#176 2016年11月30日 21:30:34
- めぐママ
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
俺様さん、親睦、の酸いも甘きものところに書いてます。かつての研究生の方、今でも、時折電話して、頂き物お菓子などやり取りしてます。話相手に来てね〜。と、言われるのです、人生の先輩で、物知り、わたくしより20も歳上、新聞も良く読んで、おられます。聖書の格言を説明しようとすると、彼女の方がよく解ってる。神社の神官の家系だったので。わたくしは、あまり強引に、組織に誘う事が苦手だったので研究、雑誌配布は多くても、バプテスマまで導くことはありませんでした。
#177 2016年11月30日 21:42:33
- めぐママ
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
クリスマス?幼い頃はモミの木に脱脂綿の雪を着けてガラスの飾り付けしてたこと思い出します。それなりに楽しみだった、のに、我が子には与える事が出来ませんでした。子供は今更、いいよ、といいますが、靴下にプレゼント?が、を楽しみにしてたこと、お願いした物が必ず入ってる嬉しい気持ち、孫には味合わせてあげたいと思います。お正月も、新年を迎えて、年神様に感謝する慣わしを、家族の健康を偉大なる存在にたいする畏敬の念を皆で示すことはします。神社が⛩みな、好きなんです。
#178 2016年12月01日 00:38:29
- 元証人
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
ここで、トピ主として出した問題の要点を再確認するために下記の抜粋記述を御容赦ください。
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』をよく読みましたか?
まず、ラス・カサスは司教であり、不正を正す為に書いています。言うまでもなくクリスチャンです。
そしてカトリック女王イサベルがインディオの救済と繁栄に並々ならぬ関心と賞賛すべき熱意を抱いておられ、我々はその事実を目で見て知っているし、数々の実例をしかと確認しているとも書いています。(P55)
さらに、ラス・カサスはその本の中で、真のキリスト教徒とキリスト教徒を名乗る連中とを区別しており、名前だけのクリスチャン、文化的クリスチャンの事をキリスト教徒、或いはスペイン人と書いています。
聖職者たちは害を加えたスペイン人にその地方から立ち去るように求めましたが、スペイン人は立ち去ろうとせず、悪辣にも、自分たちは修道士の命令でやってきたのだと、インディオに信じ込ませました。
それで、インディオは修道士たちを殺す決意を固めましたが、修道士たちは数名のインディオからその計画を知らされ、その土地を後にします。
修道士一行が立ち去ったあと、インディオは彼らが潔白で高徳を具えた人たちであることや、スペイン人が悪事を企んだことに気づき、使者を派遣し、五十レグアほど先を行く修道士の後を追わせました。
そして、ぜひ戻ってくれるように懇願し、辛い思いをさせたことを詫びました。
神の下僕である聖職者たちはインディオの魂を救済することに情熱を抱いていたので使者の言葉を信じて引き返した。
彼らはまるで天から舞い降りた使者のように温かくもてなされ、インディオも彼らのためによく働いた。
そうして聖職者たちはその地方に四、五ヶ月ほど留まった。(P137-138)
ですから、名ばかりのクリスチャンと真のクリスチャンが言及されているのです。
大罪を犯したのは名前だけの「キリスト教徒」であるスペイン人たちなのです。
その事をラス・カサスは報告しているのです。
カトリック女王イサベルはインディオは奴隷ではなく自由な人間として使役されるように勅令を発布した。(P231)
#179 2016年12月01日 05:26:53
- akame
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
元証人さん
ラス カサスの人道主義は否定しません。
私の問題提起は以下です。再度書きます。
こうした宗教的蛮行の原因の元を探る時、聖書やその神さまとは何ら関係ない、あれは偽クリスチャンがしたこと。で済む問題なのでしょうか?
