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#151 2019年06月07日 21:10:38

めぐママ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

サムソン  って

そういえば  これを聴いて歌詞の意味を味わうなら 悩殺されます。

「あなたの声に わたしの心はひらく」

後半 デリラが  サムソン  サムソン  と ・・・

エリナ ガランチヤ  がオススメです。


クマのプーさん   も強いけど。  ダメ?

オフライン

#152 2019年06月07日 21:37:44

iris
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

さやか666 さんの発言:

ちなみに正解者がいたら

「蜂蜜だと?なに正解してんだよ!ぶっ殺すぞてめえ」と言うつもりでした

正解すると怒られるチコちゃん劇場
ちなみに残念ながら漢字クイズも得意です

聖書通読しているみなさん正解には気を付けましょう

オフライン

#153 2019年06月08日 00:04:35

めぐママ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

うーむ    次の  なぞなぞ

どうぞ
記憶力テスト  でもいいです。

今度こそ。

オフライン

#154 2019年06月08日 02:21:03

シセイ
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

もしよろしければ、こちらのトピにも遊びに来てね。勧誘って良かったんだっけ・・・・?

#155 2019年06月08日 11:59:16

ほい
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

仰天 さんの発言:

ほいさんとの議論ですが、結局は信仰の問題であり、神がテロリストであるとかカルトだという考えも、神が裁き主であられ、最善に物事を扱われるという事への信仰の欠如からきているとしか言いようがありません。

全ての人間は生まれた時から罪人であり、いつでも裁かれても仕方のない存在(赤子も含め)だというのがキリスト教の考えなのですから、それを受け入れられないのなら信仰を棄てるなり、他の宗教に行くなり、無神論を信じる者となるしかないでしょう。

私は神の存在を否定していません。むしろ、神がおられるなら、その方がテロリストだとかカルトだとか考えたくありませんし、その方のことをもっと正確に知りたいと願っています。
また、私は聖書の価値を否定するつもりもありません。聖書は確かに人類史において際立った存在で、多くの面で人類に大きな影響を与えてきた本だと思っています。

ただ、私が問題視しているのは、聖書の原理主義的解釈です。エホバの証人の多くの問題も、聖句の原理主義的解釈に起因しています。

旧約聖書と新約聖書の背後にある精神の明らかな矛盾から考えて、聖書は、人類による神の探求の歴史とその成長が書かれた書物と考える方がまだ自然ではないでしょうか。あくまでも可能性の一例ですが、少なくともこう考えると聖書の矛盾は大きな問題ではなくなります。
当初は自民族の事だけを考えており、異民族は駆逐する対象だったわけですから戦の神、残虐性を持つほど力強い神が求められていたのかもしれません。
しかし、人類社会の成長と共に道徳面でより洗練されてゆき、イエスの時代になって最終的に神は愛だという結論に至るわけです。
ですので、カトリックにしろプロテスタント系にしろ、今日の主流派の協会は、新約における愛に焦点を当てており、旧約をそこまで精力的に解釈しようとはしていないのではないでしょうか(私はキリスト教派に詳しいわけではないので違っているかもしれませんが)。

ここまで長い時をかけてようやくこの結論に至ったのに、原理主義に後戻りし、旧約にある神の残虐行為も史実であり正当な裁きだったと考える方が、私には神への冒涜のように感じます。
律法が人の罪を強調していたのとは違い、新約が強調したのは贖いによる救いです。
それなのに、また人間は罪人だと罪悪感を植え込んで、いつ裁かれても仕方がない存在だ、これを受け入れなければ救いはないなどという視点で聖書を説くなら、それはカルト性があると言っています。

仰天 さんの発言:

仏教トピックでも最初から書いてきましたが、この世には証明された宗教というものは何もありません。

各自がそれぞれ信じたいものを選んで信じているのです。
ですから、信じない人々と議論してもいつまでも平行線であると思います。

私はもう、ほいさんとは十分に話したと思いますので、これ以上、特に何か話す必要もないと思います。

信仰に関する部分で、相手を論破しようとする議論は平行線で不毛だという意見には同意します。


仰天 さんの発言:

ほい さんの発言:

ちなみに、私からも一応確認しておきたいのですが、仰天さんは、元証人さんやキメラさんとは別人ということで間違いないでしょうか?
また、別人であったとして、過去の元証人さんやキメラさんの書き込みについてどう思われますか?
賛同されますか?それとも異なる意見でしょうか?

