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#51 2016年11月25日 20:25:23

カレブ
Administrator

Re: 信仰を維持する

では問題のイザヤの「イエスに関する預言」を実際に見てみましょう。

(イザヤ 7:13‐16) 13そこで彼は言った,「ダビデの家よ,どうか聴いてください。あなた方は,人を疲れさせることが自分にとってそれ程小さいことなので,わたしの神をも疲れさせようとするのですか。14それゆえ,エホバご自身があなた方にしるしをお与えになります。見よ,乙女が実際に妊娠して,男の子を産みます。彼女はその名を必ずインマヌエルと呼ぶでしょう。15彼は悪を退けて善を選ぶことを知るようになるまでには,バターとはち蜜を食べます。16その男の子が悪を退け,善を選ぶことを知るようになる前に,あなたがむかつくような怖れを抱いている二人の王の地は完全に捨てられるからです。

上記です。

「イエスに関する預言」なのでしょうか?

・処女が性交渉なしで子供が生まれることを予言しているわけでもなく
・西暦1世紀に向けて救世主の誕生を予告したものでもない。

ものみの塔協会は以下のように当時の成就について書いています。

*** 洞‐1 271ページ インマヌエル ***
当時の予型における「インマヌエル」は,ユダヤ人の乙女が産んだイザヤの3番目の息子で,その乙女は恐らく預言者イザヤの第2の妻となっていたのではなかろうかと言う人もいます。

単にイザヤが新しく若い女性を妻コレクションに加えて子供が妊娠しちゃったのでというおめでたい話かもしれません。


では上記の「預言」とヤングマスク氏の「預言」と何が違うのかを考えてみましょう。

ヤングマスク氏は旧約聖書の物語の「予型」を自分に当てはめて
予言が成就したと主張しています。

ではインマヌエルに関する記述がイエスに成就したという主張と何が違うのでしょう?

「聖書が述べているから」という以外の理由を見いだせません。


処女マリアの話は誰が伝えたか

マリアがイエスの死後に「実はわたし処女だったの」と追随者に告白した様子はどこにも書かれていません。
多くの著作を書き残したパウロでさえ、ヨセフとマリアの名前を記述していません。

仮に誰かが目撃者で、その目撃者の直接証言から来たのだ、だから信頼できると主張するのであれば
末日聖徒イエス・キリスト教会の創始者ジョセフスミスが金の板を地中から見つけたと主張し、それを目撃したという複数の人がいたという
事実のほうが信ぴょう性があることになってしまいます。

ジョセフスミスもヤングマスクも2000年前に生まれたら預言者として受け入れられていたかもしれません。
もしかしたら「ヤングによる署」が正典に選ばれていたかもしれません。

オフライン

#52 2016年11月25日 20:49:33

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

カレブさん、つまり、あなたは目撃証人がいてもいなくても、聖書に書いてあっても書いてなくても信じたくないという事なのでしょう。

仮にパウロがマリアに言及していたとしても聖書は信用できないと言い出すのです。

信じたくないのですよ、あなたは。

#53 2016年11月25日 20:59:44

カレブ
Administrator

Re: 信仰を維持する

>カレブさん、つまり、あなたは目撃証人がいてもいなくても、聖書に書いてあっても書いてなくても信じたくないという事なのでしょう。

信じたくないなんて思っていませんよ。
根拠があれば信じる、そのスタンスだけです。

元証人さんがジョセフスミスを信じないのと同じです。

オフライン

#54 2016年11月25日 21:37:27

yukahena
メンバー

Re: 信仰を維持する

元証人 さんの発言:

破綻してなどいません。

ルカによる福音書ですが、マリアははっきりと私は男の人を知らないと述べています。
また、パウロもイエスが御霊によって来られた事を伝えています。

ルカはパウロの協力者でしたから処女懐胎の事も聞いていたでしょう。

福音書にははっきりと聖霊によって身ごもったと書いてあるし、パウロも認識していました。

福音書に書いてあるから事実であるわけではありません。
同じようにパウロが認識しているから事実であるわけではありません。
聖書が正しいという主張には、まず巻頭の創世記、その創造の記述やここで話題になっている有名なノアの方舟
ですら数々の証拠によって否定されていて、裁判で言うなら公判を維持できない状況です。

元証人 さんの発言:

初期クリスチャン達も誰も異議を唱えていません。
また、ヨセフは正しい人だったと述べられています。
結婚前の不倫などによる妊娠は厳しく罰せられ死罪でしたがマリアは殺されてませんね。

異議を唱えたという聖書の記述は無いのでしょうね。私もそれは同意いたします。
殺されてませんというのは、例えばバテ=シバあたりはばっちり不倫ですが殺されていないので証拠としては頼りないです。

元証人 さんの発言:

さて、起きている事を見て とは、一世紀に起きている事をイエスを通して見て神を見出し、イエスをインマヌエル、共におられる神と確信したという意味です。

それともなんですか、ヨセフとの子供やローマ兵との間の不倫の子などというものを見て初期クリスチャン達がインマヌエルと表現し信仰を持つのでしょうか?

当時よりはるかに情報化されている現代でも怪しげな教祖のもとで新興宗教に入信するだまされたがっている人たちがいますからね。迷信深かった昔はさもありなんではないでしょうか。
入信する人たちが教祖の正確な出自を調べるのははるかに難しかった時代ですし。
いつの時代にも数々の事実を自身の信じるもののためや希望的憶測で、直視しなかったり捻じ曲げて解釈する人が存在するということです。

編集者 yukahena (2016年11月25日 21:48:15)

オンライン

#55 2016年11月25日 22:45:03

KAO
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

カレブさん
ネイサン・ブラウン訳についてですが、本という物は著者(訳者)が亡くなっても、需要があればどんどん発行され続けます(聖書なんて2000年間ずっと)から、1906年(初版1900年)のバプテスト教会出版版ブラウン訳はあるみたいですよ。ただし、現在存在が確認されているのはもう少し後の版だけです(大きな違いはないと思われますが)。これは協力者ホワイトによるブラウンの意にそぐわない改訂版で、カレブさんが探して来られたのは本当のブラウン訳です。彼は全ひらがな聖書を理想とした人です。これにはエホバは出てきません。

元証人さん
ネイサン・ブラウン訳『引照新約全書』(バプテスト教会出版。1900年)の情報ありがとうございました。

「もしかしたら後年にバプテストから出されたものがあったかもしれないとも考えましたが、それもなさそうですね。」

それがあるんですよ。後年にバプテスト教会出版が出したものが存在するんです。ただし、私は現物を見たことがないどころか、ブラウンや和訳聖書の研究書においても後代の版や孫引きで引用されたものしか見たことありません。以前著書を紹介した和訳聖書研究者の藤原藤男氏でさえ「どこにも見当たらない」(P105)と嘆いている幻の聖書なんです。
後代の版や孫引きといった限られた史料に当たっても、残念ながら「エホバ」を含む引用は見つけられませんでした。理由は、バプテスト系の関東学院大学が関東大震災で我が国におけるバプテスト関連の貴重な史料を全て焼失したこと、同様に日本における初期の聖書関連蔵書を多数有していた大阪の上田文庫が戦災で焼失したためです。
協会は、意図的に研究者によってさえ確認されていないバージョンを伝えてきたのではないかと勘ぐってしまいます。ちなみに私の投稿の目的は、「信仰の根拠」を壊すことではなく、JWお花畑の中に「疑念の種」を蒔くことです。私自身も一応クリスチャンです。