最初に上陸した島でコロンブス一行は、アラワク族インディアン達から歓待を受ける。アラワク族は船から上がったコロンブス達に水や食料を贈り、オウムや綿の玉、槍やその他見たことのないたくさんのものを持ってきた。コロンブス一行はそれをガラスのビーズや鷹の鈴と交換した。だがしかし、コロンブスの興味は、ただ黄金にしかなかった。彼はこう書き残している[26] 。
「私がインディアに到着するとすぐに、私が見つけた最初の島で、彼ら原住民(アラワク族インディアン)たちに、私に差し出さなければならないものがこの品々の中にあるのかどうか教え込むために、私は力ずくで原住民の何人かを連行した。」
「彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。 彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた。」
「原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、彼らの持っているものを『欲しい』といえば彼らは決して『いいえ』と言わない。逆に彼らは『みんなのものだよ』と申し出るのだ。彼らは何を聞いてもオウム返しにするだけだ。彼らには宗教というものがなく、たやすくキリスト教徒になれるだろう。我々の言葉と神を教え込むために、私は原住民を6人ばかり連行した。」
国王に調査報告を終え、少しばかりの援助を求めたコロンブスは、次の航海目標として、
「彼らが必要とするだけのありったけの黄金… 彼らが欲しがるだけのありったけの奴隷を連れてくるつもりだ。このように、永遠なる我々の神は、一見不可能なことであっても、主の仰せに従う者たちには、勝利を与えるものなのだ。」
1785年、アメリカ第3代大統領トマス・ジェファソンは次のように述べています。
《キリスト教の教えが広まってからというもの、何百万という無数の男女や子供が火あぶりにされ、拷問され、罰金を科され、投獄されてきた。けれども、私たちは1インチたりとも統一に向かって進んではいない。では、一体圧政は何をもたらしたのか?世界の半分の人々が愚者に、残りの半分が偽善者に変わってしまった、そして、世界の人々が過ちや悪業を支持するようになったのである。》
年代からして、私たちよりも様々な実体験があると考えられる、トマス・ジェファソンはこのようにキリスト教と圧政を関連させています。
彼の述べたことは全くの妄想であり、偽りを述べたのでしょうか?
#180 2016年12月01日 06:48:59
- 天パ
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
脱退したから自分たちの前歴がチャラになったと考えないように。
自分を呪うなら真剣にそうするように。
ぐだぐだ言うてないで、人命を重んじるならそれなりの行動を起こしたらよい。
見せかけで泣いても無駄です。
てなくらい、おばはんらは若い子に言わなあかんでw
おばはんよろしくw 若い子を大事に思うならちょいときつく言うとけw
なにおばはんらは婚活しだしたり、ぐちぐちいつまでも傷心モードになってんのw
そんなキャラじゃないだろw
おんどれたぶん俺の3倍くらい生きとるやろw
それでこのザマっちゅうんはありえんなw
たのむわw
#181 2016年12月01日 07:18:34
- 元証人
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
私の最初からの問題提起といえば、ここのakameさんのような否定的な人達は、なぜ悪い所ばかりしか見ないのかという事です。
ラス・カサスの著作をじかに読んでいるでしょうか、それとも、ネットから一部しか見てないのでしょうか。
ですから以前、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』をしっかり読んで下さいと書いたのです。
本人は十分に調べているつもりであっても、偏見で満ちた、片寄った曇った目でいくら見ても全体像を把握する事は難しいでしょう。
さて、ラス・カサスは残虐非道をして尽くした人々を無法者とか真のキリスト教徒ではないと様々な箇所で書いています。
自身がクリスチャンであった彼は、キリスト教徒を名乗る人達、(P84)、キリスト教徒を名乗る連中(P131)と書いています。
残忍な所業を犯した人々を指して、無法者、スペイン人、キリスト教徒と述べているのは明白です。
そして、宣教師達はそれらの偽クリスチャン達とは異なり、徳を具え信頼されていた事を書いています。
そして、奴隷から解放しようと尽力した人々の事が記されています。
なぜ、akameさんは、片寄った情報しか提示しないのでしょうか。
コロンブスは黄金が目当てであり、真のクリスチャンとは到底言えないでしょう。
文化的なクリスチャンとは多くの日本人が形式的に神道や仏教徒であるのと同じようなものです。
それらの宗教の人々が罪を犯しても全ての神道や仏教徒、日本人全体が悪くなるというわけではありません。スペイン人やキリスト教徒についても同じではないでしょうか。
形式的なキリスト教徒がいくら、神や聖書を引き合いに出してもそれは、日本人が、神風が吹けば云々と言うようなものであり、真のクリスチャンとは分けて考えなくてはなりません。
とはいえ、それらの自称キリスト教徒達が神や聖書と無関係とはもちろん言えません。形だけのクリスチャンとはいえ聖書を悪用しているからです。
主よ、主よと言う者がみな天の御国に入るのではないのですからイエスの言われた通りです。
(聖書を引用するといい気のしない人もいるかもしれませんが、私はクリスチャンであり、話題がその方面ですので、私が宣教して押し付けているなどと筋違いな事は言わないで頂いて、聖書の言葉も読んで頂きたい。)
akameさんは以前、列王記下の3章 27節を挙げて聖書の神が子供の生贄を受諾したかのように紹介していました。
説明した通り、これは不利な戦況を転換するためにモアブの王がモアブの神ケモシュに生贄を捧げた事ですのでイスラエルの神が受諾したわけではないのです。
なぜ、訂正もしないのですか。
なぜ聖書を間違って伝えたり、ラス・カサスの著作についても片寄った紹介しかしないのですか?
