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#1 2012年10月16日 23:44:05

もんもん
メンバー

組織の改善に関する議論

エホバの証人の兄弟・姉妹ひとりひとりに対しては
ものみの塔の提案を当てはめるようにと励ましがありますが、
組織自体については自己吟味されるということがありません。

エホバの証人の組織の改善についての議論をしてみませんか。

-長老制度
-開拓奉仕
-巡回監督
-大会・集会
などなど

オフライン

#2 2012年10月17日 15:05:18

sk
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

組織の改善につては、マタイ 9:16、マルコ 2:22、ルカ 5:36-37が当てはまるでしょう。

マタイ 9:16-17
16 縮んでいない布の継ぎ切れを古い外衣に縫いつける人はいません。その満ちた力が外衣を引っ張り,裂け目はいっそうひどくなるからです。17 また人は,新しいぶどう酒を古い皮袋に入れることもしません。もしそうすれば,皮袋は張り裂け,ぶどう酒はこぼれ出て,皮袋はだめになります。やはり人は,新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れます。そうすれば,両方とも保たれるのです」。

マルコ2:21-22
21 縮んでいない布の継ぎ切れを古い外衣に縫いつける人はいません。もしそうすれば,その満ちた力がそれを,つまり新しいものが古いものを引っ張り,裂け目はいっそうひどくなります。22 また,新しいぶどう酒を古い皮袋に入れる人はいません。もしそうすれば,ぶどう酒が袋を破裂させ,袋だけでなく,ぶどう酒も失われます。やはり,人は新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れるのです」。

ルカ 5:36-39
36 さらに,[イエス]は彼らに次の例えを話された。「新しい外衣から継ぎ切れを切って古い外衣に縫いつける人はだれもいません。もしそうするなら,新しい継ぎ切れはちぎれてしまいますし,新しい衣からの継ぎ切れは古いものに合いません。37 また,新しいぶどう酒を古い皮袋に入れる人はだれもいません。もしそうするなら,新しいぶどう酒は皮袋を破裂させ,それはこぼれ出て,皮袋はだめになります。38 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければならないのです。39 古いぶどう酒を飲んだ人はだれも新しいものを欲しがりません。その人は,『古いのはうまい』と言うのです」。


裂け目はいっそうひどくなる、新しい継ぎ切れはちぎれる、古いものに合わない
ぶどう酒もうしなわれる、皮袋はだめになる

などの表現に注目できます。

また人は「古いのはうまい」と言うとも言われています。
ものみの塔協会が作り上げたいわば「自ら課した崇拝の方式」を好む人を変えることはできないでしょう。


この掲示板をご覧になっているJWの皆さん、ものみの塔協会の真実を直視してください。そして実体を見極めてふさわしく行動を取ってください。


まず、「大いなるバビロン」が何であるか思い出してください。
それは、偽りの宗教組織です。

この「組織」という言葉は何を教えていますか。
それは人が作り上げた階級制度ではありませんか。
そして全ての宗教組織はその名称と目的を人間の政府に登録していませんか。
「ものみの塔聖書冊子協会」もその中に含ませんか。

そうであればそれは、「大いなるバビロン」の一部に過ぎません。

ご自分で納得のいくまで調査しその確信を得たなら、次の御使いの警告に従うべきです。

啓示 18:4
4 また,わたしは天から出る別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい。


ものみの塔協会を出てどこへ行けばよいのか迷う必要はありません。
他の宗教組織、教会に行く必要もありません。なぜならそれらの人間の組織は全て「大いなるバビロン」の一部だからです。

あなたが求めていることは、神に受入らる崇拝であるに違いありません。
一方、神の方も真の崇拝者を求めています。

ヨハネ 4:23
23 とはいえ,真の崇拝者が霊と真理をもって父を崇拝する時が来ようとしています。それは今なのです。実際,父は,ご自分をそのように崇拝する者たちを求めておられるのです。

真理はあなたの手元にある聖書でしょう。
まず、聖書を読み自分で神の方法や意思を読み取る努力ができます。
また機会が開かれるなら自分の確信している真理を他の人と分かち合うことができます。
また、ものみの塔協会が作り上げた伝道が救いに不可欠でもあるかのように良心をいためる必要はありません。
聖書を注意深く学ぶなら「家から家」の伝道は要求されていないことが分かるでしょう。
既に「大いなるバビロン」から出た多くの兄弟姉妹たちがネットや出版物をとおして、エホバの証人の皆さんが抱くかもしれない不安や恐怖心、脅迫観念を取除く健全な見方を公開していますのでそれらを活用することもできます。

またこの掲示板に質問を書き込み他の人の見方から学んび確信を強めることもできるでしょう。

そのうち、ものみの塔協会から出てくる兄弟姉妹たちが増えれば、自分の地域で互いに連絡を取り合い、「ものみの塔協会」の決めた方法ではなく、自由にクリスチャンの友として集り合うことができるようになるでしょう。

マタイ 18:20
20 二人か三人がわたしの名において共に集まっているところには,わたしもその中にいるからです

コリント第一 5:4
4 わたしたちの主イエスの名において,あなた方が共に集まるとき

それで、2人か3人でもクリスチャンの交流を十分楽しめるでしょう。


また開拓奉仕、奉仕の僕、長老などの権威について考えてみてください。
それは「ものみの塔協会」による任命であり必ずしも神からのものではないでしょう。

西暦一世紀クリスチャン会衆が誕生したときエホバ神とキリストイエスは使徒パウロを用いて会衆のあるべき姿を形作られました。まずエルサレムにて人々が3000人、5000人と、この道に導かれた時その中で食料の分配などの雑用が生じてきます。それで、その雑用のために信頼のおける兄弟たちが、そこに居合わせている兄弟姉妹たちによって推薦され任命を受けたことを思い起こしてください。それが任命のための第一ステップです。それで地元の兄弟姉妹たちの中から、聖書の基準にかなうと誰もが認めるふさわしい人を推薦し、任命をすれば済むことです。

西暦1世紀にはイエスから権限を付託されたパウロがテモテなどをとおして長老の任命がなされた点が異なるだけです。その実態(実情)がどのようなものであったかは想像するしかありません。それが全ての会衆でなされていたのか、誰が任命権を付託されたのか、どのようにかなどは分かりません。それでも任命権を付託されたそれらの兄弟はその任命に関わる地元の会衆で何年か過ごしていましたので兄弟たちの様子を良く知っていたでしょう。確かなことは、統治体や支部事務所のような管理機関が任命を一手に担っていたのではなかったということです。これらの初期クリスチャン会衆の特徴はやがてなくなり、その後は、どの時代でもクリスチャンのグループが形成された場合、責任の割当ては地元の兄弟姉妹たちの推薦と任命によるしかなかったはずです。

カリスマ的な宗教指導者が現れグループを造り、その者があたかもキリストでもあるかのように振る舞い任命を行なう場合があるかもしれませんが、あなたはそれを神からのものと見なしますか。

現在「ものみの塔協会」がしていることは、地元の長老たちが推薦し、遠く離れた支部事務所で地元に行ったこともない人により承認され手紙により会衆に任命が発表されます。このプロセスは正にピラミッド支配のための企業のプロセスです。

結果として協会を奉るイエスマンだけが効果的に任命を受けるようになります。
ですから「ものみの塔協会」が行なっていることは神の目から見て無価値です。


それで、一旦バビロンを出たら二度とその同じ手法を取り入れるべきではありません。

マタイ 23:8-11
8 しかしあなた方は,ラビと呼ばれてはなりません。あなた方の教師はただ一人であり,あなた方はみな兄弟だからです。9 また,地上のだれをも父と呼んではなりません。あなた方の父はただ一人,天におられる方だからです。10 また,『指導者』と呼ばれてもなりません。あなた方の指導者はキリスト一人だからです。11 あなた方の間で一番偉い者は,あなた方の奉仕者でなければなりません。

コリント第二 1:24
24 わたしたちがあなた方の信仰に対する主人であるというのではありません。わたしたちはあなた方の喜びのための同労者です。あなた方が立っているのは[自分の]信仰によるのです。


各地で自主的に集り合うクリスチャンンの兄弟姉妹たちは各々が他の人の役に立つ賜物を神なら頂いていますので、その賜物を自由に活用し愛のうちに成長して救いに至ることができるでしょう。