【以下の文章はネット監視団の方から直接ベテル本部にお伝えください】

小澤三郎氏のようなブラウンの専門研究者でさえ確認できていない貴重な史料を、ものみの搭聖書冊子協会が所蔵なさっているのなら、(エホバ問題抜きにして)ぜひ、国内で閲覧可能な状態で公開していただきたいと思います。はたして自前の「燈台社」の出版物さえ満足に揃っていない海老名支部に本当にあるのでしょうか? 海老名の資料展示室の壁にくっつけてあった燈台社の書籍、ラザフォードのレインボーシリーズの明石順三訳は、全て表紙に発泡スチロールをはさんだハリボテでした。
もし、ネイサン・ブラウン訳の1800年代版とバプテスト教会版の1906年版より後の版には見られない「エホバ」が、幻とされる1900年版と1906年版にのみ見出されるのだとしたら、それは聖書和訳史における新発見ということになります。「なんでも鑑定団」で真贋が明確になれば、国内屈指のコレクションを誇る天理大学図書館や、バプテスト系の関東学院大学または西南学院大学の図書館が言い値で買い取ってくれるはずです。そうなれば我々一般人も研究のための閲覧が可能になりますし、何より協会にとっても「世界的な業=裁判費用」が工面できていいことずくめです。日本における貴重な遺産ですから、間違っても新世界本部の中に建設中の「聖書博物館」なんかに寄贈しないでくださいね。あちらの方は読めないし、その価値も分からないかと思います。


冗談はこれくらいにしておき、本題に入りましょう。
バプテスト教会出版から出されたこの聖書は、「ブラウン訳」と銘打ってはいますが、実際にはその協力者であるホワイトが度重なる改訂を施して、ブラウン訳からはなはだ遠ざかった聖書だとされています。ブラウン自身は漢字を廃した「平仮名訳」(ローマ字併記)の実現を目指していましたが、ホワイトはブラウンの生前から、これに全面的に漢字を導入しています。したがってブラウンはバプテスト版を離れて独自の改訂作業を進め、順次分冊で刊行しています
それらも多くは震災・戦災で焼失しています。
こうなると、現物確認は絶望的にならざるを得ませんが、私は以下の理由で「エホバ」復元はなかったと確信します。

第一に、和訳聖書の研究書「日本の聖書‐聖書和訳の歴史‐」(海老沢有道著、日本基督教団出版局、1981)では、ブラウン訳の特色についてわざわざ1章を充てて詳しい紹介を行っています(第8章)。例えば先に書いたようにローマ字を併記したことや、日本古来の干支時刻から24時間制に変わった1863年(明治6年)の状況を反映して、本文では聖書原文を尊重し、ローマ字表記の傍注で和時刻を示すという工夫をしている点、そしてバプテスト派ならではの主張として、「バプテスマ」の訳語を「洗礼」ではなく「浸礼」(ひたすと読む)にこだわっている点などを挙げています。ブラウン自身はそもそも、各教派合同の翻訳委員会に所属していましたが、この「バプテスマ」訳語問題でこれを脱退し、バプテスト派独自の聖書翻訳を目指しています。こんなところにも、聖書神学上、教会典礼上の問題が、聖書翻訳に多大な影響を与える事情が見て取れます。
横道にそれましたが、こういった「訳語」に現れるブラウン訳の特色の紹介する章で、「キュリオス」⇒「エホバ」への変更については、まったく触れられていません。数多くある初期の和訳聖書の中で、ブラウン訳にしか見られない(と協会が主張する)独自性があるハズなのに、専門書でそれを紹介しないものでしょうか?

第二に、底本の問題があります。和訳聖書やローマ字の確立に多大な影響を与えたヘボンらは、和訳聖書の底本として一応はギリシャ語原典に基づくとしながらも、ジェームズ王欽定訳を標準に定めると主張しました。それに対してブラウンはあくまでギリシャ語原典によるべきだ、と主張したという事実があります。いうまでもなくギリシャ語原典には「キュリオス」しか出てきませんし、逆に欽定訳の方には数箇所とはいえ「エホバ」が出てくることはJWの常識でしょう。すなわち、状況証拠は皮肉なことに協会の主張とは真逆の方向を指し示しています。

第三に、聖書に出てくる「重要概念」の訳語選定リストに「主」を挙げる史料がありません。
古代の地中海世界で生まれた聖書は、東洋にはさらに欧米経由で伝えられました。全く文化圏の異なる世界から重ねて他言語に置き換えられたということです。大変な苦労が想像できます。加えて日本語訳は、先んじて存在する漢訳聖書の影響下にあります。とりわけ論争の多かったテーマとしては、「神」をそのまま使ったのでは多神教文化の中で誤解が生じるというので「真神」「上帝」「天帝」等を経て「天主」となります。サタンが「鬼」「悪鬼」「邪気」などされるのは容易に理解できますが、キリシタン時代の聖書が「パン」を「餅」と訳しているのはご愛嬌です。存在しない物は近い物で代用するしかありません。
学生時代の教会史の先生が、「日本の協会はパンとワインで聖餐式をやる必要はないですね。食事の基本要素ということですから、お茶とおにぎりでやったらいいんです。」とおっしゃっていたのを思い出しました。こういった「概念」の置き換えもあちこちでなされました。

『聖書の日本語』(鈴木範久、岩波書店、2006)は、和訳聖書の「訳語」の変遷を辿る上でそういった重要な「概念」を、キーワードとして30語挙げています。リストは50音順に以下の通り

愛、悪魔、安息日、異邦人、栄光、神、救世主(メシア)、教会、悔改、クリスチャン(基督者)、祭司、使徒、聖書、聖徒、聖霊、宣教、全能、選民、洗礼、造主、天国、天使、伝道者、パラダイス(楽園)、ハルマゲドン、福音、復活、黙示、預言者、隣人、以上です。

「主」はどこにも入っていません。和訳以前に、宣教師たちが漢訳に先立って訳語を定める必要があるとしたリストの中にも「Lord」は入っていません。これらのことが意味するのは、近代においても「キュリオス」を他の「何か」に置き換える必要性は検討されなかったということです。

原典に裏づけのないテトラグラマトンを新約に持ち込むというのは、「復元」でもなんでもなく、改竄であり捏造です。そんな行為はまったく念頭になかったからこそ、19世紀の史料にも(1~2世紀の史料の中にも)、一切の言及がないのでしょう。

協会が「エホバ復元」の裏づけとして持ち出す「J参照」と称するヘブライ語版新約聖書の底本は何でしょうか? ギリシャ語原典ですね。
オムレツから生卵が作れますか?

