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#326 2016年12月08日 20:55:25

ルート
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

akameさん、お大事に。

嫌味でなく、本当に素直に。

#327 2016年12月08日 22:19:16

梵天
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

真理は一つであって
第二のものは存在しない
その真理を知った人は争うことがない。

オフライン

#328 2016年12月11日 10:07:04

梵天
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

真理は一つであり
第二のものは存在しない。
その真理を知った人は争うことがない。

ある人々が遊園地の乗り物に乗った。
ある人は言う「とても楽しかった、もう一度乗りたい」
別の人は言う「とても怖かった、もう二度と乗りたくない」

これを同験異感と言う。

それぞれの人にとって
感じたこと、語ったことは真実であり
そのことで
どちらが正しいのかという議論は起きない。

人間とはどういう性質を持つ者なのか。
その理解を得た人は争わない。
ここに同験異感という真理がある。

しかし全宇宙を含めた真理においては
人々は議論をする。それはなぜか。

オフライン

#329 2016年12月11日 10:44:04

さやか666
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

正解を言います


それは、遊園地のアトラクションと民族浄化を同列に並べられるものではないからです

#330 2016年12月11日 21:20:55

良い子
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

う~ん わかった!

それは、遊園地は命をかけるほどのものではないから。

スレチと言われていますので.....

私の希望としては、
梵天勧請どうでしょう?(仮)、見たいな軽いノリのスレタイトルで、皆を唸らせるような、ヘビーな内容を期待します。
ギャップは人の心を掴みますからね。
書いてくれたら私読みますよ。

#331 2016年12月12日 23:17:30

梵天
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

ここは賢い人が多いと聞きました。
賢さとユーモアを拝見しました。

遊園地の例えと同じように
同じ物を食べて
美味しい、美味しくないと
意見が分かれる。
これを同食異感と言う。
その他、同文異感、同見異感、同教異感など。

まず争いは
異なった感じ方をし
異なった意見にわかれ
異なった思想に発展し
虐殺や戦争に発展します。

真理に到達した人は争うことがない。

私個人は聖書の神は残虐とは思いません。
聖書の教えは正しい。

編集者 梵天 (2016年12月12日 23:20:21)

オフライン

#332 2016年12月13日 00:12:03

良い子
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

では梵天さんはイサクの燔祭をどう解釈されます?

#333 2016年12月13日 23:27:08

良い子
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

梵天さんへ

なるほど、それも一つの答えなのかもしれませんね。
私の先走り、勘違いだったらごめんなさい。

#334 2016年12月14日 12:53:08

元証人
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

カレブ さんの発言:

リチャード・ドーキンスの有名な言葉に以下のものがあります。

「『旧約聖書』の神は、おそらくまちがいなく、あらゆるフィクションのなかでももっとも不愉快な登場人物である。嫉妬深くて、そのことを自慢にしている。けちくさく、不当で、容赦のない支配魔。執念深く、血に飢え、民族浄化を行った人間。女嫌い、ホモ嫌い、人種差別主義者、幼児殺し、大虐殺者、実子殺し、悪疫をひき起こし、誇大妄想で、サドマゾ趣味で、気まぐれな悪さをするいじめっ子だ。」
- 神は妄想である 51ページ

上記のコメントはしばしば討論やドーキンスに対するインタビューで引用されます。

面白いのは上記の言葉に対して番組の中で
イスラム教徒もクリスチャンもほとんど反論することがなくて
ドーキンスが「旧約聖書を読めば明らかでしょう?」と述べても
具体的な反論はきません。

仮に具体的な反論の聖句をあげたとしても、それの十倍の証拠が出されるだけです。

信教からの自由連盟のダン・バーカーは
「神 - あらゆるフィクションのなかでももっとも不愉快な登場人物」という本を書いて
https://www.amazon.com/God-Most-Unpleas … 1454918322

「ドーキンスは正しかった。まだ甘いくらいだ」と述べて
ドーキンスがあげた神のキャラクター描写を具体的な旧約聖書の
記述とともに紹介しています。


日本ではあまり関心もたれない話題なので
日本語での討論とかすごく少ないですね。

この掲示板では いろんな信仰の人が共存できているようなので
この問題も継続的に討論されていったらおもしろいなと思います。

討論されていったらおもしろいとの事ですが、討論前に確認です。
引用されているという事は同じような思いを持っておられると思うのですが、

カレブさんもドーキンスやダン・バーカーと同じような思い、神があらゆるフィクションのなかでももっとも不愉快な登場人物とお考えなのでしょうか?

#335 2016年12月14日 14:16:18

カレブ
Administrator

Re: アブラハムの神の限界

「あらゆるフィクション」に何を含めるかにもよるでしょうが
旧約聖書の中で描写されている神は少なくとも以下の描写で当てはまらないものは
ほとんどないと思います。
「嫉妬深くて、そのことを自慢にしている。けちくさく、不当で、容赦のない支配魔。執念深く、血に飢え、民族浄化を行った。女嫌い、ホモ嫌い、人種差別主義者、幼児殺し、大虐殺者、実子殺し、悪疫をひき起こし」

その根拠をダン・バーカーはわざわざ一冊の本にまとめたわけですが、きちんと読んだわけではないので著書について判断はできませんが、おそらく多少反論できる点はあっても大方その通りのことが書かれているのだなと想像しています。

何か具体的に反論があるならば書いてください。

「キリストの愛」とかで一言で丸め込めるような論議はやめてくださいね。

オフライン

#336 2016年12月14日 15:50:34

u-chan
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

元証人 さんの発言:

討論前に確認です。
引用されているという事は同じような思いを持っておられると思うのですが、

カレブさんもドーキンスやダン・バーカーと同じような思い、神があらゆるフィクションのなかでももっとも不愉快な登場人物とお考えなのでしょうか?

