ログインしていません。

#126 2016年12月10日 12:31:51

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

考えたこともない、はおそらく本当だと思いますよ

創造者のみ心による選びと過ぎたる恩寵によって救われたことへの感謝のみで、救われなかった人々は「どうして救われなかったのか」と被造物が創造者を問い詰める、という発想はないんです。


エホバの証人がハルマゲドン後に救われたことへの感謝いっぱいで、罪深い人間基準では善良でまっとうな人生を送っているように見える人々も、創造者基準では悔い改めなかった極悪人ですので、彼らがなぜハルマゲドンで救われなかったのか(または、地獄で焼かれているのか)と質問しても、「創造者の過ぎたる恵みで救われただけなのに、そんな質問をされること自体が驚きです」となると思います。


ただ、エホバの証人は「愛の神が地獄で焼くわけない」という中途半端な人間基準で聖書を脚色しているので、エホバの証人には有効な質問になる可能性はあります。

#127 2016年12月10日 12:43:39

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

すみません、補足します。

自分の限られた経験から帰納的に書いただけで、信仰に立たない側の感覚からすると理解できない、runさんの「考えたこともない」が同じ理由によるものだ、と決めつけた訳ではありません。

#128 2016年12月10日 13:09:27

AK
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ささらほーさら さんの発言:

今ちょっと一時帰宅してPC開いたらこんなニュース見つけました。
runさん、参考になるかも

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161 … -mai-sctch

今はわからなくても、いずれ解明されるものもあるのでしょうね?

めっちゃタイムリーですね❗ああいう状態で体が動いちゃうと、思いもよらない強い力が出たりして余計怖れられるんでしょうねえ。

ささらほーさら さんの発言:

にわたしが聖書をお伝えしていたある女性は、所謂「霊感の強い」方で、訪問中ずっと襖がガタガタ振動していました。
その方の叔母さんは毎日神社の境内の掃除をしていたある日「パッと目の前に光が輝き『光に包まれた人』が『あなたに癒しの力を与えよう』と告げたそうです。

これ、凄い気になります。僕は全然霊感なるものがないので、こういうことが実際にあるのかどうかも体験がなくて。
未だにこの世界は謎だらけです。

#129 2016年12月10日 13:20:19

run
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ささらほーさら さんの発言:

runさん、参考になるかも

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161 … -mai-sctch

今はわからなくても、いずれ解明されるものもあるのでしょうね?

「悪魔取りつかれた病」とされていたものが、科学によって解明されたのですね!
ってことは、いずれ「御使い予知体験談」も科学の力によって解明される時が来るかも知れないということですよね。期待しています。どうもありがとうございます。


ジョエル さんの発言:

すみません、補足します。

自分の限られた経験から帰納的に書いただけで、信仰に立たない側の感覚からすると理解できない、runさんの「考えたこともない」が同じ理由によるものだ、と決めつけた訳ではありません。

大丈夫です。分かっていますよ。(゚ー゚)

#130 2016年12月12日 05:55:30

てつてつ
メンバー

Re: 信仰を維持する

ささらさん コンサート大成功でよかったですね

オフライン

#131 2016年12月13日 11:34:51

めぐママ
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ささらさん、コンサート大成功、おめでとうございます。練習して創りあげてゆくプロセスが、いいんですよね。

伊佐利安さんの、計画に、お力をお貸しください。貴女の、冷静な判断力、文章力、行動力が必要です。

#132 2016年12月13日 11:36:24

めぐママ
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

てつてつさん、こんにちは、伊佐利安さんから、連絡あれば、わたくしの電話番号をお伝えください。

#133 2016年12月13日 11:42:25

てつてつ
メンバー

Re: 信仰を維持する

分かりました

オフライン

#134 2016年12月13日 12:55:38

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

てつてつさんはよく聖句を引用されますが、それは聖書を愛しているからだろうと思いましたが、なぜ敢えて新世界訳を引用するのでしょうか?
見ているかもしれないエホバの証人の現役の心に訴えかけるためでしょうか。
色々調べるのもいいですが、公平に調べて、自由主義神学信奉者、リベラル教にはなりたくないものです。
※KAOさんの事ではありません。よく調べた結果、個人がどのような信仰を持とうとそれは自由です。(^_^)

よければ、てつてつさんの神や聖書に対する見方を教えて下さい。調査中であり、ささらほーさらさんと同様、神のような存在を感じてはいるものの聖書の神ではないという感じでしょうか。

#135 2016年12月13日 17:13:22

てつてつ
メンバー

Re: 信仰を維持する

元証人さん 書き込みありがとうございます

なぜ敢えて新世界訳を引用するのでしょうか?