コリント第一 12:4-7
4 さて,賜物はさまざまですが,霊は同じです。5 奉仕の務めはさまざまでも,主は同じです。6 働きはさまざまでも,すべての人の中であらゆる働きをされる神は同じです。7 しかし,霊の顕現は,有益な事柄を目的として各々に与えられます。

エフェソス 4:16
16 この[キリスト]をもととして,体の各部すべては,調和よく組み合わされることにより,また必要なものを与えるすべての関節を通して協働することにより,それぞれの部分が定めの機能を果たすにつれて,愛のうちに自らを築き上げることを目ざした体の成長に資するのです。

フィリピ 2:13
13 神が,[ご自分の]喜びとなることのため,あなた方が志しかつ行動するようにと,あなた方の中で行動しておられるからです。

コリント第二 3:17
17 さて,エホバは霊です。そしてエホバの霊のある所には自由があります。


「大いなるバビロン」を出た後は、上記のような霊と真理による受けいられる崇拝を追い求めることができるでしょう。


「ものみの塔協会」は皆さんに「大いなるバビロン」から出るために今まで交わっていた宗教組織に脱退届けを出すように勧めたと思います。もしあなたがそれを望むなら「ものみの塔協会」に対してそれを行うことができるでしょう。


「ものみの塔協会」の外には神の恵みはないと信じているなら、まずその「ものみの塔協会」についてよく調査しその実体を直視してください。エホバの証人研究サイトは皆さんがそうすることを助けるでしょう。

編集者 sk (2012年10月19日 13:24:46)

オフライン

#3 2012年10月17日 21:58:00

もんもん
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

skさん

わたしがここで望んでいるのは、エホバの証人からの脱退のすすめではなくって、
現実的な改善方法です。

skさんは組織は変わらない、必要ないと信じていると思いますが、
わたしは変わっていくと信じています。
中央集権的な組織はわたしも望むものではありませんが、
共に活動するためのグループは必要だと思っています。

オフライン

#4 2012年10月17日 22:31:22

カレブ
Administrator

Re: 組織の改善に関する議論

もんもん さんの発言:

わたしがここで望んでいるのは、エホバの証人からの脱退のすすめではなくって、
現実的な改善方法です。

もんもんさん、

組織の運用に関しては、JWの精神によくない影響を与えている奉仕報告制度など
変わったらいいと思うものは幾つかあります。

組織上の問題については パリサイ人的な側面が問題ですが、
集会や大会、長老、巡回監督 など制度としては必ずしも問題ではないですね。

JW組織を変えることは望ましいですが、わたしの場合は、それはあくまでも
そこに属する人たちの人権を考えてのことです。

早急に変更されなければならないものは「血を避ける」という言葉の理解、
あとは、排斥にまつわる人権侵害(特にJW辞めた人や家族に対する)ですね。

いろんな問題を考えると「共に活動するためのグループ」としての利点をすべて打ち消すほどの
致命的な問題を抱えていると思います。

オフライン

#5 2012年10月17日 23:37:49

もんもん
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

エホバの証人研究さんが、Webサイトに書いている問題の多くが改善されれば、エホバの証人になってくれますか。

オフライン

#6 2012年10月18日 00:16:45

sk
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

もんもんさん

お気持ちは良く分かります。
しかしトップダウンの組織をボトムアップで改善できると思いますか。
もし誰かが声を上げたとします、その人は助言の対象になるのではありませんか。

皆で一斉に改善を求めることをお考えでしょうか。
そうであれば、その音頭をとる人、また何を要求するか、いつ、どのようになど多くのことを決める必要があります。
そのような事をすれば必ず不必要な思い煩いや重荷を背負い込むことになりませんか。

最近の協会の傾向をよく分析してみてください。神権秩序と称してますますトップダウンによる権威の行使を強めていませんか。個人的な要求や質問を協会に尋ねないように指示されていませんか。では地元の長老団に組織のあり方について相談または要求をした場合、彼らは建前上どのように反応するでしょうか。多分「もんもん」さんもご承知のように彼らは同調するよりも守勢に立たざる得ないのではありませんか。

もしあえて改善のためのアクションを取るなら不必要な緊張を招き喜びを失うことになると思います。


次に共に活動するグループについてですが、
「もんもん」さんはエホバの証人になる前にお友達や共に活動するグループがいませんでしたか。
もしそのような人々を持っていたのなら、ご自分でまたそのような友人を作れるのではありませんか。
「エホバの証人」以外の人々との交わりを極端に警戒するような考え方はクリスチャン的又は正常でしょうか。
神の像に造られてる信者でない隣人は、エホバの証人と何も変わらないのではありませんか。

ローマ 2:14-15, 26-27
14 律法を持たない諸国民の者たちが生まれながらに律法にある事柄を行なう場合,その人たちは律法を持ってはいなくても,自分自身が律法なのです。15 彼らこそ,律法の内容がその心に書かれていることを証明する者であり,
26 したがって,もし無割礼の人が律法の義の要求を守るなら,その人の無割礼は割礼とみなされるのではありませんか。27そして,本来無割礼であるその[人]は,律法を実行することによって,その書かれた法典と割礼とがありながら律法の違犯者となっているあなたを裁くことになります。

「もんもん」さんの親族の方々は、真理の正確な知識をまだ持っていないかも知れませんが、悪い人ではないはずです。神が私たちに与えて下った良心は「エホバの証人」だけが特別に優れているわけではないと思います。

「エホバの証人」になる前、もんもんさんは集会、伝道、大会など、ものみの塔協会が企画した活動をしなくてもご自分が楽しめる活動をもっていたのではありませんか。それで人が行なえる健全な活動はいくらでも見つけられるのではないでしょうか。

「エホバの証人」の兄弟姉妹たちはものみの塔協会が企画した活動に喜びを見出していますので、それらの活動で時間を満たしたいと願っているのだと思います。それでそれらの活動に代わり、他の喜びを見出す活動を見つけることができると思います。

西暦一世紀当時のクリスチャンについて考えてみてください。
ローマ帝国の大多数の人々は奴隷の身分でした。その人々がキリストの音信を受け入れたときその生活がどのように変わったか考えてみてください。どのように伝道したのか、どのように他の信者たちと集ったのかなどです。当時は水汲み、買物、食事の準備など時間のかかる仕事が沢山あったに違いありません。奴隷のクリスチャンたちは自由に好きなときに伝道、集会ができたと思いますか。コリント第一 7:21 から何を学べますか。

コリント第一 7:21
21 あなたは奴隷の時に召されましたか。そのことで思い悩むことはありません。ですが,自由になることもできるなら,むしろその機会をとらえなさい。

ものみの塔協会は伝道者に時間の報告を要求します。また他の人の模範を励みにするように演壇から教えます。そのために兄弟姉妹たちは「そのようにしなければいけないのだ」と思い込むことになります。これが「エホバの証人」の思いを形作る力であり、それによって無意識に重荷(不必要な荷)を負うことになります。それで、それをしなければ安心できない精神状態が形成されていると思いませんか。それは一種のピアープレッシャーではないでしょうか。

ナアマンの家で仕えていたイスラエルの少女は、自分の生活の中で自分の信仰を表明しました。それで他の人が益を受けました。私たちに求められていることはそのことではありませんか。

やがて「ものみの塔協会」の実体に気付く兄弟姉妹たちが増えてくるでしょう、そのような人たちは自らの確信の下にバビロンを離れるでしょう。

兄弟姉妹たちが、協会の方針に疑問の声を上げれば会衆内で緊張やトラブルは避けられないと思います。
それで兄弟姉妹たちが「ものみの塔協会」の実体に目覚めてふさわしく行動されることを願います。

編集者 sk (2012年10月19日 13:02:32)

オフライン

#7 2012年10月18日 11:44:29

もんもん
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

skさん

>しかしトップダウンの組織をボトムアップで改善できると思いますか。

手段についてはいろいろとあると思いますが、改善は可能だと思います。

skさんはトップは統治体と考えているようですが、トップはエホバとイエスだと思います。
そのことをがエホバの証人の多くの兄弟・姉妹が気づくことができれば
可能だと思います。

skさんの議論は「要求が多すぎるので負担になっている」というもののように見えます。
そのような内容であれば、改善することは可能だと思います。

オフライン

#8 2012年10月18日 13:14:30

sk
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

もんもんさん

もんもんさんはトップがエホバ神とイエスキリストであると信じておられますので、きっと問題を祈りに含めていると思います。
他の兄弟姉妹たちも同じようにしていると思います。