元証人さんは、いつも発言者の立場やら考えやら所属やらを気になさいますね。

なぜ、それを事前確認する必要があるのでしょう?

「AはXである」と太郎さんが語った。
「いいえ、AはYである」と次郎さんは語った。
参加者は、AがXなのか、Yなのか、はたまたZなのかを考え、議論すれば良いのでは?

太郎さん次郎さんが、現役JWさんだろうが、教会の牧師だろうが、背教者だろうが、関係ないでしょう。

書かれた内容のみを議論すべきですよ。

オフライン

#337 2016年12月14日 20:21:22

元証人
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

カレブさんは確かに、エホバの証人の間違いを示す点で貢献してこられました。その働きはよいものだと思います。

さて、エホバの証人研究は「信仰の枠を超えた真理の探究」を謳っています。

探究途中なので適当なことも言っていいということにはなりません。一応、真理の探究としているのですから。しかし、彼は私の最初からの問題提起である、なぜ聖書や神の悪い点(と思われる点)しか目を留めず偏った扱いをするのかという点に答えず同じ過ちを続けています。

全員ではないですが、ここの掲示板の中の否定的な人々も同じです。管理人さんにしろ、元エホバの証人で信仰を失われた方もそうですが、十分に調べた上で結論してますとよく言われます。果たしてそうでしょうか。

真理の探究というのなら、懐疑的な人々の意見だけでなく、肯定的な意見も検討すべきではないでしょうか。
ですから、最低でも以前に私が言ったように、佐倉哲さんの聖書の間違いを読んだら、聖書の間違いの間違いも読み、バート・D・アーマンを読んだらブルース・メッツガーも読み、ドーキンスを読んだらマクグラスや創造論のものも読み、否定的に書かれた聖書考古学の本を読んだら、護教的な聖書考古学の本も読むべきではないでしょうか。
読むのが面倒だと言われるのであれば、最低でも聖書そのものはしっかりと読むべきでしょう。
さて、カレブさんは、ドーキンスなどに偏っているだけでなく、非常に偏った聖書の扱いをしておられます。具体的に見ていきましょう。
エホバの証人研究からです。


>エフタはその直前に「はなはだ大いなる殺りくを行なった」(裁き人 11:33) と文脈の中で述べられています。
>エフタによって殺戮された人々、その中には無抵抗の女や子どもたちが含まれていたことでしょう。


このように、カレブさんは、エフタが大いなる殺りくをするような人間であるから、エフタが娘を殺すのも仕方ないかのように、エフタを残虐であるかのように紹介しています。
それは非常に偏った見方です。

さらに、ヨセフスを引用して持論を展開しておられますが、このようにも言えます。


ユダヤ古代誌ヨセフスの記述

「このような犠牲は、律法に適うものでも、神に喜ばれるものでもなかったが、彼は自分の行為がそれを聞いた者にどのように受け取られるかを洞察できなかったのである。」


これが、1世紀当時の理解であり、人間の犠牲は律法に敵わず、神にも喜ばれないものだった事が分かります。
そうです。これが当時の理解であったと言うこともできるのです。エフタの娘の件ですが、聖書の教えで行けば、


神は軽々しく誓いを立てた事の報いを刈り取らせたと言えます。当時、誓いは破ってはならないものだったからです。

さらに、カレブさんの発言を見てみましょう。

>ヘブライ11章の中では信仰の模範として列挙されていますがエフタを咎める記述は何もありません。

これに関して言えば、

ヘブライ書にはエフタが娘を捧げた事が模範であるとは書かれていません。
彼は信仰が篤く、それゆえに民の首領として立てられたのでしょう。(士師記11:6)
軽率に誓願した事があっても、彼の信仰や良い点が信仰の模範に含めらめていると言えます。

※彼の誉められる点は、アモン人の王に対してすぐ戦闘を始めるのでなく、まず使者を遣わし、イスラエルがエジプトから出てきた時に戦ったのは領土を通らせて下さいとお願いしたのに通らせず、他国が戦闘を仕掛けてきたやむをえない戦いであった事、イスラエルは300年住んでいたのに何も言ってこなかったと経緯を述べて話し合いにより解決しようとした事でした。(11:13~28)

しかし、アモンの王は聞き入れずイスラエルに戦いを挑みました。
平和的に解決しようとした上でのやむを得ない戦闘だったのです。単なる虐殺とは違います。

また、エフタを咎める記述はなくとも、軽率に誓いを立てた結果、エフタと娘には大きな苦しみがありました。

ですから、娘の為に嘆く習慣があったのです。(11:40)
このように見てみますと理由のある正当な戦いであり、エフタの娘の例は、軽率に誓願する事への戒めとして教訓として書かれたのは明白です。

#338 2016年12月14日 20:42:59

元証人
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

重要な点なのでこちらにも載せます。

旧約聖書には大量虐殺の話がたくさん出てくるではないか、旧約の残忍な神と新約聖書に出てくる愛に溢れた善なる神とは大きなギャップがあるのではないかという点について考えてみましょう。
聖書の中で、『憐れみ』と訳される言葉は261回登場しますが旧約聖書に出てくるのは全体の27%、すなわち三分の一に当たります。
一方、『愛』と訳される言葉は322回登場し、旧約・新約での登場回数はほぼ半分ずつとなっています。ですから、愛を強調している割合は、旧約・新約ともに同じです。
ところが、皮肉な事に旧約より新約の神のほうが、ずっと批判的だと思える箇所が、色々な所で見られるのです。例えば旧約聖書では永遠の刑罰についてほとんど触れていませんが、新約聖書にはそのことが書いてあります。
これは神の性格や性質が変わったという事でしょうか。そうではありません。
聖書には、「主である私は変わることがない。」    とあります。旧約・新約問わず、そこに存在する神は全く同じです。聖なるゆえに罪を傍観する事ができない神。
それでいて、罪を告白する全ての人間に対しては存分な赦しを与えたいと願う、愛と恵みと礼節と憐れみに溢れた神なのです。