それを私は問題としているのです。
#182 2016年12月01日 07:40:04
- akame
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
元証人さん
列王記下3章の文脈を見てください。
エホバはモアブの王をイスラエルとユダ、エドム連合側に渡すと述べています。モアブ王は戦況が危機的になり慌てて長子を燔祭にしています。(どの神に対してか記述なし)すると、神の怒りはイスラエル側に及び、彼は無事に帰還しエホバの預言通りにはなりませんでした。
こうして神はモアブ王の燔祭を受諾したのです。
この点はいかかでしょう?
#183 2016年12月01日 07:54:05
- 元証人
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
akameさん、今、手元に聖書も何もありませんので、その点については帰宅後になります。
夕方か夜です。
#184 2016年12月01日 12:21:34
- akame
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
元証人さん
もう一点の方です。
インディオに対する蛮行を取り上げた主旨は
「蛮行の背後にあった影響」を問題提起したものです。
ラン カサスは蛮行を告発した側であることは
一目瞭然であり、私はJWのように宣教師や教会組織を弾劾するものではありません。それはこの度の主旨ではありません。
#185 2016年12月01日 13:05:33
- 元証人
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
インディオに対する蛮行を取り上げた主旨は
「蛮行の背後にあった影響」を問題提起したものです。ラン カサスは蛮行を告発した側であることは
一目瞭然であり、私はJWのように宣教師や教会組織を弾劾するものではありません。それはこの度の主旨ではありません。
趣旨は分かりました。しかし、ラス・カサスが告発したのは明白でも、彼がクリスチャンである事、他の宣教師達の良い行いについては言及しませんでした。
不正を正そうとするクリスチャンがいなければ誰も止めなかったでしょう。
自称キリスト教徒達が悪行を繰り返したのは、
聖書を信じていなかったり、曲解した為であり、正しい判断をしたクリスチャンとは対照的です。
一括りに、背後にあったものが同じとするほど単純ではないのです。
#186 2016年12月01日 19:27:35
- 元証人
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
元証人さん
列王記下3章の文脈を見てください。
エホバはモアブの王をイスラエルとユダ、エドム連合側に渡すと述べています。モアブ王は戦況が危機的になり慌てて長子を燔祭にしています。(どの神に対してか記述なし)すると、神の怒りはイスラエル側に及び、彼は無事に帰還しエホバの預言通りにはなりませんでした。
こうして神はモアブ王の燔祭を受諾したのです。
この点はいかかでしょう?