#56 2016年11月25日 23:03:02

ささらほーさら
メンバー

Re: 信仰を維持する

元証人さん、こんばんは。
はじめまして
久々にやってきて唐突にすみません。


わたしの場合、信仰を捨てた・・・というより
聖書に関する多面的な情報を取り入れてみたら
信仰を維持する『根拠』がなくなった・・・ということです。


例えば、
イエスに関する300以上の聖書預言が成就した・・・の多くは、JWのこじつけに過ぎないことがわかりました。
カレブさんがマリアの処女性に関するイザヤの預言について解説されていますが
そんな風に、JWの多くの解釈がヤングマスクさんのこじつけとほぼ同列であることがわかりました。


元証人 さんの発言:

カレブさん、つまり、あなたは目撃証人がいてもいなくても

『目撃証言』という単語をよくJWは用いていましたが
その言葉に踊らされてはいませんか?
本当に、それが『目撃証人』の言であるとどうしてわかりますか?

例えば、
イエスの復活を目撃したという記録ですが
福音書のそれぞれの「その箇所」を読み比べてみたらいかがでしょうか。
一見すると同じことを記述しているようですが
良く読み比べてみると全然違うことがわかります。

ヨハネ:週の最初の日,マリア・マグダレネは,朝早くまだ暗いうちに記念の墓に来た。そして,石がすでに記念の墓から取りのけられているのを見た。それで彼女は,シモン・ペテロ,そしてもう一方の弟子でイエスが愛情を持っておられた者のところに走って来て,こう言った。「人々が主を記念の墓から取り去ってしまい,どこに置いたのか分かりません」。

マタイ:大きな地震が起きた後であった。エホバのみ使いが天から下り,近づいて石を転がしのけ,その上に座っていたのである。(割愛)しかしみ使いは答えて女たちに言った。(割愛)~あなた方はそこで彼を見るでしょう。見よ,わたしはあなた方に告げました」。

二つの福音書だけを引用しましたが(新世界訳)
・女たちはみ使いが石を取り除けたことを知っていたのですか?知らなかったのですか?
・み使いは女たちに指示を与えたのですか?それとも女たちはペテロたちに頼る必要があったのですか?
・女たちはイエスがどこにいるか知らなかったのですか、それともイエスの行き先をみ使いから聞いて知っていたのですか?


JWはよく、四つの福音書は補完関係にあり、それぞれが物事を別の角度から扱っている・・・と説明していましたが、上記のように極々一部だけを取り上げてみても全然違う状況が描かれているわけで・・・どちらが『真実』であり、どちらが真の『目撃証言』なのか・・・ひとつの答えを出すことには無理があります。


KAOさんも取り上げておられたアーマンは、聖書を垂直に読むことを勧めていました。
それは、順次読み進めていく普通の読み方ではなく(その読み方では、なかなか矛盾に気が付かない。)
同じ事象に関する記述をそれぞれの書から抜き出して比較する読み方だそうです。
今まで気づかなかった、あるいは漠然と抱いていた「パズルがピッタリ合わない」違和感の原因がわかるかも知れません。


そうしていくと

元証人 さんの発言:

聖書に書いてあっても書いてなくても信じたくないという事なのでしょう。

これは重みのない言葉になってしまいます。

これはJWに関してのみの問題ではないと言えるかも知れません。
『聖書』そのものの歴史や真実がわかると
『聖書』に書いてあるから真実・・・ということには無理があることがわかります。
もしかすると、心の奥底に、ただ『信じていたい』という願望があり
「見たいものが見え、信じたいものが真実に思える」という
本来持っている人の心理からくる錯覚・・・・・・かも


その人と周囲にとってプラスになるなら
   わたしは信仰を持つことは否定しませんが

編集者 ささらほーさら (2016年11月26日 08:16:27)

オフライン

#57 2016年11月26日 06:22:49

てつてつ
メンバー

Re: 信仰を維持する

KAOさん興味深い書き込みありがとうございます

オンライン

#58 2016年11月26日 09:10:15

ラハム
メンバー

Re: 信仰を維持する

KAOさん、貴重な情報ありがとうございました。
わたしは最近藤原藤男氏の
「聖書の和訳と文体論」を購入しました。
p105には引用されたとおりに記載されています。
藤原氏の略歴を見ると明治33年生まれです。
だから、話題になっている日本語訳も手に入れやすかったと
思うのですが、できなかったことを考えると
それがほんとうに存在していたかどうかも
あやしいような気がしてきますね。

わたしは最近明治学院大学デジタルアーカイブスも
ちょくちょく除いているのですが、
このアーカイブスの和訳聖書の一覧には
話題になっている聖書の翻訳名が出ていました。
でも、大学でも現物はないようです。
全部ひらがなの聖書はネット上で閲覧可能でした。
ちょっと見た限りではカレブさんが探してくださった
マタイ4章と同じです。同じかもしれない…。

その日本語訳にYHWHが訳されていたとしても、
原典には表記されていませんので、
YHWHを新約聖書に復元するには
説得力が非常に弱いと思います。

元証人さんが協会に翻訳のコピーを
送ってくれるように依頼したら、
どうなるだろうと思います…。

オフライン

#59 2016年11月26日 10:32:01

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ラハム さんの発言:

元証人さんが協会に翻訳のコピーを
送ってくれるように依頼したら、
どうなるだろうと思います…。

協会の返事としては、「コピーサービスは行っていません。」だと思いますよ。

他の方は実際に他の出版物のコピーを希望したところ、そのように言われたそうです。

#60 2016年11月26日 12:24:33

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ささらほーさらさん


>多面的な情報を取り入れてみたら
信仰を維持する『根拠』がなくなった・・・ということです。

本当に多面的に調べていますか?
神学を学んだ人間なら福音書に矛盾があるという事は指摘されなくとも誰でも知っているものです。
多面的に調べたというのなら、佐倉哲さんの聖書の間違いを読んだら聖書の間違いの間違いも読み、バート・D・アーマンを読んだらブルース・メツガー等の護教的なものも読まなくてはなりません。
この点でおすすめなのは、様々な聖書学者の文章が読める『ナザレのイエスは神の子か?』いのちのことば社です。

ドーキンスの神は妄想であるなどを読んだら、マクグラスの神は妄想か?も読むべきでしょう。

聖書の細部に矛盾点がある事は何ら聖書の信憑性を落としてはいません。

食い違いがあるという事は、それぞれが口裏合わせをしておらず独立した目撃証言であるという証明です。


【引用】

ハーバード大学法律大学院のサイモン・グリーンリーフは

「福音書にある相違は、その著者が前もって何らかの協力作業を行っていないことを証明するに十分である。同時に福音書の内容が大きく似ているのは、彼らが実際に起きた事実を個々に記録したことを示すものでもある。」
と述べています。

