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#26 2015年11月15日 19:23:44

モトシモベ
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

わたしら、上から目線なん?
さぁ?
どうやろね?
そうなんじゃね?
( ´・ω) (´・ω・`) (ω・` )

…ジョークは、これくらいにしておきます。

資料をネットに公開してくださり、それを教えてくれたんですから、そこは感謝すればいいのですよ。
貴重な財産です。

#27 2015年11月15日 22:07:46

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

possibleさん、野の花さん、そして投稿された皆さん
色々と有益な情報と提案等に心から感謝いたします。
本当にありがとうございます。
この掲示板の存在は貴重です。今後ともよろしくお願いします。

個人的に昔の開拓奉仕者として年間千時間×十数年の奉仕時間のせめて一割程度でも、微力ながらJW未信者家族の方達のために奉仕させていただきたいと思っています。
色々と相談に乗って感じるのは、昔よりも一人の研究生に対する執着が凄いことです。
それは、研究生にとっては、暖かい愛ある親切と気遣いと感じてしまうため、相当手強いことに
なっています。

ネット情報は見ていても、感情的にJWを疑似的な家族と見てしまう方々も少なくありません。
未信者家族の方からのリクエストもあり、、、、
過去の出版物データは一つの強力なツールとなるかと思いました。
またこの場を借りてご報告させていただきます。

また、直接メールをしていただいた方々にも、この場を借りて、重ねて感謝します。

#28 2015年11月16日 12:19:05

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

#9 C. Sinutko 兄弟の講演(by カレブさん)繰り返し聞きなおしました。

1967年の大会か……

私が思うに「1975年だぞ~」ってガンガン警報を鳴らしてたのってその何年か前までで、当の1975年には、いやその少し前から「ん、ヤバいぞこれは、なんも起こらんかもしれん……」と執筆陣も胸騒ぎがしていた、という可能性がないでしょうか?

実は、私がザッと眺めた限りでは(あくまでザッとですよ (^^;)「塔」1970/8/15 p. 497の5節を最後に、それまで「1975!1975!」と叫んでいたのが、「1975? はぁ? なにそれ?」っぽくトーンダウンしているように見えます(その記事もそんなにヒステリックじゃなくて「人類史6,000年の終わりまでには,およそ6年を残すにすぎません」と、“計算上だからね、あくまで計算” とばかりの自信のなさが垣間見えます。

ご注意を。1975じゃなくて1970です。

>JW問題で相談に乗っている方から 1975年の雑誌の表紙だけでも画像はありませんか? と問い合わせがありました。現役のJW長老達に1975年ハルマゲドン騒ぎを質問したところ『一部の人達が騒いでいたようですね』と他人事のように回答されたとのことです。(by 鬼太郎さん)

調べるなら、1975年ジャストじゃなくてその5~10年以前の方に重点を置いた方が、例の「狂乱ぶり」をハッキリ観察できて有益だと思いますが……。

#29 2015年11月16日 12:56:31

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

1000時間奉仕者さん 提案に感謝します。
狂乱ぶりを時系列で追うのも面白いかもしれません。

#30 2015年11月16日 12:59:41

通りすがり
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

それに、ずっと近年でも、20世紀に宣教の業が終わる、と"予言"していたことも問題と思います。
「使徒パウロは、キリスト教宣教者の 活動の先鋒となりました。 そして同時に、この二〇世紀に完了する であろう業の基礎を据えていたのです」 (『ものみの塔』誌、1989年1月1 日号、12頁)。

注:製本された『一九八九年ものみの塔[英文]には、 この言葉は次のように訂正されています。「そして同時に、私たちの時代に完了す るであろう業の基礎を据えていたので す。」 言うまでもなく、訂正されたことを示す 注意書きなど、ありません。 なお、どういう訳か、製本された日本語 版の雑誌は、訂正されていません。

#31 2015年11月16日 15:33:07

akame
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

>調べるなら、1975年ジャストじゃなくてその5~10年以前の方に重点を置いた方が

騒ぎの目撃者として事実をご説明しますが、1975年ハルマゲドン説は1972年以降顕著になり、緊迫感を煽る文章は1975年にピークに達しました。それ以前は緊迫感はなく殆ど騒いでおりません。

現に殆どの方の目色が変わってきた73年〜74年に、75年説を否定してからは巡回や会衆からシカトされ針のムシロでした。

資料はかなり処分しましたが探してみます。

#32 2015年11月16日 17:38:35

akame
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

少しだけ、

あの頃を思い出すと感じることは、文章よりも大会の話での煽りが強かった、という点です。

話の随所で1975年には新体制?を期待させ、聴衆もその煽りを喜んでましたね。

所謂、暗黙の了承です。

それに乗らないなら変人扱いでした。

#33 2015年11月16日 22:16:00

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

akame さん:

>73年〜74年に、75年説を否定してからは

……のくだりで少し混乱してしまったのですが、どなたが否定して、どなたがシカトを喰らって “針のムシロ” だったんですか?