恵みとか憐れみといっても、申命記七章で、「聖絶し、容赦してはならない」と言ってカナン人とその他六部族の大量虐殺を命じた神に憐れみとか恵みがあるとは思えないと言われる方もいらっしゃるでしょう。それだけでなく、エジプトの初子全員を殺すようにとの命令や大洪水やアマレク人の例もあります。
「今、行って、アマレクを打ち、その全てのものを聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子供も、乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ。」
これは、愛の神ではなく、暴力的でむごい神の姿ではないか、罪のない子供まで殺せという神を、どうやって礼拝しろというのかと言われるでしょう。それはつまり、神の性質が完全に聖であること、そしてそれゆえに、罪と反逆には処罰を加えなければならない存在であることを示しているのです。公正な審判であることは間違いなく神の性質の一部です。しかしまた恵み深いというのも神の性格です。もし逃げ出したいと望む者がいれば、神はその人物を見逃してくれたのです。
聖書をしっかり読むなら、聖書の中に同じパターンが繰り返されているのが分かって頂けると思います。
ではアマレク人の話から見ていきましょう。
イスラエルは宿営している共同体であり、まだ国を持っていなかった為、自分たちに襲いかかり攻めて来る敵がたくさんいました。彼らがエジプトを出てから間も無く、アマレク人が攻めてきました。彼らは自分たちを守る為に戦います。相手が憎いのではなく自分たちを守る為に戦うわけです。アマレク人は純真無害な人々ではありませんでした。彼らの中に『いい人』なんかいないのです。文字通り堕落の限りを尽くした民だったのです。
彼らの使命は、イスラエルを滅ぼす事、つまり、イスラエルの大量虐殺でした。これでも彼らが邪悪ではないと言われるなら、もう一度それがどういう意味かよく考えてみて下さい。
イスラエルは救い主イエスを通して全世界に救いをもたらす神の選民です。それを滅ぼす行為が無害でしょうか。罪の重さを考えれば、アマレク人の全滅は致し方のない事でした。もし生存者が出たら、彼らは再び集団となって、イスラエル人、そして神の計画に反旗を翻していたでしょう。アマレク人は激しい敵意を持つ好戦的な人種であり、あらゆる蛮行の限りを尽くしていました。例えば、体の弱い人、高齢者、身体障碍者といった、移動している集団についていけなくなった弱者をあえて狙って殺す、そういう卑劣な行為も辞さない連中なのです。
彼らは地球上からイスラエル人を一人残らず排除しようとしました。神は洪水等の災害で彼らを滅ぼす事もできましたが、あえてイスラエルを使って裁きを下したのです。神の言動は単にイスラエルを守る為だけのものではありません。イスラエル人として生まれる救世主によって全人類に救いがもたらされるわけです。ですから、アマレク部族を討つ事は究極的に言えば、歴史上存在する世界中の全人類の為なのです。
でも子供は違うでしょう、罪のない子供まで殺す事はないではないかと言われるかもしれません。しかし、厳密には罪のない人間は誰もいません。この事は忘れないようにしなくてはなりません。詩編51編には、私達はみな罪の内に生まれたとあります。つまり、私達は謀反を起こしたり過ちを犯す傾向を持つ者として生まれるという事です。それと、人間の人生における神の主権についても忘れてはいけません。生命を創ったのは神だから、神にはそれを奪う権利もあります。もし、あなたが生命を創ったのなら、あなたにはそれを奪う権利もある。しかしあなたが生命を創造できないのであれば生命を奪う権利はないのです。
人間は、私達にとっての善悪が、そのまま神にも当てはまると思いがちです。しかし、いいですか。私は他の人を創り出したわけではないし、他の人の人生を握る存在でもありません。そんな私が他の人の命を奪う事は間違いです。
皆さんは、他の人の家の庭に入り込んで植木を抜いたり、切り刻んだり、それをすっかりダメにしたり、どこかに植え替えたり、移動する権利はありません。でも自分の庭の植木であれば話は別です。あなたはそれを所有しているわけですから、どうする事もできるわけです。
さて、神は生命そのものに対する主権を持っているわけですから、もし神が望むなら命を奪う事もできます。実際に神は「死」という形で人の命を奪っているのですが、私達はその事を忘れがちです。いつ、どのような形の神のもとに呼ばれるかが問題であって神が命を取る存在である事に変わりはありません。

#339 2016年12月14日 20:44:16

カレブ
Administrator

Re: アブラハムの神の限界

>彼は私の最初からの問題提起である、なぜ聖書や神の悪い点(と思われる点)しか
>目を留めず偏った扱いをするのかという点に答えず同じ過ちを続けています。

そうでしょうか?
わたしは例えば聖書を誤解して悪く解釈している人がいればそれを指摘しますし、
例えば日本人で短絡的な理由でキリスト教を悪とする人がいたらそれを訂正したりもします。
わたしは話の展開の中で真実を追求するだけのことです。

いまは「聖書だから正しい」と考えているクリスチャン向けに
連載しようと思っているので、おそらく元証人さんにとっては
「神の悪い点しか目にとめない」ように映ると思います。

特にマイコンクリスチャン(この表現めちゃ嫌でしょうけど)あてに
書いていますので、目を開かせるための内容としては仕方がないと思います。


>このように、カレブさんは、エフタが大いなる殺りくをするような人間であるから、
>エフタが娘を殺すのも仕方ないかのように、エフタを残虐であるかのように紹介しています

エフタのしたことは明らかに残虐でクレイジーと思いますけど、
そう思わない元証人さん、どうなんですかね。
わたしはエフタがその時代において格別にクレイジーな行動をとったとは
思っていませんが、普通にクレイジーです。

二つの言葉を書かれていますが
「エフタが娘を殺すのも仕方ないかのように」
「エフタを残虐であるかのように紹介しています」

どういう意味ですか?