この点についてですが、聖書の中で、モアブはケモシュの民と書かれています。以下はその中の一部です。
エレミヤ書/ 48章 46節
モアブよ、お前は災いだ。ケモシュの民は滅びた。
民数記/ 21章 29節
モアブよ、お前は災いだ。ケモシュの民よ、お前は滅びた。息子たちは難民となり/娘たちはアモリ人の王シホンの捕虜となった。
また、聖書以外でも、モアブ碑石の中でモアブ王がケモシュの神に仕えていた事が記されています。
モアブの王メシャは、この時の戦いでケモシュによって勝利を得たと書いています。
モアブが敵国であるイスラエルの神に捧げる理由はありません。
また、ヤハウェは近隣のモレク、ケモシュ等の神々とは違い、子供の燔祭を禁じておられます。
列王記下/ 17章 16節
彼らは自分たちの神、主の戒めをことごとく捨て、鋳像、二頭の子牛像を造り、アシェラ像を造り、天の万象にひれ伏し、バアルに仕えた。
列王記下/ 17章 17節
息子や娘に火の中を通らせ、占いやまじないを行い、自らを売り渡して主の目に悪とされることを行い、主の怒りを招いた。
聖書の神が子供の燔祭を受け入れる事はありません。
#187 2016年12月01日 20:12:14
- ルート
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
いく十年も長年熱心だった元JW一世もしくは1.5世。
その残酷な神をご自分たちもかつては信じ、世間に聖句を宣べ伝え、多くをバプテスマに導き、家庭を崩壊させ、直接間接に関わらず、組織の一員として連帯的に自死者も出した。研究という名目のもと、他人の人生を乗っ取りコントロールし、破壊した。
幼児への鞭打ちもしくは鞭打ちを知りながら、やめろとも言わずに見て見ぬ振りの結果黙認。自分のために、幼児の心と身体が傷つけられることを良しとし、犠牲にした。
組織に協力し続けたその罪は重なり、重く、生涯消えることはない。
残酷な旧約の神を、残酷だと今更言う資格が、はたしてあなたがたにあるのだろうか?後ろめたいから、ムチ世代の元二世参加者を可愛がるフリで、偽りの反省者をアピール。カレブさんももしかして一世かも?
本当に反省しているのなら、どんな形であれ、他人を叩くことはできない。
組織を出ても、こうしてただ場所替えをして、他人を気づかれないようにコントロールすることはやめていない。たまにここに来るかつての仲間や他宗派の信仰者を叩く、その理不尽さと矛盾があることを自覚しながら実行。
残酷な旧約の神を含む聖書、その神を信仰する者を、からかう元JW二世。
あなたがたの親もまたまだ現役の信仰者であり、この自由な国にいながら、よりにもよって罪深いJW組織の一員の、その実の子供であること。信仰者をからかえばからかうほど、自分の親も平均ではないのだと表明するほど、自分の価値をも同時に落としていることに気づいていない。
世間のあなたがたの同世代の人たちの親のうち、JWの伝道を同じく受けながらもJWにならなかった人はどのくらいですか?カルトなJWを辞め他の信仰を模索する人をからかうよりも、自分のカルト現役親を直視したらいかがですか?
親に言えないからかいを、ここで他宗派の他人に言うのはただの八つ当たり。
「あの死に顔を見たのか!」「さやかさんのムチの話を読んだのか!」
その消えない残酷暗黒歴史を抱えて、何も罪を犯していない相手にさえ、どの口で言ってるの?
もしかして希望さん、去った?元証人さんの言う、ここの偽の一致、感じたの?
カルトにガッツリハマる人って、集団催眠にかかりやすい性質があるのでは?
ここでの空気読み過ぎではないですか?
多勢で1人を叩く元宗教家集団って、他にありますか?
カルトにガッツリハマる人も、カルトの攻撃性を等しく持っている、いい証拠になっていますね。
by ブラックルート
#188 2016年12月01日 20:46:18
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
それっぽっくまとめたルートさん
本来は相手にしないのが最善手なんでしょうけれど
時間があれば少しずつ小刻みに分析したい文です
そういえば初期の頃のルートさん、こんな感じでしたね
ヤングマスクさん絡みの松野明美さんみたいなキャラは封印するんですか
新世界訳オタクっていう設定も忘れてませんか?
ほんとにどうするんですか ルートさん
#189 2016年12月01日 21:05:52
- 名無しくん
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
それっぽっくまとめたルートさん
本来は相手にしないのが最善手なんでしょうけれど
時間があれば少しずつ小刻みに分析したい文です
そういえば初期の頃のルートさん、こんな感じでしたね
ヤングマスクさん絡みの松野明美さんみたいなキャラは封印するんですか
新世界訳オタクっていう設定も忘れてませんか?
