ログインしていません。

#401 2016年11月15日 23:53:58

KAO
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん
「回復訳(新約だけの物ですが)」とやら、私も持っています。仕事帰りによく立ち寄る古本屋さんで見つけて、「いったい何を回復したの?」と興味が湧き、パラパラめくってみたら結構まともそうでしたし、たった500円だったので一応買ってみました。家に帰ってからよく見ると、最後の見開きには、怪しい「終末行程表」みたいなのがあって、やはり福音派の聖書でしたね。でも底本はネストレ26版だし、訳もそんなに悪くはないと思います。ものみの搭の教えには、(福音派がこだわる)Ⅰテサロニケに出てくる「携挙」という概念がありませんね。

『聖書年代学』
難しい本を紹介してしまってすみません。絶版から久しいのにお二人ともよく入手できましたね。私はその昔、見つけるまでずいぶん探しました。
聖書を含む古代オリエント世界の年代学というものが、いかに複雑で難解かという点をご紹介できればと思いました。
J・フィネガンさんのこの書物は、聖書年代学に関しては一番体系的な教科書ですが、もうかなり古くなってしまった部分もあります。いずれにしても、ものみの搭協会がやっているように、系図を含む「○○の第何年に・・・」といった聖書に出てくる数字を額面通りに受け取って年代計算に使用する、という行為自体がナンセンスだということは分かるかと思います。
そもそも、聖書に出てくる数字には多くの場合、象徴的な意味が込められているとは協会自体も認めていることですよね。それなのに年代計算をやめられないのがカルトというものでしょうか?
繰り返し言及する七十人訳とて本当は72人らしいですし、アリステアス書簡にある「12部族から各6人ずつ」といったくだりも、いかにも聖者伝説くさいです。おまけに翻訳の対象は旧約全巻ではなく律法(モーセ五書)のみ!
本当はもっと大勢だったのでは?

私が不思議に思うのは、聖書の示す年代そのものに不整合があるのに協会はどうやって詳しい年表を作成したのか、その内訳を公表してほしいです。特に南北分裂王国時代の年代に興味があります。
例えば列王記と歴代誌の示す王の即位年代ですが、南王国アハズヤ王の即位年齢は、列王記下8.26によれば22歳、ところが歴代誌22.2によれば42歳。ヨヤキン王の即位年齢は、列王記24.8によれば18歳ですが、歴代誌36.9によれば8歳など・・・
他にも南北両王国で新年の開始月が半年ずれるという説や、即位年方式か非即位年方式か、共同統治期間が明確でない等の複雑な問題があって分裂王国時代の年表には諸説あります。

もう自分で考えることは一切やめて、「霊的食物」とやらに自分の運命をゆだねてみようかとさえ思ってしまいますw それが一番楽チンな道ですね。

そういえば、「独立的な考え方」がNGであれば、エホバは楽園のど真ん中に美味しそうな実のなる木なんて植えなかったと思うのですが、そのあたり協会はどんな説明をしているんですか???

#402 2016年11月16日 06:31:25

てつてつ
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

KAOさん 興味深い書き込みありがとうございます

オフライン

#403 2016年11月16日 17:46:17

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

KAOさん、
いつもていねいなご返事をありがとうございます。
「聖書の年代学」はアマゾンで検索したら、
何冊も出てきたので、安いやつを購入したのです。
ヤオフクでは「帝王、墓、民衆」もあったのですが、
断裁した後のもので、高すぎると思いました。
古本屋めぐりをしないで、家にいて
コンピュータをクリックするだけで貴重な資料を
自宅まで持ってきてくれるなんて、
なんて恵まれた時代に生きているんだろうと感激します。
神田古本屋街も古い建物が多くて、
車いすでは自力では入れないところも多かったのです。

さて、聖書年代学、旧約部分を読みました。
ユダ王国の末期については説明がいちばん長いです。
バビロンから出土した粘土板が多数引用されています。
当然、有名なb.c.587年が記述されています。
p168からですが、

第二回の陥落は、ネブカドネザルの第18年であった。
つまり、b.c.587年で、7月29日には町の一角が破られ、
8月25日と28日の間に焼かれたのである。
-これらの日付はまったく確実なものだと思われる。

これはフィネガンの言葉の翻訳ですが、
年や月だけでなく、日までわかっているところが
とても素晴らしいと感じました。
最近のことなら正確な記録がありますが、
およそ2,600年前のことが
これほど正確無比に知ることができるなんて!

聖書には明らかに矛盾した記述があります。
だから、新約聖書について田川氏が
述べてくれているようなとらえ方が健全だと思いました。
-書物としての新約聖書、p684

新約聖書とて、しょせん古代の文献なのだし、
古代の文献であるからこそ、豊富な注を必要とする。
そして、文献を古代の非常にすぐれた人たちの
思考と思考と経験の結果として読めば、それは豊かな
メッセージを我々に伝えてくれるのである。

わたしとしては、そうも言いながら
聖書全巻が神の霊感による著作で間違いのないものと
信じたい気持ちもどこかにあるのですが、
ものみの塔の出版物も含めて、
そのようなことは信じられなくなったのです。

でも、2,000年以上連綿として受け継がれてきた、
貴重な人類の遺産ですから、
それなりに得るところはあると思うのです。

編集者 ラハム (2016年11月17日 06:02:49)

オフライン

#404 2016年11月16日 22:52:29

KAO
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

今日は少し早く来ることができました。
ラハムさん、聖書年代学いよいよクライマックス入ってきましたね!
BC.587年が確実なのも、すべてバビロニア人の几帳面さのおかげです!
聖書の年代の場合は、12とか40とか70とか言い出すと、まったくもって信用なりませんからね(笑)

今週の家庭聖書研究では9月号の「あなたの服装は神の栄光となっていますか」を学びました。学校の教師をやっている私でさえ、うるさく指導された中高時代を思い出させられてウンザリするような内容でした。みなさん大人になってまで、よく従っていらっしゃるな~と思いましたよ。