証人時代に新世界訳しか読んでいないので聖句を思い出すキーワードが新世界訳の言葉ですし また ウオッチタワーライブラリが使い慣れてもいます また元証人さんのおっしゃるとおり この掲示板をみている証人の方たちも違和感がもっとも少ないと思います「他の訳の聖書を引用してもそれですらサタンの偽りだと否定するかもしれません」 自分の現在の最大の願いは一人でも多くの現役の証人の方がものみの塔の偽りに気づいて欲しいということです しかしべつに強制するつもりはありません


色々調べるのもいいですが、公平に調べて、自由主義神学信奉者、リベラル教にはなりたくないものです。

自由主義神学信奉者とはウキをみますと神学分野では「歴史的・組織的な教理体系から自由に、個人の理知的判断に従って再解釈する」の意である と ありますので 元証人さんは私が ふらふらしたクラゲみたいに思われるのかもしれません
(エフェソス 4:14) …波によるように振り回されたり,あらゆる教えの風にあちこちと運ばれたりすることのないためです…
ただ信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です…(ヘブライ 11:1
とあるように 自分はこれこれの根拠または理由によりこれこれの事を信じるという気持ちです しばらく前までは聖書は100パーセント神様の書物だと信じていて 神様が敵の女子供を殺せというのならそれも辞さない気持ちでした しかし ささらさん 推薦の 捏造された聖書 アーマン 乗っ取られた聖書 秦 剛平 や KAOさん その他の皆さんの 推薦する図書を読んで 考えが変わりました 聖書には多くの矛盾する点がある 4福音書を書いたのは マタイ マルコ ルカ ヨハネではない 大洪水はなかった とすると 当然それに言及しているイエスもまちがっている などなどです 最近はソロモン王の神殿は本当にあったのかと調査中です
進化論についてはまちがいだと思っています 創造者は信じています
その他の考えについては自分のサイトをご覧ください
それで 自分ではフラフラしているつもりではなく 事実と思ったことを信じ まちがいと分かった部分は信じなくなったというだけのことです
(コリント第一 13:11) …わたしがみどりごであった時には,みどりごのように話し,みどりごのように考え,みどりごのように論じていました。しかし,大人となった今,みどりごの[時の]ことをやめたのです…

元証人さんの推薦のメッツガーさんの聖書の時代―ドラマティックな聖書世界へのヴィジュアル・ガイド も先日購入しましたので また読んでみますね

編集者 てつてつ (2016年12月14日 00:37:02)

オフライン

#136 2016年12月14日 06:26:18

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

てつてつさん、あなたの心情を教えてくださり感謝します。
このトピックでは、てつてつさんや皆さんが疑問に思っている点を少しずつですが扱う予定です。推薦図書も他にも色々ありますので必要に応じて紹介したいと思います。
年末の忙しい時期にきており、なかなか文章をまとめだせませんが、もうしばらくお待ち下さい。
ソロモン神殿については跡地に岩のドームがあるため発掘できませんが、同時代のペリシテ神殿その他の発掘によって聖書の記述が正確であった事が分かります。
ソロモン神殿のものは、ざくろの形をした小さな装飾が出ています。
これは、杖の先端にあったもので「ヤハウェの宮のもの」という文字が刻まれています。この装飾が初めて目撃されたのは1979年、エルサレムの商店においてであり、後に確認され、1988年にはイスラエル博物館に買い取られています。『徹底検証キリスト教 信じる根拠はどこにあるのか』第1巻 p266

#137 2016年12月14日 06:53:08

てつてつ
メンバー

Re: 信仰を維持する

ありがとうございます また読んでみます

オフライン

#138 2016年12月14日 20:15:03

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

旧約聖書には大量虐殺の話がたくさん出てくるではないか、旧約の残忍な神と新約聖書に出てくる愛に溢れた善なる神とは大きなギャップがあるのではないかという点について考えてみましょう。
聖書の中で、『憐れみ』と訳される言葉は261回登場しますが旧約聖書に出てくるのは全体の27%、すなわち三分の一に当たります。
一方、『愛』と訳される言葉は322回登場し、旧約・新約での登場回数はほぼ半分ずつとなっています。ですから、愛を強調している割合は、旧約・新約ともに同じです。
ところが、皮肉な事に旧約より新約の神のほうが、ずっと批判的だと思える箇所が、色々な所で見られるのです。例えば旧約聖書では永遠の刑罰についてほとんど触れていませんが、新約聖書にはそのことが書いてあります。
これは神の性格や性質が変わったという事でしょうか。そうではありません。
聖書には、「主である私は変わることがない。」    とあります。旧約・新約問わず、そこに存在する神は全く同じです。聖なるゆえに罪を傍観する事ができない神。
それでいて、罪を告白する全ての人間に対しては存分な赦しを与えたいと願う、愛と恵みと礼節と憐れみに溢れた神なのです。