匿名の掲示板において、あなたは◯◯さん? という事はあまり意味のない事のように思います。私も他の掲示板で同じような文章を書く人がいて、同一人物かと思っていましたが、後に全くの別人だという事が分かった事があります。結論から言うと別人です。
元証人さんという人はいろんな投稿をしておられるようですから全ては読んでいませんので、簡単に賛同かどうかは言えませんし、私は特定の誰かに全て賛同というような事はありません。

しかし、同じ本から引用されており、その信仰の点では同意する部分はあります。

了解です。仰天さんが別人だと言われるなら、この点はこれ以上持ち出しません。

正直なところ、私としては、たとえ仰天さんが元証人さん(キメラさん)であっても、そのこと自体を批判するつもりはありませんでした。
人の考えは変わるものですし、知識は蓄積されていくものです。
もし元証人さんが、当時とは考え方の一部が変わっており、新たな視点で議論されるというのであれば、私は全然問題ないと思います。

ただ、同一人物であろうとなかろうと、過去においてさんざん議論されたのにも関わらず、特に新鮮味のない同じ話をまた蒸し返すとするなら、「もううんざりだ」と感じる人がいるのはよく分かりますし、もう議論の余地はないとしてトピックを隔離する管理人の処置も妥当なものだと私は考えます。



この掲示板におられる方々の多くは、聖書が嫌いなわけではなく、カルトに辟易しているのではないでしょうか。
そして、これまでも書いてきたように、主に旧約における神の描写はカルト的要素を含んでおり(これは十字軍などの歴史が証明しています)、原理主義はそれをそのまま受け入れるわけですから当然カルト色が強くなります。
それで皆さん注意しておられるのだと思いますよ。

同じ聖書を信じている人でも、皆が原理主義的に解釈しているわけではないでしょうし、むしろそういう人は現代では少数派ではないかと思います。

#156 2019年06月09日 03:25:04

シセイ
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

ほいさんのお考えと私の真意は一部被っているかもしれません。

#157 2019年06月09日 08:55:13

モトシモベ
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

>>ほいさん

おはようございます。

ほい さんの発言:

ただ、私が問題視しているのは、聖書の原理主義的解釈です。エホバの証人の多くの問題も、聖句の原理主義的解釈に起因しています。
(中略)
この掲示板におられる方々の多くは、聖書が嫌いなわけではなく、カルトに辟易しているのではないでしょうか。
そして、これまでも書いてきたように、主に旧約における神の描写はカルト的要素を含んでおり(これは十字軍などの歴史が証明しています)、原理主義はそれをそのまま受け入れるわけですから当然カルト色が強くなります。
それで皆さん注意しておられるのだと思いますよ。

ほいさんが指摘されるように、JWという悪質カルトに搾取された経験を持つ我々は、カルトの臭いに敏感です。
ゆえに「ほんの少しでもカルトの臭いがするもの」は、反射的に回避しようとする本能が働くのでしょう。

かの紀藤正樹弁護士は、カルト宗教は以下4つの特徴によって定義づけられると説明しています((株)アスコム、「カルト宗教」より)
①対社会妨害攻撃型
②資金獲得型
③家族破壊型
④信者・構成員収奪型

これらの要素を落とし込んで考慮すると、旧約聖書の信仰って、そのまんまカルトです。
従って人が完全原理主義的に聖書の教えを当てはめようとすると、終着点においてカルト性を帯びてしまうのは当然の帰結だと思います。

加えてキリスト教の神さまは、内部に大きな自己矛盾を抱えています。
どれほどキリストがアガペ愛を説いても、すべてをぶち壊している旧約聖書の神さまの言動を正当化できるものではありません。
わたしから見れば、そういった自己矛盾の説明を「神聖な奥義」のように神秘的なヴェールや、学術的に難解な見解で覆い隠しているのが現代のキリスト教です。
そして原理主義的キリスト教はその最たる、胡乱なモノです。

キリスト教そのものが内包するカルト性と、それを覆い隠そうとする神秘的説明の相乗効果は時として、非常に甘美なモノとして目に映ります。
(たとえばゆりさんのように)カルト耐性が少なくて真理の探究を望む純粋な人間が、カルト的思考に引き込まれるのは極めて自然なことです。

その危険性について、わたしたちのような経験者が声を大にして訴えていかなければ、新たなカルト被害者を産み出してしまうのだろうと背筋がゾッとしました。


最後にもうひとつ。
わたし、興味のないスレに殴り込みをかける趣味は更々ないのですけれども、あそこは「布教スレ」でなく「擁護スレ」であること、正しく読み取っていただきたいところですね。