できる実際的なことはそれしかないと思います。
後は、エホバ神とイエスキリストが物事を動かしてくださるまで辛抱して待ち、示される神の解決策を受け入れると良いと思います。同時に神が何を「もんもん」さんに望まれているのかを見極めるように努力できると思います。

エフェソス 5:17
17 それゆえ,もはや道理をわきまえない者となってはなりません。むしろ,何がエホバのご意志であるかを見分けてゆきなさい。

もんもんさんは、ものみの塔聖書冊子協会、エホバの証人が神の唯一の組織と信じておられると思います。

私もかってそうでした。
今は、それは人間により作られた人間の組織に過ぎないことを確信して、啓示 18:4 に従いバビロンから出ました。
私の見方は「エホバの証人 / 欺きの名前 」と題するトピックに書いています。
それで、私も「もんもん」さんや他のエホバの証人の方々と同じようにエホバ神とイエスキリストを信じています。エホバの証人の考え方からすれば、協会以外にエホバ神の真の崇拝者は存在しないと思われるかもしれませんが、ものみの塔協会を後にした多くの兄弟姉妹たちは引き続き同じ神を崇拝しています。この掲示板にあるアメリカやオーストラリアの経験を読まれてご存知と思いますが、協会を去った元エホバの証人の兄弟姉妹たちが、現役のエホバの証人の中で苦しんでおられる兄弟姉妹たちを真のクリスチャン愛から助けています。それらの兄弟姉妹たちをエホバ神やイエスキリストはどうご覧になっていると思いますか。

今後も、エホバの証人の兄弟姉妹たちのために、この掲示板をとおしてものみの塔協会、エホバの証人の実体(本質)、及び実態(状態)と聖書からの評価を公開していくつもりです。JWの皆さん、ご自分の属している組織が神の組織かどうかまじめに考えてください。

私のエホバ神への祈りは、人間性の組織の改善ではなく、兄弟姉妹たちが聖書に立脚した神に受けいれられる崇拝を始めることです。

編集者 sk (2012年10月23日 09:11:06)

オフライン

#9 2012年10月18日 17:51:03

sk
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

上記のコメントの補足です。

私は、バビロンを離れた元JWの兄弟たちの崇拝が無価値でないのとおなじように、現役のエホバの証人の兄弟姉妹たちの崇拝も無価値とは思っていません。

どこにいてもエホバ神に対する自らの責任は変わらないからです。
それで次の聖句の原則がエホバを崇拝する者すべてに当てはまると思います。

コロサイ 3:23
23 何をしていても,人にではなくエホバに対するように魂をこめてそれに携わりなさい。24 あなた方は,しかるべき報いである相続財産をエホバから受けることを知っているのです。主人であるキリストに奴隷として仕えなさい。25 悪を行なっている人は,自分が行なった悪の報いを必ず受けるのです。不公平はありません。

ローマ 14:12, 22
12 それですから,わたしたちは各々,神に対して自分の言い開きをすることになるのです。
22 あなたの抱く信仰は,神のみ前で自分自身にしたがって抱きなさい。自らよしとしている事柄について自分を裁かないでよい人は幸いです。

コリント第二 13:8
8 わたしたちは真理に逆らっては何も行なえません。ただ真理のためにしか行なえないのです。


多くの兄弟姉妹たちが良心的に上記の原則を従って行動した結果、協会の方針や教理と合わないとの理由で特権を失ったり、排斥されてきました。この現実を皆さんがどう見るかは個人の問題なので立ち入れません。エホバの証人の組織の中でクリスチャンの自由を楽しむことはできないでしょう。上手にやってくださいとしか言えません。しかし、皆さんの崇拝が神に受入られていないとは思っていません。それでエホバの証人の組織に留まる方の信仰や神との関係を疑問視していません。それは人間が裁くものではないと思っています。

もしあなたがエホバの証人の組織に留まるとすると、当面組織の方針に従うよう要求、または教育を受けるでしょう。
それで、組織がそこから離れたエホバの証人を背教者で精神的に病んでいると見なすなら、あなたもそうのような見方をとらざる得ないでしょう。もしあなたが組織の見方は極端で神からのものではないと感じているとすれば、良心の葛藤を味わうことになります。それでトラブルを起こさないような仕方で、いわば背教者たちとの接触の可能性のあるこのサイトのようなエホバの証人の情報系サイトを利用することになるはずです。このように組織に留まるならクリスチャンの自由が制限されると思います。

ヤコブ 2:12
12自由の民の律法によって裁かれようとしている人のようにいつも話し,またいつもそのように行動しなさい。

編集者 sk (2012年10月20日 13:39:39)

オフライン

#10 2012年10月19日 20:00:41

もんもん
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

skさん。お返事ありがとうございます。

>もんもんさんは、ものみの塔聖書冊子協会、エホバの証人が神の唯一の組織と信じておられると思います。

神の導きがある程度働いていることは信じていますが、それほど重要ではない部分だと思います。

>ものみの塔協会を後にした多くの兄弟姉妹たちは引き続き同じ神を崇拝しています。

苦しんでものみの塔協会を後にした多くの兄弟姉妹がたくさんいることはわたしも認識しています。
ですから、組織を改善したいと思っているのです。
エホバの証人からの離脱を求めても、その兄弟・姉妹が幸せでいれるとは思いません。

オフライン

#11 2012年10月19日 20:39:29

カレブ
Administrator

Re: 組織の改善に関する議論

(投稿を読み返して少し修正しました)

もんもん さんの発言:

エホバの証人研究さんが、Webサイトに書いている問題の多くが改善されれば、エホバの証人になってくれますか。

もんもんさん こんにちは。
予想外の質問でしたが、いろいろ考えてお答えいたします。

もんもんさんの考えは次のようなものでしょうか?

1.エホバの証人の組織にはいろいろ問題があるし、改善されれば喜ばしいことである。
2.しかしなんだかんだでエホバの証人が「真の宗教」である。

わたしの考えをお伝えしますと、1の点は同じ気持ちです。
しかし2の点では全く異なる考えを持っています。
なぜ2の点で相違が出てくるのかを考えてみました。

抜粋して述べると以下の二つの違いが関係していると感じています。

(1) 選択肢の違い
(2) 体験の違い


選択肢の違い

例えば、ある人はエホバが用いている組織は「エホバ」という名前を用いているはずだと考えるかもしれません。
そうすると選択肢はエホバの証人しかないと考えるかもしれません。しかしこれはあまりにも単純な結論です。
なぜなら1世紀のクリスチャンが日常会話でヤーウェと述べていたという根拠はほとんどないからです。

以前にあるエホバの証人と新約聖書と神の名について話し合ったことがあります。その人は新約聖書の写本に
エホバという名前が記されているものが存在するということを信じていました。「ないですよ」と述べても、あるはずだ
と述べていました。エホバの証人は選択肢を知らず知らずのうちに狭めてしまっています。エホバという名を
頻繁に使うことがこれに拍車をかけているように思います。

わたしが持っている選択肢について述べると・・
わたしの考えは以下のトーマス・ジェファーソンの言葉と同じです。


「凝り固まった偏見による不安を全て振り払いなさい。弱い心は卑屈にうずくまっているものです。どんな事実やどんな意見に対しても、根拠をしっかり立てて法の下に照らしなさい。神の存在でさえ、勇気を持って疑問を持ちなさい。神が存在するならば、愚かな恐怖心への服従よりも、根拠を立てることへの敬意に賛同されるにちがいありません」
トーマス・ジェファーソン

体験の違い

この点は、いろんな人から話を聞いていくとよくわかる点です。
ある人は、とても良いエホバの証人の仲間に恵まれていたり、組織の上のほうの意外な部分を見ることなく
過ごしていて、この組織には何か特別なものがあると感じているかもしれません。
しかし別の人はエホバの証人の組織が神の霊に導かれている組織ではありえないという経験をしています。
例えば、わたしがサイトでメインで強調しているBC607年の問題をあげると、
ほとんどのエホバの証人は、「こんな問題は大したことがない事」と考えると思います。
しかし別の人は、この問題を通して、組織がいかに真実を求める気持ちがないか、そして真実を求める人を
どのように排除していくのかを目の当たりにしています。
例えば、以下のページにあるカール・ジョンソンの例をご覧ください。
http://www.jwstudy.com/docs/belief_apostate/