#139 2016年12月14日 20:31:41

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

恵みとか憐れみといっても、申命記七章で、「聖絶し、容赦してはならない」と言ってカナン人とその他六部族の大量虐殺を命じた神に憐れみとか恵みがあるとは思えないと言われる方もいらっしゃるでしょう。それだけでなく、エジプトの初子全員を殺すようにとの命令や大洪水やアマレク人の例もあります。
「今、行って、アマレクを打ち、その全てのものを聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子供も、乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ。」
これは、愛の神ではなく、暴力的でむごい神の姿ではないか、罪のない子供まで殺せという神を、どうやって礼拝しろというのかと言われるでしょう。それはつまり、神の性質が完全に聖であること、そしてそれゆえに、罪と反逆には処罰を加えなければならない存在であることを示しているのです。公正な審判であることは間違いなく神の性質の一部です。しかしまた恵み深いというのも神の性格です。もし逃げ出したいと望む者がいれば、神はその人物を見逃してくれたのです。
聖書をしっかり読むなら、聖書の中に同じパターンが繰り返されているのが分かって頂けると思います。
ではアマレク人の話から見ていきましょう。
イスラエルは宿営している共同体であり、まだ国を持っていなかった為、自分たちに襲いかかり攻めて来る敵がたくさんいました。彼らがエジプトを出てから間も無く、アマレク人が攻めてきました。彼らは自分たちを守る為に戦います。相手が憎いのではなく自分たちを守る為に戦うわけです。アマレク人は純真無害な人々ではありませんでした。彼らの中に『いい人』なんかいないのです。文字通り堕落の限りを尽くした民だったのです。
彼らの使命は、イスラエルを滅ぼす事、つまり、イスラエルの大量虐殺でした。これでも彼らが邪悪ではないと言われるなら、もう一度それがどういう意味かよく考えてみて下さい。
イスラエルは救い主イエスを通して全世界に救いをもたらす神の選民です。それを滅ぼす行為が無害でしょうか。罪の重さを考えれば、アマレク人の全滅は致し方のない事でした。もし生存者が出たら、彼らは再び集団となって、イスラエル人、そして神の計画に反旗を翻していたでしょう。アマレク人は激しい敵意を持つ好戦的な人種であり、あらゆる蛮行の限りを尽くしていました。例えば、体の弱い人、高齢者、身体障碍者といった、移動している集団についていけなくなった弱者をあえて狙って殺す、そういう卑劣な行為も辞さない連中なのです。
彼らは地球上からイスラエル人を一人残らず排除しようとしました。神は洪水等の災害で彼らを滅ぼす事もできましたが、あえてイスラエルを使って裁きを下したのです。神の言動は単にイスラエルを守る為だけのものではありません。イスラエル人として生まれる救世主によって全人類に救いがもたらされるわけです。ですから、アマレク部族を討つ事は究極的に言えば、歴史上存在する世界中の全人類の為なのです。
でも子供は違うでしょう、罪のない子供まで殺す事はないではないかと言われるかもしれません。しかし、厳密には罪のない人間は誰もいません。この事は忘れないようにしなくてはなりません。詩編51編には、私達はみな罪の内に生まれたとあります。つまり、私達は謀反を起こしたり過ちを犯す傾向を持つ者として生まれるという事です。それと、人間の人生における神の主権についても忘れてはいけません。生命を創ったのは神だから、神にはそれを奪う権利もあります。もし、あなたが生命を創ったのなら、あなたにはそれを奪う権利もある。しかしあなたが生命を創造できないのであれば生命を奪う権利はないのです。
人間は、私達にとっての善悪が、そのまま神にも当てはまると思いがちです。しかし、いいですか。私は他の人を創り出したわけではないし、他の人の人生を握る存在でもありません。そんな私が他の人の命を奪う事は間違いです。
皆さんは、他の人の家の庭に入り込んで植木を抜いたり、切り刻んだり、それをすっかりダメにしたり、どこかに植え替えたり、移動する権利はありません。でも自分の庭の植木であれば話は別です。あなたはそれを所有しているわけですから、どうする事もできるわけです。
さて、神は生命そのものに対する主権を持っているわけですから、もし神が望むなら命を奪う事もできます。実際に神は「死」という形で人の命を奪っているのですが、私達はその事を忘れがちです。いつ、どのような形の神のもとに呼ばれるかが問題であって神が命を取る存在である事に変わりはありません。