擁護:〔危害・破壊を加える向きに対抗して〕そのものが存立出来るように積極的に努力すること。(新明解第七版より引用)

これ以上は、このスレッドの趣旨に反する内容に発展しそうなので、わたしは投稿を控えておきます。笑

#158 2019年06月10日 06:32:53

仰天
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

ほい さんの発言:

私は神の存在を否定していません。むしろ、神がおられるなら、その方がテロリストだとかカルトだとか考えたくありませんし、その方のことをもっと正確に知りたいと願っています。
また、私は聖書の価値を否定するつもりもありません。聖書は確かに人類史において際立った存在で、多くの面で人類に大きな影響を与えてきた本だと思っています。

ただ、私が問題視しているのは、聖書の原理主義的解釈です。エホバの証人の多くの問題も、聖句の原理主義的解釈に起因しています。

エホバの証人の場合の問題点は、偽預言や極端な終末論、忌避、輸血拒否、統治体という絶対的な支配者等が起因しているのであり、聖書を文字通り信じる事からではありません。

聖書を文字通り信じる事がカルトだというのは明らかな間違いです。


ほい さんの発言:

旧約聖書と新約聖書の背後にある精神の明らかな矛盾から考えて、聖書は、人類による神の探求の歴史とその成長が書かれた書物と考える方がまだ自然ではないでしょうか。あくまでも可能性の一例ですが、少なくともこう考えると聖書の矛盾は大きな問題ではなくなります。
当初は自民族の事だけを考えており、異民族は駆逐する対象だったわけですから戦の神、残虐性を持つほど力強い神が求められていたのかもしれません。

ほいさんがそのような可能性を考えるのは自由だと思いますが、矛盾はないと思います。
そのような矛盾があると言う人は大抵、まだ何も分かっていないのです。(聖書に関してです。全てに関してではありません。)

聖書を正しいと信じる人々はそのような意見になるのは分かっているでしょうから、それを聞きたくないというのなら最初から質問など何もしない事です。

キリストの再臨の時には、全世界の者が旧約時代と同様に裁かれます。

旧約でも他の全ての国民が祝福される事は述べられており、事実、神を畏れ(父親を恐れるような健全な恐れ)従うならどの国民でも祝福されたでしょう。
決して自民族の事だけを考えていたわけではありません。

神に残虐性はありません。残虐な民を裁かれたのであり、神は、あらゆる国民に贖いを備えておられます。


ほい さんの発言:

しかし、人類社会の成長と共に道徳面でより洗練されてゆき、イエスの時代になって最終的に神は愛だという結論に至るわけです。
ですので、カトリックにしろプロテスタント系にしろ、今日の主流派の協会は、新約における愛に焦点を当てており、旧約をそこまで精力的に解釈しようとはしていないのではないでしょうか(私はキリスト教派に詳しいわけではないので違っているかもしれませんが)。

旧約での予表、予型、預言、契約あっての新約であり、新約において旧約で暗に示されていた事が解き明かされ成就したのです。

そもそも、リベラルをメインラインと呼ぶのが間違いでしょう。なぜなら、旧約時代も、初期クリスチャン達も文字通りに信じる人々だったからです。
聖書信仰を持つ人々こそ正統派ではないでしょうか。

レビ記/ 19章 18節
復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。

レビ記/ 19章 34節
あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである。わたしはあなたたちの神、主である。


神は悪を裁かれますが、隣人愛を教えておられる愛のある方です。

「あなたがたの神、主は、神の神、主の主、偉大で、力あり、恐ろしい神。かたよって愛することなく、わいろを取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。」

申命記10:17.18

詩編/ 031編 024節
主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。主は信仰ある人を守り/傲慢な者には厳しく報いられる。

詩編/ 033編 005節
主は恵みの業と裁きを愛し/地は主の慈しみに満ちている。

詩編/ 037編 028節
主は正義を愛される。主の慈しみに生きる人を見捨てることなく/とこしえに見守り/主に逆らう者の子孫を断たれる。


ほい さんの発言:

ここまで長い時をかけてようやくこの結論に至ったのに、原理主義に後戻りし、旧約にある神の残虐行為も史実であり正当な裁きだったと考える方が、私には神への冒涜のように感じます。

そのような結論に全体が至ったわけでもなく、神の裁きが残虐だったと見るほいさんが神を残虐な神にしているのです。
滅ぼされた異邦人には憐れみをかけ、イスラエルの中から死んだ大勢の者には配慮しないのが否定派の人々です。
なぜ、そのような裁きが行われたのか背景を考えません。