結論

もんもんさん
>エホバの証人からの離脱を求めても、その兄弟・姉妹が幸せでいれるとは思いません

これはその通りの場合もあるかと思いますが、離脱してより幸せになる人がいることも確かです。
そして離脱しない人が生涯幸せでいれるとも言えません。

人が「幸せ」になるということは重要なことなので、それは一つの行動基準になるとは
思います。しかし間違った知識で生涯ずっと幸せでいられるという保証はありません。

例えば、死の床にある人が「もうすぐ天国で夫に会える」と言っている人に
「天国なんてないよ」とは誰もいわないでしょう。なぜなら束の間の幸福感を不必要に
奪うことは倫理に反することだからです。

しかし、10代の青年が殉教したら天国に行けるんだと信じて自爆テロを計画しようと
していたらどうでしょうか? その青年がどれだけ「自分は幸せだ」と述べたとしても
わたしはその青年の肩をゆさぶって本気で説得します。

また もんもんさんの ご意見をお聞かせください。

skさんはわたしとは違う立場だと思いますが、いろんな観点での発言は参考になると思います。
そして、海外の記事翻訳いつもありがとうございます。

オフライン

#12 2012年10月19日 23:14:09

ray
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

議論の途中に割り込んですみません。

skさん、いつも新鮮な情報に感謝しています。

ところで、skさんやjw研究さんはjwの組織自体が致命的な欠陥をもっていることに同意されると思いますが、弱い人間の本性として、いつでもどこでも、人間は組織を作りたがり、実際に組織を作り、そして組織は有用な働きをし、それとともに、組織は個人の意志を踏みにじり、組織の存続のために皆が活動し、変わった考えや行動を拒絶し、抹殺してきました。

こんな組織はこれから必要なのか、組織に頼らず、すべて個人で神を信仰すべきなのか、ではほかの会社などの組織はどうしたらいいのか、いろいろ疑問がありますので、よろしければ回答をお願いいたします。

オフライン

#13 2012年10月20日 12:02:47

カレブ
Administrator

Re: 組織の改善に関する議論

ray さん、こんにちは。
>弱い人間の本性として、いつでもどこでも、人間は組織を作りたがり、実際に組織を作り、そして組織は有用な働きをし、
>それとともに、組織は個人の意志を踏みにじり、組織の存続のために皆が活動し、変わった考えや行動を拒絶し、抹殺してきました。

ray さんの上記の言葉が、なぜ組織宗教が発展してきたのかを上手に説明しているように思います。
この点でのわたしの考えはまた別の機会に論じていきたいと思います。

>こんな組織はこれから必要なのか、組織に頼らず、すべて個人で神を信仰すべきなのか

神と聖書に対する信仰があるので、どのように信仰すれば良いのか、何か答えを見出さなくてはならないという気持ちになるのかと思います。
しかし何か一つの答えしかないと考えると恐らく迷路に迷い込むと思います。

多くのクリスチャンは聖書が明確な答えを述べていると考えます。モルモンは神がさらに啓示を与えられたと考えます。
イスラム教は6世紀に最後の預言者が使わされたと信じています。エホバの証人は1919年に忠実で思慮深い奴隷「級」が任命された
信じています。そしてそれぞれのグループの人たちがみな誠実に信じています。

アルバート・アインシュタインは次のように述べました。

[宗教的な考えは]ドアのない場所で出口を探す努力のようなものだ。
[Religious thought is] an attempt to find an out where there is no door.
―ALBERT EINSTEIN

様々な異なる教理がすべて正しいということはあり得ないのだから、1つの宗教だけが正しいに違いないと考えるかもしれません。
これは表面上理にかなった考え方にも見えます。

しかしクリストファー・ヒッチンズが述べた次の言葉も同じだけの説得力があるように思えます。

すべての宗教が正しいということはあり得ないことなのだから、それらすべてが間違いであるという結論は最も合理的な結論だ。
Since it is obviously inconceivable that all religions can be right, the most reasonable conclusion is that they are all wrong.
―CHRISTOPHER HITCHENS

オフライン

#14 2012年10月20日 13:23:49

ちーさん
ゲストユーザー

Re: 組織の改善に関する議論

組織について。私も一言書かせてください。(私が排斥されていることは大目に見てね)

私はこのトピックに信仰の有無が書かれていないことが、ちょっと残念です。人間の力でなんとかしようとしたい気持ちだけ表れていますね。

聖書の黙示録2,3章には、キリストが七つの会衆を戒めた記録があります。会衆はキリスト教の広がりとともに取り決められた聖書に基づくものです。では、会衆の状況をキリストがいずれ正してくれるという信仰のもとに、今、焦ることはないですよね。

もうひとつ書きますと、預言者マラキからイエス・キリストの登場まで400年強の時間がありました。その間に宗教指導者が力を持ち、普通のヘブライ人はアム・ハーアーレツと呼ばれるようになりました。この状態はキリストによって暴露されましたが、400年という長い時間をヱホバがお許しになっていたことを考えてみるとよいと考えます。信仰があれば「ヱホバは遅い。我々がなんとかしなければ!」とは思わないはずです。

聖書的ではない事柄に義憤を抱くのは何も悪いことではありませんが、ヱホバの証人とキリスト教に関する掲示板ですから、もっとどのような信仰を持っているかを書いていただきたいですね。エホバの証人研究さんは、客観的にエホバの証人を見ているので信仰を云々することはないと思いますが、ここに書き込みする方々はヱホバとキリストへの信仰の大きさを強調してほしいです。

#15 2012年10月20日 13:38:17

sk
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

まず、もんもんさんへ

苦しんで組織を離れた兄弟姉妹たちのことを思って組織の改善をを望まれているのですね。
そのことを長老たちに相談することができますか。
それを、組織は「もんもん」さんに求めていると思います。

組織の外の元兄弟姉妹たちは幸福かどうかについて、
そのような方々がエホバの崇拝者で神の是認を確信しておられるなら、現役のエホバの証人の兄弟姉妹たちと同じように幸福です。現役の兄弟姉妹たちと異なる点は、協会が作り出した不必要な規則、教え、取決めに拘束されていないことです。それらの組織の外の神の崇拝者たちは現役のエホバの証人の兄弟姉妹たちを背教者で精神的に病んでいる神の恵みを失った人とは見ていません。それで、他の隣人と変わりなく挨拶、会話、必要な助けを拒む理由をもっていません。

もんもんさんは、協会の方針や見方に同調しない人を、排斥、挨拶も会話もしない、ばい菌のように忌み嫌うように教えている協会の本質をどう評価していますか。

これまでとても仲の良かった兄弟または姉妹が協会と異なる見解を話すなら、その方の意見を誰もまじめに聞かないでしょう。その方がいつも異なる意見を他の兄弟姉妹たちへ話し続けるなら異なる教えを広める扇動者と見なされ、助言の対象となるでしょう。もし、「もんもん」さんがここjw研究サイトで得た情報を多くの兄弟姉妹たちに話すなら何が起きるか想像してみてください。このようにエホバの証人の組織の中では異なる考えを最初からシャットアウトする機能が働いています。ですから元エホバの証人の兄弟姉妹たちがなぜ組織を後にしたのか最初から聞こうとしません。ばい菌の感染を阻止するという植えつけられた思いが、通常示されるべき友人としての理解を示す態度をいとも簡単に殺してしまっています。わたしは、これこそが異常な精神状態だと見ています。

何かを隠している人の精神が協会の狭量な態度に見られます。
真理を求めている人は全ての調査を好みこそしますが、もんもんさんご自身が認めているように協会はこと自らの教え、歴史、方針、見方に関しては極めて熱烈にそれに反対していると思います。

それで、現役の誰かがjw研究などを始めたら何が起きるかは極めて明らかです。

このサイトをご利用なさっている現役のJWの皆さんは、明らかに協会の狭量な態度に同調していない、又は洗脳 (indoctrinated 教え込まれる) されていない方々です。

それで、皆さんがそのような者としてエホバ神に対する責任を果たされることを願います。


次に jw研究さん

いつも良く考え抜かれた記事、およびコメントありがとうございます。楽しく読ませていただいています。

jw研究さんは神を信じていないようですが、それはある意味祝福だと思います。
なぜなら、まず第一に、宗教を外から客観的に見ることができるからです。
次に、信心深い人は、やがていずれかの宗教組織に入り、悪霊の住みかである大いなるバビロンの一部となるでしょうから、jw研究さんのような方は、最初から悪霊との不必要な宗教的接触がないので、とても良いことだと思います。(サタンの体制下にいる以上悪霊たちの影響は免れませんが、少なくとも宗教的に誤導されることはないでしょう。)