さらに、一流の歴史学者であるドイツ人研究者のハンス・シュタイアも、「捏造した話はその細部まで内容が完全に一致、調和している傾向にあり、基本的なデータとその詳しい内容との間に相違がある場合はその話の信憑性が増す」

と、グリーンリーフと同様の意見を述べ、さらに、「歴史家はみな、歴史的大事件の記録に矛盾が存在しないのを発見したとき特に懐疑的になるものだ」と書いています。
(ナザレのイエスは神の子か?P73)

ですから、矛盾点ではなく調和している点が重要なのです。
神がおられて人類のために愛する御子を遣わして十字架の贖いを備えて下さった事です。

古代ユダヤ社会では、伝えたい本筋のメッセージさえしっかりと伝えれば比較的重要でない細部は自由にアレンジしてもよかったのです。


また、アルマー、パルテノス問題は私が貼ったページで詳しく書いてあり処女と訳しても何ら問題ないと言えますし、アーマンとその信奉者達は論破されていると言えるでしょう。

また、ルカによる福音書でマリアが男の人を知らないと書いてあると述べたのは、カレブさんのパウロは処女懐胎について考えてもいなかったというような意見への反論です。(ルカはパウロの協力者でした。)

パウロが書いていたところで懐疑的な人達が信用するはずもなく、書いてなくても信用しないのですから私の言った事は当たっているでしょう。
トマスのように疑う事もいいとは思いますが、あまりにも偏った視点からしか見ていないというのが感想です。
新約聖書以外でもヨセフス、タルムード、タキトゥス、小プリニウスらのクリスチャン記者以外の文献からイエスの活動について知る事もできますが疑う人はそれらも疑うでしょう。







モルモン教のジョセフ・スミスが現れて本当の教えを説くなどとは聖書のどこにも預言されていません。
ニューヨークにあるコロンビア大学の人類学科の見解は、
「私の信じるところによれば、モルモン経に記されているアメリカインディアンの先史時代史に関しては、価値あるものは1つもない。アメリカの考古学者の大部分は私に同意するであろう。モルモン経は、聖書的にも、歴史的にも、科学的にも誤っている。」
と述べています。

また、ワシントンにある米国国立博物館の研究所では次のように言っています。
「科学的調査によって明らかにされた考古学的遺跡とモルモン経の主題となる事柄とは全く無関係であると断言することができるのである。」
と述べています。






ヤングマスクなど信用できない男であり比較するほうがおかしいのです。

#61 2016年11月26日 13:18:45

ルート
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

元証人さん。

記録が示し合わせたかのように合い過ぎている場合は、かえって創作、捏造が疑われる。
私もそう思います。

あなたは聖書の神の信仰者なようですので、JWもよく口にする「賜物」というものに想いを馳せることがあると思います。

元証人さんには元証人さんの賜物があり、カレブさんにはカレブさんの賜物があり、ヤングマスクさんにはヤングマスクさんの賜物があり、サーティさんにはサーティさんの賜物があります。
一見信用できない、もしくは平和的でない物言いなどの特徴の中にも、少なくとも「エセ信仰者装い荒らし」、ではない「聖書の真剣な研究考察の跡」が垣間見られるならば、その人たちが書き記し、登場して主張することの内には、100%信用できないということはあり得ず、賜物を活用した若干の真実も確かに含まれているものです。

私はそういう見方を失わないようにできるだけ努力していたい、と願っている者です。

#62 2016年11月26日 14:34:13

ささらほーさら
メンバー

Re: 信仰を維持する

元証人 さんの発言:

本当に多面的に調べていますか?
神学を学んだ人間なら福音書に矛盾があるという事は指摘されなくとも誰でも知っているものです。
多面的に調べたというのなら、佐倉哲さんの聖書の間違いを読んだら聖書の間違いの間違いも読み、バート・D・アーマンを読んだらブルース・メツガー等の護教的なものも読まなくてはなりません。
この点でおすすめなのは、様々な聖書学者の文章が読める『ナザレのイエスは神の子か?』いのちのことば社です。

ドーキンスの神は妄想であるなどを読んだら、マクグラスの神は妄想か?も読むべきでしょう。

聖書の細部に矛盾点がある事は何ら聖書の信憑性を落としてはいません。

食い違いがあるという事は、それぞれが口裏合わせをしておらず独立した目撃証言であるという証明です。


元証人さん、返信ありがとうございます。

全ての資料を読破することは一生をかけてもできないものです。
元証人さんが取り上げてくださった資料以外にも、同様の本は腐るほどあります。

ただ、わたしの場合、誰がどう言っているか・・・ではなく
どれが事実か・・・を知りたいと考えて調べています。
自分の「直感」に頼ることもあります。(どの学者の言葉も解釈も、『周知の事実』が出てくれば最後にはこの直感に尽きます)

ですので、アーマンの意見が正しいとか、どこの大学の有名教授がこう言っているからそうなんだろう、はありません。
それぞれのご意見は、ほんの参考までにしか考慮しません。


ところで、アーマンもドーキンスも長谷川修一も同じような事実を観察しています。
すなわち、聖書を歴史的・批判的手法(もちろん考古学的にも)で調査した結果
聖書には多くの矛盾と時代錯誤が含まれていることを認めても
その人々が、一旦「聖職者」や「聖書学者」になると、ほぼ間違いなくそのことを話題にさえ出さなくなる

付き合いのあった多くのJWの長老たちもそうでした。
わたしと話すとき、率直に聖書にもJWにも不備が満載であることを認めるのに
会衆では、それを「おくびにも出さない」のです。

これはいったい何を意味しているのでしょう。
信仰の持つ不可思議な力だとわたしは感じています。



わたしにとってはですが・・・
聖書の記述に矛盾と時代錯誤(これは、記述が歴史的に完全に時代誤認している部分のことです。考古学ではそう呼ぶそうです。)があるなら
それはすでに「全能の神」の保護下にあるとは考えられません。
JWと同じように、何らかの言い訳(サイモン・グリーンリーフとかハンス・シュタイアを取り上げてくださいましたが)や詭弁が必要であるなら
そんな「意地の悪い神」は信頼に値するとは思えません。

考えてみてください。
サイモン・グリーンリーフの
「福音書にある相違は、その著者が前もって何らかの協力作業を行っていないことを証明するに十分である。同時に福音書の内容が大きく似ているのは、彼らが実際に起きた事実を個々に記録したことを示すものでもある。」
この文章、おかしくないですか?