聖書は天国と地獄を教えており、ダビデの生まれて間もない子供は死にましたが、そのような善悪の区別のつかない子供を神が地獄に送り、ダビデだけ助かったなどという考え自体が聖書全体から見て愛と公正と義である神と相反しており、無理のある考えです。
エジプトやその他の幼くして亡くなった子供たちも救われていると思います。それを認めないほいさんが残酷であり、筋の通った見方をされていないと思います。


ほい さんの発言:

律法が人の罪を強調していたのとは違い、新約が強調したのは贖いによる救いです。
それなのに、また人間は罪人だと罪悪感を植え込んで、いつ裁かれても仕方がない存在だ、これを受け入れなければ救いはないなどという視点で聖書を説くなら、それはカルト性があると言っています。

新約聖書でも人間の罪があっての贖いであり、強調には変わりはありません。
罪悪感ではなく、ほいさんのような神から離れる事が罪なのです。(聖書を正しいとした場合の話ですが。)
何でもかんでも救われるという教えこそおかしなものであり、神に背いて救いがあるという視点こそおかしなものであり、聖書には全くカルト性はないと思います。


ほい さんの発言:

信仰に関する部分で、相手を論破しようとする議論は平行線で不毛だという意見には同意します。

なら、ほいさんとは十分に話しましたので、これ以上は不毛な議論でしょう。



ほい さんの発言:

過去においてさんざん議論されたのにも関わらず、特に新鮮味のない同じ話をまた蒸し返すとするなら、「もううんざりだ」と感じる人がいるのはよく分かります

過去に議論されていない点も含めているつもりですし、議論された点でも考えを固めてしまっていては柔軟な思考とは言えないでしょう。
うんざりな人は議論にわざわざ加わる必要はありません。



ほい さんの発言:

この掲示板におられる方々の多くは、聖書が嫌いなわけではなく、カルトに辟易しているのではないでしょうか。
そして、これまでも書いてきたように、主に旧約における神の描写はカルト的要素を含んでおり(これは十字軍などの歴史が証明しています)、原理主義はそれをそのまま受け入れるわけですから当然カルト色が強くなります。
それで皆さん注意しておられるのだと思いますよ。

同じ聖書を信じている人でも、皆が原理主義的に解釈しているわけではないでしょうし、むしろそういう人は現代では少数派ではないかと思います。

十字軍を含めて他の戦争というものは、単なる宗教的な要素だけではなく戦争をする利益を考えてのものです。
十字軍は過ちです。現在、誰も正当化する人もいないでしょうし、本当のファンダメンタルなら、新約時代のクリスチャンは自分での復讐は禁じられているわけですから、本当の根本主義、保守的信仰なら正しいわけです。

キリストの教えをそのまま受け入れるならカルトというのは誤った考えです。

全体からいえば皆がファンダメンタルではなく、その中では少ないでしょうが、それでも相当な数のファンダメンタルな人々がおられます。
文字通り信じる人々を否定するなら、初期クリスチャン達、キリスト教そのものの否定になると思いますが?

それに、多数派が正しいとは限らない事です。(エホバの証人のようなかなりの少数派で破綻した教義のものは除きます。)

文字通り信じる事が愚かだと言うのなら、イエスの復活も否定という事ですか?それなら贖いはどうなるでしょうか。
どこからどこまでを物語、或いは哲学で、どこからどこまでを史実と見るのか、またその基準は何か?
という問いには誰も答えません。

それらの各自が各々考える基準はどれが確かでしょうか。

うんざりだとか、見たくないという人の為にもほいさん自身が質問を辞める事です。

何度も言いますが、ほいさんとは十分に話しており、これ以上は平行線でしょうから、返事は結構です。
私の問いに対しては、ご自身の中で答えを出されるかスルーして下さい。

これで、ほいさんとの対話は最後にしたいと思います。

ありがとうございました。

#159 2019年06月10日 19:50:40

ほい
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

ここは掲示板ですので、疑問や異議のある部分には書き込みさせていただきます。
返信くださるかするされるかはお任せします。

仰天 さんの発言:

ほいさんがそのような可能性を考えるのは自由だと思いますが、矛盾はないと思います。
そのような矛盾があると言う人は大抵、まだ何も分かっていないのです。(聖書に関してです。全てに関してではありません。)