最後に ray さん

組織について、

聖書は(私も)人々が共に働くことを否定していません。

コリント第一 14:40 は「すべての事を適正に,また取り決めのもとに行ないなさい。」と教えています。
取決めは、秩序と効率と達成に貢献します。

しかし、人間の不完全さは良いものを逆にとんでもない有害なものにすることができます。
例えば、取決めを自分の益のために利用したり、他人を搾取したりなどです。
そんな悪いことをするためには、その取決めをコントロールする立場が必要です。
最初から意図的にコントロールのため、一見よささそうな取決めを造る者さえいるでしょう。


不完全な人間が2人集ったときより、10人集ったときの方が、10人より100人、100人より1000人と規模が大きくなるほど、取決めの影響も大きくならざる得ないでしょうし、また不完全さによる誘惑や失敗もも多くなると思いませんか。

イエスは、あなた方は、教師、指導者、恩恵者と呼ばれてはなりませんと教えました。(マタイ 23:8-10; ルカ 22:25)
これらの言葉から何を連想しますか。
階級制度の上部の人々ではありませんか。
不完全な人間が組織を造りそれを運営すると、立場上誰かが上記の言葉に表されている者になる誘惑を受けるでしょう。
加えてサタンは能力や美しさに基づく誇りを正当と見なしているので、人々のその精神を助長するでしょう。

次に企業について考えてください。
企業がなにを目指しているか考えたことがありますか。
それは支配です。言葉を変えて表現するとモノポリー(独占、自らに全てを依存させる)です。
現在、私たちの眼前で彼らのあからさまな欲望による企業乗っ取り合戦が繰り広げられいませんか。
ray さんは誰が巨大な資金を用いて国や経済を動かしているか調べたことがあるでしょうか。
それはピラミッドの頂点にいる一握りの人々です。
これについては啓示の予言と関連して別に論じたいと思います。

つまり、サタンの世はニムロデの時以来世界支配を目指して組織されています。
それでサタンの世の人間の組織は本質的に悪を内在しています。

エホバ神は人々が家族単位で全地に広がることを望んでおられます。各家族が独占企業や人間の政府などに依存せずに自立して生きることを望んでいると思いませんか。その神の御意思を阻んでいるものが人間性の組織です。

なぜ政府は土地を人々に解放しないのでしょうか。なぜエネルギーの供給を誰かに依存しなければならないのでしょうか。なぜ学校は自立の方法を教えないのでしょうか。なぜ人々は企業や会社(行政)に依存しないと生きていけないのでしょうか。究極的には社会全体がサタンの意図に従って組織されていると思いませんか。それでこの世(サタンの体制)は本質的に民衆を搾取して成り立っています。ですからエホバ神の義の裁きを招きます。

宗教組織についても同じです。たいていの信者は自分が属している組織に依存します。組織の教えや方針、取決めの外では生きられないと思っています。そのように思っていないならその人は神の前に自立した人です。神はそのような崇拝者を求めていると思いませんか。真の崇拝者は霊と真理をもって神を崇拝すると述べられています。そこに人間によって考案、運営される組織の入る余地はありません。

エホバ神は人が、他の誰にでもなく、又はグループ、組織にではなくご自分にのみ依存することを望んでいると思いませんか。
私たちは神の像に従って造られています。エホバ神は他に全く依存しない自立した存在ではありませんか。全てのものの根源であられるエホバ神と異なり、私たちの場合は、物質や他のものに依存しますが、自由意志の行使に関してはご自分と同じように自立することを可能にしてくださいました。わたしたち1人1人は思考力と良心とそれ使う自由を神から頂いています。だからこそ人は何であれ自分が蒔いたものを刈り取ることになります。(ガラテア 6:7)ですから心を調べる方にとって「組織がそのように教えました」という言い訳は通用しないでしょう。(啓示 2:23)

啓示 2:23
わたしが腎と心を探る者であることを知るであろう。そしてわたしは,あなた方一人一人にその行ないにしたがって与えよう。

また、次の聖句の意味をよく考えてください。

詩篇 146:3
3 高貴な者にも,地の人の子にも
信頼を置いては(依存しては)ならない。彼らに救いはない。

詩篇 118:8-9
8 エホバのもとに避難することは
地の人に依り頼む(依存する)ことに勝る。
9 エホバのもとに避難することは
高貴な者たちに依り頼む(依存する)ことに勝る。

箴言 3:5-6
5 心をつくしてエホバに依り頼め(依存しなさい)。自分の理解に頼ってはならない。6 あなたのすべての道において[神]を認めよ。そうすれば,[神]ご自身があなたの道筋をまっすぐにしてくださる。


ものみの塔協会がいつも強調することは、
1. 自分たちが神とキリストの目に見える代表者で全権を付託されていると、
2. 独立の精神は邪悪な動機によるということです。

その教えにより大半のJWの兄弟姉妹たちは協会を神格化し、完全に依存しているように思えます。
ですから、協会あるいは彼らが企画した活動なしにはクリスチャンとしての生き方ができない、あるいは思いもつかないのだと思います。

イエスは宗教指導者によって支配されていたそのような人々にかってこう質問なさっています。

ルカ 12:57
57 なぜあなた方は,何が義にかなっているかをも自分で判断しないのですか。

なぜだか分かりますか。
彼らは宗教指導者たちに完全に依存するように社会的にも宗教的にも洗脳 (indoctrinated 教え込まれる)されていたからだとは思いませんか。

イエスはそのような人々を当時の神を代表する宗教組織から開放なさいました。
そして、イエスの教えは、マタイ 23:8-11; ルカ 22:24-27にあるように組織的な支配に反しています。

マタイ 23:8-11
8 しかしあなた方は,ラビと呼ばれてはなりません。あなた方の教師はただ一人であり,あなた方はみな兄弟だからです。9 また,地上のだれをも父と呼んではなりません。あなた方の父はただ一人,天におられる方だからです。10 また,『指導者』と呼ばれてもなりません。あなた方の指導者はキリスト一人だからです。11 あなた方の間で一番偉い者は,あなた方の奉仕者でなければなりません。

ルカ 22:24-27
4 ところが,彼らの間では,自分たちのうちでだれが一番偉いのだろうかということについても激しい論争が起こった。25 しかし[イエス]は彼らにこう言われた。「諸国民の王たちは人々に対して威張り,人々の上に権威を持つ者たちは恩人と呼ばれています。26 ですが,あなた方はそうであってはなりません。むしろ,あなた方の間で一番偉い者は一番若い者のように,長として行動している者は奉仕する者のようになりなさい。27 というのは,食卓について横になっている者と奉仕している者では,どちらが偉いのですか。それは,食卓について横になっている者ではありませんか。しかしわたしは,奉仕する者としてあなた方の中にいるのです。

統治体という考えは真のキリスト教には存在しません。
そのような支配を正当化する言葉や考え方は、ものみの塔協会が自分で発明または借用し喜んで用いている欺きに過ぎません。
これについては、別に論じたいと思います。

使徒パウロはクリスチャンの自由のために戦いました。
以下のパウロの言葉をよく考えてください。

ガラテア 1:10
10 いったい,わたしがいま説得しようとしているのは人間でしょうか,それとも神でしょうか。あるいは,わたしは人間を喜ばせようと努めているのでしょうか。もしいまだに人間を喜ばせているとすれば,わたしはキリストの奴隷ではありません。

ガラテア 2:4-5
4 むしろ,それはこっそり連れ込まれた偽兄弟たちによるのです。その人々は,わたしたちがキリスト・イエスと結ばれて持っている自由をうかがうために忍び込んで来たのであり,わたしたちを完全に奴隷にしようとしているのです. . 5 そのような人たちに対してわたしたちは屈服して譲歩したりはしませんでした。そうです,一時といえどもです。それは,良いたよりの真理が引き続きあなた方のもとにとどまるようにするためでした。

コリント第二 10:12, 18
12 わたしたちは,自己推薦をするある人々と自分を同列に置いたり,その人々と自分を比べたりはしないのです。彼らは,自分によって自分を量り,自分を自分と比べる点でいかにも分別がありません。
18 自分を推薦する者が是認されるのではなく,エホバの推薦される人が[是認される]のです。