ほんとにどうするんですか ルートさん
そういえば、ちょいちょい
文体変わるよね(´・c_・`)
#190 2016年12月01日 21:43:55
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
今年ですかね一時期spiテストにハマってまして
しばらくやっていないのでごくごく簡単な論理的思考の問題が解けなかったりするんです
苦手な分野ですが敢えて書かせてもらいますと
というより
元証人さんもアカメさんも薄々気付いておられるのでは?と思うのですが(言い出すと非常に面倒くさくてややこしくなりそうなんで遠慮してるのかと)
インディアンを虐殺しなかったクリスチャン→本当のクリスチャン
インディアン虐殺を喜んでやるクリスチャン→偽クリスチャン、聖書を悪用する連中
祈った結果良いことがある→神の恵み
祈っているのに悪いことがある→自身のいたらなさ、もしくは悪魔の仕業
こんな感じの内容になってくると、比較検証しづらいですよね
日本は無宗教だから治安がよい(島国だからかも)
中東は宗教的に熱心だから争いが絶えない(その他の理由もあるだろ)
####################
以前も話題になりましたね
「神を信仰しないインディアン」を殺した「神を信じるクリスチャン」は天国に行くのか地獄に行くのか
答
そもそもインディアンを殺すような奴はクリスチャンではありません キリッ
文がまとまりませんが、泥沼化しそうですね
私は、アメリカの先住民の虐殺には宗教的な背景が相当あると思っています。
聖書に書いてある神の民のオラオラ快進撃に影響を受けているのではないでしょうか
故郷を捨てて海を渡ってきた方々の生きていくための真剣さ、一旗揚げようという必死さは想像できますが あそこまで残虐の限りを尽くすのはなかなか出来ないと思うのです
#191 2016年12月01日 22:02:40
- ルート
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
さやかさん。名無しさん。こんばんは。
松野明美さんのたとえ、なんのことなのか知らないので、よくわかりません。
ああ、そうか、ダッシュ。走り。私、この掲示板で「ヤングさん絡み」でダッシュしたことはなかった気が。
違いがわかりにくいと思いますが、新世界訳オタクという設定ではないです。
超キザウルトラスーパーマニアックな新世界訳聖書「変態」、とずっと言っていますよ。オタクは「偏愛」ですね。あなたも私も皆さんも「変態」。
文体が変わるのは、長くしたくない時と、ですます調が内容に合わない時です。
akameさんも時に詩的になったり。人って表現をたまに変えるのは珍しくないですね。
ここのトピに言いたいことは言いました。あとはないです。
#192 2016年12月01日 22:07:57
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
ダッシュだからではないです
松野明美さんの あの感じです
分からない方が幸せかもしれません
個人名挙げてごめんなさい
#193 2016年12月01日 22:13:44
- 元証人
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
泥沼化は避けたいですが。
私の主張
なぜ、akameさんは、クリスチャンを叩くのが目的ではないと言いながら、ラス・カサスが挙げたキリスト教徒を名乗る無法者の例だけ出してクリスチャンを叩くのか。
著者の意図を無視した引用をなぜするのか?
トピ主でありながら、なぜ間違った聖句の紹介の仕方をするのか。
指摘されてから、ラス・カサスの人道的な面は認めると言われたが、なぜ、片寄ってクリスチャンの悪い面だけ見るのか?