聖書を正しいと信じる人々はそのような意見になるのは分かっているでしょうから、それを聞きたくないというのなら最初から質問など何もしない事です。

残念ながら、これは仏教トピのシュウイチさんの主張と同じですよね。信じないから理解できないと。
私は信じることができるための根拠や説明をお聞きしているのに、結局はこうやってはぐらかされてしまいます。

仰天 さんの発言:
ほい さんの発言:

ここまで長い時をかけてようやくこの結論に至ったのに、原理主義に後戻りし、旧約にある神の残虐行為も史実であり正当な裁きだったと考える方が、私には神への冒涜のように感じます。

そのような結論に全体が至ったわけでもなく、神の裁きが残虐だったと見るほいさんが神を残虐な神にしているのです。
滅ぼされた異邦人には憐れみをかけ、イスラエルの中から死んだ大勢の者には配慮しないのが否定派の人々です。
なぜ、そのような裁きが行われたのか背景を考えません。

エジプトの長子皆殺しや、他の老人や婦女子までも根絶やしにするという裁きは、私だけが残虐だと言っているわけではなく、現代の一般的道徳感覚からいって残虐だと言っています。もし今同じことが起きたとして、それは残虐ではないという人が果たしてどれだけいるのでしょうか?
また、「滅ぼされた異邦人には憐れみをかけ、イスラエルの中から死んだ大勢の者には配慮しないのが否定派の人々」と言われますが、これは誰の意見でしょうか?少なくともこの掲示板では誰もそんなことは言っていないと思いますが。
私はイスラエルを虐待したファラオたちには罪があると思いますが、だからと言って直接関係のない子供を皆殺しにするのは度を越しており常軌を逸した裁きだと言っているだけです。

残念ながら、仰天さんからは、この裁きがやむ終えなかったもとと見なすに足る十分な説明はなされていないと思います。

仰天 さんの発言:

エジプトやその他の幼くして亡くなった子供たちも救われていると思います。それを認めないほいさんが残酷であり、筋の通った見方をされていないと思います。

別に認めていないわけではありません。子供たちが死後に救われたのなら、それに越したことはありません(でも、だったら殺さなくてよかったのにとは思いますが)。
ただ、これは仰天流解釈ですよね?だって聖書には何も書かれていないのですから。

仰天 さんの発言:

新約聖書でも人間の罪があっての贖いであり、強調には変わりはありません。
罪悪感ではなく、ほいさんのような神から離れる事が罪なのです。(聖書を正しいとした場合の話ですが。)
何でもかんでも救われるという教えこそおかしなものであり、神に背いて救いがあるという視点こそおかしなものであり、聖書には全くカルト性はないと思います。

結局こうなりますよね。
十分な根拠を示して下されば信じますし、信じたいと思います。しかし、その根拠は示されません。
「信じれば救われる」と言いますが、裏を返せば「信じなければ滅ぼされる」という教えなわけです。これはどう見ても排他的、反社会的ではないでしょうか?

仰天 さんの発言:

文字通り信じる事が愚かだと言うのなら、イエスの復活も否定という事ですか?それなら贖いはどうなるでしょうか。
どこからどこまでを物語、或いは哲学で、どこからどこまでを史実と見るのか、またその基準は何か?
という問いには誰も答えません。

史実かどうかの根拠の一つは考古学でしょう。
遺跡や文献などの証拠が見つかっているものは、少なくともその存在は証明されており史実ととらえることができます。しかし、それらが見つかっていないものは、事の真偽は不明です。
そして、聖書の記述と相反する証拠が見つかっている場合は、聖書の記述に誤りがあると考えるのが正常でしょう。後に新たな証拠が見つかる可能性はありますが、それらが見つかっていない状況で「それでも聖書は正しく史実だ!」と言われるなら、一般的に言ってそれは偏った見方だと言わざるを得ません。

#160 2019年06月10日 20:53:44

さやか666
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

もういいや

神の命令で殺された赤ちゃんは救われた事にしても別に構わないと思います

自爆テロのヒーロー★サムソンも破天荒なテへペロさんで構いません

「聖書を文字通り読む」という事は守破離の精神に通じていると悟りましたぞ

#161 2019年06月10日 20:55:52

仰天
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

ほい さんの発言:

ここは掲示板ですので、疑問や異議のある部分には書き込みさせていただきます。
返信くださるかするされるかはお任せします。

他の輪廻思想の人や、心霊術や、スピリチュアルや聖書の独自解釈の人にも、またカトリックや他の宗教の人にも異議を唱えたらよいのではないですか?
なぜ他の宗教も科学で証明されたわけでもないのに何も言わないのですか?(修辞的な質問であり回答はいりません。)