記事の中で沢山の聖句を参照するように指示がありましたが、服装に関係ありそうなのは二つくらいであとは無関係な聖句ばかりでした。しかし「注解」を求められるものですから、そんな無関係な聖句から無理やりにそういった意味をひねり出そうとしている自分に気づきました。
なるほど~、こういった「研究」の仕方を繰り返すうちに徐々に洗脳されていくのか~と思いました。

約2時間の研究の間「自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな」というイエス様の言葉はまるで話題にのぼりませんでした・・・
本当にクリスチャンなんですかね

#405 2016年11月17日 19:08:01

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

う~ん、そのものみの塔雑誌でしたか。
KAOさんの質問のこたえになっていませんが、
その表紙の絵がすごく気持ち悪かったのです。
よくみると男性伝道者がスカート姿でした。
日本ではなじみにくいです。
男の子の左手部分に描かれているのは
おかあさんの脚部分のように見えます。
スカートの色が同じに見えるからです。
三本足かもしれません。
男性JWの笑顔が非常に不自然で特別気色悪いのですが…。

服装の是非を論じる以前の問題ですね…。
絵柄に調和と品性の欠如を感じます。
ものみの塔流にいえば悪霊的かも…。

編集者 ラハム (2016年11月17日 19:14:43)

オフライン

#406 2016年11月17日 23:51:02

KAO
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ほんとだ~
言われるまで気づきませんでした。男がスカートをはくのはイングランドくらいかと思っていましたが、他にもあるんですね!

#407 2016年11月22日 09:12:43

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

きのう、てつてつさんの書き込みを読み、
石打にされなかったことを確認でき、よかったです。
きょうは、あさから自身のニュースで怖いですね。
東京でも揺れました。
金沢はどうでしょうか…。

オフライン

#408 2016年11月22日 09:46:58

てつてつ
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

金沢市は全然大丈夫でした被災された方にはお見舞い申し上げます

編集者 てつてつ (2016年11月22日 14:37:02)

オフライン

#409 2016年11月28日 14:51:16

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

以下は2003年3月16日JWICへの初投書です。
どうなるのかわからなかったので、びくついて投書しました。
とても気になっていた子どもに対するムチ打ちについてです…。
編集者から頂いたコメントも参考に記載します。
*****
  わたしはエホバの証人の組織に交わるようになって
28年になろうとしている現役のエホバの証人で、現在は
奉仕の僕です。

  まず、この膨大なサイトを管理し、運営されている
こと、現役か現役でないかにかかわらず、わたしたちの
気持ちの発表場所を提供し、愛情深いきめの細かい返事
をしてくださっていることについて深く感謝いたしま
す。わたしはあなたのご返事も含めてすべての広場への
投書を二月かけて読むことができました。組織の出版物
を読むよりも心に染み込んできたような気がします。

  わたしが“エホバの証人情報センター”を訪れるよ
うになったきっかけは親しい友人であるエホバの証人の
家でこのサイトから「良心の危機」というタイトルを見
たことでした。それについて彼に質問したところ「兄弟
が真実を知りたければこれを見たほうがいいよ」とすす
めてくれたのですが、その返事の前には「兄弟が忠実を
保ちたいのであれば見ないほうがいい」とも彼は言いま
した。それでも、わたしは真実をどうしても知りたかっ
たのです。

  わたしはエホバの証人になる前から真実や正直さを
人間として大切なものとして生きてきました。ですか
ら、聖書の原則を好ましいものとして受け入れたわけで
すが、長いこと組織と付き合っているとこの好ましい特
質をそのとおり実行しようとすると悪者扱いにされるこ
とを知りました。非常に残念で悲しいことです。

  わたしは人生の半分以上をこの組織と交わってきま
したので、エホバの証人としてよりも人として、人間と
して大切な人も大勢います。それでこれらの人々と切り
立たれることはわたしの人生において損失が大きすぎる
のです。そうなることをわたしはまったく望んでいませ
ん。彼らの中の一人にわたし自身が抱えている苦しみを
打ち明けたところ、断絶はしないでほしいとも告げられ
ました。彼らもわたしがそうなることを少しも望んでは
いないのです。

  わたしも友人もエホバの証人として、いや人として
良心的に努力してきたこと、自分なりに聖書を研究して
学び知ったことはたくさんありますが、発表する機会や
場がなく、ごく限られた信頼のおける友人だけに公表し
てきました。

  しかし、近年になってインターネットという強力な
器を用いることが可能になってきました。情報センター
を訪れる兄弟姉妹、過去においても忠実な証人として苦
しんできた兄弟姉妹たちにも少しでもお役に立ちたいと
いう気持ちもあります。投書を多くされている「物事を
ありのままに見つめるエホバの証人」の兄弟のようにさ
まざまな見方を持っている現役の信者もいるということ
も、さらに知ってほしいのです。

エホバの証人に関する考察

-むちについて-

  わたしはいわゆる二世ではありませんので、エホバ
の証人である親から体罰のむちは受けたことがありませ
ん。しかし、このむちが使われるところを目撃したこと
は今でも鮮明に生々しく映画のように覚えています。

  わたしは高校生のときに研究生となり20代の早い時
期にバプテスマを受けました。これは1977年のことで
す。現在はこのころとは異なり、王国会館でむちやそれ
に代わるものが使用されることもなく実際に体罰が行わ
れることは皆無です。しかし、30歳すぎで四人の子持ち
の母親に聞いたところ司会者から体罰を行なうようにし
きりに促されたそうですが、彼女はそれをおこなっては
きませんでした。これ確認したのは数年前のことです。
それでどうも、最近ではいわゆる古参の姉妹たちがしき
りに体罰を促すようですが、中には過去において体罰を
おこなったことを悔やんでいる人もいるのです。