**********

かつての日本って ―― 雑誌の翻訳が英語より3ヶ月遅れだったことに代表されるように ―― 制度の上でも会衆の雰囲気でもあちらさんとタイムラグがあったと考えると、こっち側は「遅まきながら」’72~’75にやっと騒ぎ始めたのでは?と感じています。

「6,000年目は1975年だよ!」と言い始めたのが「神の自由の子となってうける永遠の命」(’66)、前述のシナツコ兄弟の録音は’67年の大会、「自由の子」を基にした年表と研究記事が「塔」’68/8/1 p.500……と並べてみると、アメリカで一足先に騒ぎ始めたのは遅くとも1960年代半ばではないでしょうか。

さっきもう一度CDライブラリでさらってみたら、当の1975その年にはこの話題に触れた記事がガックリ減り、「腫物に触るように」また「意固地なまでに」かつての “予言” を避けています(一ヶ所だけ「1975年という危機の年にある現在」というビミョーな言い回しがありました。調べたのは「塔」だけなので断言はできませんが)。前年の1974年も似たような感じです。

akame さんのおっしゃる通り、ステージからの話・前のめりな生き方の推奨・数々のプレッシャーは1975直前のほうが強烈だったのでしょう。

でも、こと出版物(特に鬼太郎さんの求める “狂乱雑誌” とか)に限っていえば、1975年ピンポイントの雑誌のPDFでは目的のものは見られないような気がします(akame さん、気を悪くしないでくださいね。言及されていた現象は私も見知っていますし、クウキの蔓延は目に見えない以上、当時の目撃証言に勝るものはないのですから。ありがとうございました)。

#34 2015年11月16日 23:18:20

akame
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

>どなたが否定して、どなたがシカトを喰らって “針のムシロ” だったんですか?

私です。

>クウキの蔓延

そうです。再度指摘しますと、

当時は雑誌などよりも、大会での統治体の成員の話や講演者の声に、より強いメッセージや緊急性、影響力を肌で感じました。

文章よりもタチが悪く騒がしい空気です。

後に、貴方あの頃興奮してたでしょう、と聞くと殆どが他人事のようにシラを切りました。

まさにカルトの病理の深さを示す典型でしょう。

#35 2015年11月16日 23:36:19

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

1978年から研究生でしたから、よく聞きましたよ。
某巡回監督などは前年の巡回大会で『1975年12月31日24時まで あと●●●日と□□時間、、
▽▽分◎◎秒で~す!』と絶叫していたとか、、、!
友人のJWは当時高1、『そんなのおかしい』といくら話しても誰からも相手にされず、
むしろ助言されたようです。

#36 2015年11月17日 00:01:49

野の花
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

akame さんの発言:

あの頃を思い出すと感じることは、文章よりも大会の話での煽りが強かった、という点です。
話の随所で1975年には新体制?を期待させ、聴衆もその煽りを喜んでましたね。
所謂、暗黙の了承です。
それに乗らないなら変人扱いでした。

akame さん、 まったくその通りです。

大会では 逮捕されても仲間の名前など言わないようにとか、留置された時の実演がステージでもありました。

雑誌でもドイツでの第二次世界大戦下での迫害の経験や それをどのように切り抜けたか(巧みに嘘を言う)こともよく書かれてました。

強制収容所内でパンの中に聖句の紙片が入っていてどんな状況でもエホバが霊的食物を与えて下さるとか。

姉妹たちも「ハルマゲドンの後は玉川高島屋は自分のもの」だとか「それなら私は銀座三越よ」立派な家を見ると「ここは私が貰うわ」とか半分本気みたいに言ってました。
今現役の方々こういう話してますか?