#140 2016年12月14日 20:37:37

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

でも子供まで…と思われるのも当然です。しかし、歴史を見ると社会的にも物理的にも、事の善悪を問わず子供と親とは運命共同体です。ともかくここでは、アマレク人を取り巻く状況を理解する事が何より重要です。
彼らの社会は完全なる悪と暴力と堕落に満ちた社会であり、そこに育つ子供達に未来はありませんでした。アマレクは人間の足を蝕む壊疽のような存在だったのです。
神がその足を切断するか、あるいは壊疽が体中に広がってしまうかの二者択一です。ある意味では神はその憐れみから、アマレク人を討ったと言えるでしょう。
聖書によれば、個人としての責任を問われる年齢に達していない子供は天国に行き、神の臨在の中で永遠を過ごすと書いてあります。アマレクの子供達が最悪の社会環境で育ち、こうした年齢を過ぎてしまったら、彼らは間違いなく堕落し、永遠に失われた存在となっていたはずです。
イザヤ七章十六節は、道徳的責任を問われる前の『悪を退け、善を選ぶことも知らない』子供達について言及しています。ダビデ王は、生まれてすぐ死んでしまった息子の所に、いずれ自分も行くと話しています。イエスも次のように言っています。「子供たちを、私のところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。」
このように書くと、アマレク人の子供達については道徳的責任を問われる前の年齢で死んで天国に行けたほうがよかった、それが最善というなら、妊娠中絶で死んでいく子供はどうなのか、もし中絶されれば、その子供は間違いなく天国行きだが、生まれてしまったら神に反して地獄行きかもしれない。そうするとこれは、中絶擁護派にとっては強力な助っ人登場ではないかと言われるかもしれません。

しかし、その類推は間違っています。まず神は、だれに対しても中絶を強要していません。それどころか中絶は聖書の教えに反するものです。いいですか、神は生命の創造者であり
、命に関する決定権は唯一、神の手中にあるのです。それから、当時のアマレクほど堕落している社会は現代にはありません。アマレクには一切の希望がなかったのです。今は希望があります。では、神がアマレクの壊滅を命令したとしても、それが非合理だと言えない理由を見ていきましょう。
アマレク人には、その行いを改め、部族の壊滅を避ける機会が十分与えられていました。カナン人とアマレク人には懺悔する猶予が四百年も与えられていたのです。
自己壊滅への道を回避するに十分な数世紀という時間が過ぎ、神はその聖なる性質のゆえに、彼らの強情なまでの悪意に対峙しなければならなくなったのです。思いつきで彼らの全滅を決めたわけではありません。神による壊滅の手から逃げたかったのならば、逃げられた事を忘れないで下さい。何百年にわたり彼らには十分な機会と時間が与えられていたのです。もちろん、滅亡を逃れたいと願った人々は、アマレク社会から逃げ出し、他の地域に広がっていきました。
ヨシュア記六章には、エリコとカナン人の崩壊が書かれています。ここでも同じ事が言えます。エリコも腐敗しきった社会で、神はその酷さに吐き気を催したとまで書いてあります。蛮行、残虐行為、近親相姦、獣姦、カルト的売春が行われ、また、子供をいけにえとして火で焼くという風習もありました。彼らもまた、イスラエルの根絶をもくろむ、非常に攻撃的な部族だったのです。邪悪な人が滅ぼされ、神に従う高潔な人々が悲劇を免れているのは、エリコの場合も同じです。
たとえば、イスラエル人のスパイを匿ったラハブがいい例です。その正義ゆえに、彼女は他のカナン人と共に滅ぼされることなく、生き延びることができました。それから、ニネベの人々に何が起きたか見て下さい。ニネベも腐敗が浸透しきっていた町であり、神の裁きを受けるに当然の町でした。しかし、神に対してその罪を告白したため、そのうちの多くは神の裁きから救われているのです。
つまり、神に罪を告白すれば、どんな人物であろうと神はその人を救おうとする。ここが重要なポイントです。(使徒10:34、35)分かるでしょうか。こうした国々の社会構造そのものが本質的に悪だったからこそ、神はその腐敗した社会を滅ぼす必要があったのです。もし彼らに懺悔の姿勢があれば、神は滅ぼしませんでした。神がずっと前にイスラエルに与えた「約束の地」で、イスラエル以外の民族がやりたい放題に悪行を続けていたのです。神の一番の願いは、この約束の地から邪悪な人々を追放することにあったと、聖書に書かれています。彼らがいなくなれば、イスラエル人が約束の地に住むことができる。そして、ガン細胞のようにイスラエルを蝕む悪や腐敗から、イスラエルが守られます。世界中の何百万人という人々にとって必要な救い主の生誕。神はそれにふさわしい環境を作り出したかったのです。
滅亡していった部族には、十分な警告が与えられていました。それと、実際の戦闘が始まる前には、ほとんどの女性や子供は逃げて難を逃れています。ですから、女性や子供の被害を問題にする必要はあまりないでしょう。
イスラエルとの戦闘に望んだ兵士達は、部族の中でも一番のならず者でした。腐敗した社会を離れる選択を最後まで拒否し、そこに居座って、これまでの悪行を続けようとした人々です。それに、イスラエルが敵地に入ったときには、まず相手との平和的解決を申し出るように、というのが神のルールです。ですから相手には、その申し出を受け入れて戦いを避けるか、あるいは申し出を拒否して自らを危険に晒すか、という選択肢があったのです。これは、フェアで適切なルールではないでしょうか。