ほい さんの発言:

残念ながら、これは仏教トピのシュウイチさんの主張と同じですよね。信じないから理解できないと。
私は信じることができるための根拠や説明をお聞きしているのに、結局はこうやってはぐらかされてしまいます。

はぐらかしと思う人もおられれば、短いやり取りの中で十分な回答を与えたと思う人もおられるはずです。
根拠がないと思うという事は、被造物世界からも聖書からも十分な愛を感じず、残酷だという結論を既に出しておられるという事です。

神は残酷ではなく愛に富む方だと結論している人々も多くおられるわけですから、(ここでは、全体から見たら少数だろうという反論は考慮しません。)

いつまで経っても平行線でしょう。
だから打ち切るのです。最初から、どの宗教も十分に科学的な証拠が出されたものはないのでどれを信じても自由だと言っています。

信じなくても生活には何も困りませんから、無理して信じなくてもいいわけです。

そのような人には説明義務はありません。

一見、神を信じたい感じを出しながら聞いてこられますが、受け入れるには確実な証明がなくてはならないわけですよね?
それは、証明された事実を認めるだけの事であり、信じるとか、信仰でもありません。

今はゆっくり調べる余裕がないという事ですので、ご自分で時間ができたら調べてみて納得のいく結論を出されたらいいと思います。
しかし、自分の結論と同じ結論を信仰者に持つように期待しないで下さい。

私達も押し付けはしませんので。

問題にしているのは、信教の自由は保障されているにも関わらず、聖書を信じているなら(特に進化論を受け入れていない人とかを)過度に見下したりする事です。



ほい さんの発言:

エジプトの長子皆殺しや、他の老人や婦女子までも根絶やしにするという裁きは、私だけが残虐だと言っているわけではなく、現代の一般的道徳感覚からいって残虐だと言っています。もし今同じことが起きたとして、それは残虐ではないという人が果たしてどれだけいるのでしょうか?
また、「滅ぼされた異邦人には憐れみをかけ、イスラエルの中から死んだ大勢の者には配慮しないのが否定派の人々」と言われますが、これは誰の意見でしょうか?少なくともこの掲示板では誰もそんなことは言っていないと思いますが。
私はイスラエルを虐待したファラオたちには罪があると思いますが、だからと言って直接関係のない子供を皆殺しにするのは度を越しており常軌を逸した裁きだと言っているだけです。

残念ながら、仰天さんからは、この裁きがやむ終えなかったもとと見なすに足る十分な説明はなされていないと思います。

神から離れたアダムとエバの子孫全員に罪が及んだ事ぐらいは理解されているでしょう。子供であってもです。
関係がないわけではないと何度も説明しても無駄なのですから同じ事を繰り返さないで下さい。

全人類が罪人であるからキリストの贖いがあるのです。
現代の感覚で見るのは仕方ないですが、それは間違いです。

神がおられるなら、再臨の時に裁かれる事になり、その前に死んでも死後の裁きがあります。

その時、なんで自分が滅ぼされるんだ、なんで地獄なんだ、神は残酷だ、残酷だと言い続ける事になります。(聖書が正しければです。)

信じられないが、その時はその時だと思うのならそれでいいではないですか。それ以上に何を話す事がありますか。


それと、アマレクやエジプト人の初子が殺されたのに同情する書き込みは見ますが、イスラエルから滅ぼされた者が出た時には可哀想だという意見を見た事もないですから滅ぼされた側にしか配慮していないと思います。

神がおられるなら、神を認めずに自ら滅びに至るのは賢明な判断ではないと思いますが。


ほい さんの発言:

ただ、これは仰天流解釈ですよね?だって聖書には何も書かれていないのですから。

広く見られる聖書的な解釈だと思います。
複数の書籍で読みましたので。また、神の特質から見ても十分な根拠があると思います。

ほい さんの発言:

結局こうなりますよね。
十分な根拠を示して下されば信じますし、信じたいと思います。しかし、その根拠は示されません。
「信じれば救われる」と言いますが、裏を返せば「信じなければ滅ぼされる」という教えなわけです。これはどう見ても排他的、反社会的ではないでしょうか?