  さて、わたしがバプテスマを受けた1977年ごろは物
差し、皮ベルトなどで実際にむち打つことは当然の習慣
でした。そう、わたしはあの光景を映画のように覚えて
おり、その女の子の着ている上着の色まで思い出せるの
です。その子の母親は当時20代後半、父親は30代のはじ
めで、長老だったのです。その子は3歳ぐらいでした。

  どう考えても子供が夜遅い集会に出席して2時間の
長きにわたるお経のように難しいプログラムをじっと聞
いていることは困難だと思います。それで当然のことな
がら、何か親の意向に沿わないことをおこなうことはあ
ると思います。このときわたしはその子の斜め右うしろ
に座っていたのでその子が何をしたのかはわかりません
でした。しかし突然母親がそのこと抱きかかえ、口をふ
さいで-わたしの方へ-トイレに向かって行きました。
しっかり口はふさがれているのですが、その子のふさが
れた口から“いやだよう、いやだよう!”という言葉が
もれ、必死に抵抗していたのです。その声はわたしの耳
に焼き付き、その苦渋に満ちた顔ははっきりと覚えてい
ます。母親は竹製の物差しを持っていました。わたしは
これを正面から目撃し、物差しでたたかれることがどれ
ほどの苦痛なのかを考えました。

  あまりにもショックだったせいか、集会から家に
戻って、自分で物差しを使い、その痛さを確かめたので
す。直接は見ていませんが、むち打つときは下着を脱が
せて素肌を打ったそうなので、わたしも自分のズボンを
下げ、右脚のももを思い切り物差しで打ってみました。
残念ですがどれほどの痛さかをどうしても思い起こすこ
とができません。

  そうであっても、最近のわたしは子連れの親子が王
国会館の集会に出席する光景を見てこのときの出来事を
深く考えるのです。そして自分が目撃した戦慄を覚えさ
せるむち打ちの光景の意味は果たして、いったいなん
だったのだろうか、という思いがよぎるのです。

最初に記したように最近の王国会館や大会では実際のむ
ちを使う光景を見ることがありません。むちを使わない
からというので子供たちが集会中に行儀悪くなったのか
というのなら過去においてのむち打ちも、少しの意味は
あったでしょうが、現在では集会中の行儀は問題がほと
んどないであろうとわたしは思うのです。もちろんのこ
と、集会のような公の場所でなく、個人の家のような隠
れた場所においてなされているのかもしれません。

  その現状はさておき、わたしがこうしたことを思い
出して振り返る、もうひとつの理由は、いわゆる二世の
年若い人々の態度や表情がどことなく変だと感じさせら
れたことにあります。この変だと感じさせられた態度や
表情を言葉で表現することは非常に難しいのですが、お
おむね次のようなものです。

  目の色がどことなくうつろで沈んでいる。他の人に
対して妙におどおどしたよそよそしい態度で接する。下
向き加減で返答をする。口元は笑っているように見える
が目は笑っていない。失敗に対する言い訳を考え出すこ
とが非常にうまい。野外宣教など時間の報告ができて公
に他の人の目に触れることは熱心だが、個人的で目立た
ない援助や手伝いを避けようとする、などです。

  もちろんこれらはエホバの証人の一世にも当てはま
るのですが、二世の場合極端な傾向が見られるように感
じています。でも、なぜこうしたことが二世の人たちに
多く見られるのかずっと考えつづけてきました。

  わたしはこうしたことの原因の多くが過去において
親からむち打ちを受けた二世たちに多く見られることを
観察しています。もうひとつ考えられる理由は聖書やも
のみの塔出版物に基づいたと信じ込んでいる、あるいは
信じ込まされている原則によって極端な感情の否定をお
こないつづけたことです。これについては別の機会に投
書したいと考えています。

  先ほど述べた女の子の家庭ではこらしめとして食事
の制限もありました。一食ぐらいならわたしもやむをえ
ないかと当時は考えましたが、この家庭ではなんと二食
抜きまでおこなっていたのです。わたしが母親に聞いた
ところ、一食では効き目が薄いので二食にしているとい
うことでした。父親とその父の母親(もちろん信者)が
むちや食事のこらしめについて母親に「何もそこまでし
なくてもいいのでは」とたしなめても聞き入れなかった
そうです。

  わたしは若すぎたせいもあって、当時こうしたこと
の意味や影響を理解できず、大会や集会で子供たちがお
となしくしていることを組織の自慢として、他の人に話
していました。

  わたしは最近まで、むち打ちが取り入れられたいき
さつや理由を知りませんでしたが、ウェブサイトの「昼
寝する豚」の編集者が克明に明らかにしており、非常に
興味深く読ませていただきました。わたしが読んだ出版
物や古参の証人から聞いたことでは、むち打ちが導入さ
れる前は大会などでは、託児所があって親たちは子供と
は別にプログラムを聞くことができたそうです。

  わたしが覚えている当時の会衆には怖いおばさんで
60歳ぐらいの姉妹がいました。この人はご主人が長老、
二人娘がおり、長女は日本支部委員の妻でした。この怖
いおばさんの姉妹は相当に影響力のある人で、他の人か
らの話では自分のご主人に圧力をかけて個々の人の排斥
の理由までも知っているようだったのです。それで当然
のことですが、長老の妻、あるいは年長の姉妹として年
若い長老の妻に助言をしていることもあったようです。
わたし自身もこの人からの意見をうっかり聞き入れて実
行したため、10歳ぐらいの子供を深く傷つけたことがあ
りました。

  そのようなわけで、まわりの若い子供を持つ親たち
がむち打ちを実行していることと、年長の人々からの暗
黙の圧力などもあって虐待行為のようなこらしめに走ら
ざるを得なかったようでした。