自分は十分に調べて語っていると言いながら、なぜ、ラス・カサスの本さえしっかり読んでいないのか。
単に、カン違いして聖句を紹介しただけかもしれないが、なぜ、ちゃんと自分で調べないのか。
これで、私の言ったように調べてない(調べ方が足りない)というのが明らかになりましたね。
いや、私もakameさんが嫌いなわけではないので、トピ主として訂正して謝ってくれたら別に構わないんですけど。
#194 2016年12月01日 22:18:16
- めぐママ
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
クワイ河に虹をかけた男 という映画が話題になっています。
戦時中、通訳をしていた長瀬さん、英語の先生をしながら、様々な活動して亡くなられた方の映画です。
戦後70年以上経ってもあの戦争を処理しきれないです。戦争、は、殺人です。
英雄達の選択、という番組を見ていると、歴史家、哲学者、脳科学者、小説家等識者達の意見もさまざまに
検証がなされています。しかし何が当時の真実で、何が最善かは
誰にもわかりません。ただ、歴史が動いて時代が大きく変化した。
結果から教訓を学べるかどうかはわたくし達、各人に任されています。
#195 2016年12月01日 22:27:40
- めぐママ
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
JWの歴史も100年ほど、最初はどういう意図だったのか、お金儲けの組織を作ろうと目論んだのかはわかりません。出版物に載せられている美談を鵜呑みにしたのはわたくしの自己責任です。子供からも、そう言われました。和解しています。S学会よりはマシだったなと。研究生達にも責任を果たしました。
他の信者の結婚、進学などには一切口を挟んでいません。プライベートに立ち入らない主義です。
#196 2016年12月01日 22:44:49
- めぐママ
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
俺様さん、天パさん、のようなJW二世の方の発言、どれ程辛い思いをされたのかとお察しします。親子の話し合い話は無理なのでしょうか?
タモさんという方の漫画読んでいると、ユーモアは壮絶な悲しみを経たからこそ辿り着けた境地のように思います。ですから、さやかさんのジョーク、とても、お腹の底から笑えて、健康快復出来るのです。あんまり悲しいと、もう、笑い飛ばすしかない。 がばいばあちゃんを、書いたお笑いの方、なんていう方だっけ?
お腹すいた、というと、 もう寝ろ!
お腹空いて眠れないというと、 気のせいだ!
おばあちゃん、ツラかったよねー 孫には腹一杯食べさせてやりたかったけど、大変な時代だった、もう笑うしかない。
#197 2016年12月01日 22:46:32
- yukahena
- メンバー
Re: アブラハムの神の限界
最初の点ですが、神は全能です。
試さなくてもご存知です。
キリスト教ではそのように信じられており、私も信じます。
でしたらアブラハムを試すというのはどういうことですか?
全能と信じるのは自由ですがその全能の神は自分の言うことを聞かない人間を作れますか?作れないのなら全能ではないし、作っても言うことをきかせられないのだからやはり全能ではありません。
さて、次の点ですが、
創造に根拠がないと考えるのは自由ですし、無神論ならそう答えても当然です。
しかし、そう断言するあなたは何者なのですか。
しかし、そう断言するあなたは何者なのですかってむしろそれは元証人さんが根拠が無いのに断言なさっている数々の事柄に言いたいですけどね。現時点では創造なり神なりは全く確定しておらず信じるか信じないかのレベルです。信じていても無いものは無いですし、信じていなくてもあるものはあります。
科学者であっても新しい発見により以前の学説を覆す事もあります。
私は、私はですよ、科学を絶対的なものとみなすのはどうかと思いますね。
覆すのは当たり前です。科学は結論があってのものではありません。証拠をもとに結論を導き出すのです。証拠が変わったら得られる結論が変わることがあってもむしろ当然です。聖書の支持者のように科学が聖書を補強しているようなら無条件に採用、聖書に反するなら科学が間違っているというまず結論有りきで証拠をいいように解釈するような(きつい書き方をするなら不誠実な)ものではないのです。
ですから科学を絶対的と思っていませんが、少なくとも証拠をもとに結論を導き出すほうが信頼できます。
信仰の形態は実に様々です。どこの宗教に属さなくても何か偉大な存在がおられると感じる人もいれば科学者でクリスチャンという人もいます。
文字通り聖書を信じる人もいれば創世記のアブラハム以前は神話として捉えて進化論を信じている牧師とかもいます。
それは存じております。
あなたの言う創造の根拠がないというのはおそらく聖書の創造の事だと思いますが、考古学で以前は否定されていた人名や町が発見されて学者も見解を変えた例があるわけですから信憑性が高いと思っています。
考古学で発見されたことと生命の起源は同列に語れないと思いませんか?創造の証拠とされるものってありましたっけ?ごくまれにそう考えられないことも無いぐいらのものがあるのでしょうかね。
多分、ノアの洪水の事を言っておられるのだと思いますが、洪水が世界的なものではなく、局地的なものと考えても、或いは教訓を与える物語として捉えても、神による創造を信じている人もいるわけで、一括りにして創造はないと断言してしまうのはどうかと思いますが。
局地的なら水が地球全部を覆ったという聖書の記述が間違えです。ノアの洪水の有無や創造の真偽はどちらかはっきりさせないと聖書が正しいか、ひいては神の書物かにかかわる点です。どちらでもいいものではありません。
聖書によるとバベルの塔までは言語が一つだったらしいですが、考古学ではバベルの塔以前に4大文明が発達してます。創世記が書かれたあたりの人の知識で書かれた本であるとするならいいのですが、神が書いたとするなら数々の矛盾や史実に合わない点があるのです。
また、聖書の神が旧約時代に行なった裁きの正当化が凄いと言われます。
確かに、そこまでしなくてもと考える事もあるのは当然です。
しかし、神は信じない、或いは、いないと結論し、いくら説明したとしても「正当化」と言うのなら、一体、どのような答えを求めておられるのでしょうか?