・福音書にある相違は、その著者が前もって何らかの協力作業を行っていないことを証明するに十分である。

これはわかります。
実際には「福音書」の聖典に入れてもらえなかった他の書物も含め
それぞれがてんでバラバラに、時期と主張を違えて書かれているのですから、その通りでしょう。

問題は
・同時に福音書の内容が大きく似ているのは、彼らが実際に起きた事実を個々に記録したことを示すものでもある。
この部分です。

必要なのは「似ている」かどうかではなく、「一致しているかどうか」でしょう。
そうでなければ、どうして「実際に起きた事実を個々に記録したことを示すものでもある」などと言えるのでしょう。

例えば、
・弟子が数人集まっていた。
・弟子が4人集まっていた。
・4人ほどの人が集まったが、それらはみな弟子であった。
・数人の弟子が集まり・・・。

こういった違いは表現の仕方に違いがありますが、言っていることは「一致」しています。似ているのではなく「一致」しているのです。

・弟子がいた。
・弟子が4人集まっていた。
・4人の人が集まっていた。
・4人の弟子が来た。

こういった違いは表現の仕方だけではなく、似てはいても内容に「一致」がみられません。


同じように、先に挙げたイエスの復活の目撃情報は「似て」はいても「一致」してはいません
これでは、どんな高名な学者さんの発言であっても認めるわけにはいかない・・・というのがわたしの結論です。

一致していると言えるのは、その個々の証人の『表現の仕方』が違う場合のみです。
どんな表現を用いても、起きた事柄が一致しているなら問題はないでしょう。

ところが
・同時に福音書の内容が大きく似ているのは、彼らが実際に起きた事実を個々に記録したことを示すものでもある。

どうして、こんな結論に至れるのでしょう。
マルコが最初に書かれ、数年、場合によっては数十年を経て他の書が書かれていることが知られています。
であれば、初期に書かれた福音書を参考にすれば、似た書物はいとも簡単に書けるのではありませんか?
逆に、クローズアップしたい内容が違えば疎かにする部分も出てくるでしょう。


また、ハンス・シュタイアの「捏造した話はその細部まで内容が完全に一致、調和している傾向にあり、基本的なデータとその詳しい内容との間に相違がある場合はその話の信憑性が増す」

この文章も疑問が残ります。(全体を読んでいないので・・かも知れませんが)
すでに「捏造」と認めているなら、細部まで完全に一致、調和していて当たり前ではありませんか?
この主張、ちょっと首を傾げてしまいます。

また「基本的なデータ」とは何を差しているのでしょう。
聖書の「原本」とみなされるものは存在していません。
では、何を「基本的なデータ」としていて、それは何故なのでしょうか?

まあ、アーマンも同じような点は認めています。
いくつもの写本の中の「同じ書の同じ場所にそれぞれ相違点が認められる場合、他の記述とより調和の取れたものより、より相違点があるものほど『原本』に近いと言えるかも知れない。何故なら、人の心理はそのように(整合性を取ろうとする)働くからだ」



ところで、元証人さん
先に出した「イエスの復活の証人の件」
どの記述、どの順番が事実なのでしょうか?

マタイによるとみ使いはひとりですが
他の書では2人です。どちらが事実なのでしょう?

更に言えば、マタイ、マルコ、ルカではみ使いが
「彼はここにはいません」と宣言しているのに
何故かヨハネの記述では
墓のところでマリアはイエスに会ったことになっています。

どちらが事実なのでしょう。
二つの事実は存在しません。
そうすると、サイモン・グリーンリーフの言うところの「実際に起きた事実を個々に記録した」ことになりませんね。


信仰を持つことは否定しません。
でも、信じ易いのは要注意だと思っています。

多くの資料を調べてみるのは良いと思いますが
その理論が本当に筋の通ったものかどうか、よく咀嚼することは大切だと思います。


最近、わたしは心理学的に信仰について知りたいと考えています。
(本当は最近でもないけど、調べ始めたのは最近)
今は「進化心理学」の分野の資料を読んでいます。

編集者 ささらほーさら (2016年11月26日 14:46:46)

オフライン

#63 2016年11月26日 15:57:07

akame
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

yukahenaさん

>聖書が正しいという主張には、まず巻頭の創世記、その創造の記述やここで話題になっている有名なノアの方舟ですら数々の証拠によって否定されていて、裁判で言うなら公判を維持できない状況です。


その通りです。

この世界の始まりや死生観はキリスト信仰の根幹が含まれ、その点創世記は欠かすことはできません。他の部分で幾ら擁護的解釈が可能であっても、創世記(死や病気、命の原因)の根拠が脆弱なら、土台や基礎無しに家を建てるようなものです。

#64 2016年11月26日 16:37:54

KAO
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

帰ってきたらメチャ進んでるし…

【元証人さんの発言】
「また、アルマー、パルテノス問題は私が貼ったページで詳しく書いてあり処女と訳しても何ら問題ないと言えますし、アーマンとその信奉者達は論破されていると言えるでしょう。」

元証人さんが貼り付けていらっしゃるリンクのことですかね?

このブログの主の方は、たまたま検索に引っかかって勝手にリンクを貼られただけで、ここで行われている議論に参加していらっしゃるわけではありませんよね。なので本人のあずかり知らないところで巻き込んでしまうのもどうかと思うのですが、どのみち、てつてつさんから「お呼び」がかかってコメントを求められそうな気がするので、一応コメントを加えておきます。

この方は間違いなくカトリックの、それもかなり熱心な信者さんですね。フランシスコ会訳やバルバロ訳に親しんでおられるようですし。大変勉強熱心な方ではありますが、実際に聖書学を学ばれた経験はないようです。

処女懐胎を信じたいあまり、希望的観測のもとに推論の上に推論を重ねて処女懐胎を擁護なさってます。今はどうか知りませんが、カトリックはイエスがマリアの産道すら通らず、子宮を通り抜けて出てきたと主張しているそうなので相当手強い。これにはさすがにゴリゴリのプロテスタント福音派もドン引きしています(『聖書学用語辞典』いのちのことば社、2010年)

ブログ主の主張の基本的な枠組みは、なんと1600年前の聖者ヒエロニムスの護教論です。なんといってもヒエロニムスはカトリック信者にとっては「ウルガタ」を作った聖人ですからね。もちろんプロテスタントにとってもヒエロニムスは偉大な神学者には違いありませんが、さすがに1600年前の語釈を今日そのまま受け入れるわけにはいきません。ブログ主同様、動機もあまりに明確ですしね、分かり易いです。でも、せめて現代の辞書くらいは引いてくださいよ。この方、ほとんどの論拠をヒエロニムスの語釈の乗っかっていますが、これでは「コペルニクスの書物を持ってきて、アインシュタインに文句を言う」の図ですよ(笑)。

それが、ヒエロニムスの引用を離れてこの方自身の論証となると…こんな感じです。

『繰り返すが、日本聖書協会の新共同訳聖書は、「ベトゥーラー」(16節)を「処女」と日本語訳し、「アルマー」(43節)を「おとめ」と訳している。このことからも、「アルマー」が「ベトゥーラー」の婉曲表現(雅語)であることが裏付けられるのである。』

のだそうです…ヘブライ語の語釈の根拠が、なんと日本語の新共同訳だとは!これには恐れ入りました。聖書学のゼミで、もしこんな発表をしたら途端に吊るし上げですね(怖)。

もっと根本的なところで、スタートからズレていますよ。例によって七十人訳の話になるのですが、このブログ主が論駁したつもりになっている相手は、「キリスト教徒がアルマーをパルテノスと誤訳した」(と主張している)らしいのですが、これはひょっとしてヒエロニムス時代の論敵の主張なのでしょうか?(調べてなくてすみません) 少なくとも現代にそんな時代錯誤な主張(七十人訳はキリスト教徒が翻訳した!)をする人間がいるはずもないのものですから…