忠実で思慮深い奴隷はいったい誰でしょうか。
ものみの塔協会は、「はい、それは私たちです」と名乗り出ました。また、「なぜなら1919年に目に見えない臨在のキリストから任命を受けました . . . . 云々」と自己推薦が伴っています。

編集者 sk (2012年10月22日 11:09:53)

オフライン

#16 2012年10月20日 14:21:11

sk
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

上記の補足です。

児童虐待や輸血の問題、良心上の決定などにおいて、
協会は行動を統制しておきながら、個人があたかも自分の意思で決定しているかのように述べたり振舞うよう指示を出していますが、このやり方が個人の自由意志の行使を推薦するやり方とはとても思えません。

それでこのような組織に留まることは、クリスチャンの特質を成長される上でかえって逆効果(阻害)となるでしょう。
このような提案は、ごまかしの生き方の推薦でしかありません。

ですからものみの塔協会には マタイ23:27-28 が当てはまります。

マタイ 23:27-28
27 「偽善者なる書士とパリサイ人たち(ものみの塔協会),あなた方は災いです! あなた方は白く塗った墓に似ているからです。それは,外面はなるほど美しく見えますが,内側は死人の骨とあらゆる汚れに満ちているのです。28 そのように,あなた方(エホバの証人)もまた,確かに外面では義にかなった者と人に映りますが,内側は偽善と不法でいっぱいです。

もちろん全ての兄弟姉妹たちがそのよう者だと決め付けているわけではありませんが、ものみの塔・エホバの証人が示している霊は残念ながら書かれているとおりだと思います。また真のクリスチャンであるために、この組織に留まる理由や価値はないと思います。

編集者 sk (2012年10月20日 14:56:29)

オフライン

#17 2012年10月20日 15:51:17

もんもん
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

エホバの証人研究さん

>1.エホバの証人の組織にはいろいろ問題があるし、改善されれば喜ばしいことである。
同じ認識です。

>2.しかしなんだかんだでエホバの証人が「真の宗教」である。
わたしとしてはこれはよくわかりません。
「彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,一人の羊飼いとなります。」とイエス・キリストが語っているのが、
最終的にどの群れを指しているのかはわたしにはわかりません。

エホバの証人が捨てられる可能性はあるのではないでしょうか。
ですから改善したいということです。

skさん
>そのことを長老たちに相談することができますか。
できません。

>もんもんさんは、協会の方針や見方に同調しない人を、排斥、挨拶も会話もしない、ばい菌のように忌み嫌うように教えている協会の本質をどう評価していますか。
怖いです。

ですから改善を求めているんです。現実的な方法でです。

オフライン

#18 2012年10月20日 23:41:06

ray
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

エホバの証人研究さん、skさん、ご丁寧な回答ありがとうございました。

みなさんがおっしゃられているように、ヨハネ第一5:19では、全世界は邪悪な者の配下にあり、不完全な人間の作る組織は大きくなればなるほどひどい状態で、特に組織宗教はすべて間違っているといっても過言ではないことがわかります。

確かに聖書のなかでも、初期は族長制度や裁き人制度であり、そこには神の導きを求める謙虚な態度があったと思います。イスラエルが王を求めるようになって、人間的な組織ができあがっていったと思います。

そしてキリストは組織宗教をなくすために来た、といっても良いと思います。

ですから、このサタンの組織全体、特に組織宗教は神に断罪されなければなりません。


それまでの間、真のクリスチャンは他の人と、どうかかわっていくのがよいのか、ご意見をお願いします。

オフライン

#19 2012年10月21日 17:28:12

sk
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

rayさん

西暦一世紀にイエスの贖いを理解し受け入れた人たちは、クリスチャンして知られるようになりました。それはキリストの教えに従って生きる生き方でした。それには信者同士の支えや実際的な援助もありました。また宣べ伝えるべき音信もありました。クリスチャンたちは心に確信している救いの音信を決められた方法ではなく機会のあるときに喜んで他の人たちと分かち合ったに違いありません。ローマ帝国の大半の人々は奴隷の身分でした。その当時の生活の活動領域はとても限られていたに違いありません。またパウロや他の使徒たちのようにある特定の人々は直接イエスからの任命により活動していました。それらの自由に活動できる人たちの宣教のおかげでキリスト教の生き方は西暦33年から半世紀も経たないうちに当時知られていた世界中に広まったと書かれています。(ローマ 1:8)

まず、キリスト教の音信について考えてください。
伝えるべき音信は何でしょうか。
それは、神のとの和解の音信です。
使徒パウロのアレオパゴスでの証言から異邦人が何を知るべきかが分かります。(使徒 17:22-31)

要約しますと、

世界とその中の全てのものをつくられた神がおられる。
神はこれまでの無知の時代を終わらせた。
全ての人に悔い改めが求められている。(神との和解を意味している)
全人類を義を持って裁く日が定められている。
キリストの復活の事実はその保証である。

神 -- キリスト -- 人

ということです。

それでクリスチャンは、上記の関係を十分理解し信じ、和解(救い)や、裁きについて証しする責任を自ら喜んで受け入れている人々です。

これらの基本的な教えを頭で理解するのは難しいことではありませんが、それでも信仰を働かせるには神の霊の働きが不可欠であるゆえ私たちの信仰は神からの賜物と見なせます。(ヨハネ 6:44)

ものみの塔協会の作った崇拝の取決めについて、
聖書から考えて、週数回のグループ伝道、奉仕報告、週2日の集会、年3回の大会をあたかも神からのもののように見なすことができるでしょうか。神やイエスが、ものみの塔協会を用いていると信じない限り、それらのいわば宗教活動は聖書的に意味を持たないでしょう。

次の聖書的な例を考えてください。

フィリポが伝道したエチオピアの宦官は、イエスを受け入れたときその場でバプテスマを受け、1人で喜んでエチオピアに帰っていきました。新たな人生観を得て暮らせるとしても、帰った先ではこれまでと変わらない日常があったでしょう。この例は、誰かがキリスト教の崇拝のための取決めを造らなければならないという見方を支持するものではないでしょう。

それでキリスト教の音信を受け入れて新たな人生観を得た信者たちは自分の生活の中で受け入れた教えを話したり、実践していたに違いありません。その教えを受け入れる人が増えると会衆が形成されクリスチャンの交友を楽しむことができたと思います。クリスチャンは愛餐の習慣をもっていたといわれていますので、互いに集り合うことがそのようななされていたと思われます。

また集会の様子も、ものみの塔が企画した公開公演、ものみの塔研究、書籍研究、神権宣教学校、奉仕会のようなスタイルとはかけ離れています。一世紀当時の兄弟たちは、ユダヤ人の会堂やその他の公の場所に出かけて公開公演のような証言活動を展開しています。またコリント第一 14章の聖句によると、兄弟姉妹たちは、それぞれ霊の賜物に動かされて発言しており、答えの決まった教義問答のような司会者による質疑応答の形式でなかったことが分かります。またパウロがそこで言及している集会の秩序のための取決めは賜物を持つ各自が自分の賜物をふさわしく制御することを求めています。

家から家の伝道について、
ものみの塔協会は、この「家から家の伝道活動」を自らの聖書的なトレードマークとしていますか、その根拠は立証されているでしょうか。

まず、家から家にと訳されているギリシャ語は、カト オイコンです。
そのギリシャ語を直接英語にすると according to house (家により、家に従って)です。
その意訳で from house to house (家から家) と in private homes (個人の家々)が新世界訳聖書で用いられています。

以下がその箇所です。

使徒 20:20
20 同時にわたしは,何でも益になることをあなた方に話し,また公にも家から家にもあなた方を教えることを差し控えたりはしませんでした。

これは、パウロがエフェソスの長老たちに述べた言葉です。 from house to house (家から家)と意訳されています。
in private homes (個人の家々)でも意味は通じます。