エフタが残虐であることは理解されてるんですか?
文章のつながりがわかりません。

「娘を殺すのも仕方ない」って倫理的なことを言ってるわけではないですよね。
わたしは”真の崇拝者が子供を殺すはずがない”という主張をする人に対して
いやいやそもそもエフタが娘を捧げる前に敵陣に乗り込んで大量に子供たちを殺してますよ
と指摘したのです。

それは通じてるんですか?

オフライン

#340 2016年12月14日 20:54:21

元証人
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

カレブさんがエホバの証人にエフタが文字通りに娘を捧げた事を示している意図は分かります。
エフタが話し合いで解決しようとしたのに聞き入れず、やむなく戦闘になった事は残虐とは考えません。あなたがその戦闘を残虐であるかのように書いているように見えたからです。
エフタの娘を捧げたのは模範としてではなく、警告として書かれているという事です。
意味が分からないのでしょうか?
あなたが目が開かれる必要があると思いますが。
偏見で扱ってないというのなら、なぜ、ドーキンスなどの偏ったものしか提供しないのですか?
マイコンを解くため?あなたが「信仰」を一緒くたにしているだけではないですか?
信仰の枠を超えた真理の探究という、真理が信仰を超えた所にあるという前提がそもそも間違いではないでしょうか。

#341 2016年12月14日 20:55:22

元証人
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

でも子供まで…と思われるのも当然です。しかし、歴史を見ると社会的にも物理的にも、事の善悪を問わず子供と親とは運命共同体です。ともかくここでは、アマレク人を取り巻く状況を理解する事が何より重要です。
彼らの社会は完全なる悪と暴力と堕落に満ちた社会であり、そこに育つ子供達に未来はありませんでした。アマレクは人間の足を蝕む壊疽のような存在だったのです。
神がその足を切断するか、あるいは壊疽が体中に広がってしまうかの二者択一です。ある意味では神はその憐れみから、アマレク人を討ったと言えるでしょう。
聖書によれば、個人としての責任を問われる年齢に達していない子供は天国に行き、神の臨在の中で永遠を過ごすと書いてあります。アマレクの子供達が最悪の社会環境で育ち、こうした年齢を過ぎてしまったら、彼らは間違いなく堕落し、永遠に失われた存在となっていたはずです。
イザヤ七章十六節は、道徳的責任を問われる前の『悪を退け、善を選ぶことも知らない』子供達について言及しています。ダビデ王は、生まれてすぐ死んでしまった息子の所に、いずれ自分も行くと話しています。イエスも次のように言っています。「子供たちを、私のところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。」
このように書くと、アマレク人の子供達については道徳的責任を問われる前の年齢で死んで天国に行けたほうがよかった、それが最善というなら、妊娠中絶で死んでいく子供はどうなのか、もし中絶されれば、その子供は間違いなく天国行きだが、生まれてしまったら神に反して地獄行きかもしれない。そうするとこれは、中絶擁護派にとっては強力な助っ人登場ではないかと言われるかもしれません。

しかし、その類推は間違っています。まず神は、だれに対しても中絶を強要していません。それどころか中絶は聖書の教えに反するものです。いいですか、神は生命の創造者であり
、命に関する決定権は唯一、神の手中にあるのです。それから、当時のアマレクほど堕落している社会は現代にはありません。アマレクには一切の希望がなかったのです。今は希望があります。では、神がアマレクの壊滅を命令したとしても、それが非合理だと言えない理由を見ていきましょう。
アマレク人には、その行いを改め、部族の壊滅を避ける機会が十分与えられていました。カナン人とアマレク人には懺悔する猶予が四百年も与えられていたのです。
自己壊滅への道を回避するに十分な数世紀という時間が過ぎ、神はその聖なる性質のゆえに、彼らの強情なまでの悪意に対峙しなければならなくなったのです。思いつきで彼らの全滅を決めたわけではありません。神による壊滅の手から逃げたかったのならば、逃げられた事を忘れないで下さい。何百年にわたり彼らには十分な機会と時間が与えられていたのです。もちろん、滅亡を逃れたいと願った人々は、アマレク社会から逃げ出し、他の地域に広がっていきました。
ヨシュア記六章には、エリコとカナン人の崩壊が書かれています。ここでも同じ事が言えます。エリコも腐敗しきった社会で、神はその酷さに吐き気を催したとまで書いてあります。蛮行、残虐行為、近親相姦、獣姦、カルト的売春が行われ、また、子供をいけにえとして火で焼くという風習もありました。彼らもまた、イスラエルの根絶をもくろむ、非常に攻撃的な部族だったのです。邪悪な人が滅ぼされ、神に従う高潔な人々が悲劇を免れているのは、エリコの場合も同じです。
たとえば、イスラエル人のスパイを匿ったラハブがいい例です。その正義ゆえに、彼女は他のカナン人と共に滅ぼされることなく、生き延びることができました。それから、ニネベの人々に何が起きたか見て下さい。ニネベも腐敗が浸透しきっていた町であり、神の裁きを受けるに当然の町でした。しかし、神に対してその罪を告白したため、そのうちの多くは神の裁きから救われているのです。
つまり、神に罪を告白すれば、どんな人物であろうと神はその人を救おうとする。ここが重要なポイントです。(使徒10:34、35)分かるでしょうか。こうした国々の社会構造そのものが本質的に悪だったからこそ、神はその腐敗した社会を滅ぼす必要があったのです。もし彼らに懺悔の姿勢があれば、神は滅ぼしませんでした。神がずっと前にイスラエルに与えた「約束の地」で、イスラエル以外の民族がやりたい放題に悪行を続けていたのです。神の一番の願いは、この約束の地から邪悪な人々を追放することにあったと、聖書に書かれています。彼らがいなくなれば、イスラエル人が約束の地に住むことができる。そして、ガン細胞のようにイスラエルを蝕む悪や腐敗から、イスラエルが守られます。世界中の何百万人という人々にとって必要な救い主の生誕。神はそれにふさわしい環境を作り出したかったのです。
滅亡していった部族には、十分な警告が与えられていました。それと、実際の戦闘が始まる前には、ほとんどの女性や子供は逃げて難を逃れています。ですから、女性や子供の被害を問題にする必要はあまりないでしょう。
イスラエルとの戦闘に望んだ兵士達は、部族の中でも一番のならず者でした。腐敗した社会を離れる選択を最後まで拒否し、そこに居座って、これまでの悪行を続けようとした人々です。それに、イスラエルが敵地に入ったときには、まず相手との平和的解決を申し出るように、というのが神のルールです。ですから相手には、その申し出を受け入れて戦いを避けるか、あるいは申し出を拒否して自らを危険に晒すか、という選択肢があったのです。これは、フェアで適切なルールではないでしょうか。