  わたしがこうしたことを書く目的は、現在の集会で
文字通りのむちがおこなわれなくとも幼い子供たちの行
儀よいことを観察して、果たしてあのようなむちに意味
があったのであろうかという思いと、自分が若すぎて意
味を理解できないこともあったけれど、彼らを守ってや
れなかったという自責の念にかられるからです。わたし
には子供がいませんが、それでも責任を感じて苦しいの
です。その時代を生きて多くの人を傷つけた事実を目撃
してきたからでしょう。

  ご主人から殴られて顔がはれ上がり、サングラスで
隠して伝道に参加していた姉妹、いつもおびえて何かを
訴えているような子供たち、打ち沈んで自分の気持ちを
何とか取り繕っている姉妹もいたのです。

  わたしは直接これらの傷つける行為にかかわってい
ませんが、これらの記憶が、その当時に何かをしてやれ
たのではないかという気持ちを抱かせ、こうした宗教に
足を踏み入れた愚かな自分を責めるのだと思います。

  これらに気がつき、目覚め始めたエホバの証人とし
て、最近再び研究を始めた若者が、幼いときに母親が開
拓奉仕などで忙しくて十分にかまわれずさびしい思いを
していたことを知りましたので、当時の事情とお詫びの
言葉を手紙にして渡したことがありました。

  たしかに、エホバの証人情報センターや数多くの
ウェブサイトで公表されているように、過去において実
際におこなわれたむち打ちは理由のいかんを問わず、多
くの人の心と体に多くの傷跡を残し、いまだに苦しめて
いますが、直接の当事者でなくてもこのようにして大き
な影響を残してきてしまったということを知っていただ
きたかったのです。

  このような経験を直接にもウェブサイトを通じてで
も多くの人に知っていただき、同じ過ちを繰り返させな
いよう努力をはらっていきたいと思います。

《編集者より》
先ず、現役で奉仕の僕でありながら、
エホバの証人の問題を勇気を持って偏見なく直視される
あなたの態度に心から敬意を表します。
あなたが現役であること、
また直接の虐待の被害者でもないことが、
あなたの発言の説得力を大きなものにしていると思います。
この実態を知らない比較的最近の証人、研究生や部外者は、
虐待は一部の親の間で行なわれたことで、
協会の組織的な指示があったことを疑っていました。
今後も、内部からありのままにエホバの証人の問題点を
外部の人々に開示していただければ幸いです。
ものみの塔の組織が内部に山積する問題を外部に知らせずに、
依然として信者の勧誘を続けている以上、
このような内部情報の開示は重要な安全弁となるのです。

オフライン

#410 2016年11月28日 22:47:43

KAO
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん
貴重な書き込みのアーカイブありがとうございました。普段多くの子どもたちに接する者として何ともやりきれない気持ちになりました。そのような時代がすでに過去のものとなったことを幸いに思うとともに、大人になったとはいえ、未だその傷に苦しんでいる人たちもいらっしゃるか想像します。
今shoutanさんのもブログで現物証拠を示してくださっています。70年代はともかく、1982年というと、学校現場でももう体罰はご法度だったのではないか思うのですが・・・就学前の3歳の子どもを・・・(絶句)
ますますJWの偽善を暴くのに精進しなくてはと決意を新たにしました。

#411 2016年11月29日 00:48:45

akame
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさんの気持ち、痛いほど良く分かります。

#412 2016年11月29日 18:26:48

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

akame先輩、
わたしの気持ちを分かってくださり感謝です。
とても苦しいものでした。
若気の至りとでもいうのでしょう。
でも、実に許しがたいことです。
ひるねする豚のゆうじさんは図解を入れて
使われたムチの道具を明らかにしていました。
感覚的には彼と合わないと気付いたのですが
人としてとても大切に感じていた貴重な人材です。
脱塔する直前、彼のWebもずいぶん読みました。
豚オフ会にも何度も参加しています。
彼のWebは特に二世のJWが脱塔するための助けになります。
ここに参加する皆さんもぜひ閲覧してください。
彼が天国に行くことができたのなら、
きっと喜んでくれていると思いますから…。

オフライン

#413 2016年11月30日 17:49:31

Anastasia
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん、投稿ありがとうございました。
昔、うちの会衆にいた姉妹(一時は特開者)から
鞭の影響でマゾになってしまった2世の子供達の話を聞いた事があります。
うちの主宰だった長老が巡回監督から聞いた話だそうです。
本当に酷いですよね。

#414 2016年11月30日 18:13:40

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

Anastasiaさん
閲覧されたと思いますが、ゆうじさんは
「二世はなぜムチなんだあああああ・・・・」と
響き渡るように叫んでいましたよね…。
日本のことわざで
「わが身をつねって人の痛さを知れ」があります。
叩いてみなければ、叩かれてみなければ、
痛さの度合いなんてわかりようがありません。
だから、わたしも自分を竹の物差しで思い切りたたいたのです。
たった一回でした。
子どもたちは何回打たれたのだろう…。

打たれ続けると自分を守るため
快く感じるようになるのかもしれません。
残酷なことをする宗教に足を踏み入れた自分を恥じています。

オフライン

#415 2016年11月30日 20:25:57

Anastasia
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん、

だから、わたしも自分を竹の物差しで思い切りたたいたのです。

現役時代のラハムさんの誠実さが分かりますね。
そういう人間味のある人柄であれば長老たちに気に入られなかったのも分かりますね。
私の居た会衆では兄弟達は巡回監督や長老達に「従順」な人達がほとんどでした。(姉妹達もですが)
私がネットで知った組織の問題(虐待その他)を話してもそれなりに親しかった姉妹や兄弟も
「それは背教者のウソでしょう」、とかの反応で、だめだこれは、と落胆しました。
私自身も(親しかった姉妹から聞かされましたが)10年間ぐらい審理委員会対象予備軍として
長老団にずーっとマークされていたらしいので、
そのストレスで自分のことに精一杯で他人を真に気遣う余裕があまりありませんでした。
ゆーじさんのサイトを知るきっかけになったのは
そんな中、ネットでJWと心理学について何か情報はないかと検索したところ
昼寝するぶたのサイトの中の「インナーチャイルド・プログラム」の資料を見つけました。
まだその頃は背教サイトを見るつもりはなかったのですが、
「インナーチャイルド・プログラム」の資料以外でちらっとだけ見た情報は
鞭で打たれた酷い経験の元JW2世がいることは私の脳裏に刻まれました。
あれからもう10年です。