では、要点を整理しましょう。神からの警告が十分に与えられていたこと、ほとんどの女性や子供が戦闘前に避難できていた可能性が高かったこと、聖書の言葉に心を乱される時もあるのは事実だとしても、それでも戦闘突入前にイスラエルが和解を提案したこと、また、聖書全体を通して、懺悔した人々には神の裁きが下されないというパターンを知ることができます。

これまで見てきたことから、神は単に気まぐれであったのでもなければ、理由なく暴力的であったのでもないことが分かります。ただ、一言申し上げなければならないことがあります。
神は絶対的に正義なのです。神だからこそ、腐敗し、その悪行をあくまでもやめない!と片意地を張る人々に、何らかの決着をつけなければならないのです。
正義こそ、神が是が非でも実現するべきことでしょう?私たち人間が神に望むことでしょう。
この議論を理解するためにひとつ重要なことがあります。歴史を振り返って見て下さい。
自分の罪を告白して神に立ち返った人々に対し、神はいつも情け深く、憐れみ深く、優しく親切です。最終的に、私たちは神の正義を必ず見るのです。

#141 2016年12月14日 20:54:13

カレブ
Administrator

Re: 信仰を維持する

元証人 さんの発言:

彼らの社会は完全なる悪と暴力と堕落に満ちた社会であり、そこに育つ子供達に未来はありませんでした。アマレクは人間の足を蝕む壊疽のような存在だったのです。
神がその足を切断するか、あるいは壊疽が体中に広がってしまうかの二者択一です。

ガン細胞のようにイスラエルを蝕む悪や腐敗から、イスラエルが守られます。世界中の何百万人という人々にとって必要な救い主の生誕。神はそれにふさわしい環境を作り出したかったのです。

実際の戦闘が始まる前には、ほとんどの女性や子供は逃げて難を逃れています。ですから、女性や子供の被害を問題にする必要はあまりないでしょう。

ダン・バーカーの著書
「神 - あらゆるフィクションのなかでももっとも不愉快な登場人物」(英文)
をちょっとだけ読んでみたんですが

もしかしたら元証人さんと似たような感じのヤハウェのことを書いてあるかも

オフライン

#142 2016年12月14日 21:00:49

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

カレブ さんの発言:

ダン・バーカーの著書
「神 - あらゆるフィクションのなかでももっとも不愉快な登場人物」(英文)
をちょっとだけ読んでみたんですが

もしかしたら元証人さんと似たような感じのヤハウェのことを書いてあるかも

で、他の方同様、あなたも、神が気まぐれで、わがままで正当な理由もなく大量虐殺を行なった理不尽な存在だと言うのですか?

#143 2016年12月14日 21:12:50

カレブ
Administrator

Re: 信仰を維持する

旧約聖書で一番強調されているのは
「アブラハムに約束した地だから敵国を打ち倒す」
というものです。


「アモリ人の罪が満ちていないから」という言葉がしばしば引用されますが、
全体の中ではほとんどそのような観点は強調されておらず、
むしろ滅びのために捧げた者たちに
決して憐れみをかけてはならず、すべて抹殺せよというものです。

「相手が罪深いから」という観点は強調されているポイントではありません。


さっと見ただけでもダン・バーカーは聖句を沢山引用して
根拠を指摘していると思いました。

一方エホバの証人は「アモリの罪が満ちていないから」という言葉で
カナンの人々がまれにみる極悪人であるかのように扱います。
はたしてそうでしょうか?

わたしは当時のパレスチナの遊牧民族も小部族も基本は普通の人間で
あどけない子供たちの遊び声が聞こえるのどかな暮らしをしていたと思っています。


///
訂正:さきほど「アマレク」と書いてしまいましたが「アモリ人」の間違いだったので訂正します。
(創世記 15:16) …アモリ人のとががまだ満ちていないからである…

編集者 カレブ (2016年12月14日 21:27:18)

オフライン

#144 2016年12月14日 21:27:36

yukahena
メンバー

Re: 信仰を維持する

元証人 さんの発言:

旧約聖書には大量虐殺の話がたくさん出てくるではないか、旧約の残忍な神と新約聖書に出てくる愛に溢れた善なる神とは大きなギャップがあるのではないかという点について考えてみましょう。
聖書の中で、『憐れみ』と訳される言葉は261回登場しますが旧約聖書に出てくるのは全体の27%、すなわち三分の一に当たります。
一方、『愛』と訳される言葉は322回登場し、旧約・新約での登場回数はほぼ半分ずつとなっています。ですから、愛を強調している割合は、旧約・新約ともに同じです。

JWの論理を見ているかのようなデジャヴが。また数の論理ですか?
愛や憐れみを肯定しようが否定しようがカウントされる、愛や憐れみの数がなんだというのですか?