では、要点を整理しましょう。神からの警告が十分に与えられていたこと、ほとんどの女性や子供が戦闘前に避難できていた可能性が高かったこと、聖書の言葉に心を乱される時もあるのは事実だとしても、それでも戦闘突入前にイスラエルが和解を提案したこと、また、聖書全体を通して、懺悔した人々には神の裁きが下されないというパターンを知ることができます。

これまで見てきたことから、神は単に気まぐれであったのでもなければ、理由なく暴力的であったのでもないことが分かります。ただ、一言申し上げなければならないことがあります。
神は絶対的に正義なのです。神だからこそ、腐敗し、その悪行をあくまでもやめない!と片意地を張る人々に、何らかの決着をつけなければならないのです。
正義こそ、神が是が非でも実現するべきことでしょう?私たち人間が神に望むことでしょう。
この議論を理解するためにひとつ重要なことがあります。歴史を振り返って見て下さい。
自分の罪を告白して神に立ち返った人々に対し、神はいつも情け深く、憐れみ深く、優しく親切です。最終的に、私たちは神の正義を必ず見るのです。

#342 2016年12月14日 21:01:48

カレブ
Administrator

Re: アブラハムの神の限界

>あなたがその戦闘を残虐であるかのように書いているように見えたからです。

そこは大きなポイントではないですが、
十分そこも残虐ですね。カナンの先住民を女子供含めて虐殺する

十分残虐です。

>エフタの娘を捧げたのは模範としてではなく、警告として書かれているという事です。

エホバの証人の場合は娘を焼燔の犠牲として捧げてないという観点で
「模範である」としています。
実は焼燔の犠牲として捧げていたのだと知っていたら
別の観点を主張するでしょうね。

警告として書き残すために娘が焼かれるのを放置するのは
やはりクレイジーだと思います。
当時の人はそうは思わなかったみたいですが。

>信仰の枠を超えた真理の探究という、真理が信仰を超えた所にあるという前提がそもそも間違いではないでしょうか。

わたしは真理は信仰とは無関係だと思っています。
「真理」という言葉を使う宗教はたくさんありますが、そういう観点で真理という言葉をわたしは使っていません。
何かの宗教的前提にとらわれることなく真理を探究することをわたしは勧めています。

オフライン

#343 2016年12月14日 22:04:16

モトシモベ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

元証人さん

モトシモベと申します。ディスカッション中に突然の横やり失礼します。
及第点をもらえる勤勉なクリスチャンではないので傍観していましたが、少しだけ異議を唱えさせてください。
あくまでも一個人としての異議ですので、返信は不要です。

元証人@#346 さんの発言:

さて、エホバの証人研究は「信仰の枠を超えた真理の探究」を謳っています。

元証人@#349 さんの発言:

マイコンを解くため?あなたが「信仰」を一緒くたにしているだけではないですか?
信仰の枠を超えた真理の探究という、真理が信仰を超えた所にあるという前提がそもそも間違いではないでしょうか。

元証人さんが#346で指摘されているのは、ウェブサイト「エホバの証人レッスン」のお話ですよね?
掲示板の親サイトである「エホバの証人研究」は、トップページのタイトルにも記載があるように、「エホバの証人について真面目に研究するサイト」です。
実際に多くのページが、WT組織が提供する教理の矛盾を指摘することに割かれています。
様々な経緯でここにたどり着いた読者一人ひとりが、サイトの情報とWT組織の教えを比較衡量して、どちらが正しいかの結論を導き出す糧を提供しています。

(わたし自身がそうであったように)多くの訪問者にとって、このサイトの大きな存在意義は「真理の探求」より、むしろ「JWのマイコン解除」にあります。
この掲示板も例外ではなく、JWに関する問題が土台となって異なるトピックが存在し、JWの狭い視野を広げるために信仰の枠を超えた論者が論点を提供し、場を盛り上げてくださっています。
それぞれがお互いを尊重しながら異なる視点が両立し得るのは、「マイコン解除」の延長線上に「真理の探求」があるからでしょう。

元証人さんのお話も興味深いものです。
しかし最近の元証人さんは、いささかヒートアップし過ぎているように見受けられます。
元証人さんこそ「真理の探求」に偏重するあまり、「信仰」を一緒くたにしていませんか?
少なくとも管理人としてのカレブさんが提供する資料は、「マイコン解除」と「真理の探求」の両輪がバランス良く分離されています。

わたしの目には、最近の元証人さんの投稿が、ご自身の宗教観の押し売りのように映り始めています。
そうであれば、それはこの掲示板で長々と論じるようなものではなく、ご自身のブログやサイトを開設して展開する内容ではないかと思います。