今は奇跡やしるしで証明する時代ではなく、信仰の時代です。信仰によって救われるのです。
聖書もあります。
あとは信仰の問題だと何度言えばいいのでしょうか。
神を神と認めず、反逆しているのですから警告通りに裁かれるわけです。
神に感謝せず反抗的なのですから。

そうならないように願っています。

ほい さんの発言:

史実かどうかの根拠の一つは考古学でしょう。
遺跡や文献などの証拠が見つかっているものは、少なくともその存在は証明されており史実ととらえることができます。しかし、それらが見つかっていないものは、事の真偽は不明です。
そして、聖書の記述と相反する証拠が見つかっている場合は、聖書の記述に誤りがあると考えるのが正常でしょう。後に新たな証拠が見つかる可能性はありますが、それらが見つかっていない状況で「それでも聖書は正しく史実だ!」と言われるなら、一般的に言ってそれは偏った見方だと言わざるを得ません。

正しく史実だ!、証明されたと誰が言いましたか?

私は他のものより聖書が好きであり、聖書の神がおられると思いますという事です。史実だと見たなら従わないのは不利益で危険ですよ、史実だと思わないなら何も無理して信じなくてもいいですよという事です。



また、考古学者も人間ですから間違いもあるわけで、それを絶対的なものとは私は見ないというだけの話ですので。

これで、私としては、十分に答えました。

あとは、ほいさんが自分の道を行かれたらよいと思います。

ほいさんの考えは分かりましたのでこれで最後にして下さい。

これ以上は不毛な議論でしょうから、他の方と楽しいお話でもして楽しまれてはいかがでしょうか。

#162 2019年06月10日 23:45:41

ほい
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

仰天 さんの発言:
ほい さんの発言:

ここは掲示板ですので、疑問や異議のある部分には書き込みさせていただきます。
返信くださるかするされるかはお任せします。

他の輪廻思想の人や、心霊術や、スピリチュアルや聖書の独自解釈の人にも、またカトリックや他の宗教の人にも異議を唱えたらよいのではないですか?
なぜ他の宗教も科学で証明されたわけでもないのに何も言わないのですか?(修辞的な質問であり回答はいりません。)

私はスピリチュアル系などには関心ないので理解も浅いですが、他者に危害を加えるものでなければ自由にやったらいいのではと思うので、特に何か言うつもりはありません。

ただ、例えば因果応報は一定の範囲内であれば正しい見方だと思いますが、日蓮正宗による因果応報の解釈には異議を唱えました。
「あなたが苦しんでいるのは自業自得なんですよ」と傷口に塩を塗る考え方で有害だと思ったからです。

同様に聖書の価値は否定しません(むしろ価値はあると思っています)が、その原理主義的な解釈には異議を唱えます。
道徳的に問題のある行為を正当化する原因になりえるからです。

仰天さんは信じる信じないは自由と言われますが、字義どおりに解釈するなら聖書は信教の自由なんて認めていません。信じなければ滅ぼすという考え方です(原理主義的に解釈すればです)。
他者の信教の自由を認めないのに、自分の信教の自由は認めろというのは都合がよすぎませんか?
もちろん仰天さんはそんなこと言っておられないと思いますが、聖書の原理主義的解釈にはこんな危険が潜んでいるんですよ。

信教の自由は絶対的に保証されるものではありません。国によって法律は異なりますが、社会に害悪を与える(カルト)と認定されると、その信教の自由は制限されます。
では誰がその判断をするのかとなるととても難しい問題ですが、神の裁きで脅迫するような考え方は、少なくとも私は受け入れたくありません。


色々書きましたが、これ以上の議論は望まれないようですし、建設的でもないと思いますので、この件については一旦終了します。

#163 2019年06月11日 07:01:55

仰天
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

ほい さんの発言:

私はスピリチュアル系などには関心ないので理解も浅いですが、他者に危害を加えるものでなければ自由にやったらいいのではと思うので、特に何か言うつもりはありません。

ただ、例えば因果応報は一定の範囲内であれば正しい見方だと思いますが、日蓮正宗による因果応報の解釈には異議を唱えました。
「あなたが苦しんでいるのは自業自得なんですよ」と傷口に塩を塗る考え方で有害だと思ったからです。

同様に聖書の価値は否定しません(むしろ価値はあると思っています)が、その原理主義的な解釈には異議を唱えます。
道徳的に問題のある行為を正当化する原因になりえるからです。

警察や軍隊もない時代の旧約時代においてイスラエルの民がそのような部分も担っていたのとは異なり、警察等の上からの権威の存在する新約時代より後の現在、クリスチャンは自分で復讐する事は禁じられています。(旧約も原則は神による裁き以外のただの争いは禁止)
クリスチャンは原則的に平和主義ですので、(戦争となれば無神論者も形だけの仏教徒、神道の人、キリスト教徒も参加しますからそれは例外)