使徒 5:42
42 そして彼らは毎日神殿で,また家から家へとたゆみなく教え,キリスト,イエスについての良いたよりを宣明し続けた。

ここでも意訳は、from house to house (家から家)です。
in private homes (個人の家々)でも意味は通じます。

使徒 2:46
46 そして,思いを一つにして日々絶えず神殿におり,また個人の家々で食事をし,大いなる歓びと誠実な心とをもって食物を共にし,

ここでは、in private homes (個人の家々)と意訳されています。
from house to house (家から家)では意味は通じません。


では、イエスやパウロの伝道の仕方は何を物語っているでしょうか。
聖書によるとイエスやパウロは主にユダヤ人の会堂、人が集る野外(ガリラヤ湖の湖畔、オリーブ山、市場など)で宣べ伝えいました。弟子たちを組織して家から家へ戸別訪問をした記録は聖書にはありません。しかしイエスもパウロも良い便りを受け入れた人たちから個人的に家に招待されその家を訪問したいくつかの例が記録されています。例えばマタイ、ザーカイ、ラザロ、パリサイ人などはイエスを食事に招いています。その場を利用してイエスは集っている人々を教えられました。パウロも同じようにルデヤ、牢番などから自宅に招かれて、その場を用いて教えています。その他ペテロはコルネリオから自宅に招かれコルネリオの家族がクリスチャンになるのを助けました。これらの例から何を学べるでしょうか。イエスキリストもパウロやペテロのような弟子たちも個人的に人々の家庭に招かれる機会を用いてクリスチャン宣教を行なっていたということではありませんか。それで、この聖書の記録に裏付けられた「カト オイコン」の意訳は in private homes つまり個人の家々の方がふさわしいと言えます。



マタイ 10 章とルカ 10 章の記録は、家から家の伝道活動について述べていますか、それとも訪問先の村での宿舎探しについて述べていますか。

マタイ 10:9-14
9 あなた方の腰帯の財布のために金や銀や銅を手に入れてはならず,10 また,旅のための食物袋も,二枚の下着も,またサンダルや杖も[手に入れては]なりません。働き人は自分の食物を受けるに価するのです。11 「どんな都市または村に入っても,そこにいるふさわしい人を捜し出し,去るまではそこにとどまりなさい。12 その家の中に入るときには,家の者たちにあいさつをしなさい。13 そして,その家がふさわしいなら,あなた方の願う平安をそこに臨ませなさい。しかし,もしふさわしくないなら,あなた方からの平安をあなた方のもとに帰らせなさい。14 どこでも,人があなた方を迎え入れず,またあなた方の言葉を聴かない所では,その家またはその都市から出る際に,あなた方の足の塵を振り払いなさい。

ルカ 10:1-7
1 これらの事ののち,主はほかの七十人を指名し,行こうとしておられたすべての都市と場所へ,自分に先立って二人ずつお遣わしになった。2 その際,彼らにこう言いはじめられた。「確かに,収穫は大きいですが,働き人は少ないのです。それゆえ,収穫に働き人を遣わしてくださるよう収穫の主人にお願いしなさい。3 出かけて行きなさい。ご覧なさい,わたしはあなた方をおおかみの中にいる子羊のように遣わすのです。4 財布も,食物袋も,サンダルも携えて行ってはなりません。また,道中では,だれともあいさつの抱擁をしてはなりません。5 どこでも家の中に入ったなら,まず,『この家に平和がありますように』と言いなさい。6 そして,平和の友がそこにいるなら,あなた方の平和はその人の上にとどまるでしょう。しかし,いないなら,それはあなた方のもとに戻って来るでしょう。7 それで,そこの家にとどまって,人々が備える物を食べたり飲んだりしなさい。働き人は自分の報酬を受けるに値するからです。家から家へと移って行ってはなりません


そこにふさわしい人を探し出し、去るまではそこにとどまりなさい。
そこの家にとどまって、. . . 家から家へと移って行ってはなりません。
などの表現に注目してください。

ここで述べられていることは明らかに訪問先における宿舎探しのことです。

ものみの塔協会は、これを家から家の伝道活動に適用して、それがキリスト教の特徴であると、ものみの塔誌で教えています。
しかしそれは知的な欺きです。

しかも、時間の報告を要求し、それによって人を評価までしています。
そのために、幾人かの羊たちは全く不必要な良心の呵責に悩まされたりしています。
この伝道の方式は、聖書的な根拠を欠く、ものみの塔協会独自の無価値な崇拝の方式であることに気付いてください。

それで、ものみの塔協会を離れても「伝道をどうしようか」などと悩む理由は全く無いことを悟ってください。

組織宗教から離れてできることは、
これまでの拘束されていた時間を有効に活用して聖書を読み通したり、研究し思いをそれこそ造り変えることができます。
真のクリスチャンの生き方を求めて何でも自分にできるこができるのではありませんか。

jw研究で他の兄弟姉妹たちと思いを分け合ったりできますし、そのうちにご自分の近くの兄弟姉妹たちと直接どこかで集ってクリスチャンの交友を楽しむことができるようになるでしょう。

恐れることは何もありません。
神を愛し、隣人を愛し、自分の資力の範囲で慎ましくハルマゲドンまで生活を楽しんでいけると思います。

ヤコブ 1:27
27 わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式はこうです。すなわち,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つことです。

マタイ 28:20
そして,見よ,わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と共にいるのです。

編集者 sk (2012年10月22日 07:44:33)

オフライン

#20 2012年10月21日 20:25:33

カレブ
Administrator

Re: 組織の改善に関する議論

sk さん

丁寧でわかりやすい解説ありがとうございます。
「家から家」に関しては以前に記事を書こうと思っていましたが sk さんが ほとんど要点を書いてくれました。

レイモンド・フランズは IN SEARCH OF CHRISTIAN FREEDOM で以下の点を書いてます。

1.エホバの証人が「奉仕」という言葉で100%「野外奉仕」を思い起こすが、聖書はそのような言葉の使い方をしていない。
2.同じようにキリスト教国では「崇拝」という言葉が「教会に行く」という意味で使われているが、それも誤解を招く。

聖書のみで考えるならば sk さんも指摘されているように

  奉仕=伝道活動
  崇拝=教会に行く、集会に出席する

という式にはならないですね。

オフライン

#21 2012年10月21日 22:31:17

sk
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

上記の補足です。


クリスチャンとしての日々の生活の中であなたが伝えた隣人の誰かが聖書の教えを受け入れた場合どこへその人を導けばよいのでしょうか。

イエスキリストは昇天の際、弟子たちに諸国民を教えることとバプテスマを施すことを命じられました。

マタイ 28:18-20
18 . . .「わたしは天と地におけるすべての権威を与えられています。19 それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,20 わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい。

三位一体の教理が採択される前、西暦300年ごろエウセビオス(西暦4世紀の歴史家、聖書注釈家)は、「父と子と聖霊との名において」の表現ではなく「私の名において」と表現しています。その「私の名において」という表現は以下の他の聖句と調和しています。

使徒 2:38,
38 ペテロは彼らに[言った],「悔い改めなさい。そしてあなた方ひとりひとりは,罪の許しのためにイエス・キリストの名においてバプテスマを受けなさい。そうすれば,無償の賜物として聖霊を受けるでしょう。

使徒 8:15-16
15 それでふたりは下って行き,彼らが聖霊を受けるようにと祈った。16 それは彼らのうちのだれにもまだ下っておらず,彼らはただ主イエスの名においてバプテスマを受けていただけだったからである。

使徒 10:48
48 そうして,イエス・キリストの名においてバプテスマを受けるようにと彼らに命じた。それから彼らは,幾日かとどまるようにと彼に頼んだ。

使徒 19:5
5 これを聞くと,彼らは主イエスの名においてバプテスマを受けた。

ローマ 6:3
3 それともあなた方は知らないのですか。キリスト・イエスへのバプテスマを受けたわたしたちすべては,その死へのバプテスマを受けたのです。

ガラテア 3:27
27 キリストへのバプテスマを受けたあなた方は皆キリストを身に着けたからです。


イエス・キリストの名において
主イエスの名において
キリスト・イエスへの
キリストへの
などの表現に注目できます。

それでマタイ 28:19 は、
19 それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,私の名において彼らにバプテスマを施し,
が本来の姿であるといえます。



またルカ 24:47 からクリスチャンのバプテスマが献身の象徴ではなく、悔改めの象徴であることが分かります。

ルカ 24:47-48
その名によって罪の許しのための悔い改めがあらゆる国民の中で宣べ伝えられる-エルサレムから始めて,48 あなた方はこれらの事の証人となるのです。

これは上記の使徒 2:38 や下記の聖句とも調和しています。

使徒 11:18
「それでは,神は命のための悔い改めを諸国の人々にもお授けになったのだ」。

使徒 17:30
30 確かに,神はそうした無知の時代を見過ごしてこられはしましたが,今では,どこにおいてもすべての者が悔い改めるべきことを人類に告げておられます。