多分この人、ヒエロニムスの主張に乗っかってしまったばかりに、自分自身も古代にタイムスリップしてしまって、七十人訳についての現代の知見を基に、古代の論敵を「論破」して鬼の首を取った気になっていらっしゃいませんか?(笑)。
こんなブログをおおやけに公開しちゃうなんて、イタイですね~。リンク貼られたせいでさらに拡散されましたね。私も気をつけなきゃ…
こんな程度の「素人」の前に「ド」という接頭語がつくような人の護教論で、アーマンさんが論破されようはずがないではありませんか。


本当のことをいうと、この「誤訳起源説」も、処女懐胎の物語を合理的に理解しようと聖書学者の考えた「学説」のひとつには違いないのです。それよりもカレブさんが書き込んでくださったように、イザヤの預言そのものを詳細に検討する必要があります(詳細でもないですね、普通に読めばいいだけです)。カレブさんは「インマヌエル預言」本体の部分だけを引用してくださっています(これだけでも充分にご苦労さまです)が、みなさんは、できればイザヤ書の最初のところから読んでみてください、最低でも8章の終わりまで。

イエスから遡ること700年前、周辺諸国の脅威に晒されていたアハズ王は、宮廷預言者であったイザヤから「慌てないでヤハウェに信頼を置くように!」と忠告を受けます。しかし、風雲急を告げるシリア・エフライム同盟に恐れをなして、こともあろうにアッシリアのティグラト・ピレセルに貢物を送って助けを請います。その結果ユダ王国はアッシリアの干渉を受けることになって、エルサレムの中に偶像がはびこることになるのです。その状況の下に先のイザヤの預言が語られることになったのです。処女の懐胎とは何の関係もありません。「もうすぐ若い女が子を産む。その子どもが成長する前に、周辺諸国がアハズを攻め滅ぼすであろう。」とイザヤは預言したのです。同じような内容が、8章3~4節にも繰り返されます。

そう、これは「裁き」の預言であって「救い」の預言ではありません。イザヤはあくまで当時の状況に従って預言をしたまでであって、700年後のメシアの登場を預言したわけではないんです。そう解釈したのはマタイです。これを「間違った解釈」とするかどうかは各自ご自由に判断なさってください。ただしマタイの理解が正しいとするなら、この預言はアハズ王にとっては全く意味を為さないものであったということになります。

こう言ってしまうと、実は福音書記者の(旧約)聖書の利用法も、ものみの搭協会の聖書利用法も五十歩百歩だということになります。前後の文脈は一切無視して、自分が「使える」と思ったところを切り取って使っているだけです。他にも新約における旧約の引用部分を検討してみると面白いと思います。聖書記者は七十人訳がそのまま使えるところは一語一句引き写していますが、やや合わないと思うと、自分で適当にカットしたり、語を補充しながら自由に「訳」しています。聖書記者たちの場合は、引用のルールとか著作権なんて概念のない時代ですから問題ありません。も搭も古代だったなら許されたでしょう。でも残念ながら現代では許されません、アウトです。

最後に関係ないですが、私は元証人さんが聖書への信仰を持続していらっしゃることを尊重したいと思います。エホバの証人になった経験がない私が言うのも変ですが、同じ元証人の方々から攻撃されているのはなんだか悲しくなります。覚醒後に信仰を捨てるか続けるかの選択はそれぞれ自由でいいかと思います。大切なことは真実を知ることなので、我がJW児童にしても、成長して自分でしっかり勉強して、精神的にも経済的にも両親から自立した上で「JWとして生きてゆく」というのであれば、それはそれでいいと思いますし(多分そうはならないと思いますが)、他の教会に行くならそれもいいでしょう。

てつてつさんあたりから「おまえの書き込みが一番つまずくんだよ!」という声が聞こえてきそうですが…

元証人さんが書いておられたように、アーマンさんは信仰を捨てましたが、これはむしろ稀な例で、実際にはアーマンさんの師匠のメツガーさんはじめ、欧米の聖書学者には保守的信仰の持ち主が多いです。田川先生でさえ70~80年代にあれだけキリスト教批判、宗教批判をしておきながら、80歳となった今になってニコニコしながら「僕もクリスチャンです」なんて言ってます。もし会う機会があれば、「先生ひょっとして地獄の火が怖くなってきました?」ってツッこんでみたいです(笑)。田川先生は、その人生のほぼ全てを聖書の研究に捧げられたわけですから、きっと天国に入れてもらえるでしょう。もし天国で聖書記者たちに会うことができたら「本当のところネタ本は何よ?」という感じで聞きたいことがいっぱいあるでしょうね~。

#65 2016年11月26日 20:26:29

てつてつ
メンバー

Re: 信仰を維持する

KAOさんこんにちは

どのみち、てつてつさんから「お呼び」がかかってコメントを求められそうな気がするので、一応コメントを加えておきます。

ちょうどランプの精にお願いしようと思っていたところでした

イザヤ書の詳細な解説ありがとうございます

でやっぱり

「おまえの書き込みが一番つまずくんだよ!」という声が聞こえてきそうですが…

完全につまづきました もう聖書がズタボロになって信じるところがなくなりました「冗談です」

ところで 自分も 藤原さんの 聖書の和訳と文体論102ページ 贖罪論 ガラテア書の研究もってました なぜ購入したのかどこまで読んだのかわすれたのですが 明石順三の関係だったか 岩村義男さんの関係だったかもしれません

元証人さん 自分は創造者に対する信仰は失っていないです しばらく前までは聖書は100パーセント 神様の言葉だと思っていましたが 聖書のある記述は正しく ある部分は間違いで あるということがよりはっきりしてきただけです 自分はより正確で正しい情報のあることを信じたいと思っているだけです  ちょっと前にカレブさんが述べたのと同じ考えで 信じること自体が善だとは思っていないです
(ヘブライ 11:1) …信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です…

編集者 てつてつ (2016年11月26日 21:18:21)

オンライン

#66 2016年11月26日 20:59:21

KAO
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

よかった!
「ランプの精」なんて、異教のたとえがパッと出てくるんですから、てつてつさんもすっかりJW卒業ですね(笑) 昔ならアラブの童話のたとえなんてNGだったでしょうに。

カレブさん
今日は私の代打のレスありがとうございました。おかげさまでヒエロニムスの変なサイトに集中できました。

YHWHの発音なんて現代のラビでさえ知らないんですから、重要なはずはないですね。現在は少し前の時代とは違い、キリスト教の聖書学者とユダヤ教の聖書学者がさかんに共同研究をする時代です。日本にも「ミルトス」という出版社からその成果がたくさん出ていて、これまでのようにイエスをローマ的背景から理解するのではなく、ユダヤ的背景から理解するようになってきました。
私が学生時代にも、ミルグロム先生という有名なユダヤ人の学者が学校に来て特別講義をしてくださいました。その後の質疑応答で誰かが、「神さまのお名前をご存知ですか?」という質問をしました。すると声を出して笑いながら、「残念ながら今となってはもう分かりません。もし知っていてもここでお伝えすることはできませんけどね。」とお答えになり、教室中が笑いに包まれた思い出があります。