私は’73年頃研究して辞めて’75年冬頃引っ越し先で研究再開したので
「ハルマゲドン来ませんでしたね」と司会者に聞きましたら「そんな話聞いたことないわ」とすぐに別な話に持って行かれました。

その後信者数が日本全体で減って「時に信仰を置いた人達が振るいにかけられた」でした。

なかには正直に「聖書のどこにも書かれてないから証言出来ませんと長老(?)に言ったら計算すれば来ることがわかるんですから家の人には言うべきです。と言われたのよ」と少し憤慨したようにこっそり話す姉妹もいました。

#37 2015年11月17日 00:07:49

akame
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

鬼太郎さん

確かに当時はその種の事が普通にありました。

ご存知、「昼ぶた」にもあります。

以下引用、

《彼らは確かに予言をした》
一部のエホバの証人が勝手に騒いだのではない。1975年騒動の責任は、
確かにものみの塔協会の側にある。騒いでもおかしくないような記事が数多く
出版されているし、大会でもその種の発言が少なくなかったからである。

おそらく、1975年狂想曲を奏でる点で、最も貢献したのは巡回監督たち
であろう。彼らは諸会衆を回っては終わりの日を強調して歩いた。テープに取
ってあるわけではないので物的証拠ははないが、当時を知っている人であれば
よく覚えているはずである。(もっとも、吹聴して歩いた人は忘れてしまった
かもしれないが。)特に1972年、1973年はそういう意味では非常に顕
著な年であった。その地方によって多少は異なるかもしれないが、1975年
フィーバーが最も白熱したのはそのころであったように思う。

引用終わり。

それで、巡回監督は統治体の代理であると公言してましたから、雑誌などよりも新しく正式な見解として一般信者が受託するのは当然だった訳です。

#38 2015年11月17日 00:24:32

akame
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

野の花さん、

その種の話なら思い出が多すぎます。

当然親しかった特開の姉妹。

1974年、ある研究性のおばあちゃんから畑を無償無期限に借りることに成功、「ハルマゲドンに備えられた。これもエホバのご意志」笑

まだ軽いほうです。

#39 2015年11月17日 00:34:36

野の花
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

’87年の秋に開拓者学校へ行ったのですが2週間後の終わりに出席者たちがそれぞれ名前や住所・電話番号を交換していました。

すると教訓者の巡回監督が「 教科書の後ろに仲間の名前など書くと、迫害が始まった時にそれが元で大勢が検挙されるかも知れないので書かないように」と言われてました。

特開者がそのうち日本でも禁令になるとか言って緊迫感がありました。

こういう状況でしたから年金や生命保険に入るのも信仰がないと言われ、掛け捨ての生命保険に入った時は罪悪感のようなものがありました。

でも80年代の終わりころだったか雑誌に「残された時は短いけれど、緊急に必要になった時のためにある程度のまとまった貯金も必要です」と研究記事に書かれていたと思います(うろ覚えです)

確かその時、長老が100万円くらいと具体的な数字を演壇からあげていました。当時はまだバブルでしたからその金額に違和感はありませんでした。

#40 2015年11月17日 01:02:05

akame
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

野の花さん

なるほど。

1975年フィーバーの次に訪れた、

1914年のしるしを見た世代「70年〜80年」が死に絶えるまでに新体制になる。

との煽りのお話しですね。^ - ^

#41 2015年11月17日 05:55:43

野の花
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

akameさん

どんなに証拠を目の前に並べられても「絶対オレはやってない」という犯人のようですね。
刑事さんはこういう時 カツ丼差し入れして「お袋さんは元気か」とか言うと
ホントのことを吐くようです。
トーチタイの7人もローヤに入れて1週間、お水だけあげて「鶏手羽先、食うか?」と優しく言ったら607年も変更するかも知れませんね。^^!

#42 2015年11月17日 06:14:19

さやか666
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

その手があったか

チキン野郎

#43 2015年11月17日 07:02:44

万年研究生
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

ネット上で読むことが出来る

「それでは 皆さん 次の大会は楽園で会いましょう」 ロイド バリー

という大会での発言は事実なのでしょうか?
あまりにも断定的過ぎる発言なので捏造かどうか判断に悩むところです。

#44 2015年11月17日 07:16:40

akame
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

万年研究生 さんの発言:

ネット上で読むことが出来る

「それでは 皆さん 次の大会は楽園で会いましょう」 ロイド バリー

という大会での発言は事実なのでしょうか?
あまりにも断定的過ぎる発言なので捏造かどうか判断に悩むところです。



悩むことありません。事実で、大勢が聞いてます。私も聞きました。

残念ながらテープ捨てましたが、

#45 2015年11月17日 07:18:56

akame
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

そろそろトピ違いの指摘を受けそうなのでこれぐらいにしますが、以下金沢文庫からの引用です。

1975年フィーバーに非常に貢献したある巡回監督がいた。地域大会の会場でその巡回監督と話をする機会があった。
大会の主旨が、その巡回監督が教えて歩いたこととはあまりにも異なってい
たので、「兄弟、終わりの日はどうなってしまったんでしょうね。1975年には、もうハルマゲドンは来ないということでしょうか。」と聞いてみた。こちらとしては多少皮肉のつもりもあったのだが、「終わりの日はいつ来ても、
エホバに仕えていればそれでよいということではないでしょうか」と、明るい顔で返事をしたのが非常に印象的であった。
自分が何を教えて歩いたのかという自覚が全くなかったのである。まだほんの数カ月しかたっていないのに。これは実に驚くべきことであった。今思えば、あれがものみの塔協会の典型的な体質だったのかもしれない。巡回監督にしてみれば組織が言ったことだからという意識であろう。自分の発言に責任を感じないということは、そういう背景でしかとらえようがない。
引用、終わり。