使徒 20:21
21 むしろ,神に対する悔い改めとわたしたちの主イエスへの信仰について,ユダヤ人にもギリシャ人にも徹底的に証しをしたのです。

使徒 26:20
20 まずダマスカスの者たちに,またエルサレムの者たちにも,さらにはユダヤ地方全域に,そして諸国民にも,悔い改め,かつ悔い改めにふさわしい業をして神に転ずるようにとの音信を伝えてまわりました。

ヘブライ 6:1
1 このようなわけで,キリストに関する初歩の教理を離れたわたしたちは,死んだ業からの悔い改め,また神に対する信仰,

ペテロ第一 3:21
21 これに相当するもの,すなわちバプテスマ(肉の汚れを除くことではなく,神に対して正しい良心を願い求めること)がまた,イエス・キリストの復活を通して今あなた方を救っているのです。

ペテロ第二 3:9
9 エホバはご自分の約束に関し,ある人々が遅さについて考えるような意味で遅いのではありません。むしろ,ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれるので,あなた方に対して辛抱しておられるのです。


悔改め、という表現に注目できます。
バプテスマに関して献身という言葉自体や考えは聖書のどこにもありません。そのような教えは、ものみの塔協会の欺きに過ぎません。ものみの塔協会は、神への献身という都合のいい教えにより信者を献身の責任で心理的に縛り自らの目的に仕えさせています。

エホバ神は私たちに献身を求めておられません。
神が求めておられることは、悔改めです。それが神と共に歩む最初の一歩です。それでこの悔改めはいつでも生じ得ます。聖書の正確な知識を得て悔い改めて転向して意を決して祈りで献身してバプテスマというプロセスは聖書中の例と調和しません。

以下の例を考えて下さい。
イエスの傍らの刑柱上で悔改めた犯罪人は、正確な知識や献身によらず、イエスからパラダイスの約束を頂きました。
パウロとシラスの牢番は地震を含め生じた奇跡により心を神に向けバプテスマを受けました。

ものみの塔協会の聖書の解釈の仕方は細部にわたり決めたがるパリサイ人の精神を反映しています。
加えてパリサイ人のように聖書的でない不要な重荷を人々の肩に負わせています。

神との共に歩む第一歩は神への献身により責任を意識しそれを果たそうとすることではなく、悔改めにより神の導きを求めることです。

神への献身という聖書的でない教えを用い、ものみの塔協会は献身的な生き方を奨励し自己犠牲を美化しバランスの欠いた全時間の奉仕活動へ人々を駆り立てます。それによりある人々は誠実に責任を果たそうとする精神態度から身も心も燃え尽きてしまい、落伍者のような気持ちにさせられたり、最悪の場合自殺する方さえいます。

ですから、私たちの聖書からの証言により隣人がクリスチャンの行き方を受け入れる場合、そのような人を、聖書にない人間の思いつきではなくキリストの教えのもとに導く必要があります。

マタイ 11:28-30
28 すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう。29 わたしのくびきを負って,わたしから学びなさい。わたしは気質が温和で,心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。30 わたしのくびきは心地よく,わたしの荷は軽いのです」。

そしてクリスチャンのあなたが、キリストを受け入れた隣人にバプテスマを施すことができるでしょう。
人々を教えバプテスマを施しなさいとの命令はクリスチャン全てに与えられています。
その後バプテスマを受けた隣人とクリスチャンの兄弟姉妹として交友を楽しめるでしょう。

何時間宣べ伝えただとか、何人バプテスマに導いたなどの思いはクリスチャンの生き方と全く無関係で無意味なものです。
それでそのようなもので自分と神との関係を計るようなことをすべきではありません。
神と隣人を愛し良いたよりを他の人と分かち合い幸福に暮らしてください。

編集者 sk (2012年10月22日 07:52:33)

オフライン

#22 2012年10月22日 10:59:11

カレブ
Administrator

Re: 組織の改善に関する議論

sk さん
興味深い点ですね。バプテスマは現状では入会儀式のようなものになっています。
マタイ28:19 については、おっしゃる通りだと思います。
マルコ 16:8のあとの部分の付け足しをどうみなすかという問題と同じですね。
わたしが思うのは初期のクリスチャンは福音書のことを「聖書」であるという認識は少なく
いわゆるイエス語録のいろんなバージョンが存在していたので、彼らは福音書を「編さんしている」という
意識だったのだと思います。付け足しとか行っても誰も「聖書を改ざんした」という意識はなかった
のでしょうね。

オフライン

#23 2012年10月22日 23:46:43

ray
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

skさん、聖句から具体的に、しかも毅然としたアドバイスをありがとうございます。

聖書を読めば読むほど、jw組織の思いつき教理が音をたてて崩れていくのがわかります。

わたしはまだまだ聖書の読み方が甘いと痛感しているところです。

jwの現役の方や、一般の方に本当のキリストの愛を伝えるにはまだまだ時間がかかると思いますが、一歩一歩聖句を理解し、他の人によい影響を与えられるようになりたいと思います。

これからも、聖書を楽しめる記事をお願いします。

オフライン

#24 2012年10月23日 08:09:09

sk
メンバー

Re: 組織の改善に関する議論

rayさん

理解してくださり嬉しく思います。


クリスチャンの自由をもつ兄弟姉妹たちが、jw掲示板で思いを共有したり異なる意見や見方から学んだりしていけると思います。
jw研究さんもきっと同じ思いだと思います。

これからも宜しくお願いします。 smile

編集者 sk (2012年10月23日 08:11:45)

オフライン

#25 2012年12月20日 18:45:54

iris
ゲストユーザー

Re: 組織の改善に関する議論

skさんがキリストの音信について書いておられますので、伝統的なキリスト教ではどのように教えているかを紹介しましょう。

すなわち神はすべての人を愛して(どんな人でもひとりひとりをかけがえのないものとして大切に思って)おられる。
だから神があなたを愛してくださったように、あなたも隣人を愛しなさい。
神と人とを隔てる罪という壁がキリストの贖いによって取り去られ(神との和解)、初めのような(アダムとイブが神から
離れる前のような)神との親しい関係にあなたも招かれている。だから安心して神の愛を信じなさい。
これがキリスト教の福音です。

「隣人を愛しなさい」というのは単に道徳的な教えであると思われるかもしれませんが、
イエスが求めているのは「神が愛してくださったように(命をかけて真剣に)」隣人を愛することです。
命をかけるには、命をかけるだけの価値があると信じなくてはなりません。
そこで「神が私を命をかけて愛してくださっている」という信仰が必要になるのです。
キリスト教徒にとっては「神がこの私をどんな慈悲深い親よりも慈悲深く愛してくださっている」という事実が
(この事実は客観的には証明できないので、聖書と自分自身の体験に基づいて信じる以外にない)
困難な状況でも勇気をもって行動するための原動力になっているのです。

これまで述べた点については聖書に根拠を求めることができます。
1世紀のクリスチャンが福音をこのように理解していたかどうかはわかりませんが、
私はこれがイエスが伝えようとした最も重要なメッセージだと思っています。

エホバの証人研究さんのご指摘の通り、1世紀のクリスチャンたちには現在のような新約聖書はありませんでした。
2世紀から5世紀初め頃にかけて、当時の正統派教会が旧約39書と新約27書をキリスト教の聖典として採用したのです。
ですから、彼らがものみの塔が教える内容を信じていたとは思えません。


ここでskさんの書かれたキリスト教の音信(神との和解の音信)について感想を述べたいと思います。
skさんはキリスト教の音信の要約としてアレオパゴスの説教を取り上げられたものと私は理解しました。

批判でも反論でもないことをあらかじめお断りしておきますが(skさんの真摯な姿勢には敬意を持っています)、
福音を福音書から語らず、パウロ書簡から語ろうとするのは(元)エホバの証人らしいなと感じました。
「神が裁きの日をお決めになったから、悔い改めなさい」というのがイエスの教えの真髄であると
お考えなのでしょうか? skさんと神の間におられるキリストはskさんにとってどんな存在なのでしょうか?
伝統的キリスト教徒とエホバの証人との「キリスト観」の違いは大変興味深いです。

この点について、skさんやエホバの証人研究さんのご意見をぜひ伺いたいと思います。

ちなみに伝統的キリスト教で用いられている信仰告白(ニケア・コンスタンチノープル信条)も、
キリスト教徒が何を信じているかをまとめたものですが、神の愛については語っていません。
ということは、この文面だけを信じても、キリスト教を信じたことにはなりませんね。

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