#416 2016年12月01日 18:19:45

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

Anastasiaさん

極度なストレスを与える宗教でしたね。
あなたもわたしもよく生き延びたと思います。
もちろん、ここに集う皆さんもですが…。

もう25年以上になります。
このころ、家族関係が異常で自分の心の問題を
抱える一世男性JWと付き合いが始まりました。
アダルトチャイルドとか
インナーチャイルドとか言っていました。
彼は引きこもりの習慣もあったのです。
わたしの住まいから100kmぐらい離れていましたが、
半年ぐらい毎週通って一緒に過ごしました…。
このJWが読んでいた書籍は「家族依存症」で、
斉藤学(さいとうさとる)という精神科医が執筆した本です。
わたしも購入して読み、ぎょっとした記憶があります。
わたしにも当てはまっているような…。

協会は出版物を通して精神的な問題も扱っています。
でも、とても32ページで扱えるようなものではありません。
だから、わたしはいわゆる「世の知恵」も
取り入れるべきだという結論を出し、
カウンセラー関係の本をたくさん読むようになりました。
協会が出版物の中で「世の知恵」といっている
書籍を引用しているのですから、
わたしたちヒラJWだって引用文献全体を
読んでもいいはずだ、と開き直るようになりました。
聖書だって、精神問題のかけらぐらい扱っているけれど、
とても問題全体を扱えるようなものではありません。
今でも読んだものは資料として手元にあります。

どうも、後から考えるとこうした出来事が
脱塔準備の下地になったと思われます。
自分と他の人たちを人間としてどのように理解すべきか
ということを深く洞察する助けになり、
ものみの塔がJWを扱う仕方と方針が、
いかに非人間的、
非人道的かを識別できるようになったからです。

Anastasiaさんと脱塔の機序が似ているなあと
思ったのでちょっと書いてみました。

この掲示板をこわごわのぞいている現役さんも、
自分の知力を働かせてはいかがでしょうか。
知力と識別力はエホバ神が
人間に与えたと信じられるならばです…。

オフライン

#417 2016年12月02日 00:58:53

Anastasia
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん、

極度なストレスを与える宗教でしたね。
あなたもわたしもよく生き延びたと思います。
もちろん、ここに集う皆さんもですが…。

本当にそうですね。

どうも、後から考えるとこうした出来事が
脱塔準備の下地になったと思われます。
自分と他の人たちを人間としてどのように理解すべきか
ということを深く洞察する助けになり、
ものみの塔がJWを扱う仕方と方針が、
いかに非人間的、
非人道的かを識別できるようになったからです。

確かに私もそんな感じでした。

ラハムさんの友達もやはり斎藤学の本を読んでいたんですね。
私にも心の問題を抱えた1世の友人達がいました。
そのうち二人ぐらいはやはり斎藤学の本を持っていましたね。
私も含めて皆、いわゆる「機能不全家族」の家庭に育った人達でした。
当時うちの会衆とその近隣の地域では
自分自身はアダルトチルドレンだと思う独身JW達(2世も含む)は
この本を持っていた人が何人もいたようです。
私の友人の一人も会衆の2世の姉妹から「私はこの本が役に立ちました」と言われ
この本を勧められたと言っていました。
ラハムさんが指摘しているように
協会の出版物では精神の問題を扱う内容はあまりにも貧弱でした。
その一方、
心理学系の情報を調べていくとこの世のキリスト教ではカウンセリングや心理学の情報が豊富でした。
例えば私が友人に教えてもらった交流分析系の本はルーテル系の杉田峰康氏(交流分析の第一人者)でしたし
うちの会衆のある若い姉妹が近所の病院の精神科で診察してもらっていた先生はカトリックの女医さんでした。
「とても優しい先生なんです」とお母さん姉妹が言っていました。
他の姉妹も子供のために精神科で心理カウンセラーを探していましたがキリスト教系でないものを探していました。
それだけキリスト教系のものがあるということでしょう。

真の宗教は人の命や心に良い影響を与えるものなのに
一般のキリスト教にも劣るとは一体なんなんだろうと思いましたね。
せめて個人として情報を取り入れようとネットでも心理学系のサイトを探していましたが
最近思い出したのですが、そんな頃、こちらの「こころの散歩道」というサイトも読みました。

http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/

ただし、読み進めていくと「エホバの証人とお散歩」というのがあったので
それ以上は読むのは当時はやめてしまいました。

http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/2272/

#418 2016年12月02日 18:56:50

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

Anastasiaさん、みなさん
わたしが現役時代、最も悩ませた問題の一つに
自分は世界一幸福な宗教を知り、組織に属しているのに
なぜ、幸福になれないのかという問題でした。
空虚感が自分につきまとっていたのです…。

自分が霊的でないから…、
隠している罪があるから…、
奉仕活動が十分でないから…、

などと空虚な考えを繰り返していました。
でも、いくら祈っても答えはありませんでした。
正直、この状態が続くと精神病になると思ったものです。
気が狂いそうだったですね…。
正直、自分に何が欠け、不足しているのか
まったくわかりませんでした。

組織は精神科の受診を望ましく教えませんでした。
この傾向は緩和されているようですが、
脱塔した2004年以後どうなっているのかわかりません。
脱塔直前に閲覧したJWICの「エホバの証人と精神疾患」は
上記の精神状態に陥っている理由を理解する助けになりました。
http://www.jwic.info/psych.htm
もう一つは「エホバの証人とこころの病の問題」です。
http://www.jca.apc.org/~resqjw/mi.htm
これはそうとう長い報告書ですが、
JWが陥っている問題を理解する助けになると思います。

