覚的な影響 みたいなこと  世の中 おかしな事で 動いてるんだと思っていたのです。
昔からなんですね。
脳科学者の中野信子さんは 五感の中でも ダイレクトに脳に働きかけるのは嗅覚 香りだと言われます。  でも 長期間の保存はできないです。昔から 画像なら 保存することが出来るとわかっていたのですよね。

オフライン

#523 2019年05月05日 23:20:56

シセイ
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

三太郎さん、楽しみにしています。

#524 2019年05月06日 17:26:45

三太郎
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

一泊二日の野営から無事生還しました。薪が湿っていて焚火に悪戦苦闘。夜は焚火しながら、闇の中で酒飲んで幽霊来るの待ってたんですが、来ませんでしたね。一緒に飲みたかったのに残念。幽霊にも嫌われたみたい。星が綺麗でしたよ。鳥だと思うのですが、ホーと鳴くと、違うトーンでホーと返していました。何かのコミュニケーションなのでしょうか。夜中にテントの近くをイノシシが歩いていたようです。(ランタン点けっぱなしにすると獣除け効果あり)
朝は新緑の風が心地よかったです。携帯の電波届かないのでラジオだけ。虫が出ない今の時期はいいですね。


前回の続きです。


5~3万年以上前に人類に訪れた進化上の大変化を「象徴化革命」といいます。それは洞窟壁画によって一気に開花しました。

直近では、2018年2月の米科学誌サイエンス電子版で、スペインのラパシエガの洞窟壁画が約6万5千年以上前に描かれた世界最古のものであると発表されました。古い洞窟壁画の多くはヨーロッパから見つかっていますが、2018年11月の英科学誌Natureでは、インドネシア・カリマンタン島の洞窟の動物壁画が少なくとも、4万年前に描かれたものであるという論文を発表し、洞窟壁画は欧州から出現したものという従来の考えに一石を投じています。

人類の歴史における象徴化と年代の関係は、当面は約10万年前に象徴化が始まり、約5万年前に象徴化革命が起きたという認識でいいと思います。

ここで少し話がそれるのですが、先史時代について考察するときに、いつも不思議に思うことがあります。

それは、我々と全く同じ身体構造を持った人間が、なぜ何万年も同じ行動パターンを繰り返してきたのだろうかということです。

例えば、ある石器ができると何の技術革新もないまま、それが数万年という長い間使用される。次に革新的な石器ができると、それがまた同じように長い間使用されるという繰り返し。つまり、次の変化に要する時間が長すぎて、あまりにも退屈過ぎる時間が流れているように見えます。

有史時代は、文字の使用と農業・牧畜の開始によって幕を上げました。そして金属(青銅・鉄)の使用によって生産性と利便性が飛躍的に向上しました。しかし、そこに辿り着くまで20万年近い時間を要しているわけで、いくらなんでも時間がかかり過ぎではないかということです。

現生人類20万年の歴史において、1万年という期間は誤差の範囲になるかと思いますが、中東やエジプトの文字文化を有史時代の起点とするとまだ5000年程しか経過しておらず、日本が最初の元号である大化を使い始めてから、1400年も経っていません。この間の人類の進歩は誰もが知るところだと思います。これを考えると、たかが1万年、されど1万年です。

この気の遠くなるような遅い歩みの要因としては、人口の少なさ、平均寿命の短さ、移動生活、氷河期などによる環境変動が考えられますが、どうもそのような物理的要因だけではなさそうです。

先史時代の人類生態研究の対象として、必ずと言っていいほど登場する現代の民族がいます。南部アフリカのカラハリ砂漠に住む狩猟採集民族サン人(クン族)は、人類最初期に分岐した系統の遺伝的要素(Y染色体ハプログループA系統)をアフリカでも最も多く持つ民族で、「世界最古の人類」と呼ばれています。(かつて「ブッシュマン」というサン人をテーマにした映画があった。俗称のため現在はコイサンマンと呼ばれている)

『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか (角川文庫)』(NHKスペシャル取材班著)という本に興味深いことが書かれているようです。
(まだ読んでいません。図書館で見つけたので借りる予定)