これほど古代の史料に、神の名前についての論争が見られないというこは、当時も今も、「神を知る」ということは決して「神の名前を知る」ということではなかったことを示しているような気がします。みんな「アドナイ」で満足し、それで全て了解していたんだと思います。

#67 2016年11月27日 06:31:42

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ささらほーさらさん

>聖書には多くの矛盾と時代錯誤が含まれていることを認めても
その人々が、一旦「聖職者」や「聖書学者」になると、ほぼ間違いなくそのことを話題にさえ出さなくなる。

果たしてそうでしょうか。中にはそのような人もいるでしょうが、全部の本ではないですが、数十年前からでも聖書入門とか聖書の世界とか世界の宗教などといった本の中で牧師の人達が聖書の言語の意味や各書の食い違いなどを指摘してきました。
これらは普通に一般書店で買えるものですから何ら隠しているわけではないでしょう。
誰でも買えるわけですから。

また、どこの神学校でも大抵は聖書の矛盾している箇所は扱うと思います。
それらの先生達は普通に教会でも教えている先生だったりもします。



>わたしにとってはですが・・・
聖書の記述に矛盾と時代錯誤(これは、記述が歴史的に完全に時代誤認している部分のことです。考古学ではそう呼ぶそうです。)があるなら
それはすでに「全能の神」の保護下にあるとは考えられません。
JWと同じように、何らかの言い訳(サイモン・グリーンリーフとかハンス・シュタイアを取り上げてくださいましたが)や詭弁が必要であるなら
そんな「意地の悪い神」は信頼に値するとは思えません。




あなたは聖書の矛盾箇所ばかりに目を留めて、肝心の聖書のメッセージを見れなくなっています。
意地の悪い神という見方で固まってしまい神の愛とご計画を見れなくなっているのではないでしょうか?

細部で食い違いがあっても、神が人類のために愛する御子を遣わし、贖いとして死なれ3日目に甦られたという事は完全に一致しています。

それ以外の事(些細な違い)は枝葉であって救いとは関係ありません。
神の霊感を受けたとは決して、操り人形のように、一字一句間違いのないように導かれたという事ではありません。
それぞれの立場の人がそれぞれの環境で一致して書いているのです。
その人物の考えも反映されるでしょう。
当時の時代背景も考慮して読まねばなりません。
引用の際に人名間違いや数字の間違いもあるかもしれません。
昔は紙やボールペンなど手軽にないですから記憶違いもあったかもしれませんし、聖句を挙げる際に正確に引用するのではなく、言及かもしれません。
そのような食い違いがあっても、神がおられて、書くように促されたという事を否定する事はできないでしょう。




>最近、わたしは心理学的に信仰について知りたいと考えています。
(本当は最近でもないけど、調べ始めたのは最近)
今は「進化心理学」の分野の資料を読んでいます。




心理学ですか。うろ覚えですが、テレビで心理学者の植木理恵さんが「これだけは言えますが宗教信じている人のほうが幸せです。」
と語っていて、他の先生達もうなずいていました。

人間はそのように造られているのではないでしょうか。

ささらほーさらさんがイエス・キリストと出会い神様の愛の中で生きられるようになりますように。
もちろん、神様の御心ならばですが。

神に感謝して生きるも自由、つっぱねて文句を言って生きるのも自由です。

#68 2016年11月27日 06:36:27

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

KAOさん、あなたはクリスチャンとの事ですが、イエスの処女懐胎は信じていないのですか?
イタイページを紹介してしまったかもしれませんが、処女問題については古代ユダヤ社会では未婚の若い乙女は基本的に処女だったわけですから単純だと思います。
それに、マタイとルカも書いているわけですし。(聖書の権威を認めない人もいますが。)

話は変わりますが、バート・D・アーマンが挙げるまでもなく、聖書の矛盾は昔から言われており、何を今更という感じです。

それに、KAOさんの述べるとおりアーマンのような棄教する例は稀であり、アーマンは、ベン・ウイサリングトン氏のような福音主義神学者にうまく反論されているとも聞きます。
実際に、アーマンの師であるブルース・メツガー博士が生きていたならこてんぱんに論破されているのではないでしょうか。

さて、インマヌエル預言についてですが、イザヤ7:14は、同時代のものであり、かつ未来のものだとも言えます。

7:1- 9:7は、南ユダに対する預言です。
それに対し 9:8-11:16は、エフライム、つまり、北イスラエルへの預言です。
この2つの記録には次のような平行関係が見られます。

①神の怒りが降されることへの警告(7:1-17と9:8-10:4)
②アッシリヤの侵略(7:18-8:8と10:5-15)
③民の敵の破壊と残りの者の救い(8:9-22と10:16-34)
④ダビデ王国の回復と栄光(9:1-7と11:1-16)
ですから、7:1から9:7は一つのまとまりとして読む必要があります。
7:14だけを取り出して解釈するべきでないのは当然です。


さて、後の時代に成就するインマヌエル預言について見てみましょう。

インマヌエルの約束をもたらす方(7:14)は、約束の地全体を治める方であり(8:8)、

敵はその方に立ち向かうことはできない(8:10)。
その方は、異邦人のガリラヤに現れ(9:1)、闇の中に光をもたらし(9:2)、

「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれ(9:6)、

その支配は代々限りなく続くのです(9:7)

以上のような点を考慮すると、ここで言われている方は単にその時代の事だけを書いているのではなく、ダビデ家に生まれるメシアを指していると言えるでしょう。

#69 2016年11月27日 10:30:47

KAO
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

きたね

#70 2016年11月27日 11:01:50

希望
メンバー

Re: 信仰を維持する

元証人さん

その節は助けて頂いてありがとうございました。
私は、元エホバの証人です。辞める時、4人の方に、エホバとイエスへの信仰表明と
統治体への疑問の種を残してきましたので1年後をちょっとだけ楽しみにしているところです。

一人でよく頑張られていますね、グッときます。
私は信仰だけで知識が伴っていないので、かえって足を引っ張ります(-_-;)
また、優しい皆さんと争うことが苦痛でたまりません。
加勢はできませんが、元証人さんの信仰表明を心からうれしく思っています。
でも、くれぐれも無理をされないようにして下さい。

元証人さんと皆さんとの会話をゆっくり読ませて頂きますね。
私は、他のトピックに行ってきます。また、来ます。

感謝しています、ありがとうございます。

オフライン

#71 2016年11月27日 19:37:31

KAO
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

元証人さん こんばんは
今日は日曜日だったので、家で仕事をしながらどう返信しようかと考えていました。しかし同様の経験上、ここで元証人さんと議論の応酬をしていても(99%でなく)100%平行線をたどるだけだろうと思います。それに私自身、イザヤの預言については大半のクリスチャンがそのように理解しているのは当然だと思っておりますし、先に表明しましたように、私は元証人さんの聖書信仰を尊重したい旨すでにお伝えしております。
ご自身の信じる道を突き進まれたらよいかと思います。