元証人 さんの発言:

ところが、皮肉な事に旧約より新約の神のほうが、ずっと批判的だと思える箇所が、色々な所で見られるのです。例えば旧約聖書では永遠の刑罰についてほとんど触れていませんが、新約聖書にはそのことが書いてあります。
これは神の性格や性質が変わったという事でしょうか。そうではありません。
聖書には、「主である私は変わることがない。」    とあります。旧約・新約問わず、そこに存在する神は全く同じです。聖なるゆえに罪を傍観する事ができない神。

聖書には、「主である私は変わることがない。」から演繹する前に、それを証明しないとならずそれを議論している場にこんなことを持ち込んでどうしようというのですか?

元証人 さんの発言:

それでいて、罪を告白する全ての人間に対しては存分な赦しを与えたいと願う、愛と恵みと礼節と憐れみに溢れた神なのです。

そういう事例も少々ありますが、それ以上に聖書の神に悔い改める機会がないまま殺された人の数がいかに多いか、こちらは数の論理がお好きな元証人さんの心には触れないのでしょうか?

編集者 yukahena (2016年12月19日 22:36:01)

オフライン

#145 2016年12月19日 22:05:55

KAO
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

Chimera=元証人さん
もう少しだけお相手しておきましょうかね。
まず最初に誤解を解いておきたいと思います。私は自分がここに投稿する目的をハッキリ表明しており、それは、個が確立していない子どもたちに信仰を強要することに対する反対であって、あなたの言う「自由主義神学」なるものの立場を閲覧者に広めることではありません。協会の学問めかした「嘘」を暴露する必要上、逐語霊感説の空しさをを突くことになるわけですが、Chimera=元証人さんはこの部分が気に入らないのでしょうか?
私はChimera=元証人さんの信仰的立場は尊重しておりますが、それを拠り所として他の方々を勉強不足と断罪し、JWなみの強引さでご自身の「福音的信仰」なるものを押し付けてくる姿勢には感心しません。あたなの投稿を読んでいると「脱搭すれども覚醒せず」という煉獄のような中間状態があることがよく分かります。あなたがどこで夢の続きをみようと勝手ですが、多くの方にはもう必要ございませんので・・・

Chimera=元証人さんの「お勉強」の実態については、先日の処女懐胎問題で、サイト上の垂れ流し情報を、ご自身では批判検討する姿勢も能力も持ち合わせてはおらず、お気に入りサイトへの丸投げリンクのナンセンスさをやんわりとご忠告申し上げたつもりでしたが、指摘の甲斐なく繰り返されているようですので、不本意ですが再度ご忠告申し上げます。偏見に満ちた教説を垂れ流しているのは私や管理人さんの方ではなく、他でもないChimera=元証人さんの方ですので。

【Chimera=元証人さんの発言】
「数あるキリスト教の教派の中で無意識、無存在になると教えているのはキリスト教系新興宗教である異端のエホバの証人に影響を与えたセブンスデーアドベンティストくらいのものでしょう。」(洪水#863)

上の発言の中にChimera=元証人さんが、ご自身がJWに代わって新たに見出された「福音的キリスト教」に心酔するあまり、キリスト教というものの、時代と地域を越えた捉えどころのない広がりについて無知蒙昧に陥っておられる姿がよく表れていると思います。
ご自分が圧倒的多数派だとおっしゃりたいようですが、現実には元証人さんの言う「聖書は死者の魂に意識がある事を述べており」という信条を持つ教派の方が、むしろ福音派のみの特殊な教えであるということは知っておいた方がいいですよ。

閲覧者の方も「えっ!?」と思われるかも知れませんが、厳密な釈義に基づく現代神学の主流は、新約の中には霊魂の不滅というプラトン的思考の萌芽が一部に認められるとはいえ、それは極めて限定的な影響に留まると考えています。旧約にはまだそれが見られないということから、JWがこの点に関してだけは「伝道の書」やら「詩編」の聖句を拠り所としていることは元JWの方ならよくご存知のことです。

少し前「脱搭指南」のトピで、反JWの牧師として知られている中澤啓介牧師が、死後の状態についてはJW的見解に転向しつつある、という書き込みを見かけました。福音派の中澤先生も研究が進まれたようで結構なことですが、実際には新約の中にはどちらとも受け取れる記事が併記してあるというのが実態でしょう。それを「聖書に矛盾はない」というドグマに縛られることからこうした誤解や論争が起きるわけですが、それには、ヘレニズム文化人としてギリシャ的思考を身につけたパウロなどが一役かっているとも言えます。