アダムとエバやノアの洪水の物語を信じているだけでは、また、悪い事をしたら神が裁かれると思うだけでは平和なクリスチャンは危害を与えるものではありません。


ほい さんの発言:

仰天さんは信じる信じないは自由と言われますが、字義どおりに解釈するなら聖書は信教の自由なんて認めていません。信じなければ滅ぼすという考え方です(原理主義的に解釈すればです)。
他者の信教の自由を認めないのに、自分の信教の自由は認めろというのは都合がよすぎませんか?
もちろん仰天さんはそんなこと言っておられないと思いますが、聖書の原理主義的解釈にはこんな危険が潜んでいるんですよ。

信教の自由は法律上の事です。
字義どおりなら、唯一の神が偶像やら偽りの神々を拝む事を認める事はないのは当たり前。
認めておられないのは人間ではなく神です。

また、聖書では、血を含む肉については外国人は特に禁じられておりません。
異邦人には与えてもよかったのです。

申命記/ 14章 21節
死んだ動物は一切食べてはならない。町の中にいる寄留者に与えて食べさせるか、外国人に売りなさい。

正しい方法で血を注ぎ出していない野獣でも、律法下になかった諸国民は食べてよかったわけです。

血の律法はユダヤ人だけの養育係であり、全ての人類には適用されていません。

ユダヤ人はコーシェルといって、徹底して血を抜いた肉しか食べませんが、エホバの証人はそこまで血抜きしたものではなく、普通に食べてます。それに、最初人喰いとして禁じていた臓器移植は認めましたが、血を完全に抜いた臓器など使えません。
特に肝臓など臓器と共に血も取り入れているのですから矛盾だらけでしょう。



つまり、信教の自由はある意味旧約時代でも認められており、自由意思ですから、従うか従わないかは自由です。


新契約のもとにいるクリスチャンがイエスの命令に従えば何の危険もありません。

むしろ、クリスチャン達を殺した者が危険でしょう。(ネロの時代から三世紀までの迫害と日本のキリシタンの扱い等)

それを言うと、キリシタン迫害は他の致し方ない理由があったとかなんとでも言えるわけですが、結局は、インディオを虐殺した偽のキリスト教徒の問題ばかり見て、平和主義な本当のクリスチャン達は見ずに、キリスト教を批判している人もおられるわけですから偏った見方でしょう。


ほい さんの発言:

信教の自由は絶対的に保証されるものではありません。国によって法律は異なりますが、社会に害悪を与える(カルト)と認定されると、その信教の自由は制限されます。
では誰がその判断をするのかとなるととても難しい問題ですが、神の裁きで脅迫するような考え方は、少なくとも私は受け入れたくありません。


信教の自由が絶対的なものではなくカルト指定もあるのは当たり前。

極楽浄土と地獄、天国と地獄の概念、神の裁きという考えは多くの宗教に見られるものであり、それが脅迫というならほとんどでしょう。
どの宗教でもそれぞれの物語を有しており、聖書の新約での掟が特に問題になるとも思えません。

キリストの教えに従う平和主義なキリスト教がカルトと認定されるとは思えません。

神の祝福に目を留めるなら、神の与えてくださっているよいものに目を留めるなら、脅迫どころか皆の福祉を考えての諭しだと思います。

ほいさんが受け入れないのは自由。
しかし、自由には責任が伴います。


ほい さんの発言:

色々書きましたが、これ以上の議論は望まれないようですし、建設的でもないと思いますので、この件については一旦終了します。

ほいさんとは十分に話しましたので、そうして下さい。

#164 2019年06月11日 21:45:11

めぐママ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

さやか666 さんの発言:

もういいや

神の命令で殺された赤ちゃんは救われた事にしても別に構わないと思います

自爆テロのヒーロー★サムソンも破天荒なテへペロさんで構いません

「聖書を文字通り読む」という事は守破離の精神に通じていると悟りましたぞ



さやか さあ〜ん !      笑わせて〜

わたくしたち  自由になれて 良かったあー!

カルト  の  カオス

と掛けて    黒蜜と  もうひとつ 

ヒントは  あおさ  かな?

オフライン

#165 2019年06月11日 23:19:22

さやか666
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

難しいなあ あおさってなんだよ

あの回転すしの店の味噌汁に入ってるやつかな

あの、テロリストさんに確認ですが

正解→ あなたを怒らせて惨殺

不正解→ あなたに全ての下着を盗まれる

だとしたら、私も命が惜しいです

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