わたしもずいぶん助けてもらいました。

オフライン

#419 2016年12月03日 19:19:18

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

以下は2003年3月23日JWICにした第二回目の投稿です。
「後略」となっていますが、これは村本氏が編集してくださいました。
自分のコンピュータを検索すれば原文があるかもしれません。
その先何を書いたのかちょっと思い出せないでいます。
1914年の拠点の欺瞞は現在では少しも珍しくありませんが、
当時のわたしにはうっすら気が付いていても
天地がさかさまのなるほど衝撃的だった記憶があります。
その気持ちを整理するために書いてみたのです。
*****
こうして振り返ってみると、わたしがエホバの証人
と出会った時期はあと数ヶ月でハルマゲドンが来るとい
うときのことでした。しかし、わたしがこの事実を知っ
たのはしばらく後で研究司会者からもうじきハルマゲド
ンだということをひとことも聞いた記憶はありません。
エホバの証人として献身し、バプテスマを受けたきっか
けとしてこの時期に読んだ“真理”や“平和と安全”な
どから1914年の世代やC・Tラッセルが1914年を聖書か
ら読みとって40年近く前からふれ告げていたことに感動
したことがあったのです。
  でも、やはり30年近く協会の文章を読みつづけてい
ると“おやっ?”と感じざるを得ないところがあるもの
です。わたしはこの1914年の算出の仕方にこのように感
じました。特にその基点となっている、BC607年の算定
の根拠についてで、このことに気がついたのは20年以上
前のことです。

主題の聖句
  あなたは自分の言葉によって義と宣せられ、また自
分の言葉によって
       有罪とされるのです。-マタイ12章37節
(新世界訳)

エホバの証人に関する考察
-1914年について-
  JWICで公表されている“良心の危機”や“異邦人の
時再考”ほどエホバの証人に大きな打撃を与え、信仰を
揺るがすほどのものはないでしょう。この情報は現代の
エホバの証人の信仰の根幹を覆す力があります。わたし
は日本語版の“良心の危機”を購入して読み始める前に
ウェブサイトのこれらの文章をそれぞれ五回は読んだと
思います。あまりにもショックを受け呆然としてしまい
ましたので、自分の心を納得させたかったからです。わ
たしは抄訳版の“良心の危機”と“異邦人の時再考”を
読むうちに20年以上前からうっすらと感じていたBC607
年に関する算定根拠の疑問が正しかったことに気がつき
はじめました。その根拠となることを聖書と協会の出版
物から考察してみたいと思います。出典はすべて日本語
版です。

  “異邦人の時再考”も示しているように新バビロニ
ア帝国がメディア・ペルシャのキュロスによって覆され
たことはBC539年であることを世俗の歴史も、ものみの
塔協会も認めています。この事実は“聖書全体は神の霊
感を受けたもので有益です”や“洞察”の中で多く述べ
られています。わたしとして知っている限りではBC539
年についてもっとも多くの世俗の資料が1968年11月15日
号(p682-685)のものみの塔の研究記事にあります。
これらの記事を読み比べてみると、たしかにBC539年が
歴史上確立された年であることは理解できます。しか
し、異邦人の時である2520年間を数え始めるための607
年の根拠が定かでないことに気がつきました。
  つまり、協会の説明するところによると、BC539年
にイスラエル人がバビロンの支配から開放された、であ
るからエズラ書3章1節に記されている、第七の月にそれ
らのイスラエル人は故国に戻っていたというのです。ど
の出版物でもこの第七の月はおそくともBC537年だった
(代表的には同ものみの塔p685 23節・霊感p282、
283、285)であろうと書かれていますが、なぜイスラエ
ル人が故国に戻るまで二年の期間がかかったのかを説明
していません。別の考え方をすれば一年だったかもしれ
ないし、三年かあるいはまったく違うかもしれません。
わたしの知る限り、協会はこの二年間に関する証拠を提
出していません。(知っている方は教えてください)
  それで、単純に考えればBC539年から70年さかのぼ
ればBC609年になり、異邦人の時は西暦1912年までと
なってしまいます。さきほどの1968年11月15日号のもの
みの塔の研究記事には側注(p686)があって、エズラ
書の第七の月が天文観測から537年だということを示し
た文献が記されていますが、外国語なのでわたしにはわ
かりません。理由はともあれ、BC539年に二年を加えて
から、BC607年を算出しダニエル書で述べられている、
七つの時である2520年を数えないと1914年には行き着か
ないのは事実です。
  また、協会の説明ではイスラエル人のバビロン流刑
の期間はまる70年だったということになっています。し
かし、エズラ書の記録を注意深く読むともっと短い可能
性があることに気がつきました。この第3章12節ではバ
ビロンに滅ぼされる前の神殿を見て記憶している高齢者
(もちろん見たことのない若い者も含まれていた)が、
神殿の再建がはじまったのを見て泣いたことが述べられ
ています。これらの高齢者を含めた者の泣き声がかなり
遠くまで(エズラ3:13)聞こえたということですから、
バビロンから帰還できた高齢者は比較的大勢だったと推
測します。極端に高齢者が少なければこうしたことを記
録する意味がないと思われるからです。
  これに加えて、ものみの塔は読者からの質問
(1986・10・15 p31)でバビロンからエルサレムまでの
距離を直線で800キロ、遠くて1600キロとしています。
この中間の距離をとっても大勢の高齢者がエルサレムま
で旅することができたのでしょうか? 1000キロという
のは東京から九州の福岡ぐらいの距離です。
そして当時バビロンにいたダニエルは100歳ぐらいとさ
れていますし、詩篇90編では人の寿命が70年か80年とさ
れています。協会が以前に人の記憶が残って当時のこと
を理解できる年齢を10歳とか15歳としていたことを考慮
すると、エルサレムに帰ることができた高齢者は80歳か
ら85歳ぐらいになります。もちろん当時は現在のような
交通機関がありませんので、徒歩か家畜に乗って旅行し
たのでしょう。かりに1200キロの距離で一日40キロ進ん
でも一ヶ月はかかります。協会の説明では何ヶ月もか
かったようですし、同じ聖書の記録ではかなり危険だっ
たので、軍隊の要請(エズラ8:22)を考慮する必要が
あったようです。
  現在でも元気な高齢者で自転車などに乗れる人もい
ます。しかし、何ヶ月もかけて1000キロ以上の旅を徒歩
や家畜でできる人がどれほどいるでしょうか。それにバ
ビロンから帰還する人たちは、ネブカドネザルが奪った
エルサレムの神殿の重い器物などを大量に運ばねばなり
ませんでした。-エズラ1章
  こうしたことを考慮すると、泣き声を遠くまで聞こ
えさせるほど高齢者はかなり大勢存在していたこと、そ
れゆえエルサレムに帰還できた高齢者は比較的若かった
(少なくとも多くの場合80歳以下)と考えられるので、
バビロンにイスラエル人が捕囚になっていた期間は70年
間より短かったと思われます。それで、やはり70年間と
いうのはイスラエル人がバビロンで囚われていた実際の
年数ではなく、バビロンがイスラエル以外の諸国をも含
めて(エレミヤ25:11-14)隷属させた全期間ではないで
しょうか。
こうした根拠で、わたしはひっそりとBC607年というの
は1914年から逆算した数字かもしれないと考えていまし
た。もちろんサイトを見る前にです。危険ですから誰に
もしゃべりませんでした。今でも現役の奉仕の僕ですか
ら、これが見つかったらたちまち審理問題にされ、背教
者扱いにされるでしょう。
 