#344 2016年12月14日 22:11:44

さやか666
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

「何らかの決着をつけなければならない神」


これがまさにアブラハムの神の限界なんですよ


そういうふうにしちゃったんです



生け贄の創始者はヤハウェでしたよね

それも


そういうふうにしちゃったんです

#345 2016年12月14日 23:17:31

yukahena
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

元証人 さんの発言:

重要な点なのでこちらにも載せます。

じゃありません。元証人さんが重要だと思ったからと言って同じ内容のしかも長文を二つのフォーラムに投稿するのは、捨てHNで一人何役もやって自作自演するのと同様マナー違反です。

・返事をするにしても同じ内容をそれぞれのフォーラムにしなくてはならなくなる
・他人にとってはそうでもないのに自分の基準で重要だと思う投稿を別のフォーラムに同じ内容でする人が増えると収拾が付かなくなる

そういったことを考えましょう。読んでいる人、管理人さんに迷惑をかけるかなとは考えないのでしょうか?私の「浅い」知識ではそうではないと思っていましたが、聖書の教えは自分さえ良ければよいというものだったのでしょうか?もっとも聖書の特に旧約の神はそんな感じですが。

オフライン

#346 2016年12月14日 23:39:56

yukahena
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

聖書に書かれているからと言って「鵜呑み」にしてアマレク人に対して随分な言い様ですね。

元証人 さんの発言:

もし逃げ出したいと望む者がいれば、神はその人物を見逃してくれたのです。
聖書をしっかり読むなら、聖書の中に同じパターンが繰り返されているのが分かって頂けると思います。

悪人でも逃げ出したいのなら見逃されるということですか?そういう人は罪の裁きなるものを免れるのですか?

元証人 さんの発言:

ではアマレク人の話から見ていきましょう。
イスラエルは宿営している共同体であり、まだ国を持っていなかった為、自分たちに襲いかかり攻めて来る敵がたくさんいました。彼らがエジプトを出てから間も無く、アマレク人が攻めてきました。彼らは自分たちを守る為に戦います。相手が憎いのではなく自分たちを守る為に戦うわけです。アマレク人は純真無害な人々ではありませんでした。彼らの中に『いい人』なんかいないのです。文字通り堕落の限りを尽くした民だったのです。
彼らの使命は、イスラエルを滅ぼす事、つまり、イスラエルの大量虐殺でした。これでも彼らが邪悪ではないと言われるなら、もう一度それがどういう意味かよく考えてみて下さい。

いったい聖書のどこを読むとこんな言いようになるのですか?出典を明示して下さい。

元証人 さんの発言:

イスラエルは救い主イエスを通して全世界に救いをもたらす神の選民です。それを滅ぼす行為が無害でしょうか。罪の重さを考えれば、アマレク人の全滅は致し方のない事でした。もし生存者が出たら、彼らは再び集団となって、イスラエル人、そして神の計画に反旗を翻していたでしょう。アマレク人は激しい敵意を持つ好戦的な人種であり、あらゆる蛮行の限りを尽くしていました。例えば、体の弱い人、高齢者、身体障碍者といった、移動している集団についていけなくなった弱者をあえて狙って殺す、そういう卑劣な行為も辞さない連中なのです。
彼らは地球上からイスラエル人を一人残らず排除しようとしました。神は洪水等の災害で彼らを滅ぼす事もできましたが、あえてイスラエルを使って裁きを下したのです。神の言動は単にイスラエルを守る為だけのものではありません。イスラエル人として生まれる救世主によって全人類に救いがもたらされるわけです。ですから、アマレク部族を討つ事は究極的に言えば、歴史上存在する世界中の全人類の為なのです。

もはや論理の整合性をとることを放棄なさいましたか?例えば、体の弱い人、高齢者、身体障碍者といった、移動している集団についていけなくなった弱者をあえて狙って殺す、そういう卑劣な行為も辞さない連中なのですって、聖書にそんなの書かれていますか?
仮に書かれていたとしても、イスラエル人はそういった人に加えて民族を皆殺しにするのだから第三者としては輪をかけて残虐で、同義的な優劣は感じられません。

元証人 さんの発言:

でも子供は違うでしょう、罪のない子供まで殺す事はないではないかと言われるかもしれません。しかし、厳密には罪のない人間は誰もいません。この事は忘れないようにしなくてはなりません。詩編51編には、私達はみな罪の内に生まれたとあります。つまり、私達は謀反を起こしたり過ちを犯す傾向を持つ者として生まれるという事です。

そんなことを言い出したらイスラエル人にも同じことが言えるのにこの理屈でアマレク人だけ酷い目に合うのは何故ですか?

元証人 さんの発言:

それと、人間の人生における神の主権についても忘れてはいけません。生命を創ったのは神だから、神にはそれを奪う権利もあります。もし、あなたが生命を創ったのなら、あなたにはそれを奪う権利もある。しかしあなたが生命を創造できないのであれば生命を奪う権利はないのです。
人間は、私達にとっての善悪が、そのまま神にも当てはまると思いがちです。しかし、いいですか。私は他の人を創り出したわけではないし、他の人の人生を握る存在でもありません。そんな私が他の人の命を奪う事は間違いです。
皆さんは、他の人の家の庭に入り込んで植木を抜いたり、切り刻んだり、それをすっかりダメにしたり、どこかに植え替えたり、移動する権利はありません。でも自分の庭の植木であれば話は別です。あなたはそれを所有しているわけですから、どうする事もできるわけです。
さて、神は生命そのものに対する主権を持っているわけですから、もし神が望むなら命を奪う事もできます。実際に神は「死」という形で人の命を奪っているのですが、私達はその事を忘れがちです。いつ、どのような形の神のもとに呼ばれるかが問題であって神が命を取る存在である事に変わりはありません。

ですからその前提として神がいるのか、聖書が正しいのかが問われているのにこんなことを何度も力説しても無意味です。聖書を擁護したいのなら、しなくてはならないのは聖書への疑問に答えることで、お仲間の信者にするような聖書が正しいことを前提とした説明をすることではありません。何度言ったら分かるんですか?