「いったいどっちなの?」と聞かれれば、「死んだことないから分かりませんよ」というのが私(中澤先生も)の回答ですが、もし聖書学的に答えるとすれば、本来のヘブライ思想の中にはないが、初期ユダヤ教ないしキリスト教時代に入ると、グノーシスやギリシャ思想の影響から死後の状態が描かれるようになった、と答えることになりましょうか。
Chimera=元証人さんがそれをまるで見てきたかのように言うだけではなく、人間の知の限界に謙虚であろうとする我々に対して「不勉強」と断罪することに反発しているのです。まっとうな聖書学者は、人間の頭で理解できる範囲のところを問題にしているに過ぎず、それ以上のところは牧師先生にお任せしているから自分も礼拝に出席できるのです。
説教中に「牧師先生それは違いますよ!」なんて誰も言い出しません。

最後に、死者にも意識がある、というキリスト教界への誤解を解くためにわが国に紹介されている本としては以下のものを参照してください。クルマンやユンゲルは、戦前から戦後にかけて大きな影響力を持ったドイツの新約聖書学者、組織神学者です。
「死後の生命」(T・A・カントネン、聖文舎、1965年)
「霊魂の不滅か死者の復活か」(O・クルマン、聖文舎、1966年)
「死 その謎と秘義」(E・ユンゲル、新教出版社、1972年)
聖文舎というのはもう廃業しましたが、ルター派のかなり保守的な出版社でした。

「数あるキリスト教の教派の中で無意識、無存在になると教えているのはキリスト教系新興宗教である異端のエホバの証人に影響を与えたセブンスデーアドベンティストくらいのものでしょう。」というのは、福音派の教説しか知らないChimera=元証人さんの、それこそ「偏見」と「不勉強」の成果です。

私はイスラム他多様な思想信条を受け入れますが、「福音的信仰」や「日の丸・君が代」を一方的に強要してくる勢力に対しては、「思想・信条の自由」のために抵抗いたします!

#146 2016年12月20日 06:57:54

Chimera
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

まず、私が福音派しか知らないなんてのは明らかな間違いです。
友人にカトリックもいればリベラルなプロテスタントもいますし、元JWでいわゆる信仰を失った古くからの友もいます。
引越しやらの関係でリベラルな教会にも数年通いましたので理解はあるつもりです。
うちの地域は教派を超えて仲のいい傾向にあり、よほどおかしなワンネス、ジーザスオンリーは別として(中には個人的に仲良くしてる人もいますが)ペンテコステ、カトリック、バプテスト、ホーリネス及びその他ウェスレー系、超教派、日本基督教団、聖公会、その他単立などとも根本では一致して理解し合い、仲良く交流しています。
1意見ですが、管理人の方も様々な見解を示して読者が選択できるようにしていたなら平等な運営となったでしょうが、それはできず個人的な感情での一方的な『真理の探究』となっているのは残念です。
KAOさんの教師としての働きは評価しており、KAOさんしか経験していない経験は、他の人にも大きな参考になるでしょう。それは反対していません。しかし、私が以前、指摘したように、聖書を単なる資料、テキストとしてしか見ないなら大事なメッセージが受け取れなくなりますよと言った通り、仕方ない事ですがあなたはそのままの状態でおられる。
そりゃ、秦剛平やアーマンばかり読むよう勧めたら周囲もそういう見解にもなります。
最近になって地獄の火は象徴的なものなのではないかとか、魂は存在しないのではないかと解釈する者が現れたとしても、地獄や魂、永遠の命は聖書の教える事であり、避けては通れません。パウロが主要な役割を担ったとはいえ、パウロがイエスに反してキリスト教を作り上げたとか、イエスの教えではなくパウロの教えだとか言い出すなら、(そういう方面での研究もいいですが)それは聖書を単なる資料としてしか見ていないのではないでしょうか。
それで、あなたは救われていますか?あなたの信仰はキリスト教のスタンダードな信仰ですか?
さて、個人の学者は別として、特定の教団、教派単位でどこか死後の魂や天国、永遠の命を否定して教えている団体があるでしょうか。あるなら教えて頂きたい。
最近出てきた『解釈』の書籍を勧めてくる所は、単に聖書を資料としてしか捉えていない現れのように見えます。
お相手してあげましょうとか、勉強不足だとか上から目線にも見えますが、あなたのそのような態度が押し付けではないでしょうか。洪水に関しては、ひとつの見解として提供しているに過ぎません。様々な読者に公平に調べてもらいたいからです。
進化論を受け入れて無神論になるか、進化はあやふやにしておくか、進化論の立場をとる教会に行くか、聖書を文字通り信じる教会に行くかない、理神論にもなるのもいいけど、隠れている神を探すのは難しいと当たり前の事を言っているに過ぎません。
あなたはまだ、話の通じる部分もあるので話をしてはいますが、他の方は(もちろん私もKAOさんもそうでしょうが)自分の考えを曲げたくないのかスルーしていると書いているのにレスしているようです。悪質ストーカークレーマーのようです。
私が平和的に行きましょうと提案しても、面白がってクリスチャンや神を批判し続ける人もおられました。途中、いきなり現れて突っかかってくる人もいました。リアルでは、相手の表情も見れますし、相手を気遣いながらお互い話せるでしょうが、掲示板という性質での見解の違う者同士という事で、致し方ない事もあるのかもしれません。
あなたは、初期クリスチャンがイエスを神として見ていたか調査中との事。
僭越ながら、あなたは幼くして洗礼を受けたものの、学問的追求に偏り、礼拝にもほとんど参加せず、資料的な読み方しかできず、フラフラと安定せず、様々な解釈ができると言い訳して神との関係を築く事を怠り、神との関係をあやふやにしたままで洗礼は受けたものの救いの確信もなく、求道者のように揺れ動いているのではないですか。
余計な『知識』ばかり増やして核心を捉えていないのではないですか。「主を畏れることは知恵の初め」とあるように、真の知恵とは神への畏れ(病的なおそれではない)と共にあるものです。単なる一般的な『知性』、『知識』とは異なります。
あなたは、本当の意味で神様と出会っておられないのではないでしょうか。
何も、神を信じろ!とか、大洪水を信じろなど強制して言っていないのです。あくまで自由であり、個人の選択です。もちろんの信仰を持つ立場から言えば神を信じて欲しい気持ちもありますが、それを押し付けと看做すなら、皆さんのほうも一方的な押し付けになるのです。
有意義な話し合いならまだしも、延々と返信し合いながら言い合う事に何の意味があるでしょうか。
ものみの塔協会の間違いを正しく指摘するのはいいですが、神や信仰、聖書を批判し続ける事に人生で何の意味がありますか。私が気にくわないのであれば、レスしなければいいのですが、他の方はムキになって自己の主張を通したいようです。
そのような人々の事を聖書では、自分の腹を神とすると言います。
フィリピ 3章 19節
彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。