以下、この本の紹介ブログから一部要約して引用。
https://rekishinosekai.hatenablog.com/e … tekikoudou

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南アフリカのブロンボス洞窟(7万5千年前の層)から発見された彫刻された骨やビーズは、単なる装飾品ではなく象徴的な意味があったとし、取材班はその裏付けを、サン人の首飾りに関する慣習に求めた。

取材班は現地に赴き、9本もの首飾りをしているサン人の女性に話を聞いた。

女性はこのように語る。

「祖先がずっと交換し続けてきたから私たちも交換するのです...首飾りをたくさんしていない人は、交友関係が少ない人です。私のようにたくさんしている人は、交友関係が多いのです。困ったときに助けてくれる人が多いのです」

サン人研究の世界的権威、トロント大学名誉教授のリチャード・リー博士はこの首飾りを親族関係の証とほかの種族との絆を表しているとして、次のように解説した。

「少なくとも200キロメートルの距離までは友人を見つけるようです。重要な点は、一つの地域で飢饉が起きても別の地域に十分な降水があれば、豊かな食料が期待できるということです。その地域にいる贈り物を交換した相手を訪れると、食物を得られるという仕組みです。」

取材班はブロンボズ洞窟研究者のヘンシルウッド博士に問い合わせ、サン人の首飾りとブロンボス洞窟のビーズは同じような役割を持っていたという回答を引き出した。

そして取材班はこの首飾りに託された心を「分かち合う心」と名付けた。

取材班は、人間以外の動物でもやっている「分かち合い(互恵的利他主義)」とホモ・サピエンス特有の「分かち合う心」の違いをつきとめるために、今度は京都大学霊長類研究所を訪れ、研究員から次のような説明を受けた。

「チンパンジーの場合、明らかに私たちと違うところがあって、いま目の前にある、この世界に生きているという制約が強いのです。瞬間記憶もその生き方のために必要な能力です。だから、チンパンジーはいま目の前にあるこの世界のことについては、共感を持つことはできると思うんです。しかし、目の前にないものについて共感するのは難しいと思います。たとえば、広島、長崎、沖縄のような悲劇に遭った人びとに思いをはせることは、人間でなければできません」

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首飾りに象徴された「分かち合う心」または「互恵的利他主義」は、それを利用した方が生存には有利であったと考えられます。

「互恵的利他主義を明確な形で示したのはロバート・トリヴァーズ(Robert Trivers)であった(Trivers 1971)。利他行動をとった個体が大きなコストを一時的に負担したとしても、将来自分が困った状況に陥った場合に受益者から利益を得ることができれば、結局は自分にとって得になる。このような行動は短期的には個体にとってコストになっているものの、長期的に見れば利益になるため、自然選択で生き残ることができる。」

https://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/jss/pdf/j … 023048.pdf より引用

人間は「互恵的利他主義」の原理に気が付くまで、どうしても長い年月をかけるしかなかったのか、あるいは何万年も「分かち合い」の慣習を積み重ねることによって、ある時一気に象徴化の花が開いたのか、それを知る由はありませんが、互恵的利他主義が象徴能力の獲得と人間らしさの発現に大きく関与しているのは間違いないと思われます。そこには見返りを求めない一段上の「利他主義」も実際にはあったのかもしれません。

人間の身体的進化は収束の段階にあるようです。数万年後、人間にどのような変化が待っているかは想像もつきませんが、おそらく過去の「象徴化革命」のような、内面的な大革命が待っているような気がします。それは更に人間の心の目がひらくような大変化かもしれません。人間は未だ宇宙の摂理に沿った人間らしさを発現しておらず、そのギャップは今日でも埋まっていないような気がします。



疲れたのでここまでです。
遠回りになってしまいましたが、次は洞窟壁画に見られる宗教性(シャーマニズム)とあまり知られていないシャーマンの実態に踏み込んでみたいと思います。


次回に続く。この先長くなりそうなので暇つぶしに読んでください。
ではまた。(^^♪

#525 2019年05月06日 21:06:01

シセイ
ゲストユーザー

Re: 根元的疑問諸々

三太郎さん、一人でソロキャンプですか。

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