それよりも私には知りたいことがあります。
元証人さんはその名の通り、かつてエホバの証人の音信に触れて「これこそ真理」と確信し、ここに集う多くの方々同様、一定の期間を熱心なエホバの証人としてストイックな生活をなさっていたことと思います。ところが人生のどこかで、「何かがちがう」と疑念が芽生え、葛藤と自己吟味を経て脱搭に至ったと推察しますが、一連の過程を通してどんなことを学ばれましたか? 「学んだ」というのも学校みたいですが、「悟られましたか?」これも仏教的で不適切でしたら、「教訓を得られましたか?」という感じでしょうか。
何より質問することが私の仕事の重要な部分を占めておりますので、お返事いただけましたら幸いです。

#72 2016年11月28日 10:01:25

ささらほーさら
メンバー

Re: 信仰を維持する

元証人さん、こんにちは。


PCが体調不良をおこし、初期化しましたら別のトラブルをおこしてしまいました。
なので、今仕事の休憩中にスマホで文字打ちしています。

PCが回復したら返信するかも知れませんが・・・平行線のままでプラスになりそうもないので、しないかも知れません。
ごめんなさい。


ただ一言‼︎
何故、人に「信仰」をゴリ押しする方は(ヤングさんも)こちらの質問、しかも簡単な質問に応じないでスルーしちゃうんでしょう?
残念です。

オフライン

#73 2016年11月28日 10:28:53

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

わたしも忙しい中で書いていますので全ての点について答えたりしていたなら膨大な量になりますので簡潔にしか言えない時もありますが、スルーなどしていませんし、押し付けてもいません。
皆さんは自分の意見を言い、私も自分の意見を書いているだけでしょう。
それを押し付けとみなすなら、お互い様でしょう。

ささらほーさらさんの感じる疑問には間接的に既に答えています。

具体的にも後日数ヶ所なら書こうと思っていました。
ゆっくり進んでもよいではないですか。

私も残業や日曜出勤などの日常に追われながら書いているわけです。

#74 2016年11月28日 12:06:23

run
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ささらほーさら さんの発言:

マタイによるとみ使いはひとりですが
他の書では2人です。どちらが事実なのでしょう?

更に言えば、マタイ、マルコ、ルカではみ使いが
「彼はここにはいません」と宣言しているのに
何故かヨハネの記述では
墓のところでマリアはイエスに会ったことになっています。

どちらが事実なのでしょう。

四福音書に記録された復活物語を読み比べてみると、内容が矛盾しているかのような印象を与える箇所がありますが、しかしそれはイエスの復活の歴史性を否定する証拠にはなりません。マグダラのマリヤは、他の女たちとは別行動を取ったのですが、マタイ・マルコ・ルカの福音書はそれをまとめて「マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた」と書いています。実際に起こったことを時間順に並べてみます。

(1) 女たちは、別々に墓に来ています。マグダラのマリヤは最初にひとりで墓に来ています(ヨハネ20:1)。彼女は、墓が空になっているのを見て、誰かが死体を動かしたのだろうと思いながらそこを去ります。マリヤは天使を見ていません。

(2) 次に、ふたりの女たちがやって来ます。彼女たちは2人の御使いの姿を見ています(ルカ24:3)。その御使いは2つのメッセージを伝えます。イエスが復活したことと、復活のイエスが弟子たちとガリラヤでお会いになるということ。

(3) マグダラのマリヤはペテロとヨハネのところに走り、誰かがイエスの死体を盗んだかもしれないと報告しています(ヨハネ20:2)。

(4) 別の女たちは、それ以外の弟子たちのところに行って報告しています。その話を聞いた弟子たちは、すぐには信じなかったのです(ルカ24:9~11)。

(5) マグダラのマリヤの報告を聞いたペテロとヨハネは、墓に走ります(ヨハネ20:3~4)。墓の中を確かめたふたりは、異なった結論をもってそこを去りました。ヨハネは、確かに復活が起こったという確信を持ちましたが、ペテロは当惑した状態でそこを去ります。

(6) マグダラのマリヤは、ひとりで墓に戻って行きます。そこで彼女は2人の御使いを見ます(ヨハネ20:12)。そしてうしろを振り向くと、イエスが立っておられるのを見ます。それがイエスだと気づいた彼女はへブル語で「ラボニ(私の先生)」と呼びかけます(ヨハネ20:16、マルコ16:9)。

(7) しばらくしてから、ほかの婦人たちもまたイエスに出会います(マタイ28:9)。

このように記してみても、まだ矛盾を感じるかも知れませんけど…
また、御使いの数についても「1人でも2人でもどっちでもよくね?」なんて私は思ってしまいますけど…(^^;)

専門の法律家たちは、複数の証人たちの証言が細部に至るまで一致している場合は、事前に口裏合わせがあったと判断します。証人たちが真実を述べている場合は、細部に違いは見えても、大筋において一致しているという現象が起こります。イエスの復活の記録には、そのような特徴が見られます。

#75 2016年11月28日 12:54:06

大空の浪人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

>また、どこの神学校でも大抵は聖書の矛盾している箇所は扱うと思います。
それらの先生達は普通に教会でも教えている先生だったりもします。

☆横から失礼ながら、この一点だけコメントさせていただきますね。

①この神学校でも大抵は聖書の矛盾している箇所は扱う…
☆JWの神学校(神権宣教学校…今は名称が変わった?)でも、どんな教団教派の神学校でも、その派閥の教義と反論を扱います。その派閥の依って立つ処が異なるため、それぞれ他の派閥の見解を提示し、論破の手本を教えます。それがその派閥のアイデンティティーの基礎だからです。

②それらの先生達は普通に教会でも教えている先生だったりもします。
☆これは逆なのです。(JWのを含む)その派閥の神学校はその派閥の教会に奉職する教職者を養成するためのものです。私が籍を置いていたエキセントリックなルーテル教会はイデオロギー的に対局にあるルーテル教会と相乗りで神戸ルーテル神学校を設立し運営していますが、校長以下、教授・講師陣の大半は自分の教会から給料をもらう立場の牧師、あるいは所属する宣教団体から給料をもらう宣教師です。

だから、自分の属する、あるいは認める神学(や信仰の体系)に立って議論の当事者となるのは当然なのであって、(自分の信奉する)偉い学者がそう言った!というのは対立する派閥からは笑い話にしかなりません。
「イエスが権威のある者のように語られた」の意味するところは、書士やパリサイ人のような(=何々師は言った!で権威付けする)論じ方に陥らなかったことであるのはJWの出版物で何度も読んでいるはずなのに、元JWも現JWも学者の弁に権威を求めて恥じないので、私はこの分野の議論から遠ざかって久しくなります。

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