説教くさくなりますが、神が残虐に見えたとしても、時に理不尽にも思える事があったにしても、その方が創造者であるならば従う事が最善の益となるのです。

神から離れる事が「罪」です。

信仰者の書き込みを見たくない無神論者は見ずにスルーすればいいのですよ。

後は、平行線でしょうから、各自が神との関係の中で判断されるとよいでしょう。

#147 2016年12月20日 12:55:15

Chimera
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

前に面白いページを見つけました。ドーキンスはヤハウェは認めていないものの、偉大な何かの存在は否定していないようです。

神は妄想とか進化論は事実だとか、あくまで彼の意見であり、妄想なんじゃないでしょうか。
彼の言う正体不明な『偉大な存在』とやらがいるとしたら彼に聖書の神を妄想などと言えるでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/mmesachi/touch/20070926

ドーキンスの主張に対しては、A・E・マクグラス著 「神は妄想か?―無神論原理主義とドーキンスによる神の否定」があります。



https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/476426 … 3%E3%81%8B

#148 2016年12月20日 14:18:47

てつてつ
メンバー

Re: 信仰を維持する

元証人さんこんにちは
ドーキンスさんの 主張には自分も同意しませんが
紹介してくださった リンク先の言葉
それにしてもね、私たちがどれだけ「科学的データ」や「証拠」を積み上げていったとしても、それだけでは人はキリストを主とは告白できないのだと、改めて思わされた。いくら自然界に創造主の存在を垣間見ることはできても、キリストを主と告白するためには、人は自分の魂と向き合わないといけない 私たちに必要なのは、創造主だけでなく、救い主なのだから。

については

人は自分の魂と向き合あう前に  科学的データ や 証拠 「一例としてノアの大洪水」が本当にあったことが理解できることが必要だと思います

それで事実がはっきりした上でそれに自分を合わせるか つまり自分の魂と向き合うつもりになれるとおもいます 単なる昔話や作り話では難しいと思います

私たちに必要なのは 昔話ではなく 事実 真実だと思います
神から離れることが罪なのではなく 真実から離れることが罪なのだと思います

編集者 てつてつ (2016年12月20日 15:22:52)

オフライン

#149 2016年12月20日 14:28:31

浪人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

うんうんそうだね君の言うことが正解だよと不特定多数から言ってもらえると俺って凄いんだ母ちゃんもガッコの先生も褒めてくれなかったけど本当は俺って天才なんだって思えるからここに来るんだよね。でももう気が済んだろ早く大人になりなよ。

#150 2016年12月20日 14:30:12

浪人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

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元証人にだよ。

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