野の花さん、せっかくの自腹の差し入れのカツ丼を平然と食べ、けろっと顏で「やってません」でしょう。
組織に問えば、状況証拠が幾らあっても直接の文章ではないとトボける、あるいは隠滅を図る。これが組織の変わらない体質です。

先ほど、文字通りトピを間違えました。
すみません。

#46 2015年11月17日 07:32:14

1、000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

おー、皆さん早起きですねー。

>「ハルマゲドンの後は玉川高島屋は自分のもの」だとか「それなら私は銀座三越よ」立派な家を見ると「ここは私が貰うわ」・・・・・・(by 野の花さん #36)

そう、言ってた言ってた!(爆笑)。そして、それが「強い信仰」のバロメータみたいだった!
※    玉川とか銀座とかが出てくる辺りが都会を感じさせますね~。

卒業間近で免許を取った悪友?たちが高価いクルマを物色していたので、あんたたちの薄給でそんなの買えるわけないだろ?と問うと、「30年くらいの長~いローンを組んで、ハルマゲドン逃げ切りで残額をチャラにするんだよ、アハハ」とか悪企みしてましたよ(笑)。そういう奴に限って、30年分キッチリ払わされた直後にハルマゲドンが来たりするんだぞ、と私は毒づいておりました (^^;)。

>’87年の秋に開拓者学校へ行ったのですが2週間後の終わりに・・・・・・(#39)

’87年にまだそんなカン違い教訓者がいたんですか!  私、モロに写真付きで名簿もってますよ(ちなみにそのクラスの同期生中、現在も開拓者してるのは3人くらい)。

#47 2015年11月17日 07:52:53

akame
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

万年研究生さん

ロイドバリー氏だけではなく、当時の地域監督、講演する兄弟達が次から次に『次の大会は楽園でお会いしましょう!』を1975年が過ぎ去るまで事実連呼したのです。

当時のクリスチャンはみんなこのセリフを聞いたのですが後になって『この年については断言していない』という統治体の思惑通り、皆知らん顔になりました。

冷静に判断してください。

聞いてないことを聞いたと述べたのが嘘だとしたら、聞いたと述べるその大勢の人たちに一体どんな共通の利益があるのでしょう?

是非、古い方に当時をお尋ねください。

但し、新たな洗脳を受けている可能性が高いですから、かなり親しくなり、巧みに本音を引き出す必要があります。

#48 2015年11月17日 08:21:08

万年研究生
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

多くの講演者が壇上から連呼したとは驚きです。

さぞ盛り上がったことでしょうけど75年をすぎて無かったことになっているとは
あまりに思考停止状態といいますかマイコン状態の思います。

「金沢文庫」での記述でもあまりに冷めていて不気味に感じます。
今で言うとドン引きです。

75年を経験され、今も現役バリバリの人たちはどんなことがあってももはや覚醒することが
無いのではと思います。

まっとうな判断が出来ない人たちであり大変気の毒に感じます。

#49 2015年11月17日 08:38:45

野の花
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

万年研究生さん

「一人でも多くの人が救われるように エホバの憐みによってその時はまだ来ていません。私たちは宣べ伝える業を決しておろそかにしてはなりません」

「’75年にハルマゲドンは来ませんでしたが私たちは既に霊的パラダイスに住んでいるのではありませんか」

「ある人達は時に信仰を置いて出て行き 自分の信仰がどのようなものかを明らかにしました」

「2度と繰り返されることのないエホバの壮大な宣べ伝えるという業にあずかれるのは何という喜びでしょう」

公開講演で言われた言葉です。
一々拍手して皆さん有難く聞いていました。

あーまた腹が立ってきました。

#50 2015年11月17日 08:48:47

akame
ゲストユーザー

Re: 1975年の出版物求む

万年研究生さん、

>まっとうな判断が出来ない人たちであり大変気の毒に感じます。


人は様々に弱いです、そこを突きカルトは囲い込みに成功します。

私なども実際離れるとなると教理問題以外に色々切実なことがあり大変でした。

怖いし、難しいところです。美味しい餌があっても檻に入らないのが一番。

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