オフライン

#347 2016年12月15日 00:58:57

元証人
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

yukahena さんの発言:

聖書に書かれているからと言って「鵜呑み」にしてアマレク人に対して随分な言い様ですね。
悪人でも逃げ出したいのなら見逃されるということですか?そういう人は罪の裁きなるものを免れるのですか?

おや、好戦的で邪悪なアマレクに随分、同情しますね。
アマレクが戦闘好きな戦士で頻繁に他の定住者を襲撃して物資を強奪して生計を立てていた殺す事を楽しんでいた残虐な者であった事は、各種注解書等をお調べ下さい。あなたは聖書学者や考古学者より詳しいわけではないでしょう。

信仰者の側の意見としては、イスラエルが戦い好きな国に勝利した事は神が約束通り彼らと共にいてくださった証明だと見ます。

神がイスラエルと共に戦い勝利を収めてきた歴史を知って、神を認めて逃げ出した者は裁きを免れたでしょうね。



yukahena さんの発言:

例えば、体の弱い人、高齢者、身体障碍者といった、移動している集団についていけなくなった弱者をあえて狙って殺す、そういう卑劣な行為も辞さない連中なのですって、聖書にそんなの書かれていますか?
仮に書かれていたとしても、イスラエル人はそういった人に加えて民族を皆殺しにするのだから第三者としては輪をかけて残虐で、同義的な優劣は感じられません。

申命記25章18
「彼(アマレク軍)は道であなた(イスラエル)と出会い、あなたが疲れきっているとき、あなたのしんがりにいた落伍者をすべて攻め滅ぼし、神を畏(おそ)れることがなかった。」

申命記20章

10-18
町を攻略しようと、あなたがその町に近づいたときには、まず降伏を勧めなさい。降伏に同意して門を開くなら、その中にいる民は、みな、あなたのために、苦役に服して働かなければならない。もし、あなたに降伏せず、戦おうとするなら、これを包囲しなさい。あなたの神、主が、それをあなたの手に渡されたなら、その町の男をみな、剣の刃で打ちなさい。しかし女、子ども、家畜、また町の中にあるすべてのもの、そのすべての略奪物を、戦利品として取ってよい。あなたの神、主があなたに与えられた敵からの略奪物を、あなたは利用することができる。非常に遠く離れていて、次に示す国々の町でない町々に対しては、すべてこのようにしなければならない。

モーセは、戦争をする時の基本的なルールについて教えています。第一に、奇襲攻撃をするのではなく、交渉をしなければいけません。「降伏を勧めなさい」と言っています。第二に、もし同意するなら、その民は苦役に服さなければいけません。ヨシュアが率いるイスラエルの民は、嘘をついて遠い国からやって来ました、と言ったギブオン人たちは、イスラエル人のため、また主の祭壇のために、たきぎを割る者、水を汲む者としました。(ヨシュア9:27)ヨシュアたちは、ここの律法を守っていたのです。そして第三に、彼らが戦おうとして、かつ主がその戦いに勝たせてくださるなら、男のみを殺さなければいけません。今の言葉で言うならば、戦闘員のみを殺しなさい、ということです。第四に、女子供や家畜やその他のものは自分たちのものとしてよい、ということです。これも、女子供だけでは生きていくことはできませんから、ある意味で慈善的と言ったら大袈裟でしょうが、ことさらに悪いことではありません。

このように、決して理想とは言えない戦争の中にさえ、神がルールを設けてくださり、残虐なことをしないように戒めておられることがわかります。強引に戦争を行なうのではなく、主が許してくださる範囲内において行なっていかなければいけません。


yukahena さんの発言:

そんなことを言い出したらイスラエル人にも同じことが言えるのにこの理屈でアマレク人だけ酷い目に合うのは何故ですか?

あなた本当に聖書読んでます?どの国民でも罪を認め神に従うなら罰せられません。

yukahena さんの発言:

ですからその前提として神がいるのか、聖書が正しいのかが問われているのにこんなことを何度も力説しても無意味です。聖書を擁護したいのなら、しなくてはならないのは聖書への疑問に答えることで、お仲間の信者にするような聖書が正しいことを前提とした説明をすることではありません。何度言ったら分かるんですか?

問うのは勝手ですが、私や他の信仰者に聞いて答えが出るとでも思うのですか?
あなたは信じない、それでも信じる人は信じるというだけです。
信仰者は信仰者の観点から意見すると何度言えば分かるのですか。言い返せば済むとでも思っているのですか。あなたに全て説明義務はありませんし、あなたの納得いくように合わせて答える事もできません。何度言わせるのでしょうか。私が不信仰者を納得させるまで説明するトピックでもありません。

#348 2016年12月15日 10:34:24

yukahena
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

元証人 さんの発言:

おや、好戦的で邪悪なアマレクに随分、同情しますね。
アマレクが戦闘好きな戦士で頻繁に他の定住者を襲撃して物資を強奪して生計を立てていた殺す事を楽しんでいた残虐な者であった事は、各種注解書等をお調べ下さい。

同情ではなくて聖書の記述だけでの一方的な偏見をしたくありません。考古学でアマレク人が書くも残虐だったとされていると私は知りません。考古学的証拠をあげましょう。アマレク人に対する元証人さんの見解の根拠が聖書学者なる人物の聖書の解釈でしたら、解釈はいかようにも可能なので信者以外には無意味ですから結構です。

元証人 さんの発言:

信仰者の側の意見としては、イスラエルが戦い好きな国に勝利した事は神が約束通り彼らと共にいてくださった証明だと見ます。

神がイスラエルと共に戦い勝利を収めてきた歴史を知って、神を認めて逃げ出した者は裁きを免れたでしょうね。

片方からだけの視点だけで出来事を語るのは危険だから、逆の立場も考えるのです。だいたい考えるまでも無く、アマレク人全員が悪のわけないでしょう。そういう人がいたということです。現在でもそんな国民全員が悪なんて国がありますか?
免れたでしょうねって随分不公平な神なんですね。