  これらの歴史的証拠はカール・オロフ・ジョンソン
兄弟が調査してくださった学術論文である“異邦人の時
再考”に詳しく述べられています。日本語で読んでみた
い本です。わたしにはあのような調査ができませんの
で、兄弟が調査してくださったこと、要旨と抄訳を掲載
してくださったことに深く感謝いたします。そのため
に、わたしがうっすらと考えていた聖書的な根拠の正し
さに確信を与えてくださったのですから。
 
※上記の「1968年11月15日号のものみの塔」は“良心の
危機”でも引用されており、1975年のハルマゲドン説を
強く主張している内容です。特に第二研究記事では
「1975年を待ち望むのはなぜか」というタイトルです。
この記事の35節ではマタイ24章36節の聖句の説明とし
て、「『ただ父だけが知っている』と言われたイエスの
ことばをもてあそぶときではありません」と強く述べて
います。
<後略>


《編集者より》
1914年の計算法の欺瞞が、ここまで一般のエホバの証人の間に知れ渡っていながら、いまだにものみの塔の組織がこれを素直に認めて正そうとしない理由は幾つかあります。その最大のものは、1914年の教義が今までものみの塔の教義の中で非常に大きな比重を占めてきたために、これを変更することはものみの塔宗教の根幹を揺るがすことになりかねないこと、一部のエホバの証人の「知識人」以外は、歴史を調べたりそれを理解する能力も気力もなく、組織が何も言わなければ、欺瞞はいつまでも「真理」として通用すること、そして何よりも統治体が背教者の意見を取り入れて教義を変更する醜態を見られたくないというプライドが、彼らにへりくだった態度を忘れさせている最大の要因であろうと、私は思っています。

オフライン

#420 2016年12月04日 12:35:15

Anastasia
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハブさん、

エホバの証人の精神疾患は読んだことがありますが、
エホバの証人とこころの病の問題の方は読んだことがありませんでした。
まだ読み終わりませんがJWの発祥地で信者が多いアメリカだけあって情報量が多いですね。
これらのサイトを読んで自分が現役時代だった頃の事を思い出しました。

昔私がまだ若かった頃千葉の会衆にうつ病を患う1世の友人がいました。
その姉妹は私と同じ高校の出身で他の友人を通して知り合いました。
三人で会ったり電話をしたりしていのですがある日突然うつ病の友人が自殺しました。
とても悲しかったですが、彼女を救う手立てはなかったのか、エホバはなぜこんなことを許すのか、
亡くなった彼女には希望はあるのか、など色々考え、それに関するものみの塔の出版物も読みました。
ものみの塔は以前は自殺に関して否定的でしたが私の友人がなくなる前の時代あたりから
ものみの塔でも自殺に関してある種の妥協案的な記事が出始めたようです。
私が心理学の本を読んだり一般の心理カウンセラーからカウンセリングを受けたのはその後十年以上経ってからですが
友人の自殺という件があったので心理学系の本を読みたいと一層渇望したのだと思います。
自殺(自死)に関してはJWと同じくカトリックや他のキリスト教の中でも否定的な見方や沈黙がありましたが、
近年はそういった点を大いに反省し予防やご遺族のためにすべきことをする方針を取りました。

http://www.caritas.jp/japan_news/no_106/04.html

あと先日リンクを貼った社会心理学者でクリスチャンの碓井先生は
以前ご自身のツイッターでカルト被害者の経験を募集していました。
特集番組で使うためだったようですが番組では色々な団体のカルト被害者のインタビューを収録して集めたようで
その中に元JWも入っていたようですが結局元JW以外のカルト被害者のインタビュー7が採用されたようです。

#421 2016年12月04日 12:52:14

Anastasia
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん、お名前をまた間違えて書いてしまいましたすみません。汗