模範解答などありません。自分たちだけが正しく、それ以外は間違っているという理由での虐殺は正当化できないものなのです。正しいと思っている自分たちの正しさが突っ込まれると説明できないものならなお更です。
オフライン
#198 2016年12月01日 22:58:55
- yukahena
- メンバー
Re: アブラハムの神の限界
泥沼化は避けたいですが。
私の主張
なぜ、akameさんは、クリスチャンを叩くのが目的ではないと言いながら、ラス・カサスが挙げたキリスト教徒を名乗る無法者の例だけ出してクリスチャンを叩くのか。
著者の意図を無視した引用をなぜするのか?トピ主でありながら、なぜ間違った聖句の紹介の仕方をするのか。
指摘されてから、ラス・カサスの人道的な面は認めると言われたが、なぜ、片寄ってクリスチャンの悪い面だけ見るのか?
自分は十分に調べて語っていると言いながら、なぜ、ラス・カサスの本さえしっかり読んでいないのか。
単に、カン違いして聖句を紹介しただけかもしれないが、なぜ、ちゃんと自分で調べないのか。
これで、私の言ったように調べてない(調べ方が足りない)というのが明らかになりましたね。
いや、私もakameさんが嫌いなわけではないので、トピ主として訂正して謝ってくれたら別に構わないんですけど。
ラス・カサスさんは知りませんでした。インディアンをキリスト教と称する人たちが虐殺したことは歴史上の事実だとされています。元証人さんはこちらは名ばかりのクリスチャンの仕業で許されないとお考えです。そして似たようなことが旧約聖書で神がイスラエル人に命じて行わせたことは正しいと。第三者からすると道義的な差異が見受けられません。どちらも鬼畜の所業と感じますが、さてどこが違うのでしょうか?
ところで片寄ってクリスチャンの悪い面というのは自称クリスチャンの悪いやつらのことですか?
オフライン
#199 2016年12月01日 23:07:30
- 元証人
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
浅いんだよなyukahenaは。
俺(敢えて普段の言葉)から言わせれば、yukahenaはエホバの証人で言えば研究生レベル。しかもレベルが低い。
求道者なりたてみたいな感じかな。
しばらく出てこないと思っていたらためてから、いくつも質問してきやがる(笑)
そして、こっちの簡単な質問である、ささらほーさらさんと同じ人かな?という事にも答えない。
一方、神学的な事は御自分で調べて下さいという言葉も無視、しつこいんですよという言葉も無視。
そもそも、yukahenaって誰よ?
端々に皮肉が込められていてまともに対話したいと全く思わないんだが(笑)
せめて自己紹介してからお願いと言ってもする人物はおらず。
あまり失礼な事は言いたくないけど、ほんとにこの人は神学的なものは全く学んでないんだろうね。
以上、敬虔なクリスチャンであるこの俺の心の叫びでした(笑)
寝る(笑)
#200 2016年12月01日 23:23:37
- 通りすがり
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
おっ、ナイスですよ。元証人さん。
しつこい婆さんにはそれぐらい言ってやらないとW