元証人 さんの発言:

あなたは聖書学者や考古学者より詳しいわけではないでしょう。

ブーメランってご存知ですか?ご自分の批判方法がそのまま自分に帰ってくるとは考えられませんか?進化についてそっくりお返しします。

通りすがり(ただしこの場合は元証人) さんの発言:

ま、進化論はない。
これだけはガチ。

このようなおよそ進化について「調べ」ない方の発言とは思えません。

元証人 さんの発言:

「彼(アマレク軍)は道であなた(イスラエル)と出会い、あなたが疲れきっているとき、あなたのしんがりにいた落伍者をすべて攻め滅ぼし、神を畏(おそ)れることがなかった。」

そういうアマレク人がいたことは書かれていますが、この記述でアマレク全体が悪だと思っちゃったんですか。イスラエル人がアマレク人のところに侵入したからではないのですか?しんがりに落伍者をおいて守らないイスラエル人やその神はどうなんでしょうね。このあたりも突っ込みどころばかりですね。

元証人 さんの発言:

モーセは、戦争をする時の基本的なルールについて教えています。第一に、奇襲攻撃をするのではなく、交渉をしなければいけません。「降伏を勧めなさい」と言っています。第二に、もし同意するなら、その民は苦役に服さなければいけません。ヨシュアが率いるイスラエルの民は、嘘をついて遠い国からやって来ました、と言ったギブオン人たちは、イスラエル人のため、また主の祭壇のために、たきぎを割る者、水を汲む者としました。(ヨシュア9:27)ヨシュアたちは、ここの律法を守っていたのです。そして第三に、彼らが戦おうとして、かつ主がその戦いに勝たせてくださるなら、男のみを殺さなければいけません。今の言葉で言うならば、戦闘員のみを殺しなさい、ということです。第四に、女子供や家畜やその他のものは自分たちのものとしてよい、ということです。これも、女子供だけでは生きていくことはできませんから、ある意味で慈善的と言ったら大袈裟でしょうが、ことさらに悪いことではありません。

このように、決して理想とは言えない戦争の中にさえ、神がルールを設けてくださり、残虐なことをしないように戒めておられることがわかります。強引に戦争を行なうのではなく、主が許してくださる範囲内において行なっていかなければいけません。

建前はそうでしょう。人は立派な発言をその行動が裏切っている場合どちらを信じるか、まずここから意見が違うとは考えたくないですがもちろん信じるのは後者です。

では降伏を勧めていないことが多々あるのは何故ですか?ヨシュア記でのエリコやアイ、それに続く戦争で降伏を勧めていないケースばっかりです。むしろ勧めている稀有な例を挙げてほしいぐらいです。
エリコに関して言うなら、考古学では聖書の記述は否定されていることはご存知ですか?
都合のいいときだけ考古学を補強に使ういいとこ取りは卑怯です。

遊女は禁じられているはずなのにラハブは許されるとは、目的は手段を正当化する、目的のためには手段を選ばない、神の基準は人によっては適用されないことはよくわかります。

元証人 さんの発言:

あなた本当に聖書読んでます?どの国民でも罪を認め神に従うなら罰せられません。

読んでるかってこっちが聞きたいですよ。信者を名乗る方に聞く羽目になるとは。先の例といいその機会がまず与えられていません。罪を認め神に従うことと逃げて罪から免れることは全然同じではなく、事実だとするなら神の著しい不公正の表れです。

元証人 さんの発言:

問うのは勝手ですが、私や他の信仰者に聞いて答えが出るとでも思うのですか?
あなたは信じない、それでも信じる人は信じるというだけです。
信仰者は信仰者の観点から意見すると何度言えば分かるのですか。言い返せば済むとでも思っているのですか。あなたに全て説明義務はありませんし、あなたの納得いくように合わせて答える事もできません。何度言わせるのでしょうか。私が不信仰者を納得させるまで説明するトピックでもありません。

全人類を救わんと御子を贖いにしたという神を信じる方にしては随分な仰りようですな。神を信じない者へ手を尽くして説明をするものだと思っていましたよ。私程度を納得させられないのでしたら全人類など夢のまた夢ですね。
信仰者の観点からそうでない人への意見や議論をしたいのなら、共通の認識のもとにしないと意味無いです。逆もそうです。信仰者を対象にしたご高説はここでは求められていないことはわかりませんか?共通の認識の下にやる気が無いのならそれは自分でサイトや掲示板を作ってやって下さい。議論になりません。

編集者 yukahena (2016年12月19日 22:42:55)

オフライン

#349 2016年12月15日 12:29:23

さやか666
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

国民という表現は当てはまらないのかもしれませんが

独自の生活習慣を築いている方々がおられます

とても好戦的ということです。

https://matome.naver.jp/m/odai/2141076187140192901


とはいえ

警告を与えたならば、この民族を抹消してもよいのか

民族の幼児、赤子を逃さず殺せとするのは考えられませんよ


なぜ赤子を殺害しなければならないのでしょう


なぜ?

#350 2016年12月15日 12:47:20

パー子
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

さやかさん、記事読みました。

載せられている写真を見て、映画「グリーン・インフェルノ」を思い出しました。

好戦的な人食族のお話です。

この映画にも人食族の子供達が沢山出てきましたよ。

映画はかなりグロいのでお勧めはできませんが、いろいろと考えさせられました。


さやか666 さんの発言:

警告を与えたならば、この民族を抹消してもよいのか

民族の幼児、赤子を逃さず殺せとするのは考えられませんよ


なぜ赤子を殺害しなければならないのでしょう


なぜ?


私も答えを知りたいです。

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