#422 2016年12月04日 17:56:34

てつてつ
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん 書き込みありがとうございます

なぜイスラエル人が故国に戻るまで二年の期間がかかったのかを説明していません。別の考え方をすれば一年だったかもしれないし、三年かあるいはまったく違うかもしれません。わたしの知る限り、協会はこの二年間に関する証拠を提出していません。(知っている方は教えてください)

良心の危機の256ページにその理由について

ある時、これらの年代預言や変更が議題となった統治体会議の後で、ビル(ウィリァム)・ジャクソンが私に笑いながらこう言った。「ずっと前からよく言っていたよ、年代をあっちからこっちに動かせばそれで済むってね。」  .....そう書けばすむことだから簡単なことであった

といっていますので そういうことかもしれませんね
世界の歴史のマンガですら 捕囚の期間は50年とはっきり書いてありますよ

編集者 てつてつ (2016年12月04日 18:17:05)

オフライン

#423 2016年12月04日 18:58:47

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

てつてつさん、
興味深いことの書き込みありがとうございます。
「良心の危機」は協会の欺瞞を明らかにしている
脱塔者のためのバイブルのようですね。
世界の歴史マンガに記述されている捕囚期間50年のほうが
エズラ書に記載されている遠方まで声が聞こえたという
情景に合致していると思います。
当時の70歳を超えた老人が1000kmの道のりを
徒歩で移動するなんてとてもできそうもありませんから…。

マンガでも「エホバ」でなく
「ヤハウェ」になっているんですね。
はじめて確認できました…。

編集者 ラハム (2016年12月04日 18:59:37)

オフライン

#424 2016年12月09日 17:47:10

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

JWICに第二回目の書き込みとして
「1914年の拠点について」を投稿したわけですが、
次のようなご意見をいただきました。
これをこの掲示板に移行するのは
村本氏のコメントがそれから14年たとうとしている
現在の個々におけるJWにも当てはまっていると思うからです。
覚醒してしまった人には、他の人にはうまく説明できないような
苦悩すべき事情があるわけですが、温かみのある理解を
示す必要があるということを振り返ることができたからです。
-以下、引用文です。

「1914年の拠点について」を投稿された方へ

(4-18-03)
そこまで分かっているのにどうしてまだそんな宗教組織にとどまっているのですか?
さっさとおやめになったらいかがですか?そもそもこのWebサイトにアクセスした
こと自体がもう排斥の理由になるのではありませんか。「奉仕の僕」という役職に就い
ているとなかなかやめづらいでしょうが勇気を出して一日も早く組織を去ることを勧
めます。「長老」になったらますますやめづらくなるでしょう。

私も、もう10年以上も前のことですが、607年B.C.の嘘に偶然気が付きまし
た。ある日、聖書とは全く関係がない別の事を調べるために高校生の時に使っていた
世界史の参考書を開きました。調べたかった項目を見終わった後にぱらぱらと他の
ページもめくって見ていた時に「南ユダ王国」が滅ぼされたのは586年B.C.となっ
ている記述を発見しました。それで「変だな」と思い、自分なりにいろいろと調べてみ
ました。私が調べた限り607年B.C.を裏付ける文献は一つもありませんでした。
その後エホバの証人をやめたのは言うまでもありません。自分で説明できないことは
伝道できませんから。

「統治体」がこの嘘を認めることは決してないでしょう。認めたら自分たちの教えがす
べて偽りであることがばれてしまいますから。存在そのものが危うくなります。彼ら
が新しい教義を発表するたびに「光が増し加わった」と言います。この聖句「サタンで
さえ光の天使を装うのです。(新共同約聖書:コリントの信徒への手紙二/11章14節)」
と比較してみてください。又、この聖句「神の国は、見える形では来ない。『ここに
ある』『あそこにある』と言えるものでもない。(新共同約聖書:ルカによる福音書
/17章20・21節)」も参考にしてみてください。


《編集者より》
この投稿は、「1914年の拠点について」に対するものです。
「そこまで分かっているのにどうしてまだやめないのか」
というご質問で、これには本人が答えを投稿するかもしれません。
ここでは一般的な理由を挙げたいと思います。
あなたもご存知かもしれませんが、
エホバの証人を辞めることは非常に難しいプロセスです。
もしエホバの証人を辞めるのが、
俳句やお茶の同好会を辞めるぐらいに簡単であれば、
エホバの証人の問題がこれだけ社会問題にならなかったはずです。
これはある意味で麻薬中毒と同じで、
始めることはそれ程難しくありませんが、
一旦はじめてそれにはまってしまったら、
ちょっとやそっとで辞めることは出来ないのです。
今、エホバの証人の中には多くの
「目ざめた」エホバの証人がいますが、
それらの人々は様々な理由から組織に留まっています。
最も多い理由は、
家族や交友関係を破壊することを避けるためです。
私はそれらの組織に留まるエホバの証人たちの、
それぞれが置かれた状況は尊重すべきであると考えており、
無理をして自分や周りの人々を傷つけてまで
直に辞めることを勧めていません。
もちろんそのような困難がない人は、
本人の心の健康のためにも、
これ以上社会に害悪を撒き散らさないためにも、
可能な範囲で早くやめる方がよいとは思いますが、
不活発化したエホバの証人は比較的無害な存在であり、
無理をして急ぐ必要はないのではないかと思っています。

編集者 ラハム (2016年12月09日 17:48:19)

オフライン

#425 2016年12月09日 19:00:07

てつてつ
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん書き込みありがとうございます

これはある意味で麻薬中毒と同じで、
始めることはそれ程難しくありませんが、
一旦はじめてそれにはまってしまったら、
ちょっとやそっとで辞めることは出来ないのです。
今、エホバの証人の中には多くの
「目ざめた」エホバの証人がいますが、
それらの人々は様々な理由から組織に留まっています。
最も多い理由は、
家族や交友関係を破壊することを避けるためです

本当にそうですね

オフライン

クィック投稿

メッセージを書いて送信してください。

Board footer